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"沖縄を返せ"の声は今も生きている

「理事長のページ」 研究所ニュース No.85掲載分

中川雄一郎

発行日2024年02月29日


昨年(2023年)6月17日に明治大学(駿河台校舎)で開催された本研究所20周年記念シンポジウム「非営利・協同の20年とこれからの社会」において、私は作家の池澤夏樹氏や山田健太専修大学教授の主張・指摘を部分的に引用・援用させて貰いながら「わたしの沖縄:さまよえる国=日本」と題した、沖縄が現に置かれている現況とその在り様を述べ、かつ批判しました。そこでこの度もまた私は、少々長くなりますが、2024年最初の「理事長のページ」において、山田健太教授が主張し指摘した「本土メディアはどこまで我がこととして問いえているか」の全体を書き留め・引用させて貰うことにしました――そうすることにより沖縄の現状が私たちの目により一層明確に映るだろうと思えたからです:

復帰50年に合わせ、新聞・テレビのみならずSNSも含め多くのメディアで一気に琉球・沖縄関連の情報量が増えている。新聞・放送の両博物館でも特別展が開催中だ。それらでも共通する節目報道の視点は、過去を振り返るとともに現在を検証するスタイルだ。しかし本土メディアの場合、その対象はどうしても米軍あるいは日米関係に向きがちであると言えよう。

もちろん、辺野古新基地建設の問題にせよ、住民を苦しめ続ける有機フッ素化合物による水汚染問題でも、米軍基地があるからこその問題であり、憲法より上位にある日米地位協定の存在があることには間違いない。一方でいま、沖縄が直面する問題は「基地」に関わる話題ではあるものの、自衛隊の南西シフトによって、あえて言えば戦前のような列島全体の軍事要塞化が進んでいることである。

米軍基地も、四半世紀にわたる米軍施政下の間に進んだ沖縄集中の歪みの結果であることからすれば、根っこには同じ問題があるわけだが、国土防衛のために沖縄に犠牲を強いる構図そのものが、沖縄が日本に「復帰」したがための宿命なのかを本土メディアがどこまで我がこととして問いえているだろうか。その微妙で決定的な違いが、沖縄の問題を「東京から見た政治」ではなく「そこに住んでいる県民」の視線でみることができるかではないか。

それは、戦後の在京紙と地元紙の報道の違いそのものである。本土側から見ると、屈辱から返還までの施政化の時代が「無理解」、米兵少女暴行事件や沖縄国際大学ヘリ墜落事件があっても大きな扱いにはならなかった「軽視・無視」、教科書検定、そして辺野古移設と沖縄問題が中央政治の問題として大きく扱われるようになった「政治」、翁長県政誕生以降の「対立」の、四つの時代に大きく分類することができる。

そこでも大きく報道量が増え、沖縄への関心が全国的に高まるのに比例するように、沖縄(県民)を蔑視する情報が増え、それは「沖縄神話」をはじめとするネット言説にとどまらず、政治の世界にも、そして既存大手メディアにも広く流布される状況が生まれたことは記憶に新しい。こうしたせめぎあいとともに、県内でも復帰後世代が過半数を占めるなかで、沖縄問題を日本の問題として捉え解決していくことができるかが、地元はもちろんそれ以上に本土メディアに問われている。
(山田健太「問われる本土メディアの視線」『AERA』2022年5月16日号)

山田健太教授による上記の主張に再度目を通して私が考えたことは、私たちは次の3点について十全に議論し、実現していくことだろうと言うことである。すなわち、第1:日本国憲法の上に「日米地位協定」が置かれており、日本政府は米軍を規制できず、米軍に「特権」を与えている。したがって、この地位協定を少なくともドイツ、イタリア、イギリスなどと同等とすること、換言すれば、「政府・自治体の基地立ち入りを可とする」・「訓練・演習への許可、同意等を可とする」など、また「航空機事故には現場を規制し、調査に主体的に関与する」などを可としなければならない。第2:日米地位協定は「米軍の特権を生む」ように設定されているので、すなわち、日本の国内法が米軍に適用されないよう排除されており、その代わりに「地位協定の下位法としての特例法」が幾つも制定されている。典型的な例は「日本の領空を飛行する航空機は国空法によって規制を受けるのであるが、米軍には適用されない」のである。今は亡き翁長雄志沖縄県知事はかつて沖縄県議会で次のように指摘していた:「日米地位協定がある意味で憲法の上にあって、それから日米合同委員会が国家の上にある。ある意味では日米安全保障体制が司法の上にあるという意味からして、すべて日本の権限の上にある」、と。こうして在日米軍は、日米の安保条約・地位協定に基づいて作り出される「実質的な治外法権」により日本の対米従属を継続しているのである。

第3:「地方分権踏まえ 最高裁は判断示して」と題する片木 淳氏(弁護士・元早稲田大学教授)の主張・論点を書き添えますので、私たちの思考と議論の参考にして戴ければ幸いである。

沖縄・辺野古をめぐる代執行訴訟は、県の上告により最高裁で審議中ですが、その結論を待たずに防衛省は大浦湾の埋め立て工事に着手しました。沖縄県に出された「設計変更申請」では、広範かつ大深度の軟弱地盤のために、7万本を超える砂の杭打ちが必要だとされています。

そもそも、国民の貴重な公共用財産である海の埋め立てを認めるかどうかは、公有水面埋立法により、地域の実情に詳しく、国土利用、環境保全、災害防止などの総合調整ができる知事の権限とされています。たとえ国による埋め立てでも、これを承認するかどうかは知事の権限です。

国による代執行は、その知事の権限を奪う「最後の最後の手段」ですから、地方自治法により、① 法令違反 ② 他の手段がない ③ 公益違反の3点を要件とした極めて厳格な審査が求められています。

しかし、昨年末の福岡高裁那覇支部判決は、① について具体的な審査をしていません。また②についても、沖縄県が主張した「対話」という手の手段について、裁判所自ら「付言」でその必要性を強調しながら、判決ではそれが生かされていません。
さらに③ についても、国の主張を追認し、法令違反などを放置することによる不利益ばかりを考慮して、基地建設で失われる公益や反対する県民の民意については、要件から除外しています。

地方分権改革では、対等とされた国と地方の間に争いが起こったときには、裁判所などが公正・公平な第三者の立場で裁く制度が新たに創設されました。

にもかかわらず、裁判者がその判断を避け、法に定められた自らの役割を放棄するばかりで、地方分権は文字どおり「絵に描いた餅」に終わってしまいます。

政府がこのまま、かたくなな立場に固執するのであれば、最高裁が「法治国家」の番人として、国と地方が対等であることを踏まえた判断を示すことが望まれます。

最後に「不平等な日米地位協定」に言及しておく。それは、上記の第1と2で言及した「日米地位協定」は1960年の結成以来一度も改定されていないことである。これがいかに不公平であるかは先に触れておいた通りであるが、それではドイツ国と米軍との協定はどのようになっているか見ておこう:

◎ドイツ(1993年に大幅改定)
〔1〕米軍による施設区域の使用や訓練・演習に対して「ドイツ法令が適用される」。
〔2〕連邦・州・自治体の立ち入り権を明記し、緊急の場合・危険が差し迫っている場合に は事前通告なしで立ち入ることができる。
〔3〕米軍が行う訓練・演習は、ドイツ側の許可・承認・同意が必要である。
〔4〕ドイツ警察による提供施設・区域内での任務遂行権限が明記される。

見られるように、ドイツは自国の「権利を守る」ことを具体的に「米軍」に伝えているのである。

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