総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻80号)』(転載)

二木立

発行日2011年03月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


お知らせ:「民主党政権の医療政策」をテーマにして3・4月に名古屋で講演します

1.名古屋医事法研究会第137回例会・報告

2.日本福祉大学大学院・講義(リレー講義「私の研究テーマと研究方法」の第1日)


1.論文:医療への市場原理導入論の30年-民間活力導入論から医療産業化論へ

(「二木教授の医療時評(その86)」『文化連情報』2011年3月号(396号):16-23頁)

はじめに-報告テーマを限定した3つの理由

本日の日本医師会医療政策シンポジウムの統一テーマは「国民皆保険50周年」ですが、私は「医療への市場原理導入論の30年」に限定して報告します。その理由は3つあります。第1は、私は昨年7月に開かれた日本学術会議シンポジウムで、医療・健康の社会格差という視点から国民皆保険の50年について報告し、それを論文化しているからです(1)。人気テレビドラマ「相棒」の杉下右京警部を気取るわけではありませんが、同じテーマについて二度話す気力が湧かないのは「私の悪い癖」です。第2の理由は、医療への市場原理導入論の批判的検討は、最初の単著『医療経済学』(2)以来、私の継続的研究テーマの1つだからです。第3の理由は、医療への市場原理導入論の批判は、本シンポジウムの副題である国民皆保険の「未来に向けて」の検討でも不可欠と考えるからです。

以下、4つの柱立てで述べます。まず、1980年代に初めて登場した医療周辺分野への市場原理導入論を検証します。次に、1990年代末から小泉純一郎政権時代に吹き荒れた医療本体への市場原理導入論を検証します。第3に、民主党の菅直人政権が昨年6月に閣議決定した「新成長戦略」中の医療政策・「医療産業化論」が、医療への市場原理導入論の部分的復活であることを指摘します。第4に、医療経済・政策学の視点から、医療への市場原理導入論を複眼的に評価します。最後に、以上の検討を踏まえ、国民皆保険の「未来に向けて」のまとめを行います。

1 1980年代の医療への民間活力導入論の検証

まず、1980年代に初めて登場した、医療への市場原理導入論、正確には医療周辺分野への民間活力導入論の検証を行います。最初に主な公式文書の概要を紹介し、次にそれらの複眼的評価を行い、3番目にそれらの帰結・顛末を述べます。

主な公式文書の概要

医療への民間活力導入論の「先駆け」と言える公式文書は2つあり、ともに1980年に発表されました。1つは通産省産業構造審議会の『80年代の通産政策ビジョン』、もう1つは財務省の『財政百科』です(3,4)。

『80年代の通産政策ビジョン』は、「80年代においては、行政に対する過度の期待を排し、従来、公共分野と考えられているものにもできる限り市場機能と民間活力を導入していくような発想が必要である」(36頁)、「医療、保健、教育などの公共サービス」等にも「民間の活力を導入してその発展を図ることが望ましい」(139頁)と主張しました。この文書では「民間活力」=「企業」でした。しかも通産省産業構造審議会の会長は、次に述べる臨時行政調査会で辣腕を振るった土光敏夫氏でした。

大蔵省の『財政百科』は、通産省文書ほどストレートではありませんでしたが、巨額な財政赤字を理由にして、教育や医療などの「公共部門への過度な資源配分は民間の活力を低下させるおそれがある」とし、「民間部門の創意や活力に委ねるべき領域を明確化する」ことを主張しました(4頁)。

これらに続いて、臨時行政調査会(土光敏夫会長)は、1982~1983年に「基本答申」(1982年7月)から「最終答申」(1983年3月)に至るさまざまな文書で、財政再建のための医療・社会保障費抑制と民間活力の活用を提唱し、中曽根康弘内閣はそれらを具体化するために一連の閣議決定を行いました。

それを受けて、厚生省は1986年4月に発表した「高齢者対策推進本部報告」で、医療・福祉への民間活力導入論を初めて提起しました。この報告では、「高齢者対策の基本原則」(5つ)の5番目に「民間活力の導入」を、「各施策の改革の方向」の「2 保健・医療・福祉サービスの保障」(5つ)の5番目に「民間活力の導入、活用」を掲げ、次のように述べました。「これまで公的施策を中心に提供されてきた福祉や保健医療の分野においても、民間の適切かつ効率的なサービスを併せて導入することが有効であり、こうしたビジネスの健全育成を図る」。「ア シルバーサービスの健全育成…高齢者がニードに応じた民間サービスを受けられるように、情報提供を行う体制を確立する。また、寝たきり老人等の介護保険についても民間保険の適正な育成を図る」、「イ 保健医療分野における民間活力の活用…保健事業において、…健康産業の育成…を図る」、「ウ 民活法案の検討」。

