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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻24号)』(転載)

二木立

発行日2006年08月01日

(出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見等をいただければ幸いです)

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/ )


目次


1.拙論:2006年診療報酬改定の意味するもの

(『月刊/保険診療』2006年7月号(第61巻7号):19-23頁)

はじめに

本年の診療報酬改定そのものについては、すでに本誌上を含めて多くの解説や検討・批判がなされている。本稿では視点を変えて、今後の医療制度改革と関連づけながら、今回改定の意味するものを検討したい。私は、今回の診療報酬改定全体には、次の5つの特徴があると考えている。(1)4半世紀ぶりの医療制度の包括的改革の先駆け、(2)史上最大のマイナス改定、(3)中医協の権限の大幅縮小による厚生労働省ペースの改定、(4)「勘と度胸だけ」の恣意的な改定手法の復活、(5)特定療養費制度の拡大の見送り。以下、順に説明する。

4半世紀ぶりの医療制度の包括的改革の先駆け

第1の特徴は、今回の改定が4半世紀ぶりの医療制度の包括的改革の先駆けとなったことである。1980年代前半の医療費抑制政策の突破口となったのは、ちょうど25年前の1981年6月の診療報酬改定であり、当時、それは衝撃の大きさから「6・1改定」あるいは「新医療」と呼ばれた。これに続いて、1982年の老人保健法制定による老人医療有料化、1984年の健康保険法抜本改革による健康保険本人の10割給付原則の廃止、1985年の医療法第一次改正による病床規制の導入等、医療費抑制政策が連続的に実施された。その結果、1980年代の10年間、国民医療費の伸び率はGNP(国民総生産)の伸び率を下回ることになった。

当時私は、これらの改革を「『世界一』の医療費抑制政策」と呼び、それの2つの弊害(医療の質の低下と隠された患者負担の拡大)を指摘するとともに、過度の医療費抑制政策による「逸失」国民医療費が1988~1991年度の4年間だけで約8兆円に達すると推計した(拙著『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』勁草書房,1994,43頁)。

今回の診療報酬改定に続いて、6月に成立した医療制度改革法は、健康保険法、老人保健法、医療法、介護保険法の改正等、1980年代前半の一連の法改正に匹敵する内容を含んでいる【注】。そのために、今後5~10年間は、診療報酬引き下げと法改正の「相乗効果」により、「世界一」の医療費抑制政策がさらに強化され、医療費が過剰に抑制される危険性が大きい。

史上最大のマイナス改定

第2の特徴は、診療報酬改定の歴史上最大のマイナス改定(-3.16%)なことである。名目の引き下げ率だけをみると、4年前の2002年改定の-2.7%と一見大きく違わないため、「そう大差ありません」と楽観視するジャーナリストもいる。しかし、4年前と現在とは医療機関を取り巻く経済環境が全く異なる。

具体的には、当時はデフレ(物価下落)が続いており、2000~2004年の4年間に消費者物価指数(全国)は2.2ポイントも低下した。それに対して、本年に入ってデフレは収束し、物価指数も上昇に転じている。日本銀行も本年3月に量的緩和政策を解除し、本年後半には金利水準の上昇も予想されている。「社会保障の在り方に関する懇談会報告書」(本年5月)中の「社会保障の給付と負担の見通し」によると、2006、2007年の物価上昇率はそれぞれ0.5%、1.1%とされている。賃金上昇率の見通しはさらに高く、それぞれ2.0%、2.7~2.1%である。

それだけに、医療機関は、今後、診療報酬引き下げによる医業収益減少の中で、医療従事者の賃金引き上げ圧力と借入金利の上昇という二重の負担増に直面することになる。

中医協の権限の大幅縮小による厚生労働省ペースの改定

第3の特徴は、中医協(中央社会保険医療協議会)の権限が大幅に縮小された結果、完全な厚生労働省ペースで改定が行われたことである。具体的には、2004年の歯科診療報酬をめぐる中医協委員の贈収賄事件に端を発した中医協改革により、診療報酬の改定幅は中医協ではなく政府(閣議)が決定することが明確にされただけでなく、改定の「基本方針」すら中医協ではなく、厚生労働省の意向がほぼそのまま認められる社会保障審議会医療保険部会・医療部会において決定されることになった。このような二重の制約により、中医協は事実上「実務委員会」に格下げされ、社会保険の当事者自治機能が大幅に低下してしまった。

