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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻155号)』(転載)

二木立

発行日2017年06月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


1. 論文:「医師・看護師等の働き方ビジョン検討会報告書」の複眼的検討-医師需給分科会「中間取りまとめ」との異同を中心に
(「二木教授の医療時評」(147)『文化連情報』2017年6月号(471号):16-21頁)

はじめに

厚生労働省の「新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会」(座長:渋谷健司東京大学大学院教授。以下、「ビジョン検討会」)は4月6日に「報告書」(以下、「報告書」)を発表しました。これを受けて4月20日に開かれた医療従事者の需給に関する検討会と医師需給分科会の合同会議では、「報告書」の内容を踏まえ、その具体化に向けた検討を行うこととされました。そこで、今回は「報告書」について検討します。

以下、まず「ビジョン検討会」の開催が手続き民主主義に反すると批判します。次に、「報告書」全体の構成を紹介し、それの枠組みが「医療の在り方」や「医師・看護師の働き方」改革だけでなく、介護・福祉改革も含むことを指摘します。その上で、「報告書」の医師需給と医師偏在についての認識と対策を複眼的に検討します。その際、昨年6月に公表された「医療従事者の需給に関する検討会医師需給分科会中間取りまとめ」(以下、「中間取りまとめ」)との異同に注目します。その理由は後述します。

検討会は手続き民主主義に反する

「報告書」の中身の検討に入る前に、検討会の開催が手続き民主主義に反することを指摘します。私は、厚生労働省が2006年に唐突に療養病床の再編・削減方針を提案した時以来、医療改革の検討は、改革の内容の適否と改革の手続きの適否の両面から行っています。後者では「手続き民主主義」(due process)を重視し、「大事なのは内容(だけ)」という立場はとりません(1)。なお、介護療養病床の再編・削減方針が突然決まった背景・プロセスについては、当時財務省から厚生労働省に出向し、しかも療養病床削減の計画づくりを担当した村上正泰氏(現・山形大学教授)が、2008年に詳細に証言しています(2)

医師の需給や偏在対策については、「ビジョン検討会」開催に先立って「医療従事者の需給に関する検討会医師需給分科会」が精力的な検討を行い、昨年6月3日に「中間取りまとめ」を発表しました。そこでは14項目の医師偏在対策が示され、それらについては、「[2016]年末に向けて具体的に検討を進め、取りまとめを行う」とされていました。しかし、同年10月に分科会とは別個に「ビジョン検討会」が立ち上げられ、その後分科会は半年間開店休業となりました。「ビジョン検討会」は塩崎恭久厚生労働大臣の強い肝いりで開催され、大臣は構成員の人選にもこだわったと報道されています(3,4)。しかも、議事は非公開とされ、議事録はおろか議事要旨も公開されていません。しかし、このような独断的で閉鎖的手法は、医療政策の検討・形成は厚生労働省内の正式の審議会や検討会での議論を経て行い、しかもそれらの議事録は公開するという、長年積み重ねられてきた手続き民主主義に反します[注1]

なお、「ビジョン検討会」の開催は、「中間取りまとめ」中の「医師の働き方・勤務状況等の現状を正しく把握するために、新たな全国調査を行」い、「『新たな医療の在り方を踏まえた医師の働き方ビジョン』(仮称)を策定し、その上で必要な医師数を検討する」(4頁)との文言を根拠にしているとされています。しかし、医師需給分科会の多くの構成員が、公式の場で、このようなことは分科会ではまったく議論されず、突然、挿入された文言であると証言・批判しています(2016年9月15日第7回医師需給分科会議事録6頁[権丈善一氏]。同年10月20日社会保障審議会医療部会議事録2頁[山口育子氏等])。山口育子氏は、自身が理事長を務めるCOML(認定NPO法人ささえあい医療人権センター)の機関誌でも、この間の経過を、厚生労働省の担当や幹部の「苦しい立場」への同情を含めて、詳細に報告しています(5)

