総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻193号)』(転載)

二木立

発行日2020年08月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

1.論文「『骨太方針2020』の社会保障・医療改革方針をどう読むか?」を『日本医事新報』2020年8月1日号に掲載します。本「ニューレター」194号(2020年9月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。

2.新著『コロナ危機後の医療・社会保障改革』(勁草書房)を2020年9月に出版します。
序章 新型コロナウイルス感染症と医療改革
第1章 経済産業省主導の予防医療推進策の複眼的検討
第2章 日本の病院の未来と地域医療構想
第3章 地域包括ケアと地域共生社会
第4章 「全世代型社会保障改革」関連文書を複眼的に読む
第5章 医療経済・政策学の基礎知識と論点
終章 私の「医療者の自己改革論」の軌跡


1. 論文:第二次補正予算の「医療・福祉提供体制の確保」策の評価と経営困難な医療機関への財政支援のあり方

(「二木教授の医療時評」(182) 『文化連情報』2020年8月号(509号):18-23頁)

はじめに

新型コロナウイルス感染症(正式名称はCOVID-19。以下コロナ)対策を柱とする2020年度第二次補正予算(一般会計で31兆9114億円。財源は全額国債)が6月12日成立しました。安倍晋三首相はそれを閣議決定した5月17日、医療提供体制や検査体制の充実を重要な柱に位置づけ、「2兆円を超える予算を積み増した」と説明しました。厚生労働省分は4兆9733億円で、そのうち2兆7179億円(54.7%)が「ウイルスとの長期戦を戦い抜くための医療・福祉の提供体制の確保」に充てられています。本稿では、これの複眼的評価を行ないます。併せて、直接コロナ患者の診療は行っていないが、患者減少等のため経営困難に陥っている一般の医療機関への経営支援の必要性と方策についても検討します。

巨額の予備費は財政民主主義を形骸化

その前に、第二次補正予算自体の問題点を指摘します。最大の問題は、10兆円(予算の31.3%)もの「予備費」が計上されていることです。これに、20年度当初予算中の5000億円と第一次補正予算中の1兆5000億円を加えると、総額12兆円となります。ちなみに過去最大の予備費は、リーマンショック(世界金融危機)直後の2009年度当初予算の1兆円であり、今年度の予備費総額はなんとその12倍です。

このような巨額の予備費は、国の財政運営は「国会の議決に基づく」と定める憲法83条の「財政民主主義」を形骸化するものと言えます。予備費は憲法87条で「内閣の責任で支出することができる」とされ、国会の事後承諾が定められています。しかしこれは83条の例外的位置づけであり、10~12兆円という巨額の予備費は、同条の趣旨を逸脱しています。今後、野党の追及を避けるために、二次補正を編成せずにすませて会期延長を避け、当分臨時国会も召集しないとの思惑がうかがえます。

この点については、自民党の石破茂元幹事長も「使途に国会審議を経る必要のない予備費10兆円は財政民主主義の観点から議論の余地がある」と指摘し、土居丈朗慶應義塾大学教授(財政学)も「追加の対策が必要になれば第三次補正予算案として国会審議するのが通常の対応だ。巨額の予備費を計上する前例を作ると将来に禍根を残す」と批判しています(「日本経済新聞」6月3日朝刊)。

第一次・第二次補正予算には、中小零細企業の倒産防止や雇用維持の柱とされる「持続化給付金事業」(一次・二次補正合計4兆2576億円)を769億円で事務受託した「サービスデザイン推進協議会」がそれの97%分を広告大手電通に再委託していたことや、「Go Toキャンペーン」(一次補正1兆6794億円)の事務委託費の上限が総事業費の18.4%の3095億円に設定されていること等、不透明な問題が少なくありません。しかも第二次補正予算は、10兆円の予備費を除けば、ほぼ半分が経済産業省の事業であり、経産省主導と言われる安倍内閣の性格が如実に表れていると言えます。

「医療・福祉の提供体制の確保」策は画期的だが…

次に厚生労働省分の第二次補正予算中の「ウイルスとの長期戦を戦い抜くための医療・福祉の提供体制の確保」(以下、「医療・福祉の提供体制の確保」)2兆7179億円の中身を検討します。なお、財務省資料では、「医療提供体制等の強化」は、これに「ワクチン・治療薬の開発等(2055億円。厚生労働省資料ではこれは「検査体制の充実、感染拡大防止とワクチン・治療薬の開発」に含まれる)」等を加えた2兆9892億円とされています。

「医療・福祉の提供体制の確保」の82.3%は「新型コロナウイルス感染症緊急包括支援交付金の抜本的拡充」2兆2370億円であり、これは第一次補正予算の「緊急包括支援交付金」1490億円の15倍です。このような巨額が積み増しされたことは、コロナと戦う医療機関・医療従事者への国民の支援・感謝の高まりを追い風にして、日本医師会等の医療団体が積極的な予算要求を行った成果と言えます。

「緊急包括支援交付金」には、コロナ患者を受け入れる重点医療機関の病床確保等(4700億円)、コロナ患者を受け入れた医療機関等の医療従事者・職員への慰労金(2900億円)、医療機関・薬局等の感染拡大防止策等の支援(2600億円)等が含まれます。これらは第二次補正予算で新たに追加されたものです。「空床確保料」の補助(コロナ対応の空き病床に最大30万円超を補助)と医療機関の医療従事者・職員への慰労金を最大20万円、約310万人に支給することは、史上初めての画期的施策です。

私がもう一つ画期的だと思うことは、第一次補正予算の「緊急包括支援交付金」が医療機関のみを対象にしていたのと異なり、第二次補正予算の「緊急包括支援交付金」では新たに介護・障害・子どもの3分野も対象になり、6091億円が計上されたことです(「医療」は1兆6279億円)。

他面、これらの支援はコロナ患者を受け入れた医療機関を対象としており、コロナ患者は受け入れていないが、患者の受診控え等により経営困難に陥っている医療機関への支援はほとんど含まれていません。「医療・福祉提供体制の確保」には「医療・福祉事業者への資金繰り支援の拡充」365億円も含まれますが、この額では「焼け石に水」と言えます。

一般の医療機関への財政支援が不可欠な理由

実は、コロナ患者は診療しないが、患者減により経営困難に陥った医療機関に対する財政支援に対しては、財務省サイドを中心に強い異論があります。具体的には、コロナによる減収減益は一般の事業者にも共通しているが、それに対する補償は「持続化給付金」以外にはなく、国の財政支援はコロナ患者を受け入れた医療機関に限定すべきであるとの主張です。しかし「持続化給付金」の支給要件は、「新型コロナウイルス感染症の影響により、ひと月の売上が前年同月比で50%以上減少している事業者」等、極めて厳しく、該当する医療機関はほとんどないようです。

私は、医療機関は、公私の区別を問わず、国民の健康を守るために公的役割を果たしている「社会的共通資本」(故宇沢弘文氏)であり、「医療安全保障」の視点からも、医療機関の倒産や機能低下を防ぐために、経営困難に陥っている医療機関全体に対する公的支援が必要と思います。

安藤高夫自民党衆議院議員も、6月3日の衆議院経済産業委員会で、コロナ拡大の下での医療機関や介護施設への支援の必要性について、次のように述べており、同感です。「地域の安全安心を守る意味で医療機関の継続というのは非常に重要で、(中略)経済学者の宇沢弘文先生も、医療は社会の共通資本であるということをおっしゃっています。私も、医療なくして地域経済はないと思っていますし、また一方で、経済がなくして医療はないと思います」。

コロナ拡大による医療機関の経営困難についての2つの緊急調査

日本病院会・全日本病院会・日本医療法人協会「新型コロナウイルス感染拡大による病院経営状況緊急調査(最終報告)」(5月27日公表。ウェブ上に公開)によれば、有効回答1307病院のうち、「コロナ患者入院受入病院」(339)の2020年4月の医業収入は前年同期比で12.4%減少し、医業利益率は2019年4月の+1.2%から2020年4月の-10.8%に悪化しました。「コロナ患者入院未受入病院」(864)でも、医業収入は7.7%減少し、医業利益率は+2.0%から-5.5%に悪化しました。コロナ患者数が突出して多かった東京都では事態はさらに深刻で、「コロナ患者入院受入病院」(37)の医業収入は22.1%減少し、医業利益率は-24.2%、「コロナ入院患者未受入病院」(51)でも、医療収入は12.8%減少し、医業利益率は-15.9%になり、医療経営面での「医療崩壊」寸前と言えます。

