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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻111号)』(転載)

二木立

発行日2013年10月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


おしらせ


1.論文:社会保障制度改革国民会議報告を複眼的に評価し「プログラム法案」を批判する

(「二木学長の医療時評」(116)」『文化連情報』2013年10月号(427号):16-22頁)

はじめに

社会保障制度改革国民会議(会長:清家篤慶應義塾長)は、8月6日、昨年11月末以来約8カ月間、合計20回におよぶ審議結果をまとめた報告書(以下、国民会議報告)を安倍晋三首相に提出しました。首相は、国民会議の「審議結果等を踏まえ」、8月21日、「社会保障制度改革推進法第4条の規定に基づく『法制上の措置』の骨子について」を閣議決定しました。これに基づいた「社会保障制度改革の全体像及び進め方を明らかにする法律案」(以下、プログラム法案)は本年秋の臨時国会冒頭に提出され、それに沿った医療(保険・提供)制度と介護保険制度の改革が2014~2017年度に順次実施される予定です。

国民会議報告は「第1部 社会保障制度改革の全体像」(総論)と「第2部 社会保障4分野の改革」(各論)の二部構成になっていますが、本稿では網羅的検討は行わず、第1部と第2部の「II 医療・介護分野の改革」に焦点を当てます。まず、「医療・介護分野の改革」の負担増と「給付の重点化」を複眼的に評価します。次に、第1部と「医療・介護分野の改革」の「基本的考え」や「方向性」で注目すべき点を、それぞれ指摘します。最後に、プログラム法案の社会保障制度改革の理念は、国民会議報告を「踏まえ」ていないだけでなく、国民会議報告の基礎になった社会保障制度改革推進法(以下、改革推進法)からも逸脱していることを指摘します。検討の過程では、国民会議報告の前身とも言える2008年の福田・麻生内閣時にまとめられた社会保障国民会議の諸報告」、および2012年2月に野田内閣が閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」との異同も示します。

負担増と給付の重点化への疑問

国民会議報告の報道では、70~74歳の高齢患者の2割負担化や紹介状のない患者の大病院の外来受診時の定額負担導入等の負担増と「給付の重点化」=「痛み」に焦点が当てられています。

私も、それらの多くには賛成できませんし、特に入院「給食給付等の自己負担」(正確にはそれの「在り方」を「見直すこと」)が盛り込まれたことには強い疑問を持っています。すでに指摘したように(1)、2012年12月の衆院選と本年7月の参院選での自民党の「総合政策集(J-ファイル)」には「給食給付(医療上必要なものは除く)の原則自己負担化」が掲げられていましたが、国民会議ではこれについては一度も議論されませんでした。厳密に言えば、報告書の検討が終盤を迎えていた第17回会議(7月12日)に遠藤久夫委員が提出した「意見書」には、「医療給付の重点化等(療養の範囲の適正化等)」の1例として、「給食給付の原則自己負担化の検討」が含まれていましたが、遠藤委員は「意見書」の説明時にこれについては説明せず、当然議論もなされませんでした。

もう1つ私が強い疑問を持つのは、「介護サービスの効率化及び重点化」策の第1にあげられている要支援者(軽度者)に対する予防給付の保険外し(「自治体の地域包括推進事業(仮称)に段階的に移行」)です。経済学的に言えば、これは「効率化」ではなく、保険から公費(プラス自費?)へのコストシフティングにすぎず、市町村間のサービス格差を発生させるとともに、低所得者や認知症者の要支援者の障害・要介護度悪化を招く危険があり、厚生労働省が昨年打ち出した「認知症施策5カ年計画(オレンジプラン)」の趣旨にも反すると思います(2)

負担増と給付の重点化で考慮・注目すべき2つのこと

ただし、負担増と給付の重点化について、考慮・注目すべきことが2つあります。

第1は、2008年の福田・麻生内閣時の社会保障国民会議では、委員が「社会保障の機能強化」について自由に議論や提言できたのと異なり、今回の国民会議では、「給付の重点化」や「療養の範囲の適正化」を明記した改革推進法の「基本的考え方」や「基本方針」に基づき(それに強く制約されて)、制度改革を議論せざるを得なかったことです。その一端は、国民会議報告に改革推進法への言及が11回もあることからもうかがえます(見出しを除く。以下同じ)。私は、国民会議委員の多くを占める「社会保障の機能強化」派の人々は、この点で苦渋の選択をせざるを得なかったと推察します。

第2は、国民・患者・利用者の一律の負担増ではなく、「能力に応じた負担の仕組み」、具体的には高所得者の負担増と低所得者の負担減(または据え置き)をワンセットで提案していることです。医療保険では、被用者保険と国民健康保険の保険料上限の引き上げと国民健康保険加入の低所得者の保険料の軽減、高額療養費の自己負担上限の高所得者での引き上げと低所得者での引き下げ、後期高齢者支援金に対する負担方法の総報酬割への全面的変更等です。介護保険でも高所得者に限定した利用料の引き上げが提起されています。ちなみに、「能力に応じた負担」という表現は改革推進法にはまったくありませんでしたが、国民会議報告では9回も使われています。「低所得者(への配慮等)」はなんと26回も使われています(改革推進法では1回のみ)。なお、野田内閣の「社会保障・税一体改革大綱」でも「能力に応じた負担」は4回、低所得者(への配慮等は)17回も使われていました。

私は、「能力に応じた負担」は税金や保険料負担で行うべきであり、患者・利用者負担は所得の多寡によらず無料または低額であるべきだと考えています。そのため、小泉内閣時代の2005年9月に厚生労働省が発表した「医療保険制度改革試案」を次のように批判したことがあります。「私は低所得者の一部負担を軽減することは支持するが、高所得者の一部負担を一般よりも高くすることには賛成できない。『負担能力に応じた適切な負担』は保険料・租税負担に適用される原則であり、一部負担については、低所得者以外は定額・定率負担を守るべきである。実はこれは、厚生労働省が介護保険制度を創設したときに、社会保険方式が公費負担方式(措置制度)に勝る点として強調していた点である」。(3)

ただし、上述した改革推進法の厳しい制約の下では、国民会議がこのような原則的対応をすることは不可能だったと推察します。また、日本医療政策機構「2013年日本の医療に関する世論調査」で、9種類の患者負担増のうち「高額所得者の医療費」(の負担増)に対する賛成(賛成プラスどちらかといえば賛成)が70%ともっとも多かったことを踏まえると、高所得者の医療・介護サービス利用時の負担増加は国民の支持を得られると思います。

「社会保障の機能強化」が復活

次に国民会議報告の理念面で注目すべきことは、「社会保障の機能強化」という表現が6回も使われていることです。この表現は、2008年の「社会保障国民会議報告」から2012年の「社会保障・税一体改革大綱」まで社会保障制度改革の定番表現になっていましたが、改革推進法では消失しました(4)。上述した「能力に応じた負担」・「低所得者への配慮」は、「社会保障の機能強化」の復活に対応していると思います。

なお、一部では、国民会議報告は「自助を基本」とし、社会保障の理念を否定したとの批判がなされていますが、これは報告の誤読です。国民会議報告は「2(1)自助・共助・公助の最適な組合せ」の冒頭で、「日本の社会保障制度は、自助・共助・公助の最適な組合せに留意して形成すべきとされている」と改革推進法第2条の「基本的な考え方」を踏襲しています。次に、「国民の生活」と「日本の社会保障制度」を峻別した上で、前者では「『自助』を基本」とすると指摘する一方、後者では「社会保険方式を基本とする」と明記しています。その際、社会保険方式は「自助を共同化した仕組みである」、「自助の共同化」とのやや回りくどい表現をしているため、上述した誤読を誘発したものと思います。これは、安倍首相の「自助、自立を第一に」との強い要請(1月21日の第3回会議)に配慮しつつ、日本の社会保障制度は社会保険制度が基本であるとの当然の事実を述べた苦肉の表現と思います。

なお、社会保険・共助を「自助の共同化」とする表現は今回が初出ではなく、例えば、2012年7月31日の社会保障制度の低所得者対策の在り方に関する研究会(第2回)の「資料2 各種制度の低所得者対策の経緯等」の図「自助・共助・公助と社会保障制度」(10頁)でも使われています。また、有名な社会保障制度審議会「社会保障制度に関する勧告」(1950年)でも「社会保障の中心をなすものは自らをしてそれに必要な経費を醵出せしめるところの社会保険制度」という、「自助の共同化」に近い表現が使われていました。

「国民皆保険の維持」も復活

国民会議報告の中心は量的にも、質的にも「医療・介護分野の改革」であり、量的には報告書本体(46頁)の4割近く(18頁)を占めています。質的にも、特に「医療提供体制(の改革)」についての記述は、従来のどの報告よりも踏み込んでいます。例えば、2008年の社会保障国民会議は、医療提供制体制の効率化と改革を行うと医療費総額は増加するとの「医療・介護費用のシミュレーション」を発表した点で画期的でしたが、医療・介護「サービス提供体制の構造改革」については「中間報告」で6点の改革を箇条書き的に示すにとどまっていました。

国民会議報告の医療制度改革でまず評価すべきは、「国民皆保険(制度)の維持」という表現が3回も使われていることです。「国民皆保険(制度)の堅持」という表現は、小泉内閣の2003年の閣議決定「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針について」から、2012年の野田内閣の閣議決定「社会保障・税一体改革」に至るまで、医療制度改革の定番的表現になっていましたが、改革推進法では消失し、それに代わって「医療保険制度に原則として全ての国民が加入する仕組みを維持する」という限定的表現が用いられました(4)。国民会議報告の「国民皆保険(制度)の維持」という表現は、従来の「堅持」に比べてやや弱いとも言えますが、改革推進法の制約ではこれが限界だったのかもしれません。

医療提供体制改革は見識がある

一般の報道では、医療制度改革のうち、「国民健康保険の保険者の都道府県への移行」に焦点が当てられています。しかし、これは実態的には都道府県と市町村との共同保険者への移行に近く、現実的ではあっても、従来の議論の延長上の改革と言えます。私は、少なくとも医療者・医療団体にとっては、それよりも、医療提供体制改革の方がはるかに重要であり、今後の改革議論の重要な叩き台になると思います。

私がまず注目したのは、「医療問題の日本的特徴」で、欧州に比べた日本の病院制度の特徴(私的病院主体の「規制緩和された市場依存型」)を指摘し、今後の改革は「市場の力」でもなく、「政府の力」でもない「データによる制御機構をもって医療ニーズと提供体制のマッチングを図るシステムの確立」を提唱すると共に、「医療専門職集団の自己規律」を強調していることです。これは、医療制度改革の「第三の道」と言えます。私はこれを読んで、アメリカの医療経済学の泰斗・フュックス教授が、1996年のアメリカ経済学会第108回総会での会長講演「医療経済学、価値判断、そして医療改革」で、従来のアメリカの医療政策の論争が、政府による規制と競争・市場メカニズムのどちらが優れているかの二分法的議論に明け暮れてきたことを批判し、それに代わる第三の方法として医師の専門職規範(倫理)の再活性化を提起したことを思い出しました(5)

