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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻89号)』(転載)二木立

発行日2011年12月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


お知らせ

『日本医事新報』2011年12月10日号(4572号)に論文「TPPに参加するとアメリカは日本医療に何を要求してくるか」(連載「「深層を読む・真相を解く」第9回)を掲載する予定です。TPPが日本医療に与える影響については、4月に発表した「TPPと日本の医療」(本「ニューズレター」82号)で包括的に検討しましたが、今回は、その後に入手した韓米FTA等についての最新情報も用いて、日本がTPPに参加した場合、アメリカは日本医療に何を要求してくるかを、3段階に分けて具体的に予測します。合わせて、アメリカの要求がそのまま実現するわけではない理由も説明します。この論文は本「ニューズレター」90号(2011年1月1日配信)に転載予定ですが、早めに読みたい方は同誌掲載論文をお読み下さい。


1.論文:混合診療裁判の最高裁判決とその新聞報道をどう読むか?

(「深層を読む・真相を解く8」『日本醫事新報』2011年11月12日号(4568号):34-35頁)

はじめに-吉村仁氏は「医療費亡国論」を主張していない??

最高裁判所は10月25日、混合診療禁止の是非をめぐって争われてきた訴訟で、国の法解釈と政策を妥当とする判決を下しました。これにより、厚生労働省による混合診療禁止の法運用には「理由がない」とした2007年11月の東京地裁判決以来4年間続いてきた論争に法的決着がつけられました。

本稿では、まずこの最高裁判決のポイントを紹介し、その意義を考えます。次に、この4年間で原告(清郷伸人氏)の主張が大きく変わったことを指摘します。最後に、全国紙の最高裁判決報道を比較し、「日本経済新聞」(以下「日経」)の報道・主張には偏りと重大な事実誤認があることを批判します。

「混合診療保険給付外の原則」を二重に是認

この裁判での主な争点は2つありました。第1は混合診療禁止原則(最高裁判決は「混合診療保険給付外の原則」と表現)の法的根拠の有無、第2はそれの政策としての妥当性です。最高裁判決は、この両方で、国の主張・解釈を是認し、原告の主張を退けました。

第1の争点については、保険外併用療養費及び特定療養費に係る「各制度の沿革に関する事実関係等」と「各制度に関する関係法令等の定め」を詳細に検討し、それを前提として「各制度の趣旨及び目的について検討し」た上で、健康保険法第86条等について混合診療保険給付外の「原則の趣旨に沿った解釈を導くことができる」と判断しました。

第2の争点については、「健康保険により提供する医療の内容については、提供する医療の質(安全性及び有効性等)の確保や財源面からの制約等の観点から、その範囲を合理的に制限することはやむを得ないものと解され」、「混合診療保険給付外の原則を内容とする法の解釈は、不合理な差別を来すものとも、患者の治療選択の自由を不当に侵害するものともいえず、また、社会保障制度の一環として立法された健康保険制度の保険給付の在り方として著しく合理性を欠くものということもできない」と判断しました。

この立論は大枠では、地裁判決を覆した東京高裁判決(2009年9月)を踏襲しています。しかし、それが国の主張・解釈を全面的に是認したのと異なり、最高裁は第1の争点に関しては、混合診療保険給付外の原則は、法第86条等の「規定の文言上その趣旨が必ずしも明確に示されているとは言い難い面はあるものの…」等の留保条件を何度も付けた上で、国の主張・解釈を是認しました。

なお、原告が勝訴した東京地裁判決は、第1の争点についてのみ、混合診療禁止の法運用には「理由がない」との法解釈を下しましたが、第2の争点についての判断は回避し、「法解釈の問題と、差額徴収制度による弊害への対応や混合診療全体の在り方等の問題とは、次元の異なる問題である」と述べました。当時「日経」は、「[判決は]混合診療を一括して認めるよう明示した」等と報じましたが、これは事実誤認です。

最高裁判決の詳細な分析は今後法学者が行うと思いますが、法解釈と政策の妥当性の両面で、混合診療禁止原則(および保険外併用療養費制度による部分解禁)が認められたことは非常に重いと思います。国の医療保障政策の原則についての本格的な最高裁判決としては、国民健康保険への強制加入を合憲とした1958年の最高裁判決以来だからです( 『週刊社会保障』2613号:61頁,2011 )。これにより、混合診療全面(原則)解禁というイデオロギー的主張は法的根拠を失い、今後は、保険外併用療養費制度の運用改善という地に足のついた議論がなされることが期待されます。

