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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻97号)』(転載)

二木立

発行日2012年08月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

『総合リハビリテーション』2012年7月号(1029-1031頁)に論文「医療保険の維持期リハビリテーションは2年後に廃止されるか?」を掲載しました。これは、『文化連情報』2012年6月号に掲載し、本「ニューズレター」95号(2012年6月1日配信)に転載した同名論文の「圧縮版」です。なお、『社会保険旬報』6月21日号「潮流」(32-33頁)によると、6月3日の中国四国医師会連合で、安達中医協委員は維持期リハビリテーションが「[平成]26年度改定でなくなることはないと明言できる」と断定し、鈴木中医協委員・日医常任理事も、同様に廃止は困難との見方を示しつつ、「医療と介護の維持期リハビリが異なるということのエビデンスを示す必要がある」と述べたそうです。


1.論文:医薬品の経済評価で留意すべき点は何か?

(『日本医事新報』「深層を読む・真相を解く(13)」2012年6月30日号(4601号):28-29頁)

本年の診療報酬改定を契機として、医療技術・医薬品(以下、医薬品と総称)の経済評価が医療政策の表舞台に登場しました。その契機は2月10日の中医協「平成24年度診療報酬改定に係る答申書附帯意見」に、医薬品評価において「費用対効果の観点を可能な範囲で導入することについて検討を行うこと」が盛り込まれたことです。これを受けて、中医協には費用対効果評価専門部会が設けられ、2014年度診療報酬改定での「試行的評価導入」も含めた検討が始まっています。

本稿では、私が専門とする医療経済・政策学の視点から、医薬品の経済評価(費用対効果の検討)を行う上での、3つの留意点を述べます。最初の2点は私の事実認識、3点目は私の価値判断です。

経済評価自体に多額の費用がかかる

第1は、経済評価自体に多額の費用がかかることです。保健医療サービス一般の経済評価では、「費用」にはサービス・医薬品費用だけでなく、「介入・評価費用」を加えるのが鉄則ですが、世界的にもこの点が十分に考慮されていません。医薬品の経済評価で世界の先頭を切っているイギリスのNICEは常勤職員だけで500人、日本円で90億円以上の予算がつけられ、さらに2000人規模の外部専門家集団を抱えているそうですが(鈴木邦彦医師の訪問調査)、このような大量の資源・費用投入に見合った効果がどの程度得られているかの検証はなされていないと思います。

しかも、現在の財政状況を考えると、中医協や厚生労働省が短期的にこれに比肩できるだけの陣容・予算を確保することは不可能です。そのため、厚生労働省の香取照幸政策統括官が、医療の経済評価について、「政策の費用対効果の観点からの精査が必要」であり、「数千人の体制の費用対効果を考える必要がある」と指摘しているのは的を射ていると思います(本年3月25日の国際医薬経済・アウトカム研究学会第8回学術集会)。

経済評価の「国際標準」は存在しない

第2は、医薬品の経済評価の「国際標準」は存在しないことです。このことは、学問レベルでも、各国で実施されている現実の政策レベルでも言えます。後者に関して、現時点でのもっとも包括的な国際比較研究は、池田俊也氏(国際医療福祉大学)グループの「医療技術評価(HTA)の政策立案への活用可能性(前編・後編)」(『医療と社会』21巻2,3号,2011)で、韓国、タイ、イギリス、ドイツ、フランスの事例を詳細に検討しています。なお、経済評価は医療技術評価の一部です。

これを読むと、以下の3点が分かります。(1)同じく医療技術評価と称しても、国によって、定義も計算方法も結果も相当異なる。(2)費用対効果の閾値(QALY[質調整生存年]1年延長当たり費用の上限)の「世界標準」は存在しない。(3)純学術的な評価(アセスメント)ですら、前提条件の違い(費用算出の立場、費用の範囲、閾値の設定、薬価の設定、および分析手法)により結果は大きく異なり、それに政治的判断が加わった「アプレイザル」では、さらに結果の拡散は大きくなる。

池田氏等も、国際比較の結論として、「経済評価の評価手法、利用方法について国毎の様々な事情によりバラツキがある」ため、「特定の国の利用方法をそのまま導入するのではなく、わが国の状況との整合性を十分に検討する必要がある」と指摘しています。

なお、上記(2)に関して、費用対効果の閾値は5万ドルが一般的との主張も散見されますが、それは不正確で、10万ドル説も有力であり、最近では「統計的生命価値法」により15万ドルという主張もなされています(Philipson T, et al: Health Affairs 31(4):667,2012)。

現在の高価格を前提にしない

第3に、私が医薬品の経済評価でもっとも重要だと思うことは、バイオ医薬品等の現在の極端な高価格を既定の事実として、経済評価を行わないことです。これを前提にすると、高価格を理由にして保険収載を断念して先進医療制度(保険外併用療養費制度=管理された混合診療)の対象にするか、保険導入して医薬品費用の高騰・保険財政の悪化を許容するかという不毛な選択を迫られます。

しかし、逆に、当該医薬品の費用対効果(純学術的にはQALY1年当たり費用。現実的には、余命1年延長当たり費用。さらに簡便には1年間の薬剤費用)を計算し、それを類似の既存薬と比較することにより、その医薬品の薬価引き下げ圧力とすることも十分に可能です。これは、現在すでに実施されている類似薬効比較方式の精緻化とも言えます。

