総研いのちとくらし
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異次元の人:安倍首相とトランプ次期大統領

「理事長のページ」 研究所ニュース No.56掲載分

中川雄一郎

発行日2016年12月10日


私は、「首相の『言い訳』」と題した先回の「理事長のページ」(『研究所ニュース』No.55、2016.8.31)で、安倍首相は、いわゆる「異次元の金融緩和策」を含めた「アベノミクスという名の経済財政政策」について、その政策実行プロセスを国民に具体的に説明することなく、まるで口癖のように「道半ばです」と言い放って済ませているが、それは「言い訳」にもなっていない、と批判しておいた。安倍首相は、物価安定目標として「2年で2%程度」消費者物価指数を引き上げると公言し、そのために「3本の矢」を放つのだと言い張った。しかしながら、3年過ぎても消費者物価指数は目標に達せず、それどころか消費者物価指数の(生鮮食品を除く2015年基準で)前年比上昇率は「マイナス0.4%」であったのだ。安倍首相は、大声で叫んでいた経済財政政策の目標が達成されなかったプロセスについて正直に国民に語らなければならないのだが、未だに「道半ば」の一言で政策の失敗を濁そうとしているのである。彼のこの政治姿勢は、国民にとってみれば、実に無責任な態度だという外ない。

安倍首相がそのような態度をとっているので、今では国民の多くも「3本の矢」に関心を寄せなくなってしまった。真の政治家であればこのような政治状況に責任を感じなければならないのだが、彼はどうも責任を感じていないように思える。そうであれば、われわれは彼の「3本の矢」が何であったのか、振り返ってみる必要があろう。

第1の矢は「大胆な金融政策」あるいは「異次元の金融緩和策」である。これについて私は、『研究所ニュース 』NO.47(2014. 9.1)で「『いわゆる』アベノミクスとは何だろうか」と題して触れておいたので、ここでは浜矩子氏の言葉を借りて簡潔に言及すれば、それは「量的緩和」という名の「国債買い支え政策」であって、いわゆる「財政ファイナンス」なのである。本来それは、日銀がやってはならない「禁じ手」なのである。次に「機動的な財政政策」と称する第2の矢であるが、それも国債残高、つまり国の借金1100兆円を前にして、まともな財政政策を打てないでいる。事実、日銀はその内のおよそ40%、すなわち、400兆円以上もの国債を保有しており、最大の国債所有者になっているのである。日銀は市場で国債を買っているので「財政赤字の穴埋めではない」と、彼は言い放っているが、実際は、新規発行国債を銀行や証券会社が落札すると直ちにそれを買い取っているのであるから、金融市場も認めているように、まさにそれは「財政ファイナンス」なのである。第1の矢の異次元緩和といい、第2の矢の財政政策といい、それらは政府の財政規律を歪め、政府の放漫財政を推し進める矢に外ならないのである。

このように、第1と第2の矢が実質的に財政ファイナンスであるのだから、第3の矢の「成長戦略」の中味も分かるというものである。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)であったり、リニアモーターカーであったり、ベトナムへの原発販売であったり、また武器三原則の改悪による武器輸出であったり、である。しかしながら、TPPについては、TPPに強く反対していたトランプ氏がアメリカ大統領選挙で勝利したことから安倍首相の思惑がハズレてしまった。早々にトランプ氏への接見を試みて、彼を「信頼できる人物だ」と持ち上げてみたものの、「二国間交渉」を主張するトランプ氏の「TPP反対の強い意志」を安倍首相は感じ取ったに違いない、と私は思っている。またベトナムへの原発販売も、ベトナム国会が「福島原発の現況」を認識して原発導入を取り止めてしまったので、安倍首相の目は必然的に国内に向くことになる。そこに彼の目に映ったのが国内の大規模公共工事であり、そのターゲットがJR東海のリニアモーターカーである。そのターゲットの事例として、しんぶん赤旗(2016年11月23日)の経済欄「どうみる 債務1千兆円 ㊥」が「放漫財政支える日銀」と題して追究しているので、引用しておこう。

……日銀が金融緩和で金利全体を引き下げ、政府は低金利を利用して、リニア中央新幹線の建設など無駄で大規模な公共事業を拡大しています。
リニア建設のため、政府は財政投融資の仕組みを通じてJR東海に3兆円もの公費を低利で貸し付けます。政府が借り集めた資金を長期に低利で貸し付けます。政府が借り集めた資金を長期に低金利で固定して貸し付ける極めて破格の優遇策です。採算性や貸し付けの償還確実性はまともに検証されていません。

