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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻47号)』(転載)

二木立

発行日2008年07月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


1.論文:医療費の財源選択についての私の考えの変化
-主財源は社会保険料と判断するまでの試行錯誤

(「二木教授の医療時評(その56)」『文化連情報』2008年7月号(364号):28-33頁)

本号「医療時評(その55)」「医療改革-希望の芽の拡大と財源選択」(初出は『日本医事新報』5月3日号。以下、第1論文)の後半で、私は、まず公的医療費増加の財源選択論争では、(1)消費税引き上げ、(2)歳出の無駄削減による医療費財源の捻出、(3)社会保険料の引き上げの3つの主張がなされていることを指摘しました。次に私が医療費増加の主財源として社会保険料の引き上げを支持する2つの理由を説明し、最後に、歳出の無駄削減には賛成だが、それは医療費増加の主財源とはならない理由を述べました。

第1論文には明示しませんでしたが、私は、医療費増加の財源選択は、財源調達力と(相対的な)政治的実現可能性の両面から判断すべきと考えています。なぜなら、主要先進国中最も厳しい日本の医療費抑制政策を転換し、日本の現在の医療費水準(対GDP比。2004年で8.0%)を、長期的にアメリカと日本以外の主要先進国(G5)平均(9.6%)にまで引き上げるためには、毎年約8兆円(500兆円×1.6%)という巨額な追加財源が必要になるからです。これは理想論としても、現在の医療危機を克服するためには、毎年新たに数兆円規模の財源を確保する必要があります。

このような巨額費用の財源調達力という視点からは主財源は消費税と社会保険料の2つしかなく、しかも(相対的な)政治的実現可能性という視点からは、主財源としては社会保険料の引き上げの方が現実的と判断しました。なお、現在、消費税は福祉目的税化の是非が議論されていますが、他の基幹税(所得税と法人税)と異なり、1999年度予算以来、毎年の予算総則により福祉目的(基礎年金、高齢者医療、介護)に使途が限定されており、すでに「福祉目的化」が図られています( 石弘光『税制改革の渦中にあって』岩波書店、2008、133頁 )。

第1論文を読まれた方からは、「医療費増加の財源として、今までは消費税でという思いを持っていたが、現在の政治情勢では到底無理だと感じた」等の肯定的感想をいただく一方、消費税であれ、社会保険料であれ、国民負担の増加には絶対反対だとする医療関係者からは、次のようなさまざまな批判・意見もいただきました。「中小零細企業にとっては保険料負担の引き上げは耐えられない」、「道路特定財源を一般財源化して、その一部を医療に回すべき」、「たばこ税・酒税を大幅に引き上げて、医療に回すべき」、「平和国家と矛盾する軍事費を大幅削減して医療に回すべき」、「特別会計の無駄をカットしたり、『霞ヶ関埋蔵金』(特別会計の超過積立・準備金)を取り崩して、医療に回すべき」、「所得再配分機能を強化するために、所得税と企業課税、さらに相続税を(再)強化して、医療に回すべき」。

私は、これらの主張を読んで、ある種の「懐かしさ」を感じました。なぜなら、2006年に主財源は社会保険料という結論にたどり着くまでには、私自身もそのように考えたことがあったし、現在でも理念的には(財源調達力や政治的実現可能性を無視すれば)、それらのほとんどに賛成だからです。そこで、本稿では、1994年以降15年間の、医療費の財源選択についての私の考えの変化・試行錯誤を率直に振り返りながら、第1論文の補足を行いたいと思います。

1994年の私の判断-公費負担と企業負担の引き上げ

私は医師出身の研究者であることもあり、1990年代初頭までは、医療制度のうち、主として医療提供制度の研究を行い、専門外で不得意な医療保障制度や医療費財源についての発言はできるだけ控えていました。

この「自己限定」を転換したのは、1994年に『「世界一」の医療費抑制政策を見直す時期』(勁草書房)を出版したときでした。この本では、1992~1993年のアメリカ留学時に行った日米医療の比較研究を踏まえて、日本医療の最大の課題は、1980年代以降続けられてきた「世界一」厳しい医療費抑制政策を見直し、公的医療費の総枠を拡大することであると主張しました。当時は、医療関係者を含めても、医療費・社会保障費拡大を主張する声は大きくなく、しかも引き上げる場合、その財源としてはもっぱら消費税の引き上げが考えられていました。

