総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻160号)』(転載)

二木立

発行日2017年11月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


私の「日本福祉大学退職祝賀会」(2018年2月24日)のお知らせ

私は今年度末(2018年3月31日)に日本福祉大学を定年退職します。学部・大学院ゼミOB・OG有志が来年2月24日(土)に下記の祝賀会を開いてくれることになりました。

○第1部 講演会:午後3時~4時半(名古屋キャンパス北館8階)
「日本福祉大学での医療経済・政策学研究の33年」

○第2部 祝賀会:午後時半~8時半(名古屋ビール園浩養園)

○参加費13,000円(新著『医療経済・政策学の探究』と冊子代を含む)。

参加費は事前払り込み制(振り込み期限:2017年11月20日)。

参加を希望される方は、私にメールでご連絡いただければ、折り返し「開催案内」をお送りします。nikizemi_2017@yahoo.co.jpに直接、問い合わせ・申込みされても結構です。

※第1部は私の公式の「最終講義」を兼ねるので、これのみの参加は無料です。
第1部の会場では上記新著の販売も行います。


1. 論文:日医総研「日本の医療に関する意識調査」を複眼的に読む-医療満足度の向上と平等医療への強い支持
(「二木教授の医療時評(153)」『文化連情報』2017年11月号(476号):8-12頁)

日本医師会総合政策研究機構(日医総研)は本年7月、「第6回日本の医療に関する意識調査」を発表しました(本年4月実施。「日医総研ワーキングペーパー」No.384)。調査は全国の満20歳以上の男女4000人を対象にした個別面接調査で、1200人から回答を得ています(有効回収率30.0%)。

日医総研は2002年から2017年まで2~4年おきに調査を行っており、しかも主任研究員の江口成美氏が毎回担当しています。調査の基本的調査項目は同じで、適宜、新規項目が追加されており、第6回は49項目です。対象は第1~3回は国民・患者・医師、第4回は国民・患者でしたが、第5・6回は国民のみに限定されています。

このように詳細な調査を長期間行っている調査は国内はもちろん、国際的にもほとんどないと思います。有効回収率が低いという弱点はありますが、日本医療に関する国民意識、その変化と不変化が分かる貴重な調査です【注1】。以下、過去の調査結果とも比較しながら、第6回調査(以下、本調査)から読みとれることを検討します。

医療満足度の向上

日医総研の調査でもっとも優れていることは、第2回調査(2006年)から「医療への満足度」を「受けた医療の満足度」と「日本の医療全般の満足度」(医療制度満足度)に区別し、毎回同じ質問をしていることです(第1回は前者のみ)。両者を区別し、しかも両方について調査している調査は国内には他になく、国際的にもごく珍しいと思います。

注目すべきことは、「受けた医療の満足度」と「日本の医療全般の満足度」の両方が第3回調査(2008年。当時は医療危機・荒廃が社会問題になった)以降、毎回高まっていることです(17頁。図1)。

「受けた医療の満足度」(「総合的にみた場合」、「満足している」と「まあ満足している」の合計)は、2008年の79.7%から2017年の92.3%へと9年間で12.6%ポイント上昇しています。「日本の医療全般の満足度」(同上)は、50.9%から74.2%へと23.3%ポイントも上昇しています。「受けた医療の満足度」は常に「日本医療全般の満足度」よりも高く、これは海外の調査結果とも一致しています。第1~4回調査では、「受けた医療の満足度」は常に、「国民」より「患者」が高くなっていました。

「医療への満足度」の向上の重要な要因と考えられるのが、「患者一人ひとりの性格や立場、本人の希望といった個別状況に応じた医療が行われていると思う」人の割合の上昇で、2008年の49.7%から、2017年の73.9%へと、9年間で24.2%ポイントも上昇しています(19頁)。医療法第三次改正(1997年)で「インフォームド・コンセント」(「医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない」第1条の4第2項)が盛り込まれてから20年で、その効果が現れてきたと評価できます。

なお、日医総研調査の医療満足度は他調査に比べてかなり高いのが特徴です。この理由としては、回答率が3割と低いため、回答者が医療に好意的な意見を持つ人に偏っていることが考えられ、高い数値は少し割り引く必要があるかもしれません。しかし、過去9年間に2つの医療満足度が共に上昇し続けているという「方向」は間違いないと思います[注2]

平等な医療への強い支持

本調査でもう1つ注目すべきことは、常に国民の7割以上が平等な医療を支持していることです(45頁。図2)。「所得水準と医療の中身についての考え方」については第1回調査から、ほぼ同じ質問がされています。それによると、平等な医療(「所得の高い低いにかかわらず、受けられる医療の中身(治療薬や治療法)は同じであるほうがよい」)への賛成は、6回の調査すべてで7割を超え、今回は74.4%です。

なお、第1・2回調査は回答欄で「賛成」と「どちらかといえば賛成」を区別していましたが、いずれの場合も「賛成」が全体の5割強を占めていました(第2回では「賛成」54.3%、「どちらかといえば賛成」17.9%)。一般に日本人は世論調査で、断定的な回答を好まず、毎回の「日本の医療に関する意識調査」調査でも、「賛成(・満足等)」と「どちらかといえば賛成(・満足等)」との選択肢がある場合、ほとんど「どちらかといえば」の回答の方がはるかに多くなっています。例えば、第6回調査では、上述した「受けた医療の満足度」では、「満足している」は28.8%、「まあ満足している」は63.5%です。このことを考慮すると、第1・2回調査で平等な医療に対する「賛成」が、「どちらかといえば賛成」を除いても、5割を超えていたことは、日本人の平等医療に対する強い支持の現れと言えます。

