総研いのちとくらし
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文献プロムナード(16)

「嫌米スペクトル」

 野村拓

発行日2006年11月30日


中立と反米の間

マックス・ヴェーバーがプロテスタンティズムの中に「資本主義の精神」を見出だす所論を発表して何年になるのだろうか。かつての「勤勉」と「節約」は「傲慢」と「効率」に転化して「ピュリタン・ブルジョアジー」という言葉を生んでいる。月、火、水、木…とマネーゲームや「乗っ取り」に精を出し、日曜日に教会に行く人たちは、やはり「ピュリタン・ブルジョアジー」と呼ぶべきだろう。どちらかといえば、単純再生産型のイスラム教徒から見れば、ピュリタン的「拡大再生産」は鼻持ちならないのではないか。

『アメリカ帝国』
☆Andrew J. Bacevich:American Empire.(2002) Harvard Univ. Press.

は、世界史に例を見ないアメリカ帝国のひろがりとその内包する危うさを指摘した本だが、本の表紙写真はアメリカ空母の艦載機であり、爆音のも
のすごさで世界を支配しているかのようである。

『親米か反米か』
☆ Tony Judt他編:With US or Against US(. 2002) Palgrave.

イラク戦争を契機にして、こんな書名の本が出されるようになった。書名だけを見ると、親米国と反米国とが分類されているのかと思うが、本の副題は「地球的反アメリカ主義の研究」となっている。そして、ドイツ、フランス、パキスタン、イランなどの明快な反アメリカ主義はとりあげられているが、これに対する明確な「親米」はなく、「アメリカも受け容れる」「理解する国」として、中東欧諸国、ロシア、パレスチナなどが挙げられている。

かつての冷戦時代の政治地図とはかなりちがった印象を受けるが、もし「嫌米」というカテゴリーを立てれば、ある程度のインテリジェンスを持った人たちの大多数はこれに包含されてしまうのではないか。

健保なき国の『健保事典』

例えば、こと医療や福祉に関して、あからさまな「反米」はないかもしれないが、「アメリカのようになってくれては困る」という嫌悪感を示す人は多い。

『健康保険・マネジドケア事典』
☆David Edward Marcinko 他:Dictionary of Health Insurance and Managed Care.(2006)Springer.

という本が出されたが、「社会保障」を引けばルーズベルトの社会保障法(1935)、「社会保険」を引けばメディケアとメディケイド、「社会福祉」を引けば……そんな項目は載っていない、という事典である。

健康保険とは、民間保険やHMO(Health Maintenance Organization)を意味するらしい。自分の国にないものは載せられないのかもしれないが、どこかの国をお手本にする謙虚さに欠けているから、こんな事典ができるのではないか。この嫌われる傲慢さの典型がcaregiver, caregiving という言葉である。

Care をGive する

Careをする人がCarerで、CareすることがCaringというのが普通の英語であり、前者をCaregiver、後者をCaregiving というのがアメリカ語である。

Care を機能概念(関係概念)としてとらえずに、Care というモノのやりとりとしてとらえるところがいかにもアメリカ的である。

『ケアの提供』
☆ Victoria E. Bumagin 他: Caregiving . (2006) Springer.(旧版は第5回で紹介)

では、一方にCaregiver、他方にCare Receiver というとらえ方がなされているが、これはCare が社会的課題となったときには、すでに「商品化されたケア」として問題視されたことを意味する。

ケアの商品化とはちがった文脈で「痴呆ケアの大へんさ」をとりあげた本が

『痴呆ケアを支える』
☆Sheila M. Lobo Prabhu他編:Supporting the Caregiver in Dementia.(2006)The Johns Hopkins Univ. Press.

だが、この場合は書名のCaregiver をCarer に改めた方がいいように思われる。

もし、出産や育児もCaregiver とCare Receiverとの関係でとらえればどんなことになるか。約280日間の胎内期は、Caregiver が母親で、胎児はCare Receiver ということになる。そしてCaregiverの役割を金銭によって代行するのが

『代理母』
☆Rachel Cook他編:Surrogated Motherhood(. 2003) Hart Pub.