原告も混合診療全面解禁論を撤回

実は、この裁判の原告の混合診療に対する主張はこの4年間で大きく変わってきました。東京地裁判決前の2006年に出版した著書『混合診療を解禁せよ 違憲の医療制度』(ごま書房)では、原告は混合診療禁止が違憲であると主張するだけでなく、次のように、医療の有効性・安全性も患者が自主判断するというリバタリアン(絶対自由主義)的主張をしていました。「私の考えている混合診療における自己責任とは、有効性・安全性も含んで自主判断し、自己決定することであり、保険医の情報開示・説明と患者の選択・同意の下で投入されるすべての医薬品、治療を対象とする。(中略)それでは民間療法と大差ないといわれるだろうが、その通り、民間療法の保険医版である」(54頁)。

しかし、2009年9月の東京高裁判決後は、混合診療の全面解禁論も、民間療法の混合診療論も撤回しました。「私は混合診療の全面解禁を求めているわけではないが、一定の条件下であれば解禁すべき」(m3.com 2009年9月29日)。「科学的根拠のない民間療法は、当然ながら対象外としなければなりません」(『JAMIC JOURNAL』2009年12月号)。

さらに、今回の最高裁判決後の記者会見では、「わたしは全面解禁を望んでいません。病院と患者とのインフォームドコンセントが十分なされた上で、規律ある原則をもった解禁がなされるべきだと考えています」と述べました(医療介護CBニュース2011年10月25日)。これは現行の保険外併用療養費制度に限りなく近いと言えます。

「日経」社説には重大な事実誤認

全国紙も、「日経」を除けば、最高裁判決を中立的に報じました。判決についての社説(または主張)は全紙が発表しましたが(「日経」10月26日、「読売」・「産経」10月27日、「朝日」10月29日、「毎日」10月30日)、「日経」以外は、判決を踏まえた上で(保険外併用療養費)制度の改善を求めました。

それに対して、「日経」は記事・社説とも、混合診療原則解禁に固執し、特に「社説」では「混合診療の解禁は立法府に委ねられた」という特異な主張をしました。しかも、他社の社説と異なり、現行の保険外併用療養費制度についてまったく触れず、逆に「国内でそれら[革新的な新薬や治療法]を保険適用していない場合、患者はすべての医療費を自費で賄うか、新しい治療法を諦めるか、どちらかを迫られる」と述べ、読者に混合診療が全面禁止されているとの誤解を与えました。

さらに社説の最後では「昨年、民主党政権は新成長戦略に混合診療を原則解禁する旨の表現を盛り込んだ」との明らかな事実誤認を書いています。これは「日経」が、少なくとも医療政策の報道については、事実を正確に報道するというジャーナリズムの原則から大きく外れていることを示しており、残念です。

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2.論文:民主党政権の「新成長戦略」・「ライフ・イノベーションによる健康大国戦略」の複眼的検討

(「二木教授の医療時評(その97)」『文化連情報』2011年12月号(405号):18-23頁)

はじめに

日本では2009年8月の衆議院議員選挙で民主党政権が地滑り的に勝利し、同年9月に民主党を中心とした連立政権(以下、民主党政権)が成立しました。民主党政権は、過去20年間続いている日本経済の低迷をうち破るために、一連の「新成長戦略」および関連文書を決定しました。まず鳩山由紀夫内閣は2009年12月に「新成長戦略(基本方針)」を閣議決定し、菅直人内閣は成立直後の2010年6月に「新成長戦略」を閣議決定しました。これらは、本年9月に成立した野田佳彦内閣にも引き継がれています。
「新成長戦略(基本政策)」は6つ、「新成長戦略」は7つの「戦略分野」を定めたのですが、いずれも第2の戦略分野として「ライフ・イノベーションによる健康大国戦略」を掲げました。本報告では、「新成長戦略」の「総論」と「各論」(「健康大国戦略」)を区別した上で、社会保障・医療分野のイノベーションが経済成長に寄与しうるか否かについて、複眼的に検討します。

1.「新成長戦略」の総論の複眼的評価(1)

