総研いのちとくらし
ニュース | 調査・研究情報 | 出版情報 | 会員募集・会員専用ページ | サイトについて

「George Russell(Æ)のINTRODUCTION」

「理事長のページ」 研究所ニュース No.74掲載分

中川雄一郎

発行日2021年05月31日


"ひょんな事"から表記のイントロダクションを日本語に訳すことになってしまった。本年4月末から5月中葉にかけての事である。事の経緯(いきさつ)を簡潔に記すと次のようである。

昨年2月の初めにロバアト・オウエン協会会員の土方直史先生から「フランスの新ソルボンヌ大学(1970年にパリ大学から独立して設立されたUniversity Sorbonne Nouvelle)でロバート・オウエンの社会思想を研究されているオフェーリエ・シメオン先生(Ophèlie Simèon, Associate Professor)が来日するので、オウエン協会を中心とする公開講演会を開催できないものでしょうか」との問い合わせがありました。その時に私は「日本でオウエン協会が60年以上に渡って研究活動を継続していることをシメオン先生はよくご存じでしたね!?」と、問いかけましたところ、「恐らく、イギリスのオウエン研究者から聞き出したのかもしれませんね」、との先生の返事がありました。そこで私は、その人物を特定することなく「世界は狭くなりにけりですね」と申し上げて、電話で笑い合いました。

シメオン先生が日本にやって来るのは「良人(おっと)の東京大学への研究留学に付き添う機会を得たから」とのことなのですが、同時に彼女としては自分のロバート・オウエン研究の成果を日本のオウエン研究者に「評価」してもらうことを望んでいるのだろう、と私は思った。私がそう思った理由は、「ロバート・オウエン協会がイギリスにさえ存在しないのに、なぜ日本に存在するのだろうか」と、彼女が土方先生に尋ねられたからである。土方先生が彼女のその質問に何とお答えしたのか訊(き)いておりませんが、実は私は、かなり以前にオウエン協会の故・今井義夫先生から「かつてイギリスにも日本と同様のロバアト・オウエン協会が活動していた」ことを聞いておりました。私が記憶している限りでは、イギリスのオウエン協会が「解散」した理由は「ベトナム戦争」に起因しているとのことでした。

1965年前後のイギリス政府は労働党のウィルソン首相を中心に構成されていましたが、ウィルソン首相はアメリカ政府支援を「暗黙の了解」としていたそうで、それは多くのイギリス市民の政治姿勢と異なっていた(それは丁度、あのブレア首相がアメリカのブッシュ大統領による対イラク戦争を支持・支援したのとよく似ている―これは私の勝手な考えです)。ただしウィルソン首相は「アメリカはベトナム戦争に敗北する」と考えていたそうで、「ベトナム和平へのイニシアティヴ」を何とか取ろうと努力したものの、実を結ばなかった。そのウィルソン首相がイギリスのオウエン協会の責任者でもあったことから、協会内に軋轢が生じて会員が去っていき、「オウエン協会」もイギリス社会から去っていったのである。概(おおむ)ねこれが私の記憶に残っている今井先生からお聞きした「イギリス・オウエン協会史」の一節です。いずれにしても、「オウエン」は西暦2020年になってもなお「人びとの記憶に新しい存在」である、と言えるかもしれない。

閑話休題。シメオン先生の件ですが、結局、彼女は、東京のコロナ禍での生活に見切りをつけて、土方先生から依頼された彼女の講演を明治大学で行うべくさまざま気を使い、なおかつ講演に関わる多額の費用まで準備してくださった大高研道先生の努力もむなしく、日本に負けまいと頑張っているコロナ禍のフランス・パリにいつの間にやら(編注: ゴシックは原文では圏点)帰国しました。それでも彼女は、ほんの少しだけ土方先生と私に――彼女の講演のために大奮闘してくださった大高先生には申し訳ありませんが――法政大学・大原社会問題研究所の機関誌に「オウエン主義者たちの群像」を書く機会を与えてくれたのである。

そこで私は、大原社研の機関誌に書き送った『アイルランドにおけるオウエン主義思想:ウィリアム・トンプソンとE.T. クレイグ』のなかの「むすびに代えて」に記した「George Russell (Æ)のINTRODUCTION」の一部を本研究所ニュースの【理事長のページ】に書き置くことにしました。

ところで私は上記の論文を書くためにアイルランドに関わる主に歴史、経済、社会などの書籍を探し歩いたのであるが、非常に数少ないことが分った。それでも波多野裕造著『物語アイルランドの歴史:欧州連合に賭ける“妖精の国”』(中公新書、1994年)は大変役立った。アイルランドはイギリスの植民地としてなんと800年以上にわたって支配され、独立したのは事実上現代の第2次世界大戦後であると言っても間違いではないのである。