次に厚生省は、1987年6月に発表した「国民医療総合対策本部中間報告」で、「わが国の医療システムについては、その基本である自由開業医制と国民皆保険体制を国民福祉の上からも今後とも維持していかなければならない」と明言した上で、次のように医療周辺サービスへの民間活力導入を示唆しました。「医療サービスの量から質への転換…『必要な医療サービス』は社会保険に基づく給付を原則としつつ、生活水準の向上などに伴って高まりつつある『快適サービス』については、患者のサービス選択の幅を拡大する」。「老人ホーム等におけるケアの推進…新たに老人のケア付き住宅についても検討する」。「在宅介護の推進…民間保険の導入についても検討する」。「患者サービス等の向上…ニーズの多様化・高度化に対応するため、患者が選択できる複数メニューの提供を図ることとし、そのための費用負担のあり方を検討するとともに、病院給食の外部委託の活用を図る」。

さらに、『厚生白書平成3年版 広がりゆく福祉の担い手たち-活発化する民間サービスと社会参加活動』(1992年)の第3章「民間サービス」では、シルバーサービス、民間医療保険、医療関連サービス(院内業務委託・支援サービスと在宅医療支援サービス)、健康増進関連サービスの動向が、35頁も事細かに紹介されました。これは第2章「公的施策」の記述がわずか5頁であったのと対照的でした。

医療への民活導入論の複眼的評価

次に、1980年代の医療への民間活力(以下、民活)導入論の複眼的評価を行います(5-7)。まず強調したいことは、それが中曽根政権が推進した「小さな政府」を目指した「臨調行革路線」の一環であり、(公的)医療費・医師数抑制政策(「医療費亡国論」等)とワンセットだったことです。ただし、厚生省の実際の施策は、医療費・医師数抑制のための「規制強化」が中心であったことも見落とせません。臨調行革路線では「規制緩和」が強調されましたが、医療分野ではそれはほとんど行われませんでした(7:6頁)。

2番目に強調したいことは、当時は、民活導入の対象は医療周辺分野(病院給食等の院内業務委託・支援と在宅医療支援サービス、民間医療・介護保険)に限定され、医療本体は除外されたことです。この点に注目して、私は、厚生省の医療改革戦略は国民皆保険体制の根幹部分は維持しつつ、「医療の周辺部分から営利化を進めていく」ことだと理解しました(6:156頁)。しかも、これは同時期にイギリス・サッチャー政権が進めたNHS改革と酷似していました。当時、一部の医療団体は、「厚生省はアメリカ型医療を直輸入しようとしている」等と主張していましたが、それは誤解です。

医療への民活導入論の顛末

3番目に、1980年代の医療への民活導入論の帰結・顛末をやはり複眼的に述べます。

まず、上述した厚生省の3文書が共通して提唱した民間介護保険はほとんど普及せず、それに代わり2000年に(公的)介護保険制度が創設されました。なお、岡光序治老人保健福祉部長等は、1990~1991年に、「グリーン車自己負担論」の立場から、医療のアメニティ部分をカバーする「第二公的保険」を提唱しましたが、すぐに立ち消えました(『週刊社会保障』1648号,1991)。健康産業もほとんど育成されず、その結果、2006年の医療制度改革関連法では(公的)医療保険が「生活習慣病対策」を実施することになりました。

他面、がん保険を中心とする民間医療保険と病院内業務委託・支援サービスは相当普及しました。さらに、2000年の介護保険制度開始と同時に、在宅介護サービスへの企業参入が解禁されました。

2 1990年代末~小泉政権時代の医療本体への市場原理導入論の検証

次に1990年代末から小泉政権時代に吹き荒れた医療本体への市場原理導入論を検証します。これについてはすでに拙著(『21世紀初頭の医療と介護』、『医療改革と病院』等)で詳しく論じているので、簡単に述べます(8-11)。

主な公式文書の概要

注目すべき公式文書は3つあります。1つは、小渕恵三首相の諮問機関である経済戦略会議が1999年に発表した「日本経済再生への戦略-経済戦略会議答申」(最終答申)です。この文書は、「医療や介護については、社会的に必要最低限のサービスをあまねく国民に保障する観点」[つまり医療保険給付の「最低水準」説-二木]から、「競争原理の導入等を通じて医療コストの抑制を実現」することをめざし、「日本版マネージドケア」の導入や「企業による病院経営の解禁」等、医療本体への市場原理導入を網羅的に提唱しました。経済戦略会議副議長だった中谷巌氏は、「日本版マネージドケア」の導入が国民皆保険制度解体を意味すると明言しました(8:73頁)。

「最終答申」が発表された前後には、各種の国民皆保険解体論が群発しましたが、「最終答申」を含めて現実の医療政策にはほとんど影響を与えませんでした。しかも、国民皆保険解体論はやや意外なことに、2001年の小泉政権成立後一気に沈静化しました(12)。

2番目に注目すべき公式文書は、2001年6月に閣議決定された経済財政諮問会議「経済財政運営と構造改革に関する基本方針(骨太の方針)2001」です。この文書には、(1)企業による医療機関経営の解禁、(2)保険者と医療機関との直接契約(個別契約)の解禁、(3)混合診療の解禁という、3つの医療本体への市場原理導入方針が含まれていました。

