総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻91号)』(転載)二木立

発行日2012年02月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


お知らせ

○論文「東日本大震災・福島原発事故後の医療・社会保障について改めて考える」が『日本医事新報』2012年1月28日号に掲載されました(連載「深層を読む・真相を解く」(10))。本「ニューズレター」92号(2012年3月1日配信)に転載予定ですが、早く読みたい方は同誌掲載分をお読み下さい。

○毎年本学の大学院入学式で配布している「大学院『「入院』生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書」 の2012年度版(ver.14) を作成中です(本「ニューズレター」93号(2012年4月1日)にも転載予定)。2011年版(本「ニューズレター」81号(2011年4月)に転載)に新たに加えることを推薦される新刊書(既刊書の新版も含む)がありましたら、著者名・書名等と簡単な推薦理由をお知らせいただければ幸いです。現時点で、私が追加を予定しているのは、以下の7冊です。:アメリカ心理学会著『APA論文作成マニュアル[第2版]』医学書院,2011. 鈴木淳子『質問紙デザインの技法』ナカニシヤ出版,2011. 齊藤孝『偉人たちのブレイクスルー勉強術』文藝春秋,2010. 黒木登志夫『知的文章とプレゼンテーション』中公新書,2011. 日垣隆『つながる読書』講談社現代新書,2011. 齋藤裕之・他編『医療者のための伝わるプレゼンテーション』医学書院,2010.  櫻田大造『大学教員 採用・人事のカラクリ』中公新書ラクレ,2011.


1.インタビュー:TPPへの参加が医療・医薬品産業に与える影響

(『国際医薬品情報』2012年1月9日号(953号):18-23頁)

――TPPへの参加か否かに国全体が揺れています。ではTPP参加は、民主党政権が2010年6月に閣議決定した健康大国戦略で謳っている「医療サービス分野」にどのような影響を与えるとお考えですか。

ニ木 私は、医療・社会保障には雇用拡大や経済成長を下支えする効果があるが、「新成長戦略」で謳っているようにそれが今後の日本の「成長牽引産業」になることはありえず、「健康大国戦略」に含まれる「医療サービス分野」の諸施策の経済成長効果もごく限られていると考えています。そのため、健康大国戦略・「新成長戦略」をあまり重視していません(1,2)

しかも新成長戦略は、2010年7月の参議院議員選挙での民主党の惨敗以降"死に体"となっており、現時点で真面目に取り上げる意味はないと判断しています。そのため、TPP参加と新成長戦略は切り離して考えたほうが良いと思います。

新成長戦略は「これまで、日本において国家レベルの目標を掲げた改革が進まなかったのは、政治的リーダーシップの欠如に最大の原因がある」と大見得を切りまし。しかし、民主党政権の三代の首相(鳩山・菅・野田)がそれ以前の三代の自公連立政権の首相(安倍・福田・麻生)以上にリーダーシップに欠けていることは、今や誰の目にも明らかです。

――TPP参加は公的医療保険制度の崩壊につながるのでしょうか。

ニ木 私は、TPP参加は医療への市場原理導入を拡大する危険があるため反対です。日本医師会等が、TPP参加反対の運動を盛り上げるために、それが究極的に「国民皆保険崩壊」につながる危険があることを強調しているのも理解できます。

しかし私自身は、研究者の立場から、TPP参加が日本医療にもたらす影響を分析的に評価・予測するように努めており、"地獄のシナリオ"を強調することは避けています(3)。具体的には、11年末に発表した論文「TPPに参加するとアメリカは日本医療に何を要求してくるか?」で、次のような3段階の予測を行ないました(4)

米国の第1段階の要求は現行の医薬品・医療機器の価格規制の撤廃・緩和です。第2段階の要求は、医療特区(総合特区)に限定した株式会社の病院経営と混合診療の原則解禁です。第3段階の要求は、全国レベルでの株式会社の病院経営と混合診療の原則解禁、つまり医療への全面的な市場原理導入です。

私は、第1段階の要求は実現する可能性が高いし、第2段階の実現可能性も長期的には否定できないが、第3段階の実現可能性はごく低いと判断しています。なぜなら、第3段階の要求を実現するためには、医療法と健康保険法の同時・抜本改正が必要ですが、それは政治的にきわめて困難、ほとんど不可能だからです。公的医療保険制度(国民皆保険制度)と民間非営利医療機関主体の医療提供制度は日本の医療制度の二本柱ですが、それは極めて頑健であり、これの根幹が崩壊する可能性は極めて低いと思います。

しかし、仮に、日本政府が米国の第3段階の要求まで受け入れた場合は、「いつでも、どこでも、だれでも」良い医療を受けられるという国民皆保険制度の基本理念は変質し、給付も大幅に劣化します。ただし、その場合でさえ、全国民の強制加入という意味での「国民皆保険制度」は維持されると思います。

――TPP参加は医薬品産業にどのような影響を与えるとお考えでしょうか。

ニ木 私自身は、西村周三氏(国立社会保障・人口問題研究所所長)が明快に主張しているように、「医薬品の価格を製薬会社が自由に決められるのは米国だけで、他国でもコントロールしているもの」であり、政府が「価格公定権を手放してはならない」と考えています(5)。ただし、以下では、思考実験として、仮に米国の第1段階の要求(医薬品・医療機器の価格規制の撤廃・緩和)が実現した場合に、何が生じるかを考えます。

米国通商代表部は「外国貿易障壁報告書」で、毎年、医薬品に関して新薬創出加算の恒久化と加算率の上限撤廃、市場拡大算定ルールの廃止又は改正等を要求しています。
これらの大半は、製薬協や日本の大手製薬企業も求めていますが、今まで財務省・厚生労働省は、薬剤費抑制の視点から拒否してきました。しかし、日本がTPPに参加した場合、米国がそれを楯にしてこれらの要求を更にエスカレートさせることは確実であり、日本政府が他産業、特に主力輸出産業である自動車産業や電機・電子機器産業等についての交渉を有利にするために、認める可能性・危険性もあると思います。

