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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻116号)』(転載)

二木立

発行日2014年03月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


1. 論文:財政審「建議」の診療報酬引き下げ論の検証

(「二木学長の医療時評」(120)『文化連情報』2014年3月号(432号):12-17頁)

はじめに

2014年度の診療報酬改定の「全体(ネット)改定率」は0.1%(薬価引き下げ▲0.63%、診療報酬本体改定0.73%)と見かけ上わずかのプラス改定とされましたが、消費税引き上げへの対応分(1.36%)を除くと実質▲1.26%となり、6年ぶりのマイナス改定となりました。これは、介護報酬が消費税引き上げに対応して、機械的に0.63%引き上げられたのと対照的です。

このマイナス改定の理論的根拠とされたのが、財務省・財政制度等審議会(以下、財政審)「平成26年度予算の編成等に関する建議」(2013年11月29日。以下、「建議」)です。この「建議」には、異例なことに10頁もの「社会保障補論(医療費の自然増を含む合理化・効率化と26年度診療報酬改定)」が付けられ、「医療費全体の自然増」、「診療報酬薬価部分」、「診療報酬本体部分」を抑制する論拠が示されました。財政審は、特に小泉内閣が成立した2001年以降の建議で、ほば毎年、社会保障費・医療費の抑制を主張してきましたが、医療費に焦点を当ててこれほど詳細な検討を行ったのは初めてで、それなりに読みごたえがあります。

本稿では、まず、「建議」の主張の肝と言える、薬価引き下げの診療報酬への振り替えを「フィクション」と全否定する主張の妥当性を検証します。次に、「公共料金」である診療報酬は「安ければ安いほどよい」との粗雑な主張を批判します。最後に、「建議」で評価できる3点について簡単に述べます。検討の際は、「建議」だけでなく、財務省担当者の本音が現れている「議事録」も参照します。

1 薬価引き下げの診療報酬への振り替えは「フィクション」ではない

「建議」の議論・主張は多岐にわたりますが、それの肝は、薬価基準の引き下げは「市場実勢価格を上回る過大要求」の「当然の時点修正」にすぎず、それを財源として「診療報酬本体部分を含む他の経費に使い回すこと」や「ネット改定率の概念」は「フィクション」、「無から有が生じると考える」、「理屈としても成り立たない」と全否定していることです。私は、本稿執筆のために、2001年以降のすべての財政審建議の該当個所を読み直しましたが、このようなロジックが使われたのは初めてで、しかも表現がこれほど「過激」なのも初めてです。

しかし、厚生労働省も日本医師会もなぜかこの主張に正面から反論していません。私自身も、薬価引き下げ分の診療報酬への振り替えの「慣行」(「建議」63頁)が生まれた経緯は知らなかったので、専門誌のバックナンバーや「国会会議録検索システム」等を用いて調べてみました。その結果、この振り替えは1972年の中医協「建議」で初めて提案され、厚生大臣や首相も公式にそれを尊重した結果、慣行として前回改定まで踏襲されてきたこと、及び財政審も昨年5月建議まではそれを容認してきたことが分かりました。

中医協の1972年「建議」が原点

現在では、薬価と診療報酬の改定は同時に行うのが通例ですが、中医協が発足した1950年から1970年までは、両者は別個に行われるのが一般的でした(医薬情報研究所「診療報酬・薬価改定経緯一覧」ウェブ上に公開)。

それに対して、中医協は1972年1月22日の「建議」で、診療報酬の賃金・物価スライド制を提起すると共に、「診療報酬体系の適正化との関連において、当分の間は薬価基準の引下げによって生じる余裕を技術料を中心に上積みすることとしたいと考えている」としました(『社会保険旬報』1030-31号:97頁)。この「建議」は、前年(1971年)7月に日本医師会が決行した保険医総辞退を受けて、武見太郎日本医師会長と斎藤昇厚生大臣・佐藤栄作首相とのあいだでとりまとめられた「12項目合意」を踏まえ、日本医師会優位の条件下でまとめられました。それを受けて、斎藤昇厚生大臣は「建議の内容を最高限に実現したい」、「実勢価格と薬価との差額は技術料に振り向けるよう、毎年薬価調査の結果が出たら診療報酬を改定すべきであると考える」と明言しました。

同大臣は、1972年3~5月の国会答弁でも、少なくとも3回、中医協「建議」を尊重すると繰り返しました。例えば、3月7日の衆議院予算委員会では、「建議」に触れた上で、「薬価を下げたならば、それだけは、(中略)医療従事者の給料になったり、また技術料に見合うように積み替えてまいりたい、これははっきり申し上げておきたいと思います」と述べました。同様の答弁は、同年4月10日の参議院予算委員会、5月16日の衆議院3委員会連合審査会でもなされました。

1980年に政府レベルでも確認

政府レベルの確認としては、1980年の草川昭三衆議院議員の質問に対する政府答弁書(鈴木善幸首相)が、「診療報酬及び薬価基準の適正化については、ご指摘の中央社会保険医療協議会の建議をも踏まえ、今後ともさらに努力してまいりたい」と述べました。

実は、厚生労働省は1972年の中医協「建議」が、厚生省の頭越しに厚生大臣・首相が日本医師会と結んだ「12項目合意」に基づいているため、これとは距離を置いていました。

そのために、上記「政府答弁書」がまとめられた1980年の国会で、以下のような醒めた(?)答弁をしました。「この建議それ自体は中医協がなさったことでございまして、その方式をどのように変更するかどうかを含めまして、今後中医協で御審議をいただくことになろうかと思います」(1980年4月9日参議院物価等特別対策委員会。仲村英一説明委員)。「制度的には両者[薬価基準改定と診療報酬の改定-二木]は関係ないという考え方を持っております。しかしながら四十七年の中医協の答申、建議等につきましては『薬価基準の引下げによって生ずる余裕を技術料を中心に上積みする』ということで、そういった諸般の情勢を総合的に勘案しながら、この薬価基準につきましては対処していく、こういう姿勢でございますので、診療報酬と絡ませているということはございません」(1980年10月30日衆議院社会労働委員会。大和田潔政府委員)。

しかし、その後、現在に至るまで、中医協も、政府も、1972年「建議」を否定する公式決定は行っていません。診療報酬の賃金・物価スライド制は1981年改定時に廃止されましたが、薬価引き下げ分の診療報酬への振り替えはその後も継続されました。広井良典氏(当時・厚生省保険局)も、建議「以降、薬価調査の引き下げと診療報酬(技術料)の引き上げとは同時にセットで行われるようになった」と証言しています(『医療の経済学』日本経済新聞社,1994,103頁)。

1997年に橋本首相・安倍議員が容認

薬価引き下げ分の診療報酬への振り替えは、1997年の健康保険法等改正時の論戦でも議論になりました。この時には、1972年の中医協「建議」への言及はありませんでしたが、橋本龍太郎首相と安倍晋三議員(現・首相)は実質的に振り替えを容認しました。