もう1つ注目すべき公式文書は、2004年12月の厚生労働大臣・規制改革大臣「いわゆる『混合診療』問題に係る基本的合意」です。これについては、後述します。

医療本体への市場原理導入論争の評価と顛末

次に、小泉政権下の医療への市場原理導入論争の評価と顛末を述べます。

もっとも強調すべきことは、日本の医療政策史上初めて、医療本体への市場原理導入(新自由主義的改革)方針が閣議決定されたことです。これを契機として、政府・体制内の医療改革シナリオの分裂が公然化して、政権内外で論争が勃発し、それは小泉政権の5年間を通して継続しました。

ここで注目すべきことは、厚生労働省は、小泉政権時代に一貫して医療への市場原理導入に抵抗したことです。この点は、同省が中曽根政権時代に医療周辺分野への民活導入論を主導したのと対照的です。私は、この点に注目し、「21世紀初頭の医療・社会保障改革の3つのシナリオ」説を提唱しました(8:序章)。

もう1つ強調すべきことは、あの強大な小泉政権下でさえ、医療本体への市場原理導入の全面実施は挫折したことです。手前味噌ですが、私は、「骨太の方針2001」が閣議決定された10日後に発表した拙論「小泉政権の医療制度改革を読む」で、上述した「新自由主義的3改革の全面実施は困難」と「客観的」将来予測を行いました(8:64頁)。

まず企業による医療機関経営の解禁は、2003年に小泉首相の裁定で認められましたが、(1)構造改革特区で、(2)自由診療の分野および、(3)「高度な医療を提供する病院又は診療所」に限り認めるとの厳しい条件が付けられました。そのため、2006年7月に横浜市に再生医療を用いた美容外科診療所が開設しただけで、企業による新たな病院開設はまったくありません。

次に保険者と医療機関との個別契約は、早々と2003年5月に解禁されましたが、厳しい条件が義務づけられ、現在に至るまでまったく生じていません。

第3に混合診療の解禁については、先述した両大臣「合意」により全面解禁は否定され、特定療養費制度を再編した「保険外併用療養費制度」により部分解禁されることになり、それが2006年の医療制度改革関連法に盛り込まれました。

小泉政権の医療政策で見落としてならないのは、「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針について」(2003年3月閣議決定)の診療報酬体系の「基本的な考え方」で、「社会保障として必要かつ十分な医療を確保しつつ、患者の視点から質が高く最適の医療が効率的に提供される」ことが明記されたことです。これは、混合診療全面解禁論が依拠する医療保険給付の「最低水準」説の否定を意味します(9:第I章)

さらに、安倍・福田・麻生政権では、政府内での医療への市場原理導入論はほとんど消失しました。逆に、福田・麻生政権の「社会保障の機能強化」路線は、自公政権の枠内での政策転換と評価できます(11:第3章)。

3 民主党政権の「医療産業化」論-医療への市場原理導入論の部分的復活

第3に、民主党菅政権が昨年6月に閣議決定した「新成長戦略」中の医療政策・「医療産業化」論を検討し、それが小泉政権時代の医療への市場原理導入論の部分的復活であることを指摘します。この点については、「『新成長戦略』と『医療産業研究会報告書』を読む」(13)で詳しく述べたので、お読み下さい。

「新成長戦略」の概要-総論と各論の分裂

「新成長戦略」の医療政策の特徴は、総論と各論が分裂していることです。総論は、「『強い経済』、『強い財政』、『強い社会保障』を一体的に実現する」、「社会保障には雇用創出を通じて成長をもたらす分野が数多く含まれており、社会保障の充実が雇用創出を通じ、同時に成長をもたらすことが可能」と宣言しており、それなりに評価できます。

しかし、各論に含まれる「医療・介護・健康関連産業を成長牽引産業」化するための具体的施策(混合診療の拡大、医療ツーリズム、健康関連サービス産業)はいずれも医療への市場原理導入策と言えます。なお、同じ時期に経済産業省が発表した「医療産業研究会報告書」は、この「各論」の補足文書とも言えます。

「新成長戦略」の医療政策に経済成長効果はない

次に、「新成長戦略」の医療政策に大きな経済成長効果はないことを指摘します。まず、マクロ経済的には、医療は「経済の下支え」であり、「成長牽引産業」との位置づけは過大評価です。各論レベルでも、混合診療の拡大は「先進医療」に限定されており、「数十億円程度のマージナル」な市場拡大にとどまります。医療ツーリズムについては、2020年に5500億円市場に成長するとの日本政策投資銀行レポートは極端な過大推計で、日本はこの分野の先進国にとても太刀打ちできません(14)。さらに、「公的保険制度の枠外」の健康関連サービス産業の急成長が見込めないことは、1980~1990年代の失敗で決着済みです。

「医療産業研究会報告書」は「医療産業化」を主張していますが、経済学的には医療はもともと「(サービス)産業」であり、それが主張する「医療産業化」は医療への市場原理導入の言い換えにすぎません。私は今回の報告のために、先に紹介した通産省の「80年代の通産政策ビジョン」を30年ぶりに読み直したのですが、「医療産業研究会報告書」の主張がこれとソックリであることに驚きました。たとえば、「医療産業化」は、この「ビジョン」が提唱した「公共的サービスの産業化の促進」(139頁)と瓜二つです。