逆に、「格差医療」(「所得の高い低いによって受けられる医療の中身が異なることはやむを得ない」)への賛成は常に2割未満にとどまっています。これへの賛成は第1回調査(2002年)の17.9%から第4回調査(2011年)の13.9へと漸減した後、漸増に転じていますが、今回も17.7%にとどまっています。

この項目については回答者の4段階の所得階層別の分析も行われています。平等な医療への支持は全階層で7割前後で、最低・最高の差は5.8%ポイントに過ぎません。格差医療への賛成は「等価所得」(世帯所得を世帯人員の平方根で除した数値)200万円未満の16.0%から300~500万円の24.8%へと上昇していますが、500万円以上では逆に20.0%に低下しています。

近年は、様々な領域で国民意識の分断が指摘されていますが、この結果は、医療に関してはそれは(まだ)生じていないことを示しています。私は1994年以降、国民皆保険を中核とする日本の医療制度は「わが国社会の安定性・統合性を維持・向上させる上でも不可欠」(『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』勁草書房,156頁)と主張していますが、この結果はそれを支持しているとも言えます。

受診の見合わせと受診のあり方

以下、これら2つ以外の調査結果で、私が注目したことを3点述べます。

第1は「医療機関の受診見合わせ」です(79頁)。今回は、新規調査項目として、「過去1年間に具合が悪いが費用が掛かるという理由で医療機関の受診を見合わせたことがある」の有無を調査しています。それによると、受診の見合わせは回答者全体では5.0%にとどまっていますが、低所得者(等価所得200万円未満)では7.8%、「健康状態が悪い」人では9.2%とかなり高くなっています。過去の調査ではこの質問はなされていないので断定的には言えませんが、この結果は、近年の患者自己負担の増加が経済的・医療的に弱い立場にある人びとの受診抑制を生んでいることを示唆しています。

第2は「医療機関の受診のあり方」についての質問です(41頁)。これは第5回調査(2014年)から2回目の調査で、「A:病気の程度にかかわらず、自分の判断で選んだ医療機関を受診する」の賛成(29.5%)より、「B:最初にかかりつけ医など決まった医師や医療機関を受診し、その医師の判断で必要に応じて専門医療機関を紹介してもらい、受診する」(67.3%)の方が倍以上多くなっています。この結果は、第5回調査とほぼ同じです。Bの考えは「社会保障制度改革国民会議報告書」(2013年)が提案した「穏やかなゲートキーパー機能を備えた『かかりつけ医』」に通じる考え方であり、それへの国民の支持がこれだけ多いことは、今後の改革に希望を与えると言えます。

なお、「医療の適正利用」については、52.5%が「国民は医療を必要以上に利用していると思う」と回答しています(「思わない」は20.7%、「どちらともいえない」は23.4%)。「思う」と回答した人に限定して、「医療の適正利用のために重要だと思うこと」を尋ねたところ、「自身の健康管理を行う」が70.0%で最も多く、以下、「救急車を安易に呼ばない」(59.5%)、「かかりつけ医を持つ」(41.9%)、「同じ病気で複数の医療機関を次々受診することを減らす」(38.1%)の順でした。この結果も、近年の政策動向と合致していると評価できます。

最期の死に場所-自宅が8割と2割の落差

第3は「治る見込みがない場合の最期までの療養生活の場」です(54頁)。私は、3種類の「自宅で療養したい」の合計が77.2%を占める反面、そのうち「自宅で最期まで療養したい」は全体の19.6%(女性14.8%、男性25.2%)にとどまることに注目しました。この割合は、第4回調査では28.5%とかなり高かったのですが、第5回調査では14.5%に半減し、今回は両者の中間の値となりました。これは厚生労働省の一連の「終末期医療に関する調査」ともほぼ一致します(2008年調査では「自宅で最期まで療養したい」は10.9%)。

政府・厚生労働省は2012年以降、それまでの「自宅死亡」一辺倒の政策を転換し、「居宅生活の限界点を高める」こと(つまり、最期の看取りは医療機関や施設で行うことも許容)を強調しています。これは、このような国民意識に対応したものだと思います(拙著『安倍政権の医療・社会保障改革』勁草書房,2014,126頁)。それだけに、ジャーナリズムが、国民の多くが「最期まで自宅」を望むとのステレオタイプな報道を繰り返しているのは残念です。

【注1】有効回収率が第4回調査以降半減した理由

本調査の回収率は第1~3回までは7割弱でした(第1回69.5%、第2回68.2%、第3回65.6%)。しかし、第4~6回は3割に半減しています(第4回31.2%、第6回30.0%。第5回は記載なし)。

このように回収率が半減した理由は、第1~3回調査では、行政の住民基本台帳を閲覧し、抽出した対象者に事前に依頼状を送付し、その上で、面接訪問をしていたが、2006年の住民基本台帳法の一部改正により、住民基本台帳の閲覧は基本公開から基本非公開となり、公益性の高いもののみ(つまり政府の調査など)についてのみ閲覧可能となったため、本調査では住民基本台帳の閲覧ができなくなったためです(第4回調査5頁)。