「報告書」の枠組みは広く介護・福祉改革も含むが…

次に報告書の中身を検討します。「報告書」は以下の6つの柱立てです。1.新たなビジョンの必要性、2.医療を取り巻く構造的な変化、3.働き方実態調査の実施と活用、4.新たなパラダイムと実現すべきビジョン、5.ビジョンの方向性と具体的方策、6.提言の実現に向けて。本文だけで46頁もあり、これは「中間取りまとめ」の8頁の6倍です。しかも、本文とは別に「医師の勤務実態及び働き方の意向等に関する調査」が添付されています。「報告書」の最大のキーワードは、医療・介護分野の「高生産性・高付加価値」構造への転換と言えます。

「中間取りまとめ」は医師の偏在対策を中心に医師の需給に限定した分析・提案をしました。それに対して、「報告書」の枠組みははるかに広く、検討会は「『新たな医療の在り方』とそれを踏まえた『医師・看護師等の働き方・確保の在り方』の『骨太な方向性』を描くために設置された」と称し、「今後の医療提供の在り方」だけでなく、「医療と密接に連携して提供されるべき介護等の視点も含めて描き、実現の道筋まで含めて示すことが、本検討会のミッション」としています(1-2頁)。しかし、これは「望ましい医療従事者の働き方等のあり方について検討する」という「ビジョン検討会」の当初の「開催趣旨」を大きく超えており、この点でも手続き民主主義に反すると思います。

「報告書」は最近の厚生労働省の公式文書と同じく、「医療・介護」を一体的に論じているだけでなく、社会福祉・社会福祉士についての記述もいくつかあります(21,29頁等)。「報告書」のキーワードの1つは医療・介護・福祉の「多職種連携」で、5回も使われています。ただし、これらについての記述は、全体としては厚生労働省の公式方針(「地域共生社会実現本部」の諸資料等)の枠内のものであり、新味はありません(6)。これは、「ビジョン検討会」の構成員に福祉関係者がおらず、彼らからのヒアリングも行っていないためと思います。

「高い生産性と付加価値を生み出す」ための提言の最後で、唐突に「介護保険内・保険外サービスの柔軟な組合せと価格の柔軟化の推進」を提案しているのはフライングと言えます(43頁)。しかも、現行介護保険制度の運用見直しにより実施可能な「保険内・保険外サービスの柔軟な組合せ」と介護保険法改正が必要な「価格の柔軟化」を同列に置いて論じるのは、粗雑すぎます(7)

医師需給についての認識と対策が不整合

次に、「中間取りまとめ」と「報告書」の医師需給の認識と対策を比較します。「中間取りまとめ」は、地域医療構想を基礎とし将来の労働時間短縮も考慮して分科会が行った医師数の将来推計に基づいて、将来的(2040年)には医師供給が過剰になると見込みました。それに対して、「報告書」は「今後必要となる医師数の在り方については(中略)一概に増減の必要性を判断することが困難である」として、必要な医師数を増やす要因と減らす要因について、多面的な思考実験を行っています(13-14頁)。これは「中間取りまとめ」にはなかったユニークな分析と言えます。その上で、今後「必要となる医師数は大きく変わる可能性がある」ので、「その都度必要な医師数と養成数のバランスを図っていくことが必要である」としています(15頁)。

ただし、「報告書」が、「医療が『高生産性・高付加価値構造』となることで、「敢えて医師数を増やす必要がない環境を作り上げていくことが重要」とも書いているのは不整合、あるいは「報告書」の提案がすべて実現することを前提にした「希望的観測」と言えます(14頁)。

私自身は、以下の3つの理由から、現時点で、将来的な医師過剰を既定の事実と見なすべきではないと考えています。①国際的・歴史的経験では、医師の需要は常に当初の予想を超えて拡大し、当初提唱された医師過剰論が常に否定されてきました(8)。②厚生労働省が想定している地域医療構想による病院病床の大幅削減は生じない可能性が大きく(9)、その場合必要医師数は減らない。③安倍内閣が金看板として掲げる「働き方改革」(=残業規制)の対象から医師は当面6年間除外される見込みだが、残業規制は中長期的には医師にも適用されることが確実であり、それにより必要医師数が急増する。