それに対して、私は、先進国の中で、日本と並んで「国民負担率」が低いアメリカの公費負担医療費と企業負担医療費(対GDP比)が日本よりもはるかに多いことに注目して、消費税を引き上げなくても、「硬直した予算配分方式の見直し」により公費負担を増やすこと、および企業負担医療費を引き上げることにより、公的医療費の総枠を拡大することが「原理的には」可能であると主張しました(39~43頁)。

実は、「硬直した予算配分方式の見直し」は1993年7月に成立した非自民連立政権(細川護煕首相)の合意事項だったのですが、この政権はごく短命に終わり、翌年6月には自民党主導の自社さ連立政権(村山富市首相)が成立しました。そのため、この「見直し」はほとんど行われないまま、日本は21世紀を迎えました。

2001年の私の判断-理想論と消費税引き上げの両論併記

次に私が医療費財源についてのまとまった主張をしたのは、2001年に出版した『21世紀初頭の医療と介護』(勁草書房)序章の「医療・介護の財源私論」(16~18頁) においてでした。上述したように、私は1994年時点では、医療費財源の「原理的」検討しか行いませんでしたが、これだけでは改革の議論は進まないと反省し、私の考える理想論だけでなく短期的に実現可能な現実論も示すことにし、次のような3段階の主張をしました。

第1に、医療費増加の財源として「短期的には、たばこ税の引き上げが妥当」と述べました。ただし、「これにより得られる税収はそれほど大きくない」(たばこ税1本2円の引き上げで約5000億円)ため、第2に「中長期的には、…公共事業費(公共投資額)を段階的に削減して、医療・福祉費にシフトすることが不可欠である」、「軍事費も削減対象にすべきである」「歳入面では、1990年代に緩和された累進課税と企業課税を1990年代以前の水準に戻し、歳入の増加を図る必要がある」と主張しました。

しかし「このような『理想論』が実現する可能性は少なくとも短期的にはない」ことを踏まえて、第3に「食品等生活必需品の非課税(またはゼロ税率)化により、消費税の逆進性を改善・緩和した上で、一部を医療・福祉費の財源に充当することは十分検討に値する」と指摘しました。と同時に、「負担の逆進性が強い現在の消費税の税率を引き上げて医療・福祉費の主な財源とすることや、医療・福祉費の財源を制約する消費税の目的税化には反対である」とも述べました。実は私は、それまで逆進性が強い消費税に強い批判を持っていたので、このようなごく控えめな主張に転換するだけでも、「清水の舞台」から飛び降りるような気持ちでした。

私がこのような転換をした理由は、「理想論」がすぐに実現する可能性がないだけでなく、「負担の逆進性は、医療保険料や介護保険料の方が、消費税よりもはるかに強い」ことに気づいたからでした。そのためもあり、「医療保険・介護保険の給付費増が社会保険料の引き上げで賄われる場合には、消費税の引き上げよりも、低所得者の負担が増す」と指摘するなど、社会保険料の引き上げには否定的でした。なお、この時は、医療保険のうち健康保険の保険料の逆進性しか指摘しませんでしたが、その後、国民健康保険の保険料の逆進性は健康保険よりも桁違いに大きいことを知りました。

2006年以降の私の判断-主財源は社会保険料の引き上げ

しかし、その後、多くの医療経済学・医療政策研究者や厚生労働省関係者等と率直に意見交換する中で、現在の政治的力関係や財政事情を考慮すると、消費税引き上げの大半は年金の国庫負担引き上げや財政赤字縮減の財源として用いられ、医療費にまわる余地はほとんどないため、いわば消去法として医療費増加の主財源は社会保険料しかないと判断するようになりました。
そのことをもっとも痛感したのは、私が司会をした2005年8月の日本病院会のシンポジウム「国家財政と今後の医療政策」で、全シンポジスト(財務省、厚生労働省、日本医師会、日本病院会所属、および田中滋慶應義塾大学教授)が、個人的意見として、医療費増加の主財源として社会保険料をあげたことでした(『日本病院会雑誌』53巻7号)。