実は、私は、現在の中医協委員には見識のある方が多く、この点では史上最強・最良と評価している。具体的には、委員長の土田武史氏(早稲田大学教授)は社会保障法のわが国有数の権威であり、遠藤久夫氏(早稲田大学教授)は中医協委員で初めての医療経済学の専門家である。支払い側の「連合」枠で昨年4月から委員となっている勝村久司氏は、患者団体代表として率直で建設的な提案を続けられている。さらに、昨年9月から病院団体(日本病院団体連絡協議会)の正式代表として参加している石井暎禧氏と邊見公雄氏も、病院医療(特に急性期医療)の実態を熟知した良識ある論客である。

その結果、中医協の審議の過程ではこれら委員の見識ある発言により、厚生労働省の暴走に歯止めがかけられたことも少なくない。その代表例が、本年1月18日の中医協・診療報酬基本問題小委員会で、石井委員等の厳しい批判と土田委員長の裁定により、厚生労働省の「原案」に含まれていた200床以上の大病院の紹介状なしの初診の特定療養費化の拡大が見送られたことである。勝村委員の強い主張により実現した保険医療機関に対する医療費の内容の分かる領収書の義務づけも、医療の透明化に役立つと評価できる(『日本醫事新報』4265号57頁,2006)。

しかし、このような個々の委員の奮闘による部分的成果にもかかわらず、中医協の権限縮小により、全体としては厚生労働省ペースの改定になったと言わざるを得ない。医療制度改革の一環として中医協の委員構成の見直しが行われ、団体推薦規定が廃止された結果、今後はこの傾向にさらに拍車がかかる危険がある。

「勘と度胸だけ」の恣意的改定手法の復活

第4の特徴で、私がもっとも重大だと思うことは、厚生労働省自身が最近標榜していた「根拠に基づく」診療報酬改定を否定し、医療費抑制のための「勘と度胸だけ」の恣意的な改定手法を復活させたことである。

ちなみに、この「勘と度胸だけ」という名言(?)の初出は、黒木武弘厚生省次官(当時)が1993年5月の医療経済研究機構設立発起人会の挨拶で述べた、以下の言葉である。「我が国の医療は巨大化し、私共の政策判断も今までのように勘と度胸だけではやっていけなくなった」(『日本醫事新報』3604号107頁,1993)。

このような反省のためか、最近は、厚生労働省も、「根拠に基づく」診療報酬改定を標榜するようになっていた。このことを特に強調していたのは西山正徳前保険局医療課長であり、氏は診療報酬制度の見直しのための本格的な調査研究を行うために、2003年7月に大規模な「診療報酬調査専門組織」を発足させた。

当時は私も、それに対して次のような期待を述べたことがある。「私は、もし厚生労働省が従来の『勘と度胸に基づく』[正しくは、『勘と度胸だけ』の]診療報酬改定から、『根拠に基づく』診療報酬改定に転換するとしたら、大きな意味があると注目している。それにより、医療行政の透明度が高まり、従来のような診療報酬による恣意的な医療機関誘導は困難になるからである」(拙著『医療改革と病院』勁草書房,2004,35頁)。しかし、今回の改定により、厚生労働省は残念ながら「先祖帰り」をしてしまったと言わざるを得ない。

先述した第2の特徴(史上最大のマイナス改定)は小泉首相の裁断であり、厚生労働省は一面では被害者と言えなくもない。しかし、この第4の特徴は、やや表現がきついが、虎(小泉首相)の威を借る狐的改革、あるいは火事場泥棒的改革と言える。

療養病床入院基本料の「恣意的引き下げ」はルール違反

「勘と度胸だけ」の改定は多岐にわたるが、その最たるものは、急性期医療に係る紹介率を要件とする各種加算の全廃(特に「急性期病院のシンボル」とみなされてきた急性期特定入院加算の廃止)と、慢性期医療(医療療養病床)の入院基本料の最大4割にも達する大幅引き下げと言える。