なお、公平のために言えば、「中間取りまとめ」は、将来的な医師過剰を見込みつつも、「当面の医師養成数の基本方針」では、医学部定員増の暫定措置は当面延長するとし、2020年以降の医師養成数の削減の提案もしていません。「中間取りまとめ」が焦点を当てていたのは、この10年間の医学部定員増にもかかわらず深刻さを増している地方での医師不足問題であり、それを解決するための医師偏在対策でした。

医師偏在対策で「強制」を否定

そこで、「中間取りまとめ」と「報告書」の医師偏在対策を比較します。

上述したように「中間取りまとめ」の肝は「医師偏在対策」であり、医師の「自主性を尊重した対策だけでなく、一定の規制を含めた対策を行っていく観点から」、合計14項目について「検討を深める」ことを提案しました。その中には、「将来的に、仮に医師の偏在等が続く場合には」という条件付きで、「十分ある診療科の診療所の開設については、保険医の配置・定数の設定や、自由開業・自由標榜の見直しを含めて検討する」との大胆な提案があります。条件を付けることなく、「特定地域・診療科で一定期間診療に従事することを、臨床研修病院、地域医療支援病院、診療所等の管理者の要件とすることを検討する」とのさらに大胆な提案もありました。ただし、後者を最初に提案したのは「中間取りまとめ」ではなく、日本医師会・全国医学部長病院長会議医師偏在解消策検討合同委員会が2015年12月に発表した「医師の地域・診療科偏在解消の緊急提言」です。それの「医師の地域・診療科偏在の解消」策のトップに「病院・診療所の管理者要件への医師不足地域での勤務経験の導入」が掲げられていました(7頁)。

それに対して、「報告書」では、「中間取りまとめ」に比べて、医師偏在対策の位置づけが極めて弱くなっています。具体的には、4つのパラダイム転換(働き方、医療の在り方、ガバナンスの在り方、医師等の需給・偏在の在り方)の最後の一部で小さく扱われているにすぎません。内容的な特色は、「個々の医師の能動的・主体的な意向を重視」し、「強制的」な対策、「規制的手段」を強く否定していることです(13,15頁)。上述したように「ビジョン検討会」の議事録は公開されていませんが、第11回会議(本年2月20日)で尾身茂構成員(地域医療機能推進機構理事長)が「中間とりまとめ」に沿った規制を含む提案をした際には、それへの支持は出されず、「徴兵制」と批判する意見さえ出されたと報じられています(10)

私自身は国民・患者本位の医療改革のためには医療者の自己改革が不可欠だと考えており(11)、この視点から、「今そこにある危機」である医師偏在に対処するためには、医師の「自主性を尊重した対策」を基本にしつつ、「中間取りまとめ」が提起したように、将来的にも医師の偏在が続く場合に備えて、今から、「一定の規制を含めた対策」を検討するのが妥当だと思います。そのために、尾身茂氏が昨年10月6日の第8回医師需給分科会で、次のような制度設計に関する意思決定の「基本的考え方」を提案したことに賛同します:「我が国の医療が、基本的には国民の支払う保険料、税金で賄われている事を考えれば、プロフェッショナルフリーダムを尊重すると同時に、地域や社会のニーズにも応えること」(資料2)。

この分科会で、尾身氏の提案を「徴兵制度みたいなもの」と批判した平川純一氏の言葉を受けた権丈善一氏は、尾身氏の「基本的考え方」に賛同した上で、「幾つもある重要な価値のバランスを取」ることの重要性を強調し、プロフェッショナルフリーダムを絶対化し、地域や社会のニーズに応える提案を「昔の徴兵制みたいに例え」ることを批判しました(議事録7頁)。私は、権丈氏のバランス重視の発言を読んで、かつて医療経済学の泰斗フュックス教授が、経済学の「右派が自由を唯一の目標とし」、「様々な目標間の最適なバランスを求めない」ことに疑問を呈し、「自由と責任との組合せにも最適比率があると考えるのが合理的」と主張したことを思い出しました(12)[注2]