である。このように、人間存在の奥深いところまで商品化、市場化することに対する反発、という文脈でとりあげるべき本が

『反資本主義』
☆Simon Tormey:Anti-Capitalism.(2004)Oneword.(第9回に紹介)

『十字と新月』
☆Richard Fletcher:The Cross and the Crescent.(2003)Penguin Books.

などである。

このような真向大上段の議論は「反米」に近いが「嫌米」というのは、市場原理の支配が許容範囲を超えていることに対する嫌悪感の表現である。特に医療の場合は許容範囲が厳しく設定されるから、その分「嫌米」も増えるのではないか。この許容範囲を考える上で叩き台になるのが

『医療と市場』
☆Daniel Callahan 他:Medicine and the Market.(2006)The Johns Hopkins Univ. Press.

で、アダム・スミスからHMOまでという展開になっている。もちろん、「嫌米」も「許容範囲」もお構いなしに市場拡大につっ走る傾向も強く

『医療チェーンの戦略的管理』
☆Eugene S. Schneller他:Strategic Management of the Health Care Supply Chain.(2006)Jossey-Bass.

などはその代表的なものといえる。

乗り分け・棲み分け

医療だけは金次第であってくれては困る、という気持ちを持つ人は多いはずだが、アメリカの歴史は「金次第」で「力づく」の歴史である。

ワシントンDCに地下鉄が造られたころ、料金が高いので、黒人はバス、白人は地下鉄という時期があった。「棲み分け」ではなく「乗り分け」であり、そのことを紹介した本が

『偉大なる社会の地下鉄-ワシントンDCの地下鉄の歴史』
☆Zachary M. Schrag:The Great Society Subway-A History of the Washington Metro.(2006)The Johns Hopkins Univ. Press.

である。やがて、地下鉄が貧困層にとっても「手の届く」というよりは「足の届く」乗りものになってからは「棲み分け」を促進するはたらきを持つようになった。そして、移民、「棲み分け」を象徴する「ジャマイカ駅」などが登場するのが

『地下鉄の世紀』
☆Brian J. Cudathy: A Century of Subways(. 2003)Fordham Univ. Press.

である。

また、「棲み分け」を別の視点からとりあげたものに

『彼等自身の場-20世紀における黒人の郊外化』
☆Andrew Wiese:Places of Their Own-African American Suburbanization in the Twentieth Century.(2005)Univ. of Chicago Press.(第14回で紹介)

があり、「棲み分け」から対立、緊張関係へのニュアンスを示したものとして

『利害都市-分離、改革、そしてロサンゼルスの闘い』
☆Raphael J. Sonenschein:The City of Stake-Secession, Reform, and the Battle for Los Angels. (2004)Princeton Univ. Press.

『市民としての適格性は?-ロサンゼルスにおける公衆衛生と人種、1879‐1939』
☆Natalia Molina: Fit to Be Citizens? -Public Health and Race in Los Angels, 1879‐1939. (2006)Univ. of California Press.

などがある。

公衆衛生の根底には「市民的自覚」が必要という論旨のようだが、市民として認められなければ「市民的自覚」が生まれるはずがない。なかなか「市民」にしてもらえない人たちをケースワーク的に紹介したのが

『待されるアメリカ人』
☆Hiroshi Motomura:Americans in Waiting(. 2006)Oxford Univ. Press.

で、この本の副題は「アメリカにおける移民と市民権・哀話」という副題がついている。ここでは入国で待たされ、ちょっと里帰りしている間に法律が変って再入国できなくなった中国人の例などが豊富に盛りこまれているが、移民に関する法律・法規全体を解説した大冊として

『移民』
☆Susan Sterett 編:Immigration.(2006)Ashgate.

が出されている。

「市民」とは「ブルジョア市民」であり、医療とは市民間の契約であり、「私お金払う人、あなた治す人」という関係であるからこそ、医療過誤裁判が続発するわけであり、「インフォームド・コンセント」の原形としての1914年の最高裁判決“侵襲的手術を行なう場合には患者のコンセントを必要とする”も、実はブルジョア市民社会の契約概念が根底に横たわっている。同じころ、黒人相手の人体実験的な医学が展開されていたことは周知のことであり、この傾向は現在でも続いており、

『ボディー・ハンター-貧困患者での新薬実験』
☆Sonia Shah:The Body Hunters-Testing NewDrugs on the World Poorest Patients.(2006)The New Press.