橋本首相は1997年2月10衆議院予算委員会で、次のように述べました。「私は、国民皆保険に移りましたときに、技術評価との絡みにおいて薬価の差益というものが医療機関の経営の柱の一つになることを是認した上で診療報酬体系の設計がされたときから、その意味での問題点は内蔵しておったと思います。(中略)いずれにいたしましても、薬価基準の見直しが不可欠であるということは御説のとおりでありますけれども、ただそれだけで私は問題が済むとは思っておりません。より深い、制度全体に係るチェックは必要であろうと思っております」。

橋本首相は、1997年5月7日衆議院厚生委員会で、さらに踏み込んで次のように述べました。「…ドクターズ・フィーとホスピタル・フィーの分離を、私は実は日本医師会にも病院会にも病院協会等にも何回か申し上げたことがありますが、よい話だね、やれたらいいねというお返事は返ってきても、現実に、それでは体系をどうすればという専門家としての助言は得られませんでした。そして、今日も同じような状態が続いております。/大蔵大臣在任中、私は主計局の諸君とこの問題を議論したことがあります。しかし、これをそのとおりに実行したとすると、今の薬価差というものを保障し得るだけの診療報酬体系となりますと、実は、その時点においての医療費は膨らむという性格を持っております。それだけに、私も、そこまで強引に進めるだけの、しかも、ほかに全く援軍の得られない中で、これを推し進めるだけの勇気を持つことができませんでした」。

安倍晋三議員は、1997年4月9日衆議院厚生委員会で次のように、ストレートに述べました。「この薬価差の一兆円がそのままお医者様の懐に入っているわけではなくて、その根底には、現在の診療報酬が果たして適正であるかどうかということにもなってくるのだと思います。その薬価差の一部は、例えば病院の修理の方にも回っているわけでありますし、そういう観点から、薬価差を適正にすると同時に、診療報酬における技術料を適正に評価するべきだという声も強くあるわけであります」。

財政審も昨年5月までは容認

財政審は、特に2001年の小泉純一郎内閣発足後、毎年の予算編成等に関する「建議」で、ほぼ毎回、薬価の引き下げと診療報酬の「相当規模の引下げ」を求めてきました(民主党政権時代の2012年度1月「建議」を除く)。しかし、 今回の「建議」のように、薬価引き下げ分を「市場実勢価格を上回る過大要求の修正」であるとし、薬価の引き下げの診療報酬への振り替え自体を否定することはありませんでした。

正確に言えば、民主党政権時代の2011年12月の建議「財政の健全化に向けた考え方について」は、診療報酬本体の引き下げを求めた上で、「ネットプラスかネットマイナスかという点で医療サービスの水準が左右されるという議論は適切ではない」とチラリと述べましたが、自公内閣が復活した後の2013年1月と2013年5月の建議ではこの表現は消失しました。

小括-振り替えは「根拠に基づく」慣行

以上から、薬価引き下げ分の診療報酬への振り替えは決して「フィクション」ではなく、1972年の中医協建議と歴代の大臣・首相の答弁といういくつもの「根拠に基づく」慣行であると言えます。しかも財務省・財政審はほんの1年前まではそれを容認・黙認してきたことを考えると、今回の「建議」での突然の全否定はあまりに乱暴です。私は、これを読んで、「幸か不幸か官僚はどんなことにも理屈をつけるという『技術』をもっている」(八幡和郎『官の論理』講談社,1995,91頁)とい名言(?)を思い出しました

私自身も、原理的には、薬価改定と診療報酬(技術料)改定は連動しないと考えます。1970年以前には両者が別個に行われてきたのはその例証とも言えます。しかし、診療報酬改定の独自財源を十分に確保できないという財政制約下で、薬価引き下げ分を診療報酬に振り替えるという政策的・政治的判断がなされてきたことはそれなりに合理的であり、尊重されるべきだと思います。

この視点から見ると、田村憲久厚生労働大臣が2013年11月15日の経済財政諮問会議への提出資料「社会保障の充実・強化」の「診療報酬、特に薬価の適正化(1)」で、「薬価の引き下げ分の財源の診療報酬本体への充当は適切か」という論点に対して、次のような「取組方針」を示したのは説得力があると思います。「薬価改定で生じた財源について、薬価差益を失う医療機関に単純に戻すのであれば『不適当』であるが、薬価改定財源は、救急、産科、小児科等の崩壊の危機にある分野に重点的に振り向け、その改善を図ってきた」、「今回の改定においては、医療機関の機能分化・連携、急性期後の受け皿病床の確保や在宅医療の充実の実現に向けて、医療提供体制を大きく変える必要があるが、薬価改定で生じた財源を使わなければ実現できないと考えている」。

ただし、大臣や厚生労働省担当者が、「薬価の引き下げ分の財源の診療報酬本体への充当」は、1972年の中医協「建議」や1980年の政府答弁書、1997年の首相答弁等の「根拠に基づく」慣行であると主張しなかったことには疑問を感じます。

2 診療報酬は公共料金だからこそ単純な引き下げは不適切

財政審「建議」は、診療報酬は「公共料金」であることをわざわざ強調して、それの引き上げが「企業収益や家計の可処分所得のマイナスを代償として、医療機関等に更なる収入増をもたらす」と主張しています。新川浩嗣主計局主計官はもっとストレートに、次のように述べました。「誤解を恐れず言えば、[診療報酬は]公共料金ですから利用者にとって安ければ安いほどいい。ただし適切なサービスが提供される、その水準は最低限確保する必要がある。議論に必要なのはこの2つだけであろうと思います」(2013年10月21日財政制度等審議会財政制度分科会議事録:3頁)。ちなみに、財政審「建議」が、診療報酬が公共料金であるという自明のことをわざわざ主張するのも(少なくとも2001年以降は)初めてです。

しかし、この主張は次の2点を見落としています。第1に、公共料金設定時には、「安ければ安いほどいい」といった単純な視点ではなく、商品・サービスの安定供給を保障するために事業者の安定的経営も考慮されることを見落としています。具体的には、公共料金の伝統的価格算定基準(総括原価方式)では、事業の遂行に要する原価に適正な事業報酬を加えた総括原価を補償する収益を、料金収入の算定基準にしています(桑原秀史『公共料金の経済学』有斐閣,2009,34頁)。

第2に、医療サービスの対価である診療報酬の「水準」は「最低限」ではなく、「社会保障として必要かつ十分な医療を確保しつつ、患者の視点から質が高く最適の医療が効率的に提供されるよう、必要な見直しを進める」と定めた、小泉政権時代の2003年3月の閣議決定「医療制度改革改革の基本方針」を見落としています。これは、重大な閣議決定違反と言えます。

しかも、財政審「建議」は、小泉政権時代の厳しい公的医療費・診療報酬抑制政策により医療荒廃・医療危機が生じ、その後の福田・麻生内閣および民主党政権がそれの修復に追われたことには一言も触れていません。この点は、小泉政権時代に続けられた社会保障費自然増の機械的抑制(毎年2200億円削減のキャップ制)で、「副作用として非常にさまざまな問題が顕在化をした」、「医療現場が、機械的にこうしたキャップを掛けたことによって医療現場が痛んだという状況もなかったわけではございません」と率直に認めた安倍晋三首相の認識とも反します(それぞれ2013年4月16日衆議院予算委員会、同年3月27日参議院財政金融委員会)。

