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「イギリスのEU離脱」再考

「理事長のページ」 研究所ニュース No.68掲載分

中川雄一郎

発行日2019年11月30日


「イギリスがEUから離脱するか、それとも残留するか」を決定する国民投票が2016年6月23日に実施され、その結果、小差(離脱派52%・残留派48%)ではあったが、当時の保守党・キャメロン政権は「EU離脱」への舵を執った。そしてその後の保守党政府の「合意なき離脱か否か」の方針に世界が注目してきたことは、われわれのよく知るところである。
本研究所報もまたイギリスの国民投票とその後の動向に関心を寄せ、2017年1月31日発行の所報(No. 57)で「イギリスEU離脱」特集を組んだ:(1)対談:EU離脱・トランプ・新自由主義の現段階(2)「EU離脱」をめぐる国民投票を眺めながら(3)新たな始まり?―サンダーランドの社会運動家から見たイギリスEU離脱―(4)「新たな始まり?」へのコメント:「歴史のなかで自己を知る」および「イギリスの国民投票が教えてくれたこと」、である。(4)は私の拙文であるが、(4)は本研究所の「研究所ニュース」No.54(2016年6月30日)に掲載された「理事長のページ」の再録である。したがって、ここでは主に上記の(1)~(4)を視野に入れつつ、「EU離脱」の新たな状況について言及する。

I EU離脱に向けたイギリスの経済-社会事情

a) 合意なきEU離脱は不可

周知のように、先般、EU首脳部がジョンソン首相の「来年1月末までの離脱延期」を承認したことにより、10月29日開催のイギリス議会は――「一種の国民投票」と言うべき――「EU離脱か残留か」の本意を改めて国民に問うことになる総選挙の実施(12月12日)を賛成多数で承認した。したがって、保守党も労働党もその他の政党も共に、国民一人ひとりが地域コミュニティにおける自らの生活と労働の在り様をイギリスの経済、社会、そして政治の在り様と結びつけて思考し得る経済的、社会的、そして政治的な諸政策を提示しなければならないだろう。というのは、3年前の国民投票では、「EUを離脱すれば、毎週(・・)約500億円を医療に回せる」とのデマ宣伝がかなりの人びとに影響を与えたからであり、また最近、「イエローハマー(ホオジロ)作戦」1)と名付けられた「合意なきEU離脱の際にイギリスが陥る最悪のシナリオ」をジョンソン政権発足間もない8月2日に保守党政府によって作成されたことが明らかにされたからである。実際、前者についてはポピュリストの独立党(UKIP)党首ナイジェル・ファラージが陳謝している。いずれにしても、この選挙結果次第では、イギリス王国(The United Kingdom: UK)は分裂の危機に見舞われるかもしれないのである(例えば、スコットランドのUKからの独立)。それ故、各政党は「離脱・残留の争点」でもあった経済的、社会的、政治的な諸政策を明確にして総選挙に臨(のぞ)むことになるだろう。

b) イギリスの経済と社会をどう観るか

私は、ジョンソン首相が強調していた「合意なきEU離脱」は不可能だと考えていたし、そう主張してもきた。私は、2002~10年の間「イギリスにおける社会的企業(social enterprise)」の実態調査に毎年サンダーランド市を訪問し、そのうち日産自動車サンダーランド工場を2度見学する機会を得たが、この期間のサンダーランド市の失業率は15%を超えており、若年労働者の失業率は20%に迫っていた。そのような経済社会的状況にあっても日産自動車工場では直接雇用労働者と関連事業体の労働者を含めて約5000人もの労働者が働いていた事実を私は見聞きしていたし、しかもその数字は現在では6000人に増えていることも認識していたので、「合意なき離脱もあり得る」とのジョンソン首相の「空威張り」を信用しなかった。

私は、10月10日に、ジャンルカ・デフィッシ日産自動車ヨーロッパ会長の「イギリスが『合意なき離脱』をするのであれば、イギリス国内での日産自動車の生産は不可能になる公算が大きい」との警告を目にして、これは、イギリスにおける大企業のジョンソン政権に対する一つの強力な警告(編注: 原文は圏点)である、と即座に理解した。