などは、その一例である。

奴隷船からコンテナ船へ、そして……

かつて、人体実験の材料をアメリカに運んだのが「奴隷船」だが、単位空間あたり、金もうけの材料を沢山つめこんだ「奴隷船」の現代版は「コンテナ船」だろう。

『コンテナ船が世界を変えた』
☆Brian J. Cudahy:Box Boats-How Container Ships Changed the World.(2006)Fordham Univ.Press.

によれば、第1次大戦時の軍需物資の輸送がその始まりということになっている。商品輸送コストの低減化によって企業のグローバル化を促進したという意味で、このような表題がついたのだろう。

1970年代に4万トン級が登場し、現在は8万トン級がつくられている。コンテナ埠頭の関係もあって、マンモス・タンカーのように30万トンや50万トン級は出現しないが、コンテナ船はアメリカに富をもたらす象徴的な輸送手段といえる。

他方、タンカーとしては半端な大きさの7万トン級が2隻、「病院船」に改造され(「コムフォート」と「マーシー」)、1000ベッドとそれに対応する医療機能を備えて、イラク戦争などに出動している。医療を受けにくいアメリカの低所得層は、戦争で負傷すれば医療が受けられるということである。

「奴隷船」「コンテナ船」の延長上に、アメリカ覇権主義を実行しつつあるのが「強襲揚陸艦」であり、これは兵員も軍需物資も攻撃用ヘリコプターも積んでいる。この艦種は日本国民には馴染みがうすく、強襲揚陸艦「エセックス」が佐世保や沖縄に出入りする報道をときたま目にする程度だろう。しかし、この艦種はイギリスやフランスの空母よりも大きく、おおむね4万(排水量)トンのものが多い。

『ジェーン海軍年鑑、2006‐2007』
☆Jane’s Fighting Ships 2006‐2007.(2006)Jane’s Pub.

によれば、この4万トンクラスは建造中のものを含めて13隻あり、1,800人の兵員、48機のヘリコプター、固定翼の戦闘機、ミサイルなどを搭載している。

10隻の10万トン級の原子力空母、2隻の通常型空母(83,000トン)の方に目が行きやすいが「強襲揚陸艦」は欧州諸国の空母よりも大きいことに注目しなければならない。ことのついでに、いま話題の「イージス艦」について言えば、日本の「イージス駆逐艦」よりひとまわり大きいクラスのものが建造中のものを入れて62隻、イージス巡洋艦が22隻という大勢力である。考えてみれば海軍とは古典的帝国主義の道具であり、いまはアメリカ覇権主義の先兵である。日本に4隻あるイージス駆逐艦がそれぞれ「金剛」「霧島」「妙高」「鳥海」と旧帝国海軍の艦名を踏襲しており、ひとまわり大きい5隻目は「愛宕」(6隻目は未定)となっていることなども、いささか気になることである。そして6隻のうち5隻までは三菱重工長崎、1隻は石川島播磨で建造という構図も心配になる。

移民と優生主義

アメリカの強大な軍事力を支えるものがアメリカの富であることはいうまでもない。しかも、かつては奴隷船で金もうけの材料を運ばなければならなかったが、いまでは「移民」という形で海外から労働力が流入しつつある。アメリカの富と移民などによって形成される無権利な下積み階層との関係こそ問題である。おそらく、メキシコ国境を越えてアメリカに不法入国する人たちは、「親米」でも「反米」でも「嫌米」でもないだろう。母国でののっぴきならない事情からアメリカに職と金を求めるのだろうが、母国をのっぴきならない状態においているのも、アメリカの覇権主義ではないのか。

アメリカに流入した移民たちの多くは、「負け組」を形成し、「勝ち組」は傲慢さをもって「負け組」を見下す。そして、「勝ち組」の傲慢さは、しばしば人種的偏見を加速する。

『平和を定義する』
☆Jennifer E. Brooks:Defining The Peace.(2004)Univ. of North Carolina Press.