3 「建議」で評価できる3点

以上、財政審「建議」の診療報酬引き下げの主張・ロジックを批判的に検討してきました。ただし、私は「建議」の主張には評価・肯定できることもあることを見落とすべきではないと思います。以下、簡単に3点指摘します。

第1点は、混合診療解禁等の医療への市場原理導入政策や、患者負担の大幅増加を招く保険免責制の導入が提唱されていないことです。この点は、小泉政権成立直後の2001年11月「建議」から民主党への政権交代直前の2009年6月「建議」まで、ほとんどの建議にそれらが明記されていたのと対照的です(2009年6月「建議」批判は、拙著『民主党政権の医療政策』勁草書房,2011,第5章第1節)。民主党政権時代の2011年12月「建議」ではそれらは削除されましたが、安倍内閣になってもそれらがまだ復活していないことは評価できます。

この理由としては、財務省幹部が混合診療全面解禁により、私的医療費だけでなく公的医療費も増加することにようやく気づき、混合診療全面解禁反対に軌道修正した(ただし、保険外併用療養の拡大は目指す)ことが考えられます。新川浩嗣主計局主計官の「個人的には、混合診療の全面的な解禁には反対の立場をとっている」とのストレートな発言は、その宣言と言えます(2013年9月の医療経済フォーラム・ジャパンのシンポジウム。『週刊社会保障』2749号:27頁)。ちなみに、現役の政府高官は、少なくとも公の場では「個人的」発言はせず、常に幹部間での事前確認に基づいた発言しかしません。

第2に評価・肯定できるのは、「薬価部分の合理化・効率化」のための3つの提案のうち、(1)「長期収載品(後発品のある先発品)の薬価の大幅引下げ」の提案と、(2)新薬創出・適応外薬解消等促進加算について、「有用性の評価とは関係なく、単に下落率が平均より小さかっただけの薬価を維持するのが適当かという問題がある」として、「大幅に規模を縮小すべき」との提案です。

第3に評価・肯定できるのは、厚生労働省が過去の政策の検証をしていないとの批判です。具体的には、「厚生労働省は、[平成]20年度には、第一次医療費適正化計画を策定し、健康増進、医療の効率的な提供の推進等の取組みを行うこととしたが、24年度までの医療費適正化の効果として▲0.7兆円との見通しが示されていたにもかかわらず、いまだに何らの検証・評価も行われていない」との批判です。私は、この計画が策定された当時、医療経済学の知見に基づくと、健康増進により医療費が削減されるとは考えにくいと指摘しました。厚生労働省は医療機関に対して「根拠に基づく診療」の推進を求めている以上、自身の政策についても率先垂範して検証を行うことを求めたいと思います。

[本稿の1は『日本医事新報』2014年2月22日号(4687号)に掲載した「薬価引き下げの診療報酬への振り替えは『フィクション』か?」に加筆したものです。2・3は書き下ろしです。]

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2. インタビュー:地域包括ケアシステム 何故必要か 「死亡難民避」出さない対策

(共同通信配信。「中国新聞」2014年2月9日朝刊、他)

―地域包括ケアシステムの評価は。

高齢者が急増することに伴って死亡者も急激に増えていく。病院には入れず、自宅で死ぬことも望めないという〝死亡難民〟を出さないためには、必要な対策だといえる。推進に基本的には賛成だ。ただ国が決める全国一律の制度ではない。ガイドラインもなく、介護保険が始まったときのような大型な財源投入も期待できない。その点から、うまくいくかどうかは地域次第だ。

-なぜ地域に任せるのでしょうか。

介護保険や医療保険は国がやるが、それだけでは足りない見守りや生活支援などは、地域の実情に合わせなければ立ちいかなくなった。ケアの中身は地域任せで、悪く言えば、国の開き直りとも言える。

―ノウハウの蓄積がない自治体は戸惑っています。

広島県尾道市や千葉県柏市など先進地域はあるが、それを他の自治体がまねようとしても難しい。介護保険の軽度者向けサービスも市町村の事業になるが、自らの裁量で必要なサービスを考えなければならない方向に国はかじを切った。これが理想という形はない。地域に合ったやり方を探すしかない。

―どこが中心的な役割を果たすのですか。

市町村はコーディネート役にすぎない。地域の実情にもよるが、病院や診療所など医療機関が中心になる地域が多いのではないか。医療関係者の間では、地域包括ケアシステムは介護の問題だとして、当事者意識がない医師もいたが、医療と介護は同じぐらい重要な役割を果たすことが期待されている。

―自宅でみとられる人は増えるのでしょうか。

医療費の伸びを抑えようと国は2005年、病院で死亡する人を減らし、自宅で亡くなる人の割合を2割から4割に引き上げようとした。その後、達成は難しいと気付いて「在宅でも、病院でも」という方向に軌道修正した。在宅の定義も今は自宅だけではなく、サービス付き高齢者向け住宅なども含めている。今後もみとりの場所は、病院が中心的な役割を果たし、サービス付き住宅や介護施設などが補う格好になる。

―これによって医療費は減らせますか。

「亡くなる前の医療費が高額で、これが医療費増加の原因という見方があるが 、間違っている。日医総研の推計によると、70歳以上の死亡前入院医療費は05年度、高齢者医療費全体の3.4%にすぎない。今後も病院でのみとりは減らないし、死亡場所の変化による医療費の削減もほとんど期待できないだろう。

―1人暮らし高齢者が増えています。

そうなると、孤独死が増えるのは避けられない。東京では自宅死が増えているが、これは在宅医療が充実しただけではなく、孤独死が増えたためだ。自宅死を選んだ場合、誰にもみとられないリスクはある。厚生労働省の地域包括ケア研究会の2012年度報告書でも「常に家族に見守られながら自宅で亡くなるわけではないことを住民が理解した上で、在宅生活を選択する必要がある」と明記されている。1人で亡くなる孤独死は避けられないと認め、国民にその覚悟を求めた格好だ。

―地域包括ケアシステムで何が変わるのでしょうか。

システムが機能すれば、亡くなるときは1人でも、長期間発見されないという悲惨な孤独死を減らすことはできるだろう。 (聞き手:尾原佐和子)

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3.インタビュー:医療は永遠の安定成長産業 機能強化とネットワーク力を

(安藤たかおの突撃インタビュー(第9回)『日本慢性期医療協会誌(JMC)』第91号,2014年2月)

 

医療や介護をめぐる諸問題に、日本慢性期医療協会の安藤高朗副会長が熱く迫る突撃インタビューの第9回は、リハビリテーション医として、また医療経済学者として著名な日本福祉大学学長の二木立先生です。医療制度改革の国際比較をはじめ、福祉教育の在り方まで幅広い分野にわたり多数の著書があります。これからの医療政策はどうあるべきか、慢性期医療の進むべき道は何か、2時間にわたりお話を伺いました。

 

日本福祉大は、「ふくしの総合大学」

安藤高朗(日本慢性期医療協会副会長):二木立先生は、もう皆さんお馴染み、辛口の評論をされている先生です。2013年4月、日本福祉大学の学長にご就任されました。

二木(日本福祉大学学長):日本福祉大学に赴任したのが1985年です。28年間勤務し、2013年3月に65歳で定年退職し、4月から学長をしております。

安藤:日本福祉大学はどのような大学でしょうか。

二木:東京の方にはあまり知られていないかもしれませんが、社会福祉系大学では老舗かつ最大規模の大学で、2013年に創立60周年を迎えました。1953年当時、日本がまだ貧しかった時代で、戦災孤児が多数おり、ハンセン病患者さんが病院に閉じ込められていました。