この場合は、経済評価の対象をバイオ医薬品等、極端に高価格な医薬品に限定し、経済評価自体の「費用対効果」を引き上げることが重要と思います。ただし、このような措置は、患者数が多く、薬価が製薬企業の希望価格より低くても、製薬企業が十分な利益を見込める医薬品に限定すべきであり、患者数がごく限られているオーファンドラッグ(希少疾病用薬)は対象外にすべきと思います。

このようにごく少数の高額医薬品に的をしぼって経済評価を行った場合には、製薬企業が厚生労働省から示された薬価を拒否して、当該医薬品を保険外併用療養費制度の対象とすることを選択することも想定されます。しかし、私は、その状態が長期間固定し、混合診療が大幅に拡大することはないと思います。それには2つの理由があります。1つは政治的理由で、もしその医薬品の延命効果が十分に大きい場合には、患者(団体)・マスコミからそれを保険収載するよう厚生労働省と製薬企業の双方に強い圧力がかかることです。もう1つは経済的理由で、その医薬品が保険収載されず全額自費の状態が続くと、高価格のために製薬企業が当初想定したレベルには売り上げが達しないため、製薬企業が政府の提示した薬価を受け入れ、保険収載の対象として、売り上げ(と利益総額)を増やすことを選択する可能性が大きいからです。

最後に、連載(12)に続いて、この問題でも波乱要因はTPP参加であることを指摘します。なぜなら、もし日本がTPPに参加した場合は、アメリカ政府がアメリカの巨大製薬企業の意向を受けて、医薬品の経済評価そのものが市場メカニズムに反すると、圧力を加えてくる可能性が大きいからです。現にオバマ政権の医療保険改革法18条には「QALY当たり費用を、どんな種類の医療が費用効果的と判断または推奨するときの閾値として、開発・使用してはならない」と規定されています(Newmann PJ, et al: NEJM 363(16):1495-1497,2010)。

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2.論文:民自公「社会保障制度改革推進法案」をどう読むか? -「社会保障・税一体改革大綱」との異同を中心に

(「二木教授の医療時評(その104)」『文化連情報』2012年8月号(413号):14-18頁)

はじめに-三党合意法案は「大綱」とは別の新法

民主党・自民党・公明党は6月15日、消費税関連法案の修正と「社会保障制度改革推進法案」の今国会成立で合意しました。両法案を含む8法案は当初予定より5日遅れた6月26日に衆議院本会議で可決されましたが、大量の民主党議員が造反しました。ただし、国会会期が9月8日まで79日間も延長されたため、今後よほど大きな波乱がなければ、8月までには成立する見込みとされています。

「社会保障制度改革推進法案」(以下、三党合意法案)は、「まず増税ありき」との批判を避けるため急遽まとめられたものですが、民主党政権が2月17日に閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」(以下、民主党「大綱」)に基づく一連の法案とはまったく別の新法であり、しかも内容的には、自民党が6月7日にまとめた「社会保障制度改革基本法案」(以下、自民党案)をほぼ丸のみしたものです。ただし、この法案は社会保障制度改革の「基本的な考え方」や各制度改革の方向を示すにとどまっており、具体的改革は「社会保障制度改革国民会議の審議の結果等を踏まえて実施する」とされています。

本稿では、三党合意法案と民主党「大綱」との異同を中心に検討します。結論的に言えば、三党合意法案は、3代の民主党内閣はもちろん、それに先立つ福田・麻生自公内閣時代から確認されてきた社会保障の「基本的な考え方」を180度転換しており、小泉内閣時代の厳しい社会保障・医療費抑制政策が復活する危険があります。

なお、三党合意法案についての一般の報道では、最低保障年金制度と後期高齢者医療制度に代わる新制度の棚上げ(事実上の撤回)に焦点が当てられていますが、それは的外れです。なぜなら、両制度は、三党合意以前からすでに「死に体」であり、今国会への法案提出の目途さえ立っていなかったからです。特に、後期高齢者医療制度の廃止は、民主党の2009年総選挙のマニフェストに明記されていたにもかかわらず、政権交代直後に棚上げされました。

「社会保障の機能強化」が消失し、社会保障費増加の抑制が前面に

三党合意法案の最大の特徴、民主党「大綱」との最大の違いは、「社会保障の機能強化」という表現が消失したことです。この表現は、福田・麻生内閣の「社会保障国民会議報告」が、小泉政権時代の「小さな政府」路線からの転換の象徴として初めて用いました。民主党政権もこの表現を踏襲し、民主党「大綱」にはなんと8回も登場していました。

公平のために言えば、三党合意法案では、それに類似した表現として「社会保障の機能の充実」という表現が1回だけ使われていますが、「給付の重点化」とワンセットで用いられています。しかも、三党合意法案の元になった自民党案には、「社会保障の機能強化」はもちろん、「社会保障の機能の充実」という表現さえありません。

