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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻182号)』(転載)

二木立

発行日2019年09月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

1.(1)論文「1999~2011年の医療法人病院チェーンの推移と構造」(連載:医療提供体制の変貌③)を『病院』2019年9月号に掲載します。

(2)論文「患者の「(医療機関)選択の自由」は絶対か?」を『日本医事新報』2019年9月7日号に掲載します。
両論文は、本「ニューズレター」183号(2019年10月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。

2.訂正:181号掲載(転載)論文「『骨太方針2019』の社会保障改革方針をどう読むか?」の<「医療提供体制の効率化」の新方針>の項の最後の段落の「精神科病床」は「精神病床」の誤記です(2個所。3-4頁)。2006年12月施行の「精神病院の用語の整理等のための関係法律の一部を改正する法律」により、「精神病院」は「精神科病院」に改められましたが、病床の名称は「精神病床」のままです。

3.推薦:浜田陽太郎(朝日新聞編集委員)「重症化予防の『聖地』、呉市を深層取材する」(『社会福祉研究』135号:111-117頁,2019年7月)は、経済産業省・官邸等が予防医療で医療費が抑制されたと喧伝している呉市の保健医療活動の迫真レポート・"true story"で、ご一読をお勧めします(「朝日新聞」8月10,14,15日朝刊にダイジェスト版掲載)。


1. 論文:平成30年版厚生労働白書』をどう読むか?

(「深層を読む・真相を解く」(88)『日本医事新報』2019年8月3日号(4971号):58-59頁)

厚生労働省は7月9日、 『平成30年版厚生労働白書』 を公表しました。テーマは「障害や病気などと向き合い、全ての人が活躍できる社会に」です。

昨年版のテーマは「社会保障と経済」で、「冷静な頭脳」に基づく記述がなされていたのと対照的に、今年版は「温かい心」に裏打ちされた記述が多く、厚生労働行政の守備範囲の広さに改めて驚かされます。以下、第1部(全4章)の構成・内容を簡単に紹介すると共に、私の評価・疑問を述べます。

2つの不祥事で公表が9か月遅れ

その前に、今年版の最大の特徴を述べます。それは公表が昨年版に比べ9か月も遅れたことです。その理由は、昨年発覚した2つの不祥事(障害者雇用率制度、毎月勤労統計調査や賃金構造基本統計調査等の「不適切な取り扱い」)への対応のためです。「はじめに」の4割(69行中28行)がこれらの「反省」と「お詫び」に当てられ、59~66頁、498~500頁に対応状況が詳述されています。

私は日本福祉大学で長年、学長等の管理職を務めましたが、その際もっとも重視したことは「法令遵守」でした。大学院での論文指導では、調査の実施と結果の解釈を厳格に行うことを求めました。それだけに、政府・厚労省が法令違反の「不適切な実務慣行」を長年続けていたことに愕然としました。特別監察委員会等による検証と対策が行われたとはいえ、厚労省が信頼を回復するには相当長期間を要すると思います。

障害者・病者とひきこもりを同格で扱う

第1章「障害や病気を有する者などの現状と取組み」で特記すべきことは、「障害者など」、「病気を有する者など」と同格で、「社会活動を行うのに困難を有する者」(「広義のひきこもり」状態にある者)を位置づけていることです。このような扱いは、初めてだと思います。それぞれについて「現状と取り組み」を丁寧に書いており、最新のデータブック、厚労省施策のガイドブックとして有用です。

私は、雇用されている障害者数・実雇用率が着実に増加している反面、彼らの「一般企業への就職後の職場定着率」が特に精神障害者で低いことに注目しました(就職後3か月時点で69.9%、同1年時点で49.3%。53頁)。また、有業者のうち通院しながら働く人の割合が、1998年の25.5%から2016年の34.9%へと18年間で9.4ポイントも増加していることに驚きました(90頁)。

他面、第1章冒頭の「障害者の数」に、身体障害者(児)と知的障害者(児)と精神障害者しか計上せず、「高齢者関係施設入所者」や難病患者を除外していることには強い疑問を感じました(3頁)。なぜなら、「白書」が43頁で引用している「国際生活機能分類(ICF)」の定義によれば、これらの人々も明らかに障害者ですし、37頁で「障害者総合支援法による障害保健福祉施策」の「対象となる『障害者』には難病等も含まれる」と明記しているからです。「白書」は「国民のおよそ7.6%が何らかの障害を有している」と書いていますが、これらの人々を加えると10%を超えるのは確実です。

もう1つ疑問に思ったことは、「自立」を「日常生活自立」、「社会生活自立」、「経済的自立」の3つに限定し、それらの基礎にある「精神的自立(自律)」に触れていないことです(122,128頁)。

国民の意識調査と先進事例の紹介・分析

第2章「自立支援に関する国民の意識調査」は、「属性による意識の差を分析するため、①障害や病気を有する者、②身近に障害者や病気を有する者がいる者、③その他の者の3類型に分類」したインターネット調査で(143頁)、「地域での支え合いに関する意識」と「就労などに関する意識」についての3類型間の違いを多面的に分析しています。

