総研いのちとくらし
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文献プロムナード(9)

「全人的ケアの歴史」

 野村拓

発行日2005年02月28日


市民革命の意味

「全人的ケア」を、とりあえず「時間をかけて、患者・クライアントと全面的に向き合うケア」と定義し、この作業仮説のようなものを検討する上での必要文献を紹介することにしたい。

保団連(全国保険医団体連合会)の「開業医宣言」(1989)の筆頭項目には「全人的医療」が挙げられているが、開業保険医団体から「全人的医療」が提起されたことは、歴史的にみれば当然の成り行きといえるだろう。というのは、患者と全面的に向き合う医療は、市民革命によるいきいきとした市民の登場、権力者のお抱え医者(侍医)の他に、「市民の医者」(町医者)が登場したこと、そして両者の間にヨコ並びの関係が生まれたことを基盤にして形成された、と考えられるからである。

『患者の進歩』(以下、海外文献には仮訳の和名をつけて紹介)。
☆Dorothy Porter 他:Patient’s Progress(1989)Polity Press.

の表紙絵では、病人を前にして、医師と家族とが大論争をしている姿が描かれている。医師は患者だけではなく、患者の家族とも向き合わねばならなかった事情や、中世的桎梏から解放された市民たちの生きる意欲やバイタリティなどが想像される絵である。

ここでいう「市民革命」とは、狭義の「イギリス市民革命」だけではなくオランダ独立革命(1609-1648)イギリスのピュリタン革命、名誉革命(1649-1688)フランス大革命(1789-1793)などの民主的革命を含むものと考えることにしたい。市民革命の時期を医療史的にふりかえる視点を持った本としては

『治療術、15001800』
☆Peter Elmer 編:The Healing Arts, 1500―1800.(2004)The Open Univ.

『政治体-イギリスにおける病気、死そして医師、1650-1900』
☆Roy Porter : Bodies Politics Disease, Death and Doctors in Britain, 1650―1900. (2001)Reaktion Books.

などを挙げることができる。ここでは「全人的」と訳すべきHolistic という言葉が使われているが、Holistic を書名に含むものとしては

『全人的健康への招待』
☆Charlotte Eliopoulos : Invitation to Holistic Health (2004)Jones & Bartlett.

がある。医師(特に開業医)と患者の間にヨコ並びの関係が生まれ、しかも治療上のキメ手に欠ける時代はかなり長く続く。『現代的ヒポクラテスの探究』(第6回で紹介)には、1840年のマサチューセッツ州の開業医の診療内容が次のように紹介されている。

要するに、治療上のキメ手に乏しい時代の開業医は、ひたすら患者と向き合っていたのである。

つまり、医療の実質はケアであり、ケアとは患者と全面的に向き合うことであった。

医学史書の見分け方

市民の医者(町医者)が登場した時期は、「教典」発の医学の否定の上に「患者」発の医学が生まれた時期でもある。イギリス市民革命の戦士でもあった町医者、トーマス・シデナム(Thomas Sydenham, 1624―1689)は「教典」にどう書かれてあるかではなく、目の前の患者から得られる情報を重視し、『医学的諸観察』(1660)をまとめた。

シデナムは実地医らしく、論著の数は少いが、貧血患者に対する鉄療法の論文も紹介されており、「イギリスのヒポクラテス」といわれた。

医学史書を見る場合、まず索引にシデナムの名があるかどうかをチェックするべきである。次に、臨床医学の確立者といわれるオランダのヘルマン・ブールハーヴェ(Herman Boerhaave 1668-1738)の名があるかどうか注意しなければならない。もし、ブールハーヴェの名がなければ、それは細菌学者か解剖学者が書いた少年少女文庫・発明物語の類と見なすべきである。また、これらに加えて、医学サイドから初めて「全人格」という概念を定立したフランスのカバニス(D.J.G. Cabanis,1757-1808)の名が載っていれば、かなり高級な医学史書といえるのではないか。

前掲の『治療術、1500-1800』と同じ編者による

『ヨーロッパにおける健康、病気と社会』
☆Peter Elmer 他: Health, Disease and Society in Europe, 1500―1800.(2004)

にはシデナムもブールハーヴェも登場する。そして「シデナム協会」が存在することを示したのが

『医学史の位置』
☆Frank Huisman 他編: Locating Medical History.(2004)The Johns Hopkins Univ.Press.