「社会保障の機能強化」に代わり前面に出されているのが「(国民)負担の増大の抑制」、つまり社会保障費増加の抑制で、「基本的な考え方」、「医療保険制度」、「介護保険制度」の項に3回も出てきます。そのための手段が給付の重点化・適正化で、「医療保険制度」では「保険給付の対象となる療養の範囲の適正化等を図る」と、「介護保険制度」では「介護保険の保険給付の対象となる保健医療サービス及び福祉サービスの範囲の適正化による介護サービスの効率化および重点化を図る」とされています。

「国民負担の増大の抑制」や「療養の範囲の適正化」というストレートな表現は、福田・麻生内閣や三代の民主党内閣の公式文書(「大綱」を含む)にはなく、小泉政権時代の2006年医療制度改革関連法への「先祖返り」と言えます。同法は「保険給付の内容・範囲の見直し」を大きな柱として、高齢者の患者負担の引き上げ、療養病床に入院している高齢者の食費・居住費の負担引き上げ、高額療養費の自己負担限度額の引き上げ等が実施されました。

「国民皆保険制度の堅持」も消失

私が三党合意法案を読んで一番驚いたのは、小泉内閣時代を含めて、歴代内閣の医療制度改革関連の公式文書で定番表現とされていた「国民皆保険制度の堅持」が削除され、それに代わって「医療保険制度に原則として全ての国民が加入する仕組みを維持する」という限定的表現が初めて登場したことです。これも自民党案の表現を丸のみしたものです。

厳しい医療費抑制政策を強行した小泉政権でさえ、2003年3月の閣議決定「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針について」で、「将来にわたり国民皆保険制度を堅持する」ことを改革の第一の「基本的な考え方」とし、しかも「診療報酬については、(中略)社会保障として必要かつ十分な医療を確保しつつ、患者の視点から質が高く最適の医療が効率的に提供される」としました(詳しくは、『医療改革と病院』勁草書房,2004,14-16頁)。民主党「大綱」も、「目指すべき社会・社会保障制度」の項で、「国民皆保険・皆年金を堅持」と明記していました。このことを考慮すると、三党合意法案は、社会保障制度全体だけでなく、国民皆保険制度についても「基本的な考え方」を変えたと言えます。

「国民皆保険制度の堅持」表現の削除と、上述した「保険給付の対象となる療養の範囲の適正化」を重ねて考えると、三党合意法案が国民皆保険制度の意味を「すべての国民が加入する仕組み」に限定した上で、保険給付範囲の縮小・患者負担の大幅増加を目指していると考えられます。その結果、社会保障制度改革国民会議では、小泉内閣時代を含め、過去10年間の医療制度改革論議では否定された、外来受診時定額負担制度や保険免責制等による患者負担の拡大、混合診療の大幅拡大・全面解禁論が蒸し返される危険が大きいと思います。ちなみに三党合意の確認書に署名した自民党側実務者の鴨下一郎議員は、筋金入りの混合診療全面解禁論者で、国民皆保険制度を「基礎的な医療を国民が平等に受けられるシステム」にすべきと主張しています(「朝日新聞」Globe ウェブ版。2010年3月9日)。

なお、日本医師会は本年3月14日に発表した「TPP交渉参加についての日本医師会の見解」で、「政府は、TPP参加によって公的医療保険が揺らいでも、すべての国民が加入してさえいれば『国民皆保険』であると主張する可能性がある」と指摘しており、三党合意法案はこの危惧が的中したものと言えます。それだけに私は、日本医師会が「国民皆保険を守る」ために次の3重要課題を提起した意義は大きいと思います:(1)公的な医療給付範囲を将来にわたって維持すること、(2)混合診療を全面解禁しないこと、(3)営利企業(株式会社)を医療機関経営に参入させないこと。

なお三党合意法案では、民主党「大綱」の数少ない目玉であり、国民皆保険制度堅持のために重要な役割を果たす「社会保険の適用拡大」が大幅に縮小されました。民主党は当初、新規加入の目標を約370万人としていましたが、民主党「大綱」では45万人に縮小され、さらに三党合意法案では25万人程度に縮小されることになりました。

「自助」を基本とし、消費税は「成長戦略」にも用いる

三党合意法案で、「社会保障の機能強化」が削除され、国民負担の増大の抑制が前面に掲げられた背景には、自助を過度に強調し、共助や公助を軽視しようという社会保障制度改革に関する「基本的な考え方」の変更があります。三党合意法案では、「自助・共助・公助の最適バランスに留意し、自立を家族相互、国民相互の助け合いの仕組みを通じて支援していく」とややぼかして表現されていますが、自民党案では、社会保障制度改革では「自らの生活を自ら又は家族相互の助け合いによって支える自助・自立を基本」とすると、「家族相互の助け合いを通じた自助」が前面に出され、「自助・共助・公助の最適バランス」という定番表現さえありません。現在の自民党は、福田・麻生政権時代に比べて相当右傾化しており、共助・公助という表現すら毛嫌いしているようです。そのためもあり、民主党「大綱」にあった「『支え合う社会』の回復」というごく常識的表現さえ、三党合意法案には含まれず、消費増税修正法案からも削除されました。

自助を基本にする考えは、小泉政権時代の閣議決定「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(「骨太の方針」。2001年6月)が社会保障制度改革は「自助と自律の精神を基本」とするとしていたことの11年ぶりの復活と言えます。ただし、「骨太の方針」が個人レベルの「自助と自律」を強調して、「家族相互の助け合い」にはまったく触れていなかったのに対して、自民党案は自助を「自ら又は家族相互の助け合い」に拡大している点で大きな違いがあります。