ただし、TPPが医薬品産業に与える影響を一括りで論じるのは無意味です。私は、欧米の多国籍製薬企業に伍して画期的新薬を開発・販売できる一握りの内資、すなわち大手5社と一部の準大手にとっては、TPPは有利に働くかもしれないが、それ以外の大半の内資の市場・売り上げは縮小すると予測します。

なぜなら、財務省・厚生労働省は、画期的新薬の薬価上昇や新薬創出加算の恒常化により生じる薬剤費総額の膨張を可能な限り抑制するために、先発医薬品中の長期収載品と後発医薬品の薬価を大幅に引き下げるからです。11年11月22日の政府・行政刷新会議の「政策提言仕分け」で長期収載品の大幅引き下げが提言されたのはその前触れと言えます。これにより、これら医薬品に依存している準大手・中小製薬企業の業績は一気に悪化し、医薬品業界の再編、M&Aが急増するでしょう。その結果、他産業と異なり、医薬品産業(業界)では今も根強く残っている護送船団意識は崩壊し、一握りの外資と内資による日本の医薬品市場の「寡占的支配」が生じる可能性があります。

――では、TPP参加は患者利益や保険財政にどのような影響を与えるとお考えでしょうか。

ニ木 「患者利益」も一括りでは論じられません。新薬の価格上昇と後発薬の発売遅延(これについては後述)により、すべての患者の自己負担は確実に増えます。それにより低所得患者の受診抑制が生じ、彼らの健康水準が悪化することも危惧されます。他面、画期的新薬の国内販売が早まる可能性があるので、ある種のがん・難病患者のうち、多額の自己負担を払える高所得患者には福音になるとも言えます。ただし、画期的新薬といわれるもののうち、大幅な延命やQOLの向上が実証されているものはごくごく限られます。

「保険財政」への影響について言えば、新薬の価格上昇と後発薬の発売遅延により、薬剤費が膨張し、医療保険財政はさらに悪化します。その結果、医療機関に支払われる診療報酬「本体」(技術料)は現在以上に抑制され、医療機関の経営悪化が進む危険があります。なぜなら、<診療報酬「本体」の改定率=診療報酬「全体」の改定率-薬価引き下げ率(診療報酬換算)>という関係にあり、薬価引き下げ率の低下は、自動的に診療報酬「本体」改定率の圧縮・引き下げとなるからです。

これに加えて、特に財務省は次の2つの施策を導入・併用し、公的医療費を抑制しようとすると思います。1つは保険外併用療養費制度の拡大であり、もう1つは00年の「医療保険抜本改革」に向けて検討されたものの、製薬業界と日本医師会・医療界の両方の強い反対で撤回された「参照薬価制度」(医薬品に関わる実質的混合診療)の導入です。前者は法改正を必要としないため確実に起こると思いますが、後者は法改正が必要なため、見通しは不透明です。しかし、これらによる公的医療費の抑制効果はいずれもそれほど大きくないため、中心は上述した技術料の抑制になると思います。

「医療産業」(医療サービスと医薬品・医療機器等の合計)の拡大は、新成長戦略も認めているように、本来は日本の内需拡大と経済成長に貢献します。しかし、医薬品・医療機器および民間医療保険の市場で外資の比重がさらに拡大すると、それら企業の利益はほとんど国内で環流することなく外国に流出するため、内需拡大効果は減殺されてしまいます。

――TPPの議論をするうえで、他国の対米FTA交渉の実態を検証する必要もあります。

韓米FTA交渉の「医薬品・医療機器」の妥結内容はどのようなものなのでしょうか。

ニ木 日本のTPP参加が医療・医薬品産業に与える影響を考える上で、もっとも参考になるのは韓米FTAで、次が豪米FTAです。韓米FTAの全容と問題点を包括的に知るための「必読論文」は、柳京煕「韓国のFTAを取り巻く政治・経済的意義と経済的影響について」です(6)。ただし、この論文には、後述する「投資家と国家の紛争解決(ISD)条項」(ISDS条項とも呼ばれる)が「韓国にだけ適用される」等の誤りもあります。そこで私は、韓米FTAの英文をチェックするとともに、長年共同研究を続けている韓国・延世大学の医療政策・医療経営専門の友人研究者4人(韓米FTA賛成派・反対派・中立派の全てを含む)からも直接情報を集めました。

2011年11月に韓国国会で強行採決され、12年1月に発効予定の韓米FTAの第5章「医薬品・医療機器」の妥結内容は、米国が米国通商代表部の「外国貿易障壁報告書」等を通して日本に要求してきたことと酷似しており、私はこれを初めて読んだとき"ホラーストーリー"と感じました。それもそのはずで、韓米FTAでは、米国の強い要求により、従来知的財産権保護の国際基準とされていたWTOのTRIPS(知的財産権の貿易的側面に関する協定)を大きく超える保護水準(「TRIPSプラス」)が設定されています。

私が一番驚いたのは、米国の製薬企業が韓国政府の定めた医薬品・医療機器の償還価格に不満がある場合は政府(本省=保健福祉部だけでなく、健康保険審査評価院、国民健康保険公団も含む)から独立した「医薬品・医療機器委員会」に異議申し立てできることになったことです。上記「中立派」の研究者も、これは韓国政府の社会保険政策に対する外国企業の干渉の可能性を内包していると危惧しています。しかも、内閣官房等が10月に発表した「TPP協定交渉の分野別状況」および外務省が11月に発表した「TPP協定により我が国が確保したい主なルール」は、「医薬品分野に関する規定が置かれる可能性はある」と認めています。