「新成長戦略」の総論を分析する際にまず強調したいことは、「成長戦略」そのものは民主党政権の専売特許ではないことです。最後の自民党・公明党連立政権である麻生太郎内閣も2009年4月(政権交代の半年前)に「未来開拓戦略」を作成しており、鳩山内閣が閣議決定した「新成長戦略(基本方針)」は、基本骨格と数値目標の両面で、これの焼き直しにすぎません。

それに対して菅内閣の「新成長戦略」は、「強い経済」「強い財政」「強い社会保障」の「一体的実現」をめざしている点に新しさがあります。「新成長戦略」が第1章で、「社会保障は、少子高齢化を背景に負担面ばかりが強調され、経済成長の足を引っ張るものと見なされてきた」ことを否定し、「社会保障には雇用創出を通じて成長をもたらす分野が多く含まれており、社会保障の充実が雇用創出を通じ、同時に成長をもたらすことが可能である」と180度政策転換して、「年金、医療、介護、各制度の立て直しを進める」としたことは、私も高く評価しています。

現実にも、2002~2010年の9年間に就業者総数は73万人も減少しましたが、医療・福祉の雇用は逆に179万人も増加しています(厚生労働省「労働力調査」)。

さらに医療・介護・福祉の産業連関分析によっても、社会保障関係事業(医療、保健衛生、社会福祉、介護、社会保険事業)の「生産波及効果」は全産業平均より高く、「雇用誘発効果」はどの産業よりもはるかに高いことが実証されています。ただし、産業連関分析には2つの留意点があります。1つはあくまで「短期的」推計であり、医療・社会保障の「長期的」経済成長効果は不明であること、もう1つは「短期的」効果を実現するためにも、相当の公的費用(税・保険料)の投入が必要であることです。

「新成長戦略」の特徴は、医療・介護・健康関連産業の「成長牽引産業」化を目指したことですが、それはきわめて困難であり、医療・介護・健康関連産業はあくまで経済成長の「下支え」にとどまります。この点については、思想的立場を異にするすべての(医療)経済学者、医療政策研究者が合意しています。実は、菅内閣の置きみやげと言える「社会保障・税一体改革成案」(2011年7月閣議報告)でも「社会保障は需要・供給両面で経済成長に寄与する機能」と位置付けられ、「成長牽引産業」論は事実上否定されました。

2.「ライフ・イノベーションによる健康大国戦略」の分析的評価

「新成長戦略」の「ライフ・イノベーションによる健康大国戦略」中の医療分野の「ライフ・イノベーション」は2本柱となっています。1つは、「公的保険外」の医療サービスの育成(「医療の[営利]産業化」)であり、もう1つは医薬品・医療機器・再生医療等のライフサイエンス分野の育成で、特に医薬品・医療機器産業の輸出産業化が重視されています。以下、この順に検討します。なお、「ライフ・イノベーション」は、政府文書としては、民主党政権が初めて用いた用語で、一般にはほとんど用いられていません。

(1)公的保険外の医療サービスに経済成長効果はほとんどない(1)

まず、公的保険外の医療サービスの経済成長効果を検討します。「新成長戦略」に書かれている主な施策は、医療ツーリズム、混合診療の拡大、健康関連サービス産業の育成の3つです。このうち、新しい施策と言えるのは医療ツーリズムだけであり、他は自民党政権時代から何度となく取り上げられてきました。

医療ツーリズム

「新成長戦略」では、医療ツーリズムとして「アジアの富裕層」の日本への受け入れ(インバウンド)を重視しました。これを受けて、政府系の政策投資銀行は2020年で市場規模は5500億円に達すると推計しました。ただし、観光を除いた「純医療」は1681億円(30.6%)です。

しかし、この推計は日本の医療ツーリズムの市場規模を超過大評価すると同時に、日本の医療サービス価格のライバル国に比べた高さ(日本の価格競争力の無さ)を無視しています。例えば、中国・ロシアの富裕層の三分の一以上が医療ツーリストになり、しかもその5割近くが、日本で治療を受けるという超楽観的仮定を設けています。しかも日本と韓国・タイ・シンガポールの5種類の手術価格等は同水準としていますが、これは明らかな事実誤認です。日本と韓国の手術価格差(公定料金)は2006年でも約5倍であり、その後のウオン安で格差は更に拡大しています。しかも、仮に政策投資銀行の推計通りに、2020年に医療ツーリズムの「純医療」の市場規模が1681億円に達しても、それは同年の推計国民医療費47兆円のわずか0.36%にすぎません。