他面、結果の大半は私からみると「予定調和的」に見えます。これは、「白書」も認めているように、「回答者はインターネットを利用できる者に限られる」ため(143頁)、特に「障害や病気を有する者」の回答者がインターネットを利用できる軽症者に偏り、3つの属性の回答者の違いがごく小さくなったためと思います。少なくとも「障害や病気を有する者」については、インタビュー調査を併用すれば、3類型の差はもっと明確になったと感じました。

第3章「障害や病気を有する者などを支える現場の取組み事例」は、「障害者雇用・障害者就労支援」、「治療と仕事の両立支援・健康づくり」、「社会活動を行うのに困難を有する者などへの支援」の「取組み事例」を紹介し、それの「分析」を行っています。従来の「白書」と違い、事例の紹介にとどまらず、そこから「取り組みのポイント」を抽出しているのは意欲的です(202頁)。

しかし、印南一路医療経済研究機構研究部長が指摘するように、「成功事例のみの調査からは成功の要因はわらかない」(「成功例の共通要因サーチの致命的欠陥」『Monthly IHEP』2014年7月号:24-28頁)ため、成功事例と失敗事例との対比を行うべきと思います。あるいは、「白書」で取り上げた成功・先進事例が困難を抱えた時の理由や克服プロセスを書けば、読者には参考になったと思います。

「地域共生社会」の記述がほとんどない

第4章「包摂と多様性がもたらす持続的な社会の発展に向けて」は、以上の記述を踏まえ「一億総活躍社会の実現」の方策を論じています。ここでは「働き方改革」をもっとも重視しています。さらに、「全ての人々が活躍できる社会の実現に向けた方向性」を、①本人からの視点、②「障害や病気を有する者や社会活動を行うのに困難を有する者などが身近にいる者からの視点」、③「その他の者からの視点」の3つの視点から、総論的に検討しています。

実は、私は「白書」のテーマ「障害や病気などと向き合い、全ての人が活躍できる社会に」をみて、これは「地域共生社会」そのものだと感じました。しかし、意外なことに、「地域共生社会」という用語は、「はじめに」、第1部の目次、第1部各章の本文の小見出しで、全く使われていませんでした。さすがに第4章の本文ではこの用語は何度か使われていますが、まとまった記述はありません。

また、207頁の記述によれば、「地域共生社会」は、「ニッポン一億総活躍プラン」の「新たな3つの矢」の1つである「安心につながる社会保障」に向けた3つの取り組みの1つにすぎません(他は、「健康寿命の延伸」と「障害者、難病患者、がん患者等の活躍支援」)。つまり、地域共生社会は「安心につながる社会保障」の下位概念とされています。

「白書」第2部(各論)の第4章では、「地域共生社会」は生活保護と同列で記述され、しかも「地域共生社会の中核的な役割を担うことを期待されている生活困窮者自立支援制度」との表現に象徴されるように、狭い社会福祉施策の一部と説明されています(325頁)。

この軽い記述は、社会福祉関係者が「地域共生社会」を非常に高く評価しているのと対照的です。例えば、「地域力強化検討会最終とりまとめ」(2017年9月)は、「地域共生社会の実現に向けた取組」を「国民皆保険制度を前提とした社会保険制度[1961年]、措置から契約への介護保険制度の創設[2000年]に次ぐ、戦後第三の節目だととらえ」ました(29頁)。気の早い方は「地域包括ケアシステムから地域共生社会への転換」とも主張しています。

それに対して私は、地域共生社会の理念は高く評価しつつも、それの「法的定義はなく、行政的扱いも軽い」、「抽象的理念にとどまっているため、現実の施策は地域包括ケアシステムの実現を目指して行われて」いると判断しています(『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』勁草書房,2019,25-27頁)。現実にも、地域共生社会関連の施策は厚労省全体ではなく社会・援護局内で、しかも社会福祉の枠内で検討されています。「白書」を読んで、私のこの理解が妥当なことを確認できました。

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2. 論文:私の「医療者の自己改革論」の軌跡

(「二木教授の医療時評」(171) 『文化連情報』2019年9月号(498号):10-17頁)

私は本年5月以降、拙新著『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』(勁草書房,2019)をベースにして、「医療と医療政策を複眼的に読む」講演を何度か行っています。その際、「日本の医療改革についての私の価値判断」として、「必要・可能な医療改革は、現行制度(国民皆保険制度と民間医療機関主体の医療提供体制)の枠内での部分改革の積み重ねであり、そのためには医療者の自己改革が不可欠である」と述べています。

しかし、6~7月に行った講演の質疑応答で、「医療者の自己改革の意味が分からない」、「医療者の自己改革について詳しく説明してほしい」との率直な疑問・意見が出されました。確かに、私がこのことについて本格的に論じたのは2000~2004年に出版した著書(後述)においてであり、それから15年以上経っています。しかもそれらは、2005年1月に本連載を始めた以前に出版したものであり、本誌の読者の多くも私の「医療者の自己改革論」についてご存じないと思い至りました。

そこで本稿では、私の医療者の自己改革論のポイントを時系列的に紹介します。

1987~94年の医療者の自己改革論の「萌芽」

私が医療者の自己改革の必要性に気づいた「原点」は、1987年に『病院』誌上で旧厚生省技官と行った、「長期入院の是正」についての公開論争です(1)