そこで、2006年に出版した『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房)では、初めて、「公的医療費の総枠拡大の主財源は社会保険料の引き上げであり、補助的に、たばこ税、所得税と企業課税、および消費税の適切な引き上げも行うべき」と主張し、合わせて「消費税を公的医療費の主財源にするのは困難」と私が考える理由を述べました(63,69頁)。同時に私は、「これはあくまで、現時点での私の『政治判断』であり、社会保険料の方が優れていると考えているわけではない。私は、社会保険料と消費税には一長一短があり、どちらが原理的に望ましいとの『価値判断』はできないと考えている」とも指摘しました。

2007年に出版した『医療改革-危機から希望へ』(勁草書房)では、この立場をより鮮明に打ち出しました(13~14頁)。しかし、同書では、社会保険料引き上げの具体的方法は述べませんでした。そのために、この主張に対しては、「国民健康保険は、いまでも保険料を払えない人が多く、限界に近い」との反論をしばしば受けました。

そこで、第1論文では、「社会保険料の引き上げと標準報酬月額上限の引き上げは組合健保、政管健保等の被用者保険に限定し、それが困難な国民健康保険と後期高齢者医療制度には国庫負担を増額すべきである」と述べ、社会保険料を主財源としつつ、公費も補助的財源として用いることをより鮮明にしました。第1論文では書き落としましたが、(1)組合健保と政管健保の財政力格差と保険料格差(給与水準が高い組合健保の方が保険料率が低い)を考慮すると、両者の間になんらかの形の財政調整を導入する必要がある、(2)国民健康保険の高所得者の保険料負担を引き上げる必要がある、と考えます。

社会保障負担率の正しい国際比較

このような社会保険料の引き上げ論に対しては、日本の社会保障(社会保険料)負担は、イギリスやアメリカよりも高く、主要先進国の中で低位ではなく中位であり、引き上げ余地は少ないとの批判も聞かれます。確かに財務省「国民負担率の内訳の国際比較」(日本を含めて7か国。日本は2008年、他国は2005年)によると、日本の社会保障負担率(対国民所得比)は15.0%であり、ドイツ(23.7%)、フランス(24.6%)、スウェーデン(19.2%)よりは低い反面、イギリス(10.8%)、アメリカ(8.9%)よりは高くなっています。

ただし、社会保障負担率を比較する場合には、各国の社会保障制度の方式・型の違いを考慮する必要があり、日本と直接比較できるのは、同じ社会保険方式のドイツとフランスです。それに対して、イギリスの社会保障負担率が低いのは、イギリスの医療保障制度が税財源負担(NHS)であるという単純な理由によります。アメリカの社会保障負担率が低いのは、アメリカには全国民を対象とする公的医療保障制度がないためですが、逆に、アメリカの企業は日本企業に比べてはるかに多額の私的医療保険料を負担していることを見落とすべきではありません。

少し古い数字ですが、アメリカの1992年の企業負担の私的年金・私的医療保険費用(対国民所得比)は5.7%に達しており、日本の1995年の0.5%(税制適格年金)の10倍以上です(厚生労働省「社会保険料負担の国際比較」)。大企業の医療保険料負担の日米格差はさらに大きく、例えば、GMの車1台当たりの医療保険料は約1600ドル(現役労働者分約500ドル、退職者分1100ドル)に対して、トヨタは約200ドル(現役労働者分の公的保険料の企業負担分のみ)にすぎません(The Economist2007年9月29日号、64頁)。

「霞ヶ関埋蔵金」は医療にはまわらない

最近は、政府・与党内部で、「霞ヶ関埋蔵金」(特別会計の超過積立・準備金)論争が盛んで、「上げ潮派(成長重視派)」の人々はこれの存在を強調し、それを取り崩して、財政健全化に用いることを主張しています。例えば、小泉・安倍政権の下で、構造改革路線の黒子役を果たした高橋洋一氏(元内閣参事官)は、特別会計だけで埋蔵金が実に50兆円にも上っており、増税をしなくても財政再建は可能であると主張しています(『さらば財務省!』講談社、2008)。

ただし、この推計に対しては、強い批判もあり、論争は決着していません。例えば、吉野直行氏は、高橋氏が「埋蔵金」の中で「究めて突出」しているとした財務省の財政投融資資金特別会計の準備金を「取り崩す効果はわずか」と反論しています(「日本経済新聞」5月6日「経済教室」)。なお、高橋氏は、一般的には歳出抑制の急先鋒と見なされている財務省さえ、「大きな政府」派=「社会主義を信奉する官僚たち」と批判している、筋金入りの「小さな政府」派であり、「埋蔵金」は財政再建にのみ用いることを主張し、それを医療・社会保障費の拡充に用いることはまったく想定していません。