また、日本医師会「新型コロナウイルス感染症対応下での医業経営状況等アンケート調査(2020年3~4月分)(6月9日公表。ウェブ上に公開)によれば、2020年4月の入院外総点数(外来医業収入)は前年同期比で、病院(116)で5.0%減に対して、診療所(499)では17.0%減に達していました。無床診療所について診療科別に減少幅をみると、小児科の39.2%減、耳鼻科の36.6%が突出していました。診療所で特徴的なことは、減少幅は「新型コロナウイルス感染症疑い患者の受診有無別」でほとんど変わらなかったことです:「受診あり」17.9%減、「受診なし」15.7%減。
以上2つの調査結果は、コロナ患者を受け入れている病院の経営が大きく悪化しただけでなく、受け入れていない病院・診療所も経営悪化していることを示しています。そして、最近は、テレビや新聞・雑誌もこのことを大きく報道するようになっています。私が気づいた主な記事は以下の通りです:「朝日新聞」5月31日朝刊「医療担い手 待遇悪化 コロナ恐れ受診減」「毎日新聞」6月5日朝刊「コロナ余波 医師解雇 受診者減 病院経営圧迫」『AERA』6月15日号「クリニックが直面する経営危機 患者の激減と消毒・防具で赤字」「中日新聞」6月17日朝刊「コロナ禍 地域医療崩壊危機 受診控え病院収益悪化」「日本経済新聞」6月23日朝刊「病院経営、コロナが打撃 手術休止・健診中断で収入減」

しかも、日本では長年の医療費抑制政策により、医療機関の利益率はごく低い水準が続いており、コロナ等のリスクに対応できる十分な内部留保を持っている医療機関はごく限られています。そのため、経営困難に陥っている医療機関全体への公的財政支援を緊急に行わないと、今後コロナの第2波が起こったときに、医療機関の経営破綻という意味での「医療崩壊」と患者が医療機関を受診できないという意味での「医療崩壊」が同時に生じる危険があります。

医療機関への財政支援の方法と財源を考える

次に考えるべきは、財政支援の方法と財源(税・診療報酬)です。私は、この点では、自民党新型コロナウイルス対策医療系議員団本部(以下、議員団本部)が5月18日にとりまとめた「新型コロナウイルスに伴う医療提供体制等への補正予算額について」(総額約7兆5213億円)の「③診療報酬による補填(減収補償・休業補償)」約3兆522億円に含まれる「コロナ非対応病院における減収補償」に注目しています。そこでは「前提条件」として、「減収の割合としては、3割減と仮定」し、「減収額のうち約8割を補償」し、その期間は3~8月の6か月としています。その上で、医療法人立病院のデータを用いた「計算式」で、減収補償を総額1兆2964億円としています。コロナ対応診療所および非対応診療所、歯科診療所についても、同様の「前提条件」、「計算式」を用いて、減収補償をそれぞれ約1兆544億円、約5604億円と算出しています。これらは「医療版持続化給付金」と報じられました(「メディファクス」5月20日)。

日本医師会も同じ5月18日に発表した「第二次補正予算に向けた医療機関等の支援について」(総額7兆5213億円)に「感染経路が不明な新型コロナウイルス感染患者が発生している状況において、地域の通常の医療の確保の支援」として、上記議員団本部と同額の約1兆2964億円と、医療・介護施設の従業員がコロナに感染した場合、労災保険の事業主負担分を補償する民間保険創設の補助1410億円を求めていますが、その算出根拠と財源は示していません。

私は議員団本部の上記「前提条件」と「計算式」は説得力があると思いますが、その財源として診療報酬をあげていることには賛成できません。なぜなら、補償を診療報酬引き上げで賄うと、患者負担も上がり、患者の医療機関離れが加速する危険があるからです。

私は、緊急措置として「予備費」10兆円を活用すべきと思います。予備費のうち2兆円は、麻生太郎財務大臣の6月8日の財政演説で「医療体制強化」に充てられるとされているのでそれを用い、それでも不足する場合は使途未確定の予備費5兆円の一部を用いるべきと思います。横倉義武日本医師会会長(当時)も厚生労働大臣への要望書「医療機関等へのさらなる支援について」(6月9日。「日医オンライン」にアップ)で、第二次補正予算で計上された10兆円の予備費のうち、「医療提供体制等の強化に充てられる」ことが決まっている約2兆円に加えて、「使途の定まっていない残り5兆円の予備費も医療機関等、医療へのさらなる支援に充て」るよう求めています。

今後、コロナによる患者減が長期化した場合の医療機関の支援では、租税に加えて診療報酬も活用すべきと思います。この点については、神奈川県保険医協会・政策部長談話「日本の医療提供体制を守るため診療報酬の『単価補正』支払いを求める」 (6月3日。ウェブ上に公開)中の以下のアイデアが注目に値します。それは、今後も患者減少が続き、2020年度の保険診療費が、2020年度予算の想定額を下回った場合、「時限的特例的」措置として、対前年比の減額分の逆数値補正を行い、現在10円の1点単価を引き上げるというものです(例:前年度の2割減になった場合、1点単価を10円×10/8=12.5円と補正)。診療報酬の請求金額の速報値・暫定値は診療翌月には判明するので、これにより迅速な対応が可能です。この「単価補正」では患者負担は1点10円のままとするので、「点数引き上げ」時のような患者負担の増加はありません。また、新規財源・新たな補正予算も不要で、財政中立的であるため、診療側・保険者側の合意は可能と神奈川県保険医協会は主張しています。

横倉日本医師会会長(当時)も、5月27日の記者会見で、「将来的には単価の引き上げを検討すべきだ」との見解を示しています(「メディファックス」5月28日)。

おわりに

以上、第二次補正予算中の「医療・福祉提供体制の確保」策を高く評価しつつ、それに加えて、コロナにより経営困難に陥っている医療機関全体に対する財政支援を行う必要があることを指摘し、その方法について述べてきました。私は、自民党新型コロナウイルス対策医療系議員団本部と神奈川県保険医協会の2つの提案に注目していますが、両者ともまだ「アイデア」レベルにとどまっています。しかし、「医療・福祉の提供体制の確保」は安倍内閣のコロナ対策の重要な柱となっており、しかも最近は、医療機関全体の窮状が広く報道され、国民の理解も得られつつあります。そのため、今後、医師会を中心とする医療団体が「エビデンスに基づく」要求をまとめれば、経営困難に陥っている医療機関全体への財政支援が実現する可能性は少なくないと私は期待しています。

本稿では、紙数の制約と私の能力不足により、医療機関への財政支援のあり方に限定して論じましたが、同じロジックは介護・福祉施設に対する財政支援にもほぼ当てはまると思います。介護・福祉の事業者団体が、上記2団体の提案も参考にしながら、経営危機突破のための具体的提案をまとめることを期待しています。なお、「新型コロナ感染に求められる介護施策」については、結城康博淑徳大学教授が包括的に提案しているのでお読みください(『社会保険旬報』5月11日号:14-17頁)。

【補論】病院経営に「余裕」を持たせるための診療報酬改革

本稿では、医療機関が直面している経営困難を解決するための短期的な対策のみを述べました。しかし、中期的な対策も必要です。私は本連載(182)では、今後の地域医療構想の見直しでは、「ある程度余裕を持った病床計画(特に高度急性期・急性期病床)が立てられるようになる」と予測しました。そして新しい病床計画が実効性を持つためには、それを裏付ける診療報酬改革も不可欠です。

私は、「余裕」という点では、「地域医療構想」で2025年の必要病床数を推計する際に、高度急性期病床の病床利用率を75%、(一般)急性期病床のそれを78%に設定したことは、結果的に極めて適切だったと考えています。実は私は、2015年にこの数字をみたときは、現実の数値よりずいぶん低いと感じたのですが、今回のコロナ危機を踏まえると、この程度の病床利用率の「余裕」があれば、危機が突発しても十分に対応できると思いいたりました。

しかし、現在の診療報酬では病院は90~95%の病床利用率を維持しないと、黒字にならないような構造になっています。今回のコロナ危機では、患者の7割を公立・公的病院が受け入れたと吉田学医政局長は報告しています(2020年6月9日衆議院厚生労働委員会)。私は、その理由は、コロナ患者を受け入れやすい高機能病院では公立病院の割合が高いだけでなく、公立病院の病床利用率が民間病院よりも低く、結果的に患者を受け入れる「余裕」があったためでもあると、推察しています。

そのために、今後の重要課題は、「医療安全保障」の観点から、地域医療構想が前提としている上記病床利用率でも十分に経営が成り立ち、適正利益(概ね5%)が確保できるような入院の診療報酬を設定することです。そうすれば、ふだん90%程度の病床利用率を達成している病院はそれなりに「内部留保」を積み上げることができ、今回のように患者の受診控えが突発しても、経営危機に陥ることはないと思います。

[本稿は『日本医事新報』2020年7月4日号に掲載した「第二次補正予算の『医療・福祉提供体制の確保』策をどう読むか?」(「深層を読む・真相を解く」(99))に加筆したものです。]

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2. BuzzFeed Japanインタビュー

(2020年7月4-5日公開。聞き手・岩永直子氏)
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-niki

1回:医療界には「弱い追い風」 医療経済学者が新型コロナの影響を前向きに捉えるわけ

新型コロナウイルスへの対応で、医療現場も大きな影響を受けました。100年に一度とも言われるこの疫病のインパクトはどれほどあったのか。医療経済学者の二木立さんは意外にも前向きな評価をしています。