この論争で、私は、まず「不必要な長期入院の是正自体は必要」と明言し、私が1985年まで勤務していた東京都心の一般病院(代々木病院)での在院日数短縮の経験を紹介しました。その上で、日本全体でマクロに「長期入院の是正」を行うためには、個別病院のミクロな努力だけでは限界があり、MSWの配置を含めた病院のマンパワーの増員を行い、集中的な診療を行うことが不可欠であるが、それにより厚生省の思惑とは逆に入院医療費は大幅に増加する可能性があると指摘しました。あわせて、技官の主張のように、病院のマンパワー不足に目を向けないまま、「入退院マニュアル」や「基準看護制度の見直し」により長期入院の是正をしようとすると、患者追い出しが生じる危険があると批判しました(1)

この批判に対して、その技官は以下のように反論してきました。「二木氏は日頃良い医療機関ばかり見ているので、二木氏から見た良心的な医療機関が現在の保険制度の中で抱えている問題点を明らかにするという観点から物事を見ていると思われます。我々は、日頃、国民より寄せられる医療機関(医療制度ではなく)に対する不平、不満、訴えばかり聞いているため、国民より悪いと指摘されている医療機関ばかり見ているので考えがひねくれているのかもしれません」(2)

これは論点をずらした反論ではありますが、私の主張の盲点をついており、「一本とられた」とも感じました(と同時に、技官から私の勤務していた病院が「良い医療機関」と認められたことをうれしく思いもしました)。

そのためもあり、1990年出版の『90年代の医療』では、「医療関係者の間では、厚生省の力を過大評価する一方で、医師・医療機関全体を厚生省の悪政の被害者とみなす理解が根強く、医師・医療機関の内部に存在する弱点や階層分化を指摘することは、なかばタブーとなっている」現状を批判し、「一切のタブーにとらわれず、事実と"本音"を語る」と宣言しました(3)。これが、私が医療者の自己改革を強調するようになった「原点」です。

そして1992年出版の『90年代の医療と診療報酬』所収の「90年代の在宅ケアを考える」では、開業医の「活路は開業医の『自己革新』」にあると提起しました(4)

さらに1994年出版の『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』の「公的医療費総枠拡大の国民合意形成のために」の項では、「『公正さと透明性』『情報公開』は、厚生行政だけでなく、医療機関の側にも求められていることを強調」し、「特に医療機関の経営公開(少なくとも中規模以上の病院では個々の病院の経営公開)を制度化し、職員に対しても、患者・市民に対しても、ガラス張りの経営を実現しない限り、公的医療費の総枠拡大に対する『国民合意』を得ることは不可能」と述べました。併せて、「わが国医療機関経営の3つの不透明」をあげ、「早急に是正するべき」と主張しました。それらは、①老人病院等での多額の保険外負担の徴収、②一部(?)大学病院・大病院で「慣例化」している、医師等への多額の謝礼や医師と製薬企業等との金銭的癒着、③大学病院研修医の薄給を「補填する」民間病院アルバイト先での高給(5)

2000~04年に医療者の自己改革論を包括的に提起

以上の提起はまだ「総論」にとどまっていましたが、その後2000~2004年に出版した3冊の著作で、医療者の自己改革論を包括的に提起しました。

まず、2000年出版の『介護保険と医療保険改革』 では、以下のように問題提起しました。「今、医療関係者に求められていることは、実態のないキャッチフレーズに踊らされるのではなく、わが国の医療と医療政策の現実をリアルにみつめて、着実に自己改革を進めていくことである。私は、自己改革の三本柱として、①個々の医療機関の役割の明確化、②医療・経営の効率化と標準化、③他の医療・福祉施設との連携強化(ネットワーク形成)または『保健・医療・福祉複合体』化、を考えている。『抜本改革よりも当事者による地道な改善の積み重ねのほうが…効果的である』という、池上直己氏らの主張[『日本の医療』中公新書,1996,234頁]を筆者も支持したい」(6)。これが、私の「医療者の自己改革」という表現と「自己改革の三本柱」の初出です。

この記述を愛知県のある有力病院経営者に評価され、翌2001年出版の『21世紀初頭の医療と介護』で包括的に論じました。具体的には、「個々の医療機関レベルでの3つの自己改革」として、①個々の医療機関の役割の明確化、②医療・経営両方の効率化と標準化、③他の医療・福祉施設との連携強化やネットワーク形成、または「保健・医療・福祉複合体」をあげ、それを超えた「より大きな2つの制度的改革」として、①医療・経営情報公開の制度化-公私を問わず、全医療機関の基本的医療情報公開と病院(少なくとも地域の基幹病院)の経営情報公開の制度化-と②専門職団体の自己規律をあげました(7)

さらに2004年出版の『医療改革と病院』の「公的医療費の総枠拡大実現のための医療者の自己改革」では、「個々の医療機関レベルでの3つの自己改革」と「個々の医療機関の枠を超えた、より大きな3つの改革」をより具体化しました。後者は、「①医療・経営情報公開の制度化、②医療法人制度改革、③専門職団体の自己規律の強化」です。(8)。①と③は『21世紀初頭の医療と介護』でも提起しましたが、②は本書で新たに追加しました。今読み返しても、この改革提案はよくまとまっていると思うので、本稿の後に、その大半を【参考】として再掲します。逆に言えば、それ以降の10年余で、私の医療者の自己改革論に大きな進歩はありません。