私は、民主党政権発足直後から、民主党政権の医療政策は底が浅く危ういと指摘していましたが、「新成長戦略」と「医療産業研究会報告書」はそれの象徴とも言えます。なお、私は、ごく一部の先進的医療機関が、保険診療を適正に行った上で、「新成長戦略」に沿った取り組みを行うことは可能だと考えていますが、それが医療の営利化・企業化の呼び水にならないよう細心の注意が必要だとも思っています。

4 医療経済・政策学からの医療への市場原理導入論の複眼的評価

最後に、医療経済・政策学の視点から、医療への市場原理導入論を複眼的に評価します。

「医療における民活導入と医療経済への影響」

冒頭述べたように、医療への市場原理導入論の批判的検討は、私の最初の単著『医療経済学』以来の継続的研究テーマです。そこでまず、このテーマについての私の研究の原点と言える、1986年に発表した拙論「医療における民活導入と医療経済への影響」のサワリを紹介します(15)。手前味噌ですが、この論文での私の分析と主張は25年後の現在もほとんどそのまま妥当すると自己評価しています。

この論文で、私は医療への民活導入の区分を行いました。まず、医療保障面での民活と医療供給面での民活に区分し、次に後者を伝統的民活=既存の民間医療機関の活性化と新しい民活=一般の営利企業の医療への参入に区別しました。このことを強調したのは、当時の民活導入論では一般の営利企業の医療への参入のみが注目され、医療関係者もそれに過剰反応していたからです。

この論文で、私は、医療への民活導入を全否定せず、以下のような複眼的評価・主張を行いました。「直接的医療サービスの提供は今後も民間医療機関主体で行われた方が効率的であり、この分野に営利企業が参入する余地はほとんどない。他面、一般の営利企業が…『規模の経済(スケールメリット)』が働く医療の間接分野に限定的に参入することは医療効率化にとっても有用と考えている。しかし、このような民活導入は、費用面での公的責任が貫かれて初めて意味を持つ」。

さらに営利企業の医療への参入可能性の個別的予測を行い、「営利企業の参入が進む3分野」として、(1)日本型「医療産業複合体」(レールマン)の出現、(2)病院周辺業務の外注化、(3)高所得層対象のニュービジネスをあげる一方、「アメリカ流の病院チェーンや在宅医療の企業化は発展しない」と予測しました。

ただし、この論文では、筆が滑ってアメリカ流の株式会社制病院チェーンだけでなく、「医療法人等が直接病院を所有する形での、病院チェーンが全国展開することは今後もあり得ない」と書いてしまいました。これは、その当時すでにわが国でも、医療法人を中心とした「日本的な病院チェーン」が急進展していることを見落とした不正確な認識・予測であり、2年後に「急増する私的病院チェーン」の全国調査について報告した際、訂正しました(6:69頁)。

最後にこの論文では、新しい民活の社会経済的帰結として、(1)公費から私費へのシフト、(2)社会的総費用の増大、(3)支払い能力に基づく医療格差をあげました。

「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」

医療分野への市場原理導入論は、それにより医療を効率化し、医療費を抑制できると主張しています。たとえば、「骨太の方針2001」は、「株式会社方式による[医療機関-二木]経営など」、「医療供給体制を効率化することなどにより…サービスの質を維持しつつコストを削減」できるとしていました。しかし、現実は全く逆で、アメリカにおける膨大な実証研究で、株式会社制病院チェーンによる医療費抑制効果は完全に否定されました。この点については、遠藤久雄氏(学習院大学教授)の優れたレビュー論文をお読み下さい(16)。さらに、私的医療保険の拡大により、私的医療費だけでなく、公的医療費・総医療費も増加することは先進国の経験則となっています(17)。

この点を踏まえて、私は、2004年から「新自由主義的医療改革の本質的ジレンマ」を提唱しています(9:21頁)。それは「医療の市場化・営利化は、企業にとっては新しい市場の拡大を意味する反面、医療費増加(総医療費と公的医療費の両方)をもたらすため、(公的)医療費抑制という『国是』と矛盾する」というものです。

私は、このジレンマが、小泉政権の下でさえ、新自由主義的医療改革の全面実施が挫折した経済的理由だと判断しています。ちなみに、政治的理由は、平等な医療を支持する国民が圧倒的多数を占めていること、および日本医師会を中心としたすべての医療団体が新自由主義的医療改革に一致して反対したことです(11:53頁)。民主党政権でもこのジレンマは続いており、私は今後も新自由主義的医療改革の全面実施はありえないと判断しています。

「医療の企業化」は複眼的に把握する必要がある

最後に、「医療の企業化」は複眼的に把握する必要があります。これが、私が一番強調したいことです。

私の恩師である故川上武先生は、1991年に、「医療の企業化」には「企業の医療への参入と、企業家的医師の活動範囲の拡大」の両方を含むことを提唱しました(18:iv頁)。アメリカのグレイも同じ認識を示したうえで、さらに踏み込んで、「医療倫理の最大の脅威は営利企業の参入そのものではなく、企業家的に行動する医師や非営利病院が増えていることである」とも指摘しました(19:334頁)。