新型コロナウイルスの流行で、通勤、通学、人付き合い、イベントなど私たちの生活は一変した。中でも大きな打撃を受けたのは医療だ。医療者は自らが感染するリスクを引き受けながら必死で診療にあたり、感染者を診ない医療機関では受診控えが起きて経営が圧迫されている。100年に一度とも言われるこの疫病によって、私たちの健康を守る医療体制はどれほどのダメージを受けたのか。

医療政策や医療経済が専門の研究者で医師の二木立さんは、「中期的には、新型コロナは日本の医療の『弱い追い風』になる」と前向きな評価をしている。

いったいどういうことなのか。再び東京でじわじわ感染者が増える中、二木さんにお話を伺った。

※インタビューは6月29日午後、対面で行い、その時点での情報に基づいている。

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コロナ対策の反省から保健所の機能強化と病床削減の見直しへ

ーー新型コロナウイルスの流行は、日本経済にも医療体制にも大きなダメージを与えました。それにも関わらず、二木先生が医療に対して「弱い追い風になった」(※1)と前向きに評価されたことは驚きました。

コロナ問題が日本経済に重大な影響を与えることは確実で、それによるGDP(国内総生産)の落ち込みは2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災を上回ることは確実視されています。これが医療・社会保障の長期的な財源確保に重大な障害になることは確実です。

しかし、国民意識の変化という面では、非常時における医療の役割・重要性が広く理解されたことも見落とせません。

保健所と医療機関・医療者の献身的な活動と「医療崩壊」の危機が連日のように報じられたため、国民はコロナの危険と保健・医療の重要性、国民皆保険制度の大切さを「肌感覚」で実感するようになりました。

東日本大震災後に高まった国民の「社会連帯意識」は残念ながら長続きしませんでしたが、このような「肌感覚」は相当長く続くと思います。

そのため、コロナ問題が収束した後に、政府が緊縮財政に転換しても、従来の厳しい医療費抑制政策を復活・強化すること、少なくとも医療費(伸び率)の厳しい抑制目標を設定することは極めて困難になると予測します。

ーーむしろ新型コロナ対策での反省で、縮減傾向にあった医療提供体制計画が大きく見直されるだろうと予測していらっしゃいますね。
まず、今回のコロナ対策の第一線を担った保健所の機能強化が図られると思います。

保健所数は、1994年の848か所から2019年の472か所へとほぼ半減しています。それが保健所がコロナ対応を迅速に進める上で重大な障害になったことは広く報じられています。

2025年時点での医療ニーズを推計し、医療機能ごとに必要病床数を定めた「地域医療構想」についても、見直しが図られると思います。

現在の構想の「2025年の医療機能別必要病床数」には感染症病床が含まれていませんが、それが加えられるのは確実です。感染症病床は2000年の2396床から2017年の1876床に減少していますが、新たな感染症の発生に備えて、病床数の大幅増加が図られると思います。

また、高度急性期・急性期病床の大幅削減の見直しが図られるでしょう。諸外国に比べて少ないICU(集中治療室)の大幅拡大は必須となります。

その関連で、病床削減の大きな柱とされてきた公立病院の統廃合計画も大幅な見直しがされると考えます。公立病院の統合による機能強化は今後も進められると思いますが、それとセットで計画されている病院の廃止・病床削減は相当見直されるはずです。

効率一辺倒で余裕のない地域医療構想のスタンスが見直され、様々な大災害にも迅速に対応する「医療安全保障」という視点から、各都道府県および全国で、ある程度余裕を持った病床計画が立てられるようになると思います。

コロナで病院には「余裕」が必要だという教訓

「余裕」という点では、私は「地域医療構想」で2025年の必要病床数を推計する際に、高度急性期病床の病床利用率を75%、(一般)急性期病床のそれを78%に設定したことは、結果的に極めて適切だったと考えています。

2015年にこの数字をみたときは、現実の数値よりずいぶん低いと感じたのですが、今回のコロナ危機を踏まえると、この程度の「余裕」を持っていれば、危機が突発しても十分に対応できると思いいたりました。

しかし、現在の診療報酬では病院は90~95%の病床利用率を維持しないと、黒字にならないような構造になっています。

今回のコロナ危機では、患者の7割を公立病院が受け入れたと吉田学医政局長も認めています。

その理由は、コロナ患者を受け入れやすい高機能病院では公立病院の割合が高いだけでなく、公立病院の病床利用率が民間病院よりも低く、結果的に患者を受け入れる「余裕」があったためでもあると、私は推察しています。

そのために、今後の重要課題は、「医療安全保障」の観点から、地域医療構想が前提としている上記病床利用率でも十分に経営が成り立ち、適正利益(概ね5%)が確保できるような入院の診療報酬を設定することです。

そうすれば、ふだん90%程度の病床利用率を達成している病院はそれなりに「内部留保」を積み上げることができ、今回のように患者の受診控えが突発しても、経営危機に陥ることはないと思います。

政府の新型コロナ対策「遅かった」

ーー 新型コロナに関する経済対策が日本は遅かった、不十分だったという議論があります。帝国データバンクによると、新型コロナ関連の倒産は6月25日現在で285件。厚生労働省によると、解雇や雇い止めは6月4日時点で2万450人に上りました。経済状況の悪化は医療へのアクセスにも影響すると考えられますが、「バラマキ政策」と批判された特別定額給付金も含めて国の新型コロナ対策支援についてどう評価されていますか?

私は、日本政府・安倍晋三内閣の経済対策だけでなく、医療機関への支援策も遅かったと思います。せめて、6月12日に成立した「第二次補正予算」規模の対策を4月30日に成立した「第一次補正予算」に盛り込むべきだったと考えます。

特に医療機関に対する緊急包括支援金は、第一次補正では1490億円にすぎなかったのが、第二次で2兆2370億円と15倍になりました。

「特別定額給付金」は複眼的に考える必要があります。「バラマキ」とか「総花的」という批判がありましたが、全国民に半強制的に自粛生活を求めたことに対する補償と考えれば、必ずしも「バラマキ政策」とは言えません。

逆に当初の閣議決定通り、一部の低所得者に対する30万円の給付金に限定していたら、国民の分断が生じ怒りが爆発した危険があります。これは政治的理由です。

経済的理由としても、国民の消費の喚起につながると思います。GDPの縮減がこれによって少しは緩和できると思います。

2009年のリーマンショックの時の定額給付金は、一人1.2万円で、お年寄りや18歳未満の子どもには8000円が加算され、2万円が給付されました。しかし、財務省の公式の推計では、実際に消費されたのは25%でした。

今回は金額が5~8倍ですし、国民の生活困窮度も2009年より進んでいますから、消費を喚起する経済的な理由があると思います。

私は全国民に10万円を支給した上で、低所得の人にはそれに加えて、原案にあった30万円を給付するのが妥当だと考えています。

新型コロナでの社会的な連帯意識は弱い

ーーコロナに感染する不安は国民全体に広がったものの、東日本大震災の時と比べ、社会連帯意識が強まったとは必ずしも言えないということですが、どのような現象を指しておっしゃっていますか?

東日本大震災の時は、被災者が地域的に限定していて、なおかつ、被災の時期が固定していました。

しかも被災者の冷静な行動が、日本だけでなく世界的にも大きく報道されたため、「安全地帯」に置かれていた被災地以外の国民は、被災者への社会連帯意識が強まったと思います。

その一つの現れで、多くの国民がボランティアに参加しましたね。私は当時、日本福祉大学の副学長でしたが、震災直後から大学で学生ボランティアを募って、支援を継続しました。

被災者のお役に立っただけでなく、ボランティアに参加した学生の意識がものすごく高まりました。

ただし、それは宮城と岩手の話です。震災により東京電力第1原発事故が起きた福島の県民や福島産の作物に対する偏見と差別はすごく強かったことも見落とせません。

それに対して今回は、全国民がコロナにかかる危険・恐怖を持っています。

「うつさない、うつらない」が合い言葉になったことに象徴されるように、個人の自己責任が対策の全面に出されました。

震災の被災者は「自己責任」を誰も取れるはずがなかったのです。今回は、個人の予防策が過度に強調され、「自己責任」が全面に出されています。支援の対象は医療機関に限定されて、ボランティアもしようがありません。

だから「明日は我が身」のような意識で、社会連帯意識は強くなりません。逆に、コロナ感染に対する恐怖心から、コロナ患者に対する偏見や差別が広く生じたと思います。

恐怖心を煽った日本政府、専門家への批判

その極端な現れが、残念なことに一部で生じた、コロナと戦う医療関係者に対する偏見や差別でした。「自粛警察」もそうだと思います。

この点に関して私が指摘したいのは、このような恐怖心を極度に強めた一因は、「何も対策を取らなければ42万人が死亡する」という専門家の発信と、それを無批判に報じた新聞やテレビの報道だということです。