前者については、厚生労働省は、これによる引き下げ分を救急医療等での評価で補填したと主張している(ただし、実態は別)。それに対して、後者について、麦谷眞理保険局医療課長は、次のように、「恣意的引き下げ」であると明言している。「『こんな低い点数では[患者が-二木]追い出される』と言われるが、まさに、医療の必要ない人は、他の施設に移ってもらうために、恣意的に点数を引き下げた」(「愛知保険医新聞」2006年5月5・15日合併号)。

私は、昨年10月に発表した拙論「小泉自民党圧勝後の医療費抑制政策」(『社会保険旬報』2257号)で、「医療費抑制の焦点」は、一般病床よりもはるかに高い利益率を確保している療養病床であると判断した上で、厚生労働省が包括評価分類を「療養病床の診療報酬抑制のために利用(悪用)する可能性が大きい」と予測していた。今回の改定は、この予測通りとも言えるが、私も、このように極端な、原価割れになるほどの「恣意的引き下げ」が強行されるとまでは考えていなかった。

しかし、このような「恣意的引き下げ」は、診療報酬体系の「基本的な考え方」として、「医療機関のコスト等の適切な反映」を明示した、2003年3月の閣議決定「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針」を逸脱している。さらに、厚生労働省自身が2003年4月に発表した「医療提供体制の改革のビジョン」で、医療提供体制の改革は「国の押しつけではなく、医療機関の自主性を最大限に尊重する」という考えを基本としていたこと(『社会保険旬報』2171号38頁,2003)を、否定するものと言える。

私は、今回改定の最大の悪影響は、このような、厚生労働省自身の従来の方針を一方的に否定する「勘と度胸だけ」の恣意的改定により、医療機関・医療従事者の厚生労働省に対する信頼が失われたことだと思っている。その結果、これまで厳しい医療費抑制政策の下でも日本医療のパフォーマンスの良さを支えてきた医師・医療従事者と医療機関(特に民間中小病院)経営者の活力とモラール(志気)が今後急速に低下し、現在はまだ小児救急医療や産科医療などに限局している医療危機・医療荒廃が一気に拡大する危険がある。

なお、小松秀樹氏(虎ノ門病院泌尿器科部長)の新著『医療崩壊-「立ち去り型サボタージュ」とは何か』(朝日新聞社,2006)は、この危険を活写しており、一読をお薦めしたい。

特定療養費制度の拡大の見送り

第5の特徴は、一昨年12月の混合診療部分解禁の政府決定にもかかわらず、特定療養費制度の拡大が見送られたことである。これは私が、今回の改定で評価する数少ない点である。

具体的には、先述したように、厚生労働省が当初予定していた大病院の初診料の特定療養費の拡大は中医協委員と委員長の見識ある発言・裁定により撤回された。2002年診療報酬改定で導入された、特定療養費の「第3分類」と言える180日を超える入院患者の入院基本料の特定療養費化は、療養病床については本年7月から廃止された。2002年改定時には特定療養費化が検討されたセカンドオピニオンも、今回は、部分的にせよ医療保険で評価されることになった。

さらに、昨年10月にリハビリテーション分野に導入された制限回数を超えるリハビリテーションの混合診療化も事実上棚上げされたと言える。なぜなら、急性期・回復期リハビリテーションの回数制限が従来の1日最大6単位(2時間)から最大9単位(3時間)に引き上げられた結果、保険の枠内で十分なリハビリテーションの実施が可能になるとともに、リハビリテーションの算定日数制限を超える慢性期・維持期の患者に対する自費でのリハビリテーションの実施は禁止されたからである。なお、今回の改定で導入された「リハビリテーションの算定日数制限の問題点と解決策」については、『文化連情報』7月号掲載の同名の拙論で詳しく論じたので、参照されたい。