私が本論文で取り上げたトンプソンはアイルランド・コーク州出身で、著名な経済学者であり女性解放論者であって、オウエン主義者であり、かつまたジェレミー・ベンサムの指導を受けた人物でもあった。もう一人のE.T. クレイグはマンチェスター出身の若者で、若くして協同組合運動機関誌の編集に携わり、近代協同組合運動の実質を能(よ)く理解した若者であり、アイルランドにわたりララヒン協同組合運動、すなわち、ララヒン協同コミュニティの建設を指導した人物である。トンプソンとクレイグの協同組合の理念と運動については大原社研の論文を観ていただければ、と思っています。それでは、アイルランド文芸復興の中心的役割を果たしたアイルランドの民族主義者ジョージ・ウィリアム・ラッセルの「イントロダクション」の一部をここに書き添えておこう。

われわれは、種子が石のように硬い土壌に落下するララヒンについて語ることはできないが、それでも泥棒たちが警戒を突破して窃盗を働いたことを語ることはできる。アイルランド人の誰しも、胸を刺す激しい痛みを覚えるほどの後悔なしにこの有名な実験の物語(ストーリィ)を読み続けることはできないだろう。ジョン・スコット・ヴァンデリュアが、彼のクラブで賭博に興じて彼自身の財産を喪失しただけでなく、彼の土地がもたらしてくれた幸運までをもまた消滅させてしまったのである。そうであっても、ララヒンに建設されたこのコミュニティの実験が、たとえ開始された時のままに展開されたとしても、アイルランドの他のコミュニティに影響を及ぼすことはなかったろう、と誰が言えるだろうか。このコミュニティの実験がわれわれのために長きにわたる悲劇的歴史を省(はぶ)いてくれるのであれば、わが農業協同組合に続いてデンマーク、ドイツ、そしてフランスに農業協同組合が出現し、われわれは農業協同組合の先駆的国家の人間になったかもしれないのである。だが今や、誰一人として、この歴史家への愛の感情を込めた優しい思いを持たずして、この説話(narrative)を読むことなどできないだろう。誠実で、思いやりがあり、かつ勇敢な人間であるクレイグは、その善意と正義の魅力(マジック)によって人びとの大いなる信頼を得、またわれわれを確信させる知恵と包容力をもって、単なる信奉から先進的な哲学的原則へと人びとを目覚めさせたのである。もっとも、彼に信頼を寄せた人たちは当然のように彼の哲学的原則を望ましいと考えていた人たちであった、とわれわれは思っている。だがそう思うことはまさに、1830年にクレア県に移住する勇気を彼らに求めることでもあったのだ。われわれには、政治的および社会的な状況についてのクレイグの説明が自制的でなかったことを疑う理由を見出せないのである。彼は、彼の経済理論と同じように、人間的な本性に欠くことのできない徳性・善性を身につけており、したがって粗暴で騒然としているこの社会に自信を持ってやって来たのだとわれわれは確信してよいだろう。彼は有能で善良な実業家であると思われていたし、事実、彼が経済的な観点から考案した協同組合計画は成功したのである。

ここまでが最初の、つまり、第1パラグラフである。ラッセルはここで、オウエン主義の理念と実践を賛美していた大地主のヴァンデリュアが彼のクラブで賭博に興じて大損し、彼の農地、すなわち、ララヒン農業協同組合が抵当に取られて全財産を失い、彼自身は逃亡してしまった事実を伝えている。若きクレイグの指導の下にこの農地を運営し、協同コミュニティとしての農業協同組合が組合員に利益をもたらし始めていたその時に、しかもアイルランドではこれまで見たことのないほどに組合員の人間的な豊かさを創り出していく農業協同組合が無情にも崩壊してしまったのである。このララヒン協同組合は1831年に開始し33年に崩壊してしまうのであるが、それでも、3年に満たない間ではあったとはいえ、この地域の人びとに大きな影響を与えたのである。私はヴァンデリュアのこの「賭博行為の果て」を「ララヒンの喜劇的悲劇」と称しているのであるが、まさにアイルランド人にとっても大きな悲劇であったと言ってよい。ラッセルも述べているように、ララヒン農業協同組合が成功していれば、アイルランドは農業協同組合運動の先進国となって貧困から解放され、デンマーク、ドイツ、それにフランスにおける農民解放の見本となり得たかもしれないのである。

続く以下のパラグラフも私たちの心を揺さぶる。実は、ジョージ・ウィリアム・ラッセルは、アイルランド民族主義者の他に、評論家、詩人、画家、ジャーナリストしても活躍した人物である。彼のこの文章のタイトルは次のものです:

An Irish Commune: The Experiment at Ralahine, County Clare 18311833

※土方直史先生は2020年10月1日に逝去されました。大原社会問題研究所機関誌への論文に取りかかる直前でした。

Home | 研究所の紹介 | サイトマップ | 連絡先 | 関連リンク | ©総研いのちとくらし