なお、本調査における個別面接聴取は中央調査社が他の調査と共に「オムニバス」で行っており、実施主体が日本医師会であることは回答者には伝えていません。

【注2】他の2つの調査の医療満足度はやや低いが、着実に上昇

医療に関する満足度を長期間調査している国内の調査は、本調査以外に、厚生労働省「受療行動調査」と日本医療政策機構「日本の医療に関する世論調査」の2つがあります。

厚生労働省「受療行動調査」は、1996年以降3年に一度、一般病院を受診した患者を対象とし「原則として患者本人の記入方式」により行われており、毎回、外来患者、入院患者別に「病院に対する全体的な満足度」についても調査しています。この設問は日本医師会調査の「受けた医療の満足度」に近いと言えます。最新の調査結果は2014年で、それに1996年以降の結果の一覧図が載っています。それによると、「外来患者の病院に対する全体的な満足度」(「非常に満足している」と「やや満足している」の合計)は2002年の49.7%から漸増し、2014年の58.3%へと12年間で8.6%ポイント上昇しています。「入院患者の病院に対する全体的な満足度の年次推移」も外来患者の場合と同じパターンで、2002年の55.5%から2014年の66.7%へと11.2%ポイント上昇しています。

日本医療政策機構「日本の医療に関する世論調査」は2006年以降、数年おきに行われています。2013年までは「訪問留め置きによるアンケート調査」でしたが、2016年はインターネット調査に変わっています。この調査は、毎回、「医療制度についての全般的な満足度」についても調査しています。この設問は、日医総研調査の「日本の医療全般の満足度」に近いと言えます。この満足度は2006年の41%から2010年の57%、2013年の63%へと7年間で22%ポイントも上昇しました。2016年は57%に微減していますが、これは調査方法の変更によるものかもしれません。

以上2つの調査の医療満足度の数値は日医総研調査より少し低いですが、近年上昇傾向にある点は共通しています。

[本稿は『日本医事新報』2017年10月7日号掲載の「日医総研『日本の医療に関する意識調査』から何が読みとれるか?」(「深層を読む・真相を解く」(68))に加筆したものです。]

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2. 研究会での発言:技術進歩と国民皆保険制度は両立可能
(2017年10月5日 日本医療政策機構主催第2回グローバル専門家会合・ラウンドテーブル「日本の医療システムの持続可能性へ~科学的な分析と社会・倫理的な価値基準~」)

私は、医療経済・政策学の視点から、お配りした拙論「國頭医師のオプジーボ亡国論を複眼的に評価する」[『地域包括ケアと福祉改革』勁草書房,2017,第4章第2節]に基づいて、「技術進歩と国民皆保険制度は両立可能」であることを指摘します。

私は、現代の医療技術進歩の多くは医療費を増加させる可能性を持っていることは認めます。しかし、それにより医療保険財政が破綻した国は国際的にもありません。なぜなら、医療技術進歩は医療費増加の単純な「独立変数」ではなく、医療費抑制政策により制御可能な「従属変数」だからです。

日本では、第2次大戦後に、特定の疾患・治療法により医療費が急増し、保険財政が破綻すると危惧されたことが2回あります。1つは、1950年代の結核医療費、もう1つは1970年代から80年代の透析医療費です。しかし、いずれの場合も、医療技術進歩と医療費抑制政策の組合せにより、医療保険財政の破綻は生じませんでした。

まず結核は、1950年代までは「国民病」と呼ばれ、結核医療費は健康保険の被保険者の入院医療費の三分の二を占めていました。当時、「結核は引き続き増えると」と予測され、厚生省の「七人委員会報告」はそれの抑制のため、規格診療の導入等、網羅的対策を提案しました。しかし、その後、抗生物質の進歩・普及・薬価引き下げと患者数の減少により結核医療費の国民医療費に対する割合は急減し、1975年以降は実額でも減少しました。

次に腎不全により血液透析を受ける患者は1970年から1980年の10年間に38.4倍も増えました。当時は透析患者1人当たりの年間医療費は1000万円であり、透析医療費の国民医療費に対する割合は1980年に4.8%に達しました。しかし、1978年以降、透析技術料・ダイアライザーの価格は連続的に引き下げられ、2002年以降は透析患者1人当たりの年間医療費は480万円にほぼ固定されています。その結果、2010年の透析患者数は1980年に比べ8.8倍も増えましたが、透析医療費の国民医療費に対する割合は逆に3.8%に低下しています。

このような歴史的経験を踏まえると、今後も、新医薬品・医療技術の適正な値付けと適正利用を推進すれば、技術進歩と国民皆保険制度は両立できると言えます。

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3.m3インタビュー:二木立・日本福祉大学相談役に聞く
https://www.m3.com/news/iryoishin/560237

◆Vol.1:地域医療構想でも病床数は減らない、地域包括ケアシステムが分かりづらい3つの理由

インタビュー2017年10月10日 (火) 配信聞き手・まとめ:高橋直純(m3.com編集部)

医師出身の医療政策・経済学者として、長年にわたり日本の医療政策を分析してきた日本福祉大学前学長で、現在は同大相談役・大学院特別任用教授の二木立氏。 今年3月に出版した『地域包括ケアと福祉改革』(勁草書房)では、地域医療構想、地域包括ケアシステムなど、医療界に大きな変化を与える政策について精緻な分析を行っている。二木氏にそれらの背景にある考え方や課題、そして近年の医療政策を検討する時に必要な視点を聞いた(2017年9月15日にインタビュー。全3回の連載)。