実際のところ、6000人もの雇用を生み出している日産自動車のデフィッシ会長のこの言葉は、サンダーランド市の「EU離脱派」市民にとっても「EU残留派」市民にとっても極めて重大な意味を持っている、と言ってよい。イギリスの「合意なき離脱」があり得なくなった現在でも、日産自動車工場がサンダーランドに留まるか否かは、離脱派市民や残留派市民によってではなく、イギリスと日本の日産経営者たちによって決定されるのであるから、たとえ首相であろうと部外者が確定し得ることではないのである。言い換えれば、「日産自動車工場がイギリスに留まるか否かの不安」は、そもそも「EU離脱」の決定それ自体によって生み出されたのであるから、ここでデフィッシ会長が言及していることは、「もし合意なき離脱となれば、ほぼ確実に日産自動車サンダーランド工場は他のEUメンバー諸国のどこか(例えばオランダ)に移転するだろう」、ということなのである。

現在、イギリスには日産の他にホンダとトヨタがEU市場向けの生産拠点として進出しており、イギリス国内の全生産台数の半分を担い、イギリスの雇用と経済に大きく関わっている。しかし、これが「EU離脱」となれば、自動車部品や完成車を無関税で輸出入できたのが――新たな貿易協定が結ばれるまでは――10%もの関税を支払うことになるので、日産もホンダもトヨタも他のEUのいずれかの国へ自動車工場を移転することになるだろう。とりわけイギリス最大の自動車工場でもある日産自動車サンダーランド工場は年間44万台を生産し、完成車の70%をEUに輸出し、また部品のほぼ70%をEUの14カ国から調達しているのである。ホンダは既に5月に約3500人を雇用しているスウィンドン工場を2021年に閉鎖する旨を発表しており、イギリス内外に波紋を広げている。このような状況を受けて、イギリス自動車工業会は、EU離脱後には「物流の停滞で自動車産業は1分毎に5万ポンド(約690万円)の損失」を生み出すことになるだろう、との試算を公表している。

イギリスの日本企業は自動車生産企業だけではない。イギリスに進出している日本企業は約1000社であり、しかもそれらの多くはEU市場にアクセスしている。例えば、製薬会社の「エイザイ」は、抗がん剤等をイギリス工場で生産してEU市場で販売しているが、「イギリス・EU双方の患者に供給が滞(とどこお)らないように在庫6カ月分積み増した」、とのことである。またソニーとパナソニックはオランダに拠点を新設して離脱に備えており、さらに金融業界の三井住友銀行は、イギリスで取得すればEU域内で営業できる「シングルパスポート」の失効に備えて、ドイツのフランクフルトに新拠点を開業しており、EUでの拠点を既に確保している。多くの日本の金融機関は同様な「守備態勢(シフト)」を取っている。要するに、日本の金融機関は、イギリスのEU離脱に伴って「EUルールに従い、顧客の資金をEU側に移す」準備をしているのである(以上、『朝日新聞』朝刊2019年10月17日付参照)。

10月31日付『朝日新聞』に「英のEU離脱 7割『すでにマイナス影響』 在英の日系製造業」と題した記事が掲載されていたので、引用しておこう。

英国の欧州連合(EU)離脱をめぐる混乱が続く中、すでに在英の日系製造業の7割にマイナスの影響が出ている――。日本貿易振興機構(ジェトロ)は30日、こんなアンケート結果を公表した:通関や物流の混乱に備えた在庫の積み増しなどが負担になっている。欧州の日系企業979社を対象に9~10月にアンケートを実施し、842社が回答した。
これまでの事業への影響を尋ねたところ、①「マイナス」と答えた企業の割合は欧州全体で31.0%となり、前年調査の16.1%からほぼ倍増した。国別では在英企業が54%と最も高く、製造業に限ると70.8%に達した。② 具体的なマイナスの影響としては、在EU、在英の日系企業のどちらからも、「在庫の積み増しにかかる費用」が上がった。離脱に伴う物流の停滞に備え、サプライチェーンが英国とEUにまたがる製造業を中心に影響が広がっている。③ 在英の企業からは「取引き相手のEU移転の検討による設備投資控え」を指摘する回答もあった。