2006年以降の著作でも断片的に言及

2007年出版の『医療改革』で、2006年以降新たに生まれた医療改革の「希望」について論じた時に、「第1の希望-最近の制度改革の肯定面と専門職団体の自己規律の強化」として、①医療・経営情報公開の制度化、②医療法人制度改革、③医療専門職団体の自己規律の強化をあげました(9)。併せて同書では、ある高名な医師から受けた、私の主張が「国民・患者の強い医療不信をそのまま認めすぎている」との批判に対して、上記1987年の公開論争の経験を紹介すると共に、以下のように述べました。「私は、社会的には(相対的に)まだ強い立場にある医師・医師会は、主観的には『譲りすぎ』と思うほど譲って自己改革を進めないと、国民やジャーナリズムの信頼は得られないと思っています。古い諺を使えば、『韓信の股くぐり』です」(9)

2009年出版の『医療改革と財源選択』の「第1の希望の芽の拡大-制度改革の肯定面と医療者の自己改革」では、医療者の自己改革として注目すべきこととして、日本医師会が2008年診療報酬改定に際し、診療所から病院への診療報酬シフトに、史上初めて合意したことをあげ、ジャーナリズムで根強い「医師会=開業医の利益擁護団体という…ステレオタイプな理解」を批判しました(10)

2011年出版の『民主党政権の医療政策』では、「現在の医療危機克服の『必要条件』は公的医療費と医師数の大幅増加と考えていますが、短期的には、都道府県単位での医師会・大学医学部・病院団体の合意によるさまざまな『自主規制』も必要だと判断しています」と述べました。併せて、アメリカの医療経済学者のフュックス教授が、市場競争と政府規制では医療のコントロールはできないとして、「専門職規範(professional norms)の再活性化を第3のコントロール手段とする必要がある」と主張していることを紹介しました(11)。フュックス教授の問題提起の全訳は『TPPと医療の産業化』に掲載しました(12)

フュックス教授の問題提起は非常に重要だと思うので、以下に再掲します。「医療における医師の中心的重要性を踏まえると、統合的システム(the integrated systems)は医師または他の医療専門職によって主導されるべきだと私は信じている。最低限、医療専門職はそのシステムのガバナンスで、突出した(prominent)役割を持つべきである。今日の医療政策担当者の最大の誤りの1つは、市場競争または政府規制が医療をコントロールする唯一の手段であるとみなすことである。[しかし]専門職規範(professional norms)の再活性化を第三のコントロール手段とする余地、いや必要がある。医師・患者関係は高度に個別的かつ親密(personal and intimate)であり、多くの面で家族間、あるいは教師と生徒間、あるいは聖職者と信徒間の関係と似ている。この関係は、部分的には、経済学者のケネス・ボールディング(1996)が統合的システム(an integrative system)と命名したものであり、相互承認および権利と責任の受け入れに依存し、市場圧力や政府規制とだけでなく伝統的な規範により強固となる」(1996年のアメリカ経済学会第108回大会での会長講演。二木仮訳)(13)

最後に2014年出版の『安倍政権の医療・社会保障改革』では「社会保障制度改革国民会議報告書」が「医療専門職集団の自己規律」を強調していることを、次のように高く評価しました。「国民会議報告書の医療提供体制改革提案(中略)で私がまず注目したのは『医療問題の日本的特徴』の項で、欧州に比べた日本の病院制度の特徴(私的病院主体の「規制緩和された市場依存型」)を指摘し、今後の改革は『市場の力』でもなく、『政府の力』でもない『データによる制御機構をもって医療ニーズと提供体制のマッチングを図るシステムの確立』を提唱すると共に、『医療専門職集団の自己規律』を強調していることです。これは、医療提供体制改革の『第三の道』と言えます」。私はこれは、上述したフュックス教授の問題提起に通じると判断しました(14)

文献

【参考】公的医療費の総枠拡大実現のための医療者の自己改革(8)

(1)抜本改革ではなく当事者の地道な改善の積み重ね・部分改革

最後に、公的医療費の総枠拡大実現のための医療者の自己改革について述べる。結論的に言えば、私は、「医療制度の抜本改革は不可能、必要なのは医療者の自己改革と制度の部分改革」と考えている。前著[『21世紀初頭の医療と介護』]では、医療者の自己改革について具体的に提案する前に、池上直己氏等の名著『日本の医療』の一節を引用しながら、抜本改革ではなく、当事者の地道な活動の積み重ね、部分改革が必要かつ現実的だと指摘した。その前提として私は、日本の医療制度の2つの柱である国民皆保険制度と民間の非営利医療機関主体の医療提供制度の根幹は変える必要がないし、変えられないと判断している。

私は、現在は、抜本改悪だけでなくて抜本改善も不可能、つまり抜本改革一般が不可能、幻想と考えている。読者の中には、抜本改悪には反対だが、抜本改善はすべきだと思っている方も多いであろうし、私自身も、かつては「抜本改善」の夢を持っていた。しかし、この数年間、国内および国外の医療改革の経験を学ぶことにより、今では、抜本改悪も抜本改善も不可能であり、部分改革(部分改善または部分改悪)の積み重ねしかないと判断するに至っている。以下、その理由を簡単に述べる。(中略)