それに対して、医療関係者の中には高橋氏の主張のうち、「埋蔵金」の推計のみに注目して、それの一部を医療に回せば、国民の負担増(社会保険料や消費税の引き上げ)なしで、医療危機を改善できると考えている方もいます。また、福田内閣が5月13日に閣議決定した道路特定財(2008年度見通しで約5兆4000億円)の一般財源化で捻出される税財源の一部を医療に回せると期待している医療関係者も少なくありません。

しかし、私は、このような主張には、次の2つの理由から賛成できません。1つの理由は、権丈善一氏が明快に主張されているように、高橋氏の主張するように、もし無駄な積立金があるとしたら、日本には巨額の累積債務がある以上、「ストックはストックの原則」の下、債務の返済に回すべきだからです(m3.comインタビュー「医療維新」5月9日)。

もう1つの理由は、仮に「埋蔵金」の一部あるいは道路特定財源の一般税源化で捻出された税財源の一部が、「生活者財源」(福田首相)に回るとしても、その場合には、医療だけでなく、福祉・介護、女性・少子化対策、教育、環境・地球温暖化対策、さらにはODA(政府開発援助)等との間で激しい「分捕り合戦」・「争奪戦」が生じ、しかも現在の政治的力関係を考慮すると、医療費に回されるのはごく限定的だからです。

具体的に言えば、福田首相が4月30日の記者会見で述べたように、それは後期高齢者医療制度の見直し(低所得者の負担軽減等)に用いられ、医療費総枠が拡大する見通しはありません。経済学的には、これは高齢者負担から税負担へのコストシフティングです。言うまでもありませんが、私は低所得高齢者の負担軽減そのものには大賛成です。

よその分野の財源に依存するのは「情けない主張」

この例に限らず、医療関係者には、「よその分野の金を医療に回す」ことに固執し、次々に新しい財源候補を持ち出してくる方が少なくありません。しかし、それらの出所の中には、政治的実現可能性を無視した放言・珍説が少なくありません。例えば、著名な経済評論家の森永卓郎氏は、最近、相続税の強化(基礎控除を1相続当たり2000万円に引き下げた上で、残りを100%課税)により53兆円が税収になり、「所得税も消費税も法人税も一切支払わなくてもよいことになる」と主張していますが、これは現在の相続税収額1.5兆円のなんと35倍です(「構造改革をどう生きるか」3月3日。日経BP社のホームページに掲載)。私も相続税の強化自体には賛成ですが、このような数字遊びには与しません。

しかも、田中滋氏が明快に主張しているように、「研究も調査もなしに、他のある分野の支出は不要だと主張することはでき」ませんし、「他を削れと訴えるなら、その分野で働く人とその分野の対象者の分析や思いを公正に聞かなくてはなら」ず、それを抜きにして、「よその分野の金を医療に」と主張するのは「情けない主張」です(「新自由主義の流れは止まったが」『月刊/保険診療』2008年2月号)。

田中氏は、この視点から、医療費増加には国民の負担増が必要であり、その場合、「低所得者への配慮は当然」行いつつ「社会保険料が主になる」と主張されています。第1論文で縷々述べたように、私も同意見です。

理想論だけでは「今そこにある医療危機」がさらに進んでしまう

最後に誤解のないように。冒頭述べたように、私は、所得税(の累進性)と企業課税、さらには相続税の(再)強化には大賛成です。これは税財源確保のためだけでなく、租税の再分配機能を復活し、近年社会問題化している貧富の格差を縮小するためにも不可欠と考えます。それらを1990年代以前の水準に戻すだけで、理論的には「年10数兆円の財源を容易に確保することができる」との主張も見られます(日本租税理論学会編『消費税増税なしでの財政健全化』法律文化社、2007)。

しかし、このような「理想論」を正面から主張している政党(共産党と社民党)は国会内で圧倒的少数派であり、少なくとも短期的には実現可能性がないと言わざるを得ません。そのために私は、医療費増加財源として理想論のみに依拠して、社会保険料の引き上げに頑なに反対していると、「今そこにある危機」である医療危機・医療崩壊がさらに進んでしまうと危惧しています。これは、歳出の無駄の削減のみで医療費財源が捻出可能だとする主張についても同じです。