――医療機関の機能分化、連携を進めようとする「地域医療構想」という取り組みや動きに対してどのように評価されていますか。
地域医療構想・地域医療連携には、私がかつてリハビリテーション専門医として実践・提唱したことがようやく具体化されたという面があると思っています。

私は、1970年代後半~1980年代前半に東京・代々木病院にリハビリテーション医として勤務していました。今でこそ回復期リハビリテーション病棟が増えて、患者の取り合いという様相ですが、当時は一般病院(急性期病院)内にリハビリテーション専門病棟を持っている病院は全国的にも少なく、都内では代々木病院だけでした。そのため、たくさんの患者を受け入れるには在院日数を短縮するしかなかったです。

しかしリハビリは一病院だけでは完結しません。急性期病院は在院日数も限られ、より長期間のリハビリを必要とする患者さんはリハビリ専門病院にお願いせざるを得ない。早期からリハビリをしても障害が重い人は自宅に帰れないこともあります。当時は特別養護老人ホームにはまず入れなかったので、老人病院などにお願いするしかありませんでした。自宅に帰れる人も、往診や訪問看護と連携を取っていました。このように必要に迫られて連携をし、全国各地で同じようなことが行われていました。

私はリハビリの診療・臨床研究とともに、川上武先生(医師、医事評論家)の指導を受けながら医療問題の研究を二刀流で行っていました。病院の最年少理事として病院経営の近代化に取り組んだ経験もあり、連携の在り方について早くから論文化し、1985年には最初の単著『医療経済学-臨床医の視角から』(医学書院)を出版しました。この本では、当時の厚生省が1987年に発表した「国民医療総合対策本部中間報告」に先駆けて、病院の機能分化と施設間連携(今流に言えば「ネットワーク」形成)、平均在院日数の短縮と病院の一定部分の「中間施設」への転換等を主張しました。

――厚生労働省は今年度には、具体的な医療機関名を挙げて調整会議の場で議論することを求めています。

厚労省が約束し、日本医師会が強調している当事者・関係者の"自主的な合意形成"を重視するステップ、手法が取られて行われるのなら、画期的と言えます。実際、多くの都道府県ではそれが守られています。ただ、ごく一部の県で、県に出向している厚労省の技官主導で病床削減ありきの地域医療構想が作られ、それに基づき議論が行われています。 典型なのは青森ですが、それ以外では強引にやっているところはほとんどないようです。

――地域医療構想の一連の取り組みの結果、地域の医療提供体制はどのように変わると予測されていますでしょうか。
病院の機能分化は徐々に進みますが、病床数の大幅削減はなく、2025年も現状の134.7万床(医療施設調査)と大きく変わらないでしょう。

2015年の社会保障制度改革推進本部「医療・介護情報の活用による改革の推進に関する専門調査会」の報告は、2025年の必要病床数を115万~119万床と推計しています。現状よりも約20万床削減されるとして、マスコミでも大々的に報じられ、病院関係者の不安も増幅しました。
ここで注意すべきなのは、115万~119万床という推計は、「機能分化等をしないまま高齢化を織り込んだ」とする現状投影シナリオの152万床から33万~37万床の大幅削減を見込んでいることです。しかし30万床もの大幅削減は現実的ではありません。「135万床から変わらない」と予測すると、すごく保守的に聞こえますが、実質的には17万床が減ることと同じです。

過去のトレンドから考えると、病床は無理に減らさなくとも、徐々に減少していくのです。全国的には2025年までは人口高齢化のために患者数は増えますが、既に人口減少が始まっている県・地域では、今後高齢者数も減少し、患者さんが減っていきます。在院日数の短縮で病床稼働率はじわじわ減少し、それに伴い病床数も少しずつ減少していきます。一部の地域では地域包括ケアシステムの整備により受け皿も確保できるようになり、厚労省の期待通りに「必要病床数」が減る可能性もあります。これらを勘案すると、実質17万床削減は十分にあり得る数字です。地域レベルで調整していければ、大きな問題は生じないと思います。もちろん、個々の病院の経営問題は別ですが。

――地域包括ケアシステムの推進も求められていますが、理解が進んでいるとは言えない状況です。

地域包括ケアシステムが分かりづらいのには3つの理由があります。1つには2003年に提起されて以降、概念・範囲が変化し続けていることです。当初それは介護保険制度改革として提起され、介護サービスが「中核」とされました。そのために、医療の側からは「医療のパイが小さくなる」という心配の声もあったほどです。その後の地域包括ケアシステムの進化や深化の歴史は、医療の範囲が広がっていった歴史でもあります。最初は診療所と在宅医療に限定されており、今では信じられないと思いますが、看取りにも触れていなかったのです。しかし、今では急性期病院と入所施設の積極的な役割を認めています。

2つ目には地域包括ケアの実態が「ネットワーク」であるのに、「システム」と命名されたことです。地域包括ケアシステムという言葉の命名者は、広島県の公立みつぎ総合病院院長だった山口昇先生です。確かに、「みつぎ方式」は全てが公立の施設・事業で構成された、病院を核とした「システム」でした。しかし、厚労省が2000年代初頭に想定していたのは、尾道市医師会のような医療と福祉、介護の連携事業であり、ネットワークです。「みつぎ方式」が採用されなかったのは、費用が極めて高額であるためと思われます。このように地域包括ケアの実態は「ネットワーク」であるのに、「システム」と呼ぶことで、理解を妨げている面は否めません。