実は、野田首相も、三党合意の直前に、次のように自助を前面に出す自民党の考えに疑問を呈していました。「自助という精神は大事だが、自助を実現する環境は今あるのか。自助の基盤が倒れているところをどう立て直していくか。自助の実現ができるような環境整備、基盤整備が必要である」(6月11日衆院・社会保障と税の一体改革に関する特別委員会)。しかし、三党合意法案が自民党案をほぼ丸のみする形でまとめられた経過を考えると、今後、自民党案をベースにした検討が行われる可能性が大きいと思います。

なお、民主党政権が昨年6月に「社会保障・税一体改革成案」をまとめる際に、叩き台とされた厚生労働省「社会保障制度改革の方向性と具体策」は、副題を「『世代間公平』と『共助』を柱とする持続可能性の高い社会保障制度」とし、自助を柱とする三党合意案や自民党案とは相当スタンスが異なります。ただし、ここで「共助」は社会保険を意味します(詳しくは、次の連載(105)参照)。

三党合意法案は、社会保障財源について、「社会保障給付に要する公費負担の費用は消費税収(国・地方)を主要な財源とする」と民主党「大綱」よりも一歩踏み込む一方、三党の消費増税修正法案では、民主党の消費増税法案には含まれていた「税体系全体の再分配機能を回復」するための高所得層の所得税・相続税の引き上げを削除しました。その上、民主党「大綱」では「国分の消費税収について法律上全額社会保障目的税化する」とされていたのに対して、この修正法案では、消費増税法案の付則第18条2に、増税で生まれる財源を「成長戦略」にも重点的に配分する条文が盛り込まれました。これは消費税の社会保障目的税化方針からの転換です。なお、自民党「日本の再起のための政策」(5月31日)によると、これの中心は、大企業の「法人税の大胆な引き下げ(20%台)」です。

以上から、民主党政権がこの間主張してきた「消費税増税で社会保障の機能強化を図る」との大義名分は、三党合意法案で完全に失われたと言えます。

「大綱」と変わらない3点

ただし、三党合意法案には民主党「大綱」と変わらない点も3点あります。

第1は、「年金、医療及び介護においては、社会保険制度を基本と」するとされたことです。ただし、それに続いて、「国及び地方公共団体の負担は、社会保険料に係る国民の負担の適正化に充てることを基本とする」と限定されました。自民党案では「基本とする」ではなく、ストレートに「限定」すると書かれていました。

第2は、医療・介護提供制度の改革にはまったく触れていないことです。このことは、三党合意法案でも、民主党「大綱」と同じく、医療・介護提供制度改革では、厚生労働省が昨年6月に発表した「医療・介護に係る長期推計(主にサービス提供体制改革に係る改革について)」が踏襲されることを意味します。

第3の共通点は、医療分野への市場原理導入はストレートには書かれていないことです。上述したように、三党合意法案には小泉政権時代の政策に先祖返りする面が少なくありませんが、この点では、「株式会社方式による経営などを含めた経営に関する規制の見直し」を予定していた「骨太の方針」とは異なります。なお、子育て関連法案に関しては、民主党「大綱」が「多様な保育事業の量的拡大を図る」と、保育事業への営利法人参入を容認・奨励していたのと異なり、三党合意「社会福祉分野の確認書」では、「新たな幼保連携型認定子ども園の設置主体は、国、地方公共団体、学校法人または社会福祉法人」に限定されました。

医療保険制度改革に関しても、混合診療の拡大は明記されていませんが、今後、「保険給付の対象となる療養の範囲の適正化」を具体化する過程で、それが再登場する可能性は大きいと思います。

おわりに-今後の見通しは流動的

最後に、三党合意法案が成立した後の、今後の医療・社会保障政策の見通しを述べます。

私は、昨年4月に発表した論文「東日本大震災で医療・社会保障政策はどう変わるか?」(『日本医事新報』2011年4月16日号、本誌同年6月号。『『TPPと医療の産業化』勁草書房,2012,序章第2節)で、東日本大震災・福島第一原発事故後の医療・社会保障政策の「中長期的影響」を予測したとき、民主党と自民党の大連立政権が成立した場合には、「災害の復興が一段落した段階で、『日本(経済)復活』を大義名分にして、TPP参加と医療・社会保障分野への本格的市場原理導入(混合診療と株式会社による医療機関経営の全面解禁等)および厳しい医療費抑制政策をワンセットで強行する」「地獄のシナリオ」が生じる危険があると予測しました。

今回の三党合意はまだ「擬似大連立」のレベルにとどまっており、具体的改革は社会保障制度改革国民会議に先延ばしされました。しかも、今後1年前後で確実に総選挙が行われることを考慮すれば、消費税増税に加えて、国民に不人気な大幅な負担増・給付削減を含む「地獄のシナリオ」が、野田内閣またはその後継内閣で正面から打ち出される可能性は低いと思います。社会保障制度改革国民会議が機能不全に陥る可能性も否定できません。