しかも、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故の発生により、外国人観光客は激減し、外国人患者の受け入れもほとんどストップしてしまいました(実は、それ以前から、外国人患者はほとんど増えていませんでした)。そのためもあり、医療ツーリズムを主導する経済産業省は、今年に入って「病院の輸出」(アウトバウンド)に重点を移しましたが、これの市場規模は外国人患者の受け入れ(インバウンド)に比べさらに小さく、しかも実現ははるかに困難です(2)

野村眞弓氏は、日本の皆保険制度の強みは「一般向けのありふれた医療」をきちんと国民に提供することであり、これと富裕層に限定した高度な先進医療の提供の両立は困難であると指摘しており、私も同じ意見です(3)。事実、タイ、シンガポールなど、医療ツーリズム先進国はすべて、一般国民向けと富裕層向けの「2段階医療」制度となっています。

混合診療の解禁と健康関連サービス

次に、混合診療(保険診療と自由診療との自由な組み合わせ)の大幅拡大、ましてや原則解禁は日本ではきわめて困難です。その理由は、日本国民は平等な医療を求める意識が非常に強く、しかも厚生労働省と日本医師会・医療団体が混合診療の原則解禁に一致して頑強に反対しているからです。近年の自民党・公明党連立政権中最強と言える小泉純一郎内閣(2001~2006年)は、医療分野への本格的な市場原理導入を執拗に目指しましたが、混合診療の原則解禁には挫折しました。菅内閣は2011年4月に「規制・制度改革に係る方針」を閣議決定しましたが、混合診療の原則解禁は見送られ、限定的拡大にとどめられました。しかし、混合診療を限定的に拡大しても、その「対象は数十億とか、その程度のマージナルな部分の改革にしかならない」ことは、混合診療原則解禁論者も認めています。

しかも、最高裁判所は本年10月25日に、混合診療の原則禁止と「保険外併用療養費」制度による部分解禁が適法であるとの初めての判決を下しました。これにより、混合診療原則解禁は法的にも、政治的にも、ほとんど不可能になったと言えます(4)

第3の健康関連サービスは、私にとってdeja vu(既視感)です。なぜなら、旧厚生省は1980年代後半に公的保険外の健康産業の育成をはかったものの、ほとんど失敗しているからです。なお、経営的には、健康関連サービス事業の経営は、一般の営利企業よりも、「保健・医療・福祉複合体」の方がはるかに有利です。なぜなら、複合体は顧客獲得面で営利企業よりも圧倒的に有利なだけでなく、営利企業が健康関連サービス単独で利益をあげなければならないのと異なり、複合体は健康関連サービス事業が多少赤字であっても、それが事業全体の収益増加・患者増加に貢献すれば実施可能だからです。

医療本体の営利化には政府内で深刻な対立

ここで見落としてならないことがあります。それは、医療本体(医療サービス)の「営利産業化」については、政府内でも深刻な対立があることです。経済産業省と内閣府行政刷新会議はそれに積極的です。特に、経済産業省は、「医療産業研究会報告書」(2010年6月)、「産業構造審議会基本政策部会中間取りまとめ」(2011年6月)で、それを提唱しています。それに対して、厚生労働省は、小泉内閣時代から一貫して、それに対して消極的・否定的でした。ただし、厚生労働省も医療周辺分野の営利産業化は容認・推進しています。
一般には、経済産業省が厚生労働省よりも強力というイメージがありますが、それはまったくの誤解です。経済産業省は、自己に権限のない他省の政策に思いつき的に「越境」を繰り返す無責任官庁であり、同省が打ち上げた医療政策で成功したものは1つもありません(2)

(2)ライフサイエンス分野の振興・輸出産業化のための自公政権・民主党政権の主要政策

次に、ライフサイエンス分野の振興、医薬品・医療機器産業の輸出産業化について検討します。この政策は自民党・公明党連立政権時代から重視されており、2009年の政権交代による変化はほとんどありません。しかも、医療サービスの「営利産業化」と異なり、省間対立もほとんどありません。