特定療養費制度の拡大の見送りと関連して私が注目しているのは、今回の改定で、心臓・肝臓・肺臓・膵臓の4移植術が一気に保険適用されるとともに、悪性腫瘍の遺伝子診断等8つの高度先進医療が保険導入されたことである。これにより、今後の診療報酬改定では、相当の高度医療技術であっても、ある程度普及した段階では保険診療に組み込まれる道が再確認されたと言える。このことは、厚生労働省が、内閣府規制改革・民間開放推進会議等が執拗に求めている混合診療の全面解禁に抵抗し続けていることの現れと言え、評価できる。

ただし、医療制度改革法(健康保険法改正)では、「特定療養費制度の再構成」により混合診療の部分解禁が行われたこと、および厚生労働省の一部担当者が混合診療・自費診療の拡大を推奨していることの2つを考慮すると、この点での「油断は禁物」と言える。

病院の外来分離の抑制と社会福祉士の認知

以上、今後の医療制度改革と関連づけながら、今回の診療報酬改定全体の5つの特徴を検討してきた。最後に、個別の改革で、一般にはあまり注目されていないことを2つあげたい。

1つは、今回改定で、病院の外来分離(門前クリニック)に対する経済的誘因がなくなり、結果的にそれが抑制されることである。具体的には、初診料が病院と診療所とで同一となり、しかも各種の紹介率規定が全廃された。後者について、麦谷医療課長は、「紹介率を高めると収入が増えるから連携をするということではない、そもそも連携をするのは当然だ」と述べて、経済誘導的な点数は廃止すると説明している(『社会保険旬報』2273号7頁,2006)。

私は、このような方針転換の背景には、日本医師会等による病院の外来分離に対する批判に加えて、外来分離による医療費増加を抑制したい厚生労働省の思惑があると判断している。しかも、『日経ヘルスケア』誌の調査では、すでに2004年9月の時点で、都道府県による外来分離の規制(行政指導)が始まっていた(同誌2004年10月号)。

私は、2年前の本誌で、2006年改定で「病院の外来分離への規制」が行われると予測していた(「2004年診療報酬改定の特徴と2006年改定の展望」『月刊/保険診療』2004年7月号)。この予測自体は外れたが、今後、少なくとも経済的誘因に基づいた病院の外来分離が消滅することは確実と言える。

もう1つは、今回の診療報酬改定で、回復期リハビリテーション病棟入院料等の施設基準や算定基準に、社会福祉士の配置が明記されたことである。さらに、同じ時期に、社会福祉士及び介護福祉士法施行規則が一部改正され、本年4月から、社会福祉士養成課程における実習施設に病院等が追加された。

実は、社会福祉士は、1987年の制度発足時には、医療分野以外のソーシャルワーカーを対象にした国家資格とされ、医療ソーシャルワーカー(MSW。保健医療分野のソーシャルワーカー)は独立した国家資格とすることが予定されていた(この点について詳しくは、拙著『90年代の医療と診療報酬』勁草書房,1992所収の「医療ソーシャルワーカー資格制度化問題の混迷」参照)。しかし、その後、1999年に精神保健福祉士(PSW)は国家資格化されたものの、一般医療分野のソーシャルワーカーの国家資格化の大きな動きはなかった。

それに対して、今回の診療報酬と社会福祉士及び介護福祉士法施行規則の改定により、社会福祉士が医療分野でも通用する国家資格として事実上認知されたことになる。と同時に、一部の医療ソーシャルワーカー組織が求めていた、医療ソーシャルワーカー独自の国家資格化の道はこれで完全に絶たれたと言える。その結果、今後は、医療機関で働く医療ソーシャルワーカー(特に新卒者・新規採用者)にとっては、社会福祉士資格が事実上の必須資格となるであろう。

おわりに

今回の診療報酬改定は多岐にわたるため、それの影響を現時点で予測することは困難である。私が最も恐れていることは、本文でも書いたように、これまで日本医療を支えてきた医師・医療従事者と医療機関経営者の活力とモラールが急速に低下し、医療危機・医療荒廃が一気に拡大することである。