しかし、もし、次の総選挙後、かつての小泉政権張りの強権的かつ強力な政権が成立した場合には、「地獄のシナリオ」が相当実施される可能性は否定できないとも考えています。この点で気になるのは、次の総選挙で大躍進が予想され、一気に政権入りする可能性さえ取りざたされている橋下大阪市長率いる「大阪維新の会」の「維新八策」原案(3月10日)に、TPP参加や「混合診療解禁による市場原理メカニズムの導入」が含まれることです。「維新八策」改定版(7月5日)では、これらが踏襲されると共に、「自助、共助、公助の範囲と役割を明確にする」等、三党合意法案に対応した表現が付け加えられました。

そのため、福田・麻生内閣時代と比べ右傾化が目立つ自民党と大阪維新の会等との連立政権が成立した場合、あるいは民主党が小沢グループを排除し、構造改革の徹底を主張した「オリジナル民主党」に回帰し、それと自民党等と大連立政権が成立した場合には、「地獄のシナリオ」が相当実施される可能性もあると思います。このように今後の動向はきわめて流動的です。ただし、「政界の一寸先は闇」であるため、これ以上の「床屋談義」は控えます。

[本稿は『日本医事新報』7月7日号掲載の同名論文(ただし副題なし)に大幅に加筆したものです。]

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3.論文:「自助・共助・公助」という表現の出自と意味の変遷

(「二木教授の医療時評(その105)」『文化連情報』2012年8月号(413号):19-21頁)

民自公「社会保障制度改革推進法案」の「基本的な考え方」の冒頭には、「自助・共助・公助の最適バランスに留意」と書かれています。この表現は、自民党「社会保障制度改革基本法案」だけでなく、やや意外なことに民主党「社会保障・税一体改革大綱」(本年2月閣議決定)にもなく、民主党の「社会保障・税一体改革成案」(昨年7月閣議報告)」の表現を復活させたものです。

「自助・共助・公助」といういわば三位一体的表現は、語呂合わせがよいこともあり、社会保障・社会福祉分野では広く用いられていますが、それの出自とその意味の変遷については、ほとんど知られていません。本「医療時評(104)」の執筆過程で、この点を調査したので、簡単に紹介します。

初めて用いたのは「21世紀福祉ビジョン」

「自助・共助・公助の適切な組み合わせ」という表現を初めて用いた政府関連文書は、厚生省・高齢社会福祉ビジョン懇談会報告「21世紀福祉ビジョン~少子・高齢社会に向けて」(1994)で、次のように述べました。「福祉社会においては、何よりも、生涯を通じて元気である限り、働き、楽しみ、社会に貢献するという、『自立した個人』の形成を重視するとともに、自立が困難になった場合においては、個人の尊厳に立脚しつつ、家族、地域組織、企業、国、地方公共団体等社会全体で支える自助、共助、公助のシステムが適切に組み合わされた重層的な福祉構造としていくことが必要である」。この表現には、1970~1980年代に一世を風靡した、自助を過度に強調する「日本型福祉社会論」を批判する意図も含まれていました。この報告では、自助、共助、公助の定義はされませんでしたが、「共助」=「地域組織・非営利団体、企業」、「公助」=「国、地方公共団体」と読めます。それに対して、家庭が「自助」と「共助」のどちらに入るかは不明です。

なお、これ以前には、「共助」よりも「互助」という表現が一般的で、『昭和61年版厚生白書』(1987。33-34頁)は、社会保障制度の「再構築の基本的原則」の第2に「自助・互助・公助の役割分担」を掲げました。しかも、「自助」=「個人の自立・自助」、「互助」=「家族、地域社会の互助機能」、「公助」=「社会保障」とされました。この場合、「公助」には当然社会保険も含まれると解釈できます。

「自助、共助、公助」という表現を最初に用いたのは『平成12年版厚生白書』(2000。163頁)で、「これからの社会保障のあり方」として、「個人の自立を基礎とする社会にあって、自助、共助、公助という言葉に表される個人、家庭、地域社会、公的部門など社会を構成するものの機能と適切な役割分担、その中での社会保障の位置づけと範囲をどのように考えていくか」と述べました。この場合も「公助」=「公的部門」であり、それには当然社会保険も含むと読めます。それより4年前の『平成8年版厚生白書」(1996。153頁)は、「自助、共助の努力では対応できず、国民全体でこれを支えることが必要となる場合には、今後とも社会保障制度によって対応していくことが必要となる」と明記しており、「公助」が社会保障を指すことは明らかです。

なお、国会会議録検索システムで、「自助」「互助」「共助」「公助」の使われ方を検索したところ、国会議員・政府委員が「自助・共助・公助」という表現を初めて用いたのは、「21世紀福祉ビジョン」が公表された1994年です。それに対して、「自助・互助・公助」という表現は、1982年から用いられており、しかもその後の共助と同じ意味で用いられていました[]。

「懇談会報告」は「共助」を社会保険とする特異な解釈

それに対して、小泉政権末期の2006年5月にまとめられた官邸・社会保障の在り方に関する懇談会報告「今後の社会保障の在り方について」は、「我が国の福祉社会は、自助、共助、公助の適切な組み合わせによって形づくられるべき」と、「21世紀福祉ビジョン」の表現を踏襲しつつ、従来の解釈を大きく変えて、「共助」を社会保険とし、「公助」は「公的扶助や社会福祉」に限定しました。「『共助』のシステムとしては、国民の参加意識や権利意識を確保する観点からは、負担の見返りとしての受給権を保障する仕組みとして、国民に分かりやすく負担についての合意が得やすい社会保険方式を基本とすべきである」。