ただし上記2つの「規制」を除けば、「中間取りまとめ」と「報告書」の医師の偏在対策は、都道府県の役割・権限の強化を含めて、共通するものが多いため、年末にむけて何らかの具体策が--「中間取りまとめ」が想定していたより1年遅れで--取りまとめられると思います。

最後に、「報告書」は「地域を支えるプライマリケアの確立」策の1つとしてイギリスのGPの導入に繋がるような「定額払い」のかかりつけ医の導入(26-27頁)を、「高い生産性と付加価値を生み出す」対策の1つとして「フィジシャン・アシスタント(PA)の創設」(37-38頁)を提案しています。しかし、これらはあまりに唐突かつ説明不足であり、実現可能性はないと思います。特にフィジシャン・アシスタントは、「報告書」が「医師の勤務実態及び働き方の意向等に関する調査」の結果から抽出し、それにより医師の当該労働時間を約20%弱軽減できるとしている「医師から他職種への分担が可能な5つのタスク」ともかけ離れています(7頁)。この点に限らず、「報告書」の対策には思いつき、あるいは美文ではあるが中身のないものが少なくないと思います。

【注1】「報告書」と「保健医療2035」は瓜二つ

私は「ビジョン検討会」の開催経緯と「報告書」を読んで、「報告書」と厚生労働大臣の私的諮問機関が2015年6月にまとめた「保健医療2035」が瓜二つと感じました(「保健医療2035」の包括的検討は別に行いました(13))。私が気づいた両者の共通点は以下の6つです。①日本医師会や病院団体等の代表が参加している正規の審議会や委員会等の存在を無視した、法的根拠がない私的懇談会の開催。②塩崎大臣が個人的に高く評価していると言われている渋谷健司氏を座長とする一方、構成員から日本医師会や病院団体等の代表を排除。③会議が非公開なだけでなく、議事録も、議事要旨も非公開。④「パラダイムシフト」・「パラダイムの転換」を強調するが、批判する現行パラダイムは古色蒼然とした数十年前のものであり、新しいパラダイムにも新味はない。例えば、「報告書」では「ガバナンスの在り方」について、今までのパラダイムを「全国一律のトップダウンによるリソース配分の決定とコントロール」と決めつけているが、このような考えは地域医療構想や地域包括ケア構想ですでに否定されている(10頁)。⑤抽象的な美文調の文章やカタカナ語が非常に多い。⑥法的根拠もない私的懇談会であるにもかかわらず、報告の内容を正規の審議会等で検討するよう求める上から目線:「関係審議会等でこの提言に基づいた検討が行われ、実現の見通しが明らかにされるべき」、「内閣として政府方針に位置づけ、進捗管理を行うよう求める」等(45頁)。

[本稿は、『日本医事新報』2017年5月6日号掲載の「『医師・看護師等の働き方ビジョン検討会報告書をどう読むか?-『中間取りまとめ』と比較しながら」((「深層を読む・真相を解く」(63))に大幅に加筆したものです。]

[注2]フュックス教授の自由と責任のバランス論

「視点を変えて、右派が自由を唯一の目標としている点を検討してみよう。思想や表現の自由など特定の基本的自由が、良い社会の本質的条件であることを認めるのは容易である。しかし、ジョージ・スティグラーのような、常に自由をすべての目標の上に置かなければならないという立場は、受け入れ難い。彼は次のように述べている。『西側世界の至上の目標は個人の発達であり、それのためには個人的自由と個人責任が最大限の領域で保障されねばならない』。しかし、経済学者が自由やその他の単一の目標を極大化することを欲して、様々な目標間の最適なバランスを求めないのは、私には奇妙に思われる。限界効用逓減の法則はやはり自由を含めてすべての目標に適用されるべきであるし、スティグラーが自由の附属物であるとした個人責任が拡大するほどそれの限界的不効用も拡大すると考えるべきである。/つまり自由と責任との組合せにも最適比率があると考えるのが合理的であろう。ただし、この最適比率は、自由の享受能力と責任の遂行能力の程度により各人で変わってくるであろう」。(12)