他面、私は特に民間医療機関が今回も活力を発揮して経営を維持・改善し、医療危機・医療荒廃の拡大を多少なりとも食い止める可能性にも期待している。現に4月以降も、病院・施設間連携と効率的マネジメントにより、医療の質を維持しつつ、医業収益の増加または減収の最小化を達成している先進的医療施設(特に病院・診療所と介護施設を開設しているいる保健・医療・福祉複合体)も存在する。しかし、私の知る限りそのような医療施設は残念ながら多くはなく、早くも一部では、病院倒産の7月危機がやってくるとの観測が行われている。

厚生労働省は、今回の改定に際して、「質の高い医療を効率的に提供する」ことを標榜している。しかし、主要先進国(G7)中医療費水準(対GDP比)が最も低いわが国では、厳しい医療費抑制政策を転換し、公的医療費の総枠を拡大しない限り、少なくともマクロレベルでは「質の高い医療」の実現は困難だ、と私は考えている。

【注】医療制度改革についての私の昨年の予測の誤り

私は、昨年4月に発表した拙論「2006年医療制度大改革は行われるか」(『文化連情報』325号)で、当時の通説とは逆に、2006年に「実施が確実なのは診療報酬改定だけ」であり、「老人保健法改正は棚上げ」される可能性が大きく、「2006年に第5次医療法改正が行われる可能性は低く、それの実施は早くとも2007年以降になる、と予測」した。昨年9月の総選挙で小泉自民党が圧勝した後の11月に発表した拙論「『医療制度構造改革試案』を読む」(『社会保険旬報』2261号)の「おわりに」でも、ほぼこの予測を踏襲した。

今からふり返っても、昨年の総選挙前にこのように予測したことは概ね妥当だったと考えている。他面、総選挙後、小泉首相が官僚機構・与党に対して圧倒的な支配力を確立したこと、および日本医師会の政治的影響力が凋落したことを軽視して、11月の時点でもその予測を変更しなかったのは軽率・マンネリズムだったと大いに反省している。それにつけても、予測は難しい。

ただし、医療制度改革法は包括的ではあるが、内容的には伝統的な医療費抑制・患者負担拡大の延長上の「部分改革」であり、新自由主義的改革はほとんど含んでいないため、「抜本改革」とは言えないと、私は判断している。

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2.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その5)(全11冊)

○『医療の再定義-価値に基づいた競争の創造』(Porter ME, et al: Redefining Health Care - Creating Value-Based Competition on Results. Harvard Business School Press,2006,506 pages)[評論]

日本にも信奉者が多い経営学(特に企業の競争戦略論)の世界的泰斗ポーター教授による、アメリカの医療保険「抜本改革」の処方箋で、500頁を超える大著です。アメリカで1980年代以降行われたすべての医療改革(中心はマネジドケアだが、「消費者主導医療」等も含む)は間違った競争を前提にしており、しかも医療費抑制にも失敗したと厳しく批判したうえで、それらを価値(医療アウトカム/費用)に基づいた競争に転換することを提唱しています。やや意外なことに、強制的皆保険がアメリカの保険制度を現在よりも効率化すると主張し、その費用の大部分を雇用主が負担することも当然視しています。ただし、この皆保険は公的制度ではなく、政府が低所得者には補助金を出して、国民全員が民間保険を購入できるようにし、しかも給付は「混合診療」とするものです。

なお、本書のエッセンスはHarvard Business Review 2004年6月号に掲載されています("Redefining competition in health care, pp65-76)。それの全訳は『Diamond Harvard Business Review』2004年9月号にも掲載されていますが、専門用語の誤訳が少なくありません。私は以前これらを読みましたが、一言で言えば「玉石混交」です。

○『医療効率の測定-分析手法と医療政策』(Jacobs R, et al: Measuring Efficiency in Health Care - Analytical Techniques and Health Policy. Cambridge University Press, 2006,243 pages)[中級教科書]

組織的効率の概念とモデルを簡単に論じた後、医療組織の効率の測定手法としてよく用いられる以下の3手法を、イギリスのNHSデータを用いて、丁寧に説明しています:Stochastic frontier analysis(SFA)、Data envelopment analysis (DEA.包絡分析法)、The Malmquist index。さらにSFAとDEAを比較した後、効率測定における未解決の問題を示し、これら手法の最新の代替的手法も簡単に紹介しています。