3つ目には、地域包括ケアには「保健医療系」と「(地域)福祉系」の2つの源流があることです。しかし、両者は一部の地域を除いては交流がほとんどなかったのです。研究者の世界も縦割りで、それぞれの対象を分析・紹介する傾向にあります。私は医療経済・政策学の研究者ですが、日本福祉大に長年勤務し、福祉系研究者とも日常的に研究交流をしており、早くから2つの源流に気づいていました。

◆Vol.2:地域包括ケアでは医療費は削減できない-「医療者は積極的関与が求められる」

インタビュー2017年10月16日 (月) 配信聞き手・まとめ:高橋直純(m3.com編集部)

――地域包括ケアシステムの2つの源流(「保健医療系」と「(地域)福祉系」)は、どのように関係してくるのでしょうか。

まじめにやっていると、それぞれが必要に迫られて融合するようになるはずです。私は病院チェーンの研究を進める中で、1996年に、保健・医療・福祉を一体的に提供しているグループの存在に気づき、「保健・医療・福祉複合体」と定義しました。

全国的に見れば、独立した単機能の施設間のうるわしい連携(ネットワーク)が有効に機能している地域はごく一部の大都市部に限られます。逆に、大規模「複合体」が全ての保健・医療・福祉サービスの「囲い込み」を行っている地域も、ごく一部の農村部だけです。これらを両端として、大半の地域では、入所施設開設「複合体」、「ミニ複合体」、単機能の医療・福祉施設とが競争的に共存しているのが実態です。

私が強調したいことは、病院だけでなく診療所も、本格的に地域ケア・在宅ケアに取り組もうとすると、程度の差こそあれ「複合体」を形成する必要に迫られるということです。地域ケア・在宅ケアを熱心に進めている診療所医師の中には、大規模「複合体」が利用者を囲い込むと毛嫌いし、独立した施設間のネットワークを絶対化・理想化している方が少なくないようです。しかし、大都市で往診専門診療所に特化されている方を除けば、診療所でも地域住民のニーズに応えるために「複合体」化しているところが少なくありません。「複合体」化しない場合にも、他の医療・福祉事業者との連携強化は不可欠です。

地域包括ケア研究会の2015・2016年度報告書も、「複合体」の役割を積極的に評価するようになっています。

――今後はどのように展開していくと予想されていますでしょうか。

国が全国一律に導入する「システム」であったら地域差はどんどん縮小していきますが、「ネットワーク」は良い意味でも悪い意味でも、それぞれの地域で作っていくしかないため、うまくいっている地域と、そうでない地域との差は広がっていくでしょう。私は対象を高齢者から全世代に拡大すべきと考えていますし、先進的な地域ではそのようになっていっています。厚労省のプロジェクトチームが2015年に発表した「新福祉ビジョン」も、全世代・全対象型地域包括支援」を提唱しています。

――医療者はどのように関わっていくべきでしょうか。

政策的にも「地域包括ケアシステム」、「地域共生社会」が厚労省の"一丁目一番地"となっています。それに関わらなくて済むのは、大学病院、一部の巨大病院、専門病院ぐらいです。地域に密着せずとも広域から患者を確保できる医療機関以外は積極的に関わらないと生き延びられないでしょう。もちろん開かれたネットワークなので、大学病院も地域包括ケアシステムに参画できます。実際、愛知県では藤田保健衛生大学はとても熱心です。

理想的には地域ケア会議に参加したり、福祉関連の人から相談に乗ったりすることです。医師はどうしても上から目線になりがちなので、本当の意味で多職種と平等になるように心がけるべきです。そうしないと患者も紹介してくれなくなるでしょう。これまでのように皆が外来に来てくれる時代ではないのです。

――地域包括ケアシステムは多職種の協働が必要とされますが、先生が学長を務めていた日本福祉大においてはどのような教育を行ってきたのでしょうか。

昨年度から、社会福祉学部学生が藤田保健衛生大学の先駆的多職種連携教育(「アセンブリ」、必修科目)に参加させていただいています。これは同大学創設者の藤田啓介先生の発案した科目であり、この多職種連携教育は世界初かもしれません。医療は病気中心ですが、福祉の目が入ることで社会という視点が入ります。医療は深く狭い、福祉は広く浅い面があり、相補うことができます。最初は、本学の学生が劣等感を感じるのでは、と心配していましたが、そんなことはなく、お互い刺激し合っているようです。社会福祉学部は本年度に大規模なカリキュラム改革を行い、多職種連携教育も重視しています。

――地域包括ケアシステムによって、医療・介護費は低下するのでしょうか。

厚労省も1990年代までは、地域・在宅ケアを拡充すれば医療・介護費が抑制できると思っていたようですが、21世紀に入ってからはそのような主張はしていません。少なくとも重度の要介護者・患者では、地域・在宅ケアの費用が施設ケアに比べて高いことは1990年代以降、膨大な実証研究により確立された国際常識になっています。例えば、OECDが本年出版した"Tackling Wasteful Spending on Health"(『医療の無駄への挑戦』)は、調査対象15カ国平均で、重度の要介護者(1週間の介護時間が41時間以上)の1週間の在宅ケア費用は1400米ドルで、施設ケアの費用約900ドルより5割も高いとの推計結果を発表しています(208ページ)。

厚労省も地域・在宅ケアが医療費削減につながらないことはよく分かっており、そのことは強調しています。財務省も、厚労省との交流人事が多く、そのことは分かっています。ただ、経済産業省、内閣府には、医療の実態を知らず、空理空論で甘い考えを持った人がまだいるようです。