TPPに反対する医療関係者の多くは主にISD条項の危険性を強調しており、それは妥当ですが、私はこの医薬品・医療機器委員会にも注目すべきだと思います。なぜなら、これは企業にとっても費用と時間のかかるISD条項に基づく国際投資紛争解決センターでの審理よりもはるかに手軽であり、もしこれがTPP、または日米間の追加協定にも盛り込まれた場合は、企業側からの異議申し立てが頻発する危険があるからです。

――韓国でのFTAと、今回の日本のTPPをめぐる状況の違いは。

ニ木 韓国のFTAをめぐる状況と日本のTPPをめぐる状況は、次の2つの点で大きく異なることを見落とすべきではありません。第1は、韓国ではFTA交渉妥結までその内容はほとんど国民に知らされず、政府も一貫して教育と医療部門の開放はないと断言していたことです。日本でも、政府は当初同様な表明をしていましたが、野党、特に日本共産党や日本医師会等の鋭い追及により、11年11月以降、政府・首相もTPPが医療に影響する可能性があることを公式に認めるようになりました。その転換点は野田首相が11月1日の衆議院本会議で、「米国の対日要求項目がTPP交渉の対象にならない保障はあるのか」との質問に対して、その「可能性は完全には否定できない」と認めたことでした。この発言直後に外務省も、「混合診療の全面解禁がTPPで議論される可能性は排除されない」と明言しました。

その結果、当初TPP賛成一辺倒だった全国紙の論調にも、部分的に変化が生まれています。例えば、「朝日新聞」はTPPにより「クスリの値段が高くなる」可能性を報じました(11月9日朝刊「教えてTPP(19)」)。TPP参加の急先鋒である「日本経済新聞」も、ISD条項導入に反対するオーストラリア政府とアメリカ政府との攻防が続いていることを報じました(12月20日朝刊「TPP交渉参加国の思惑 4」)。

第2の違いは、韓国では政府がFTA交渉に入ることを決めた後も、農協、医師会を含めて大半の団体がTPPに対して反対の声を挙げなかったのと異なり、日本では、11年11月11日に首相がTPP交渉参加を表明する前から、農協だけでなく、医師会、消費者団体、さらには多くの地方自治体も反対声明を出し、しかも各団体の共闘が各地で生まれていることです。このようなTPP反対運動の高揚が今後も持続した場合には、TPPの妥結内容は、少なくとも医療・医薬品分野に関しては、米国が求める水準より相当抑制的なものになる可能性があります。野田首相がTPP参加を事実上表明して以降、「このままでは国民皆保険が崩壊する」と絶望されている方もいるようですが、それは早計です。

――豪米FTAからは、日本は何を教訓とすべきでしょうか。

二木 2005年1月に発効した豪米FTAの交渉過程でも、米国政府は米国の製薬団体であるPhRMAの要求に基づいて、オーストラリア独自の「医薬品給付制度」(PBS。その核心は費用対効果の評価に基づいた医薬品価格の抑制)の廃止を執拗に求めましたが、オーストラリア政府が最終的に拒否したためPBSの根幹は守られました。しかも他国のFTAと異なり、ISD条項も盛り込まれませんでした。しかし、PBSリストに掲載される医薬品に2つの類型、すなわちF1(ブランド薬)とF2(ジェネリック薬)が設けられ、政府はF1医薬品に対して「不相応に高額の支払いをしてきている」とされています。なお、オーストリアでも、経済団体や外務貿易省は「TPP交渉ではあらゆる事項を交渉の対象とすべき」と要求しました(7)

ただし、TPPが製薬産業に与える影響を考える場合、日本の製薬企業には、韓国、オーストラリアのそれと本質的な違いがあることも見落とせません。それは、両国には国際的に通用する新薬開発力のある製薬企業がほとんど存在しないのに対して、日本の製薬産業は、近年地盤沈下が著しいとはいえ、医薬品産業の「世界三極」の一極をかろうじて保っていることです。

――次に、TPPによる知的財産権保護強化は医薬品政策にどのように影響するのでしょうか。

ニ木 米国は知的財産権の保護強化をTPPの最重要目標の1つとしており、米国通商代表部は11年9月に、9項目の「医薬品へのアクセス拡大のためのTPP貿易目標」を公表しました。日本との関わりで重要なのは7番目の目標「透明性と手続きの公正性の強化」で、「政府の健康保険償還制度の運用において透明性と手続きの公正性の基本規範が尊重されること」とされています。米国の政府・企業にとって、「透明性と手続きの公正性」の尊重は市場原理の尊重と同義であり、もしこの目標がTPPに含まれた場合に、アメリカが他国政府が実施している医薬品の価格規制はこれに反すると主張し、それの撤廃や緩和を執拗に求めてくる可能性があります。

ましてや、厚生労働大臣が2011年5月19日参議院労働委員会で検討を表明した医薬品の「医療経済的な観点を踏まえた」償還価格の設定は、この基本規範に反すると見なされ、強硬に反対されるでしょう。ちなみに、オバマ政権が2010年3月に難産の末ようやく成立させた医療保険改革法(「患者保護・医療費負担適正化法」)第18条では、医薬品・医療技術の経済的評価が次のように禁止されています:「QALY[質調整生存年]当たり費用(またはそれに類似した、個人の障害に応じて命の価値を割り引く指標)を、どんな種類の医療が費用効果的と判断または推奨するときの閾値として、開発や使用してはならない」(8)