かくしてわれわれは、あの「3本の矢」が3本とも実質的な財政ファイナンスに収斂していることを認識した。その「3本の矢」が安倍政権の「第1ステージ」だそうである。なぜなら、第3次安倍内閣は「新3本の矢」を自ら「第2ステージ」と称したからである。しかし、安倍首相はあの「3本の矢」を未だ「道半ば」と言っているのであるから、どうして「第2ステージ」が始まるのか私には理解できない。が、人あって、実は「新3本の矢」は「3本の矢」ではなく「3つの的」なのであるとの批判に応えているのだと思えばよい、と教えてくれたので、私はそっとしておくことにした。

さて、その「新3本の矢」であるが、それは①「希望を生み出す強い経済」、②「夢を紡ぐ子育て支援」、③「安心につながる社会保障」、である。しかし、安倍首相が目指しているのは、唯一つ「国内総生産(GDP)を600兆円に増やす」希望であり、夢であり、安心であって、「一億総活躍」も「希望出生率1.8%」も「少子高齢化問題への挑戦」も実行性を伴っていないのである(日本経済新聞)。

しかしながら、安倍内閣がこの間行なったことは「新3本の矢」と到底関係がないと思われる「安全保障関連法案の強行採決」であり、「TPPの強行採決」であり、「自衛隊の南スーダンへの派遣の強行採決」であり、「年金引き下げ法案の強行採決」であり、そして「カジノ法案の強行採決」である。何のことはない、浜矩子氏が述べているように、「アベノミクスは彼の外交安全保障政策のお先棒担ぎに過ぎない」のである。彼は、2015年4月29日、アメリカ議会演説後に笹川平和財団でのスピーチで「アベノミクスと私の外交安全保障政策は表裏一体でございます」と断言しているのである。したがって、私も「アベノミクス」を「安倍のミクス(mix、混ぜ合わせ)」と呼ぶことにしたのである。

さてそこで次に、「異次元の『トランプノビジネス』」について言及しよう。

朝日新聞朝刊のコラム「経済気象台」(2016年11月12日)に「トランプ大統領に備えよ」と題した短文が載った。要約するとこうである:ドナルド・トランプ氏曰く「自分は交渉が得意なビジネスマンなので、これまでの指導者よりもうまく交渉できる」というのが彼のうたい文句である。したがって、彼は「これまで自明とされてきたあらゆることが交渉事になりうる」と思っており、「戦後世界を形成してきた米国中心の国際秩序は見直しの対象になる」し、「在日米軍の経費負担をさらに求めてくることもありうる」。また彼はビジネスマンの観点から経済をみようとするだろうから、それこそが実は問題になる。経済は経営と違うのであるが、ビジネスマンは赤字を嫌がることから、彼は「日本が不公正なやり方で対米貿易の黒字を積み重ねている」と言って日本をしばしば攻撃しており、われわれとしてはかなり奇異に感じざるをえない。彼は1980年代のイメージで日本を語っているのかもしれないし、彼の経済知識は偏っており、実情を分かっていない節があるようだ。いずれにしても、「世界が終わったわけではない」のだから、「日本の国益を第一に」トランプのアメリカと対応することが肝心であり、「日本経済が抱えている問題に引き続き着実に取り組むこと」が肝要である。「こちらが弱っているようでは相手と交渉もできないだろう」。

このコラムの筆者の意図もハッキリしないが、どうやら、「戦後世界を形成してきた米国中心の国際秩序は見直しの対象になる」というのがコラム筆者の中心軸であって、「日本の国益を第一に」対応するためにも、「日本経済が抱えている問題に引き続き取り組むこと」を求めている。私に言わせれば、「日本が抱えている問題」はアベノミクス(「安倍のミクス」)そのものであり、したがって、憲法改悪の問題であり、政治における民主主義の問題、経済的格差の問題であり、社会的な差別の問題などである。

同じ日付の朝日新聞の「オピニオン&フォーラム」の欄に「2016年は分水嶺か」とのタイトルで、寺島実郎氏「日本、自前の羅針盤持つとき」とイギリスのジャーナリスト、ビル・エモット氏「金融危機の禍根、一気に噴出」の主張が掲載されている。大いに参考となるので、簡潔に記しておこう。

前者は、イギリスのEU離脱とアメリカの「トランプ・ショック」は「(アメリカとEU)両方の輝きが後退した」ことの表現であって、それ故、その本質を直視することを求めている。すなわち、その本質的な課題は「民主主義は資本主義を制御できるのか」である。「資本主義は改革と効率を志向して前進する一方、強欲に走って利益増大が自己目的化しかねません。だから政治の世界における民主主義が機能し、社会保障で所得を再分配したり、労働法で働く人を守ったりして制御してきました。そのバランスが崩れ、一部に富が集中し、額に汗する人が置き去りにされることが二つのショックの温床です」。そして「バランスが崩れたのは、冷戦終結から約25年経ち、米国流金融資本主義が肥大化したからです」と寺島氏は強調する。