私は、専門家会議の委員の不眠不休の奮闘には頭が下がる思いですが、42万人死亡説は煽り行為、あるいはショック療法としか思えません。

ーー北海道大学の西浦博先生の死亡者予測ですね。西浦先生は危機感を強めるためにあえて公表したとおっしゃっています。

運動家や政治家がショック療法を取るのはまだ許容範囲です。

しかし、研究者は事実に基づいて冷静に発言しなければなりません。特に、不確定な事象に対しては、複数のシナリオを示すべきです。「地獄のシナリオ」のみを示して、確信犯的に煽り行為やショック療法をやることは許されません。

それに加えて、安倍首相の対応がずいぶん遅れました。習近平氏の訪日の問題、オリンピック開催の問題があり、2ヶ月以上対策が遅れたと思います。

その遅れを挽回するために、エビデンスもないし、法的な裏付けもなく、専門家会議も提案していなかった、小中高校の一斉休校を突如「要請」しました。

一斉休校はその後、日本小児科学会も批判しています。当時はともかく、今ならコロナの死亡率は若者とお年寄りでは100倍ぐらい違うことがはっきりしています。一斉休校は、「42万人死亡説」とともに、国民にコロナに対する過度の恐怖心を植えつけたと思います。

私自身は、マスク着用や手洗いの徹底、「三密」を避けることや「ソーシャルディスタンシング」にはエビデンスもあり理解できます。コロナが流行した当初は、WHOも海外の研究者もマスクの効果を否定していましたが、今は方針を転換しています。

ーー限定的にですね。感染しないためでなく、自覚症状がない時に感染させないためにつけるとしています。

私もそれらを励行しました。

しかし、「外出8割削減」とした目標の根拠は示されず、行き過ぎだったと思います。ソーシャルディスタンシングや人との接触制限はわかる。しかし、それを「外出8割削減」につなげるのは論理の飛躍だと思います。

3密の典型とも言えそうな通勤電車でも、報じられている限りではクラスターは発生していません。

ーーただ、8割削減の根拠はメディアに説明されていましたし、満員電車も喋らないからリスクは低いだろうと専門家はずっと話し、私も書いてきました。メディアがきちんと伝えきれていなかった責任もありそうです。

藻谷浩介氏のレポート(※2)が面白かったのですが、人口密度と感染の蔓延度は相関すると思いきや、「外れ値」である東京を除けば、相関はないのです。

例えば、私の住んでいる名古屋市の人口密度は全国平均より遙かに高いのですが、感染の蔓延度は全国平均以下です。外出自粛などが医学的にどのような意味があったのか検証する必要があると思います。これは、今後の感染の第2波に備えた対策を立てる上で不可欠です。

病床増加は平時でのコストにならないか?

ーー話を戻します。コロナ対策の反省で、病床削減方針を見直すとしても、病床増加は平時にはコスト増になることも予想され、国が進めてきた在宅医療への転換とも矛盾する可能性があります。これについては、平時はどのように運用すべきで、「病院から在宅へ」という在宅推進政策とどのように整合性を取るべきだと考えられますか?

今後求められているのは「病床増加」ではなく、「地域医療構想」における総病床(一般・療養)の削減計画の見直しと、感染症病床の増加です。感染症病床は全体から見れば少ないですから、それで全体の病床増加とはなりません。

そもそも、地域医療構想による病床削減にも医療費抑制効果はほとんどありませんし、厚生労働省もそれを主張したことはありません。

逆に、複数の公立病院の統合で病院機能を高度化した場合には医療費は増加します。

その実例もあります。

例えば、山形県の酒田市を中心とする庄内二次医療圏では、県立病院と市立病院の統合で高度・急性期医療の比重を高くして、入院単価が4万円から7万円に増えました。外来単価も9000円から1万5000円に増えたのです。

経常収益は100億円から201億円に倍加しています。病床数は2病院の928床から760床にだいぶん減らしたのです(※3).

地域医療構想は病院機能を高めるというのが大義名分なのですから、それを素直に実行すれば医療費は増えるわけです。

「在宅医療への転換」は幻想で、コロナ以前からほとんど進んでいませんでした。そもそも、病院医療・施設ケアと在宅医療・在宅ケアは対立物ではなく、補完的です。

なおかつ、在宅医療を進めることによって、医療・福祉費は減らせないということは学問的に結論が出ています。

財源をどうするか 増税? 診療報酬の見直し?

ーー医療体制の強化を図るにしても、財源が必要です。財源確保策として、消費税だけでなく、租税の多様化を唱えられています。ただし、大幅な増額は難しいとして「弱い追い風」という表現を使われていますが、コロナで生活が逼迫している国民にこの「増税」を前提とした対策は理解されるでしょうか?

財源の問題は、「短期」(1年以内)と「中期」(概ね5年程度)に分けて考える必要があります。

まず短期的に、当面は、第二次補正予算中の「予備費」を使ったらいいのではないかと思います。医療分に使うことが決まっている2兆円がありますし、使途が未確定の5兆円がありますからこの一部を使うということです。

これは出すことが決まっているのですから、当座は国民負担が増えるわけではありません。もちろん将来世代の負担増は別の話ですよ。

コロナ収束後も患者の受診控えが続き、保険診療費が2020年度予算で想定していた額を大幅に下回った場合は、神奈川県保険医協会が提案している、診療報酬の「単価補正」支払いを考えるべきです。

これは、2020年度予算の想定額を下回った場合、「時限的特例的」措置として、対前年比の減額分の逆数値補正を行い、現在10円の1点単価を引き上げるというものです(例:前年度の2割減になった場合、1点単価を10円×10/8=12.5円と補正)。

過去にこうした特例措置は取られたことはありませんが、昔は今と違って1点10円に固定されていませんでしたから、その意味ではもともとやっていたこととも言えます。

予備費を使うにしても、診療報酬を使うにしても、いずれの場合も患者・国民の個人負担は増えないし、「増税」にもなりません。

ただし、以上は短期、せいぜい1年程度の話です。

中期的には、租税財源の多様化に加えて、「コロナ復興特別税」の導入も検討すべきと考えます。

ある新聞社の世論調査によると、コロナの感染拡大に対して、政府に優先的に強化してほしい対策として最も多かった声が「医療提供体制の整備」だったそうです。

おっしゃる通り、増税は厳しいと思いますが、以前に比べると、国民の理解は相対的に得やすくなっていると期待しています。

何より、医療機関の経営困難についての新聞報道が続いています。

かつてジャーナリズムでは、医療機関が儲けすぎだという報道が主流でした。それに対して、今回は、医療機関がコロナに対して頑張っているという報道に加えて、医療機関がコロナ患者を受け入れていないところも含めて経営困難に陥っている、ことを報道していることに私は注目しています。

医療現場への慰労金は画期的

ーー補正予算では、「医療・福祉の提供体制の確保」という項目で現場で汗をかく人たちへの慰労金が支出されています。医療現場のモチベーションを高める支出を高く評価されていますが、実現した理由は何だと考えられますか? 過去の災害などでこうした慰労金がつくことはなかったのでしょうか?

コロナと戦う医療機関・医療従事者への国民の支援・感謝の高まりを追い風にして、日本医師会等の医療団体が積極的な予算要求を行った成果だと思います。少なくとも全国レベルでこうした給付が行われるのは史上初めてです。

コロナと戦う医療従事者についても、それに伴う国民の支持の高まりについても、ジャーナリズムが大々的に報道しましたね。

東京だと、航空自衛隊が医療従事者に感謝を表すためにブルーインパルスを飛ばしました。マスコミの論調が全然違いましたね。

医療団体の要求を受け止めた、与野党の医系議員の活躍も大きかったと思います。

国会の質疑を見ると、医療機関への財政支援を一番強調したのは共産党だと思います。ただし、その方法について具体的提案はしていません。

それに対して、「自民党新型コロナウイルス対策医療系議員団本部」の提案は特筆に値するものでした。「コロナ非対応病院における減収補償」として、「減収の割合としては、3割減と仮定」し、「減収額のうち約8割を補償」し、その期間は3~8月の6ヶ月としています。

神奈川県保険医協会の提案と並び、優れた提案だったと思います。

ーー東日本大震災などでも医療従事者の献身が日々話題になりましたが、今回は何が違ったのでしょうね。

震災は東北だけでしたからね。今回は全国が苦しんでいます。その違いだと思います。

ーー一方で、患者減によって経営困難になった医療機関への支援の必要性を訴えられています。医師の働き方改革や医療のかかり方の見直しも同時に進められているなか、不要不急な受診の抑制に繋がったのではないかという評価もなされています。必要な人の受診抑制があってはならないですが、これらの施策への影響についてはどのようにお考えですか?