私はこのような医療の企業化の2区分説を踏まえて、1991年に、「医療団体・医療機関は、今後、『医療の公共性』を守る立場から、(1)一般の営利企業の医療の中核部分への個別の参入を阻止するだけでなく、(2)一部の医師や病院の営利的行動や単なる営利目的の『企業化』にも厳しい監視の目を向ける必要がある」と主張しました(20:148頁)。

おわりに-国民皆保険の未来に向けて

おわりに、以上の検討を踏まえて、本シンポジウムのサブテーマである国民皆保険の「未来に向けて」、私の「客観的」将来予測と価値判断を1点ずつ述べ、まとめに代えます。

まず、「客観的」将来予測。今後も「医療・社会保障改革の3つのシナリオ」の対立は継続し、混合診療全面(原則)解禁論等、医療への市場原理導入論がゾンビのように復活しますが、医療への市場原理導入の全面実施はありえず、日本の医療制度の2つの柱(国民皆保険制度と非営利医療機関主体の医療提供制度)が今後も維持されることは確実です。

次に、私の価値判断。医療への市場原理導入がめざす「二段階医療」化は、日本社会の統合性・安定性を損なうのに対して、公的医療費の拡大による日本医療の質の引き上げと医療へのアクセスの確保は、国民皆保険制度を守るだけでなく、日本社会の安定性・統合性を維持・向上させます(7:156頁)。ただし、そのためには、社会保険料を主財源、消費税を含む租税を補助的財源として、公的医療費増加のための長期的な安定財源を確保する必要があります。この点については拙著『医療改革と財源選択』で詳細に論じたので、お読み下さい(11)。

[本稿は、2月2日に開かれた日本医師会平成22年度医療政策シンポジウム「国民皆保険50周年~その未来に向けて」での同名の報告です。]

文献 (*をつけた4論文は『民主党政権の医療政策』勁草書房,2011所収)

【補足】行政刷新会議分科会「中間取りまとめ」に医療への市場原理導入の新たな火種

行政刷新会議「規制・制度改革に関する分科会」は、1月26日に、約250項目の規制・制度改革事項を示した「中間とりまとめ」を発表し、それの中に医療への市場原理導入の呼び水・火種になる重大な「規制改革事項」が含まれました。それは「ライフイノベーションWG」が提起している「各府省庁が取り組む規制・制度改革事項」の(3)「医療法人の再生支援・合併における諸規制の見直し」で、「営利法人の役職員が医療法人の役員として参画することや、譲受法人への剰余金配当等が認めるべき」という「分科会・WGの基本的考え方」が示されました。

この改革に対しては、「一定の要件を満たした再生事例であり、かつ非営利性維持を妨げない範囲において」という制限が付けられていることを理由にして、大きな問題はないと考えている方もいます。しかし私は、営利法人(株式会社)が医療機関経営のノウハウをほとんど持っていないことを考慮するとこの改革には実効性がないだけでなく、逆にこれがいったん認められると、将来それが医療法人全体に拡張され、結果的に営利法人による医療機関経営の解禁につながる危険があると危惧しています。

[以下、『文化連時評』では頁数の制約のため不掲載]

これは、決して私の杞憂ではありません。なぜなら、この改革を最初に提起した翁百合委員は、「医療機関の再編を円滑化する制度改革」という一般的な文脈で提起しましたし(昨年10月28日の第5回会議)、第6回会議(11月10日)でそれが正式に「検討項目」とされたときも、「医療法人におけるガバナンスの柔軟化に向けた規制の見直し」という一般的名称が付けられていたからです。しかも、菅政権が今国会で成立を目指している総合特区法案に盛り込まれる予定の10項目の特例措置のなかに「民間事業者による特別養護老人ホーム設置」が含まれることを考慮すると(「日本経済新聞」2月9日朝刊)、一見限定的に見える今回の改革が早晩「一般化」する危険があると思います。

ただし、この改革は決して既定事実ではなく、今後、日本医師会や各病院団体が強く反対すれば、厚生労働省や民主党の良識派議員もそれに後押しされて強く抵抗し、3月に予定されている最終文書(閣議決定)から削除される可能性も大きいと思います。

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2.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その20):6冊

※書名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○『医療ツーリズム-国際貿易を通した社会的厚生』
(Reisman D: Health Tourism - Social Welfare Through International Trade. Edward Elgar, 2010, 198 pages)[研究書]

シンガポールのナンヤン工科大学のライスマン教授が、経済学を中心とした「ひとり学際」(森岡正博氏)として、最新のデータと情報を用いて、全世界50か国の医療ツーリズムの現状、便益と問題点を包括的かつ簡潔に論じています。全10章で、章立ては以下の通りです:1章「序論」、2章「貿易用語」、3章「価格」、4章「質」、5章「差別化」、6章「医療ツーリズムの便益」、7章「医療ツーリズムのコスト」、8章「医療ツーリズムと公共政策」、9章「シンガポールの経験」、第10章「アジアの医療ハブ(拠点)」。第3~5章は利用者個人レベルの分析、第6~8章は国レベルの分析、第9・10章は事例研究です。著者は医療ツーリズム支持派ですが、単純な市場礼賛論者ではなく、第7章ではそれのマイナス面も指摘し、第8章では政府が市場の失敗を正すべきと指摘しています。おそらくこの分野の初めての研究書であり、日本での医療ツーリズムの可能性と限界を考える上での必読書と思います。