上述した米国通商代表部の「貿易目標」の表現は抽象的で分かりにくいのですが、「国境なき医師団」の米国組織(MSF)は、11年9月、同組織が独自に入手したTPPの米国提案とみられる流出文書と他の公式文書を照合して分析した結果、医薬品分野で米国が狙う知的財産権保護強化には、ジェネリック医薬品の供給を脅かす以下の6つの危険があると発表しました(9)。(1)型を変えただけの古い医薬品に新薬の特許を認める。(2)特許への異議申し立ての手続きを困難にする。(3)知的財産権侵害の疑いだけで、ジェネリック医薬品の貨物を差し押さえる。(4)臨床実験データの独占を強化し、ジェネリック医薬品が出回るのを困難にする。(5)特許期間を延長する。(6)医薬品認可当局に特許管理責任を負わせる。(1)には、診断・治療・手術方法の特許権要求すら含まれています。

『異常な契約 TPPの仮面を剥ぐ』の第11章「ニュージーランドおよびTPPにおける知的所有権」にも、米国が「医薬品などについての追加発明の特許化、治療・診断方法やコンピュータープログラムなどを特許対象とする特許対象範囲の拡大、ジェネリック医薬品の許可を得るために必要なデータの既存特許権者独占の強化」を要求していることが生々しく書かれています(7)。これは、上記「国境なき医師団」の米国組織(MSF)の分析とほとんど一致しています。

米国研究製薬工業協会(PhRMA)も、「アメリカの法律と同様な水準の強い知的財産権条項」等、露骨な「TPPの知的財産権条項についてのPhRMAの見解」を発表しています。ただし、ジェネリック医薬品の供給抑制手法は米国の政府と製薬企業の専売特許ではなく、日本の大手医薬品企業も常用していることも見落とせません(10)

――先ほど、医療関係者の多くは主にISD条項の危険性を強調しているとおっしゃいましたが、ISD条項の危険性についてどうみていますか。

ニ木 韓米FTAに反対する野党や市民団体は、ISD条項を「毒素条項」と激しく攻撃しました。そのためイ・ミョンバク大統領も、この点については条約締結後、米国と再交渉を行うと譲歩せざるを得ませんでした。

TPPを推進する人々は、「ISD条項は日本が結んだすべての(ほとんどの)FTAに含まれているが、なんの問題も起きていない」、「ISD条項は他国に進出した日本企業の利益を守るために必要」等と主張しています。しかし、関岡英之氏はそれを的確に反駁しているので、そのポイントを私なりにまとめて紹介します(11)

<ISD条項は、歴史的にみると、先進国が、発展途上国政府による外国企業の強制収用から自国の進出企業の権益を守るために生み出されました。しかし、NAFTA(北米自由貿易協定)で、それが初めて多国間協定に導入されて以来、状況が一変し、米国企業等が、この条項を拡大解釈して、他国政府を提訴するようになりました。日本が今までにこの条項で訴えられなかったのは、今までは日本が投資する側で、投資される側ではなかったからにすぎません。日本にとってTPPの最大の相手国が米国であることを考えると、TPPにISD条項が盛り込まれた場合、訴訟大国の米国企業がこの条項を用いて、日本政府を訴える蓋然性は確実に高まります。しかも、国際投資紛争解決センター等での審理の判定基準は「公正かつ衡平な待遇」という、アングロサクソン的な法理念に基づいており、日本に極めて不利です。その上、この審理は一審制で、判決に不服でも上訴できません。>

国際投資紛争解決センターの審理の判定基準は、上述した米国通商代表部「医薬品へのアクセスの拡大のための貿易目標」の7番目「透明性と手続きの公正性の強化」と同じ市場原理の尊重と言えます。そのため、この判定基準に従えば、米国以外の各国政府が実施している医薬品・医療機器の価格規制は、「公正かつ衡平な待遇」ではなく、「透明性と手続きの公正性」に反すると解釈される危険があります。

ISD条項は、日本企業がアジア等の発展途上国に進出する上では必須との意見もあります。しかし、日本の製薬企業はすでに海外進出が相当進んでいる大手4社に限定しても、大半が欧米への進出であり、アジア等の発展途上国への進出では、欧米の製薬企業に比べて大きく出遅れています。しかも、先進国(欧米・日本)と発展途上国とでは、医薬品のニーズがまったく異なることを考慮すると、日本がTPPに参加しても、日本の製薬産業が今後どれほど「アジアで稼げる」ようになるか大いに疑問です。

――最後に、TPPへの参加は、国内医薬品産業の育成の阻害要因とならないのか。すなわち、入超産業状態がさらに悪化しないか。また、医薬品産業ビジョンでは「医療ニーズに対応した安全で質の高い医薬品が国民にできるだけ速く合理的な価格で提供されること」を目標に据えているが、このビジョン実現に向けて、TPPはプラスとなるのかマイナスとなるのか、どう思われますか。

ニ木 上述した理由から、私は、TPPが国内医薬品産業の育成の阻害要因になる可能性は大きく、入超産業状態がさらに悪化するのは確実だと思います。『医薬品産業ビジョン』実現のマイナスになるか否かは分かりませんが、旧「医薬品産業ビジョン」(2002年)が作成されて以降も、日本の医薬品の入超額が拡大し続けていることを考慮すると、TPPとは関係なく、「医薬品産業ビジョン」そのものが有効とはとても思えません。私は、「医薬品産業ビジョン」に限らず、政府が特定の産業を指定してその育成を図る「産業政策」そのものの実効性に強い疑問を持っています。

繰り返しになりますが、私は、外資と呼ばれる欧米の多国籍製薬企業に伍して画期的新薬を開発・販売できる一握りの内資にとっては、TPPはプラスになるかもしれないが、それ以外の大半の内資の市場・売り上げは縮小すると予測します。長谷川閑史経済同友会代表幹事・武田薬品社長・製薬協前会長が、早々とTPPに賛成の意を表明している一方、製薬協が明確な態度表明をできていないのは、業界の複雑な事情の反映と推察します。

ただし、10年に試行的に導入された新薬創出加算制度の目的の一つが、日本の先発医薬品メーカーの新薬開発を支援することであったにもかかわらず、武田薬品を含めた内資が惨敗していること(加算の品目数・加算額とも、6割弱が外資)、および2000年以降の完全な新規薬効成分の新薬承認件数でも外資が圧倒していること(外資が内資の2倍。「国際医薬品情報」編集部編『2011年版製薬企業の実態と中期展望』223頁)を考えると、「勝ち組」の内資と言えども、得られるのは外資の「おこぼれ」にとどまるのではないでしょうか?

