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現代に生かすべきレーニンの理論

「理事長のページ」 研究所ニュース No.18 掲載分

 角瀬保雄

発行日2007年04月30日


日野秀逸会員の注目の「研究ノート・レーニンの協同組合論」がようやく完結しました。月刊『経済』誌に2006 年6月号から2007年3月号まで8回にわたって連載されたロングランの超大作です。私は毎号雑誌が出る度に読んでいた愛読者の一人でしたが、改めて全体を通読し、大変勉強になりました。またその機会にレーニン全集をひも解き、勉強をし直すこともできました。これも日野さんのお蔭といえます。有難う御座いました。そこで今回は日野さんの「研究ノート」に触発された私の想いを述べてみることにしたいと思います。限られた紙葉での舌足らずのものですから、ぜひ本文にも当っていただきたいと思います。

科学的社会主義の立場からの協同組合論としては周知のマルクスの一連の言説がありますが、それとレーニンとの関係が問題となります。「協同組合社会主義」ともいわれるマルクスの社会主義像は、レーニンにも受け継がれているように見られますが、それはレーニン協同組合論の本筋とはいえないでしょう。レーニン理論の中心はロシア革命の実践運動上での政策論にあるとみるべきでしょう。ロシア革命の研究史上でつとにその名を知られた、最後の遺言ともいうべき「協同組合について」も今回改めて勉強し直しましたが、その深刻な意義を知ることができました。次いでロシア革命の画期をなす革命初期から「戦時共産主義」を経てネップ期におけるレーニン理論の変転が注目されます。第三には現代の社会変革における協同組合の意義が問題になるでしょう。日野さんの問題関心は医療生協との関わりから発しており、今日の日本における「医療構造改革」とも密接に関わっているものと思われますが、それは別の機会の課題とされています。まずレーニン協同組合論の変転からみていきたいと思います。革命前の1910 年代に彼が定式化した協同組合運動の総合戦略が問題になります。1910年の「コペンハーゲン国際社会主義者大会における協同組合問題」です。その際、レーニンは「ロシア社会民主党代表団の協同組合についての決議案」を起草していますが、彼はそこで協同組合を「資本家階級の『完全な収奪』を目指すプロレタリアートの階級闘争のありうべき補助手段の一つ」とする立場を明確にしています。そして消費協同組合は重視していますが、マルクスと異なり生産協同組合はほとんど視野に入っていません。また組合費を払うのはブルジョワ的とさえいっています。マルクスのように協同組合の未来に対する積極的な評価もみられないといってよいでしょう。せいぜい「補助手段の一つ」以上のものではなかったのです。

次にロシア革命前夜における問題ですが、有名な「差し迫る破局、それとどうたたかうか」(1917年9月執筆、10月末、小冊子)では、「住民を強制的に消費組合に統合する」と、上からの住民の消費組合への強制的加入の方針を打ち出しています。消費生産コンミューンの提起です。当時の切迫した政治経済状況からの食糧配給の必要ということを認めたとしても、協同組合の自主性を否定した「革命と協同組合の関係」についての態度は今日では到底受け入れられないものといえるでしょう。

それと「記帳と統制」路線の意義が重要になります。この問題についても、近年新しい視点からの研究が進んできていますが、その全含意は充分に解明され尽くされているようにも思えません。協同組合論との関係もあり、さらに専門家の教えをえたいところです。次に革命直後、内戦・干渉戦争と「戦時共産主義」の時期の問題ですが、協同組合の国有化という左派的な誤りが問題となります。そして数ヶ月で全住民を協同組合に加入させ、あらゆる種類の協同組合を消費協同組合中央会に統合していくという「ブルジョワ協同組合のプロレタリア化」と食糧徴発の失敗をへて、やがて資本主義の遺産を利用せずに社会主義を建設することはできないということを学んでいきます。そしてマルクスの原則的な見地に立ち帰っています。ここがレーニンの偉いところといえるでしょう。