○『アメリカの世論と医療』
(Blendon RJ, Brodie M, et al: American Public Opinion and Health Care. CQ Press, 2011, 530 pages)[研究書]

アメリカで今までに行われた医療についての300以上の全国世論調査(大半はランダム化電話調査)の結果をテーマ別にまとめて、考察を加えた大著です。筆頭著者のブレンドン教授(ハーバード大学公衆衛生大学院)はアメリカにおけるこの領域の最高権威です。私の知る限り、医療についての世論調査をまとめた本は世界初です。全21章で、章立ては以下の通りです。1章「序論」、2章「政府と医療組織に対する信頼」、3~9章主な医療制度についての世論(医療制度全体の評価、医療費、無保険者、医療保険の対象拡大の努力、メディケアとメディケイド、処方薬、医療の質と医療事故)、10~16章重要な公衆衛生問題についての世論(HIV/エイズ、中絶、幹細胞を用いた研究、終末期医療、肥満、伝染性疾患)、17章医療格差についての世論、18・19章アフリカ系アメリカン人とヒスパニック、女性の医療政策の評価、20章「選挙、支持政党と医療政策」、21章オバマ政権の医療改革についての世論。横断調査だけでなく、時系列データも豊富に含まれるため、医療問題についてのアメリカ世論の変化も知ることができますし、多くのテーマについては日米比較も可能かもしれません。

○『国家と医療-OECD加盟国の比較』
(Rothgang H, Cacace M, et al: The State and Healthcare - Comparing OECD Countries. Palgrave, 2010, 278 pages)[国際比較研究]

イギリスとドイツの研究者6人が、1970年代の経済危機以降のOECD加盟国の医療制度・政策の変化を、国家の役割の変化という視点から比較検討しています。全4部・8章構成です:第1部「研究の概念」、第2部「横断面分析」、第3部「事例研究」、第4部「結論」。OECD加国全体の概括的比較と、イギリスとドイツ、アメリカの事例研究を統合し、かつては多様であった各国の医療制度が「ハイブリッド型」に収斂しつつあると結論づけています。

○『健康と医療における効率測定』
(Hollingsworth B, Peacock SJ: Efficiency Measurement in Health and Health Care. Routledge, 2008, 157 pages)[中級教科書]

経済学の立場から、健康と医療における効率の概念と測定法(DEAとSFA)についての最新の研究成果を概説しています。全10章で、章立ては以下の通りです:1章「序論」、2章「健康と効率概念」、3章「効率測定の諸技法」、4章「医療サービスにおける効率測定」、5章「医療における効率測定の応用」、6章「より進んだ応用と最近の進歩」、7章「今後の方向」。アメリカを代表する反新古典派医療経済学者であるトム・ライス教授が推薦文(まえがき)を書いていることから、新古典派とは一味違う記述がなされていると推察されます。

○『医療における費用効果分析[・費用効用分析]の応用方法』
(Gray AM, Clarke PM, et al: Applied Methods of Cost-Effectiveness Analysis in Health Care. Oxford University Press, 2011,313 pages)[中級教科書]

イギリスのオックスフォード大学で行われている「費用効果分析のより進んだコース」講義をベースにした教科書で、費用効果分析・費用効用分析の基礎と応用を丁寧に開設しています。全12章で、章立ては以下の通りです:1章「序論」、2章「医療における経済的評価」、3章「生命表と外挿」、4章「患者レベルのでデータを用いたアウトカムのモデル化」、5章「健康アウトカムの定義、価値付けと分析」、6章「費用の定義、測定と価値付け」、7章「費用の分析」、8章「意思決定モデル:意思決定樹」、9章「意思決定モデル:マルコフモデル」、10章「意思決定モデルにおける不確実性の処理」、11章「費用効果分析の結果の提示」、12章「要約と今後の方向」。

○『医療における信頼の検証-学際的視点』
(Pilgrim D, Tomasini F, et al: Examining Trust in Health Care - A Multidisciplinary Perspective. Palgrave, 2011, 226 pages)[理論書]

医療における信頼を社会学的、心理学的および哲学的に検討した理論書です(全8章)。主に検証されているのは以下の4点です:信頼の論理的・感情的側面、患者と医療専門職とのパワーバランス、医療における信頼の危機と影響および教訓、医療制度において公的信頼を強めることの意味。

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3.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算63回.2010年分その11:6論文)

○[アメリカの]病院医療では患者アメニティの重要性が増しつつある
(Goldman DP, et al: The emerging importance of patient amenities. New England Journal of Medicine 363(23):2185-2187,2010)[評論]

激しい競争が繰り広げられているアメリカの病院市場、特に高給付の医療保険加入者が多い地域では、アメニティの高さが患者獲得で重要な役割を果たすようになっている。このことは、病院医療の質の定義、便益および患者・社会が負担する費用という点で、重要な問題を投げかけている。1990年代以前には、病院が患者を集めるためには、良い医師を引きつける必要があると考えられ、そのために病院は高額医療機器導入の「医療軍拡競争」を繰り広げた。しかし、1990年代に入りマネジドケアが普及すると、病院はそれの契約医療機関になるために、価格の引き下げ競争をしなければならなくなった。