上述したように、従来、厚生(労働)省も社会保障・社会保険を「公助」とみなしていたことを考慮すると、これはきわめて「特異な解釈」(里見賢治『現代社会保障論』高菅出版,2007,260頁)ですが、同年の『平成18年版厚生白書』(2006年9月。172頁)』で、さっそく採用されました。「自助を基本に、これを補完するものとして社会保険制度など生活のリスクを相互に分散する共助」。その後、「共助」を「社会保険」とする解釈は、政府・厚生労働省の統一見解となり、福田・麻生政権の「社会保障国民会議報告」(2008年)でも、民主党政権の「社会保障・税一体改革成案」でも踏襲されました(それぞれ、「社会的な連帯・助け合いの仕組みである社会保障制度」、「負担と給付の関係が明確な社会保険(=共助・連帯)」)。

ただし、「共助」を社会保険とすると、従来の「共助」=「地域社会が持つ福祉機能」(「21世紀福祉ビジョン」)の居場所がなくなってしまいます。この矛盾を解決しようとしたのが、「地域包括ケア研究会報告書」(2010年)で、「自助、共助、公助」という3分類に代えて、「自助、互助、共助、公助」という4分類(「4つの支援」)を提唱しました。この場合、「互助」は「住民主体のサービスやボランティア活動」とされ、「共助」は介護保険サービスと医療保健サービスとされています。私は、この4分類はそれなりに合理的と思いますが、政府・厚生労働省の公式文書ではまったく用いられていません。

家族の位置づけの変化-自助とする自民党法案は特異

「自助・互助(共助)・公助」の3分類では、「家庭」の位置づけはアイマイですが、従来は「互助(共助)」に入れる理解が一般的でした。例えば、「日本型福祉社会」論を政府文書で最初に提起した「新経済社会7カ年計画」(1979年閣議決定)は、「個人の自助努力と家庭及び社会の連帯の基礎のうえに適正な公的福祉を形成する新しい福祉社会への道を追求しなければならない」と、その後の「自助・共助・公助」論と同一構造の「自助・連帯・公的福祉」の3段階論を展開したのですが、家庭は「連帯」(その後の「共助」)の一部とされました(「家庭や近隣・地域社会等の連帯」)。

その1年前に発行された『昭和53年厚生白書』(1978。91頁)は、「[老親と子の]同居という、我が国のいわば『福祉における含み資産』ともいうべき制度を生かす」と主張しましたが、この場合、家族・家庭を「連帯」・「共助」の要素として位置づけていると解釈できます。仮に家庭・家族を個人と一緒に「自助」に含めると、「含み資産」という表現は使えないからです。上述したように、『昭和61年版厚生白書』(1986。33頁)は、「家族、地域社会の互助機能」と、誤解のない表記をしました。

小泉政権の最初の閣議決定「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針(「骨太の方針」。2001年6月)は、社会保障制度改革で「自助と自律の精神を基本」としましたが、これは個人レベルのことと読めます。「骨太の方針」は、それに続いて「活力ある『共助』の社会の構築」も掲げましたが、そこでは「地域住民やNPO等のボランティアの幅広い参加によって介護や子育て等を社会で支えあう『共助』の社会」とされ、家族の相互扶助にはまったく触れませんでした。逆に「骨太の方針」は、「家族形態の多様化」、「女性が働くことが当たり前」等、一般には家族機能の低下とみなされている表現を「時代の要請に応える」と肯定的に用いていました。

以上を踏まえると、民自公「社会保障制度改革推進法案」の下敷きとされた自民党「社会保障制度改革基本法案」(2012年6月)が「社会保障の目的である国民生活の安定等は、自らの生活を自ら又は家族の助け合いによって支える自助を基本」、「家族相互の助け合いを通じた自助」とし、個人と家族を一体化して「自助」とみなすのは、きわめて特異的かつ復古的見方と言えます。

:「自助・互助・公助」という表現の危険性を指摘した江見康一氏

国会での「自助・互助・公助」を用いた発言でもっとも注目すべきだものは、江見康一氏(一橋大学名誉教授、日本の医療経済学の草分け。昨年12月死去、90歳)が1986年3月20日の参議院予算委員会公聴会で行った、民活導入論を批判して「一番基盤は公助」と喝破した、以下の発言です。少し長いですが、歴史的発言であり、現在にもそのまま通じると思い紹介します。
「…国のナショナルミニマムというものに対しては社会保障が当然それを受け持たなければならない。それで、通常の保障サービスを超える部分について企業の互助あるいは個人の自助というものを考えなければならない。我々の福祉というものの一番基盤は公助でもって賄う、その上に積み重ねる部分として互助の部分と自助の部分とがある。(中略)