引用文献

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2.なぜ私はTPPに参加しても混合診療が全面解禁される可能性は低いと判断しているか?

(「二木教授の医療時評(その99)」『文化連情報』2012年1月号(406号):30-35頁)

はじめに-「医療時評(98)」に出された疑問

本誌1月号の「医療時評(98)」で、私はTPP参加反対の立場を明示した上で、日本がTPPに参加した場合、米国は日本医療に何を要求してくるかについて次の3段階の予測を行いました:医療機器・医薬品への価格規制の撤廃・緩和(第1段階)、医療特区に限定した株式会社と混合診療の原則解禁(第2段階)、および全国レベルでの株式会社と混合診療の原則解禁(市場原理の全面的導入。第3段階)(1)。その上で、これらの「米国の要求がそのまま実現するわけではありません」と強調し、「どの程度実現するかは医療への市場原理導入に反対する国会内外の運動が今後どの程度盛り上がり、しかも持続するかにかかってい」ることを前提にした上で、「第1段階は実現する可能性が高いし、第2段階の実現可能性も長期的には否定できないが、第3段階の実現可能性はごく低い」と書きました。

幸い、この3段階の予測は多くの方から賛同をいただきました。しかし、「第3段階の実現可能性はごく低い」との判断に対しては、一部の方から「混合診療の全面解禁には強い警戒心を感じている」、「混合診療全面解禁の実現可能性が低い理由の説明が不十分」等の率直な疑問もいただきました。

私自身も、TPP参加を契機として、日本国内での混合診療全面解禁論が再燃するのは確実と思っています。川渕孝一氏も、昨年10月の混合診療をめぐる最高裁判決により、「混合診療問題は国内では決着しているが、TPP交渉いかんによっては再燃するかも知れない」と述べています(2)『週刊ダイヤモンド』の昨年12月24日号の特集「総予測2012」の「対論」でも、「TPP可否」の論点の1つに「混合診療」が取り上げられました(松原由美氏が否定派、川渕孝一氏が積極・必然派)。

しかし、私は、国内外での混合診療全面解禁論の高まりとそれの実現可能性は峻別し、日本がTPPに参加した場合にも、混合診療全面解禁を中心とした医療への市場原理の全面的導入が実現する可能性はごく低いと判断しています。本稿では、TPP反対運動に水を差すかも知れないこのような判断を前稿で私が敢えて書いた3つの理由を述べます。合わせて、現行の混合診療部分解禁の拡大と全面解禁とはまったく次元が異なること、および日本の最強官庁である財務省は、かつては混合診療解禁を主張していたが、現在はそれを主張しなくなっているという意外な事実を指摘します。

TPPの焦点は医療機器・医薬品の価格規制の撤廃・緩和

第1の理由は、日本がTPPに参加した場合、混合診療全面解禁よりはるかに実現可能性が高い医療機器・医薬品価格規制の撤廃・緩和が日本医療に重大な悪影響を与えることに注意を喚起するためです。前稿ではこの点についてごく簡単にしか触れられませんでしたが、『国際医薬品情報』1月9日号のインタビューでは、医療財政、医療機関、患者および医薬品産業別に詳述しました(3)

私は、TPP参加反対の輪を拡げるためには、この「今そこにある危機」(clear and present danger)に焦点を当てるべきと考えます。それに対して、現時点では「議論される可能性は排除されない」(外務省)レベルの混合診療全面解禁の危険性を強調するだけでは、その可能性は低いとする賛成派との「空中戦」・「水掛け論」になってしまい、TPPに対する態度をまだ決めかねている人々からの、TPP反対論は「反対の底が浅い」、「仮定の話が多すぎる」等の疑問・不満に答えられないと思います。

小泉政権ですら混合診療の全面解禁はできなかった

第2の理由は、あの強大な小泉政権でさえ、混合診療全面解禁を含む、医療本体への市場原理導入の全面実施に挫折したことを考えると、たとえ米国からの強い外圧があったにせよ、現在の弱体な民主党政権がそれを実現できるとはとても考えられないからです。

手前味噌ですが、私は2001年6月に小泉政権が医療への市場原理導入を含む「骨太の方針」を閣議決定し、多くの医療関係者もそれが不可避となかば諦めていた時期に発表した論文「小泉政権の医療制度改革を読む」で、「新自由主義的三改革の全面実施は困難」と、以下のように正確に予測しました:「企業による病院経営の全面的解禁はない」、「『保険者と医療機関との直接契約』は部分的にも実現しない」、「混合診療の自由化はないが、特定療養費制度の『活用』が拡大」する(4)。小泉政権時代を含めて、日本における「医療への市場原理導入論の30年」の歴史は、それの全面実施の挫折の歴史とも言えます。これについては、本「医療時評(86)」で詳しく検証しました(5)

もちろん、今後、国家財政破綻が生じ、それを契機として強権的・新自由主義的政権が誕生した場合は状況が激変し、混合診療全面解禁はおろか国民皆保険すら解体される可能性があります。私は、現在の日本の経済的・政治的混迷と、昨年12月の大阪府知事・市長選挙での橋下徹氏等の圧勝に象徴される英雄待望論的な風潮を考えると、この危険を軽視すべきではないと考えています(というより、強い危機感を持っています)。ちなみに、昨年11月に出版された『もし小泉進次郎がフリードマンの「資本主義と自由」を読んだら』は、そのような政権が2015年に実現することを想定して、起こりうる事態をかなりリアルに描いています(6)/[注]。しかし、このような可能性と、現在の条件の下でTPP参加により起こりうる事態とを混同すべきではありません。