これを受けて、医療提供体制の「改革の方向性」では「提供者と政策当局の信頼関係こそが基礎になるべき」と明言し、様々な改革を提言しています。私は、その多くが妥当と思いますが、特に以下の4つの提案に注目・共感しました。(1)「穏やかなゲートキーパー機能を備えた『かかりつけ医』の普及」、(2)「医療・介護サービスのネットワーク化」・「競争よりも協調」、(3)「非営利性や公共性の堅持を前提」とした医療法人制度改革、(4)医療提供体制の再構築のために「診療報酬・介護報酬とは別の財政支援の手法が不可欠」(消費税引き上げにより得られる公費の直接投入。「基金方式」)」。

(2)を論じた箇所では「地域包括ケア」に何度も言及しており、このこと自体は厚生労働省の従来の方針を踏襲したようにも見えますが、「地域包括ケアシステムというネットワーク」というストレートな表現に象徴されるように、「地域包括ケア」を「システム」ではなく、「ネットワーク」と明確に位置づけている点が、従来の厚生労働省の公式説明とは異なります。私も、以前から、地域包括ケアシステムの実態はシステムではなくネットワークであると主張していたので、大いに共感しました(6)

報告に書かれていない2点に注目

国民会議報告の「医療・介護分野の改革」で見落としてならないことがあります。それは、混合診療の解禁はもちろん、保険外併用療養費制度の拡大、医療の(営利)産業化等、医療への市場原理導入につながりかねない表現・提起がまったく書かれていないことです。安倍首相が6月に閣議決定した「日本再興戦略」や「規制改革実施計画」には、保険外併用療養費制度(先進医療)の対象拡大や、医療の営利産業化につながりかねない方針が盛り込まれました(7)。それにもかかわらず、国民会議報告がそれらに全く(恐らく意識的に)言及しなかったことは、大変見識があると思います。この点について、横倉義武日本医師会会長が、8月7日の記者会見で、国民会議報告で「医療の営利産業化につながる『新自由主義』的色合いが薄れたことは特筆すべき」と評価されたのは、正鵠を得ています。

なお、6月13日の第13回国民会議で伊藤元重委員が提出した「経済財政の視点からの社会保障改革」には「将来のどこかの時点できちんと検討が必要となるだろう」事項の「例示」の1として、「混合診療を進めていく、保険医療でカバーする部分を限定する」ことが書かれていました。しかし、この点についての伊藤委員と権丈委員・宮武委員とのやり取りを「議事録」で読む限り、伊藤委員は現行の保険外併用療養費制度そのもの、およびそれと混合診療全面解禁の区別について正確に理解されていないと思います。これを除いて、全20回の会議では、誰も、混合診療解禁はもちろん、保険外併用療養費制度の拡大について言及しませんでした。

「医療・介護分野の改革」に登場しないもう1つの言葉があります。それは「アメリカ」で、この点はヨーロッパ(「欧州」、「西欧や北欧」、「フランスやドイツ」)での医療制度改革の経験に4回も言及しているのと対照的です。報告書全体でも「アメリカ」は一度も登場せず、このことは国民会議報告がヨーロッパ型の「社会保障の機能強化」を志向していることを示唆しており、大変見識があると思います。ちなみにこのスタンスは、『平成24年版厚生労働白書』のそれと一致しています(8)

プログラム法案の理念は国民会議報告とは異質

最後に、閣議決定されたプログラム法案の理念が、国民会議報告とは異質であり、改革推進法の「基本的考え方」にも反することを指摘します。このことは、一般の報道ではほとんど見落とされているからです。

「はじめに」で述べたように、プログラム法案は、国民会議での「審議の結果等を踏まえ」たとされています。事実、国民会議報告で提起された医療・介護制度の改革の大半は、低所得者の負担軽減策も含めて、盛り込まれています。国民会議報告に含まれていた「給食費等の自己負担」は明記されていませんが、「外来・入院に関する給付の見直し」がそれを意味するのかもしれません。「国民皆保険制度を維持する」との表現も維持されていますし、上述した6月の閣議決定と異なり、保険外併用療養費制度の拡大も盛り込まれていません。

しかし、国民会議報告との重大な違いもあります。それは、プログラム法案の前文に、「[社会保障制度改革は]自らの生活を自ら又は家族相互の助け合いによって支える自助・自立を基本とし」とわざわざ明記し、国民会議報告の「社会保険方式を基本とする」との考え方を事実上否定していることです。それにともない、「社会保障の機能強化」という表現も再び消失しました。

しかも、一般的にも、国民会議報告でも「互助」に含まれる「家族相互の助け合い」までも「自助」に含んでいます。この点では、同じ「自助と自律を基本」とするとしつつも、それを個人レベルのこととした、小泉内閣の「骨太の方針2001」とも異なります(9)

このような二重の意味でのいわば復古的な考え方は、改革推進法が「社会保障制度改革は、(中略)自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意し」と、三助(?)を同列に扱っていたことからも逸脱しています。

プログラム法案は、この理念を具体化するため、「個々人の自助努力を行うインセンティブを持てる仕組み」を医療制度と介護保険制度に入れると明記しています。これは、1969年の自民党「国民医療対策大綱」で示された健康の自己責任原理の現代版とも言えます。しかし、社会疫学の膨大な研究により、個人の健康・疾病には社会経済的要因も重要な影響を与えることが明らかにされていること、および1990年代以降の世界各国の度重なる景気後退や経済危機により低所得者・失業者の健康状態が悪化したとの最近の「大量の研究」を踏まえると、時代錯誤の方針と言えます(10,11)

おわりに

本稿では、国民会議報告の「医療・介護分野の改革」を中心に、具体的施策と基本的考え方、改革の方向について複眼的評価を行う一方、それを「踏まえて」作成されたはずのプログラム法案の理念は、それとはまったく異なることを明らかにしました。

それでも、プログラム法案に含まれている施策の大半は、国民会議報告を「踏まえて」います。しかし、同法案に基づく改革の実施が2014~2017年度の長期にわたることを考えると、今後、国家財政や医療・介護保険財政の悪化を理由にして、国民会議報告には含まれていないより一層の患者・利用者負担増や「保険給付の対象となる療養の範囲の適正化」が実施される可能性があると思います。具体的には、以前の自民党政権や民主党政権で検討された外来受診時定額負担や免責制の導入、保険外併用療養費制度の拡大等です。さらには、小泉政権時代のような、医療費総額増加への「キャップ制」や診療報酬の大幅マイナス改定が再実施される可能性も否定できないと思います。

[本稿は、『日本医事新報』2013年9月7日号(第4663号)に掲載した「国民会議報告を批判的に、プログラム法案を批判的に評価する」に加筆したものです]

文献

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2.論文:私の行ってきた研究とその方法
-60歳以降の研究の「重点移動」と著書「量産」の秘密

(2013年7月27日 第9回日本福祉大学夏季大学院公開ゼミナール・研究者の語り。『現代と文化』(日本福祉大学福祉社会開発研究所)第128号(2013年9月30日):131-154頁)

「一行たりとも、書かざる日なし」(J・P・サルトル『言葉』人文書院,1964,173頁)

「デカルトのもじりですが、『我書く、ゆえに我あり』。それが学者です。時空を超えて真理を探究し、読者が元気になるようなものを書かなければならない」(猪口孝。「毎日新聞」2002年5月6日朝刊)。

はじめに

私は、1972年に東京医科歯科大学医学部を卒業した後、東京の地域病院(代々木病院)にリハビリテーション医として勤務する傍ら、医療経済学等の勉強と研究を行う「二本立」生活を13年間続けました。1983年に論文「脳卒中患者の障害の構造の研究」で東京大学で医学博士号を取得し、1985年度に日本福祉大学に教授として赴任しました。本学には28年間勤務しましたが、後半の14年間は「管理職人生」が続きました。本年3月に65歳で定年退職し、その直後の本年4月、学長に就任しました。本学に赴任した直後に、「毎年1冊は著書を出版する」と決意し、教授在職中の28年間に23冊の著書(単著18冊、共著3冊、共訳書2冊。編著は含まず)を出版し、ほぼ目標を達成しました。うち2冊では学会賞等を受賞し、別の1冊で第2の学位(博士(社会福祉学。日本福祉大学))を取得しました。私の研究の視点と方法、資料整理の技法は、2006年に出版した『医療経済・政策学の視点と研究方法』(以下、『視点・方法』と略記します。(1))第4・5章で詳しく紹介しました。これは、その前年の2005年7月の第1回日本福祉大学夏季大学院公開ゼミナールでの「全体講義」(2)に大幅に加筆したものです。

本報告・「語り」では、同書第4・5章のエッセンスを紹介すると共に、その後7年間の私の研究の「心境」の変化と「重点移動」、および研究方法・手法の進歩を述べます。合わせて、コンスタントに論文を発表し、それらを速やかに単著にまとめる私の心構えとノウハウをお伝えします。最後に、学長就任後気づいた、研究に関連した2つのことについて述べます。

1.私の42年間の時期別著書

まず、私が1972年に医学部を卒業して以来本年までに出版した著書を、4つの時期別に紹介します。42年間に26冊出版し、うち19冊が単著です。著書には、単著と奥付に氏名が記載された共著と共訳書を含みますが、編著は除きました。

(1)代々木病院勤務医時代の13年

第1期の代々木病院勤務医時代の13年間(1972~1984年度。24~36歳。年齢は年度開始時)は、私の研究者としての「修業時代」なので、著書は以下の2冊だけです。しかも、2冊とも、私の2人の恩師(川上武先生と上田敏先生)との共(編)著です。川上先生は医師で在野の医療政策・医療史研究者(2009年死去、享年83)、上田先生は東大病院リハビリテーション部教授で日本のリハビリテーション医学の第一人者です。

(2)日本福祉大学教授時代の前半14年

第2期の日本福祉大学教授時代の前半14年間(1985~1998年度。37~51歳)には、以下の14冊(単著9冊、共著3冊、共訳書2冊)を出版しました。これらのうち、『現代日本医療の実証分析』で吉村賞を、『保健・医療・福祉複合体』で社会政策学会奨励賞を受賞しました。

(3)日本福祉大学教授時代の後半14年

第3期の日本福祉大学教授時代の後半、「管理職人生」が続いた14年間(1999~2012年度。52~64歳)には以下の9冊を出版しました。これらはいずれも単著です。このうち『介護保険制度の総合的研究』で、医学博士(東京大学。1983年)に次ぐ、第2の学位(博士(社会福祉学。日本福祉大学))を取得しました。