今の局面で大事なのは、コロナに対する不安や、医療体制が整わないという理由で、本来受けるべき医療が受けられなくなったことです。それが主たる問題です。

私はコロナが「不要不急な受診につながった」的なショック療法的な見方には与しません。政治家や運動家なら許容されるかもしれませんが、理性と事実に基づいて判断すべき研究者がショック療法を使ってはいけません。後の被害が大きくなりますから。それが私の研究者としての信念・矜持と経験則です。

(続く)

【引用文献】

第2回:「コロナで社会は大きくは変わらない」 「100年に一度の危機」が度々訪れる時代にどう備えるべきか

「ポストコロナという言葉は使わない」という医療経済学者、二木立さん。「100年に一度の危機」が度々訪れる時代に、私たちはどのように備えるべきか伺いました。

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「100年に一度の危機」「ポストコロナ」「新しい生活様式」「ニューノーマル」と、世界が一変したかのような不安を感じるが、その見方は正しいのだろうか?

医療経済学や医療政策が専門の日本福祉大学名誉教授の二木立さんに歴史を踏まえた分析を伺った。

※インタビューは6月29日午後、対面で行い、その時点での情報に基づいている。


「治し、支える医療」に転換できるか

ーー先生はかねてから、「キュアからケアへの転換」等と主張し、急性期医療の重要性を軽視する研究者に批判的です。今回の新型コロナの対応で、「治し、支える医療」への転換が求められていると強調されていますが、詳しく教えてください。

「これから高齢社会だから、治すより支える医療が重要だだ」、「キュアからケアへの転換が必要だ」という主張が多く聞かれてきました。

でも、コロナという「生きるか死ぬか」の問題を前にして、治すことも避けて通れないことがはっきりしました。ケア一辺倒の主張は一気に説得力を失ったのです。

「治し、支える医療」への転換は私の個人的主張ではありません。

もともとは、「社会保障制度改革国民会議報告書」(2013年)で提起され、現在は政府・厚生労働省の公式方針になっています。2016年度の診療報酬改定の基本方針等でも用いられているし、「地域医療構想」もそれに沿って立てられています。

地域医療構想というと必要病床数の推計に目がいきがちですが、それとワンセットで介護施策や高齢者住宅を含めた在宅医療で対応する患者数の推計もしています。

厚生労働白書の2016年版にもこの「治し、支える医療」が地域包括ケアの説明として入っています。

医療・福祉関係者や慢性期医療を担う人の中には、「急性期はキュア(治療)だ。慢性期医療や終末期の段階ではケア(支える医療)だ」と、二項対立的に理解している人もいます。

しかし、治す医療と支える医療は、程度の差はあるものの、急性期でも慢性期でも、常に両方必要とされているものです。

救急医療などでは「治す」ことが全面に出ますが、支える医療も必要です。

逆に終末期も、「支えるケア」だけでいいかと言えばそうではありません。スウェーデンなど北欧ではこの段階では支えるケアだけになると思いますが、日本の場合は、必要な時に治療もすることが国民合意となっています。

「地域包括ケア研究会2015年度報告書」も、「人生の最終段階におけるケアのあり方を模索する」という項目で、「超高齢社会においては、(中略)人生の最終段階の医療や介護のあり方を含め、『治し・支える医療』が求められている」と、社会保障制度改革国民会議報告書を肯定的に引用しています。

ーー新型コロナの医療で考えると、「治し、支える」とはどういう医療のイメージになりますか?

当然、治す医療が全面に出ますけれども、新型コロナでは1000人しか死んでいません。今、年間100万人が死ぬ時代です。急性期医療でも慢性期でも末期でも両方が大事ですが、コロナで「治す医療」が復権したと思います。

地域医療構想でも「治す医療の比重が減って、支える医療だ。治す医療はトコトン医療。支える医療はまあまあ医療だ」なんて議論がありました。

スウェーデンではコロナの前から80歳以上の高齢者、80歳未満でも合併症のある高齢患者はICUに入れない方針があります。大事なのはそれが国民合意であることです(※1)。

しかし、日本ではそんなことはしない。年齢で受けられる医療を変えたら、高齢者差別になります。新型コロナでもそういうことにはならなかったですね。

命の選別の議論 新型コロナで行うべきか?

ーーしかし、人工呼吸器をつける対象をどこまでにするかという議論はありました。私は若い人に人工呼吸器を譲るという意思表示書を作った医師もいました。命の選別の議論はあったと思います。

朝日新聞の6月23日の朝刊と夕刊に、そのテーマで真逆の記事が載っていました。(※2

田中記者の記事では、イギリス等で命の選別を試みて反対が起きてやめたと報じていますが、スウェーデンはそれがコロナ以前から行われていることには触れていない。

今まで北欧の福祉は素晴らしいと日本では報道されてきましたが、日本の基準で見れば北欧の高齢者医療は手薄なのです。この記事を含め、そのことはほとんど報道されていません。

医療資源が足りなくなれば、命の選別に賛成か反対か議論しなければならないと言う人もいますが、大事なことを見落としています。すでにそういうことをやっている国があることを見ていないのが一つ。もう一つは、長期的に見れば医療資源を増やす対策もあることを見落としていることです。

今の医療資源が将来も固定していることを前提に議論していますが、少なくとも物的な技術、薬や医療機器についてはイノベーションもありますから、それらを増やすことは可能だし、しかも増やしても費用はそれほど増えない。その典型例が人工透析です。

人工透析は1950年代にアメリカで開発されました。当初は透析機器が希望する患者に比べてはるかに少ないという深刻な状況がありました。

そこでアメリカのある病院では覆面委員会を作って透析患者の候補を議論したのです。年齢や家族構成、社会経済的条件等を考慮して、どの人に人工透析をすべきか選別していくのです。

しかし、その後、透析がどんどん普及し、1972年からは公的医療保険(メディケア)の給付対象になったために、透析を受けられる患者は急増しました。その結果、そんな命の選別の問題は消えました。

一般論で言えば、命の選別の議論は常に起き得ますが、医療政策的に考えれば医療資源を増やす選択肢もあるし、それにより物的な技術の制約の問題は解決できるのです。

ーー政府の専門家会議もそうした議論をしておくべきだと提案していました。

でも国民的な議論にはなっていないですね。医療が崩壊したら議論になっていたと思います。幸いなことにギリギリでしのぎましたね。

欧米から見れば日本は高齢患者の天国です。90歳近い高齢者がECMO(体外式膜型人工肺)が足りないので、遠くの病院に搬送したという報道もありました。スウェーデンではあり得ない。それはいい悪いではありません。日本でも、スウェーデンでも国民がそれについて合意しているのです。

経産省主導内閣であることが明らかに

ーー第二次補正予算の問題点として、予備費支出の巨額さや積算根拠が不透明なこと、議論不足であることをまず指摘されています。電通丸投げ問題や「Go Toキャンペーン」の運営事務委託費が高額との批判を受けて委託延期された問題などを指摘され、経済産業省の関与を推測されています。これは政治のどのような思惑が働いたと考えられるでしょうか?

前回のインタビューで安倍内閣の「予防偏重」の政策が、経済産業省主導であることを指摘しました。

今回の補正予算の中身を見ても、安倍内閣が経産省主導内閣であることがますます明らかになったと言えます。

今回の補正予算の中身を見ても、安倍内閣が経産省主導内閣であることがますます明らかになったと言えます。

従来と異なり、財務省が土地払い下げの「森友問題」で権威を失墜し、予算の膨張にまったく歯止めをかけられなかったことが大きい。

経産省が他省の予算まで大幅に経産省の予算に組み込んだこともあります。「Go Toキャンペーン」は観光政策で、本来なら国土交通省の所管です。経産省が主導する官邸がアイディアを出したからといって、それを経産省の所管にしてしまったのです。

しかし、経産省は、国土交通省や厚生労働省などのように現業の事業役務を行う現業官庁ではないですから、都道府県に「手足」がほとんどない。そのために、その予算を自省だけで処理できないために、経産省と関係が深い企業「電通」や団体に丸投げせざるを得なかったことは、多くの新聞が報道しています。

ーー企業に対する利益誘導の可能性がありますね。感染対策の視点で見ると、どんどん旅行に行けという「Go Toキャンペーン」はメッセージが矛盾します。わかりにくいメッセージで戸惑うのですが、先生はそのバランスをどう見ますか?

どう見ても金額が多すぎますし、今やる話ではないですよね。ただし、観光業がものすごいダメージを受けているのは事実ですから、彼らの正当な要望で実現したことはわかります。

医療機関の経営が厳しいと言っていますが、医療機関の減収は10〜20%、多いところで30%の次元です。それに比べて観光業は壊滅状態ですね。医療の場合は受診抑制ですが、観光業や夜の街は需要蒸発です。

「Go To キャンペーン」を今の段階でやるべきか医学的判断はわかりません。でも、それがおかしいとも断定はできません。

ーーそこは政治的な判断ということですね。

下請けに丸投げする、委託費が高いという手続き上の問題や不透明さは確かにあります。

でも予算自体は100%無駄とは言えません。私を含めて医療関係者はどうしても医療のことだけに目が向きがちだけれども、生活困窮という面からするとずっと大きい話だと思います。

介護・障害・子供の3分野にも予算 なぜこれまで顧みられなかった?