市場原理の全面的導入が挫折する3つの理由

第3の理由は、時の政権の強弱の次元を超えて、混合診療全面解禁を含む医療への市場原理の全面的導入には、経済的・政治的に大きな壁があるからです。この点については、拙著『医療改革と財源選択』で、「新自由主義的医療改革の全面実施が挫折した理由」として以下のように書きました(7)。私は、この理由は日本がTPPに参加した場合にもそのまま当てはまると考えているので、長いですが、全文引用します。

<新自由主義的医療改革の全面実施が挫折した理由は、大きく分けると2つあります。

1つは経済的理由で、新自由主義的医療改革を行うと、企業の市場は拡大する反面、医療費(総医療費と公的医療費の両方)が急増し、医療費抑制という「国是」に反するからです。私はこれを「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」と呼んでいます。

具体的には、高所得国における医療改革の経験と医療経済学の実証研究で、以下のことが確認されています。(1)営利病院は非営利病院に比べて総医療費を増加させ、しかも医療の質が低い。(2)混合診療を全面解禁するためには、私的医療保険を普及させることが不可欠ですが、私的医療保険は医療利用を誘発し、公的医療費・総医療費が増加します。(3)保険者機能の強化により医療保険の事務管理費は増加します。

私は、厚生労働省がこの間、新自由主義的医療改革に頑強に反対し続けた最大の理由は、この「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」に気付いているからだと判断しています。逆に、新自由主義派の官僚(内閣府や経済産業省に多い)や研究者は、このような国際的常識を知らず、市場メカニズムの導入により医療費(最低限、医療価格)を引き下げることが可能と単純素朴に考えています。

新自由主義的医療改革の全面実施が挫折したもう1つの理由は政治的理由で、どんな世論調査でも、平等な医療を支持する国民が圧倒的多数を占めており、混合診療の支持は1~2割に過ぎないことです。

これらに加えて、もう1つの政治的理由として、日本では、医師会・病院団体を中心としたすべての医療団体が、新自由主義的医療改革に一致して反対したことも見落とせません。実は私は、以前は、医療団体が新自由主義的医療改革に反対するのは「万国共通」だと思っていたのですが、それは誤りでした。日本のお隣の韓国の医療制度は、国民皆保険制度と民間医療機関主体の医療提供制度を持っているという点で日本と非常に似ているのですが、韓国の医師会・病院団体の幹部には、株式会社の医療機関経営(医療法人の株式会社化を含む)や民間保険を利用した保険外診療(日本流に言えば混合診療)の大幅拡大の支持者が少なくないのです。その背景としては、韓国の指導的医師の中にはアメリカ留学経験者が非常に多く、彼らはアメリカの「自由医療」への憧憬が非常に強いことがあげられるようです。このことは、私が拠点リーダーを務めている日本福祉大学21世紀COE研究プロジェクトの一環として行った日韓医療の比較研究で発見しました。

現在では、政治的理由に、もう1つ加えることができます。それは、昨年10月に最高裁が混合診療原則禁止(と保険外併用療養費制度による部分解禁)が適法との判決を下した結果、混合診療を全面解禁するためには健保法等の改正が必要になったが、それは政治的に極めて困難なことです(8)

部分解禁の拡大と全面解禁とはまったく異なる

TPP参加により混合診療全面解禁が実現することに強い警戒心を持っている方の中には、日本最強の官庁である「財務省が法律改正を伴うものであれ、伴わないものであれ、実質的な混合診療全面解禁を狙っている」と指摘される方もいます。

私も、法改正を伴わない混合診療部分解禁の拡大(「保険外併用療養費制度の拡大」)は、残念ながら、今後進む可能性が大きいと判断しています。しかし、法改正を伴う全面解禁とそれが伴わない部分解禁の拡大には天と地ほどの差があり、「実質的な混合診療全面解禁」と一括りにすることはできません。法改正を伴わない場合は、保険外併用療養費制度の拡大しかありませんが、同制度のうち、「特別の療養環境の提供」(差額ベッド)等の「選定療養」、つまりアメニティ部分の混合診療はすでに制度上はほぼ全面解禁されており、これ以上の大幅拡大は困難です。

しかも、長引く不況による国民・患者の購買力の低下のため、アメニティ部分の混合診療は、全国的にはほとんど拡大していませんし、高所得層を顧客とする首都圏のごく少数のブランド病院を除いては、混合診療の収益は病院の収益全体のごく一部を占めるにすぎません。例えば、一般病院(全体)の医業収益に対する「特別の療養環境[差額ベッド]収益」の割合は、2009年、2011年とも1.3%にとどまっており、1994年に差額ベッドの大幅な「要件の緩和」が行われる以前の水準(1989,1991,1993年とも1.5%)を下回ってさえいます(中医協「医療経済実態調査」各年版)。

それに対して「(高度)先進医療」=「評価療養」は、安全性と効果が確認され、しかも一定程度普及したと「評価」された段階で保険診療に移行することが公式のルールとなっているため、これをどんどん拡大すると中長期的には保険診療費が拡大し、財務省が目指している国庫負担の抑制にはなりません。筋金入りの新自由主義者である八代尚宏氏は早くからこの矛盾に気づいており、「公的保険の対象となる医療サービスの範囲を明確化し、それを超える医療部分には保険適用をしないという単純なルール」を適用する混合診療全面解禁のためには、「特定療養費制度[保険外併用療養費制度の前身]を廃止することが基本となる」と正確に主張していました(9)