文献

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2.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算135回)
(2017年分その4:6論文)

○イギリスの成人入所ケアの疑似市場:営利、非営利[民間]、公的部門の施設ケアとナーシングホームのケアの質に差はあるか?
Barron DN, et al: The quasi-market for adult residential care in the U.K.: Do for-profit, not-for-profit or public sector residential care and nursing homes provide better qualtiy care? Social Science & Medicine 179:137-146,2017.[量的研究]

イングランドでは成人入所施設とナーシングホームのケア提供面で、過去40年間、激変が生じた。1980年代までは、成人入所ケアの80%は公的部門が提供していたが、現在ではその割合は8%にすぎず、残りは営利企業(74%)と非営利慈善団体(18%)となっていす。公的部門の役割は現在ではしばしば、購入者(支払い能力のない人々の料金を支払う)と規制者であるとも言われる。イギリスでは民間組織は将来的には医療でも大きな役割を果たすという主張について激しい論争が行われているが、施設・ナーシングホームケアにおける変化についてはほとんど言及されない。ケアの質についての懸念は、有力なメディアの調査、スキャンダル、違法行為の告発等がある度に時々生じるが、公的部門から私的部門へのケア提供の変化が、サービスを必要とする人々に利益をもたらしているか否かについてのエビデンスは、ほとんど~まったくない。

本研究では、イングランドの公立施設、非営利施設、営利施設におけるケアの質に差があるか否かを検討する。イングランドの規制当局「ケアの質委員会(CQC)」が報告している15,000施設のケアの質データを用いる。これらのデータは2011年4月~2015年10月に行われた監査の結果である。施設の特性(建築後年数と規模等)を制御して、比例オッズ・ロジスティック回帰分析を行ったところ、営利施設のCQC評価は、多くの尺度(安全、効果、尊重、ニーズへの対応、リーダーシップ等)で公立立施設と非営利施設より低かった。

二木コメント-アメリカのナーシングホームのケアの質が営利施設で低いことについては膨大な実証研究がありますが、イギリスでも同様の結果が初めて得られたと言えます。日本でも、介護保険の入所施設(社会福祉法人や医療法人等の非営利組織が運営)の入居者より、事実上の居住施設(有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅等。多くは営利法人が運営)の利用者が多くなっていることを踏まえると、同種の研究が必要と思います。

○在宅ケア利用の展開。政策と変化しつつあるオランダにおける自立した地域居住成人の在宅ケアの利用
Plaisier I, et al: Developments in home-care use. Policy and changing community-based care use by independent community-dwelling adults in the Netherlands. Health Policy 121(1):82-89,2017.[量的研究]

オランダのケア制度では、過去10年間、長期ケア費用の増加を抑制するために、ケアの責任を政府から家族に移す改革が実施された。本研究ではこの改革が行われた2004~2011年の在宅ケア(家事援助、身体ケア、看護ケア)の利用の変化およびケア利用の決定要因(健康健康、個人的要因、促進要因)の説明効果の変化-これは改革の影響を受けた可能性がある-を調査する。ケア利用登録データを国民健康調査のデータと税務当局の持つ所得データとリンクさせた。健康状態、個人的要因および促進要因によって決定される在宅ケア利用の2004~2011年の変化を検討した。決定要因の変化は、ロジスティック回帰モデルに各決定要因の時間相互作用項を導入することにより、調査した。

最も重要な知見は、この間の高齢人口の増加を制御すると、在宅ケアの利用が2004~2011年に増加していなかったことである。所得と家族構成の役割は最も変化し、年齢と身体障害の役割の影響の変化はそれよりも小さかった。ケア利用は高所得層で減少し、独り暮らしでは増加していた。在宅ケアの利用と所得・家族構成の役割の変化は、ケア申請者の個人的状況が健康状態を判定する際より重視されるようになったというケアの利用資格(eligibility)の変化のために生じた可能性がある。