(2)個々の医療機関レベルでの3つの自己改革

次に、第3のシナリオ(公的医療費の総枠拡大)実現のための医療者の自己改革と制度の部分改革について、私の価値判断とその根拠を述べる。私は、個々の医療機関レベルでの自己改革と、個々の医療機関の枠を超えたより大きな改革とに区別して、改革を提起している。

ここで私がもっとも強調したいことは、個々の医療機関レベルでの自己改革である。一般には、「改革」というと、厚生労働省がまず方針を示し、医療団体・医療関係者がそれに反対あるいは対応するというイメージで語られることが多い。しかし、私はそのような立論は誤りで、今もっとも求められているのは、医療者自身がどのように自己改革を進めるかであり、これが医療改革の中核を占めると考えている。

前著でも書いたように、個々の医療機関レベルの自己改革としては、①個々の医療機関の役割の明確化、②医療・経営両方の効率化と標準化、③他の保健・医療・福祉施設とのネットワーク形成または保健・医療・福祉複合体(以下、「複合体」)化の3つが必要である。

個々の医療機関の役割の明確化-ただし単一モデルはなく「地域差」は継続

まず、①個々の医療機関の役割の明確化について述べる。私は、1985年に出版した『医療経済学』以来20年間、「患者の立場にたった病院の機能別再編成、在院日数の短縮」を主張している。特に医療法第四次改正[2000年]後は、個々の医療機関の役割の明確化は、もはや待ったなしとなっている。

ただし、ここで注意を喚起したいことは、全国・全病院に適用できる単一モデルはないことである。この点は、③他の保健・医療・福祉施設とのネットワーク形成または「複合体」化についても同じである。

私は、「複合体」研究のために、北は北海道から南は沖縄県まで、全国の医療・福祉施設を100グループ以上見学したのだが、そのたびに痛感することは、「日本は広い」、「日本は一つではない」ことである。法制度上は全国同一である医療・福祉施設の展開形態は地域、施設により相当異なるのである。

しかし、東京を中心・起点にして考えがちな官僚や研究者にはこのことを理解していない方が非常に多い。これは医療に限らないが、東京在住者の中には、東京の現在が5年後、10年後の日本と考えている方が少なくないが、それは誤りである。アメリカに有名なジョークがある。「ニューヨークはアメリカではない。しかし、ニューヨークのないアメリカはない」。同じことが東京にも言える。「東京は日本ではない。しかし、東京のない日本はない」と。

一般に医療の「地域差」は否定的な意味で用いられることが多い。しかし、「地域差」には、先進・後進の「地域間格差(優劣)」だけでなく、それぞれの地域の文化・伝統、住民の生活様式・生活意識の違いに根ざしており、単純に優劣はつけられない地域差も含まれる。後者の意味での地域差が21世紀にも継続することは確実である。そのために、東京、ましてや霞ヶ関(官庁)の経験・発想を普遍化することはできないのである。(中略)

(3)個々の医療機関の枠を超えた、より大きな3つの改革

次に、個々の医療機関の枠を超えた、より大きな3つの改革について述べる。それらは、①医療・経営情報公開の制度化、②医療法人制度改革、③専門職団体の自己規律の強化である。なお、前著では①と③の2つを提起したが、今回、新たに②を追加した。

医療・経営情報公開の制度化

まず、情報公開の制度化について、私は医療情報公開の制度化と経営情報公開の制度化は区別している。

医療情報公開の制度化は、診療所を含めた全医療機関を対象にすべきである。カルテ開示の法制化は当然である。この点に関して、昨年[2003年]6月にまとめられた厚生労働省の「診療に関する情報提供等の在り方に関する検討会報告書」(大道久座長)で、日本医師会の反対(少数意見)により、またもやカルテ開示の法制化が見送られたことは残念である。

それに対して、経営情報公開の制度化は病院、当面は地域の公私の基幹病院に限定すべきだと考えている。経営学的には「零細企業」とも言える個々の診療所の経営情報の公開はする必要がないし、誰も要求しない。そして、基幹病院の経営情報公開の制度化と医療法人の持ち分の放棄または制限(出資額限度法人化)を条件にして、病院のキャピタルコスト(資本費用)に対する公費投入をすべきである。診療報酬のみで、特に東京・大阪等の大都市部の病院の資本費用はとても回収できず、それに別枠で公費を投入する必要があるからである。前著では、これの「必須条件」として「経営情報公開の制度化」のみを書いたが、その後の検討で、「医療法人の持ち分の放棄または制限」も合わせて必要だと判断した。

経営情報公開の制度化については、医師会・病院団体でもまだまだ反対意見が多いが、私は中長期的には、医療情報公開の制度化に続いて実現すると予測している。

医療の非営利性・公共性を高めるための医療法人制度改革

次に、私は、医療の非営利性・公共性を高めるための医療法人制度改革が必要だと考える。具体的には、少なくとも地域の基幹病院となっているような大規模医療法人は、長期的には出資者持ち分を放棄して、財団法人化、特定・特別医療法人化すべきである。それ以外の医療法人(社団法人)も、最低限、社団が解散した場合の残余財産の分配は払込済出資額を限度とする「出資額限度法人」化すべきである。そして、このような非営利性の強化に対応して、財団法人、特定・特別法人、および出資額限度法人の税負担を大幅に軽減すべきである。(中略)