財務省は現在は混合診療全面解禁を主張していない

もう1つ私が指摘したいことは、過去の財務省・大蔵省と異なり、現在の財務省は、経済産業省と異なり、混合診療全面解禁をもはや主張していないことです。

この点については、拙著『民主党政権の医療政策』で以下のように書きました。「財務省も混合診療の部分拡大は求めていますが、最近は、原則解禁論は主張していません。なぜなら、財務省は、混合診療を原則解禁すると私的医療費だけでなく、公的医療費も膨張することを理解し始めたからです。この点については、最近、香取照幸厚生労働省政策統括官(明晰な頭脳と率直な発言で知られるエリート官僚)が『財務省も混合診療に反対なのはブーメランのようにコスト増に跳ね返り医療費が増えるからだ』と率直に指摘しています」(10)。混合診療全面解禁により、少なくとも長期的には公的医療費も増加する可能性が大きいことは、本誌1月号のもう1つの「医療時評(99)」の「補論」で説明しました(8)

なお、私が調べた範囲では、大蔵省の担当者(中川真主計局厚生第三係主査)は、早くも1996年に「混合診療へ方向転換」することを主張しました(11)。中川氏は、そこで、初診料、看護料、薬剤費等、「あらゆる診療を混合診療的なものに組み替えていく」こと、つまり混合診療の全面解禁を大胆かつ先駆的に(?)主張しました。財務省の別働隊の財政制度等審議会も、自公政権時代には、「建議」で、毎年のように「混合診療解禁」を主張しました(最後は2009年の「建議」。(10)129-130頁)。しかし、民主党政権になってからは、財政制度等審議会は「建議」自体をとりまとめていませんし、混合診療解禁を公式に主張した幹部・担当者もいないと思います。

財務省の公的医療費抑制策の現在のターゲットは「保険免責制の導入」であり、吉川洋財政制度等審議会会長は社会保障改革に関する集中検討会議で、このことを執拗に主張しましたが、混合診療(全面)解禁には言及しませんでした(12)。「社会保障・税の一体改革成案」(2011年7月1日閣議報告)で導入が予定されていた「受診時定額負担」は将来の保険免責制導入に向けた「変化球」・「突破口」でしたが、日本医師会や民主党議員等の強い反対により、最終的に見送られました。

おわりに

以上、私が前稿で、混合診療全面解禁を中心とする医療への市場原理の全面的導入の「実現可能性はごく低い」と敢えて書いた理由・真意を述べてきました。

実は、私の知る限り、医療政策研究者のほとんどは、TPPに対する賛否のいかんによらず、私の「3段階説」とほぼ同じ認識であり、日本がTPPに参加した場合、すぐに混合診療が全面解禁されると予測・危惧している方は皆無と言えます。しかし、TPPの危険性を強調するために、このことに敢えて触れない研究者もいるようです。

このようなTPP反対運動への政治的配慮は一つの見識と思います。しかし、私自身は「一切のタブーにとらわれず、事実と本音を語る」(『90年代の医療』勁草書房,1990,あとがき)ことを信条・モットーにしているため、そのような「戦略的沈黙」はとらないことにしました。

[注]『もし小泉進次郎がフリードマンの「資本主義と自由」を読んだら』の概要

2013年に民自党[自民党]が政権復帰した後、2015年に党内若手に押されて小泉進次郎が民自党総裁=首相になり、「社会保障関係費をゼロにする」、「最大の無駄は一般会計と特別会計あわせて120兆円にのぼる社会保障にある」と断言して、フリードマン『資本主義と自由』が提案した政策を整理した10項目を任期中に実現すると宣言します(15-16頁)。この小泉進次郎政権には、かつて小泉純一郎政権を支えた閣僚等(と明らかに分かる人物。例:竹中→酒中官房長官)が多数任命されます。橋下現大阪市長(→本橋元大阪府知事)も総務大臣として入閣し、彼の意向を組み入れて、特区法の超法規的運用により「大阪独立」の実現が計られます。政権発足直後に、日本は国家破綻の危機に直面し、日本社会は大混乱に陥りますが、野党が多数を占める参議院の抵抗により、政府の緊急危機対策(IMFの資金援助を含む)は通りません。そこで、小泉進次郎首相は、父親にならって、衆議院を解散して三分の二を超える議席を獲得し、それによりIMFによる資金援助が始まり、「政治が信頼を取り戻す日」が来ることが暗示されます。社会保障改革の柱は年金制度を廃止して負の所得税を導入することですが、首相は衆議院選挙大勝後、「医療保険や介護保険なども民営化して公的な補助をやめ」ると宣言します(214頁)。なお、本書原作者の池田信夫氏は筋金入りのリバタリアン(絶対自由主義者)・小さな政府の信奉者で、有名なブロガーでもあります。

文献

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4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算74回.2011年分その11:5論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足

○医師と市場:オランダにおける市場[メカニズムを重視した医療]改革が外科医と一般医の専門職医療倫理に与える影響
(Dwarswaard J, et al: The doctors and the market: About influence of market reforms on the professional medical ethics of surgeons and general practitioners in the Netherlands. Health Care Analysis 19(4):388-402,2011)[質的研究]

オランダでは2006年に市場メカニズムを重視した医療改革が実施された。この改革が医師の医療倫理に与えた影響を明らかにするために、2008-2009年に、病院勤務の外科医27人と開業一般医28人とに質的インタビュー調査を行った。調査対象は、男女、年齢、地域等のバランスを考慮して選択した。改革後、外科医は自分の仕事の広告を定期的に行い、しかも相対的に軽い患者を選ぶようになっていた(改革前は広告は禁止されていた)。これは、医師に同僚を兄弟と見なし、患者の治療はニーズに基づいて行うことを求めている医師倫理から逸脱している。一般医も、改革後は、患者のニーズよりも患者の選好(希望)を重視するようになっていた。このように市場メカニズムを重視した改革は医師の専門職倫理に影響したが、オランダの政策決定者が改革前にこの点を意図したか否かは不明である。オランダと同様の改革を検討している他国の医療政策決定者は、この結果に注意を払うべきである。