 さて、EU首脳会議は10月17日、従来のイギリスの「EU離脱条件」を修正した新協定案を承認した。この修正協定案は、北アイルランドにイギリスの関税ルールを適用するが、イギリス本島や第三国から北アイルランドを経由してEU内に入る可能性がある物品についてはEUの関税や規制を適用する、というものである。これによって、北アイルランドと陸続きのアイルランドとの間では関税や検疫の検査を行わずに済むことになる。要するに、「イギリス国としての一体性を保ちつつ、運用上は北アイルランドをイギリス本土とは別扱いする」との措置である。だが果たして、「イギリス国内には二つの関税基準が存在するけれど、名目上はイギリス国の一体性を確保することになる」ので、イギリス議会はこの修正新案で妥協し、承認するだろう」と、確定してもよいものか、難しいところである。この「難しさ」について朝日新聞の「視点」(10月20日付朝刊)は「離脱を本当に望んでいるのか」と題して、次のように述べている。参考になるので記しておく。

……離脱に踏み切れない議会の態度は、そのまま世論の反映でもある。国民投票では、離脱と残留が52対48と拮抗した。その後も両者の溝は埋まらないまま。英国民は本当に離脱を望んでいるのか。それが英国と世界のためになるのか。世論のコンセンサスは形成されてはいない。ジョンソン政権がEUと結んだ協定は、このような疑問と不安を何ら解決していなかった。一部の離脱強硬派が、声高に主張を展開し、勢いで物事を押し切ろうとしたに過ぎない。今回の協定では、北アイルランドを英本土から事実上分離する要素も含まれており、国家統合への不安が伴うにもかかわらず、説明と議論はほとんどなされなかった。英国のEU離脱による影響は、欧州内にとどまらない。国際秩序全体のほころびにつながる危険性もはらむ。結論を急いで取り返しのつかない状況を招かないよう、立ち止まって考える時に差しかかっている。

II イギリスの進むべき道は……

a)「視点」の問題提起に答えて

ここで私も上記「視点」の問題提起について見解を述べなければならない。私は、この「視点」が最も強調している点は次の文面であると見ている。すなわち、「英国民は本当に離脱を望んでいるのか。それが英国と世界のためになるのか。世論のコンセンサスは形成されてはいない」、これである。もっと端的に言えば、「視点」のタイトルである「離脱 本当に望んでいるのか」、である。なぜなら、この「EU離脱」によって最も損害を被るのは、最も大きな怒りの声を張り上げて「離脱」を連呼している低所得者階層であり、またその先頭に立って離脱を叫んでいる低所得者階層の若者たちであるからだ。

イギリスのなかでも多くの低所得者階層を抱える地域コミュニティの一つであるサンダーランド市で社会的企業(social enterprise)SES(Sustainable Enterprise Strategies)を運営しているマーク・サディントン氏が『新たな始まり?』で言及しているように、EUは確かに「非難を受けやすい制度であるにもかかわらず、非難を受けないよう自ら努力することに欠けていた」し、また「グローバル化や国際化に向けて、非民主主義的で、よそよそしい促進者であったし、あまりにしばしばグローバリゼーションの熱烈な支持者(チアリーダー)にして擁護者(サポーター)であり、行為者(エージェント)でもあった」ことは否めないだろう。例えば、周知のように、EU首脳、とりわけドイツとフランスの首脳たちは、景気後退の最中にあったギリシャに対して「緊縮政策」を強く迫った。とはいえ、EUのかかる主張や行為は、グローバリゼーションそれ自体に起因するというよりもむしろ、各メンバー国のその時々の経済的、社会的、それに政治的な「一種の症状」に起因するものであった。なぜなら、イギリスにあってもまた、ギリシャがそうであったように、世界的な金融危機を機に政府の支出を絞(しぼ)る「緊縮財政」を進めてきたことによって、「多くの英国人がまるで市場で価値を失った家畜のように扱われていると感じ、英国とEUの支配層に罰を求めた」結果がこの「ブレグジット」(Brexit)であったからである(「反緊縮派から見たEU」『朝日新聞』2019年10月26日付朝刊)。だがしかし、ブレグジット派の人びとは、要するに、そもそも自分たちの生活の困窮と労働条件の悪化は、すぐ後で触れるように、1986年のミセス・サッチャー政権によるあの「ビッグバン」(Big Bang)から始まり現在まで続いている新自由主義に基づく経済政策によってではなく、EUの政策によって引き起こされたのだと考えたし、今でもなおそう考えているのである。

2016年6月23日に実施されたこの国民投票は、周知のように、投票率72.26%で約3300万人が投票し、その結果、「離脱派51.9%」・「残留派48.1%」の僅差で離脱派が勝利し、EU離脱の意志が表明されたことになった。この直後に金融市場は混乱し、「ポンドは30年ぶりの安値、株式相場は300兆円以上の時価総額の損失となった」2)