そこで、まず2001~2008年の自民党・公明党連立政権時代の主な政府決定(閣議決定またはそれに準ずる公式文書)を検討します。

最初の文書は「第2期科学技術基本計画」(2001年3月閣議決定)で、「国家的・社会的課題に対応した[科学・技術]研究開発の[戦略的]重点化」として4分野を設定し、それの第1を「ライフサイエンス分野…新薬の開発とオーダーメイド医療や機能性食品の開発等に向けたゲノム科学」としました。「経済成長戦略大綱」(2006年7月政府・与党決定)も、「国際競争力の強化」、「医薬品・医療機器産業の国際競争力強化」を重視しました。「イノベーション25」(2007年6月閣議決定)はさらに踏み込んで、「分野別の戦略的な研究開発の推進」として、「ライフサイエンス分野…ITやナノテクノロジー等の活用による革新的医療技術の研究開発、QOLを高める診断・治療機器の研究開発、創薬プロセスの加速化・効率化に関する研究開発、標準的治療等の革新的がん医療技術」を設定しました。これの直前に決定された「革新的医薬品・医療機器創出のための5か年戦略」(2007年4月。文部科学省・厚生労働省・経済産業省)は「医薬品・医療機器産業を日本の成長牽引役へ導く」ことを決定しました。

このような政府全体の方針に対応して、厚生労働省も自民党・公明党連立政権時代から、一連の医薬品・医療機器産業育成政策を作成しました。まず「医薬品産業ビジョン」(2002年)で、「医薬品産業はわが国を担うリーディング産業」であり、「医薬品産業の国際競争力を強化することが不可欠」とし、そのための包括的政策を初めて示しました。2007年には「新医薬品産業ビジョン」を発表しました。医療機器産業育成についても、「医療機器産業ビジョン」(2003年)、「新医療機器・医療技術産業ビジョン」(2008年)を発表しました。

民主党政権の「ライフ・イノベーション」政策は、このような自民党・公明党連立政権の政策をほとんどそのまま引き継いでいます。先述した「新成長戦略」(2010年6月閣議決定)の「ライフ・イノベーションによる健康大国戦略」は、「医療・介護・健康関連産業を成長牽引産業へ」転換することを目指し、「日本発の革新的な医薬品、医療・介護技術の研究開発推進」を重視し、「今後、飛躍的な成長が望まれる医薬品・医療機器・再生医療等のライフサイエンス分野」と位置付けました。「新成長戦略実現2011」(2011年1月閣議決定)でも、「世界に先駆けた革新的新薬・医療機器創出のための臨床試験拠点の整備の着手」を決定しました。「社会保障・税一体改革成案」(2011年7月閣議報告)では、先述したように、「社会保障は需要・供給両面で経済成長に寄与する機能」とし、「医療イノベーション、ライフイノベーションの推進」を掲げました。菅内閣の最後の閣議決定「日本再生のための戦略に向けて」(2011年8月)では、「『医療イノベーション推進の基本的方針』に基づき、革新的な医薬品や医療機器の実用化、イノベーションの適切な評価の実施、再生医療等の新技術への対応のため、規制・制度の改革を進める」、「医療の国際化も引き続き推進するとともに、情報通信技術を活用した新サービスや公的保険外の医療・介護周辺サービスの創出を図る」ことを決めました。「第4期科学技術基本計画」(2011年8月閣議決定)でも、「ライフイノベーションの推進…医療・介護・健康サービス等の産業を育成…医薬品、医療機器の開発等を通じて、国際貢献を目指す」ことを決定しました。

(3)私も「ライフイノベーション」には期待したいが、道は険しい

次に、このような「ライフイノベーション」(サイエンス分野の振興、医薬品・医療機器産業の輸出産業化)の実現可能性について複眼的に検討します。

私も、ライフサイエンス分野は日本に残された数少ない成長産業であると思います。この点について、桐野高明氏(国立国際医療センター総長。日本医師会医療政策会議委員)は次のように述べており、私も同じ意見です。「医療そのものの収益性をあげて『営利産業化』するのではなく、医薬品や医療機器において世界の先頭に立つような体制を作り上げ活性化して、その総合的な力をもって世界に冠たる『医療産業化』を成し遂げることがいまでも可能であるとすれば、それが最もまともな路線」(日本医師会医療政策会議2011年度報告書草案)。