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2.『福祉社会開発学-理論・政策・実際』出版のお知らせ

私が拠点リーダーをつとめた日本福祉大学21世紀COEプログラム(2003~2007年度)の研究成果を集大成した『福祉社会開発学-理論・政策・実際』(二木立代表編者。穂坂光彦・平野隆之・野口定久・木戸利秋・近藤克則編著)をミネルヴァ書房から出版しました。以下は、それの「はしがき」です。

本書は、日本福祉大学21世紀COE研究プロジェクト「福祉社会開発の政策科学形成へのアジア拠点」が5年間の共同研究の成果を踏まえて世に問う、「福祉社会開発学」の理論・政策・実際を体系的に記述した世界初の教科書である。

グローバル化とローカル化が同時進行している現代社会では、人口高齢化、貧困と格差拡大、社会的排除などの新しい福祉問題が出現している。これらを解決するためには、地域社会を基盤にした社会福祉と社会開発を融合した新しい「福祉社会開発学」の構築が求められている。これが、本研究プロジェクトの課題意識であり、原点であった。

そのために、本研究プロジェクトでは、2003年度以降、日本福祉大学の大学院社会福祉学研究科と大学院国際社会開発研究科がそれぞれ蓄積してきた、先進国の高齢者ケアを中心とする福祉分野の政策科学・評価研究と発展途上国の貧困地域の参加型社会開発研究を統合・融合して、新しい学問領域である「福祉社会開発学」を創出し、本学を中心にその「アジア拠点」を形成することをめざしてきた。2005年に出版した『福祉社会開発学の構築』(ミネルヴァ書房)は、最初の2年間の共同研究の「中間報告書」であったが、本書は「最終報告書」と言える。

本書は全3部・7章から構成する。各部・各章の概要は以下の通りである。

第1部福祉社会開発の理論では、第1章で福祉社会開発学の理論と方法の枠組みを示し、第2章で福祉社会開発概念の諸側面を説明する。

第1章理論と方法の枠組みは、本書全体の序章かつ総括である。福祉社会開発の研究と実践の双方にわたって、その基礎となる理論的枠組みを示すとともに、その枠組みの中で、第2章以下の論述を含む本研究プロジェクトの主な研究成果を、位置づける。第1節では、まず福祉社会開発の定義に沿って、「福祉」と「開発」の統合理論を検討し、既存の諸理論の到達点に立脚し、その先に開かれる課題に対して福祉社会開発学がアプローチする方向性を示す。さらに実践的な観点からも、個別援助と地域支援の両者が形づくる領域の中で福祉社会開発アプローチが切り開く視野を、理論的に提示する。第2節ではこれを受けて、マクロ、メゾ、ミクロの各レベルにおける福祉社会開発の方法-政策形成へのアドボカシーと参加、プログラム開発と実施、ワーカーによる援助-について考察する。とくに核となるのはプログラム開発であり、制度環境のギャップで生じている福祉問題に積極的に取り組み、多様な主体の「協働」による解決を図るのが、福祉社会開発の特徴の1つである。そして、その協働のルールそのものを成立させる「協議」の場を社会資源として地域社会の中につくりだすようなマネジメントを、福祉社会開発プログラムの実践方法として提案する。

第2章福祉社会開発概念の諸側面の第1節では、東アジア3カ国(日本・韓国・中国)を対象に、福祉国家論と福祉社会論の関係を論じる。そこでは、東アジアの視点から福祉社会開発学形成へ2つの示唆を与える。1つは、福祉国家や福祉社会の関係を政府と民間(市民社会や市場)との関係と置き換えても有効であること。もう1つは、福祉国家再編と福祉社会開発の課題として第1次(最低生活保障制度)及び第2次(雇用、医療、住宅、教育等の社会政策)のセーフティ・ネットの張替え、そして地方政府を主体とした公共サービス(第3次セーフティ・ネット)の整備を提起する。第2節では、アジアにおけるグローバル経済の進展のもとで、3つの国際機関(IMF、世界銀行、WTO)の経済・金融政策から生じる格差拡大の要因と是正への取組みについて論じる。そこでは、アジアの出稼ぎ移民の現象をとりあげ、社会的統合政策の必要性を指摘する。また、格差是正・貧困解消にむけて国際機関が人権、保健、労働条件、環境保護の分野を社会的目標としてかかげ、それらへの投資戦略を確立する必要を提起する。第3節では、アジアの発展途上国における家族・地域社会と福祉社会開発の関係を論じ、福祉社会開発学への示唆として以下の3つをあげる。(1)危機における家族の安定を獲得するための解決能力の集積、(2)家庭、市場、行政、地域社会を律するルールを体現化する制度と組織の社会システム、(3)地域特性類型化の視点(支配、協力、競合)とその相互行為などである。