ーー他方、第二次補正予算の「緊急包括支援交付金」では新たに介護・障害・子供の3分野も対象になり、6091億円が計上されたことを画期的だと評価されています。高齢者施設では集団感染も発生し、重症化リスクの高い人たちのため、感染防止に力を入れる必要性が高いですが、マスクなどの支援は医療現場よりも遅れていました。逆になぜ、こうした分野はこれまで顧みられてこなかったとお考えですか?

根本的理由は、介護・福祉労働者に対する国民の、あるいは医療従事者にもある過小評価と偏見・差別意識と思います。

この点については、大阪健康福祉短大教授の川口啓子さんが朝日新聞のインタビュー記事などで詳しく述べています(※3)。
もう一つは、医師会や病院団体などの医療団体に比べた、介護・福祉の業界・専門職団体や研究者の発信力のなさが影響していると思います。

ーーなぜなのでしょうね。

介護・福祉業界は「私たちはつらい」という発信は盛んにしていますが、具体的で理論的なエビデンスに基づく要求が苦手です。自分たちの主張を政治に結びつけることも弱いですね。

研究者が論文を書く雑誌も少ないのです。医学・医療系の雑誌はほとんどが月刊ですが、福祉系の雑誌は季刊か年報がほとんどです。

それにもかかわらず今回は、福祉3分野にもお金が出た。医師会や自民党も要求したのです。私はこれを高く評価しています。

コロナで社会は大きくは変わらない 「100年に一度」が度々訪れる時代

ーー医療従事者への感謝や評価の声が聞かれる一方、医療従事者や感染者への差別・偏見が横行し、「自粛警察」が跋扈しています。社会の分断が進んだと言われていますが、こうした問題は医療経済や医療政策にどのような影響を与えると考えられますか?

その問題には、医療経済や医療政策は何の関係もありません。

私が使わない言葉に、「ポストコロナ(コロナ以後)」があります。「ポストコロナ」ということは「ビフォアコロナ(コロナ以前)」もあるということですよね。

しかし、私はコロナ以前も以後も、社会はそんなに大きくは変わらないと思います。

この点で私が非常に共感したのが、毎日新聞に掲載されたオックスフォード大学のピーター・フランコパン教授のインタビューでした(※4)。

彼は、コロナをペストと比較するのは無理だと言っているのです。よく今回のコロナの被害をペストと比較する人がいますね。だから、コロナでも世の中や世界が変わるのだと言う人たちです。

しかし、死亡者の桁数がまったく違うじゃないですか。特に日本ではコロナの死亡者は1000人いくかいかないかです。しかもこの病気は8割は短期間で完全に治ります。後遺症が残る方はごく一部です。それで世の中は変わるのですか?

ーー社会生活には結構なインパクトをもたらしていますが。

「100年に一度」の被害と言われていますね。しかし、この十数年間に「100年に一度」は3回あったんですよ。

2008年のリーマンショックも100年に一度と言われました。それから2011年の東日本大震災は1000年に一度と言われました。その度に世の中が変わると言われてきたのです。

リーマンショックの時も、新自由主義的政策は見直され、「世界は変わるんだ」と言われました。私も、当時、「新自由主義的医療改革の復活はない」とうっかり書いちゃったんですよ(笑)(※5)。その反省があります。

東日本大震災でも今残っているのは反原発意識だけですよ。政府は原発を推進したくても、国民に意識が残っているから推進できないでしょう。

経営共創基盤代表取締役CEOの冨山和彦氏もこう述べています。

約10年おきに『100年に一度の危機』が起きる時代 …私たちはこの30年間、ほぼ10年おきに『100年に一度の危機』に遭遇している。原因はそれぞれに100年に一度くらいのレアな現象かもしれないが、それぞれが10年に一度くらいの頻度で大きな危機を招来し、その衝撃は時代が進むほど、即時的かつ世界的スケールになる傾向がある。(『コロナショック・サバイバル-日本経済復興計画』文藝春秋

私は、今回のコロナ危機以前から、「100年に一度の危機」という、私から見ると逃げ口上に思える定番表現に強い疑問を感じています。

だから、将来生じる可能性がある様々な大災害(新たな感染症の発生、南海トラフ地震や首都直下型地震等の大地震、さらには富士山噴火等)にも迅速に対応する「医療安全保障」という視点を提起しています。

そのため、冨山氏の指摘に大いに共感しました。

それに対して、御厨貴さんという高名な政治学者は『中央公論』2011年5月号の「『戦後』が終わり、『災後』が始まる」で、こんなことを書いています。

(3・11は)「人智を超えたところで、人類とその文明に対する警告の意味があったととらえることができる」「戦後復興をも超える」「長かった『戦後』の時代がようやく終わり、『災後』とも呼ぶべき時代が始まる」「『3・11』からの復興はいわば神から与えられた課題であり、これに真剣に取り組まねばこの国は本当に滅んでしまうだろう。戦後社会は『最期』社会にもなりかねないことを認識し…」(中央公論「『戦後』が終わり、『災後』が始まる」

私には、最近の「ポストコロナ」論はこの「災後」論のリバイバルに思えます。

100年に一度と言っても、そんな危機は10年単位で起こっているのです。これからもそうでしょう。

私も、希望・願望としては、コロナを機に今まの利潤優先の資本主義は変わるべきだと思いますが、今までの歴史を見ても「100年に一度」が頻繁に来ても、社会・物事は大きくは変わらないのだから、コロナ後も大きくは変わらないと経験則で思います。

「民度が高い」は不正確 平等を望む意識を弱い追い風に

ーー常々、公衆衛生はリベラルな価値観と相性が悪いと思ってきたのですが、行動制限や隔離、自粛要請など、まさに自由を制限する施策が強く打ち出され、窮屈な思いをしている人が多いと思います。社会防衛としてのこうした対策の必要性と、自由や人権とのバランスについて、先生はどのようにお考えですか?

「公衆衛生帝国主義」ですね。

私も、元リハビリテーション医として個々の患者を対象とする臨床医だったので、個々の患者を診ずに「集団」のみを論じるタイプの公衆衛生研究者は昔から嫌いです。

もちろん、岩永さんのインタビューにも登場した、橋本英樹さん(東京大学)のように、臨床経験もあり、臨床医学と公衆衛生の「二本立」の優れた研究者は別です。

私は、「社会連帯(政策的には社会保障の機能強化)を重視する個人(自由)主義者」なので、今回の「外出を8割減らす」等の、根拠を示すことのない過度の自粛要請には強い疑問を持っています。

そのため、緊急事態宣言中も、外出は自粛せず、三密の予防とソーシャルディスタンシングを守った上で、日課の「速歩」(1日35分以上)と行きつけの喫茶店での新聞・雑誌読みを、毎日励行し、その喫茶店主に感謝されました。がら空きでしたからね。

その店の近くには大企業の事業所があり、コロナ以前は、昼休みのランチタイムにはそこの従業員であふれていたのです。その人たちがみんな自宅勤務になっちゃったので、潰れるのではないかと心配しました。しかし、今は、3か月ぶりでお客さんがたくさん来ています。

日本は欧米諸国と異なり、法律的な強制力や罰則を伴うロックダウンや自由の抑制は実施しませんでした。これは憲法に抵触するからだと思います。憲法の意味は大きかったと思います。

日本のコロナ対策について、安倍首相や麻生財務相は「日本モデル」がうまくいったとか「民度が高い」と誇っていますが、欧米と比べるからそう見えるだけです。

アジアの中で見ると、死亡率は日本はむしろ高めです。何が奏功したのかはわかりませんが、少なくとも「民度が高い」ことが理由ではないし言い過ぎです。

今の段階では「不思議だよね」という評価に留めるべきです。

ーー感染症対策をしている医師たちは日本の「同調圧力」が予防策の徹底に貢献したのではないかという見方を示しています。

少なくともアメリカの一部の州やヨーロッパの強制力からすれば緩いです。同調圧力かどうか。BCG説などもありますが、今の段階では「まだよくわからない」というのが一番誠実でしょう。

少なくとも「日本モデル」「民度が高い」と傲慢な国粋主義的な言い方はやめたほうがいいと思います。何が影響したかは今後検証する必要があるでしょう。

ーー日本は新型コロナでは健康格差が明らかになっていません。生活が苦しくて体を壊している人はいるかと思いますが、アメリカのように黒人層など医療にかかれない、肥満が多いなどの目に見えた健康格差は出ていないですね。

局所的にしか出ていないですね。民医連などが調べていますが、以前から、保険証がないなどで手遅れになったという事例のレベルではある。でもマスの統計では出てきません。

ただ、今回のコロナの問題でみんなが医療を受けられる体制が大事だということは国民全体に染み付いたでしょう。

そのために、今後は、貧富の差で受けられる医療を変える、国民皆保険前のようにお金持ちだけが高水準の医療を受けられるようにするなどということは、今後は誰も提起できないですよ。貧しい人も高齢者も高度な医療が受けられる。それを国民が支持したということです。