◆Vol.3:医療費のコントロールは可能-最新刊の冒頭、あえて"希望"を語ったわけ

インタビュー2017年10月22日 (日) 配信聞き手・まとめ:高橋直純(m3.com編集部)

――最新の「概算医療費」は41.5兆円(2015年度)となり、過去最高となりました。

急増したのはC型肝炎治療薬のオプジーボなどの高額薬剤が原因です。しかし、高額薬剤の薬価がすぐに大幅に引き下げられた結果、2016年度の概算医療費は41.3兆円で、伸び率はマイナス0.4%に減少しました。両年度を合わせた医療費の伸び率はそれ以前と変わりません。医療費については単年度の伸びに一喜一憂すべきではありません。

確かに、医療技術の進歩は医療財政にも大きな影響を与えます。過去にも医療技術の進歩により医療財政が破綻するという議論はありました。1950年代の結核医療費、1970年代の人工透析、1980年代にインターフェロン療法などが出てきたときも保険財政が破綻すると叫ばれました。

しかし、これらの医療費もその後、十分にコントロールされました。歴史的、世界的に見ても医療費が増大して破綻した国はありません。例えば透析患者は1980年の3万6397人から2010年には32万448人と8.8倍に増えましたが、透析医療費は5725億円から1兆5061億円と2.63倍にとどまっており、完全にコントロールされています。オプジーボでは保険財政どころか、日本が破綻するという議論が起きましたが、あっという間に薬価は半額に引き下げられました。今後は効果のある患者だけに限定して使うことができるようになっていくはずです。

国民医療費の「配分」を見ると、2000年以降大幅に増えているのは、調剤費と薬剤費であり、狭い意味での医療機関の取り分は減っています。この流れを是正するのが先でしょう。

――2017年3月に出された一番新しい著書『地域包括ケアと福祉改革』(勁草書房)では、序章として、「今後の超高齢・少子社会を複眼的に考える――医療・社会保障改革を冷静に見通すための前提」が置かれています。

その章では、(1)今後、人口高齢化が進んでも、社会の扶養負担は増加しない、(2)日本の労働生産性伸び率は欧米と比べて低くはなく、今後も人口1人当たりGDPが毎年1%成長すれば超高齢・少子社会は維持できる、(3)医療費の国際比較時には高齢化率による補正が必要で、それを行うと日本は「高医療費国」とは言えない――ということを、データとともに説明しています。

ただし、これらはいずれも私のオリジナルな研究ではなく、経済学者等がデータを基に分析すれば、共通に導かれることです。"あえて"今回の著書で冒頭に持ってきたのは、医療・福祉関係者と話すと、「日本は借金大国であり、社会保障費は増やせない」というあきらめの気持ちがすごく強くなってしまっていると感じているからです。私も決して楽観視しているわけではないですが、女性・高齢者等の就業率向上や労働生産性向上があれば、今後も社会保障を維持できることを強調しました。

――安倍政権下では「経済財政諮問会議」「未来投資会議」などで、官邸主導で医療関連の提案が相次いでいます。このことをどのように評価されていますでしょうか。

厚労省の現在の審議会には多様な利害関係者が参加し、議事録も公開されているので、内部で意見がもまれて、最終的に合意形成に至るプロセスが見て取れます。しかし、官邸主導の会議は、構成員の選任が恣意的で、議事録がほとんど公開されず、透明性に欠けます。特定の構成員の個人的思い付きが、妥当性の吟味がされないまま閣議決定されるのは問題です。

――近年の傾向に、健康の自己責任論とでも呼ぶべき考え方が強くなっています。

先日、日野原重明先生がお亡くなりになった際には、功績の一つとして、「(生活)習慣病」という名称を早くから唱え、厚生省(当時)がそれを1996年に採用したことを挙げる報道が多くありました。しかし、「生活習慣病」という用語には、日野原先生のかつての解説を含めて、病気の多様な原因を個人の「生活習慣=自己責任」に単純化する傾向が強く、しかも近年その傾向が強まっていると危惧しています。

小泉進次郎議員らは「医療介護費用の多くは、生活習慣病、がん、認知症への対応」として、健康管理での自助を促す「健康ゴールド免許」(健康維持に取り組んできた方が病気になった場合は、自己負担を低くする)の創設を提唱しています。生活習慣病対策に継続的に取り組んでいる辻一郎氏(東北大学医学部教授)も、喫煙、肥満には「不健康税」を導入することを提唱しています。

歴史を見ると、「『生活習慣病』という概念の導入」を初めて提唱したのは1996年の公衆衛生審議会「生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申)」です。「生活習慣病(life-style related disease)」を「食習慣、運動習慣、休養、喫煙、飲酒等の生活習慣が、その発症・進行に関与する疾患群」と定義することが適切であると提唱するとともに、食習慣・運動習慣・喫煙・飲酒との関連が明らかになっている疾患を例示しました。

そこでは、「ただし、疾病の発症には、『生活習慣要因』のみならず『遺伝要因』、『外部環境要因』など個人の責任に帰することのできない複数の要因が関与していることから、『病気になったのは個人の責任』といった疾患や患者に対する差別や偏見が生まれるおそれがあるという点に配慮する必要がある」と注意喚起されていました。