今までは公助中心で、あるいは社会保障中心でやってきまして、ここのところへ来て急に民活導入ということが言いはやされて、特に自助部分について民間の生命保険会社などがどんどん商品を開発してそれを売るような形、体制が整いかけた。問題は、自助部分を個人個人が自分の自主的な努力でやればいいんだ、だから政府はそれに関与しないんだというような姿勢でいいのか。あるいはそれも公助を補完するものであるから土俵づくりだけは、そういう環境だけは整えなければならない。そういう土俵づくりは政府の役割である。【あるいは自助部分がかなり広まった場合に、民間の生命保険などが開発する医療保険によって果たして医療の質が確保できるのかどうか、維持できるのかどうかといったようなことについては、財源だけを自助部分という形で任せるのではなくて、そういう面についても国民の最低限の健康と文化的なサービスを維持できるような形のいろんな歯どめ措置が同時に行われるべきであろう、そういうことについては今のところ御指摘のようにほとんどなされていないのではないかという感じがいたします。

したがいまして、民活導入とかあるいは自助とか、言葉はよろしいわけですけれども、それが社会保障という分野の中で考えた場合にどういう意味を持つのか、あるいはまた、どういう点で政府の役割が自助部分について考えられるのかということについて早速議論が始められなければなりませんし、その対応策が立てられなければならないというふうに
思います】[【 】は、『文化連情報』掲載論文では紙数の制約のため削除]」。

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4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算80回.2012年分その5:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足

○アメリカの高齢者の半数は死亡月に[病院の]救急外来を受診し、その大半が入院し、多くが病院で死亡している
(Smith AK, et al: Half of older Americans seen in emergency department in last month of life; Most admitted to hospital, and many die there. Health Affairs 31(6):1277-1285,2012)[量的研究]

病院の救急外来(診療部)受診は高額な終末期医療の要因であり、しかも患者と家族にとっても重荷になる可能性がある。そこで、1992~2006年に行われた高齢者縦断調査(「健康・退職調査」)の個票データをメディケア医療費請求データと照合するなどして、65歳以上の高齢者の死亡月の救急外来受診の実態を調査した。その結果、死亡者総数4518人のうち、51%が死亡月に救急外来を受診しており、75%が死亡前6か月に救急外来を受診していた。41%が死亡前6か月に救急外来を2度以上受診していた。死亡月に救急外来を受診した高齢者のうち77%がそのまま入院し、入院した高齢者のうち68%が病院で死亡していた。それと対照的に、死亡前に最低限1か月ホスピスを利用した高齢者では、死亡月にほとんど救急外来を受診しなかった。患者と家族に死の準備と早期のホスピス利用を推奨する政策が、終末期における救急外来受診を予防するかもしれない。

二木コメント-死亡高齢者の半数が死亡月に救急外来受診していたという結果は、日本でも追試する価値があると思います。

○[アメリカの]ナーシングホーム入所者の[病院の]救急外来受診:認知症重症度が与える影響
(Stephens CE, et al: Emergency department use by nursing home residents: Effect of severity of cognitive impairment. The Gerontologist 52(3):383-393,2012)[量的研究]

本研究の目的は、ナーシングホーム入所者の1年当たりの救急外来(診療部)受診と「外来対処可能」(ambulatory care-sensitive)救急外来受診(胃腸炎、尿路感染症、心不全等、適時かつ適切なプライマリケアが行われていれば予防可能な疾患による救急外来受診。ACSED)の頻度・リスクと認知症重症度(軽度・中等度・重度の3段階)との関連を検討することである。そのために、2006年のナーシングホーム入所者の全国ランダム化代表標本を用いて、救急外来受診とACSEDを目的変数とする多項ロジスティック回帰分析を行った(ケースミックス調整済み)。ナーシングホーム入居者総数132,753人のうち、62%が救急外来を1回以上受診し、24%がACSEDを経験していた。救急外来受診またはACSEDの確率(オッズ比)は、認知症重症度により異なった。認知症のない入所者に比べたオッズ比は、軽度認知症者では15%高く、中等度認知症者は9%高かった。逆に重度認知症者では40%低かった。

二木コメント-この結果も、日本で追試する価値があると思いました。

○[アメリカの]患者の救急診療に対する選好:それは変えられるか、変えるべきか?
(DeLia D, et al: Patient preference for emergency care: Can and should it be changed? Medical Care Research and Review 69(3):277-293,2012)[量的研究]

「ニュージャージー家族健康調査」(2008-2009年実施)を用いて、救急外来(診療部)受診患者の意識と行動を調査した。患者の69.3%は自己の異常が緊急治療を要すると思って受診していた。異常を感じてから救急外来受診までの期間は、即受診(28.7%)から1週間(7.0%)まで、バラツキが非常に大きかった。この期間と緊急治療を要するとの自己判断との間には弱い関連しかなかった。元々健康だった患者は、異常を感じてから、持病を有する患者よりも早く救急外来を受診する傾向があった。救急受診患者の80.4%は、もし同じことが起こったらまた同じ救急外来を受診すると回答したが、この割合は救急外来での待ち時間が長いほど低下した。

二木コメント-アメリカでは救急外来受診患者の大規模調査が多数行われていますが、患者の意識調査はほとんど行われておらず、貴重な調査研究です。日本でも追試する価値があると思いますが、その際は、患者側の意識と医療者側の判断・意識の両方を調査・比較すべきと思います。なお、アメリカには国民皆保険制度がないため、救急外来には日本に比べてはるかに雑多な患者が受診するため、単純な日米比較はできません。