恐怖は一方で差別意識を生むけれども、逆に医療を平等に受けられる社会がいいという意識も強めた思います。そういう意味でも「弱い追い風」は医療に吹き続けると思います。

【引用文献】

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算173回)(2020年分その5:7論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○アメリカの病院は今でも「不況に強い」と言えるか?
Teasdale B, et al: Are U.S. hospitals still "recession-proof"? New England Journal of Medicine July 1, 2020, DOI: 10.1056/NEJMp2018846
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp2018846 (ウェブ上に無料公開)[評論]

アメリカの病院はしばしば「不況に強い」と言われてきた。歴史的にはこれは正しく、世界大恐慌時にも医療従事者数と総医療費は継続的に増加した。しかし、Covid-19がもたらした経済危機では状況は明らかに異なり、4月だけで140万人の医療従事者が失職した。しかし感染爆発の前から病院の費用構造が変化し、それが現在の危機を生んだことを見落としてはならない。

病院が過去の不況に強かったのは、患者が保険で守られ、包括的な給付を受けており、医療の「価格弾力性」が低かったためである。しかし、今回は状況が大きく変化している。第1に、今回は雇用喪失の規模が桁違いに大きく、4月中旬には、国民の55%が失業または賃金カットにより所得を失ったと報告している。第2に、高額の免責制により患者の医療受診を抑制する民間医療保険を被用者に提供している企業の割合が現在では30%になっている。第3に、国民の相当部分が企業提供の民間保険から、医療機関への支払額が低いメディケイドに移行した影響が大きい。病院は統合により、民間医療保険との交渉力を高めて、利幅の大きい非緊急手術の価格を高めてきた。2017年の25州の医療費請求データによると、病院の民間保険への平均請求額は原価の208%に達していると示唆されている。その結果、公的保険(メディケアとメディケイド)との価格差が拡大していたが、それが今回は裏目に出ており、民間保険加入者の10%がメディケイドにシフトすると、病院収入は3.2%減少すると推計されている。以上の結果、病院の年間医業収入は合計1280億ドル(約13兆円)減少し、医業利益率は直近の7.8%から-1.7%に低下すると推計される
医療制度全体で財政危機が拡大すると、政策担当者は反競争的戦略により現在の財政状況を生んだ病院産業を第一に救済するのが公益にかなうかという問いと取り組まなければならないであろう。

二木コメント-Covid-19患者数が日本とは桁違いに多いアメリカでは、それが病院に与える影響も日本よりはるかに深刻ですが、本論文を読むと、アメリカでは、病院の医業収入の減少は日本のように患者の受診控えによるだけでなく、患者の民間保険からメディケイドへの移行でも生じていることが分かります。日本と異なり、国民皆保険制度も、全国一律の診療報酬制度もなく、患者の自己負担も保険・医療機関によってバラバラであるアメリカ医療の悲劇と言えます。

○[アメリカにおける]医療の分極化に架橋する-生物学から社会的原因へ
Armstrong K, et al: Bridging polarization in medicine - From biology to social causes. NEJM 382(10):888-889,2020[評論]

平均的アメリカ人の多くは、何が一番重要な臨床的問題かと問われたら、精神疾患や薬物嗜癖をあげるだろう。それらにガンや心疾患、認知症が加わるかもしれない。国民の間ではこのような合意があるにもかかわらず、医療界は合意からはほど遠い。1世紀以上も、2つの見かけ上対立する疾患モデル-生物学モデルと社会モデル-が併存している。両者の論争の歴史は現代医学の歴史と同じくらい古く、それが公衆衛生と医療提供制度の分裂、社会科学者と基礎・臨床医学者との対立を生んでいる。健康の社会的決定要因のみに焦点を当てると、基礎医学の進歩が妨げられるし、生物医学のみに焦点を当てると、貧困や差別等、対処可能な社会的要因が無視されやすい。

この溝には長い歴史があり、制度化もされているが、今までも時々は架橋できてきた:エイズ・HIV、肺ガン、マラリア等。社会的アプローチと生物学的アプローチに架橋することには追加的効果もある。貧困、教育そして社会的支援は、ガンや心疾患のアウトカムに重大な影響を与えるからである。一部の社会科学者は、生物医学的アプローチが社会的問題を生物学的問題に還元すると嫌悪するかもしれないが、我々はもはや分極化したイデオロギーに戻ることはできない。この溝に架橋するためには、健康についてもっと統一された見方を確立せねばならず、そのような研究を促進するよう資金配分すべきである。このような経済的インセンティブは、医学部の教育改革にも及び、それにより医学生は社会化され(社会的視点を身につけ)、分極化より統合を目指すようになるであろう。

二木コメント-副題だけをみると、日本でも社会福祉学や医療社会学等の研究者が主張している「生物医学モデル」から「社会モデル」への転換を連想しますが、この論文は両モデルの架橋の必要を訴えています。アメリカの公衆衛生学は、日本と異なり医学部(大学院)とは別の公衆衛生大学院で教育・研究され、教員・研究者の多くも非医師であるため、臨床医学と公衆衛生学との対立は非常に大きかったのですが、最近では「健康の社会的決定要因」の重要性が臨床医学の側にも理解されるようになり、両者の統合を目指す動きが、学問のレベルでも、地域での実践レベルでも強まっています。本論文はたぶんに理念的・理想主義的ですが、臨床医学雑誌の最高峰である「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」に掲載された意義は大きいと思います。

なお、アメリカにおける臨床医学と公衆衛生学の対立と論争・「戦争」の歴史を、公衆衛生学の立場から包括的に論じた文献としては、次があります(本論文の引用文献2):Brandt AM, et al: Antagonism and accommodation : interpreting the relationship between public health and medicine in the United States during the 20th century. Am J Public Health 90:707-715,2000( 「敵対と調整:アメリカにおける20世紀を通しての公衆衛生と[臨床]医学との関係の解釈」)。今回抄訳したArmstrong等論文が両モデルの架橋を提唱していたのに対して、この論文は、医学モデルと公衆衛生モデルの原理的・歴史的違いを強調しつつ、生物医学モデルを批判し、医学と公衆衛生の共同が、公衆衛生の還元主義的生物医学モデルへの「降伏」(capitulation)」により達成された場合は、公衆衛生の核心が失われるだろうとまで述べています。20年前の『アメリカ公衆衛生学雑誌』に掲載された論文であることを割り引いたとしても、この激しいスタンスには驚かされます。

○[アメリカ・]アイオワ州のメディケイドの健康行動プログラムで2012-2017年に入院は減少したが総医療費は増加した
Wright B, et al: Iowa's Medicaid healthy behaviors program associated with reduced hospital-based care but higher spending, 2012-17. Health Affairs 39(5):876-883,2020[量的研究]

健康行動インセンティブ・プログラムは全米18州のメディケイドで導入されている。アイオワ州の健康行動プログラム(HBP)は、拡大メディケイドの受給者に毎年健康診査(wellness exam)と健康リスク評価を受けるか、受給継続のために毎月、所得水準に合わせた少額負担(毎月5~10ドル)をすること求めている。本プログラムの提案者は、メディケイド受給者に経済的インセンティブを与えて予防とプライマリケア利用を奨励することにより、健康アウトカムを改善し、医療費を減らすと主張しているが、入院と医療費をどの程度減らすかは知られていない。2012-2017年のメディケイドデータと2014-2017年のHBPデータを用いて、この点を検証した。対象は19-64歳のメディケイド受給者1万4637人で、毎年HBPの健康診断と健康リスク評価を受けた者(6622人)を「参加者」、どちらも受けなかった者を「非参加者」(8015人)と定義した。2部門線形回帰モデルと差の差法を用いてデータ解析した。

非参加者に比べ、HBP参加者の救急外来受診尤度(likelyhood))は9.6%低く、入院尤度は2.8%低かったが、2015-2017年の総医療費(入院医療費・外来医療費・処方薬費用)は1594ドル高く、これの主因は処方薬剤費の増加だった。他方、メディケイド拡大は、HBP参加者と非参加者の両方で入院増と医療費増をもたらしていた。以上の結果は、HBPは入院を相当減らすが、総医療費は増やすことを示唆している。

二木コメント-緻密で「歯ごたえのある」計量経済学的研究です。メディケイド受給者という社会的に一番弱い患者に対して、健康行動改善のための(少額の)負の経済的インセンティブを与えても、医療費の抑制はできないことを示したことは貴重と思います。

○[制度をいかに]実施するかが問題だ:[アメリカ・]アイオワ州の健康行動プログラムの教訓
Askelson NM, et al: Implementation matters: Lessons from Iowa Medicaid's Healthy Behaviors Program. Health Affairs 39(5):884-891,2020[量的研究]