(4)日本福祉大学学長時代

第4期の日本福祉大学学長時代は今年度から始まったばかりですが、4月1日に『福祉教育はいかにあるべきか-演習方法と論文指導』(勁草書房,2013)を出版しました。

なお、第2期の最初の2冊(『医療経済学』と『脳卒中の早期リハビリテーション』)は、第1期の代々木病院勤務医時代の研究成果をまとめたものです。これらと2冊の共訳書を除くと、第2期の著書は10冊になります。また第4期の1冊は第3期の最終年度に原稿を完成したので、これを加えると第3期の著書は10冊になります。つまり、50歳代以降の「管理職人生」が続いた第3期も、それ以前に比べて著書「数」は減らず、ほぼコンスタントに出版できました。ただし、この時期には本格的な実証研究はできませんでした。

このように私はたくさんの著書を出版していますが、重大な弱点があります。それは、42年間に完全な「書き下ろし」の単著が1冊もないことで、学長退任後の「宿題」にしたいと思っています(この点は「おわりに」の最後で述べます)。ちなみに、私は、20歳代だった頃に恩師の1人の川上武先生から、「短距離ランナー型」(爆発的集中力はあるが、長続きしない)と評され、「短距離走を何度も繰り返すよう」に助言されたことがあります。この点では、「三つ子の魂百まで」と言えます。それに対して川上先生は、典型的な長距離走者で、生涯に書き下ろしの単著(先生のお言葉を借りれば「先発完投型」の著書)を11冊も出版されました。先生の医療政策と医療史の研究業績については別に詳しく紹介したので、お読み下さい(3)

2.『医療経済・政策学の視点と研究方法』で紹介した私の研究の視点と研究方法

次に、『視点・方法』の第4・5章に書いた私の研究(特に論文・本執筆に関わる)の視点と研究方法のエッセンスを紹介します。詳しくは是非同書をお読み下さい。一部、同書出版後に気づいたこと等も補足しますが、研究についての基本的認識と方法は7年後の現在も変わっていません。

第4章「私の研究の視点と方法」より

1-(2)「日本福祉大学での22年」より

本・論文の執筆についての私の美学と信念

本・論文の執筆についての私の美学と信念は以下の4つです。(1)教科書・啓蒙書は書かない。(2)単著を書き、本の分担執筆や編集は極力断る。(3)論文を書くときも、常に、本に収録することを念頭に置いて書く(4)④自然科学と異なり、社会科学の業績は、論文ではなく、本(単著)で評価される。

これらのうち(1)・(2)・(4)は私の独断で普遍性はありませんが、(3)は著書を「量産」するために不可欠と思っています(4「著書『量産』の3つの秘密」の(3)で詳述します)。なお、(2)については2003~2007年度に本学の「21世紀COEプログラム」の拠点リーダーを務めたときに、禁を破り(?)、次の2冊の本の編集責任者を務めました((4):第3章参照)。『福祉社会開発学の構築』(ミネルヴァ書房,2005)『福祉社会開発学-理論・政策・実際』(ミネルヴァ書房,2008)

「二本立」の研究と生活

私は、自分の氏名(二木立)をもじって、「二本立」の研究・生活をすることをモットーにしています。今話題のプロ野球日本ハムの大谷翔平選手流に言えば、「二刀流」です(「朝日新聞」7月26日朝刊「耕論 いまこそ二刀流」)

研究面では、政策的意味合いが明確な実証研究(医療経済学的研究)と医療・介護政策の分析・予測・批判・提言(医療政策研究)の「二本立」研究を行っています。これは1985年度に日本福祉大学に赴任してから身につけたモットーで、現在も励行しています。

生活面での「二本立」はそれよりもはるかに古く、代々木病院の研修医時代(1972・1973年度)から、診療・臨床研究と医療問題の勉強・研究の「二本立」生活を始めました。日本福祉大学赴任後は、2004年4月まで19年間(アメリカ留学中の1年を除く)、大学教授と代々木病院非常勤医(病棟での研修医指導、リハビリテーション外来、往診)との「二本立」生活、および名古屋と東京との「二本立」生活を続けました。この時期と一部重複しますが、1999~2012年度は、大学の管理職業務と教育・研究との「二本(三本?)立」生活を続けました。そして、本年度から2016年度までの4年間は、学長業務と研究との「二本立」生活を続ける予定です。

読みやすく分かりやすい文章を書けるようになった3つの要因

著書を量産するためには、その元になる論文を量産する必要がありますし、そのためには、読みやすく分かりやすい文章を書く能力を身につける必要があります。実は、私は元々は典型的な理系人間で、高校生・大学生時代は文章を書くのがむしろ苦手だったのですが、現在では私の文章は読みやすくて分かりやすいと評価されるようになりました。その要因は以下の3つだと思います。

第1は、論理的に思考・執筆する2種類のトレーニングを積んだことです。まず、論文の書き方や研究方法論の本を沢山かつ継続的に読みました。私は、1999年度から毎年「大学院『入院』生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書」リストを作成し、大学院入学式で配布していますが、これはそれの「副産物」です。このリストの2013年度版(Ver.15)では200冊を紹介しました(『福祉教育はいかにあるべきか』(4)に収録)。

もう1つのトレーニングは、2人の恩師(川上武先生と上田敏先生)から論文の書き方について継続的に(添削)指導を受けたことです。川上先生からは、特に「唯物論的に書け」(言葉を上滑りさせるな)と徹底的に叩き込まれるとともに、最初の1文・最初のパラグラフに「凝る」ことの大切さを教えられました。上田先生からは、実証研究論文を書く際、次の3つを励行するよういつも指導されました。(1)基本用語の定義を明確にする、(2)調査結果(事実)を分かりやすく正確に書く、(3)調査結果の解釈(考察)で飛躍を行わない。上田先生からは、博士論文執筆までの10年間、ほとんどすべての医学論文の草稿に対して、それが真っ赤になるほど徹底的な添削指導も受けました。

第2の要因は、学部ゼミ生と大学院生のレポート・論文の添削指導を徹底的に行ってきたことです。これのノウハウは、『福祉教育はいかにあるべきか』(4)で詳述しました。この添削作業を28年間、ほぼ毎月行うことにより、知らず知らずのうちに論文の書き方が血肉化するとともに、「言葉に対する感覚の鋭さ」が身につきました。

第3の要因は、論文を書くとき、「一切のタブーにとらわれず、事実と本音を書く」ことに徹したことです。逆に、特定の個人や組織に遠慮して書くと、あいまいな文章になってしまいます。私がこの表現を初めて用いたのは、1990年に出版した『90年代の医療』(5)で、同書では、従来医療界ではタブーとされてきた医師・医療機関の内部に存在する弱点を率直に指摘しました。最近では、昨年出版した『TPPと医療の産業化』(6)の第1章で、TPP参加反対の論陣を張る一方で、「TPPに参加すると国民皆保険が崩壊する」等の「地獄のシナリオ」論を批判しました。

2-(1)「私の研究の3つの心構え・スタンス」より

私の研究の心構え・スタンスは以下の3つです。第1は、医療改革の志を保ちつつ、リアリズムとヒューマニズムとの複眼的視点から研究を行うことです。リアリズムだけでは現状追随主義に陥るが、リアリズムを欠いたヒューマニズムでは観念的理想論になってしまうからです。なお、これに似た表現として、マーシャルの「冷静な頭脳と温かい心」がよく使われますが、これは誤訳で正しくは「冷静な頭脳を持ち、しかし温かい心をも兼ね備えた(cool heads but warm hearts)」です。冷静な頭脳と温かい心はともすれば対立しがちであり、両者を身につけるためには、意識的努力が不可欠です。

第2は、事実とその解釈、「客観的」将来予測と自己の価値判断(あるべき論)を峻別するとともに、それぞれの根拠を示して「反証可能性」を保つことです。ただし、実証研究では、事実(調査結果)とその解釈(考察)を主とし、価値判断は極力控えています。政策研究では、2001年に出版した『21世紀初頭の医療と介護』(7)以来、事実認識と「客観的」将来予測と自己の価値判断に3区分して論述しています。

第3はフェアプレー精神で、以下の3つを励行しています。(1)研究論文だけでなく、「時論」・評論でも出所・根拠となる文献・情報はすべて明示する。(2)自分と立場の異なる研究者の主張も全否定せず、複眼的に評価する(黙殺はもっての他)。(3)自己の以前の著書や論文に書いた事実認識や判断、将来予測に誤りがあることが判明した場合には、それを潔く認めるとともに、大きな誤りの時にはその理由も示す。

2-(2)「福祉関係者・若手研究者への忠告と『研究者とあたま』についての独断」より

私が福祉関係者・研究者に忠告したいことは2つあります。1つは「リアリズムを欠いたヒューマニズム」は研究の敵であることです。これは学問の本質論にも関わることで、田中滋氏(慶應義塾大学大学院教授)は「学問の本質は『提言』ではなく『分析』がメインになります」と明快に述べています。

ただし、『視点・方法』出版後、これは「実証研究」や「理論研究」について言えることであり、「実践研究」・「臨床研究」や一部の実証研究(プログラム評価研究や介入研究等)では「提言」も重視されることに気づきました。私自身、リハビリテーション医時代には「第一線病院での日常診療の指針となるようなリハビリテーション医学研究」に積極的に取り組みました((1):76頁)。ただし、「提言」を行う場合にも、冷静な「分析」=リアリズムは不可欠です。

第2の忠告は、研究を現場・実践と直結させないことです。「分析」と「提言」を無理に直結させると「結論先にありき」の歪んだ研究になる危険があるからです。

2-(3)「『研究者とあたま』についての独断と2つの留保条件」より

私は、理論研究は高度の抽象的思考力が不可欠なため「頭の良い」研究者でないと研究業績をあげにくいが、実証研究は「頭の悪い」研究者でもコツコツ努力を続ければある程度の業績は出せる、歴史研究はその中間と考えています。ここで誤解のないように。私は決して理論研究そのものの意義を否定しているわけではありません。しかし、よほど「頭の良い」研究者がするのでない限り、理論研究は先人や指導教員の研究の解釈・追従にとどまる危険が強いと思っています。

ただしこの独断には2つの留保条件があります。第1は、頭が「良い」「悪い」は天性のものだけでなく、頭の悪さは努力によりある程度はカバーできることです。この点で、「継続は力」と言えます。なお、寺田寅彦氏(戦前日本の物理学者・随筆家)はこの点に関連して、「[科学者は]頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならない」という至言を残しています(8)

第2の留保条件は、理論と歴史の「勉強」は実証研究を行う上でも不可欠なことです。理論と歴史の教養・素養・センスのない研究者が書いた実証研究論文には、論文の形式は整っていても、問いの設定が陳腐で、調査結果の解釈も平板な「つまらない」ものが少なくありません。

