総研いのちとくらし
ニュース | 調査・研究情報 | 出版情報 | 会員募集・会員専用ページ | サイトについて

文献プロムナード(8)

「医療と市場原理」

 野村拓

発行日2004年11月30日


医療産業の登場

「医療経済学」や「医療産業」という日本語が、医療関係者に違和感、抵抗感を与えながら使われるようになったのは1960年代である。1920年代後半から1930年代前半にかけて刊行されたアメリカ医療費委員会(CCMC-The Committee on the Cost of Medical Care)の尨大な調査報告書(全28巻)を除くと、戦後の医療経済学書は、医療と市場原理との関係について論じたものが多い。医療においても市場原理は貫徹されるのか、あるいは医療は市場原理となじむものなのか、さらに医療を市場原理に委ねていいものなのか、というような視点からの論議である。そして、このような机上の論議が交わされている間に、在来の製薬資本の他に、大資本の本隊(日本では東芝、日立などの家電メーカー)が医療という市場に積極的に参入し始めたのが1960年代後半であり、このときに「医療産業」という言葉が生まれたと考えていい。その後、数多くの医療産業書が出されたが、最近出された(以下、仮訳の和名をつける)

『医療産業』
☆Dernis D. Pointer 他:The Health Care Industry(2004) Jossey-Bass

は、生臭い産業活動を取り上げたものではなく、医療を提供する施設、行為などをすべてHealth Care Industry としてとらえた管理者用教科書である。アメリカの地域病院(Community Hospital)の平均在院日数が6日で1日あたり平均入院料、2,300ドルというような統計資料も興味深い。

『医薬品・医療機器の発展と管理』
☆Robin J. Harman:Development of Medicines and Devices (2004) Pharmaceutical Press.

は英国の目線で製薬産業と医療機器産業とを取り上げた本だが、どちらかといえば製薬産業に重点をおいており、製薬産業に対する「EU的規制」に関する資料は目新しい。

一時期、画像診断機器メーカーは医療産業の花形のように見られていたが、安定的な売上げという点ではやはり製薬産業の方が優れている。高額医療機器1台をさばくのに要する手間ヒマを考えれば、試薬類もふくめて日々、オートマティックに消費される医薬品メーカーの方が有利ではないだろうか。

やはり製薬産業

「医療産業」という言葉には医療用ディスポーザブル製品産業、医療食(入院食)産業から民間医療保険、医療過誤保険までふくまれることもあるが、その主役はやはり製薬産業だろう。その成り立ちに関するものとしては

『南北戦争時代の医薬品』
☆Michael A. Flannery:Civil War Pharmacy(2004)Pharmaceutical Products Press.

『メルクの内幕』
☆Eran Hawthorne:The Merck Druggerhaut (2003)John Wiley & Sons.

などがあり、後者はダルムシュタットの一薬局から世界を支配する大製薬産業にまで発展するサクセス物語である。また、製薬産業の現在の姿を示すものとしては

『製薬産業の技術革新』
☆Oliver Gassman 他:Leading Pharmaceutical Inovation(2004) Springer.

『製薬産業の価格政策』
☆Christopher Scott Harrison:The Politics of the International Pricing of Prescription Drug (2004)Praeger.

『製薬産業のデジタル戦略』
☆Leonard Lerer 他:Digital Strategies in Pharmaceutical Industry (2003) Palgrave.

などが出されている。しかし、「技術革新」といっても、これまでの合成医薬品、抗生物質製剤、副腎皮質ホルモン製剤などの開発の延長上に画期的な「新薬」が登場する可能性は少い。ウサン臭さのつきまとう成人病新薬かバイオ・テクノロジー関係ぐらいだろう。その上、戦後、数多く開発された新薬はパテント切れの季節を迎えつつある。

巨大な図体に見合った巨大な利潤を確保するためには、新薬以外のゼネリック(後発医薬品)、OTC(Over The Counter-大衆薬)の分野で馬力を発揮しなければならない。

前掲の製薬産業関連文献には、まだ日本ではあまり使われていないDTC という新語が登場している。Direct To Consumer の略でインターネットを通じて直接、消費者に売りこむ方式である。インターネットに関しては

『医薬とインターネット』
☆Bruce C. Mckenzie:Medicine and the Internet3版(2002) Oxford Univ.Press.