そのような社会的に恵まれない人々に対する支援活動を戦前から熱心に行っていた日蓮宗系のお坊さん(鈴木修学先生)が1953年に中部社会事業短期大学を開設されました。これからの福祉はサービスを提供するだけではなく、福祉を支える人材を大学で養成しなければいけないというお考えからです。鈴木先生は宗教家であると同時に慈善運動家でもあった方です。しかも宗教家だから視野が非常に広い。4年後に、短期大学を4年制大学にしたときに、名古屋の地にありながら、日本福祉大学という大きな名前をつけられたのです。

当初は社会福祉の単科大学でしたが、その後、少しずつ学部を増やし、現在では社会福祉学部を中心に経済学部や健康科学部など6学部あります。健康科学部のリハビリテーション学科では、理学療法士、作業療法士も養成しています。つまり、狭い意味の「福祉」だけでなく、医療系や経済系の学部も持っています。そのために、私たちは、ひらがなの「ふくしの総合大学」と自称しています。

30年前の1983年に名古屋市内から、知多半島南部の美浜町に全面移転しました。その後、半田市と名古屋市にもキャンパスを開設しました。2015年には、知多半島北部(名古屋市の隣)の東海市に第四のキャンパスをつくって、看護学部を開設する予定です。

安藤:「ふ・く・し」ですか、いいですね。

二木:今年、創立60周年を機会に、新しい大学のコンセプト「地域に根ざし、世界を目ざす ふくしの総合大学」を作りました。福祉という字は漢字の「福」も「祉」も広い意味での幸せという意味です。例えば、「福祉国家」と言うでしょう。あるいは「福祉社会」とも言いますよね。その場合の「福祉」は、狭い意味での社会福祉とは別で、国民全体を対象にした広い意味があります。でも、漢字で「福祉」と書くと、生活保護とか老人福祉とか障害福祉とか、恵まれない特定の人々を対象にするという狭いイメージがあります。

私たちは、このような社会福祉の原点を大事にしていますが、現在の福祉は、福祉社会とか福祉国家に象徴されるような広い意味になっているので、あえてひらがなの「ふくしの総合大学」にしたのです。ちょっと語呂合わせ的ですが、「ふ・く・し」は、「ふつう(またはふだん)」の「くらし」の「しあわせ」という意味だと説明しています。

安藤:我々医療業界、介護業界の現場にいる者から見ますと、福祉について、それだけ真剣にお勉強された卒業生の方に参加してもらいたいと思います。

二木:こちらこそよろしくお願いします。社会福祉学部の卒業生の進路は、狭い意味での社会福祉系が約4割で一番多いのですが、医療分野も2割近くいます。医療ソーシャルワーカーや精神科ソーシャルワーカーです。

私は教授の頃、ゼミを30年近く持っていたのですが、私のゼミ生は5割ぐらい病院に就職していました。慢性期病院は、急性期病院よりもソーシャルワーカーの配置が多いですよね。これから、ますますニーズが高まると思います。

安藤:地域包括ケアを担う重要な人材ですので、これからもぜひ期待しています。

医療は永遠の安定成長産業

安藤:先生はよく、「病院の経営者はうらやましい」とおっしゃっていますね。

二木:私はかなり前から、「医療は永遠の安定成長産業だ」と強調してきました。最初に言い出したのは1988年、今から26年前です。安藤先生はその時もうお医者さんでしたか?

安藤:なったぐらいでしょうか。

二木:あの頃は、「医療冬の時代」とか、「医療氷河の時代」とか言われていました。医療は70年代まで成長・高利益産業でしたが、80年代に中曽根内閣が厳しい医療費抑制政策を始めてから、病院の倒産が突然増えました。

確かに、短期的に見ればいろいろデコボコはあるものの、医療は長期的に見れば永遠の安定成長産業だと、私は当時から言い続けてきました。その理由はいくつかありますが、一番大きな理由は着実に需要が増える産業だということです。医療のパイは、じわじわと拡大していますし、どんなに厳しい将来予測でもGDPの伸び率を必ず上回ります。中曽根内閣の時代には、医療費の伸びをGDPの伸び率以下に抑えることが目標にされましたが、それから現在まで、ごく一時期を除いて、常にGDPの伸びを上回ってパイが大きくなっています。しかも、それを政府が認めている産業は医療と介護だけでしょう。

それから、強い公的支援です。他の産業は市場競争の荒波にもまれていますが、医療は、ごく一部の自由診療を中心とするブランド病院・診療所を除けば、ほとんどが税金と社会保険料など公的な費用で賄われています。そんな産業は他にはありません。2013年4月に学長として学校経営にも積極的に取り組むようになって、改めて「医療はうらやましい!」と思いました。

日本は世界一の高齢大国で、今後、医療のパイはさらに大きくなる。少なくとも2025年までは絶対額が大きくなります。それとは逆に、18歳以下の人口は減り続けていますから、大学はマーケットが縮小することが運命づけられている構造不況業種です。もちろん、競争力のある首都圏のブランド大学は、高めの学費を設定しても学生さんが来ますが、私どものような地方の中堅大学はそうはいきません。そんな理由で、「医療あるいは医療経営はうらやましい」と、私はいつも言っているわけです。

安藤:私たち医療業種は、「診療報酬が下げられた」と悲観している面もありますが、他の産業に比べれば恵まれているわけですね。

二木:同じサービス産業で、一見医療と類似している教育産業と比べても、ずいぶん恵まれています。もちろん、小泉政権時代以来の厳しい医療費抑制政策で、昔に比べれば経営が厳しくなったのは事実ですが、他の産業に比べればまだまだ恵まれているという面も見落とさない方がいいと思います。あまり悲観的になる必要はない。

トップに立つと怒れない

安藤:学長になって、何か変化はございましたか。

二木:学長になって、勉強・研究時間が大幅に減ったために、研究者としては良い事はほとんおありません。ただ、人間修養にはなっています。先ほど、「辛口」とおっしゃいました。確かに、私はもともと短気で、やや攻撃的な面がないとも言えません。

安藤:みんな恐れていますよ。二木先生とだけは議論したくないって(笑)。

二木:いや、でも学長になってから変わりました。トップに立つと怒れないんです。怒ると、人間関係を破壊してしまう。怒られたほうは萎縮してしまい、萎縮しちゃうと、誰も言いたいことを言わなくなってしまうので、組織の活力が失われてしまう。きっと医療現場もそうでしょう。チームで動かざるを得ないですよね。

私の学長スタッフを「チーム二木」と名付けて、教職員の協働をすごく大事にしています。理事長と学長の公式の会議を定期的に開くだけではなくて、ほぼ毎日打ち合わせしており、意思決定のスピードがすごく速くなりました。管理運営を民主的にやることと、スピードの経営、この両立に腐心しています。

私は学長就任時に、学長スタッフに文書で、今後4年間は学内外で低姿勢を貫くと約束しました(笑)。最低限、「教職員に大声を出さない」「威圧的言動をしない」「批判は最後まで聴き、一呼吸置いてから、イエスバット方式で話す」等です。これ、私の性格から考えると大変ですよ。

安藤:本来の先生と真逆のことを約束したのですね(笑)。

二木:そうです。ですから毎日が人間修養なのです。身だしなみもちゃんと整える。今までほとんどノーネクタイでしたが、勤務中はループタイを常用し、公式の場では背広とネクタイを着用することにしました。外観の変化はすぐ回りに伝わりますから。

安藤:すごい、大変身ですね。ということは、もし学長をお辞めになったら、元に戻っちゃうのですか?