そして現在では、病院がアメニティを武器にして直接患者に働きかける新しいタイプの競争が生じている。最近の調査では、医師が患者の入院先を決める場合、病院の技術よりも患者が直接判断しやすいアメニティを重視することが多くなっている。アメニティは「患者中心の医療」(patient-centered care)の重要な要素とも言えるが、それは現在の医療物価指数や医療生産性の計算、診療報酬支払額の決定では考慮されていない。現在進められている医療改革では、アメニティを病院医療の価値ある要素に含めるべきか否かを決定しなければならない。

二木コメント-アメリカにおける医療費増加要因研究では、従来、技術革新による医療費増加に焦点が当てられていましたが、本論文は「患者中心の医療」ではアメニティの向上も病院医療費の重要な増加要因になることを示唆しており、興味深いと思います。

○[アメリカの]ウェルネス[目的の補完代替医療]消費者の[伝統的]医療利用
(Kannan VD, et al: Medical utilization among wellness consumers. Medical Care Research & Review 67(6):722-736,2010)[量的研究]

アメリカではウェルネス(健康的でナチュラルなライフスタイルを通して健康増進と疾病の一次予防を図ること)のために補完代替医療(CAM)を用いる国民が非常に多く、政策当局や保険者・企業もそれにより医療費を抑制できると期待している。ウェルネスとCAM消費により医療費が抑制できたとの報告もあるが、それらは保険者や企業のケーススタディにとどまっている。しかも、ウェルネス目的のCAM消費と疾病治療目的のCAM消費を区別した先行研究はない。そこで2007年「全国健康インタビュー調査」の「成人の代替医療補足調査」ファイル(対象は23,393人)を用いて、ウェルネス目的のCAM消費者の伝統的医療利用を、CAM非消費者と疾病治療目的のCAM消費者と比較した。調査前に、CAM消費者はCAM非消費者に比べると伝統的医療利用が少ないとの仮説を立てた。

対象全体では63.8%が過去1年間に39種類のCAMのいずれかを最低1回、消費していた。仮説とは逆に、ウェルネス目的のCAM消費者(8181人)は、CAM非消費者(8590人)と比べて8種類の伝統的医療(診療所受診~手術)のすべての利用確率が高かった(救急外来受診を除いた7種類で有意差)。これらの利用確率は、疾病治療目的のCAM消費者(542人)ではさらに高かった。例えば、診療所受診確率はそれぞれ85.8%、78.3%、91.1%、手術確率はそれぞれ10.0%、8.6%、14.7%であった。伝統的医療利用の頻度に関しても同じ結果が得られた。

二木コメント-日本でも、補完代替医療により医療費が節減できると主張する方が少なくありませんし、民主党も2009年総選挙時の「政策集INDEX2009医療政策<詳細版>」で「統合医療の確率並びに推進」を掲げていました。それだけに、本研究は貴重です。

○[アメリカにおける]幅広い手術を対象にした手術の安全性と病院の手術数[との関連]
(Eggli Y, et al: Surgical safety and hospital volume across a wide range of interventions. Medical Care 48(11):962-971,2010)[量的研究]

特定の主要手術では、手術数の多い病院の院内死亡リスクは手術数の少ない病院よりも低いことが実証されている。この結果に基づいて最少手術数を設定する政策を実施する前に、同様の分析を幅広い手術で行う必要がある。そこで「2004年全国入院患者標本」(353病院の140万人の手術患者を含む)、病院ごとの手術種類(合計144)別手術数と総手術数が手術合併症、予防可能な再入院および院内死亡に与える影響を、3段階階層的ロジスティック重回帰分析(患者、手術種類、病院特性)により検討した。

その結果、心臓手術とそれ以外の少数の手術では、手術数が多い病院の再手術率は変わらず、死亡率と合併症発症率は低かった(オッズ比はそれぞれ0.93、0.97)。しかし、それ以外の手術では逆に、手術数の多い病院の方が手術リスクが多い傾向がみられた(オッズ比1.02)。院内死亡率のバラツキは、手術数の多い病院でも少ない病院でもかなり大きかった。この結果に基づいて、著者は、手術数を基準にする政策は支持されず、それよりも各病院のリスク調整済みアウトカムをモニターし、アウトカムが特に悪い病院を調査する方が効率的である可能性があると主張している。

二木コメント-一部の特定の手術で実証された「手術数効果」(volume effect)を、拡張して他の手術にも適用しようとする動きは日米共通というより、日本の厚生労働省の方が暴走したと言えます。日本では、2004年診療報酬改定で、アメリカにおいて一部の手術で「手術数効果」が確認されていること等を根拠にして、110種類もの手術(総手術数の約1割)に対してごく一部の施設しか満たせない「手術に係る施設基準」(年間手術件数)が設定され、それを満たせない医療機関の手術料を3割も引き下げるという乱暴な改定が行われました。しかし、その後の外科系学会の実証研究により、ごく一部の手術を除いて「手術数効果」は否定され、この基準も撤回されました。