しかし、2000年以降、政府の医薬品・医療機器産業の振興策が強化されているにもかかわらず、同じ期間に両産業の国際競争力は低下し、「入超」が急拡大しているという厳しい現実があります。まず、医薬品の入超(貿易赤字額)は1990年代までは2000億円台でしたが、2000年以降急増し、2010年は1.2兆円に達しています。これは、この間の日本の製薬産業の国際競争力低下の反映と言えます。特に深刻なのは、日本の製薬企業は、アメリカとヨーロッパ諸国の製薬企業に比べて、今後市場規模の急拡大が予想されている低分子医薬品とバイオ医薬品の開発・販売で大きく立ち遅れていることです(5)

次に医療機器は、医薬品と異なり、1980年代までは輸出入が均衡していましたが、1990年代に入超となり、2010年には0.6兆円の入超となっています。特に、治療機器では国際競争力がまったくない状態です。ここで、見落としてならないことは、医療機器産業の不振の原因は複合的であることです(6)。1つは日本の業界の要因として、診断技術から治療技術へのニーズの変化に対応しきれなかったことがあげられますが、それに加えて、政府側の要因も無視できません。それは、1990年代に(アメリカの外圧により)円高対策として、政府調達による先進医療機器の輸入を促進し、結果的に国内企業の成長の芽を摘んでしまったことです。

そのために、医薬品・医療機器産業の将来について、私は遠藤久夫氏の次の冷静な評価が妥当だと考えます。「医療の周辺産業として医薬品産業や医療機器産業の振興・競争力強化は重要と考えるが、現状では欧米企業の競争力が強く、今後、日本企業が競争力をどこまでアップできるかどうかは未知数であると言わざるを得ない」(7)

それに加えて、私には産業政策そのものの有効性についての根源的疑問があります。その理由は以下の通りです。まず、経済産業省(旧通産省)の産業政策は、少なくとも1970年代以降(高度経済成長期以降)は、ことごとく失敗しています。学問的にも、産業政策一般の有効性はほとんど否定されていると思います。最近は、国際的にも、産業政策の有効性が再び強調され始めていますが、その対象は中国等の「新興国」に限られると思います。特に日本のような経済規模の大きい国では、輸出の急拡大は中期的にはさらなる円高を招き、輸出を抑制するという悪循環に陥るとの指摘もあります(8)

そもそもイノベーションの元祖・命名者であるシュンペーターは、産業政策の有効性についてはまったく言及していません。彼がもっとも強調したのは、イノベーションそのものではなく、それを遂行する「企業家」の役割です(9)。しかし、「サラリーマン重役」が大半を占める日本の大企業にはシュンペーター的意味での「企業家」はほとんど存在しないと思います。

おわりに

私は「新成長戦略」の総論については、社会保障の経済効果を強調している点を評価しています。社会保障を「成長牽引産業」化するとの位置づけは過大でしたが、その後「社会保障・税の一体改革」でそれは事実上否定されたため、この点での論争は終了したと言えます。「新成長戦略」の各論である「ライフ・イノベーションによる健康大国戦略」中の医療イノベーションの経済成長効果がごくごく限られていることも明らかです。

そのために、私は、日本が今後めざすべきは国内需要の拡大による安定的経済成長であると思います。日本の「内需主導型成長」への転換は、世界同時不況突入直後の2008年11月に開かれたG20サミットで麻生首相(当時)が行った「国際公約」でもあります(10:6頁)。そのため、私は、「積極的社会保障政策」は成長促進政策でもあるとの権丈善一氏の主張に賛成です(11)。ただし、医療を安定成長産業とするためには、社会保険料を主財源、消費税を含む公費を補助的財源として公的医療費の総枠拡大の「安定財源」を確保する必要があると考えます(10:第1章第3節)。

[本稿は、2011年11月12日に日本福祉大学名古屋キャンパスで開催された「第6回日韓定期シンポジウム」での報告です。]

文献

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算72回.2011年分その9:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足

○「[アメリカの]メディケイド拡大の効果-オレゴン州の実験から学ぶ」
(Baicker K, et al: The Effects of Medicaid coverage - Learning from the Oregon Experiment. The New England Journal of Medicine 365(8):683-685,2011)[量的研究の紹介]