続くネップへの退却ですが、1921年の第10回党大会で食糧の徴発を食糧税に代え、農民に余剰農産物の自由な交換を認めるとともに、協同組合の権限を拡大する新しい協同組合法が制定されます。農民経済との結合か、さもなければ破滅への道かの危機的状況に直面しての行き過ぎの修正です。レーニンは行き過ぎだったのは協同組合について考えることを忘れたことであり、いまでも協同組合を過小評価していることと反省をしています。そして農民を自発的に協同組合に参加させるためには、「歴史的な一時代」が必要であるという認識に立つようになりました。こうしてレーニンは協同組合の解散、国有化という誤った道から協同組合の復活、自立化の道へと立ち戻ったのです。私はこれまで革命後、協同組合の自立性を奪い、事実上の国有化に追い込んだのはスターリン時代と思っていましたが、実はレーニンにその責任があったということを知った次第です。日野さんは「ネップ後期」を「市場を通じた社会主義への展望を確立した時期」としていますが、しかし「市場を本格的に社会主義経済建設の本道として認識していることはまだ伝わってこない」としています。重要な指摘だと思います。まだ研究の課題にとどまっていて、具体的な商品・貨幣関係の利用にまでは思い至っていなかったことがわかります。市場を前提としない協同組合は、物資配給の組織ではあっても、協同セクターとしての協同組合とはいえないものです。やがてネップ期の協同組合は私的商人(富農)との競争によって、生きるか死ぬかのたたかいの渦中におかれるはずです。ネップにおいては資本主義の復活が不可避的に進まざるをえないからです。それはペレストロイカ後のロシアにみるごとく、資本主義化の道にもなります。「前門の狼、後門の虎」ということになりますが、社会主義への前進は資本主義の遺産を利用する道を避けて通ることはできないのです。

ロシア経済の研究者によれば、若い頃のレーニンの『ロシアにおける資本主義の発展』には資本主義への歩みの過大評価があったともいわれますが、一方協同組合の発展は、消費協同組合、農業協同組合などそれぞれ1千万人規模の組織と、かなりのものがあったといえます。中国やベトナムと異なるところといえるでしょう。こうした旧体制の下での協同組合を利用しないことには、アメリカの経済封鎖下に置かれている「島国社会主義」キューバの道しかありえないものとなるでしょう。あるいはフセイン支配下にみられた「アラブ社会主義」かです。いずれにしても、資本主義の下での協同組合のたたかいには厳しいものがあります。生産の社会化が進んでいる先進国での経済的民主主義や政治的民主主義の前進の難しさとは、別の困難といえるでしょう。

かつてのロシアや今日の中国、ベトナム、キューバの場合には、権力の獲得が先行し、経済的・文化的発展と社会主義化がその後に続くのに対して、先進国では経済の成熟化が先行し、権力の獲得はその後に続くという対照的な姿をとります。後進国では革命を起こすのは容易ですが、その後の経済建設は困難です。一方生産の社会化が進み、中流階級の形成のみられる先進国では、権力の獲得は簡単ではありません。平時における大企業のガバナンスと民主的規制、協同組合の民主的な管理運営への参加といったロシア革命では日程に登らなかった課題をクリアする必要があります。

最後にレーニンの協同組合論の総括的な評価ということになりますが、マルクスの協同組合論の基本的見地を引き継ぎ、レーニンが直面したロシア革命の実践のなかで、歴史とともに発展した、ということができるかどうかが問題となります。マルクスの場合には抽象的・理論的な言説しか残してなく、後進国革命の現実と格闘したレーニンとは歴史的課題を異にしていたとみられますがどうでしょうか。日野さんは、レーニンは後退と前進の繰り返しのなかで、マルクスの見地にまで到達したとされていますが、両者の見地は「同質のもの」として評価することができるかどうか、問題となるように思われます。後進国と先進国とでは協同組合の具体的な姿も異なってくるように思われ、現代に生かすべきレーニン理論とはいかなるものかが 問われてきます。

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