厚生省(当時)はこの「意見具申」を受けて翌1997年から「生活習慣病」という名称を採用しましたが、その際、この「ただし書き」には触れず、そのために「生活習慣病」は「個人の不健康な生活習慣」が原因=自己責任とのイメージが拡大・固定していきました。2012年に改正された国の基本方針「健康日本21(第二次)」では、それまでの「個人(責任)モデル」を修正し、生活習慣の改善と「社会環境の改善」を同等に位置付けるなどの軌道修正がされましたが、まだ一般にはほとんど知られていません。厚労省は広報に力を入れるべきです。

疾病が自己責任と誤認させる「生活習慣病」という用語の見直しを検討すべきで、とりあえずは、「生活習慣病」から「生活習慣関連病」への変更が現実的と思います。

――最後に、医師は医療政策にどのように向き合っていくべきでしょうか。

今や国民皆保険制度は「医療」の枠を超えて、日本の社会を支える制度になっています。それは、国民医療の維持向上だけでなく、日本社会の安定性、統合性の維持のためにも不可欠です。右は自民党から左は共産党まで、国会で議席を持っている政党の中で、社会保障政策で唯一、一致しているのが「国民皆保険の維持」です。日医総研のレポートでも、国民の医療への満足度は小泉政権時代をボトムにじわじわ上がっています。

かつて小泉政権下では、国民皆保険を解体して、アメリカのように医療にも市場原理を導入すべきとの主張がありましたが、今はなくなりました。医療分野への市場原理導入は、当該企業にとっては利益の拡大になりますが、総体としては医療費(公的医療費と総医療費の両方)を増やし、医療費抑制という「国是」に反するからです。私はこれを「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」と名付けています。

私は「社会保障の機能強化が必要」だと考えますが、単純に「医療費を増やせ」とだけは主張していません。それと併せて、医療団体・医療者の自己改革が必要と考えています。医療の質を落とさないで、医療費の不必要な増加を抑えるための効率化も必要です。ではどのように効率化していくべきか。私は医師出身の医療政策・経済の研究者で経験主義者なので、医師・医療団体が医療現場の実態を踏まえた効率化について積極的に提言することがもっとも重要と考えています。

現場の医師は忙しすぎて、医学以外の問題に目を向ける暇がないのでしょうが、医療政策・医療経済についてもう少し勉強してほしいと思います。そのためにも私の著作や論文をぜひ読んでいただきたいと思います(笑)。私が2005年以降発表した全論文は、毎月配信している「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」に転載しています。これはウェブ上にも公開しているので、ぜひお読みください。


4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算140回)(2017年分その9:5論文)

論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○健康増進・教育:加齢プロセスに焦点を当てたプログラムの効果の研究
Lima KC, et al: Health promotion and education: A study of the effectiveness of programs focus ing on the aging process. International Journal of Health Services 47(3):550-570,2017.[文献レビュー]

人口高齢化と生物学的・病院基盤の治療モデルの失敗を考慮すると、科学的エビデンスに基づいた健康増進プログラムが必要となっている。人口高齢化に焦点を当てた健康増進・教育の実験を同定し分析することを目的として、包括的文献レビューを行った。2人の独立した検索者がPubMed等8つのデータベースと汎アメリカ保健機構(PAHO)のデータベースを用いて、文献検索を行った。文献レビューには合計22文献(半分は米国のプログラムの分析)を含め、その大半は量的研究であり、100人以上の高齢者や退職間近の個人を含んでいた。大半の研究は健康増進・教育にプラスの結果を得ていた。1つの研究はごくわずかの改善を得、1つの研究では統計的に有意な改善は得られなかった。多くの研究で示されたプラスの効果は以下の通りである:一般的または自己評価の身体的健康の改善、心理・社会的側面の改善、および加齢プロテストの関係では、予防的活動や健康的な行為・ライフスタイルの順守、身体活動レベルの向上、QOLや身体的安寧の改善、日常生活動作の改善または障害発症リスクの軽減。費用分析を行った研究は1つだけ(Frick et al. 2004)であり、費用効果的との結果は得られなかった(地域レベルでの健康は改善したが費用は増加した)。

二木コメント-健康増進・教育の効果についての最新の文献レビューで、著者(7人)は全員ブラジルの2大学の研究者です。健康増進効果は確認さたが、それが費用を抑制するとのエビデンスは得られなかったとの結論は、以前の文献レビューと同様と思います。

○[日本における]子どもの外来医療の自己負担引き下げが入院医療に与える効果
Kato H(加藤弘隆)、Goto R(後藤励):Effect of reducing cost sharing for outpatient care on children's inpatient services in Japan. Health Economics Review 7:28,2017(Open Access).[量的研究]

医療利用での自己負担の影響を評価することは、医療経済学と医療政策における重要事項である。その影響はサービスごとに異なるかも知れないが、十分な知見はない。本論文の目的は、外来サービスの自己負担引き下げが入院に与える効果を、日本における子どもの外来サービスへの補助金政策を分析することで、明らかにすることである。日本の2012-2013年のDPCデータを用いて、1390自治体の366,566人の子どもの入院患者データを得た。外来医療に対する補助金の拡大が1390自治体の入院医療量に与える影響を、固定効果・一般化線型モデルを用いて調査した。

その結果、外来医療の自己負担引き下げは、全体としては入院に有意の影響を与えていなかったが、この影響は地域によって異なっていた。低所得地域では補助金が入院を減らしていたが、高所得地域では入院は増加していた。さらに入院種類別に見ると、診断目的の入院は特に高所得地域で増加していたが、救急入院と外来でも対処可能な疾患(ambulatory-care-sensitive-condition)の入院は低所得地域で減少していた。