二木コメント-オランダにおけるケア費用抑制のためのケア利用資格の変化(厳格化)が在宅ケア利用の変化(抑制)に与えた影響を分析的に検討しています。ほぼ同じ期間に同様の改革が行われた日本の介護保険でも「追試」する価値があると思います。

○[スウェーデンにおける]人間中心医療の健康アウトカムに対する効果-急性冠症候群患者でのランダム化比較試験
Pirhonen L, et al: Effects of person-centered care on health outcomes - A randomized controlled trial in patients with acute coronary syndrome. Health Policy 121(1):169-179,2017.[量的研究]

本研究の目的は、急性冠症候群患者に提供された人間中心医療の効果を、4つの異なる健康関連アウトカム指標(EQ-5D、自己効力感、身体活動、職業復帰)を用いて検討すること、及び人間中心医療を測定する際のこれらアウトカムのパフォーマンスを検討することである。ここで「人間中心医療」とは医療提供者が患者のニーズと資源に焦点を当てる医療を意味し、患者、家族、インフォーマルな介護者、及び医療専門職間の共創(co-creation)と定義される。データは、スウェーデンのサールグレンスカ大学が行った急性冠症候群患者に対する多施設ランダム化介入試験で得られた一次データである。介入群は94人、対照群は105人である。介入の健康関連アウトカムに対する効果は、社会経済的変数及び疾患関連変数を制御して推定した。

介入群の患者の介入後6か月時点での一般的自己効力感は対照群より有意に高かった。介入群の職業復帰率も、身体活動レベルも、EQ-5D指数も対照群より高く、このことは健康関連QOLが高いことを意味した。自己効力感以外の指標では両群の差は有意ではなかったが、すべての指標で人間中心医療の方が高かった。

二木コメント-ランダム化試験ではありますが、標本数が少ないことと、費用対効果は検討していないことが気になります。本論文を読んで、「人間(患者)中心医療」の定義は国によりずいぶん違うことが分かりました。

○[アメリカの]ホスピスサービスの長期利用は高[終末期]医療費地域では少ない終末期医療費と関連している
Wang S, et al: Longer periods of hospice service associated with lower end-of-life spending in regions with high expenditures. Health Affairs 36(2):328-336,2017.[量的研究]

ホスピス利用は終末期医療費を削減すると期待されているが、それの経済的インパクトについての決定的エビデンスはまだない。その1つの理由は、終末期医療費のパターンには地域的なバラツキがあるため、ホスピス利用による終末期医療費節減効果は地域により異なる可能性があることである。本研究の対象は2004~2011年にガンで死亡し、「[ガン]監視・疫学・遠隔成績・プログラム(SEER Program)」のメディケア・データベースに含まれるメディケア加入の高齢者103,745人である。彼らは129の病院圏(HRR)に居住していた。年齢・性・人種調整済み平均終末期医療費(死亡前6か月間のホスピス費用を含む総医療費)の高低により、病院圏を5種類(5分位)に分類し、ホスピス利用期間と終末期医療費との関連を検討した。全対象の平均終末期医療費は39,600ドル、平均ホスピス利用日数は10.9日であった。高終末期医療費地域に住んでいる高齢者では ホスピス利用の長さは少ない終末期医療費と関連していたが、低終末期医療費地域の患者ではそのような関連はなかった。医療費が最も高い5分位と最も低い5分位の終末期医療費のバラツキの8%はホスピス利用で説明でき、このことはホスピス利用には終末期医療費を節減する効果と限界の両方があることを 示している。

二木コメント-ホスピス利用による終末期医療費の削減効果は終末期医療費が高い地域に限られ、しかも節減額は大きくはないこと実証した貴重な研究と思います。ただし、アメリカでは大半のホスピスサービスが在宅で提供されているの異なり、日本ではホスピスサービスの大半が病院で提供され、しかもホスピス(緩和ケア病棟)利用の診療報酬がかなり高く設定されているため、日本ではホスピス利用を増やしても、終末期医療費の削減は困難と思います。