『看護におけるインターネット』
☆Kristen S. Montgomery 他:Essentials of Internet Use in Nursing (2002) Springer.

『医師のインターネット』
☆Roger P. Smith:The Internet for Physicians.3版(2002) Springer.

などが出されているが、製薬会社のDTC は、副作用情報も注意事項もネットで提供すれば「薬の専門家」は不要というスタンスであることに注意しなければならない。

多国籍企業化、グローバル化

かつて、バイエルやヘキストなどを含むI.G.Farben(イー・ゲー・ファルベン)は資本主義における「独占」段階の典型として教科書的に紹介されたが、資本の多国籍企業化、グローバル化の典型例も製薬産業は豊富に持っている。拙著『20世紀の医療史』(2002、本の泉社)では

『日本乗っ取り』
☆W. Carl Kester:Japanese Takeover (1991) Harvard Buisiness School Press.

で万有製薬がメルク社に呑みこまれるケースを紹介したが、弱肉強食の国際競争下における合併、吸収は製薬産業だけではない。多国籍企業化、グローバル化を一般的にとりあげたものとしては

『多国籍企業』
☆Glenn Morgan 他編:The Multinational Firms (2001) Oxford Univ. Press.

『グローバル時代への挑戦』
☆Walter F. Mandale 他:Meeting the Challenge of Global Aging (2002) CSIS.

などがある。

日本の国立公衆衛生院(現在の国立保健医療科学院)が1938年にロックフェラー財団の全額寄付によって建てられたもの(当時は「国立」がつかず、ただの「公衆衛生院」)であることを知っている人は少くなりつつある。なぜ、そうなったかについては

『ロックフェラー財団の保健戦略』
☆John Farley:To Cast Out Disease-A History of the International Health Division of the Rockefeller Foundation, 1913-1951 (2004) Oxford Univ.Press.

を参照されたい。乱暴に整理すれば、資本投下の露払いとしての公衆衛生ということになる。

「グローバル」という形容詞は「大資本の世界戦略のあおりを受けた」という形容句によって置きかえ可能な場合が多く

『グローバル精神保健政策』
☆Peter Morrall 他編:Mental Health Global Politics and Human Rights (2004) Whurr Pub.

や『グローバル化時代の医療政策』(第1回で紹介)『グローバル医療政策』、『グローバル公衆衛生』(第3回)の場合も、ほゞあてはまるのではないか。

移民と医療マンパワー

資本の海外進出は、当然のことながら進出先に労働市場を形成し、本国への移民を増加させる場合が多い。

『不法移民』
☆Bill Jordan 他:Irregular MigrationDillemmas of Transnational Mobility (2002) Edward Elgar.

は、メキシコ、フィリピン、韓国、中国、インド、ドミニカ共和国、ジャマイカおよびコロンビアからアメリカへの大量の移民が、1970年代から1980年代にかけてのこれらの国へのアメリカ資本の直接投資と密接に関連していることを指摘している。

途上国の貧困、人口、移民問題については「第4回・医療の国際比較」で若干ふれたが、そこで の紹介文献の他に

『人口急増、1750-2000』
☆William Stanton:The Rapid Growth of Human Population, 1750-2000 (2003) Multi-Science. Pub.

『途上国の人口と健康』
☆国際発展研究センター:Population and Health in Developing Countries. 1巻(2002) Indepth Network.

『プライマリケアと南アジアの人口』
☆Shahid Ali 他編:Primary Healthcare and South Asian Populations (2004) Radcliffe.

『貧困と健康』
☆OECD:Poverty and Health (2003) WHO.