は、アメリカ南部の政治的風土、人種的偏見をとりあげ、「ジョージア州ではヒトラーは死んでいない」という章もある。また、アメリカの場合、公的保険、福祉など普通のアメリカ国民に用意されていないものが移民に用意されるはずがない。その点、イギリスの場合はナショナル・ヘルス・サービスというベースがあるから

『福祉給付と移民法』
☆Kevin Brown 他:Welfare Benefits and Immigration Law.(2006)CLP

という分厚い本が出されている。しかし、最近は財政事情その他で、移民の権利もいささか怪しくなり、移民問題についてのイギリスの「新アメリカ型」弾道(Britain’s ‘Neo-American’ Trajectory)をとりあげた本が

『移民、市民権とヨーロッパ福祉国家-ヨーロッパのディレンマ』
☆Carl-Urik Schierup 他:Migration, Citizenship, and the European Welfare State-A European Dilemma.(2006)Oxford Univ. Press.

であり、なにがどうなっているかわからないアメリカとちがって、次のような統計も示されている。

〈16~24歳の失業率〉(2001~2002の数字で性別の記載がない)

これらに対して、「いかに手をさしのべるべきか」が論じられているかぎり、その社会は健全であり、「いかに排除すべきか」が論じられるようになれば、その社会は不健全である。ナチのホロコーストから原爆投下まで、共通するものは人種的偏見である。

『原爆の生い立ち』
☆Gerard J. DeGroot:The Bomb, A Life.(2005)Harverd Univ. Press.

は、「総力戦」の名の下に、市民、非戦闘員に対する殺りくを正当化した第1次世界大戦を記述の起点においているが、第1次大戦下の空襲など、通学路にクルマが突込んだ程度の事故である。やはり「低開発国」という言葉をつくり出したトルーマンによって都市を焼きはらう戦略爆撃が実行され、原爆投下のゴーサインが出されたことの方が問題ではないか。

民間保険コール

敗戦後の日本にやってきたアメリカの社会保障調査団(ワンデル調査団)は、日本国民の8割近くがなんらかの公的健康保険制度に加入していることを知って驚いたといわれる(戦後のインフレと物不足で機能は失われていたが)。これは戦時遺産ともいえるが、1942年段階で、「国民皆保険」の必要性を論じたものが医学雑誌に掲載されていた(例えば「国民皆保険の理想目指し国保組合の大普及期す」・『日本医学及健康保険』
1942.11.14)。

これに対して、第1次大戦前の1911年段階で、ウィルソン民主党政権の公的健康保険制度の試みが生命保険会社やAMA の反対でつぶされて以来、近くはクリントン民主党政権による国民皆保険の試みがつぶされるまで、ほぼ同じ構図がつらぬかれている。

『国民皆保険の試み』
☆Rick Mayes:Universal Coverage-The Elusive Quest for National Health Insurance.(2004)Univ. of Michigan Press.(第13回で紹介)

でも指摘されているように、健康保険をビジネスの材料と考える勢力によって公的健康保険がつぶされたわけである。

日本の場合、これまで「医療保険」といえば「公的医療保険」を意味してきたが、いつの間にかメディアの広告パワーで「民間医療保険」を意味するようになってしまった。新聞に「医療保険」の大広告が載るとき、そこに描かれているものは「衛生法規」の教科書に書かれている医療保険とは別の民間医療保険である。そして、いまやオリンピックの「USAコール」のような勢いで、外資系も国内資本系も「民間医療保険コール」の大合唱である。

民間医療保険の背後に存在するアメリカの保険資本は、国民皆保険の試みをつぶしただけではなく、ベトナム戦争がらみでの民主党政権の政治的遺産である「メディケア」(老人医療保障制度、あるいは老人医療保険制度)にも鉾先を向けつつある。

『メディケアの政治的寿命』
☆Jonathan Oberlander:The Political Life of Medicare.(2003)Univ. of Chicago Press.

『メディケアが語るもの』
☆Christine K. Cassel:Medicare Matters.(2005)Univ. of California Press.

などの著作を辿ると、メディケアの前途の危うさと、メディケアを危うくしつつある勢力が見えてくる。ゆきつくところは

『アメリカ-強者の医療』
☆ David M . Cutler:Your Money or Your Life -Strong Medicine for America’s Health System.(2004)Oxford Univ.Press.(第13回で紹介)

であり、強者必勝、弱者必敗、USAコールなのである。オリンピックのUSAコールに嫌米感情をかき立てられた人は、「民間医療保険コール」にもはっきり嫌悪感を示すべきである。いまや「嫌米」は未来に対する健全な警戒心というべきである。

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