アメリカでは医療保険やメディケイドへの加入拡大の費用と効果についての論争が続いているが、厳密なランダム化試験はほとんど行われていない。オレゴン州は財政難のために2004年からメディケイドの新規受給を停止していたが、2008年にメディケイド待機者リストの登録者約9万人から、抽選で(つまりランダムに)1万人を選び、新規受給を認めた。同州の協力を得て、メディケア受給者の拡大が行われた1年後に、メディケイドの新規受給者と抽選に漏れた申請者の比較調査を行った。その結果、メディケアの新規受給者は抽選に漏れた申請者に比べ、外来受診が35%、入院が30%多く、それに伴い医療費は約25%増加した。新規受給者では、医療費支払いのために借金したりその支払いをしない確率は40%低く、健康状態が良好と回答する者が25%多く、うつも25%少なかった。しかし、死亡率の差はなかった。2年目以降は、死亡率以外の健康の客観的指標についても調査する予定である。

二木コメント-全国民を対象にした医療保障制度がない唯一の先進国であるアメリカでしかできない、なんとも凄まじいランダム化試験です。この研究をいち早く紹介した李啓充医師は、最後に「医療保険のご利益についてのRCTを行うことができる社会というのは、どこか根本的に間違っている」と書かれており、私も同じ意見です(「週刊医学界新聞」2011年8月22日号「続 アメリカ医療の光と影」第204回)。なお、調査報告の全文(全56頁)はネット上に公開されています(Finkelstein A, et al: The Oregon Health Insurance Experiment: Evidence from the first year. NBER Working Paper No.17190, July 2011. http://www.nber.org/papers/w17190)。

○[アメリカにおける]医療費と高齢者の健康[の関連]
(Hadley J, et al: Medical spending and the health of the elderly. Health Services Research 46(5):1333-1361,2011)[量的研究]

1992-2002年のメディケア現行給付調査の個票を用いて、操作変数法により、高齢者の医療費のバラツキと健康アウトカムとの3年間にわたる関連を検討した。対象は同調査に参加した65歳以上の高齢者のうち、調査開始時に施設に入居しておらず、全期間出来高払い制のメディケアに加入しており、しかも調査開始後最低2年間生存した17,438人である。その結果、医療費の多さと良好な健康との間には、統計的に有意な正の関連が認められた:3年間での10%の医療費増加は1.9%の「健康・活動制限指数」(HALex)の改善、1.5%の生存確率の上昇と関連していた。メディケア医療費の全面的削減は、一部のメディケア加入者の健康悪化を招くかもしれない。

二木コメント-従来の同種研究の多くが1人当たり医療費と死亡率等には関連がないという結果を得ていたのと「真逆」です。著者はこの理由として、従来の研究の多くが、地域単位の1人当たり平均医療費と死亡率の横断調査であったのに対して、本研究は個人単位かつ縦断調査であることなどをあげており、説得力があります。

○[アメリカおける]事前指示書と終末期メディケア医療費の関連の地域的バラツキ
(Nicholas LH, et al: Regional variation in the association between advanced directives and end-of-life Medicare expenditures. JAMA 306(13):1447-1453,2011)[量的研究]

事前指示書(リヴィングウィル)が終末期の医療費・治療と関連するか否かは不明である。そこで、「健康・退職調査」の個票を用いて、1998~2007年に死亡した3302人のメディケア加入者(平均年齢82.8歳)を対象にして、ロジスティック多重回帰分析により、終末期の医療制限を含む事前指示書(以下、事前指示書)の利用、死亡前6か月のメディケア医療費(以下、終末期医療費)、緩和医療・集中治療の関連についての地域間のバラツキを調査した。地域としては「病院紹介地域」(hospital referral region)を用い、1人当たり平均メディケア医療費水準により、高医療費地域(上位四分の一)、中医療費地域(中間二分の一)、低医療費地域(下位四分の一)に三分した。対象全体では、事前指示書の有無で終末期医療費に有意差はなかった:事前指示書あり(1275人)では21,008ドル、なし(2027人)では21,614ドル。しかし、高医療費地域では、事前指示書は低い終末期医療費と関連していた。低・中医療費地域では、そのような関連はなかった。高・中医療費地域では、事前指示書は調整済み入院死亡率の低さ、およびホスピス利用率の高さと関連していた。しかし、低医療費地域ではそのような関連はなかった。

二木コメント-従来、事前指示書の終末期医療費抑制効果は証明されていませんし、今回の研究でも同じです。しかし、地域を平均医療費により3分して、高医療費地域に限っては事前指示書が低い終末期医療費と関連することを実証したのは、ウマイと思います。