3「私の研究領域と研究方法の特徴」より

私は、日本福祉大学教授になった当初は、医師出身である「比較優位」を生かすために、研究領域を主に医療提供制度の研究に限定していました。私の尊敬する医療経済学者のフュックス教授も、若手研究者への助言の第1に、「あなたのルーツを忘れるな」をあげています((9),(1):8頁)。ただし、その後、経験と勉強を積む中で、研究の「幅」を徐々に拡げ、50歳代以降は、医療・介護政策(保障)全般に研究領域を拡大してきました。

日本医療についての神話・通説の実証研究に基づく批判

私の医療経済・政策学の実証研究には、他の研究者にはあまり見られない特徴があります。それは、日本医療についての神話・通説をデータ・根拠に基づき批判し、一般には知られていない真実の姿を明らかにすることです。それには以下の2つの手法があります。

1つは、官庁統計等の独自の分析です。この手法により、人口高齢化は医療費増加の主因ではないこと、社会的入院医療費は高額ではないこと、新予防給付の介護費用抑制効果はまだ証明されていないこと等を明らかにしました。この手法は現在も継続しています(後述)。

もう1つは、官庁統計の空白(盲点)を埋める独自の全国調査です。代表的なものは、病院チェーンの全国調査(1990年)、老人病院等の保険外負担(お世話料)の全国調査(1992年)、保健・医療・福祉複合体の全国調査(1996~98年)の3つです。ただし、この手法を用いた研究は2001年以降「休止(終了?)」しています。

手前味噌ですが、これらは、日本医療についての「認識枠組み」を変えた実証研究と評価されています。このような独自調査に基づく研究が成功した要因は以下の3つだと自己評価しています。(1)研究課題の設定が適切だった。(2)基本的用語・概念の定義を明確にして調査を行った。(3)私独自の人的ネットワークを駆使した。

(2)に関して、私は「理論」という多義的であいまいな用語は嫌いですが、「論理」は大好きで、実証研究を行う場合、まず分析枠組みと基本的用語・概念の定義を明確にした上で、調査を行うようにしています((4):76頁)。

(3)に関して、大規模な(全国レベルの)独自調査を一人だけで行うことは不可能で、個人的信頼に基づく「人的ネットワーク」が不可欠です。そのためもあり、私の大学院演習・講義での口癖の1つは「この世は信頼(関係)だ」です。大学院生によると、これに加えて、「この世は金だ」(この世を動かしているのは経済・金だ)、「この世は業績だ」、「この世は教養だ」の4つが私の口癖だそうです((1):91頁)。なお、私の「人的ネットワーク」の形成プロセスは【参考1】に詳しく書きました。

医療政策研究のための3種類の研究と調査

すでに述べたように医療の実証研究と並ぶ私の研究のもう1つの柱は、医療・介護政策の分析・予測・批判・提言(医療政策研究)です。政策研究というと、政府・省庁の公式文書の分析が中心とされがちですが、私は分析枠組みを拡げて、以下の3種類の研究や調査に基づいて、医療政策研究を行っています(この点は『視点・方法』(1)第2章で詳述しました)。

第1は、日本医療の構造的変化の徹底的な「実証分析」です(上述した病院のチェーン化、複合体化の全国調査等)。第2は、自己の臨床経験に即して判断すると共に、新しい動きが注目される医療機関を個々に訪問し、生の情報を得る「フィールド調査」です。私は、古巣の代々木病院での診療は2004年に終了しましたが、その後も、地元の名古屋・愛知以外で講演する時は、できるだけ講演前に現地の代表的複合体等を見学しています。第3は、政府・厚生労働省の公式文書や政策担当者の講演記録を分析する「文献学的研究」です。私の経験では、公開情報をていねいに収集・分析すれば、必要な情報は「ほぼ」手に入ります(それの例外については3-(3)で述べます)。ただしそのためには、メジャーな雑誌だけでなく、マイナーな雑誌等にも幅広く目を通す必要があります。

『視点・方法』第4章の最後では、実証研究のみでは政策の妥当性は評価できないことを指摘し、実証研究を行う際は、研究課題の設定においても、結果の解釈においても、自己の価値判断を明示する必要があることを強調しました。私は、今後求められる医療政策研究は、「日本医療の歴史と現実に立脚し、医療経済学の視点を持ち、しかも自己の価値判断を明確にした研究」、つまり医療経済・政策学的研究だと考えています。

第5章「資料整理の技法」5と「おわりに」より

『視点・方法』第5章では、私の資料整理等の以下の技法について具体的に紹介しました。それらは、論文整理の技法、本整理の技法、記憶力強化の方法、新聞・雑誌・本チェックの技法、インターネットを利用した情報検索の留意点、「読書メモ」と「読書ノート」と研究関連の手紙書きの技法、手帳による自己管理の技法、カード書きの技法等です。本報告では紙数の制約上、これらの技法の紹介はできないので、同書をお読みいただき、皆さんにあった「ヒント」を得ていただきたいと思っています。

研究者としての私の3つのプロ意識

私は、研究者として以下の3つのプロ意識を持っています。

第1は、何よりも事実に忠実なことで、そのために以下の2つをモットーにしています。(1)自分の知らないことについては発言しない、分からないことは正直に分からないと言う「知的正直」(渡部昇一(10))。(2)事実に関して少しでもあいまいな点があれば、必ず原典・元資料に当たる、当てずっぽうの文章や文献・図表の孫引きは絶対にしない。私の好きなテレビドラマ「相棒」の杉下右京警部の口癖を借用すれば、「細かいことにこだわるのが僕の悪い癖」です。第2は、事実そのものとその解釈、自己の価値判断とを峻別して論じることです(この点はすでに述べました)。

第3に、研究者の仕事は研究論文・研究書を書き続けることだと考えています。この点で、本報告の冒頭に掲げた、猪口孝氏(東京大学教授・当時)の言葉に大いに共感します。「デカルトのもじりですが、『我書く、ゆえに我あり』。それが学者です。時空を超えて真理を探究し、読者が元気になるようなものを書かなければならない」(「毎日新聞」2002年5月6日朝刊)。ただし、猪口氏はそれに続けて「ただ、それが、とても難しいことなんです(笑い)」とも述べています。

教職と研究費の獲得の両面で日本よりはるかに競争の激しいアメリカの大学等の研究者の間では「出版か死か」(publish or perish)という表現が慣用句になっています。なお、本年出版された『研究道:学的探究の道案内』(11)の「本書の狙い」ではこの表現が、「研究のユニバーサル・ルール」・「黄金律」とされていますが、これは疑問です。この主張の真偽を確認するため、私は、本年6~7月に、イギリス、ドイツ、フランス、オーストラリアに留学経験のある社会医学または社会福祉学・社会科学系研究者15人にお願いして、留学中にこの表現を聞いたか否かについての電子メールによる「聞きとり調査」をしました。その結果、この表現そのものは、アメリカ以外ではイギリスの一部ブランド大学で使われているだけのようです。

社会人としての私の2つの美学と最近加えた第3の美学

私は、研究者というより社会人として次の2つの美学(こだわり)を持っています。1つは「忙しい」とは絶対に言わないこと、もう1つは職場で依頼された仕事は原則として断らないことです(ただし、職場外からの依頼は取捨選択して引き受けています)。前者に関して私が好きな名言は、阿部謹也氏(一橋大学元学長・故人)の「学者は忙しいと思った瞬間ダメになる」です(「朝日新聞」1999年12月17日夕刊)。

さらに、2012年11月からは「疲れた」とは(人前では)言わないことを第3の美学にしています。これは昇地三郎氏(福岡教育大学名誉教授、106歳)の「私は生涯、疲れたと言ったことはない」に触発されて、加えました(詳しくは、「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」100号(2012年11月))。ただし、これには大前提があります。それは、日常生活で無理をせず、疲れないようにすること、特に睡眠時間を十分とることです。ちなみに、「私は…酒は飲まず、煙草は生涯一度も吸ったことがなく、夜9時就寝・朝5時起床・朝7時半には大学に着く『早寝早起き』で、3食はきちんと食べ、早足で歩くという生活を続けており、文部科学省または厚生労働省から表彰されるような『健康優良爺』」です(2013年2月26日の日本福祉大学講師懇談会・全体懇談会での挨拶。「ニューズレター」105号)。

資料整理の苦手な社会人や若い研究者への3つのアドバイス

『視点・方法』第5章の「おわりに」では、資料整理の苦手な社会人や若い研究者に、以下の3つのアドバイスをしました。第1は、自分の身の丈にあった、無理なく実行できる技法を励行することです。『超整理法』で有名な野口悠紀雄氏は「整理法の一般理論」を提唱していますが、それは幻想です。資料整理の最適な技法は、個々人の性格・嗜好や能力、物理的・経済的条件、管理すべき資料の量と質等によって異なるし、同一人物でも、最適な方法は年齢や経験・実績を積み重ねるとともに変わってきます。

第2は、資料の保存は手段であり、大事なのは資料の内容の概略を記憶し、どんどん利用・発信することです。この点で最も手軽なのは、自分が面白いと思う情報を得たら、すぐ友人・同僚等に教えることです。人に伝える(話す)ことによってその情報の理解と記憶が進みますし、相手からお返しに別な情報をもらうこともあります。

第3は、研究関連の手紙(メール)をこまめに書くとともに、それのコピーと対応する相手の手紙をセットでファイルし、適宜読み返すことです。書くという行為は、自分の頭を整理し、記憶を強化する一番有用な方法です。

第2・第3の方法により、自己の「知的ネットワーク」を広げ、深めることができます。そして、一般の社会人にとっても、研究者にとっても、最大の財産は相互信頼に基づいた豊かな人間関係です。繰り返しになりますが、「この世は信頼(関係)」です。

3.『医療経済学の視点と研究方法』出版後7年間の研究についての「心境」の変化と「重点移動」、研究方法・手法の進歩

本報告の第3の柱として、『視点・方法』を2006年に出版して以降7年間の、私の研究についての「心境」の変化と「重点移動」、および研究方法・手法の2つの進歩について述べます。前者については、[参考2:私の最近10年間の研究の「重点移動」について友人に知らせたメール]もお読み下さい。

(1)研究についての「心境」の変化と「重点移動」

実は私は『視点・方法』を出版した7年前(50歳代末)は本格的な実証研究を再開できないことおよび50歳代になって著書の出版ペースが落ちてきたことに焦りを感じており、その原因が「加齢による能力と気力の低下のためか、あるいは大学の管理業務に継続して就いているためか」と考えていました((1):94,116頁)。そんな私を、宮田和明学長(当時。2010年2月死去、74歳)は「私の経験では、60歳を過ぎるとかえって健康になりますよ」と励ましてくれました。