第2部福祉社会開発の戦略では、第3章で主として先進国を対象とした社会的排除と包摂戦略について、第4章で主として途上国を対象とした貧困・障害と地域戦略について、各国での実態調査や実践を踏まえて説明する。

第3章社会的排除と包摂戦略では、福祉社会開発の戦略を社会的排除と社会的包摂という2つの概念をキーワードにして示す。第1節では、社会的排除と社会的包摂の社会政策上の意義を、その対策で10年余の実績のあるイギリスを素材にして明らかにする。ここでは子どもの問題を例として、イギリスの包摂戦略が従来の所得再分配的施策に加え、社会的排除のリスクに着目し、問題へ早期介入しているところに特徴があることを示す。第2節では、社会的排除の一形態としての「健康格差」をとりあげる。海外において健康格差が「確固たる事実」であることを紹介しつつ、日本でもすでに「健康格差社会」になっていることを、AGESプロジェクト(本研究プロジェクトの一部)によって実証する。健康格差の生成プロセスと対策のあり方についても問題提起する。第3節では、社会的包摂にむ向けた政策プログラムの例として、韓国における自活事業を取り上げ、その導入過程と構造、成果と課題を分析し、福祉社会開発の観点から今後の改善課題を提起する。

第4章貧困・障害と地域戦略では、福祉と開発の境界領域に横たわる課題として「貧困」と「障害」を取り上げ、これに対して主として「地域」で取り組む「福祉社会開発」戦略の輪郭を、具体的に明らかにする。第1節では、韓国の都市貧困地域を例として、社会的包摂を目指して地域レベルで生まれる住民の福祉社会開発戦略としてのコミュニティ開発が、マクロレベルの政策環境に規定され、かつそれを先導する形で展開するとことを明らかにする。第2節では、現代中国で社会的に排除されがちな集団として「農民工」に注目し、中央政府による最近のより包摂的な政策転換を背景にして、農民工の福祉向上への戦略的な試みが地域レベルで展開されはじめたことを述べる。第3節では、モンゴルで市場経済に移行した結果、広範な都市貧困層が現出し、障害者も増加したことを示した後に、社会主義的福祉供給とは異なる新たな地域福祉戦略が国際NGOにより試みられていることを紹介する。第4節では、マレーシアの「地域社会に根ざすリハビリテーション」戦略の問題と可能性を分析し、これを踏まえて、「障害と開発」と呼ばれる複合領域における福祉社会開発戦略の大きな柱が、地域の社会関係変容への取り組みにあることを示す。

第3部福祉社会開発の実際は3章からなり、それぞれプログラム開発・人材育成・プログラムの評価方法について説明する。

第5章福祉社会開発のためのプログラム開発は、福祉社会開発を推進するためのプログラムを開発してきた3つの事例を紹介することを通して、その開発過程の状況、プログラムとして形成されるための条件、その後の普及の効果などについて、具体的に明らかにする。第1節では、日本の地域福祉プログラムを取り上げ、都道府県が単独補助事業として取り組んだ事例のなかでも1つの典型をなす長野県の「宅幼老所事業」について、福祉社会開発の視点からその有効性と課題を検討する。第2節では、社会的排除状態にあるホームレス当事者による社会的企業活動として注目を集めているビッグイシューの名古屋での取り組みを事例として取り上げ、社会的排除に抗しうる「自立経営型」の福祉社会開発のモデルを紹介する。第3節では、フィリピンの事例を中心に、自立的なセーフティネットとしてのマイクロ保険の実践を取り上げ、一般の金融機関から排除された貧困世帯が自らの共済組合の貸付を通じて経済的な自立を目指す実践の有効性と限界を示す。