二木:もちろんです。人間の本質なんて、少なくともこの年ではもう変わらない。でも、演技はできます。組織を活性化してチーム力を高めるためには、演技も必要であると思います。そういう意味で、毎日が人間修養です。

療養病床の機能アップが必要

安藤:来年度の診療報酬改定で、亜急性期病棟が創設される予定です。療養病床も限定的に認められるようです。

二木:よかったですね。医療保険の維持期リハも延長されます。私の2年前の予測通りになりました。

安藤:すごいですよね。二木先生は以前から慢性期医療にとてもご理解があって、本当に嬉しく思います。急性期病院の平均在院日数はDPCの影響もあって短縮化が進んでおりますが、その一方で高齢者の救急も増えています。そうした患者さんは要介護度も高く、認知症も多いので、急性期病院の後方を担う病床、病棟の役割、すなわち慢性期医療が非常に重要になってくると思っています。

二木:まさにおっしゃる通りだと思います。

安藤:そうした中で、亜急性期の役割や機能をめぐる議論があります。重症か軽症かは診断してはじめてわかることですから、いわゆる「軽症急性期」、すなわち「サブアキュート」の高齢者もすべて救急病院に運ばなければいけないという考え方も一部にあるようです。

確かに、そうした対応が必要なケースもありますが、在宅患者さんのちょっとした急変などは、バージョンアップした慢性期病院で受け入れてもいいのではないかと考えます。先生のお考えはいかがでしょうか。

二木:そうですね。先生がおっしゃったように、慢性期医療の機能を高めることは避けて通れないでしょう。昔の老人病院のような収容施設はもう生き残れない。亜急性期病棟も、二次救急病院の指定を受けるなど、いくつかの要件が候補に挙がっており、現在の医療療養病床がすべて無条件で認められるということはないでしょう。

安藤:機能アップするという条件付きですね。

二木:この協会で中心的に活動されている先生方の病院は、機能強化にアクティブに取り組んでいらっしゃると思いますが、まだまだ数の上では少ないように見えます。多くの慢性期病院は相当努力する必要があると思います。

特に私が期待している機能は、看取りです。今後の死亡急増時代を乗り越える鍵の一つが、慢性期病院の看取り機能の強化だと思っています。厚生労働省の推計では、2025年に47万人が死亡場所不明の「その他」です。

国は、サ高住や有料老人ホームでの死亡を増やすと言いますが、医療のバックアップがない施設での看取りは増えないですよ。そうすると、病院のベッド稼働率を良くして受け皿にすることが必要ですが、急性期病院がこれ以上大幅に平均在院日数を短縮するのは難しいですよね。

安藤:医療資源が現状のままでは難しいでしょうね。

二木:そこで、療養病床が機能をアップする。つまり、単なる収容型ではなくて、機能をアップすることで急性増悪した患者を受け入れれば、結果的に看取りも増える。慢性期病院には今後こうした機能が求められています。

ただし、サ高住や有料老人ホームが独立型ではなく、医療機関が直接経営するとか、医療機関と密接に連携した場合には、そこでの看取りは増えると思います。しかし、医療や介護から距離のあるデベロッパー主体のサ高住は難しいでしょう。

安藤:医療や介護の機能が希薄ですと、入所者やご家族は不安でしょう。特に、ご家族は納得しないです。

二木:ですから、療養病床は救急を含めた急性期機能をアップすることがまず必要で、サ高住や有料老人ホームでの医療をバックアップする役割も大きいと思います。

安藤:療養病床が地域の慢性期医療の先端的な役割を果たせればいいと思っています。

介護療養病床の機能を再定義すべき

安藤:二木先生は介護療養型医療施設、介護保険の療養病床についても、価値を見出されていますね。

二木:小泉政権時代に廃止が打ち出されましたが、民主党政権時代に5年間延長し、2017年度末に廃止ということになっています。しかし、今後、単純な延長になるか、条件付き延長になるかは別として、間違いなく見直しがなされるでしょう。

理由は二つあります。一つは政治的な理由です。自民党が2012年12月の総選挙の時に廃止の見直しを公約に掲げ、参議院選挙でも踏襲されました。

でも、それよりもっと重要な理由は、介護療養病床と介護療養型老健(強化型)の1床当たりの年間死亡者数が3倍から5倍も違うことです。

安藤:よくお調べになっていますね。さすがですね。

二木:ですから、介護療養病床を廃止してしまうと、死亡急増時代の受け皿を大きく減らすことになってしまうんですよ。

安藤:その通りですね。

二木:「その他」47万人の受け皿をどうつくるかが重要な課題になっているなかで、機械的に今の介護療養病床を強化型老健にすると、死亡場所が大幅に減ってしまうわけですよね。

安藤:そうしますと、結局、一般急性期で受け入れることになってしまう。

二木:死亡難民が発生してしまいます。かつてリハビリ難民が大問題になりました。私は17年度末の介護療養病床の廃止は見直されると思います。ただし、現在のままの介護療養病床でいいというわけにはいかないでしょう。

日本慢性期医療協会のみなさんが、介護療養病床の機能を再定義し、介護療養病床の機能をどのように強化するかの道筋をデータに基づいて示し、介護療養病床の機能の継続を訴えれば、廃止はされないだろうと思います。

安藤:本当にその通りだと思います。

維持期リハ、適応を明確にして主張を

安藤:次期改定で、維持期のリハビリテーションはとりあえず継続になりそうですが、厚労省は移行準備が不十分であることを主な理由に挙げています。すなわち、病院の請求事務の体制などが整えば、近いうちに介護保険に移行させたいとの考え方を中医協で示しています。

しかし、算定日数上限を超えても、リハビリを継続すれば改善するという結果が日慢協の調査で明らかになっています。

二木:適応や禁忌を明確にすることが大前提になると思います。6ヵ月を過ぎた患者に対して、無条件で毎日濃厚にリハビリをすべきだという要求は絶対に通らないですよ。古い話で恐縮ですが、私が1983年に東大で医学博士号を取った時の論文のテーマが「脳卒中患者の障害の構造の研究」です。代々木病院勤務時代の研究です。

この論文では、発症直後に入院して早期リハビリを行った患者全例を、6カ月間フォーローアップしました。当時の常識では、6ヵ月もすれば障害はプラトーになると言われていました。事実、歩行能力という点で見ると、95%ぐらいは実際に6ヵ月でプラトーに達するのですが、5%ぐらいはその後も改善しました。