私は、最低限、出資額限度法人を早急に制度化しない限り、総合規制改革会議等による、出資持ち分のある医療法人は営利法人と変わらないとの主張を最大の論拠とした、株式会社の病院経営参入論に対抗できないし、医療ジャーナリズムの病院不信も払拭できないと考えている。

持ち分放棄を条件にした公的助成の諸提案

この点で最も明快な主張をしているのは、「経営の実態把握とその対応策について報告書」(主任研究総括者田中滋氏。2000年)である。それは、「わが国における多くの病院のように個人財産的色彩が強く、情報公開がなされぬまま、公の債務保証や、…寄付に対する免税といった公的支援が民間病院に対して行われることは、国民の合意を得にくい」と断言した上で、次のように提言している。「公的支援を求める病院には持ち分放棄を求め、その代わり税法上の扱いを公益法人並みにし、持ち分を維持したい病院の場合には公的支援を与えないといった、病院側の選択肢の付与が今後は必要であろう」。なお、この研究のために行われたヒアリング調査(30病院)では、持ち分を放棄してでも、地域医療を豊かにするために当該病院の存続を望む声が多かったとのことである。

池上直己氏も、昨年[2003年]、「持ち分のない医療法人の病院に対しては、国公立病院と同じ条件で補助金交付の対象とする必要がある」と提案している。岡部陽二氏も、病院経営への株式会社参入を支持する一方、既存の病院の「組織としての非営利性の法的確立が不可欠」だとして、その第一に「出資者持ち分の放棄」をあげ、その「代償として、原則非課税、個人の寄付限度額撤廃などの措置」を取ることを提案している。

専門職団体の自己規律

3番目の大きな改革は、専門職団体の自己規律の強化である。わが国の専門職団体(医師会や病院団体)は、アメリカやヨーロッパ諸国の専門職団体に比べて非常に自己規律が弱いので、それを強める必要がある。私の印象では、専門職団体の自己規律の仕組みは、国際的にみると、アメリカ型とヨーロッパ型、それと非常にルーズな日本型の3つに分かれる。

アメリカ型は、任意加盟の医師会の道義的強制力が非常に強いのが特徴で、それに加えて、各州の医師免許委員会(メディカル・ライセンシング・ボード)が、強力な医師の懲罰権・懲戒権を持っている。しかもこの委員会には、医師だけでなく、市民も参加している。このような開かれた医師免許委員会が、医師に免許を付与するだけではなくて、問題のある医師の懲罰、免許の取り上げを強力に行っている(州医師免許委員会連合のホームページ。http://www.fsmb.org)。医師免許委員会の権限の強さは、厚生労働省の医道審議会とは比較にならない。そのためもあり、アメリカの医師の被懲戒者率(千人率)は5.8人という高さである(わが国は0.1人)。(中略)

それに対して、ヨーロッパの各国には、いわばギルドと言える任意加盟の医師会とは別に、強制加盟で法的拘束力を持つ医師組織がある。これは日本の弁護士会型で、後者の医師組織から除名された途端に診療ができなくなる。

最近は、日本でも「弁護士法をモデルに医師法を改正し、強制加入の医師身分団体を組織する」ことが提案されている。しかし、日本医師会は、第二次大戦中、政府によって強制加入化され、それが軍事政権の下部組織になった結果、戦後、アメリカ占領軍の指示で解体され、任意加盟団体として再出発したという歴史的経緯がある。そのために、私はヨーロッパ型への改革は、短期的には現実性がなく、むしろアメリカ型に、任意加盟の医師会の道義的強制力を強め、それに加えて医道審議会を強力な懲罰権を持った市民参加の委員会に改組するほうが合理的ではないかと考えている。ただし、この点はまだ勉強の段階で、あくまでも問題提起である。(以下略。引用文献は省略)

[本稿は2017年10月4日に日本医師会第5回医療政策会議で行った同名の報告に加筆したものです。]

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3. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算
162回)(2019年分その6:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○垂直統合と医療の質、効率、患者中心のアウトカム[との関係]についての体系的文献レビュー
Machta RM, et al: A systematic review of vertical integration and quality of care, efficiency, and patient-centered outcomes. Health Care Management Review 44(2):159-173,2019[文献レビュー]

小規模の独立した医師診療はますます医師組織と病院システムとの複雑な連合(affiliation)に道を譲りつつある。垂直統合医療システムが医療の質を改善し、コストを引き下げうる方法にはいくつかある。しかし、同様にそれが、質とアウトカムの改善を十分に伴うことなく、医療の価格と費用を増やす可能性についての懸念もある。垂直統合医療システムについての研究は増えているが、我々が知る限り、垂直統合医療システム(所有権の共有または病院と医師診療組織の共同経営と定義)と非統合病院・医師組織とを比較した文献レビューは存在しない。1996年1月~2016年11月の20年間に発表された文献の体系的レビューを行った。対象は、垂直統合医療システムのパフォーマンスを比較し、医療の質に関わるアウトカム、効率、または患者中心のアウトカムを指標として用いている文献とした。

Medlineを用いた最初の検索でヒットした7559論文から、最終的に29論文を選んだ。垂直統合は、特定疾患に対する適切な医療を指標とした場合、質の改善と関連していたが、利用、費用、価格で測定した効率については対照群と比べ、差はないか、低くはなかった。ごく少数の文献のみが患者中心のアウトカムを評価していた。それらの大半は死亡率を比較していたが、死亡率の低下はなかった。どの分野でも、ほとんどの研究は観察研究であり、選択バイアスについては言及していなかった。以上から、今まで発表された比較研究は、医師診療と病院との統合は医療の価値を十分に高めているとは言えないことを示唆している。