○[アメリカにおける]救急診療部、メディケア費用、およびプライマリケアへのアクセス-三者のリンクを理解する
(Kellermann A, et al: Emergency departments, Medicaid costs, and access to primary care - Understanding the link..The New England Journal of Medicine 366(23):2141-2143,2012)[評論]

ワシントン州の医療当局は、2011年12月、メディケイド受給者が不必要な救急外来受診をした場合には、救急診療部への支払いを全額停止する計画を発表した。当局は、不必要な受診を識別するための約500の適正疾患リストも発表した。州知事は、2012年4月にこの政策の実施延期を表明したが、7月までに病院・救急医師組織が州当局と合意した救急医療費削減策を提出しない場合には、当局はこの政策の実施に踏み切るかもしれない。

この政策の原型はJohn Billingニューヨーク大学医療政策教授が 2000年に発表した「外来対処可能」(ambulatory care sensitive)概念とされることが多いが、それはこの概念の誤用である。救急外来受診患者が外来で対処可能であることは、そのような医療が現実に得られることを意味しておらず、Billingもこの概念が医療へのアクセスの不十分さの指標であると強調した。今求められているのは、低所得者の医療アクセスを妨げることではなく、彼らが利用可能なプライマリケアを整備することである。

二木コメント-ワシントン州でのディケイド受給者を狙い撃ちにした救急医療の厳しい抑制策は州政府の深刻な財政危機を背景としており、最近、日本でも強まっている生活保護患者の医療受診バッシングとも軌を一にしていると感じました。

○[アメリカにおける]集中治療終了後の長期急性期病院利用のバラツキ
(Kahn JM, et al: Variation in long-term acute care hospital use after intensive care. Medical Care Research and Review 69(3):339-350,2012)[量的研究]

長期急性期病院(LTACs:「急性期後施設」の1つ)は、急速に、集中治療を終了した重症患者の普通の受け皿となりつつある。全米の2006年のメディケア医療費請求データを用いて、集中治療終了後の長期急性期病院利用の地域間・病院間のバラツキ、およびそれと関連する要因を、階層的回帰分析により検討した。長期急性期病院は、2006年現在全米に408あり、平均病床は43床であり、69.4%が営利であり、48.5%が急性期病院の中または同一敷地内にあった(colocate)。患者特性および急性期病院・長期急性期病院間の距離をコントロールしても、急性期病院の急性期長期病院利用には大きなバラツキがあった。以下の病院では長期急性期病院利用が有意に多かった:大規模病院、営利病院、教育病院、長期急性期病院と急性期病院が同じ建物・敷地内にある病院。

二木コメント-日本でも最近注目を集めているアメリカの「長期急性期病院」(独立した病院だけでなく、急性期病院内の「病棟」も含む。日本流に言えば「合築」)と急性期病院の関係についての初めての全国調査だそうです。なお、メディケアから長期急性期病院として支払いを受ける条件は、急性期病院の条件を満たしていることと平均在院日数が25日以上です。長期急性期病院は急増していますが、コミュニティ病院(非連邦立急性期病院)病床総数の2.2%にすぎません("Health, United States, 2009",384頁から計算)。

○アメリカのホスピス産業は開設者と成長の変化、営利へのシフトという激変の中にある
(Thompson JW, et al: US hospice industry experienced considerable turbulence from changes in ownership, growth, and shift to for-profit status. Health Affairs 31(6):1286-1293,2012)[量的研究]

緩和ケアと支持的ケアを終末期患者に提供するホスピス産業は、過去10年間に大きく変貌しているが、この点は先行研究では十分に明らかにされていない。1999-2009年のメディケアのサービス提供者ファイルを用いた縦断的研究により、この10年間の主な変化を検討した。メディケア認可ホスピス(以下、ホスピス)総数は1999年の2225から2009年の3342へと、10年間で50.2%も増加していた。ただし、1999年に開業していたホスピスの五分の一が、2009年までに閉鎖するか事業から撤退していた。40%以上のホスピスで、1回以上、開設者が変わっていた。もっとも大きな変化は、非営利から営利への開設者の変化であった。2000~2009年に新たに市場に参入したホスピスのうち、五分の四が営利であった。その結果、営利ホスピスの割合は1999年の27.4%から、2009年の52.1%へと倍化していた(非営利の割合はそれぞれ62.1%、34.8%)。併設組織についても変化が見られ、同じ期間に、病院併設は24.9%から15.7%へと、在宅医療機関併設も33.9%から17.1%に減少した反面、独立型は40.2%から66.6%に増加していた。事業所の規模拡大も進行し、100人以上の常勤職員を有する事業所は10年間に倍化し、2009年には5%になっていた。2009年には、10年前に比べて、すべての国勢調査地区でホスピス数が増加していたが、地域的再配置が進行し、南部と西部でより増加していた。

二木コメント-ホスピス研究者の必読論文と思います。アメリカでは、今やホスピスは、ナーシングホームと並んで、営利化がもっとも進んだ保健医療分野になっていることがよく分かります。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その92)-最近知った名言・警句

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