である。また

『医学史・外論』
☆Owsei Temkin : “On Second Thought” and Other Essays in the History of Medicine and Science.(2002)The Johns Hopkins Univ. Press.

も、前述のキーパースンが出てくるから、信用できる医学史書と考えていい。

「市民」「人権」「平等の理念」などはいずれも「全人的ケア」の前提条件というべきものであるが、これらの条件が満たされつつあったのが(広義の)市民革命の時代といえる。そして、フランス大革命の後に登場したルイ・ルネ・ヴィエルメ(L. R. Villerme, 1782-1863)は理念とての「平等」を統計的方法化した。すなわち、人口集団の平均値と、めぐまれない人、しいたげられた人の統計値とを比較することによって社会のあり方を批判した。ヴィエルメの1828年と1840年の論文にはこの特徴がよく現われており、これはイギリスの公衆衛生運動に影響を与えた。

この時期についての(フランス語ではない)英語文献は乏しいが

『近代初期フランスの女性医療職』
☆Susan Broomhall : Women’s Medical Work in Early Modern France.(2004)Manchester Univ. Press.

には、オテル・デュ(市立病院)や自治体小児ケアの歴史などが紹介されている。時代は「社会的人間」の「全人性」を問う人たちと、個々の人間ではなく、集団としての「人口」をどうとらえ、どうコントロールするかを考える人たちとに分かれつつあった。

体制・集団のケア

市民社会が生んだ個人を対象とする「臨床医学」と絶対王政時代に対応する「人口集団」を対象とする体制的・集団的施策とが並存する時代が17世紀から19世紀にかけての時期であった。市民対市民の関係の中から生まれた臨床医学、「全人的医療」の他に、管理者、支配者対集団という原理にもとづく救貧行政、軍隊医学、医事警察思想、隔離施設としての病院などが登場しつつあった。

病気持ちの浮浪者の大群を対象としたイギリスの救貧行政などは軍隊医学と並んで集団医学の「はしり」というべきであり(これに「行刑衛生」-監獄の衛生を加えるべきかもしれないが)、これをとりげたのが

『性病と都市貧民』
☆Kevin P. Siena : Venereal Disease Hospital and the Urban Poor-London’s “Foul Wards”, 1600-1800. (2004)Univ. of Rochester Press.

で、副題を訳せば-ロンドンの「不潔病棟-となる。

院内感染は救貧施設としての病院では恒常的に起こっていたが、戦争によって大量の傷病者が野戦病院に収容されると、状況はさらにひどくなった。そして、これがクリミア戦争でナイチンゲールが登場した背景といえる。

「体制・集団のケア」は救貧行政、軍隊医学、そして「拡大された軍隊」としての「都市」を対象とする公衆衛生行政のなかで展開されるが、公衆衛生運動のリーダー、チャドウィックとナイチンゲールとのコンタクトをとりあげた本も出された。古い本なので省略するが、いうなれば「院内感染」対策者と「院外感染」対策者との出会いであった。これらにかかわる文献を挙げればきりがないが、軍隊衛生、公衆衛生、社会福祉行政にかかわる最新刊書だけを挙げれば次のようになる。

『水、民族、そして病気』
☆Worner Troesken : Water, Race, and Diseases.(2004)The MIT Press.

『イギリス社会学の歴史』
☆A. H. Halsey : A History of Sociology in Britain.(2004)Oxford Univ. Press.

『医学と勝利-第2次大戦下のイギリス軍事医学』
☆Mark Harrison : Medicine and Victory-British Military Medicine in the Second World War.(2004)Oxford Univ. Press.