ですから、6ヵ月で全部固定することはありませんが、全員がそうではない。しかも、ある程度良くなったら、入院ではなくて、外来ででも、維持期リハビリテーションができます。入院で維持期リハビリテーションを毎日濃厚にする必要のある患者が少数存在することは確かですが、その場合には、「こういう状態の患者さんです」という適応を明確にする必要があります。「6ヵ月を過ぎてもみんな良くなるんだから一律に継続すべきだ」という主張は絶対に通らない。

安藤:なるほど、そうですね。

二木:ですから、どういう患者さんに対してどの程度のリハビリテーションが必要なのか、適応を慢性期医療協会が具体的に示したほうがいいと思います。「6ヵ月を過ぎても良くなる」だけではちょっと弱い。医学の基本は常に、適応と禁忌を明らかにすることです。ピンポイントで限定すれば、認められる可能性は十分あると思います。

安藤:維持期のリハビリテーションは協会が特に力を入れている分野です。先生はリハビリテーションの専門家ですので、ぜひおききしたいと思っていました。ありがとうございます。

終末期の議論、費用の問題と混同しない

安藤:最近、「平穏死」など終末期をめぐる議論が関心を集めています。いろんな本が出ていますが、本から入ってくる知識ではなく、もう少し国民的な議論をちゃんとやったほうがいいのではないかと思っています。私は、患者さんにとって幸せな終末期、最期とは何かという視点から考えるべきだと思っておりますが、先生はいかがでしょうか。

二木:そうですね。この問題で私が一番強調しているのは、死に場所や終末期医療の問題を考えるとき、理念の問題と費用の問題とを混同しないことです。終末期や死に場所のあり方に公式はない。基本は、ご本人とご家族の希望をできるだけ尊重することだと思います。

しばしば、「終末期医療はものすごく金が掛かる」とか、「医療費急増の原因だ」という発言を耳にします。ちょっと古い話ですが、麻生副総理が「1ヵ月で1,500万円も掛かる」なんて言いました。しかし少なくとも高齢者の終末期では、そんなにお金が掛かることはありません。

マクロ経済的に見ても、死亡前1ヵ月の医療費は、国民医療費全体の3%にすぎない。しかも、これには急性期死亡の医療費も入っています。心筋梗塞や脳卒中などによる急性期死亡を除いて、慢性期の患者さんが亡くなる場合の死亡前1カ月の医療費は、恐らく国民医療費ベースで2%もないでしょう。しかし、わずか2%が医療費増加の主因になるなんてあり得ない。ですから、終末期の議論はお金の問題と切り離すべきです。

死に場所については、「自宅か病院か」という二分法の議論は意味がないと思います。安藤先生に教えていただいた東京都監察医務院の資料によると、東京都区部では自宅死亡が急増していますが、そのうち約4割は孤独死ですよね。そういう現実をきちんと理解する必要があると思います。

安藤:胃瘻の問題も、同様に考えるべきでしょうね。大切なことは、ご本人やご家族の意向を尊重してあげることです。

二木:胃瘻を断る家族もいますが、患者が比較的若い場合には、1分1秒でも長く生きてほしいと願う家族もおり、一律に決められないですよね。機械的に胃瘻をつくることは疑問ですが、胃瘻がすべて悪のように言うのは、現実と距離があるように思います。ご本人やご家族がどちらも選択できるように支援してあげるのが医療政策であり、医療者の務めでもあると思います。

全体のネットワークを強めていく

安藤:日本の医療政策はこれからどうあるべきか、先生のお考えをおきかせください。

二木:日本の医療提供体制の特徴として、民間病院主体で自由度がすごく大きいということを社会保障制度改革国民会議報告書も強調していました。厚労省が一方的に官僚統制できないということが一番大事だと思います。

病床機能報告制度も当初は「報告制」ではありませんでした。厚労省が「急性期病床群」を提案し、都道府県の「承認制」ということで検討が始まりました。しかし、医療団体から反対意見が相次いだため「登録制」になり、さらにそれも反対されて、「報告制」になったんですよ。

安藤:そうですよね。

二木:イギリスのように国立病院だけとか、北欧のように公立病院中心だったら、お上の言う通りになりやすい。しかし、日本のように歴史的に民間病院主体の国では、民間病院の意向を抜きにして一方的に決められないというのが大前提です。厚労省が原案を出しても、いくらでも変わるものなのです。

一番いい例が、医療保険の維持期リハビリテーション。2年前の改定時には、原則廃止が決まりましたが、多くの反対意見を考慮して、継続することになりました。

安藤:当協会も継続を強く求めてきました。

二木:患者さんの側に立って、医療団体が根拠を示して必要性を訴えれば、医療提供体制はかなり変わり得るんです。基準は患者・利用者にとって良いかどうかです。厚労省も、「医療難民」や「リハビリ難民」、「死亡難民」などを出すわけにはいかないのです。厚労省もそのことをよく分かっています。

ですから、日本慢性期医療協会を含め、各医療団体がきちんと根拠を示し、意見・提言を発信していくことが重要だと思います。そして、慢性期医療に限らず、医療・介護全体のネットワークを強めていくことが、よりよい政策を実現するうえで必要でしょう。

研究、読書がストレス解消法

安藤:先生のプライベートについても、いろいろ教えてください。まず、健康管理。学長という立場は非常にストレスが溜まると思いますが、ストレス解消法はありますか。

二木:ちょっと嫌味に聞こえるかもしれませんが、研究するのが一番のストレス解消になります。例えば、論文を書くために、いろいろとデータを調べるとか、文献を読む。それに集中すると、その間は管理業務のことを忘れられます。

安藤先生も大変なストレスがあることと思います。勤務時間以外でも、病院や経営のことを考えちゃうでしょう?

安藤:そうですね。夢に出ることもありますね。

二木:それが管理者の宿命ですよね。私は安藤先生ほどのストレスはありませんが、研究に集中していると忘れられます。そのほかには、英語の勉強です。特にイギリスの週刊誌"The Economist"を読むことがストレス解消になります。3番目は映画館で映画を観ることです。しかし、一番のストレス解消は研究です。

安藤:先生は本をたくさん読まれていると思います。先生の読書人生の中で、好きな本を3冊選ぶとすると、何でしょうか。

二木:この質問を事前に頂いてからいろいろ考えたのですが、やはり選べないんですよ。これまで生きてきた中で、その時々の自分にとって最良の本はあります。でも、私の生涯の中で3冊は選べません。

しかしそれでは答えになりませんので、今年(2013年)読んだ本から、読者の皆さんにお奨めの本を3冊持ってきました。まず、有名なアナウンサーの草野仁さんが書かれた『話す力』(小学館新書)です。大変な努力をして話す力を身に付けたことが具体的に書かれています。院長さんは話す機会が多いですよね。話す力をつけるノウハウが満載の本です。この領域では、今年のベスト1と言ってもいいです。

それから非常に感銘を受けたのは、厚労省の事務次官をされている村木厚子さんの『私は負けない 「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社)です。逮捕されて検察庁に送検されると、たいていの人はやっていない事でも自白しちゃうものだそうです。村木さんが捕まったときも、部下はみんな、やっていないことを自白しちゃったのです。しかし、彼女は最後まで無実を主張し、そのために1年ぐらい留置されてしまいましたが、最後に裁判で無罪を勝ち取った。感動的でした。