しかし、60歳以降次の2つの「開眼」をしました。しかも、宮田先生が予言された(?)通り、60歳を超えたら確かに心身の健康状態が改善しました。

開眼の第1は、「管理職人生」が始まった1999年度以降も、コンスタントに(それ以前とほぼ同じペースで)単著を出版し続けている事実に気づいたことです(このことについては、1「私の42年間の時期別著書」の最後で述べました)。

第2は、「実証研究」には、独自調査に基づく大規模な量的研究だけでなく、官庁統計を独自に分析する量的研究や、医療政策や医療史の「実証研究」も含まれること、およびこのような意味での実証研究は「管理職人生」を続けながら継続できていることに気づいたことです。私の親友の権丈善一氏(慶應義塾大学商学部教授)は、名著『再分配政策の政治経済学』で、一般には「実証(研究)」と訳される"positive (study)"を「事実解明的(研究)」と訳しています(12)。遅まきながら、私の医療政策研究は「事実解明的」という意味での実証研究(表現は変ですが)でもあることに気づき、心が軽くなりました。

しかも実証的な政策研究には、量的研究である実証研究に比べた2つの利点があります。1つは、量的研究ではテーマと材料の両面で1回ごとに「ゼロスタート」になることが少なくないのに対して、政策研究では長年の蓄積が決定的に重要であり、「ベテラン研究者」に比較優位があることです。もう1つは、次々に新しい政策課題が生じるので(特に政権交代が短期間に繰り返す時代には!)、研究テーマに困ることがまったくないことです。

量的研究から政策研究へのこのような「重点移動」は、加齢と管理職人生に対応した研究者としての"metamorphosis"(変身・変態)とも言えます。言い換えれば、研究の最適スタイルは、同一個人でも、年齢によって変わってくるのです。『視点・方法』では、上述したように、資料整理の方法は「同一人物でも、最適な方法は同じではなく、年齢や経験・実績を積み重ねると共に変わって」((1):168頁)くると述べましたが、研究のスタイルについても同じであると思い至りました。

しかも『視点・方法』出版後の7年間には、大学の管理職業務も以前より前向きにできるようになりました。この点では、渡辺和子氏(ノートルダム清心女学園理事長)の次の言葉に大いに共感しています。「人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人公となり自分の花を咲かせよう」(13)

同じ時期に、大学管理職の拘束時間・日数は一般の教員に比べれば多いが、それでも一般企業の管理職よりはるかに少なく、努力すれば勉強・研究時間を相当捻出できることにも気づきました。私は、1985年度に日本福祉大学に赴任して以来29年間、自分の勉強・研究の自己管理のために、次の3つの「ノルマ」・目標を課しています。(1)社会科学の独習・研究を毎日2時間以上行う(これには、学会・研究会等に参加しての勉強時間や新聞を読む時間は含めない)、(2)英語の勉強を毎日1時間以上行う。(3)休日や校務等のない平日は1日8時間以上独習・研究する(これを「蟄居」と呼んでいます)((1):157頁)。『視点・方法』を執筆した50歳代後半には、(1)は8割、(2)は3割、(3)は年間約100日に落ちていたのですが、60歳代前半の副学長時代には、(1)は9割、(2)は5割、(3)は年間150日前後へと明らかに(有意に)増えました。逆に、たとえ時間があっても、「気力」や後述する「使命感」がないと勉強・研究は進まないと思います。

(2)研究方法・手法の進歩(1)-官庁統計・データベースを積極的に活用するようになった

次に『視点・方法』出版後7年間の、研究方法・手法の進歩を2つ述べます。1つは、官庁統計・データベースの使い勝手がきわめて良くなったことに気づき、今まで以上に積極的に活用するようになったことです。

『視点・方法』を出版した当時、私はたくさんの官庁統計書を毎年購入していましたが、現在では少なくとも指定統計はすべてがウェブ上に公開されるようになり、その必要がなくなりました。しかも官庁のデータベースの表から自分のパソコンの表計算ソフトにコピー&ペーストして、簡単に独自の分析をできるようになりました。

私のお薦めしたいウェブ版の官庁統計・データベースは「政府統計の総合窓口」と「国会会議録検索システム」です。前者にはすべての指定統計の過去10年分程度が含まれ、後者により明治以降のすべての国会での発言(者)が検索可能です。

これらを(も)用いた、私の最近の実証研究論文は以下の3つです。(1)「病院勤務医の開業志向は本当に生じたのか?全国・都道府県データによる検証」(『医師・歯科医師・薬剤師調査』等を利用。(14))、(2)「21世紀初頭の都道府県・大都市の『自宅死亡割合』の推移-今後の『自宅死亡割合』の変化を予測するための基礎作業」(『人口動態統計』等を利用。(15))。(3)「国民皆保険50周年-『いつでも、どこでも、だれでも』という標語の来歴を探る」(「国会会議録検索システム」等を利用。(6):第5章第1節)。

(1)により、医療危機の結果、病院勤務医の退職増加・開業志向が進んだとの通説を否定しました。(2)により、2000年以降全国レベルでの「自宅死亡割合」は安定しているが、都道府県レベルでは大きな変化が生じていること等を明らかにしました。(3)では、他の資料とも併用して検討した結果、この標語の初出が1970年代前半とほぼ特定できました。

(3)研究方法・手法の進歩(2)-電子メールによる研究者等との意見・情報交換を意識的に活用するようになった

研究方法・手法のもう1つの進歩は、電子メールによる研究者や医療関係者等との意見・情報交換が研究論文執筆にも大いに役立つことを再発見し、意識的・系統的に活用するようになったことです。

『視点・方法』で紹介したように、私は、日本福祉大学教授になった1985年以降のすべての「研究関連手紙」(私の手紙と相手の手紙のワンセット。2003年以降は大半が電子メール)のハードコピーを2つ穴ファイルに保存し、毎月末にその目次を作成しています(原則として日付順)。しかも、1985年以降の「総目次」は毎年更新しているので、必要な手紙・メールは瞬時に検索し、取り出せます((1):152-153頁)。今回数えてみたら、1985年~2013年前半の28年半で、2つ穴ファイル(厚さ8センチ)は合計30冊になっていました。

この研究関連手紙は、以前から論文執筆の参考にしていましたが、『視点・方法』出版後の7年間で、それをより徹底するようになりました。以下、3つの例を紹介します。

まず、他の研究者・ジャーナリスト等からのメールでの質問・問い合わせが新しい研究テーマになったことが少なくありません。例えば、上述した論文「『いつでも、どこでも、だれでも』という標語の来歴を探る」(6)は、友人の教授からのこの標語はいつ、誰が使い始めたかについての問い合わせメールを契機にして、約半年間調査してまとめました。論文「21世紀初頭の都道府県・大都市の『自宅死亡割合』の推移」(15)は、ある経済誌のジャーナリストからの、「今後は死亡者数が急増して大量の『死亡難民』が生じるのではないか?」との問い合わせを契機にして、やはり約半年間調査してまとめました。

次に、論争的テーマ(TPP、アベノミクス、混合診療解禁等)でしかも最新の動きについて論文を書くときは、厚生労働省関係者を含めて、メール等により充分に意見・情報交換してから執筆するのが安全です。逆に、公式情報(特に閣議決定等により正式決定される前の段階での)のみに基づくと、判断を誤ることがあります。ごく最近、あやうく失敗しかかったのが『文化連情報』7月号に掲載した論文「すべての政府文書から【一時】『保険外併用療養の拡大』が消失」です(16)。この論文の元原稿は、5月末時点での公開情報のみに基づいて書き、論文名にも【一時】を入れなかったのですが、6月上旬に公開された政府文書(「日本成長戦略」等)では、「保険外併用療養の拡大」という表現が復活したため、あわてて校正時に論文名に【一時】を追加するとともに、本文の後に「訂正・補足」を加えてました。

第3に、昨年10月の日本社会福祉学会秋季大会での基調講義「研究論文はいかにあるべきか」(17)等では、草稿を現役大学院生・同修了者、若手教員等に幅広く送って意見を求め、もらった意見を最大限生かして何度も推敲しました。ちなみに私は重要な学会報告等は、発表前に「完全(読み上げ)原稿」を準備し、発表後それらをすぐ論文化して、雑誌等に発表するようにしています。もちろん本報告でも、同じプロセスで「完全原稿」を準備しました。

この項の最後に、電子メールでの意見・情報交換に基づく研究で留意すべき点を3つ述べます。

第1は、このような意見・情報交換の大前提は豊かな「人的ネットワーク」を持っていることです。信頼関係のない方から非公開情報や率直な意見をいただけるのはきわめて稀です。第2は、重要なテーマ関連のメールはまとめて保存し、赤線や青線を引きながら何度も読み返すことです。第3は、論文の最後の謝辞欄に、貴重な情報や意見を寄せてくれた方の氏名を、本人の了解を得た上で明記することです。ただし、非公開情報の「情報源」秘匿のため、論文ではぼかして書くこともあります。

4.著著「量産」の3つの秘密

本報告の第4の柱として、私が日本福祉大学に赴任後28年間、著書を「量産」し続けてきた3つの秘密について述べます。ただし、これがどこまで普遍化できるかについては自信がないので、あくまで参考にとどめてください。

(1)論文・著書を書く「使命感」を持ち続け、それを「趣味」の域にまで高める

第1は、論文・著書を書くという「使命感」を持ち続けること、およびそれを「趣味」の域にまで高めることです。

私がこのような「使命感」を持っている背景には、代々木病院勤務医時代に刷り込まれた「強迫観念」があります。それは、大学所属の医師・研究者と違い、在野の医師が社会や学会で研究者として認められるただ一つの道は、高水準の学会発表や研究論文を発信し続けることだという強い「思い(込み)」です。

もう1つ現在も持ち続けているのは、学生運動を通して身につけた、患者の立場に立った医療改革の「志」です。この点について、今も座右の銘にしているのは、1976年に知った工藤晃氏の「書くこともたたかいだ」という名言です((18):はしがき。(5):38頁)。

ただし、「強迫観念」や「志」だけでは長続きしないので、論文・著書を書くことを「趣味」の域にまで高める必要があると思います。この点は、孔子が「これを知る者はこれを好む者にしかず、これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」((19):84頁)と述べている通りです。小木貞孝氏(上智大学教授)は、もっとストレートに「才能とは好きであるかどうかだ」と述べたそうです(金田一秀穂氏(日本語学者)が、上智大学4年生の時に、進路に悩んで、先生の研究室を訪ねて「僕は才能ありますか」と率直に聞いたら、こう答えた。「日本経済新聞」2013年4月12日夕刊、金田一秀穂「学びのふるさと」)。幸い私は、病院勤務医時代に、川上武先生と上田敏先生の指導を受けて、研究者の心構えと研究スタイルを身につけることができ、同僚医師等からは、「楽しみながら研究している」、「勉強や研究を趣味にしている」と羨ましがられました((1):162頁)。