以上の結果は、低所得地域では外来サービスと入院サービスは代替的であるが、高所得地域では補足的であることを示唆している。子どもの医療に対する補助金は医療費を増やすが、それは高所得地域では健康状態を改善しないであろう。しかし、それは低所得域では、健康状態を多少改善するし、それによる外来医療費の増加はある程度は入院医療費の減少により相殺される可能性がある。

二木コメント-日本のすべての自治体が実施している子どもの医療費無料化が過剰医療を生んでいるとの俗説(例:「日本経済新聞」2017年8月1日朝刊「子供医療費 過剰な競争 安易な受診を助長」 )を否定した優れた実証研究です。自己負担の影響が、高所得地域と低所得地域では異なることを明らかにしたのは新知見と思います。

○[アメリカでは]低価格だが頻度の多い医療サービスが不必要な医療費の大半を占めている
Mafi JN, et al: Low-cost, high-volume health services contribute the most to unnecessary health spending. Health Affairs 36(10):1701-1704,2017. [量的研究]

アメリカでは「低価値医療(low-value care)」についての研究が盛んに行われているが、それらはほとんど高額の低価値医療のみを分析し、低価格の低価値医療について検討したものはほとんどない。バージニア州の全支払者診療報酬請求書データベースの2014年データを分析して、米国の専門医認証機構(ABIM Foundation)「賢く選ぶキャンペーン(Choosing Wisely Campaign)」が低価値医療と見なしている44の診療行為の有無を調査した。その結果、低価値医療の額額は5億8600万ドルと推計された。これはヴァージニア州の全医療費の約2.1%に相当する。これら低価値医療のうち、低価格の低価値医療(単価が538ドル以下のサービス)の頻度は高価格な低価値医療(同539ドル以上)よりもずっと多く、不必要な医療総額の65%を占めていた。

二木コメント-低価値医療の単価は高いとの通念を否定する貴重な調査です。調査結果でもっとも興味深いことは、診療報酬請求書から明らかに低価値医療と見なされる診療行為は医療費総額のわずか2%にすぎないことだと思います。

○地域に在住する高齢者の潜在的に不適切な薬剤服用の決定要因
Miller GE, et al: Determinants of potentially inappropriate medication use among Community-dwelling older adults. Health Services Research 52(4):1534-1549,2017.[量的研究]

本研究の目的は、潜在的に不適切な薬剤服用(potentially inappropriate medication.以下、PIM)の決定要因を明らかにすることである。全国代表標本である2006~2010年の医療費パネル調査に含まれる、医薬品(処方薬)を服用している地域に居住する65歳以上の高齢者16,588人の個票データを用いた。2012年版Beers基準(高齢者における潜在的に不適切な医薬品の使用を認識するために、マーク・ビアーズ医師が提唱した基準とそれに合致した薬の一覧)を操作的にPIMと見なした。その結果、30.9%の高齢者にPIMが見られた。多変量解析により、健康状態が悪いこと、およびPIMリスクが高い疾患は高いPIMと関連していた。高齢と高学歴はPIMの低さと関連していた。予想に反して、通常のケアを受けていないことおよび補足的保険への加入は低いPIMと関連していた。以上の結果は、医師は後期高齢者でのPIMを避ける努力をしているが、不適切にもPIMリスクの高い疾患に焦点を当てていることを示唆している。

二木コメント-テーマは面白いのですが、結果・結論は表層的です。

『医療における無駄な消費と取り組む』
OECD: Tackling Wasteful Spending on Health, 2017,301pages

これは論文ではなく、OECDの刊行物です。医療の無駄を①まったく無駄な診療(wasteful clinical care)、②操作的無駄(operational waste. 必要ではあるがもっと少ない資源でも同じ効果を達成できる医療)、③管理運営面での無駄(governance-related waste)に3分し、それぞれについて、OECD加盟国を中心とした多面的かつ詳細な国際比較を行い、改革提言をしています。残念なことに、日本のデータはごく限られています。

一番重要と思う国際比較は、上記③に関わる「管理運営費の総医療費に対する割合」の国際比較図(2014年)(42頁)です。この医療費は公私医療保険の合計の数値です。アメリカが8%超でダントツに高く、以下、第2位フランス6%強、第3位メキシコ6%弱、第4位ドイツ5%弱です。日本は29か国中27位2%弱で、28位のスウェーデンとほぼ同水準です。日本では、韓国が診療報酬請求審査のIT化を急速に進め、事務管理費用を大幅に減らしたと喧伝されています(例:翁百合子『国民視点の医療改革』慶應義塾大学出版会,2017,179頁「韓国では効率的な審査体制を構築」)。しかし、韓国の割合は4%弱(公的保険に限っても3%弱)で、日本の2倍であり、OECD平均の3%強をも上回っています。

私にとって一番興味深かったのは、コラム「高額な長期ケアの過剰利用を減らす」(208-209頁)に示されている「有給サービスだけで長期ケアニーズを満たす場合の1週当たり費用(2014年。OECD加盟15か国の米ドル表示の購買力平価)」図です。重度障害者の費用(週41時間のケアの費用。約1200ドル)が施設ケア費用(ケア費用だけでなく食費・設備費を含む。約900ドル)よりも相当高いことがキレイに示されています。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その155)-最近知った名言・警句

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