村木さんがすごく偉いと思うのは、自分がいかに立派かではなくて、自分がいかにみんなに支えられて裁判闘争を闘ったかを、感情的にならずに淡々と書いていることです。大げさに言うと、逆境に陥った時、人はいかに生きるべきかを知ることができます。

最後の1冊は、中日ドラゴンズの元監督で、球団史上初のGMとなった落合博満さんの『戦士の休息』(岩波書店)です。驚いたことに、これは映画評論の本です。あまり知られていませんが、落合さんは野球をやっていた年月よりも、映画を観ていた年月の方が長いそうです。映画についてものすごく博識なだけでなく、監督・組織のリーダーとしてのノウハウをいろいろ書いています。映画について多くの知識が身に付くと同時に、経営者にとってのヒントがたくさん得られることと思います。

安藤:ありがとうございます。JMCの読者には、理事長や院長など経営者が多いので、すごく参考になると思います。

最大限、頑張って、いまを生きる

安藤:先生は、どんな食べ物が好きですか。

二木:私の世代は、父親から「男は食事に文句を言うな」ってたたき込まれた世代です。出された物を黙々と食べろという教育を受けちゃったので、なんでも食べますが、強いて言えば、豆腐が好きです。

安藤:珍しいですね。健康的です。

二木:寿司屋にはよく行きますけどね。

安藤:お魚料理とか、さっぱり系でしょうか。

二木:いや、与えられた物をただ黙々と食べるだけです(笑)。

安藤:お酒は強いですか。

二木:弱いです。元々、ビールでコップ1杯ぐらいしか飲めませんし、最近はノンアルコールビール。あれはいい。アルコールが入る会合では、ノンアルコールビールをよく飲んでいます。

安藤:今後、先生がさらに年齢を重ねて、最後にどんなことをしたいのか、夢を教えて下さい。

二木:それは夢というよりも希望ですよね。私の希望は単純です。いま66歳ですが、最低80歳までは現役でいたいと思っています。大学は70歳で定年ですが、無職になっても研究はずっと続けたいと思っています。

安藤:生涯現役ですね。では、最後の質問です。今度生まれ変わるとしたら、何になりたいですか?

二木:すみません。それは考えたことがないんです。私は、「人は死ねば灰になる」という即物的唯物論的な人生観の持ち主で、全く考えたことはないのです。そのことについて、好きな言葉があります。キューバのカストロ元首相が、似たような質問で「人生、二度過ごせたらいいと思うか」と聞かれた時に、「そんな考えを自分は持たないし、また持つべきではない」とズバッと答えたそうです。忘れもしない、毎日新聞の2007年7月2日の朝刊に書いてありました。

私も同じ考えです。いまを生きる。最大限、頑張って生きようと。その後は、ケ・セラ・セラ、なるようになるさ、です。

安藤:それだけ毎日、一生懸命に、燃え尽きるくらいまで生きていらっしゃるんですね。

二木:お答えになっていないかもしれませんが、日々、そんなことを思っております。

安藤:本日は、本当にいろいろなお話を聴くことができました。ありがとうございました。

二木:こちらこそ、ありがとうございました。

(インタビューは2013年12月13日実施)


4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算98回.2013年分その11:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[アメリカの]病院、マーケットシェア、そして統合
(Cutler DM, et al: Hospitals, market share, and consolidation. JAMA 310(18):1964-1970,2013.[評論]

入院医療利用の大幅減少は、患者保護・医療費負担適正化法のインセンティブと相まって、病院産業における大きな統合の流れを生んでいる。かつては独立した個々の病院が外来医療を行う医師と距離を置いた関係にあったが、それは少数の地域的に統合された医療システムに変貌しつつある(2011年には全米の病院の60%が医療システムに所属)。それらは一般的には、大規模で権威ある大学医療センターを中核としている。典型的なアメリカの地域は、さまざまな医療形態を提供する3~5の統合医療システムを有している。統合医療システムには長所と短所がある。長所は、さまざまな医療提供者間で医療をコーディネートできる能力である。この長所を相殺するのは、強い市場支配力がもたらす価格の高騰である。彼らの市場支配力が強まるのは、保険会社がほんの少数の医療システムの中から1つだけを選んで成功裏に契約することが困難だからである。独占禁止法取締機関は統合システムが形成されたときからそれが法に違反しないか検討してきたが、明確な結論は得られていない。というのは、統合システムの創設は利点と欠点の両方を生み、それらはシステムごとに異なるからである。しかも、実害が出ている場合にも、独占禁止法に基づく伝統的な救済手段(契約の無効化や当事者の資産分割等)には限界がある。そのために、地方政府は、消費者の利益を守るための新しい政策の導入を求めるかもしれない。それらには、消費者が高料金の医師や医療センターを受診した場合保険料が高くなる保険商品や、医師と医療施設への支払いを包括化して大規模システムがより多くの医療を提供するインセンティブを抑制すること、および地域ごとの価格・医療費上限を設けることである。

二木コメント-高名な医療経済学者であるCutlerハーバード大学経済学部教授による、アメリカの医療提供体制の変貌についての目配りの聞いた総説です。日本と異なり、公定医療価格のないアメリカでは、医療施設の統合は医療費増加を招くことが示されています。

○急性期医療から在宅医療へ:[アメリカにおける]病院の責任の進化と増大する垂直統合の原理
Dilwali P, et al: From acute care to home care: The evolution of hospital responsibility and rationale for increased vertical integration. Journal of Healthcare Management 58(4):267-276,2013.[評論]

病院の責任は変化しつつある。かつて医療施設の壁の中に限定されていた病院の責任は、壁の外に大きくシフトしたが、病院に求められるものが明確になったのはつい最近である。患者保護・医療費負担適正化法の成立と責任ある医療組織(ACO)の成長により、財政的誘因の焦点は医療コーディネーションにあてられ、病院の責任は今や退院後の場も含むようになっている。その結果、病院は急性期後医療の場に対応するように、ビジネスモデルを調整する必要がある。在宅ケアはこの病院の役割を満たすものであり、退院後の領域への効果的導線となり、潜在的な利益センターかつリスク緩和の手段ともなっている。在宅ケア機関と病院との連合(alliance)は臨床的アウトカムを改善するのを助け、地域で求められケアを提供し、潜在的に高利益の生産ラインを確立する。

二木コメント-著者はACHE(American College of Healthcare Executives)の大学院生評論コンテストの優秀者で、アメリカにおける病院の役割の変化を簡潔にスケッチしています。ただし、Cutler論文と異なり、垂直統合のプラス面しかみていません。

○急性心筋梗塞における医療の質と院内資源利用:日本のエビデンス
Park S, et al: Quality of care and in-hospital resource use in acute myocardial infarction: Evidence from Japan. Health Policy 111(3):264-272,2013.[量的研究]