(2)論文を継続的に発表する「場」を確保し、それを「外的強制」にして、とにかく書く

第2の秘密は、論文を継続的に発表する「場」を確保し、それを「外的強制」にして、とにかく書く、書き続けることです。教員・研究者の中には「研究は量より質」と豪語(弁解?)している方もいますが、真実は逆で、論文は「量を書かないと質は上がらない」と言えます(この言葉は、漫画家の石ノ森章太郎氏が、まだ作家として迷っていた又従兄弟の今野敏氏に教えた言葉。「読売新聞」2013年6月1日朝刊「顔」)。

論文を量産する、コンスタントに書くためには、文献やデータの整理が「ある程度」でき、自分の考えも「ある程度」まとまった段階で、まず論文を書いてみることが大切です。文献やデータがすべて揃ってから、あるいは自分の考えが完全にまとまってから、書くと考えていると、結果的にいつまでも書けないことになりかねません。この点で私が好きな名言は、キング氏(アメリカ医師会雑誌(JAMA)元編集長)の「さらに研究すると言うのは書く作業から逃避するための弁解だ」(20)です。特に「生きた」「臨場感」のある医療政策研究論文を量産するためには、これが決定的に重要だと思います。ただし、一度書き上げた後に、何度も推敲する必要があるのは言うまでもありません。

私は、論文を発表する「場」として以下の3つを持っています。第1は、『文化連情報』の連載枠「二木教授(学長)の医療時評」で、2004年10月号から開始し、本年7月号で通算113回になりました。第2は、『日本医事新報』の連載枠「深層を読む・真相を解く」で、2011年4月2日号から開始し、本年7月末で、通算25回になりました。

第3は、「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」です。これは私の友人・知人約1000人に毎月初めにBCCで配信している「メールマガジン」で、2005年1月に開始し、本年7月現在、通算108号になりました。「非営利・協同総合研究所」のホームページにも全号転載されていますので、興味のある方はお読み下さい。この「ニューズレター」は、(1)私の最新論文・講演録、(2)「最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(図書)」の抄訳・紹介、(3)「私の好きな名言・警句」の3本柱です。(2)には、学長就任後は、学長としての各種の挨拶やインタビューも掲載しています。(2)をまとめるために、英語雑誌28誌を毎号チェックしています(私の英語勉強方法と英語雑誌チェックの方法・手順は(1)139-140、170-175頁)。

言うまでもないことですが、論文を継続的に書く(outputする)ためには継続的な勉強(input)が不可欠で、両者のバランスをとることが重要です。教員・研究者の中には、「お勉強」ばかりをして研究発表をおろそかにする方が少なくありませんが、そのような「教養ある俗物」(ニーチェ)にとどまっている限り、本の量産はおろか単著を書くこともできません。

(3)論文を書くとき、常に後日、本に収録することを念頭に置いて書く

第3の秘密は、論文を書くとき、常に後日、本(論文集)に収録することを念頭に置いて書くことです。そのために私は、後日、本に収録できない啓蒙的論文やすでに書いたことの焼き直し的論文は依頼されても、極力書かないようにしています。昨年から今年にかけて、『日本医事新報』や『文化連情報』に「終末期ケア(の費用)」や「死亡場所」についての論文を続けて何本も書いたためか、最近、「在宅(終末期)ケア」についての原稿依頼が続けて3つありましたが、すべてお断りしました。

その上で、論文がある程度たまったら、できるだけ早く出版することです。私は、この数年、『日本医事新報』と『文化連情報』のいずれかまたは両方に、毎月論文を発表してきたので、2年も経てば、1冊の本分の原稿が「自然に」たまります。本に収録する際は、元論文には敢えて加筆・修正せず、「歴史の証言」としてそのまま収録しています。ただし、論文執筆後に生じた新たな動きや記述の誤り等は「補注」または本文中に【 】で示しています。以上は、最後の1文を除き、川上先生に教えていただいた本を効率的に出版するコツです

この項の最後に、注意・警告を述べます。それは、社会福祉分野では、教科書の分担執筆や啓蒙的論文を主に書く教員や研究者が少なくありませんが、それらををいくら書いても、そのままでは単著はできないことです。そのような論文には解説的記述が多く、しかも論文間で重複がきわめて多いからです。

おわりに-学長就任後気づいた研究に関する2つのこと

最後に、本年4月に学長に就任した後に気づいた研究に関する2つのことを述べます。1つは、学長業務のストレス解消の最良の方法は研究を行うこと、もう1つは研究と管理職業務は必ずしも矛盾せず両立しうることです。過去4年間(2009~2012年度)の副学長・常任理事時代にもこの2点にはぼんやり気づいていたのですが、学長就任後それが「確信」に変わりました。なお、今まで行ってきた研究(スタイル)で学長業務に役立ったことについては【参考3】に書きました。

学長業務のストレス解消の最良の方法は研究を行うこと

私は、学長に就任する前にも、1999年度から大学院社会福祉学研究科長、社会福祉学部長、大学院委員長、副学長・常任理事と14年間「管理職人生」を歩んできましたが、学長の責務・ストレスはそれらとは桁違いです。勉強・研究(できる)時間も、副学長時代に比べ概ね3~4割減りました。例えば、4~6月の3カ月間合計の「蟄居」日数(1日8時間以上独習・研究した日数)は2011年と2012年が平均41.5日だったのに対して、本年は25日に減りました。ただ、それでも月8日、週2日は蟄居できています。

私は、以前から、ストレス解消の方法や時間の効率的な使用法について試行錯誤してきましたが、学長になってから、私にとって一番効果的なストレス解消法は、休日や大学に出校しない平日は自宅に「蟄居」し、研究論文を執筆するか、その準備のためのデータや文献の収集・分析に没頭すること、または研究関連の手紙を書くことだと気づきました。このことをしている時間だけでなく、それが終わった後もしばらくは、学長業務のことをすっかり忘れられるからです。私は、学長選挙時の「所信表明書」(2012年9月)で、学長在職中も「学長業務と研究のバランスに留意しつつ、医療・介護政策の研究と発信を続けます」と公約したのですが、ストレス解消のために原稿を書く、あるいは原稿を書くことでストレス解消になる(頭の切り替えができる)ことに最近気づきました。しかも、それにより勉強・研究の「質」を良くすることができます。

私にとって研究の次に効果的なストレス解消法は、勤務日も含めて、毎日、「寸暇を惜しんで」継続的に勉強することです。具体的には、勤務日は毎日、早朝5時に起床して朝食まで約45分間、通勤の名鉄車中で45分間、7時半に大学に着いてから9時に執務が始まるまで学長室で1時間半弱、合計最大3時間~最低2時間は必ず勉強するように心がけています。この時は、主に新着雑誌や本のチェックを行います。これにより、学長就任後も、1985年度以来継続している「社会科学の独習・研究を毎日2時間以上行う」というノルマをほぼ達成できています。

私にとって勉強面で一番ストレス解消になるのは、愛読しているThe Economist(週刊)が来たらすぐに読み始めることです(私の同誌チェックの手順は(1):174-175頁)。木田元氏(哲学者)は、「語学の勉強には精神を安定させるところがあります」、「語学の勉強は精神の衛生にとてもいいのです」と述べています(21)。時に行き詰まりを感じる論文執筆と異なり、語学の勉強はコツコツやるだけで「着々と力がついていく実感」(21)を得ることができるため、ストレス解消になるのだと思います。

私にとっての第3のストレス解消法は、映画館で映画を観ることです。「管理職人生」が始まる前は年間約50本観ており、その後も現在に至るまで年間約30本は観ています。しかし、それによりストレスを解消できるのは映画を観ている間の2時間程度で、映画館を出た途端に、仕事(学長業務)のことを思い出してしまいますし、つまらない映画の時は、観ている間も、仕事のことが気になって、映画に集中できません。そのため、最近は、映画は純粋に趣味で見るようにしています。

研究と管理職業務は両立しうる

研究と管理職業務は一般には矛盾・対立すると言われていますが、梅原猛氏(哲学者・日本学研究者で「ものづくり大学」初代学長)は、「管理職生活と研究者生活の二重生活は私にとってむしろ有利に働いた」と断言し、その理由を次のように説明しています。「なぜなら研究一筋に生きているとスランプに陥ることがあるが、二重生活をしているとスランプに陥る暇もない。管理職として実務を務めていると、また新しい構想が湧いてきて、研究も進む。管理職も、いつ辞めてもよいと思っていると、地位に対する執着がなく、組織の状況が客観的に見られ、判断を誤らない」(「日本経済新聞」2001年5月26日朝刊「私の履歴書」)。

私も、4年間の副学長・常任理事の経験と、今回の学長就任を経て、ようやくこの心境が少し分かりかけてきました。今後4年間、この視点から、前向きに、学長業務と研究に取り組んでいく決意です。具体的には、『文化連情報』または『日本医事新報』に最低限月1本は論文を発表し続け、それらをまとめた論文集を最低1冊、出来れば2冊出版したいと思っています。「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」も、今後4年間、毎月配信し続ける予定です。

少し気が早いが学長退任後の計画

最後の最後に、少し気が早いですが、学長退任後は、今まで蓄積してきた大学・大学院の管理運営・経営管理業務の経験とノウハウについて一書にまとめると共に、自分の医療経済・政策学研究の総まとめとして、今まで一度も書いたことのない、医療経済・政策学の「書き下ろし」の単著にも挑戦したいと思っています。

この点での私にとっての「ロールモデル」は、恩師の上田敏先生です。先生は8年前の73歳時に、「私は自分がある年齢の頃からほとんど変わっていないという感じをもっている」、「35歳だと思ってる」とサラリと述べられたのですが(22)、実際に81歳になられた今年、300頁を超える書き下ろしの大作『リハビリテーションの歩み』(医学書院)を出版されました。さらにそれに続いて、これから、同じく書き下ろしで『目でみるリハビリテーション医学[第3版]』(東京大学出版会)の執筆にとりかかられるそうです。先生からは、「仕事をやめてみると分かりますが、時間はふんだんにあるので、集中しさえすれば[書き下ろしの-二木]本を書くのはそう大変ではありません」と御助言いただきました(2013年7月7日私信。引用許可済み)。このお言葉を「希望」にして、私も知的能力が続く限り、精進を続けたいと思います。

引用文献

 

【参考1:私の「人的ネットワーク」の形成プロセスについて友人の若手研究者に知らせたメール】

(本報告の草稿に対して垣田裕介氏(大分大学)から寄せられた質問に対する回答の一部)
Sent: Monday, July 15, 2013 8:39 AM
Subject: 私がどのようにして人的ネットワークを築いてきたかについてお答えします