『移民労働者』(意訳)
☆Pierrette Hondagnen-Sotelo:Doméstica (2001) Univ. of California Press.

『アメリカの新労働市場』
☆Paul Osterman 他:Working in America-A Blueprint for the New Labor Market. (2001) MIT Press.

などが出されている。
また、本のテーマが移民や途上国問題ではなくても

『アメリカ資本主義』
☆Wyatt Wells:American Capitalism, 1945-2000 (2003) IVAN R. DEE

は、当然のことながら移民問題に多くの頁を割いている。

第5回でとりあげた『女性・健康・国民-1945年以降のカナダとアメリカ』には、「看護と植民地化」「カリブ移民看護婦」などのテーマが含まれているし、移民看護婦用の本として

『外人看護婦用英語』
☆Tory Grice:Everyday English for Nursing(2003) Baillière Tindall.

も出されている。そして、移民の貧困を医療・看護の課題としてとりあげたのが『アメリカ看護史』(第6回)で、次のように書かれている。

「1893年にボルチモア市の外国人は全市民の16%で、その40%はスラムに住んでいた。シカゴでの外国人は41%で、その58%がスラムに住んでいた。ニューヨーク市での外国人は42%で、その63%がスラム住まい。フィラデルフィアでは26%を占める外国人の60%はスラムに住んでいた。」

アメリカにおける訪問看護やセツルメント活動は、このようなスラムの住民を対象にして始められたわけである。

なんでもマーケット化

つまるところ、グローバル化は、国境を越えてより安い労働力と資源と販売市場とを求めて展開されるわけだが、市場がモノから各種サービスにまで拡大されたのは20世紀の後半であり、医療もマーケティングの対象とする理論が出現したのは1980年ごろである。いいかえれば、1880年代に現われたマーケティング理論が、100年経って医療にも適用されるようになったわけである。この時期のものはなかば古典となりつつあるが

『医療におけるマーケティング』
☆Robert Rublight 他:Marketing Health and Human Service (1981) Aspen.

を挙げることができる。この本では、マーケティングとは「外部環境と内部環境との統一的把握」という弁証法的表現がなされており、「内部環境」とは「職員の意識水準」を意味するそうだから、耳の痛い医療団体、医療関係者が存在するはずである。

見方によっては、「人の弱身」をマーケット化する資本の登場であり、1980年代の終りには「シルバー・マーケット」をとりあげた

『弱みとしての加齢』
☆Olieve Stevenson:Age and Vulnerability (1989)Edward Arnold.

が出された。

1990年代に入ってから、医療マーケティングに関する本は

『医療マーケティング』
☆Philip D. Cooper:Health Care Marketing. 3版(1994) Aspen.

『マーケットと医療』
☆Wendy Ranade 編:Markets and Health Care(1998) Longman.

など、数多く出されるようになったが、世紀の変り目あたりから、高齢化に伴なう「長期ケア」に関するマーケティングをとりあげた本も出されるようになった。例えば

『長期ケアの戦略的マーケティング』
☆James A. Wayne:Strategic Marketing of Your Long-Term Care Facility (1998) Charles C. Thomas Pub.

である。「シルバー」も「長期ケア」もマーケット化され、アメリカ最大のHMO、カイザーパーマネンテは全米4,900万人の障害者(日本に比べれば、軽度のものが含まれる)のマーケット化を企図しつつある。

本の発行年が2005年になっている本で最初に届いたのが

『医療マーケティング』
☆John T. Gourvine 他:Problems and Cases in Health Care Marketing (2005) McGrow-Hill.

であったことも、現代を象徴することのように思える。

落日の社会福祉

これまで、社会福祉という言葉は「反市場的概念」かと思ってきたが、どうやらそうではないらしい。すでに

『福祉市場』
☆M. Bryma Sanger:The Welfare Marketplace (2003) Brooking Inst. Press.