第6章福祉社会開発の人材養成は、東アジアの福祉社会開発の戦略は、それぞれの国や地域において経済適正規模(環境との調和)に見合った経済成長を果たしながら、それぞれの国・地域に即した社会保障・社会福祉制度の充実とそれらを担う人材の養成を進めることであることを、日本と中国の事例を通して明らかにする。第1節では、高齢化・過疎化が急速に進行している日本の中山間地として山形県最上町の事例を取り上げ、地域再生に求められる福祉専門職人材としてのコミュニティ・ソーシャルワーカーの養成と配置、および中山間地の地域福祉推進のための「5つの力」の獲得方法を示す。第2節では、中国政府が政策的に進めている都市部の社区福祉推進の現状、さらに農村部における小城鎮の再生の課題をとりあげる。具体的には、都市部の社区福祉における地方政府と住民の自発的な活動への参加を促進する社会福祉人材の養成が重要な課題として浮上しており、農村部での小城鎮では工業化による地域経済社会の発展と社会保障・社会サービスの整備といった、まさに福祉社会開発を担いうる人材養成が急務であることを指摘する。

第7章福祉社会開発におけるプログラム評価では、福祉社会開発学の1つの源となった高齢者ケア領域におけるプログラム評価を取り上げ、プログラム評価が福祉社会開発に寄与するものになるための5つの視点を、それらを抽出した実証研究事例とともに紹介する。第1節では、福祉社会開発をめざすプログラムを評価する時に有用な、以下の5つの視点について紹介する。(1)格付けではなく、マネジメントサイクルを回すための評価、(2)マネジメント主体によるボトムアップ型評価の支援、(3)マクロ・メゾ・ミクロのマルチレベルや多要素で相互に補完しあう評価の枠組み、(4)複数の評価基準・方法による多元的・多面的評価、(5)データベースを活用したベンチマークによる多数の自治体・事業者間比較と評価のマネジメント。第2節では、愛知県のA町で自治体と本学研究プロジェクトの共同事業として取り組まれている「介護予防プログラムの開発と評価」について紹介する。第3節では、日本とアメリカの特別養護老人ホーム(ナーシングホーム)におけるケアの質向上をめざした評価例を取り上げる。

本研究プロジェクトを開始した5年前には、福祉社会開発学はまだアイデア・構想の段階にとどまっていた。しかしこの間の、時には激しい論争を含んだ共同研究を通して、上述したように、福祉社会開発学の骨格と特徴は示せたし、その視点と方法を用いた具体的研究と実践も相当進んだと言える。本書の出版を契機として、日本と東アジアで福祉社会開発学の理論研究、政策形成および地域での実践が深まり、広がることを期待している。

最後に、出版事情の厳しい中、本書の出版を引き受けていただいたミネルヴァ書房の方々、特に編集部の岡田真弓さんに、紙上をお借りして感謝申し上げたい。

2008年3月
日本福祉大学COE推進委員会・拠点リーダー
二木 立

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3.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その12):6冊

書名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○『リベラルの良心』(Krugman P: The Conscience of a Liberal. W.W.Norton & Company, 2007, 296 pages)[一般書]

国際的に著名なアメリカの経済学者で、筋金入りのリベラル(民主党支持者)であるポール・クルーグマン教授が、2008年の大統領選挙での民主党政権の復活を願って書き下ろした、アメリカ改革の書です。全13章構成で、第1章が導入と要約、第2~9章がアメリカの20世紀政治史、第10~14章が具体的改革提言です。著者は、1980年代以来続いている「格差の急拡大」を逆転させるために、「新しい平等化政策」=「新しいニューディール」を提唱しているのですが、そのための最優先の課題が国民皆保険制度の確立であり、第11章でそれの青写真を示しています。著者は、政府が保険者となるカナダ型の国民皆保険を理想と考えていますが、それへの政治的反対が非常に強いことを考慮して、(1)単一保険料、(2)低所得家族に対する政府の保険料補助、(3)強制加入、(4)公私保険の競争の4条件を満たす「経済効率と政治的リアリズムの実現可能な妥協案」を提起しています。日本の格差拡大の克復と医療改革を考える上でも示唆に富む本です(特に、第1章と第10・11章)。2008年6月に、次の訳書が出版されましたが、全訳ではありません(三上義一訳『格差はつくられた―保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略 』早川書房)。