本書の副題には「医療政策」も含まれていますが、著者自身が本書の対象は分析実務家(technical analysts)で政策担当者ではないと明言しています。本書の政策担当者へのメッセージは以下の通りです。効率のモデリング手法はまだ発展途上で、分析結果はたくさんのテクニカルな判断に依存しており、しかもそれらの多くについてはまだ何が最良かのガイドラインはない。これらの判断の多くは、技術的というよりも政治的である。規制という視点からは、SFAやDEAよりも、費用効果分析のようなもっと簡単な手法の方が適切なことも多い。これら手法には限界があるので、組織のパフォーマンス測定の唯一の基準として用いてはならず、医療組織の査察等、他の方法と組み合わせるべきである(以上、最終章の最後213-214頁)。

○『エルガー社版医療経済学便覧』(Jones AM (ed): The Elgar Companion to Health Economics, Edward Elgar, 2006, 565 pages)[中級教科書]

全9部50章からなる医療経済学の小百科事典で、各章の参考文献も充実しています。編者はイギリス・ヨーク大学の医療経済学教授で、そのためにアメリカの教科書と異なり、医療の経済評価(臨床経済学)が2つの柱の1つとされ、3部18章が割かれています。

本書の構成は、以下の通りです。

○『保健医療政策の形成』(Buse K, et al: Making Health Policy, Open University Press, 2005,206pages)[初級教科書]

イギリスの「公衆衛生を理解する」シリーズ(全20冊)の一冊で、保健医療政策の3要素(文脈、諸アクター、プロセス)という分析枠組を用いて、保健医療政策の形成を概説しています。

○『患者の自己負担と処方薬需要』(Esposito D: Copayments and the Demand for Prescription Drugs, Routledge, 2006, 139 pages) [研究書]

高脂血症治療薬(スタチン)を主な対象として、患者の自己負担が処方薬需要に与える影響を、理論的かつ実証的に検討しています。類書と異なり、製薬企業がスポンサーになっておらず、分析結果に「偏りがない」(unbiased)のが特徴だそうです。

○『医療と市場-公平対選択』(Callahan D, et al : Medicine and the Market - Equity v. Choice, The John Hopkins University Press, 2006, 320 pages)[研究書]

医療と市場については近年多くの本が出版されていますが、本書は市場の影響を先進国と途上国の両方を対象にして検討した最初の本であり、しかも現実の医療と経済に対する市場理論の影響を評価した数少ない本とのことです。

本書は全7章で構成されていますが、特に注目に値するのは第6章市場の価値:証拠は何を示しているか?です。本章は、医療における市場の価値についての歴史的経験や実証研究を包括的に検討し、それが限定的であると結論付けています(245頁)。そのためか、医療の営利化や「医療産業複合体」を厳しく批判したレールマン医師(元New England Journal of Medicine誌編集長)やアメリカの代表的な制度派経済学者ライス教授(UCLA)が本書を推奨しています。

○『医療財政[改革]の経済学-見える手 第2版』(Donaldson C, et al: Economics of Health Care Financing - The Visible Hand, 2nd Edition, Palgrave, 2005, 286 pages)[研究書]

過去20年間に全世界で行われた主な医療改革を包括的にレビューし、医療財政改革における市場の役割と市場の失敗の両方を検討しています。全3部11章で構成されており、特に注目に値するのは第3部実証研究のレビューで、過去10年間の主としてモラルハザードについての実証研究を詳細にレビューしています。

著者は最後の結論で、実証研究がたくさん積み重ねられてきたにもかかわらず、理想的医療制度についての答えは出ていないと述べています(226頁)。と同時に、いくつかの改革は除外できるとして、真っ先に単純な新古典派的モデルに基づく「解決策」-患者負担の拡大や医療貯蓄等-をあげています。なお、著者の4人はすべてイギリス人と思われます。

○『保険市場における競争の失敗-理論と政策的含意』(Chiappori PA, et al (ed): Competitive Failurures in Insurance Markets - Theory and Policy Implications, The MIT Press, 2006, 328 pages)[研究書(論文集)]