二木コメント-市場メカニズムを重視した医療改革の盲点を衝いた好論文と思います。

なお、オランダの2006年医療改革が、所期の目的を達していないことを示した最新論文は、本「ニューズレター」81号(2011年4月)で紹介しました:[オランダの2006年医療保険制度改革の評価をめぐるディベイト]オランダの医療[保険]制度における[医療サービス]購入者[間]競争の効果:コップ[の水]は半分満たされているか、それとも半分空なのか(Schut FT, et al: Effects of purchaser competition in the Dutch health system: Is the glass half full or half empty? Health Economics, Policy and Law 6(1):109-123, 2011)

○ドイツにおける医師供給[の増加]が避けられる癌死亡に与える影響:空間分析
(Sundmacher L, et al: The impact of physician supply on avoidable cancer deaths in Germany. A spatial analysis. Health Policy 103(1):53-62,2011)[量的研究]

ドイツの2000~2004年の年齢調整済み地域別(439地域)・男女別死亡率データ等を用いて、避けられる癌死亡(ACD)の地域差と医師供給(人口当たり医師数)との関係を検討した。ACDは9種類の癌死亡とした。人口10万人当たりACDは女では27.81、男では40.07であった。ACDを従属変数とする負の2項回帰(negative binomial regression)分析を行ったところ、10万人当たり医師数の増加は、女の乳癌、および男女の大腸癌、直腸・肛門癌の死亡率減少と有意に関連していた。ただし、その寄与は小さかった。

二木コメント-癌診療専門医数等ではなく、医師総数とACDとの関連をみることには疑問が残りますし、ACDの基準もよく理解できません。しかし、医師数増加の効果(outcomes)を定量的に推計したという意味では、興味深い研究と思います。

○フランスの低所得一般医は少ない労働を選択しているのか?
(Samson A-L: Do French low-income GPs choose to work less? Health Economics 20(9):1110-1125,2011)[量的研究]

フランスの一般医のうち5-7%は最低賃金の1.5倍未満の勤労所得(earnings)しか得ていない。1993-2004年の開業一般医の年間所得についての代表標本パネルデータを用いて、医療需要の突然の増加または減少に対する一般医の反応を調査し、低所得一般医は他の一般医と比べて少ない労働を選択しているのか、それともそうせざるを得なかったのかを調査した。その結果、低所得一般医は医療需要の減少に対しては他の一般医と同様に労働を減らしていたが、医療需要が増加した場合にも、他の一般医と異なり、労働を増やしていなかった。以上から、彼らの低所得は休暇に対する強い選好により説明できる。なお、低所得一般医の50%近くは女医であった。

二木コメント-日本でも、今後女医の比率が高くなるので、同じ現象が起こるかもしれないと思います。

○アメリカの医師の診察料が高いことがアメリカの医師サービス費用を他国に比べ高くしている
(Laugesen MJ, et al: Higher fees paid to US physicians drive higher spending for physician services compared to other countries. Health Affairs 30(9):1647-1656,2011)[量的研究、国際比較]

アメリカの医療価格が高いことが他国に比べてアメリカの総医療費が高い主要な理由となっている。本研究では、公私医療保険から支払われる一般医の外来受診と股関節置換術の診察料(技術料)を、オーストラリア、カナダ、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカの6か国で比較した(アメリカを1として他国の相対価格を表示)。6か国の医師所得や医学教育費用負担等も比較した。その結果、外来診療については、アメリカの公的保険は他国の公的保険より27%、私的保険では70%多く支払っていた。股関節置換術では格差はさらに大きく、それぞれ70%、120%も高かった。アメリカの一般医と整形外科医の年間平均所得はそれぞれ186,582ドル、442,450ドルであり、他国に比べて高かった。以上から、アメリカの医師サービス費用が高いことの主因は診察料が高いことであり、開業経費の高さ、サービス提供量の多さ、医学教育費負担の多さではないと言える。

二木コメント-結論は常識的ですが、公私保険別に6か国の医師診察料を比較したことに新しさがあると思います。

○[アメリカにおける]グループ診療モデル事業の興醒めな教訓
(Wilensky GR: Lessons from the physician group practice demonstration - A sobering reflection. The New England Journal of Medicine 365(18):1659-1661,2011)[評論]

2011年8月、メディケア・メディケイド・サービスセンター(CMS)は「グループ診療モデル事業」の結果を発表した。この事業は2000年のアメリカ議会決定に基づいて、2005~2010年に実施され、全国的に有名な10の大規模グループ診療が参加した。この事業では、参加グループの医療の質が32の指標を用いて測定されると共に、もし契約患者1人当たり費用(ケースミックス・重症度調整済み)が各グループと同じ地域の対照群よりも2%以上少なかった場合には、削減額の一部がボーナスとして償還されることになっていた。CMSは「モデル事業は質の改善と費用の削減の両方に成功した」と発表した。確かに、医療の質の面では、10グループのうち7グループが5年目までに32指標すべてで目標を達成し、残りの3グループも30指標以上で目標を達成した。しかし、費用削減は別の問題であり、2%削減の目標を1年目に達成したのは2グループのみであり、3年目に達成したのも5グループにとどまった。その理由が何であれ、医療の質の改善と費用抑制を同時に達成することは困難なことは明らかである。

二木コメント-医療経済・政策学の常識通りの結果と言えます。私にとって興味深かったのは、CMSが「モデル事業は質の改善と費用の削減の両方に成功した」と発表したことです。モデル事業の結果を都合よく発表するのは、日米共通と言えるようです。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その86)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<その他>

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