アイオワ州のメディケイド拡大は健康行動プログラム(HBP)を含んでおり、それは受給者に経済的インセンティブを与え、毎月の自己負担を免れるために、毎年健康診査と健康リスク評価を受けることを義務づけている。受給者(義務履行153人、非履行807人。平均年齢は各46.0歳、43.7歳)に電話調査を行い、彼らのHBPに対する認知度(awareness)と理解度を調査した。次に、その調査データを医療費請求データと統合し、プログラムの義務の履行に関連する要因を調べた。

調査対象者の大半は何らかの方法でHBPについて知らされていた(約8割が公的機関等からの手紙)。しかし、HBPの認知度は低く、回答者の半数弱はHBPそのもの、または義務を履行しなかった場合の自己負担について知らなかった。この結果は、プログラム施行後4年経っても、それの義務は受給者に効果的に伝えられていないことを示唆している。このようなプログラムをデザインし実施する場合、プログラムがどのように構築され促進されるかを考慮しない限り成功しないことを、政策決定者は知るべきである。プログラムの認知度の低さは、義務の履行の低さを招き、結果的に、自己負担の支払いか、メディケイド給付の停止をもたらす。

二木コメント-本論文の執筆者グループは、この前に紹介した論文と同じです。調査対象が少ないのは難点ですが、経済的インセンティブを組み込んだ健康行動改善プログラムの認知と理解の困難さを定量的に示した好論文と思います。それにしても、調査対象の平均年齢が40代であるにもかかわらず、HBP実施後4年経っても、半分弱しかそれを理解していないとは驚きです。

○[アメリカの]民間医療保険加入患者における[内科]医師診察料と[総]医療費・医療の質[の関係]
Unruh MA, et al: Physician prices and the cost and quality of care for commercially insured patients. Health Affairs 39(5):800-808,2020[量的研究]

全国展開している3つの大規模民間医療保険会社(加入者5000万人)の医療費請求データを用いて、一般内科医30,549人に保険から支払われた診察料(地域差調整済みの中等度外来診察料:CPT code 99213)と、769,281人の保険加入成人に提供された総医療費(入院医療費・外来医療費・処方薬費用の合計)・医療の質との関係を分析した。両者の関係は、一般化線型モデルとロジスティック回帰分析で推計した。

診察料がもっとも高い医師(上位20%)の平均診察料は122ドルで、もっとも安い医師(下位20%)の55ドルの2倍以上であった。診察料がもっとも高い医師の診療を受けた患者の1人当たり年間総医療費は、もっとも安い医師の診療を受けた患者より20%(996ル)高く、この差は医療利用の差では説明できなかった。

医師の診察料は医療の質と関連していなかった:同一の病院医療圏(hospital referral region)では、診察料がもっとも高い医師の診療を受けている患者と診察料がもっと安い医師の診療を受けている患者の間で、外来医療を適切に行えば予防できた疾患での入院確率や退院後30日以内の再入院の割合は変わらなかった。医療ニードが高い患者の医療アウトカムについても同じだった。この結果は、医師診察料の差は主に、医師側の医療市場支配力に帰せられることを示唆している。政策決定者は、医師診察料の大きな乖離を生む原因と結果についてもっと情報を得る必要がある。

二木コメント-日本の公的医療保険と異なり、全国共通の診察料がないアメリカの民間医療保険の研究です。診察料の変動が大きいことは以前からよく知られていましたが、診察料が医療の質とも、総医療費とも関係しないことを定量的に示したのは初めてと思います。医師側からは医療の質を2つの指標のみで測定しているとの反論もありますが、ごく少数の名医のエピソードを別にすると、他の指標を用いても、高い診察料を合理化できる定量的エビデンスを示すのは難しいと思います。

なお、Health Affaires 39巻5号は、suprise billing(驚くべき医療料金請求)の小特集をしており、本論文を含め4論文を掲載しており、アメリカ医療の様々な領域(救急車利用、外来手術センター、メディケア対民間医療保険)における医療料金格差や患者負担の大きさに文字通り驚かされます。

○[アメリカにおける]住宅への[支援]サービス付加、手段的ADLと医療費:「メディケア受給者現況調査」から得られたエビデンス
Akincigil A, et al: Housing plus services, IADL impairment, and healthcare expenditures: Evidence from the Medicare Current Beneficiary Survey. Gerontologist 60(1):22-31,2020[量的研究]

高齢者住宅に支持的サービスを付加すると医療費を抑制できるとの期待は強いが、高齢者集団の健康調査で、そのような関連を実証的に検証したものはほとんどない。高齢者住宅へのサービス付加と医療費との関連が、どの程度居住者の手段的ADL障害(電話がかけられない、食事が作れない等6種類)と提供されるサービスレベルに依存しているかを調査した。2001-2013年「メディケア受給者現況調査」から得られる、65歳以上の高齢者で高齢者・退職者住宅に住んでいる2601人のデータを用いた。回答者の報告に基づいて、サービスレベルで住宅を3区分する、以下の尺度を作成した:①サービス提供のない住宅、②サービス付き住宅(手段的ADLの支援[食事の準備、部屋の掃除、メイド、洗濯、外出支援]はあるが、服薬支援はない)、③サービス強化型住宅(手段的ADL支援に加えて服薬支援)。行政データ(メディケア医療費請求ーデータ)と「メディケア受給者現況調査」のデータを組み合わせて、すべての支払い者の医療費(メディケア分だけでなく、メディケイド分、民間保険分、退役軍人庁分、自己負担分を含む)を合計した医療費尺度を作成した。調査参加者の13年間のプールド・データを用いて、一般化線型モデルを推計した。

参加者の平均年齢は79歳、住居区分は①61%、②28%、③11%であった。単純計算では3群に1年当たり平均医療費(2013年価格)に有意の差はなかった。一般化線型モデル推計でも、手段的ADL障害がないか1項目だけの高齢者では、3群に平均医療費の差はなかったが、2種類以上の手段的ADL障害のある高齢者では、③群(サービス強化型住宅居住)の医療費は①・②群より有意に低かった:①23,432ドル、②23,556ドル、③17,317ドル。医療費の種別をみると、このパターンは入院医療・亜急性期医療と外来医療で同じだったが、在宅医療では3群に差がなかった。

二木コメント-大変興味深いテーマであり、しかも13年分のデータを用いて計算したのは立派と思います。ただし、英文要旨の結果はわずか2文で、しかも「手段的ADL障害があり、サービス強化型住宅の居住者の医療費は、他の2群の居住者より低かった」との誇大宣伝が含まれていたので、上記日本語抄訳は、本文の記述に基づいて補足・訂正しました。また、本論文ではサービス付き住宅、サービス強化型住宅居住者の介護サービス費はまったく記載されていません。医療費に介護費を加えた「医療・介護費」は、サービス強化型住宅居住者でもっとも高いと思います。

○[アメリカにおける]地域の社会サービス機関の医療提供者側からの紹介に応答するキャパシティを評価する
Kreuter M, et al: Assessing the capacity of local social services agencies to respond to referrals from health care providers. Health Affairs 39(4):679-688,2020[量的研究]

医療提供者は低所得患者の社会的ニーズをスクリーニングし、それの解決を支援するために、社会サービス機関に患者を紹介することを強化しつつある。この方法では、各地域の社会サービス提供機関が患者を支援する能力と資源を有していると仮定している。この仮定が正しいか否かを明らかにするために、相談者から7州の211のヘルプライン(悩み事相談電話)に2018年に寄せられた50種類の社会的ニーズに関連した711,613件の要望を精査した。相談者には、子どものいる低所得女性の割合が特に高かった(数値は示されず)。本分析では、寄せられた要望のうち、社会サービス制度におけるキャパシティ不足ために、対応できなかったものの割合に焦点を当てた。同制度のキャパシティが社会的ニーズの種類、相談者の居住地(郵便番号)、相談月によって変わるか否かも調べ、社会的ニーズの発生頻度と制度のキャパシティに基づいて、社会的ニーズの新しい分類を行った。

25種類の社会的ニーズのうち、社会サービス機関に支援のキャパシティがある割合が特に高かったのは食糧支援(food pantry. 92%)と納税の準備支援(91%)であり、逆にキャパシティが特に不足していたのは、家賃の支援(rent assistance. 39%)と自動車の支援(26%)であった。これにより、医療部門の現在のスクリーニング・紹介方法は一部の社会的ニーズでは適切であるが、それ以外の社会的ニーズでは適切ではないことが明らかになった。社会的に弱い立場にある患者をキャパシティの低い社会サービス機関に機械的に紹介するやり方は、最悪の(lose-lose-lose)シナリオを生む危険がある。

二木コメント-本論文は、地域住民の社会的ニーズに応えられる地域社会サービス制度のキャパシティについての、アメリカ初の実証研究だそうです。日本では、患者に福祉ニーズがある場合、医療施設の医療ソーシャルワーカーや地域のケアマネージャーが調整に当たるのが一般的と思いますが、この論文を読む限り、地域の社会サービス機関に相談するのは患者自身のようです。

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4.私の好きな名言・警句の紹介(その188)-最近知った名言・警句

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