二木コメント-病院と医師組織の垂直統合についての最新の、執筆者によると最初の体系的文献レビューです。執筆者の結論・示唆は控えめですが、垂直統合が医療費(価格・総額)を減少させないことは再確認されたと言えます。

○[アメリカにおける病院と医師の]統合がメディケアの外来化学療法の利用・費用に与える影響
Jung J, et al: The impact of integration on outpatient chemotherapy use and spending in Medicare. Health Economics 28(4):517-528,2019[量的研究]

病院と医師(グループ)の統合はアメリカで過去10年間、特に腫瘍内科等の特定の内科系専門科で、相当増加した。しかし、統合と専門科医療の利用・費用との関係についてのエビデンスはほとんどない。腫瘍内科の統合がメディケアの外来化学療法の利用・費用に与える影響を分析した。メディケアでは価格は医療提供者の統合や交渉力には依存していない。操作変数法(IVM)を用いて、腫瘍内科医の統合選択と患者による腫瘍内科医のランダムでない選択を分析した。

その結果、病院と統合した腫瘍内科医は外来化学療法薬の量を減らしたが、もっと高額な治療を用いていることを見いだした。このことは統合後、化学療法薬剤費の増加をもたらした。この結果は、治療パターン(治療ミックスと量)の変化が、統合が費用増をもたらす重要なメカニズムであることを示唆している。さらに、統合は化学療法投与費も増やしていることを見いだした。このことは、統合により化学療法投与費の請求元が、料金の安い医師診療所から料金が高い病院外来にシフトしたためである。

二木コメント-病院間、病院とナーシングホーム間の統合が医療費を増加させることについてはたくさんの実証研究がありますが、本研究により、病院と医師の統合も医療費増加を招くことが示されたと言えます。なお、上記要旨には数字はまったく書かれていませんが、本文にはたくさんの数値が示されています。

○[アメリカの]医療提供における未公開株投資の潜在的影響
Gondi S, et al: Potential implications of private equity investments in health care delivery. JAMA 321(11):1047-1048,2019[評論]

アメリカの医療制度の多くは開業医の私的診療に依存しているが、今日の医療提供制度における未公開株の役割についてはほとんど知られていない。2010~2017年に、全世界では医療関連企業(大半は医師診療組織と病院)の買収に係る未公開株取り引きの価値は187%も増加し、426億ドルに達した。これは、同じ期間の医療部門の取り引き全体の増加率48%を大幅に上回っている。このタイプのファイナンスの役割が増加していることを踏まえると、医師と政策担当者は未公開株、未公開株投資会社が用いている一般的戦略、及びそれが医師と患者に与える潜在的リスクと便益を理解すべきである。

本論文では、まず「何が未公開株か?」について述べ、次に「医療における未公開株の増加」について説明し、最後にそれの「潜在的影響」を論じる。最後に「結論」として、4点を指摘する。医療における未公開株投資の増加は、過剰診療、診療の不安定性、および患者の安全に対するリスクをもたらしている。他面、これらの投資は患者に便益をもたらし、ムダの多い医療制度の効率改善をもたらす可能性もある。より多くの実証研究と注意深い規制が、医療における未公開株のプラスの効果を保持しつつ、マイナスの役割を減らすために、必要とされている。

二木コメント-上記は「煙管訳」です。「アメリカ医師会雑誌」に掲載された医療における「未公開株投資」についての初めての評論と思います。2人の執筆者はハーバード大学医学部所属です。アメリカでも未公開株投資は非公式に行われることがほとんどなので、それの実証研究(量的研究)はまだほとんどなされていないそうです。「アメリカ医師会雑誌」に掲載された評論にもかかわらず、未公開株投資(会社)について「中立的」に論じているのは、アメリカの医療提供制度(病院と医師診療組織の両方)に営利化が広く浸透していることの現れと思います。なお、「未公開株式投資」とは、<非上場企業から未公開株の引受けや取得を行ったあと、株式を取得した企業へ投資して企業価値を大きく高め、株式価値が上がったところで株式を売却して利益を得る、といった投資>を意味します。

○[アメリカ・メディケアの]病院への再入院削減プログラムのパフォーマンス評価とペナルティにおける社会的リスク要因の調整
Maddox HEJ, et al: Adjusting for social factors impacts performance and penalties in the hospital readmission reduction program. Health Services Research 54(2):327-336,2019[量的研究]

メディケアの病院再入院削減プログラム(HRRP)はリスク調整で社会的要因を考慮しておらず、このことはセイフティネット病院(無保険者や低所得者を多数受け入れている病院)を不公平に罰しているかもしれない。本論文の目的は社会的リスク要因調整がHRRPのペナルティへに与える影響を決定することである。急性心筋梗塞、うっ血性心不全または肺炎で2012年12月~2015年11月に入院した、出来高払いのメディケア加入者295万2605人のデータを用いて、後方視的コホート分析を行った。