リスク交換についての標準的経済理論が現実に適合しない理由を、保険適合性(insurability)の限界の経済分析の最新の知見に基づいて検討しています。各執筆者は情報の非対称性とそれに基づく逆選択とモラルハザードが、保険で競争が働かない主な理由と指摘しています。これからも分かるように、本書は新古典派経済理論の否定ではなく拡張を目指しています。アメリカだけでなく、スイス、オーストラリア、スウェーデンのデータも用いて、実証分析も行わっています。

○『アメリカの医療政治・政策 第3版』(Patel K, et al: Health Care Politics and Policy in America, 3rd Edition, M.E.Sharpe, 2006, 507 pages)[研究書]

アメリカの医療政治・政策について、テーマ別に最新の動きを含めて、検討しています。全11章で構成されていますが、特に注目すべきは第8章医療技術です。本章では、医療技術革新を促進する諸要因、医療技術の費用、医療技術評価、ハイテク医療がもたらす倫理的ジレンマを包括的に検討しています(10頁の文献欄を含め全55頁)。

○『[イギリス]医療の政治経済-臨床医の視角から』(Hart JT: The Political Economy of Health Care - A Clinical Perspective, The Policy Press, 2006, 320pages)[評論]

NHS(国民保健サービス)の歴史的発展、現状と将来についての「情熱的分析」の書です。医療サービスに忍び寄る営利化を鋭く告発するとともに、「古典的経済学ではなく現実の医療経済の経験に基づいた」NHSの経済分析を行い、最後に21世紀のあるべきNHSの「大きな絵」を提起しています。著者は30年の経験を持つ臨床医(一般医)であるとともに、「社会主義医療協会」の前会長でもあるそうです。

○『北欧福祉国家におけるケアのジレンマ-継続と改革』(Hanne Marlene Dahl, etal (ed): Dilimmas of Care in the Nordic Welfare State, Ashgate, 2005, 208 pages)[研究書・論文集]

「ケアを公的責任として提供・生産している」と理想化されている北欧福祉国家(ノルウェイ、デンマーク、フィンランド、スウェーデン)におけるペイド・ワークの複雑な様相とジレンマを、主としてフェミニズムの立場から、学際的に検討しています。

○『福祉の1つの世界-比較研究の中の日本』(Kasza GJ: One World of Welfare - Japan in Comparative Perspective. Cornell University Press, 2006, 189 pages)[研究書]

アメリカ・インディアナ大学の政治学者が書いた、日本の(広義の)福祉政策の体系的比較研究書で、先行研究や通説を正面から批判しているのが特徴です。全7章から成ります。第1~4章では、日本の戦前、戦中、戦後、現在の福祉政策は他の先進国に比べて遅れていないことを論証するとともに、日本の独自性を主張する「日本型福祉社会」説を批判しています。その際、第1章では、各政策の導入年とその時点での各国の経済発展レベル(1人あたり所得)との関係が検討されているのが特徴です。第5章では、最近一部で主張されている東アジアに独自の地域的な福祉モデルが存在するとの主張を検討・批判しています。さらに第6章では、以上の日本の事例研究も踏まえて、「比較福祉分析の支配的枠組み」(エスピン・アンデルセンの3つの福祉資本主義説)の妥当性を多面的に検討し、それが先進国の福祉政策に存在する多くの共通性を説明できないと批判しています。最後の第7章で、著者は、先行研究は日本の独自性を過大評価してきたが、実際には過去10年間に日本が直面した福祉問題の大半は他の先進国と類似しているし、日本はそれら諸国の政策を模倣してきたと指摘し、日本の福祉政策を世界的な政策拡散(diffusion)パターンの中で理解しなければならないと主張しています。

本書には、医療政策の分析はごくわずかしか含まれていませんが、福祉国家論や比較福祉政策の研究者には必読書と思い、紹介します。私は以前から、エスピン・アンデルセンのモデルは少なくとも医療政策の国際比較研究には何の役にも立たないと思っていましたが、著者はそのモデルの一般的妥当性自体を否定しているのが印象的です。

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3.私の好きな名言・警句の紹介(その20)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<その他>

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