○『[医療分野の実証研究の]確実性の幻想-医療の便益とリスク』( Rifkin E, et al: The Illusion of Certainty - Health Benefits and Risks. Springer, 2007, 239 pages)[概説書]

医療のリスク分析の基本原則を示すとともに、11分野の事例研究の意義と限界を明らかにしています(全3部18章)。基本原則の最初(第1章)が書名にもなっている「確実性の幻想」です。主として医療消費者の視点から書かれていますが、記述は公平で、バランスがとれています。ただし、本書で取り上げているのは、「医療の確実性の幻想(医療の不確実性)」ではなく、あくまでも「医療分野の実証研究の確実性の幻想」です。

○『信頼と医療[の関係についての]研究』(Brownlie J ,et al (eds): Researching Trust and Health. Routledge, 2008, 221 pages.[研究書(研究論文集)]

従来抽象的に論じられがちだった信頼と医療の関係を、個別テーマに即して具体的に検討しています。序論を含め11論文で構成されています。特に最後の論文(第10章)「信頼の保健医療アウトカム-実証的証拠のレビュー」は貴重と思います。3人の編者はイギリスの社会学者と人類学者で、執筆者も、イギリスを中心に、アメリカ、カナダ、ドイツにまたがっており、それだけに各論文のテーマも多彩です。

○『アメリカ国民をもっと健康にする-保健医療政策としての社会・経済政策』(Schoeni RF, et al (eds): Making Americans Healthier - Social and Economic Policy as Health Policy, Russell Sage Foundation, 2008, 398 pages)[研究書]

従来の医療制度の分析は保険・医療の分析に終始してきたし、社会・経済政策の伝統的な費用便益分析はそれが保健医療に与える影響を見逃してきたという反省に立って、6領域の社会・経済政策と保健医療との関係を、膨大な実証研究に基づいて検討し、これらの政策が保健医療に大きな影響を与えることを明らかにしています。以下の8部・13章構成です。第1部序論、第2章教育政策、第3部所得移転政策、第4部公民権、第5部マクロ経済・雇用政策、第6部福祉政策、第7部住居・地域政策、第8部結論。「社会・経済政策は保健医療政策である」ことを実証した貴重な研究と思います。

○『アメリカの保健医療格差を克復する-IMO報告書を越えて』(Williams RA (ed): Eliminating Healthcare Disparities in America: Beyond the IOM Report, Humana Press, 2007, 398 pages)[研究書]

アメリカにおける、主として人種間の保健医療格差の現状と克服策を包括的に検討しています。以下の5部・18章構成です。第1部保健医療格差の原因を理解する、第2部現在の問題、第3部問題解決のアプローチ、第4部成功事例、第5部結論と勧告。編者のWiiliams医師(UCLA医学部教授)自身が、誕生後、教育と保健医療の両面で差別を受け続けてきたアフリカ系アメリカ人です。ただし、下記のヨーロッパの本と異なり、社会経済的集団(階級)間の労働条件の違いがもたらす保健医療格差にはほとんど言及していません。なお、本書の詳細な書評は、New England Journal of Medicine 358(10):1081-1082,2008に掲載されています。

○『ヨーロッパにおける労働と健康の不平等』(LundbergI, et al (eds): Work and Social Inequalities in Health in Europe. P.I.E.Peter Lang, 2007, 538 pages)[研究書]

大半のヨーロッパ諸国では、特に1980年代以降、社会経済的集団(階級)間の健康格差の改善が目指されてきたが、目立った進歩はないそうです。本書では、このような健康格差が階級間の労働条件の違いによってどの程度説明可能かを、ヨーロッパ8か国とアメリカ・マサチューセッツ州の実証研究に基づいて、包括的に検討しています。 序章と次の3部構成です。第1部国別レポート(デンマーク、フランス、ドイツ、オランダ、ノルウェイ、アメリカ・マサチューセッツ州、スペイン、スウェーデン、イギリス)、第2部特別テーマ(グローバリゼーション・労働強度と健康の不平等の国際比較。労働・ジェンダー・社会階級の統合枠組みにおける健康の不平等)、第3部要旨と結論。ヨーロッパ諸国におけるこの分野の公私の実証研究と理論研究の蓄積に圧倒される本です。

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4.私の好きな名言・警句の紹介(その42)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<その他>

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