という書名の本が出されているし

『代替的福祉政策』
☆Torben M. Anderson 他編:Alternatives for Welfare Policy (2003) Cambridge Univ. Press.

も福祉政策の代替策としての市場原理というニュアンスである。

一方で、市場原理が強調されるとき、他方では医師、看護師、医療機関の「生き残り策」が論じられる。この種の本は多いが、今回はとりあげない。重要なことは必然的に生まれる競争社会の落伍者たちに対する公的救済が社会福祉なのかと思っていたら、ここでも競争が強いられることである。

オリンピックの敗者復活戦ならば銅メダルの可能性があるが、社会福祉分野における競争は展望なき悲惨と貧困を意味する。そして、多くの場合、「女性の貧困化」に結びつきやすい。

『落日の西欧福祉』
☆Catherine Kingsfisher 編:Western Welfare in Decline (2002) Univ. of Pennsylvania Press.

は「シングル・マザーの61%は貧困状態」「25歳以上のシングル・マザーの83%は貧困状態」「片親家庭の子どもの45%は貧困状態」にあることを指摘している。

対抗軸は?

「ジェンダー問題と市場原理」というテーマは、ここでとりあげるには大き過ぎるが、簡単にいえば、市場原理によって、いかに秒キザミで効率を争っても、人間が生まれてくるには、やはり280日かかるし、子育てには秒に換算したら気の遠くなるような数字の時間がかかる、ということである。

なにもかも秒キザミのペースにまきこまれることによって「落日」が始まったわけだから、市場原理への対抗軸として、「もっとゆるやかに流れる時間をみんなと共有できるシテテムづくり」を考えるべきだろう。

「落日」がさらに進行して「飢え」に直面したとき、「ケータイ」は腹の足しにならないことを知らされることだろう。「ケータイ」の価値は「にぎり飯」1個よりもはるかに低く、どこに「にぎり飯」があるかについて、いくら「ケータイ」で情報を交換しても、「にぎり飯」そのものは増えないことを知らされるだう。

1粒の籾が「にぎり飯」になるまでの時間、作物の生長時間などは、人間の生長時間などとともに、もっとも「共有しやすい時間のモノサシ」ではないだろうか。秒キザミの市場原理にまきこまれて「ゆるやかな時間」を共有しえない親に代って

『祖父母の出番』
☆Arthur Kornhaber:The Grandparent Solution (2004) Jossey-Bass.

という本も出されている。祖父母と孫ならば時間を共有できるかもしれないからだろう。また、年寄りには年寄りの向きの仕事があるのが、農業・農村のいいところで

『農に学ぶ』
☆Harold Brookfield 他編:Agrodiversity-Learning from Farmers across the World (2003) United Nations Univ. Press.

なども、市場原理への対抗軸たりうるのではないだろうか。

市場原理への対抗軸としては安直に「福祉国家」を持ってくるべきではない。いわゆる「福祉国家」にカテゴリー化されている北欧4カ国における異常に多い優生手術件数については拙著『20世紀の医療史』でふれた。また同書で、ドイツ民族衛生学会(後のナチズムの母体)がある時期に「軍事優生学派」と「ノルデイック福祉派」とに分裂したことについてもふれた。そして

『ダーウィンからヒトラーへ』
☆Richard Weikart:From Darwin to Hitler (2004)Palgrave.

では、ノルディック民族が世界でもっとも秀れた民族であることや、ノルディック・ゲルマニック民族衛生の必要性についての主張が紹介されている。

市場原理への対抗軸を考える場合には、いわゆる「福祉国家」といわれている国の暗部や、ノーマライゼーション理論のいかがわしさにも目配りしなければならない。欧州全体で中年(35~64歳・男子)の虚血性心疾患による死亡率を比較した統計では「福祉国家」が高く、デンマークなどは欧州平均の約1.5倍であった。あっという間に「あ
の世」に行けるから「福祉」ではないはずである。

Home | 研究所の紹介 | サイトマップ | 連絡先 | 関連リンク | ©総研いのちとくらし