貧困、障害、居住の不安定性、恵まれない地域の居住、および恵まれない地域からの入院は、高い再入院率と関連していた。現在のプログラムの計算方式では、セイフティネット病院の再入院率(退院後30日以内の予定外の再入院)は豊かな地域の病院よりも高かった:急性心筋梗塞で1.020対0.986、肺炎で1.031対0.984、うっ血性心不全で1.037対0.977。社会的要因をリスク調整に加えると、これらの差は半減した。それにより、セーフティネット病院の半分以上でペナルティが減少し、4-7.5%の病院はペナルティがなくなった。セーフティネット病院全体ではペナルティは1700万ドルも削減された。

以上から、社会的要因の調整はセイフティネット病院の財政に大きな影響を与え、HRRPの意図せざる負の影響を減らせると結論づけられる。

二木コメント-ビッグデータを用いた、入院医療版のスゴイ健康・医療の社会的決定要因(SDH)研究です。

○[アメリカの]メディケア質インセンティブ・プログラムによる透析施設のランク付けとペナルティにおける社会的リスク要因の役割
Qi AC, et al: The role of social risk factors in dialysis facility ratings and penalties under a Medicare Quality Incentive Program. Health Affairs 38(7):1101-1109,2019[量的研究]

「メディケア終末期腎疾患質改善プログラム」(2012年導入)は、全米の透析施設を対象にした強制的な質に応じた支払い(4P4)プログラムであり、施設は様々な質指標から計算されるパフォーマンス指数(最大100)に基づいて、総メディケア請求額を最大2%減額される。入院医療や外来医療等での同様のプログラムの分析は、パフォーマンスが社会的リスク要因と関連していることを示しているが、本プログラムでも同様のパターンがあるか否かについては明らかではない。

本研究は全国調査で、メディケアの認可を受けた全透析施設を対象としている(データの得られ施設は6314)。一世帯当たり所得が最も低い郵便番号の地域にある透析施設、及び黒人やメディケア・メディケイド併給者の最も多い地域にある透析施設のパフォーマンス指数は、それらが最も良い地域と比べて有意に低く、ペナルティを受ける確率も高かった(両指標とも透析施設のある地域を5段階に区分して比較)。独立型施設(チェーン施設と比較)、大規模施設、都市部の施設もペナルティと関連していた。ペナルティが社会的に弱い人々(vulnerable populations)を多く受け入れている透析施設に与える影響は丁寧に検討されるべきである。

二木コメント-前論文と同じく、透析医療でのパフォーマンス評価に基づく支払いでも、社会的リスク要因が考慮されていないことを明らかにしています。

○[アメリカの]調整済み死亡率はメディケア・アドバンテッジ[マネジドケア型のメディケア]で旧来型メディケアより低いが、死亡率は時間が経つと収斂する
Newhouse JP, et al: Adjusted mortality rates are lower for Medicare Advantage than Traditional Medicare, but the rates converge over time. Health Affairs 38(4):554-560,2019[量的研究]

年齢、性、メディケイド併給の有無で調整した総死亡率は、メディケア・アドバンテッジ(包括払いのマネジドケア型メディケア。メディケア・パートC)で、旧来型メディケア(出来高払い)よりも高いことはよく知られている。従来は、メディケア・アドバンテッジにおける有利な選択(健康な高齢者が加入)に注意が向けられてきた。メディケア・アドバンテッジの医療利用とアウトカムの因果関係の推定を試みた従来の多くの研究は、新たなメディケア・アドバンテッジ加入者の加入直前直後の状態を、旧来型メディケアにとどまることを選択したった人々と比較してきた。しかし従来の研究では、新たにメディケア・アドバンテッジを選択した人々と、新たに旧来型メディケアを選択した人々の2つのコホートでの死亡率の推移は検討されていない。

本研究では、新たにメディケア・アドバンテッジを選択したコホートの調整済み死亡率は当初は、旧来型メディケアの新規加入者のコホートのそれより非常に低かったが、5年後には両コホート間の死亡率の差は著名に縮小することを見いだした。この結果は、従来の一般的な研究デザインには欠陥があることを示している。というのは、それらは死亡リスクの最初の差が、メディケア・アドバンテッジ加入後も継続すると仮定しているからである。言い換えると、当初メディケア・アドバンテッジを選択した人々の健康水準は、その後5年間に、旧来型メディケア加入者に比べて低下する。ただし、5年を超えて観察すれば、死亡率の差は完全に消失するか否かは、今後の研究の課題である。

二木コメント-アメリカの実証的医療経済学研究をリードしてきたNewhouse教授(1942年生、77歳)が筆頭著者の最新の実証研究論文です。実は、Newhouse教授は1985年(43歳時)に、HMO(最も厳格なマネジドケア)の医療費は出来高払いの医療保険よりも安価であるとの通説に対して、両者の1976~1981年の費用増加率は同じであり、HMOの医療費抑制効果は「1回限り」のものであることを実証しました(Are fee-for-service costs increasing faster than HMO costs? Medical Care 23(8):960-966,1985。『病院』45(7):610,1986に抄訳)。本論文のロジックはそれと同じであり、「三つ子の魂百まで」と思いました。


4. 私の好きな名言・警句の紹介(その177)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の役割>

<その他>

【参考】本「ニューズレター」1~181号で紹介した「才能」についての私の好きな名言一覧

(「ニューズレター」での紹介順。肩書き、年齢は紹介時のもの。私のコメントは略)

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