寺島氏のこの捉え方は正当である。とりわけ、現今の世界的な本質的課題を「民主主義は資本主義を制御できるか」と捉えたことは重要である。私もまたイギリスの政治学者バーナード・クリック教授の次のような言葉を思い出した。

足枷を外した資本主義はいつかすべての人の物質的水準を高めるであろう、という最近の神話はまさに次のことである。神話、危険な神話、そして有害な神話、これである。民主主義は資本主義とともに生きながらえるかもしれないが、しかし、それは、民主主義の立場から発せられる言葉であり、条件であっても、資本から発せられるような言葉や条件ではないのである。民主主義は資本と親しくなければならない、というものではない。そうではなく、民主主義は資本主義に対して用心深くして慎重な関係にあるのだ。

2008年の秋に起こったリーマン・ショック後のアメリカは、中間層の零落と経済的、社会的な格差拡大に対する有効な手段を打てずにいた。それどころか、その間にいわゆるエスタブリッシュメントは彼らの既得権的な利益を取り戻すのである。この現実こそトランプ氏の「乱暴な議論」に労働者層が拍手喝采する最大の要因となったのである。「トランプ氏は労働者層の立場を悲劇的だと強調し」、しかもその悲劇を「移民のせいだと外に攻撃を向け」ることで、労働者層がトランプ氏を支持する意識をつくりだしたのである。彼らのこの意識はアメリカ金融資本主義の、しかもひたすら「お金を自己増殖させるビジネスモデル」を掲げることで自己満足したアメリカ金融資本主義エリートの手によって生み出された矛盾の産物なのである。

後者のビル・エモット氏は、寺島氏と同様に、トランプ氏の当選について「2008年の金融危機、リーマン・ショック」によるものだと、次のように述べている。「それ(リーマン・ショック)こそがトランプ氏の勝因でしょう。(金融)危機は人びとの生活、雇用、貯蓄に壊滅的な打撃を与えた。一方で巨大な政治力を持つ銀行が規制を逃れ、十分に処罰されなかった。資本主義と民主主義がともに機能不全に陥ったのです。09年に誕生したオバマ政権と、米議会はこうした問題を解決することができなかった」。

このことはイギリスが「ブレグジット」(EU離脱)を選んだこととも共通する、とエモット氏は言う。なぜなら、「移民問題とは結局、経済的絶望、悲観主義の身代わりである」からだ。また、イギリスでもアメリカでも「労働者や失業者などの間で、以前は投票しなかった人びとが投票した点も」共通している、と。「ブレグジッド、トランプ現象、各国のポピュリズムは、それ自体、民主主義の失敗ではありません。民主主義の失敗は08年(リーマン・ショック-中川)にこそあったのです」。 

経済問題についてエモット氏は次のように予想している。「トランプ次期アメリカ大統領」は短期的には経済的な成果に焦点を当てるだろう。「アメリカの経済、雇用や収入問題こそ彼の人気を保つものだからです」。その点で、「オバマケア」(医療保険制度改革)はかなり早い段階で廃止されるだろう。「TPPとTTIP(EUとの環大西洋貿易投資協定)の実現も完全に不可能」だろうし、NAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉も危うい。この協定の撤回は「メキシコに対して取り得る最も容易で見えやすい行動である」とエモット氏は言う。

最後にエモット氏はわれわれ日本人に向けてこう論じた。「トランプ勝利後の日本は米国の方向性が不透明になるなか、より強固で一貫した政策を経済、貿易、安全保障で持つ必要がある。アジアのなかで安保協力や友好関係を強めることも必要です」。「安倍首相は『アジア域内の経済連携協定をわれわれで作ろう』とTPPに代わるアジア経済連携協定を呼びかけ、主導権を取ることもできるはずです」、と。安倍政権のこれまでの政治と経済におけるアメリカ従属・追随・追従の態度が問われる、と彼は言っているのである。

続いて、朝日新聞が11月25日付の「オピニオン&フォーラム」で白井 聡氏(政治学者)と宮台真司氏(社会学者)の二人に「保護者なき日本」について論じてもらっているので、これを紹介し、私のコメントを加えて「理事長のページ」を締めくくろうと思いましたが、紙幅と締め切り期日の関係で、お二人の「対米従属論」とでも言うべき興味ある論及は後日に廻させてもらいます。悪しからず。

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