日本の急性心筋梗塞入院患者における、医療の質のプロセス指標とアウトカム指標、および院内資源利用との関連を検討した。対象は2008年4月~2011年3月の3年間に日本の150病院(DPC/PDPSで医療費を算定し、「医療の質・改善プロジェクト」に参加)に入院した急性心筋梗塞患者23,512人である。心筋梗塞患者の総院内資源利用は、診療報酬明細書から計算し、ドル(2010年の購買力平価)で表示した。リスク調整済みの院内資源利用に基づいて、病院を4段階に分類した。医療の質は3つのプロセス指標(アスピリン、βブロッカー、アンジオテンシン変換酵素阻害剤/アンジオテンシン受容体拮抗薬の処方率)と2つのアウトカム指標(入院後7日以内、30日以内死亡率)で測定した。プロセス指標とアウトカム指標は、患者と病院の特性を調整した上で、マルチレベル・ロジスティック回帰モデルを用いて分析した。3つのプロセス指標については、院内資源利用の4段階の病院間で有意差がなかった。それと対照的に、アウトカム指標は資源利用が少ないほど低くなり、下位四分の一の病院と上位四分の一病院との間には有意差があった(入院後7日以内死亡率のオッズ比は1.851、同30日以内では1.706。共にp<0.001)。日本の急性心筋梗塞患者では、アウトカム指標の低さと資源利用の少なさは有意に関連していたが、プロセス指標では同様の関連はなかった。

二木コメント-プロセス指標はアウトカム指標の「代理変数」と見なされることが少なくありませんが、両者が乖離し、しかもアウトカム指標のみが資源利用(医療費)と関連することがあることを示した貴重な大規模実証研究と思います。本研究は、京都大学の今中雄一教授(大学院医学研究科医療経済学分野)グループの研究です。

○ナーシングホームにおける質に応じた支払い(P4P)の効果:[アメリカの]州メディケイドプログラムから得られた証拠
Werner RM, et al: The effect of pay-for-performance in nursing homes: Evidence from State Medicaid programs. Health Services Research 48(4):1393-1414,2013.[量的研究]

質に応じた支払い(P4P)はアメリカでは医療の質を向上させるために広く用いられており、患者保護・医療費負担適正化法によりさらに用いられるようになると予測されている。しかし、その効果についてのエビデンスは一定しておらず、しかも大規模で頑健な評価はほとんどない。本論文では、2001~2009年に8つの州がナーシングホームの支払いに導入したP4Pの大規模データを用いて、P4Pがケアの質に与える影響を検討した。対照群はP4Pを導入していない42州とワシントンDCとし、差の差法を用いて、P4P導入後のケアの質の変化を評価した。調査対象のナーシングホーム数はP4P群3513、対照群14,066、患者数はそれぞれ950,173人、4,731,071人である。その結果、P4P導入後のケアの変化は一定していなかった。8つの臨床的質指標のうち3つ(身体拘束を受けている患者の割合、中等度から重度の疼痛のある患者割合、褥創発生率。いずれも患者単位)の改善率は、P4P導入州の方が高かった。しかし、他の指標では両群で変化が見られないか、P4P導入州で悪化していた。支払いに直結しているケアの質の2つの構造的指標(州政府の監査時に指摘された違反数(deficiencies)と患者当たり職員数。施設単位)についてみると、P4P導入州では、違反数がわずかに悪化していたが、職員数レベルには変化がなかった。以上より、ナーシングホームに導入されたP4Pでケアの質が確実に改善されたとは言えず、P4Pでケアの質が向上するとの期待は静めるべきである。

二木コメント-全米のナーシングホームを対象にしたきわめて大規模な調査でも、やはりP4Pの効果は証明できなかったと言えます。本調査では費用は調査されていませんが、ほとんどのP4Pでは臨床的質費用や施設の質指標が高いと支払いが加算されるため、P4P群の方が高いことは確実です。

○オーストラリアにおける一般診療の質に応じた支払い(P4P)の評価
Greene J: An examination of pay-for-performance in general practice in Australia. Health Services Research 48(4):1415-1432,2013.[量的研究]

本研究、オーストラリアで2001年に導入された、一般医(GP)対象の質に応じた支払い(P4P)プログラムのインパクトを評価する。本プログラムへの参加は任意で、推奨された糖尿病または喘息治療を1年間続けた場合、GPに出来高払いに加え、それぞれ40オーストラリアドル(以下、ドル)、100ドルを支払い、過去4年間に子宮頸癌のスクリーニングを受けていない女性にそれを実施した場合35ドルを支払う。プログラムのインパクトを以下の3側面から評価した。(1)プログラム導入前後での、誘因を与えられた医療サービスの全国レベルの医療費請求の趨勢の分析。(2)GPのP4Pプログラム参加が誘因を与えられたサービスに与える影響の固定効果パネル回帰分析。(3)GPに対する、プログラムについての自身の反応についての認識の深層インタビュー。プログラム導入後、糖尿病検査と子宮頸癌スクリーニングは短期間増加した。しかし、この増加は、全GP(プログラムに参加しなかったGPも含む)でみられた。プログラムに参加するとの署名も、誘因を与えられたサービスについての請求も、糖尿病検査と子宮頸部癌スクリーニングの増加と関連していなかった。GPはプログラムの誘因は自己の行動に影響を与えておらず、その主な理由は追加支払いが少額であり、患者追跡と支払い請求の方法が複雑なためだと回答した。P4Pプログラムは質改善に期待されたインパクトを 与えない可能性があるので、それのモニタリングと評価が不可欠である。

二木コメント-この調査研究も、P4Pプログラムが医療の質改善には結びついていないこと(および費用は増加すること)を示しています。

○包括払いが入院・治療方針に与える影響:[アメリカの]入院リハビリテーション施設から得られた根拠
Sood N, et al: The effect of prospective payment on admission and treatment policy: Evidence from inpatient rehabilitation facilities. Journal of Health Economics 32(5):965-979,2013.[量的研究]

アメリカのメディケアが入院リハビリテーション施設(IRF。リハビリテーション病棟と独立施設の両方を含む)の支払いに対して2001~2003年に段階的に導入した、1入院当たり包括払い方式(PPS)に対する供給側の反応を調査した。IRFは、入院患者数を増やしたり、入院患者の特性を変えたり、リハビリテーション治療密度を変えることにより、PPSに対応することができた。メディケアの医療費請求データを用いて、3つの診断群(大腿骨骨折、下肢関節置換術、脳卒中)の患者に対する、上記3つの対応を推計した。合わせて、患者の健康アウトカムの変化(退院後90日時点での死亡率とナーシングホーム入所率、急性期病院への再入院率等)と他の急性期後施設への漏出効果も検討した。その結果、PPS導入直後は医療コストは減少し、それは入させる患者の特性の変化ではなく、リハビリテーション治療密度の低下によって生じたと判断された。PPS導入後、IRF側の入院方針の拡大により、IRFへの入院確率が徐々に増加していた。他の急性期後施設への漏出効果は少し認められ、3つの診断群のうち関節置換術患者のみで再入院率が上昇していた。

二木コメント-高名な医療経済学者であるNewhouseハーバード大学教授も加わった、一見緻密な研究です。ただし、健康アウトカムの尺度が死亡率やナーシングホーム入所率、急性期病院への再入院率だけというのはリハビリテーション患者対象の調査としては粗く、結果も月並みと思います。


5. 私の好きな名言・警句の紹介(その111)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

<その他>

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