御質問に対する答えは複雑で、以下「探索的に」お答えします。なお、この件に関連したことは、『医療経済・政策学の視点と研究方法』の33,103,105-106,153-155,164,169頁でも少し触れているので、お読み下さい。

まず、私の「人的ネットワーク」は、信頼関係に基づく「手作り」・「非公式」のものが中心です。ご承知のように、私は、今まで一度も、厚生労働省の各種審議会・委員会の委員、あるいは各種学会・研究会の役員をしたことはなく、この面での(公式)ネットワークはほとんどありません。ただし、2004年以降は、日本医師会の医療政策会議と病院委員会の委員、および日本学術会議連携会員としてのネットワークもできてきました。

他面、研究者、医師・医療関係者はもちろん、厚生労働省関係者から革新政党や医療運動団体の幹部・活動家に至る幅広い非公式の人的ネットワークを持っています。私が病院勤務医(リハビリテーション医)から大学教員に転身したこと、および私の研究領域が医療と福祉、経済にまたがって幅広いことも、私の人的ネットワークの広さの一因と思います。ちなみに、私の「ニューズレター」の読者約1000人の内訳(概数)は以下の通りです:日本福祉大学教職員および院生OB・OG100人、研究者250人(うち医師研究者50人)、医師・医療団体関係者400人、ジャーナリスト150人、厚生労働省関係者50人、その他50人。これら人々の大半とは、最低限一度はお会いしたことがあります(後述)。

このように幅広い人的ネットワークができた最大の要因は、長年(ほぼ40年)医療経済・政策学の研究を続け、論文や著書を多数発表・出版してきたことです。しかも、私は、40年間、時流に媚びず、自分のスタンスを全く変えてきませんでした。その結果、私の研究者としての評価・信頼性が高まり、人的ネットワークが「自然に」できたと言えます。

論文・著書で一番重要なことは、今まで誰も知らないか気づいていない事実や視点を示すことです。厚生労働省等の政策や厚生労働省系の研究者の論文を批判する場合も全否定せず「複眼的」批判をする、および事実とその解釈・価値判断を峻別することが重要です。これにより、自分と価値判断を異にする人々との冷静な対話が可能になります。以前、ある政府系研究機関の有力研究者からは、「二木さんの現状認識は100%正しいが、改革方針が違う」とほめられた(?)こともあります。

厚生労働省には以前から私の実証研究を評価する方が少なくなかったのですが、小泉政権時代に新自由主義的政策に抵抗していた厚生労働省を率直に評価したり、民主党政権成立直後に同党幹部および同党系の研究者によるスサマジイ厚生労働省(技官)バッシングが生じたときに、私がそれを正面から厳しく批判することにより、厚生労働省内の「ファン」が急増したと聞いています。これを通して信頼関係を確立した厚生労働省関係者とは、本音レベルでの情報・意見交換をできるようになりました。

日本医師会幹部との付き合いは以前はまったくなかったのですが、2001年以降、私が小泉政権の厳しい医療費抑制政策と医療への市場原理導入、および民主党政権成立直後の医師会バッシングを正面から批判したことにより、日本医師会幹部の私に対する評価が変わったようです。その結果、上述したように、現在は私は日本医師会の医療政策会議と病院委員会の委員を務めており、日本医師会幹部とも率直な意見交換ができるようになっています。さらに、医療政策の「客観的」将来予測を積極的に行い、しかもそれがほとんど当たることにより、医療関係者(医師・病院)の「支持者」が増えたと思います。

以上をまとめて言えば、人的ネットワークを強めるためには、「話を聞いて得をする」&「話が信頼できる」人間と評価されることが重要と思います。

私は社会的「上昇志向」がまったくなく、相手を利用する等の「下心」もないこと、および絶対にうそは言わないことも、信頼を得る上で重要だと思います。かつて、ある厚生労働省系の研究者から、「二木さんはポスト(厚生労働省の審議会や委員会の委員)を狙っていないから安心してつきあえる」と言われたことがあります(笑)。非公式な情報や意見を得た場合、秘密を厳守することも信頼される重要な要素です。

人一倍、こまめにメールや手紙を出すことも「人的ネットワーク」の形成に大いに寄与したと思います。この点では、「1行たりとて、書かざりし日なし」(プリニウス→サルトル)です。以下、順不同で例示します。最初の2点については、『医療経済・政策学の視点と研究方法』153-155頁でも詳しく書きました。

最後に、東京で開かれる研究会や医師会の委員会等に参加する場合は、その前後に友人研究者等と「割り勘」で、会食や研究会の「二次会」を行い、率直な情報・意見交換を行っています。ほぼ毎月行っているのは医療科学研究所(東京・赤坂見附)の医療経済研究会例会後に近くの「赤提灯」で行う「二次会」で、権丈善一さんや本学の近藤克則さん等の親しい研究者に加えて、厚生労働省の関係者も時々参加します。この「常連」とは、メールでも日常的に、本音レベルでの情報・意見交換をしています。

[参考2:私の最近10年間の研究の「重点移動」について友人研究者に知らせたメール]

(須田木綿子氏(東洋大学。日本学術会議連携会員)にお送りしたメールの一部)
Sent: Tuesday, January 01, 2013 5:47 PM
Subject:私の最近10年間の実証研究から政策研究への「重点移動」についてお知らせします

私は今まで、「医療経済[・政策]学の視点から、政策的意味合いが明確な実証研究、および医療・介護政策の分析・予測・批判・提言の『二本立』の研究・言論活動を継続」していると公言していました(『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房,2006,97頁)。

前者の研究の私の最大の特徴・強みは、「官庁統計の空白(盲点)を埋める独自の全国調査を実施すること」であり、それの頂点は2006~2008年に行った保健・医療・福祉複合体の全国調査でした(上掲書114~115頁。『保健・医療・福祉複合体』医学書院,1998)。これ以降も、2000年までは、複合体とIDS[統合医療供給システム]の日米比較研究や京都府の複合体の実態調査(全数調査)等、独自の実証研究をなんとか行いました(『21世紀初頭の医療と介護』勁草書房,2001)。

しかし、その後は、大学の管理職人生が続いたこともあり、本格的な実証研究(量的研究)はまったく行えず、今日に至っています。私は自分の研究の原点は本格的な実証研究(量的研究)にあると思っていたので、そのことがずっと引っかかり、『医療改革と病院』(勁草書房,2004)以降のすべての著書の「あとがき」で、「実証研究の再開」を繰り返し宣言しつつ、できないままになっていました。そのためもあり、50代の後半には一時的にスランプになり、『医療経済・政策学の視点と研究方法』(59歳時に出版)では、二度も「加齢」に言及しました(94,116頁)。

しかし、60代に入った2007年以降は、いつのまにかそのような感覚はなくなり、少なくとも医療・介護政策の研究は質量共にそれ以前よりグレードアップして、それほど苦労せずに論文を書けるようになり、単著も毎年または隔年に出版できるようになっています(『医療改革』2007、『医療改革と財源選択』2009、『民主党政権の医療政策』2011、『TPPと医療の産業化』2012。すべて勁草書房)。これは、2005年から『文化連情報』にほぼ毎月「医療時評」を掲載し続けていることが大きいと思います(2011年からは『日本医事新報』にも連載を開始)。

それでもしばらくは、実証研究(量的研究)への未練があったのですが、昨年、自分が行っている政策研究も立派な実証研究だと悟ってからは、だいぶ気が楽になりました(このことは以前、同僚の近藤克則さんにも指摘されたことがあります)。しかも、多くの場合、テーマと材料の両面でゼロスタートになることが少なくない量的研究である実証研究と異なり、実証的な政策研究は長年の蓄積が決定的に重要であり、しかも次々に新しい政策課題が生じるので研究テーマに困ることはまったくありません。手前味噌ですが、少なくとも「生きた」医療政策研究は、今や私の「独壇場」になっています。例えば、「『平成24年版厚生労働白書』を複眼的に読む」や「『自助・共助・公助』という表現の出自と意味の変遷」(共に「ニューズレター」100号)では、50年分の「厚生(労働)白書」等の記述をすべてチェックしたり、国会会議録検索システムを用いた徹底的な検索を行いました。

これは野球で言えば、若いときは快速球一本槍だった本格派投手の一部が、球速が落ちても「技巧派投手」に変身して生き延びることに通じると思います。逆に、私がいつまでも量的研究である実証研究(しかも個人研究)だけにこだわっていたら、そのしんどさに音を上げたかもしれません。

私は「ニューズレター」100号(2012年11月)冒頭の学長就任の「ご報告とご挨拶」では、学長就任後も、「学長業務と研究のバランスに留意しつつ、医療・介護政策の研究と発信を続け」ると宣言しつつも、「本格的な実証研究(『医療費の増加要因、技術進歩と医療費の関連等の実証研究』等)の再開は、断念せざるを得ません」とも書きました。

しかし、その後、確かに独自調査に基づく本格的な実証研究はできないが、既存の「官庁統計を独自に分析して、日本の医療…についての神話・通説の誤りを示す」、「政策的意味合いが明確な実証研究」は、これからも十分にできることに気づきました。しかも、これは私が以前常用していた研究手法です(『医療経済・政策学の視点と研究方法』112-114頁)。

例えば、昨年発表した「病院勤務医の開業志向は本当に生じたのか?」(「ニューズレター」93号)や、昨年末にまとめた「21世紀初頭の都道府県・大都市の『自宅死亡割合』の推移」(「ニューズレター」103号(2013年2月)転載予定)などです。後者では、東京都区部の最近(2000~2007年の)自宅死亡数増加の5割は「孤独死」数増加によるものであるという衝撃的事実等を、明らかにすることができました。しかも、このような官庁統計の独自分析は自宅に籠もってもできるので、管理運営業務のストレス解消にも最適です。

それに対して、映画を観てストレスを忘れられるのは、映画館にいる時間だけで、映画館を出た途端に仕事のことを思い出しますし、ストレスが多いときに気分転換に趣味の読書をしても、厚い本は読めません。

というわけで、現在は、本年4月に学長に就任しても、実証的な政策研究や官庁統計の独自分析レベルでの量的研究は続けられるし、続けるべきと「前向き」に考えています((I'm positive. It's my faith.これは代々木病院勤務医時代に、英語の勉強のために読んでいたNewsweekで覚えた、私の好きなフレーズです)。

しかも、学長自らが研究を続けることは、教員に対するプレッシャーにもなりますし、なによりも大学の宣伝になります。また、これは「世俗的」ことですが、同じ論文・発言でも、学長の方がはるかに社会的影響力が大きいと思います。少し気障な言い方をすると、グラムシの「知的ヘゲモニー」です。