○[アメリカの病院の]攻撃的治療スタイルと手術のアウトカム[との関連]
(Silber JH, et al: Aggressive treatment style and surgical outcomes. Health Services Research 45(6, Part 2):1872-1892,2010)[量的研究]

アメリカでは、Wennberg等が1998年に開発した「ダートマス医療地図」(Dartmouth Atlas of Health Care)の定義による攻撃的治療が、過度に高額な医療費の重要な要因とみなされている。攻撃性指標は、病院単位で、9つの慢性疾患による死亡患者の死亡前2年間の資源消費(総医療費、ICU滞在日数、総在院日数)に基づいて測定される。そこで、2005~2005年にメディケア患者(約456万人)に対して、一般外科・整形外科・血管外科手術を行った全米の3065病院を対象にして、後方視的コホート解析により、攻撃的治療と手術のアウトカムとの関連を検討した。

その結果、高齢の手術患者では、攻撃的治療スタイルは合併症発症率と有意の関連はなく、逆に死亡・救命失敗のオッズ比は有意に低かった。医療費を指標にした攻撃的治療スタイルが上位25%病院の下位25%の病院に対するアウトカムのオッズ比は、合併症で1.01(有意差なし)、死亡率で0.94(p<0.0001)、救命失敗で0.93(p<0.0001)であった。攻撃的治療スタイルの指標として、総在院日数とICU滞在日数を用いても、結果は同様であった。この結果に基づいて、著者は、攻撃的治療を費用効果的ではないとして減らす試みは高尚ではあるが、医療政策決定者は攻撃的治療スタイルの病院は手術のアウトカムを改善している可能性があることに留意すべきであると強調している。

二木コメント-「攻撃的治療」好みのアメリカらしい、費用対効果という発想を拒否する研究ですが、一理あると思います。なお、"aggressive treatment"は「積極的治療」と訳されることが多いですが、本論文ではこの用語が否定的に扱われている(ことに対する異議申し立て)というニュアンスを考慮して、敢えて「攻撃的治療」と訳しました。

○[アメリカの]メディケア患者の入院医療費の効能[と無駄]についての根拠
(Kaestner R, et al: Evidence on the efficacy of inpatient spending on Medicare patients. The Milbank Quarterly 88(4):560-594, 2010)[量的研究]

アメリカでは、マネジドケア組織や大企業の自己保険等により、医療の無駄を除去するための市場メカニズムを利用した財政的誘因が働いているが、それでも医療費の20~30%は無駄であると広く信じられている。この言説の妥当性を検証するために、2001~2005年の全メディケア入院患者(853万人)の医療費請求データを用いて、手術を受けた患者(一般外科、整形外科、血管外科)と内科疾患患者(急性心筋梗塞、うっ血性心不全、脳卒中、消化管出血)、合計7種類の患者の入院医療費と入院後30日以内死亡率(以下、死亡率)との関連を、最小二乗法による線形重回帰分析により検討した。その結果、急性心筋梗塞患者を除いて、入院医療費の10%増加は、死亡率の3.1%~11.3%の低下と関連していた。この結果に基づいて、著者は、医療費の一部は非効率的に使われているかもしれないが、少なくとも入院患者に関しては、医療費の無駄は一般に想像されているよりは少ないと主張している。

二木コメント-853万人もの入院データを用いた膨大な回帰分析で、結論も妥当と思います。ただし、一般にアメリカ医療の無駄として真っ先にあげられるのは、管理・経営費用の無駄(営利企業等の超過利潤を含む)と思います。

○時は金なり:機会費用と[アメリカの]医師の1996~2005年の慈善医療提供
(Wright DB: Time is money: Opportunity cost and physicians' provision of charity care 1996-2005. Health Services Research 45(6, Part 1):1670-1692,2010)[量的研究]

断片的医療制度を持つアメリカでは、慈善医療が無保険者への医療で重要な役割を果たしている。その中心をなす医師の慈善医療の提供は彼らの1時間当たり給与・所得(以下、時給と略)に依存するか否かを調査した。対象は連邦公務員ではない医師で、診療所・病院で週20時間以上診療に従事する医師とした。「地域追跡調査・医師調査」の1996~2005年の4回分のデータを統合して、38,826人分のデータセットを作成し、医師の過去1か月の慈善医療の提供確率を推計するプロビットモデルと慈善医療の提供時間を予測する線形回帰モデルの2分割モデル(two-part model)により検討した。勤務医(給与制)と非勤務医は区別して検討した。医師の82.7%がなんらかの慈善医療を提供したことがあり、平均提供時間は1月10.7時間であった。医師の時給と慈善医療の提供確率との関連は勤務医では正であったが、非勤務医では負であった。慈善医療を提供している医師に対象を限定すると、勤務医・非勤務医とも、時給と慈善医療の提供時間との間には正の関連があった。慈善医療の提供は医師の就業形態とも有意に関連していた(詳細は略)。

二木コメント-慈善医療が限定的な公的医療保障を補完しているアメリカ特有の研究テーマと言えます。分析方法は実に精緻ですが、「鶏を割くに牛刀を用いる」感じがしないでもありません。

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4.私の好きな名言・警句の紹介(その76)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

<その他>

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