投票結果はイギリス社会の現状を反映していた。長谷川貴彦氏が述べているように「離脱派・残留派の投票行動は、保守党と労働党という二大政党を横断したものであったし、二大政党からUKIPへの支持が流失していることを示すものであった。その背景にあったのが、分断された社会であり、離脱賛同者は、学歴別では大卒者が三割なのに対して低学歴層は七割、年代別では一八歳から二四歳までの若年層で三割以下、五〇歳以上では六割を超えたという。地域別では、残留支持がスコットランド、北アイルランドで多く、ウェールズ、ロンドンを除くイングランドでは、離脱派が過半数を占めた。こうして、『イングランドの地方に住む高齢者の労働者階級』という離脱派のイメージが構築され、現代のヨーロッパを席巻する極右支持層と共通の特徴を兼ね備えていることから、この存在が現代のポピュリズムの一つの表出形態として捉えられるようになった」のである3)

b) 「イギリスには社会というようなもの存在しません。存在するのは男と女の個人であり、家族なのです」(There is no such thing as society in Britain. There are individual men and women, and there are families.)

1988年5月21日、当時のイギリス首相マーガレット・サッチャーは、スコットランド国教会長老派の総会で上記の言葉を発し、自分の経済政策イデオロギーをイギリス市民に伝えた。彼女のこの言葉が多くのイギリス市民を驚かせたことは言うまでもない。彼女は「皆さん一人ひとりは、自らの経済的、社会的、政治的な諸結果のすべてを『自己責任』として受けとめて生活し労働しなければなりません」と、市民に訴えたのである。彼女のこの言葉こそ彼女の「新自由主義政策」の概念であり、これを以て彼女は金融主導の経済政策を実行したのである。その結果、金融街シティは繁栄したが、イングランド北部や中部の工業地帯は衰退していった。ニューカッスルや隣のサンダーランドもそのような衰退した都市の一つであった。「金融サービスは新たな中間層を創り出したが、それらの雇用関係は不安定であり、地方の伝統的な労働者階級は縮小していった。ロンドンの発展と地方の衰退という地理的コントラストが進展」していったのである4)。だが、地方の産業・工業や農業を結果的に弱体化させてしまう、このような金融主導の経済政策は早晩限界を迎える。長谷川貴彦氏は次のように論じている5):「デヴィド・ハーヴェイの研究によれば、一九七〇年代をピークとして世界全体の富の総量は収縮して、富の分布に偏った傾向が見られるという。格差社会は、低賃金を創出し、必然的に購買力の減退を招いた。事実、イギリスでも若年層を中心として『持ち家』志向の減退を指摘する声があり、二〇〇八年の世界的な金融危機の原因がサブプライムローンの破綻にあったように、需要の減退が経済の不安定化の要素となっている。金融を基軸とする新自由主義経済は限界を迎えているかのようである」。

実際のところ、新自由主義経済は分断された格差社会を生み出してきた。このことはイギリスや他のEU諸国にも当てはまるし、日本にも当てはまる。新自由主義経済政策の浸透は「経済的弱者」を「忘れられた人びと」に変えていくのである。その意味でミセス・サッチャーの「市民」は「忘れられた人びと」でもあるのだ。彼女はこう豪語した:「イギリスには社会というようなものは存在しません。存在するのは男と女の個人であり、家族なのです」、と。この言葉を以てミセス・サッチャーは「市民の誰かが社会的に包摂(inclusion)されるのであれば、他の誰かが社会的に排除(exclusion)されるだろう」と、言い放ったのである。これに対して「より良い社会を創り上げ、そこで子どもたちが成長してくれることを願う」イギリス市民は自らの(・・・)意識(・・)を「イギリスには社会というものはあります、という意識」(A sense that there is such a thing in Britain)をもって表現し、協力し協同する機会を創り出していく「形式と秩序」を確かなものにしようとするのである。

とはいえ私は、新自由主義経済政策が継続される限り、イギリスでも日本でも「格差社会」が継続し、したがって「経済的弱者」が「忘れられた人びと」に変えられていくであろう、と危惧している。それ故にまた、私たちは、「経済的弱者」を「忘れられた人びと」に変えていく「格差社会」の基底それ自体を変革しなければならない。その意味でも、私たちはイギリスの経済と政治と社会の轍(わだち)からさまざまな教訓を学び、日本の経済と政治と社会の在り様を鋭く考察しなければならないのである。


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