○健康の決定要因と保健医療政策としての社会政策に関するアメリカの世論
(Robert SA, et al: US opinions on health determinants and social policy as health policy. American Journal of Public Health 101(9):1655-1663,2011)[量的研究]

アメリカ国民が健康の決定要因として何を重視しているか、および彼らは社会政策を保健医療政策と見なしているかを明らかにするために、2008年11月~2009年2月に成人2791人を対象にして、全国電話調査を行った。回答者は、健康行動と医療へのアクセスが健康に強く影響すると答えたが、他の社会的・経済的要因は重視しなかった。健康の社会的決定要因を重視し、しかも社会政策を保健医療政策でもあるとした回答者は、高齢者、女性、非白人、リベラル、受けた教育年限が短い、低所得、不健康である確率が高かった。

二木コメント-アメリカでは社会的・経済的要因が健康に与える影響についての認識が低いこと、およびこの認識には回答者の社会経済的地位や思想が影響することは、ある意味で予想通りと言えます。このような傾向は個人主義大国アメリカに限られるのか、それとも日本でも認められるのか、日本で「追試」が行われることを期待します。

○アメリカとカナダの医師の医業[比較]:[アメリカの医師は]保険者との交渉に4倍近い金を費やしている
(Morra D, et al: US physician practices versus Canadians: Spending nearly four times as much money interacting with payers. Health Affairs 30(8):1443-1450,2011)[量的研究]

アメリカの医業、特にアメリカで一般的な医師が1~2人での小規模診療では、保険の給付範囲や診察費・薬剤処方の請求等についてたくさんの保険者と交渉するために、相当な時間と労力が必要となる。本研究では、カナダ・オンタリオ州で医師3人以上の私的グループ診療(93)に参加している医師と管理者が保険者と交渉する時間を調査し、それをアメリカの既存の全国調査と比較した。カナダでは医師の単一保険者との平均交渉費用は医師1人・1年当たり22,205ドルであり、アメリカの82,975ドルの27%にとどまっていた。これに加えて、アメリカの看護職(医療助手を含む)の医師1人・1週当たりの保険者との平均交渉時間は20.6時間であり、カナダの10倍であった。もしアメリカの医師の管理費用がオンタリオ州の医師と同水準であった場合には、年間276億ドル(約2兆3000億円)が節約されることになる。

二木コメント-アメリカ医療の無駄の象徴である管理費用についての最新の研究です。従来の研究と違い、カナダ側の独自調査が出発点になっています。

○「[アメリカおける]医薬品開発に影響する主要な法令の実績レビュー:過去の経験、効果と意図せざる結果」
(Kesselheim AS: An empirical review of major legislation affecting drug development: Past experiences, effects, and unintended consequences. The Milbank Quarterly 89(3):450-502,2011)[政策研究・文献レビュー]

最近は画期的新薬の開発が底をついているため、市場独占期間(market exclusivity)を延長する新しい法律を制定し、医薬品市場におけるイノベーションを促進するインセンティブとすべきだとする提案が増えている。このような提案の妥当性を歴史的視点から検討するために、過去30年間に同じ目的で制定された次の4つの法令の文献レビューを行った:(1)1980年Bayh-Dole法(大学・小企業特許権手続き法)、(2)1983年稀少疾病用薬法、(3)1984年Hatch-Waxman法(医薬品価格競争・特許期間回復法)、(4)1997年FDA現代化法の小児用薬市場独占期間延長プログラム。各法がもたらした結果を検討した量的・質的研究をレビューし、得られたエビデンスの質を評価した。

その結果、4つの法令とも概して成功したとみなされていたが、この結論は主として記述的研究に基づいており、交絡要因をきちんと処理した厳密な研究は少なかった。確実なデータから、市場独占期間延長というインセンティブは医薬品開発に関わる当事者の関心を引きつけると言える。しかし、市場独占期間の利用は誤用されやすく、不適切な結果ももたらす。さらに、公衆衛生に大きな否定的結果をもたらす重要な付随的効果も生じていた。

二木コメント-アメリカで医薬品開発促進のために制定された主な法令(一種の産業政策?)の結果を複眼的に検討しており、日本の医薬品産業振興策の効果と副作用を考える上で参考になると思います。ただし、法律用語が多く、相当難解です。

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4.私の好きな名言・警句の紹介(その84)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

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