この本では日露戦争時の日本の医療サービスがモデルとされているが、「体制・集団のケア」としては、後進日本の方が進んでいたのかもしれない。

「体制・集団のケア」は個人の人格の尊重にまでは手がまわらないものであるが、この流れは主にプロシャ、ドイツを舞台に展開された国状学・国勢学→官房学派→ドイツ社会政策学会→強制加入式疾病保険(ビスマルク)という系譜によって示される。

このような時代に「全人的ケア」はだれによって受け継がれ担われていただろうか。その担い手はおそらく町医者とPrivate Duty Nurse ではなかったろうか。

看護の位置づけ

「アメリカ全人的看護協会」(American Holistic Nurse’s Association)という組織も存在するが、Holisticを冠した看護書が出されるようになったのは

『全人的看護』
☆Barbara Montgomery 他:Holistic Nursing.2版。(1995)Aspen.

に見られるように1990年代からではなかろうか。いいかえれば、看護における「全人性の喪失」に対する危機意識がこのような本を生んだわけであり、ここではCCU患者への「音楽的介入」などがとりあげられている。そして、Holistic のルーツがナイチンゲールのwhole-person approaches であることを指摘したのが

『慢性病への全人的看護』
☆Carolyn Chambers Clark : The Holistic Nursing Approach to Chronic Diseases.(2004)Springer.

である。また、同じ著者による

『看護婦の全人的スキル』
☆Carolyn Chambers Clark : Holistic Assertiveness Skills for Nurses. (2003)Springer.

ではインドの古医学、アーユルヴェーダ理論の利用までとりあげられいる。

看護ではなく、町医者による「全人的医療」を考える上で重要な文献は

『権力と病気-アメリカ医療政策の失敗と病根』
☆Daniel M. Fox : Power and Illness -The Failure and Illness of American Health Policy.(1993)Univ. of California Press.

であり、ここで開業医を主なメンバーとする同志的医師による「1895年の医療政策」づくりが紹介されている。

1895年、ボストン、ニューヨーク、フィラディルフィア、ボルチモア、セントルイス、シカゴなどで同志的医師の会合が持たれたが「参加者は優れた医師であり、また保健や社会福祉についての指導的フィランソロピストであった。……多くは40年代であり、開業医であったが、それぞれ医学校での指導に参加し、何人かは保健局にパートで勤めていた」と書かれてある。そして、彼等によて「医療政策1895」がつくられるのだが、その骨子は、第1に基礎医学の研究の推進、第2に住民のための病院づくり、第3に医学教育の改革であった。

これは医療における全人性やケアの継続性を確保した上で医療技術の進歩に対応する試みであり、アメリカのオープン・システムの病院を理解する上での重要な節目といえる。

看護を分解させるもの

この「政策」が出されたころ、アメリカの看護婦の90%は「全人的」Private Duty Nurse や訪問看護婦であり、病院看護婦は10%に過ぎなかった。

病院看護婦の数がホームケア看護婦の数を上廻るようになるのは1930年代だが、この時期には医師の専門医化も同時的に進行していた。1930年代に多くの専門学会が設立され、医師代替的な医療技術職や事務・管理職も登場するようになった。

開業医の専門医化と専門医グループによるグループ・プラクティスが盛んになるのもこの時期であり、病院看護では、いわゆる正看(RN)と看護助手との分化、さらに医師の領域に踏みこんだ仕事をするナース・プラクティショナー(NP)が求められるようになった。そして、第2次大戦における看護職員の短期・大量養成に対する戦後処理のよう形で、正看、准看、助手の三層構造ができあがるのである。

これらの経過を示した文献は、看護書を中心に極めて多いので、新刊書を数点挙げるにとどめる。

『NPの業務の法的ガイド』
☆Carolyn Buppert : Nurse Practitioner’s Practice and Legal Guide.2版(2004)Jones & Bartlett.

『家族NP』
☆Joan Zerwekh 他: Family Nurse Practitioner.2版.(2004)Saunders.