【参考3:今まで行ってきた研究で学長業務に役立ったことを医療雑誌編集長に知らせたメール】

(『日経メディカル』2013年7月号のインタビュー前に大滝隆行編集長から送られてきた「事前質問」に対する回答の一部。これの一部はインタビュー(23)に掲載)。
Sent: Monday, June 17, 2013 3:07 PM
Subject: 6月21日のインタビューの事前質問への回答メモ<増補版>をお送りします

私は、30年以上の論文執筆や学会での研究発表・質疑応答の経験を通して、自分なりの研究方法や手法を身につけています。例えば、論文執筆には十分時間をかけ、何度も推敲する。早い段階で、草稿を友人の研究者に読んでもらい、その助言に基づいて推敲する。重要な学会(特に国際学会)での発表に際しては、事前に原稿を何度も読み上げて、与えられた時間ジャストに終わるようにする。学会発表前に「想定問答集」をたくさん(最低10、できれば20以上)作成し、学会発表時に質問が出た場合には、それに依拠して余裕を持って答える等です。

このような経験・方法は、学長として、特に批判精神に富んだ教員を説得するための重要文書を作成する際に、そのまま使えています。例えば、5月23日の全学部合同教授会での「基調報告」のレジュメは、学長会議のスタッフ等からの助言も参考にしながら、合計7回書き直しました。読み上げ原稿も3回書き直し、事前に3回読み上げる練習をしたので、当日は時計を見ることなく、25分の持ち時間ちょうどで終わりました。想定問答は合計40も作成したので、教員から出されたどんな質問に対しても余裕を持って答えることができました。

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算93回.2013年分その6:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○ICT[情報通信技術]の統合的医療供給における役割を探る-[ヨーロッパ]8か国からのエビデンス
Lluch M, et al: Exploring the role of ICT in the provision of integrated care - Evidence from eight countries. Health Policy 111(1):1-13,2013.[文献レビュー]

本研究の目的は、統合的医療の供給におけるテレメディシン(telehealthcare.情報通信技術を用いた遠隔医療)の役割をヨーロッパ8か国(デンマーク、エストニア、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、スペイン、イギリス)で行われた31の実験に基づいて明らかにすることである。これらの実験は次の3つの視点から分析した:(1)イノベーションの普及、(2)ガバナンスとインパクト、(3)広範に実施する上でのバリア。その結果、テレメディスンの発達は、統合的医療の供給と強く関連していた。最も成功した実験に共通する、統合的医療の供給の成功に寄与する条件として、目的と合致したインセンティブ、健全なガバナンスとエビデンスの統合が導出された。

二木コメント-ヨーロッパにおける(公的医療制度下の)テレメディスンの実験、広くは医療におけるICTの利用実験についての貴重な文献レビューです。ただし、ICTの費用、総医療費に与える影響は検討されていません。

○病院閉鎖と合併に関連する諸要因:オランダの病院の1978~2010年の生存分析
den Hartog M, et al: Factors associated with hospital closure and merger: A survival analysis of Dutch hospitals from 1978 to 2010. Health Services Management Research 26(1):1-8,2013[量的研究]

西欧諸国の医療政策では医療(病院)制度をより自己調節的かつ競争的システムに変容されることが目指されている。オランダ政府は、長年の病院への強い規制の歴史を経て、政府の役割を弱め、病院間の競争が費用マネジメントと質改善を生むような条件を導入した。オランダの全病院数は1978年には243であったが、その後閉鎖や合併により2009年には112へと半減した。ここで問題となるのは、病院の合併が病院の生存確率に影響したか否かである。そこで、オランダの全病院の1978~2010年の生存分析を行うとともに、病院のライフスパン(寿命)とそれの予測変数との関係を検討した。病院が他の病院と合併したか否かにも注目した。その結果、二変数分析では、小規模な病院は特に市場から駆逐されやすく、合併した病院はしなかった病院に比べてライフスパンが長かった。しかし、Cox回帰分析により、病床規模、病院種類、病院所在地を調整したところ、合併は病院のライフスパンに有意な影響を与えていなかった。

二木コメント-オランダにおける32年間にわたる病院の合併・閉鎖とその要因についての貴重な研究です。病院の合併が病院の生存に有意な影響を与えていないという結果は興味深いと思います。ただし、本論文では病院の開設者別の合併・閉鎖は検討されていません。

○[アメリカにおける]人口高齢化と救急部門:受診件数は増えないが、診療時間と入院は増加する見込み
Pallin DJ, et al: Population aging and emergency departments: Visits will not increase, length-of-stay and hospitalizations will. Health Affairs 32(7):1306-1312,2013.[量的研究(シミュレーション)]

アメリカでは救急部門(外来)の受診件数が人口増加率を大幅に上回って増加しており、救急医療は臨界点(breaking point)に達している。そこで今後の人口高齢化が救急外来受診とその後の入院需要にどのように影響するかを明らかにするために、2009年の年齢別救急外来受診率と救急受診当たりの入院確率データを、2050年までの人口構成の変化に当てはめて推計した。その結果、人口高齢化による救急外来受診件数の伸び率は人口増加の伸び率と同水準であった(2009~2050年に共に、4割増加)。救急外来受診1件当たりの診療時間と救急受診当たりの入院確率は増加した。そのため、救急外来の総診療時間は人口増加率を10%上回った。このことは、今後、たとえ救急外来の受診件数が増加しなくても、救急外来の受け入れ能力(capacity)を10%増やさなければならないことを意味する。救急外来受診後入院する患者数増加は、人口増加率より23%高く、それに対応した入院病床増加が求められる。

二木コメント-人口高齢化が医療と医療費に与える影響についてはたくさんの推計が行われていますし、高齢者の今後の救急医療需要の推計も行われていますが、全人口の救急医療需要の推計は本論文が初めてだそうです。

○[アメリカにおける]脳卒中、下肢骨折、下肢関節置換術の入院リハビリテーションにおける量[施設当たりの取扱い患者数]と機能的アウトカム[との関連]
Graham JE, et al: Inpatient rehabilitation volume and functional outcomes in stroke, lower extremity fracture, and lower extremity joint replacement. Medical Care 51(5):404-412, 2013.[量的研究]

入院リハビリテーションにおいて量(施設当たりの取扱い患者数)とアウトカムの間に関係があるか否かは不明である。そこで、アメリカのリハビリテーション施設717で2006~2008年に入院リハビリテーションを受けた脳卒中患者(202,423人)、下肢骨折患者(132,194人)、下肢関節置換術患者(148,068人)の患者評価データを用い、階層線形モデルと一般化線形モデル(回帰分析)により、両者の関係を分析した。リハビリテーション施設は、3疾患ごとに、年間取扱い患者数により5段階に区分した。アウトカム指標としては、退院時FIM値(機能的自立度評価法)と自宅退院率を用いた。

その結果、施設要因(患者数)で、3疾患の退院時FIM値のバラツキの6-15%を、自宅退院率のバラツキの3-5%を説明できた。患者数第3分位の施設(患者数が中間)を参照群としたところ、3疾患とも、施設要因は退院時FIM値との間に弱いが有意の関連があった。ただし第3分位の施設に比べて、明らかな有意差があったのは5分位の施設(患者数がもっとも多い)だけだった。このように3疾患とも、施設要因(患者数)はFIM値にわずかに影響したが、自宅退院率にはまったく影響しなかった。これら疾患のリハビリテーションは地元の施設で行え、患者数の多い地域センターに移送する必要はない。

二木コメント-リハビリテーション領域で、施設ごとの取扱い患者数とアウトカムの関連を検討した初めての研究だそうです。結果と結論は妥当と思います。

○[アメリカにおける]価値基準の[医療]保険のデザイン:質は改善されたが、費用節減は起きなかった
Lee JL, et al: Value-based insurance design: Quality improvement but no cost savings. Health Affairs 32(7):1251-1257,2013 [文献レビュー]

価値基準の医療保険デザイン(VBID)とは、特定の医療サービスの利用を、患者の健康への潜在的便益(費用との相対での)に基づいて、選択的に奨励するか抑制することにより、医療の質の改善を目指すことである。VBIDの代表例は、費用対効果が確認された医薬品の服薬率を改善するために被保険者の患者負担(率または額)を引き下げることである。VBIDによる医薬品の服薬率と費用の両方の変化を比較し、しかも査読付き雑誌に掲載された13論文の体系的文献レビューを行った。その結果、服薬率は明らかに高くなっており(1年後に平均3.0%上昇)、患者の医薬品の自己負担額も減っていた。しかし、医薬品給付の拡大は、患者の総医療費にも、医療保険の支払い医療費にも有意の変化をもたらさなかった。

二木コメント-当たり前の結論と思えますが、アメリカ的文脈では、医薬品給付を改善しても、医療費増加はなかったというとことが重要なのだと思います。

○景気後退と人々の健康:景気後退が身体的・精神的健康に与える影響についての大量の研究
Annonym: Recessions and public health Body of Research. The impact of downturns on physical and mental health. The Economist August 24th, 2013:pp.59-60. [レポート(文献紹介)]

景気後退が人々の健康に与える影響については従来必ずしも明らかではなかった。1972~1991年のアメリカのデータを用いて、失業率が1.0%ポイント増加すると、死亡率(人口10万人当たり)が4.6低下すると示唆する報告がある一方で、1930年代のアメリカの大恐慌が国民の健康・栄養状態の悪化と相関していたとの報告もある。本レポートでは、最近の経済危機が人々の健康に与えた影響についての研究を紹介する。

全米経済研究所の研究によると、アメリカでは州レベルの雇用率が1%ポイント低下すると、不健康(自己評価)が4.8%増加していた。景気後退が精神的健康にも悪影響を与えること、特に自殺率を高めることは、アメリカだけでなく、1990年代の東アジア経済危機、および最近のスペインの経済危機でも示されている。景気後退が健康に与える影響には時間差もある。失業や不安定雇用は飲酒を増やし、後に健康に影響を与える。肥満についても同様であり、オーストラリアでは、2008~2009年に経済困難(financial stress)を経験した人々の2010年の肥満率はそれのなかった人々より20%高かった。政策担当者は景気後退期の医療資源の適正配分を検討する際、このようなたくさんの研究を参照すべきである。

二木コメント-最近の世界的景気後退・経済危機が人々の健康に与える影響についての実証研究をコンパクトに紹介しています。The Economistのホームページには、この記事で紹介・引用されている10論文のリストも示されており、社会疫学の研究者必読と思います(http://www.economist.com/health13)。レポートの最後の結論・提言も妥当であり、安倍内閣の社会保障制度改革プログラム法案が健康の自己責任のみを強調しているのと対照的です。


6.私の好きな名言・警句の紹介(その106)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の在り方>

<祝・イチロー日米通算4000本安打>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

<その他>

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