○患者の入院体験[満足度]は少し改善したが、[アメリカの]メディケア・インセンティブ[・プログラム]が意味のある成果をあげたエビデンスはない
Papanicolas I, et al: Patient hospital experience improved modestly, but no evidence Medicare Incentives promoted meaningful gains. Health Affairs 36(1):133-140,2017.[量的研究]

メディケア・メディケイド・サービスセンター(CMS)は患者の入院医療体験を改善するための努力で指導的役割を果たしている。しかし、患者の体験が過去10年間にどの程度改善したかはほとんど知られていないし、CMSの最新の戦略-2011年に導入した、支払いを成果に結びつける「価値に基づく購入プログラム(VBP)」-の影響についてはさらに知られていない。そこで、様々な患者満足度指標の2008~2014年の趨勢を調査した。その結果、アメリカの病院で患者体験(肯定的な入院体験を報告した患者の割合)はVBP参加病院と不参加病院の両方で少し改善していたが、改善の大半はプログラム導入前に生じていた。VBS導入後、一群の病院(小規模病院や農村部の病院等)の患者体験は他の病院よりも改善していた。しかし、VBP導入前後の改善度を比較すると、このプログラムが有益な成果をあげているとのエビデンスは見いだせなかった(病院全体の改善度はVBP導入後低下していた等)。政策担当者は患者体験を改善する手法としてVBP推進しているのだから、支払い方法を現実に改善を生むように再構成するべきである。

二木コメント-最近、アメリカやイギリス等では、患者視点の医療評価が強調されていますが、本研究は、その結果を病院への支払いに結びつけるのは早計なことを示唆しています。

○医療サービスの現物給付と償還払いは医療サービス利用と健康アウトカムに影響するか?日本での自然実験
Takaku R(高久玲音), et al: Do benefit in kind or refunds affect health services utilization and health outcomes? A natural experiment from Japan. Health Policy 121(5):534-542,2017.[量的研究]

公的医療保険の支払い方式は国によって大きく異なるが、その影響についての知識は限られている。現物給付から償還払い(療養費払い)への変化を定量化するために、日本で1971年7月に起こった第二次大戦後最大の大規模医師ストライキ(「保険医総辞退」)について検討する。これは日本医師会の指示により行われ、医師会員は1か月間保険医を辞退したが診療は継続した。一部の地域では、医師はこれに加わらず保険診療を続けた。本研究では、46都道府県(1971年には沖縄県は本土復帰前)別の保険医総辞退率を自然実験として用い、医療保険の支払い方式の違いが医療サービス利用と健康アウトカムに与える影響を検証した。

差の差回帰分析の結果、ストライキ参加率(保険医辞退率)が1%ポイント高まると、医療保険の請求件数は0.78%、総請求額は0.58%、前年同期に比べて低下すると推計された。さらに、1件当たりの請求額は増加し、これは相対的に軽い患者がストライキ中に受診を控えたためと思われる。最後に、今回のデータからは大規模な保険医辞退は死亡率には影響しなかったことが示唆された。

二木コメント-1971年=46年前に起こった保険医総辞退の影響を定量的に分析したユニークな研究です。当時は学生運動が大きな盛り上がりを見せていただけでなく、武見太郎会長率いる日本医師会も非常に「戦闘的」でした。この論文を読んで、私の恩師の川上武先生が、この保険医総辞退を「ゼネスト」というよりは、今後の医療保険・医療制度の改革の方向について考えるデータを得るための「社会実験」と喝破したことを思い出しました(川上武「一医師が見た保険医辞退-ゼネストか<社会実験>か」『朝日ジャーナル』1971年8月13日号。『現代の医療問題』東京大学出版会、1972,68-77頁)。

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3.私の好きな名言・警句の紹介(その150)-最近知った名言・警句

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