『看護マネージャーの生き残りガイド』
☆T. M. Marell : The Nursing Manager’s Survival Guide.3版.(2004)Mosby.

グローバリゼーションと「全人性」の喪失

アメリカの准看(LPN,LVN)養成施設一覧にプエルト・リコまで含まれていることに象徴されるように、カリブ諸国からの移民看護職員は多い。また、RNがバイリンガル・ナース(英語とスペイン語、ポルトガル語、中国語……)をつとめなければ看護チーム内のコミュニケーションは成り立たなくなっている。つまり、下働きの病院職員は英語がわからない、ということである。

『1898年の戦争とグローバリゼーション』(第7回で紹介)では、米西戦争がグローバリゼーションの起源とされている。カリブ諸国からフィリピンまで、スペインの勢力圏をそっくり奪いとった米西戦争がグローバリゼーションなら、それは「地球帝国主義」と訳すべきだろう。

新しく支配下におさめた国の労働力を安く買い叩きながら代替させることによって、看護労働、医療労働はバラバラにされつつあるが、人間自体もパーツ化されつつあることを示したのが

『医療政策』
☆Thomas A. Shannon 編: Health Care Policy.(2004)A Sheed & World Bank.

で、ここではインドにおける「腎臓売り」の動機を統計的に示したものが紹介されている。

このようにして喪失した「全人性」を回復させる手がかりをどこに求めるべきだろうか。

ブルジョア的「全人性」ではなく今日の市場経済のなかで「全人性」を確保し、全人性確保に必要な道具立てをすべて市場を通じて購入するのであれば、それは必然的に「ブルジョア・全人的医療」にならざるを得ず、金のある人にとってだけ可能ということになる。いいかえれば、「市民革命」の「市民」が持っていたブルジョアという一面だけが生かされてしまうことになる。

「全人的ケア」は金がないが「参加」という志を持った人たちに保障されるものでなければならない。そして、このことによって「ブルジョア・全人的ケア」が克服されるのではないか。つまり、「ブルジョア・全人的ケア」ではなく、「非営利・協同型」全人的ケアの追求である。それは、先進国型「非営利・協同」から「アマゾンの森」型非営利・協同まで含む「自然」と「人間の自然」を視野に入れたものでなければならず、単に先進国モデルを探しにいくことであってはならない。

これは極めて難しい課題ではあるが、なにかヒントを提供してくれそうな新刊書を挙げれば次のようになる。

『過剰投与・アメリカ』
☆John Abramson : Overdosed America-The Broken Promise of American Medicine.(2004)Harper Collions.

『反資本主義』
☆Simon Tormey : Anti-Capitalism.(2004)Oneworld.

『タダの経済学』
☆Frank Ackerman 他: Priceless -On Knowing the Price of Everything and the Value of Nothing.(2004)The Newpress.

『農に学ぶ』(第8回で紹介)

『健康と地域デザイン』
☆Lawrence D. Frank 他: Health and Community Design.(2003)Island Pess.

『社会支援と身体的健康』
☆Bert N. Uchio : Social Support and Physical Health. (2004)Yale Univ. Press.

『保健と地方自治体との連携』
☆Stephanie Snape 他編: Partnerships between Health and Local Goverrment. (2004) Frank Cass.

『計画と社会科学人間的アプローチ』
☆Gerald A. Guterschwager : Planning and Social Science.(2004)Univ. Press od America.

森を切り倒せばGDPにカウントされ、伐採に反対すれば投獄されるという政治、「土」をダメにするアメリカ農業が、「土」を大事にする農業を価格の面で圧倒した歴史、これらをふまえた上で、「全人的ケア」の前提条件を考えなければならない。もし、自然破壊に手をかした上での社会保障要求であるならば、それは途上国の貧困という吸音板に消されて犬の遠吠えにしかならないだろう。「全人的ケア」の歴史はグローバルな連帯における「ふんばりどころ」を示唆してくれるのではないだろうか。

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