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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻185号)』(転載)

二木立

発行日2019年12月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

1.(1)論文「医療経済学の視点・基礎知識と最近のトピックス」『医学のあゆみ』271巻8号(2019年11月23日号)に掲載しました。(2)論文「地域医療構想における病床削減目標の怪-20万床減から5万床減へ?」『日本医事新報』2019年12月7日号に掲載します。

両論文は、本「ニューズレター」186号(2020年1月1日配信)に転載する予定ですが、早く読みたい方は掲載誌をお読み下さい。

2.「ニューズレター」の過去15年間(2005~2019年:1~185号)の①総目次(57頁)、②英語論文抄訳総目次(1084論文。128頁)、③名言・警句総目次(19頁)を作成しましたが、ファイルが「重い」ので配信はしません。ご希望の方は、ご希望の目次の種類(①、②、③)を明記して、私に直接お申し込み下さい。


1. 論文:医療政策の3大目標(質・アクセス・費用)のトリレンマ説の妥当性を考える

(「二木教授の医療時評(174)」『文化連情報』2019年12月号(501号):16-22頁)

はじめに

今回は、医療政策の目標について原理的に検討します。その直接の契機は、本年7月に開かれたある社会科学系学会関東地方会での拙著『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』(勁草書房)合評会の折に、新進気鋭の医療政策研究者から以下の質問をされたことです。「医療政策の3つの目標として、①医療の質、②アクセス、③費用があげられ、これら3つを同時に満たすことはできない(トリレンマ)と言われているが、それの根拠文献を教えて欲しい」。

この言説(以下、「トリレンマ説」)は日本の一部(多数?)の医療政策研究者や医療関係者の間では自明のことと思われていますが、私自身はそれの妥当性について以前から疑問を持っていました。そこで、この質問を機に、医療政策の目標についての日本語・英語文献について幅広く調べると共に、トリレンマ説の妥当性についての「思考実験」を重ねました。

その結果、以下の3点が分かりました。①トリレンマ説は「詠み人知らず」の通説・俗説で、明確な根拠を示した文献はない。②トリレンマ説に対する「反証」はいくつも存在する。③医療政策の目標には上記3つ以外にも、さまざまなものが提案されている。以下、順に説明します。併せて、日本の医療政策の目標について論じた文献ではほとんど述べられていない、アメリカの医療政策の(政治的)目標について簡単に指摘します。

トリレンマ説についての文献-根拠を明示したものはない

文献検索をして驚いたことに、トリレンマ説について述べた文献はいくつかあったものの、その根拠を明示した文献は皆無でした。

トリレンマ説を日本で有名にしたのは、アメリカ在住の李啓充医師が2004年に出版した『市場原理が医療を亡ぼす』の以下の記述だと思います(1)。「2つまでしか得られない『コスト』『アクセス』『質』 米国オレゴン州の低所得者用医療保険[正確には医療扶助-二木]『オレゴン・ヘルス・プラン』の管理部局には、『Cost, access, quality. Pick any two(コストとアクセスと医療の質。このうち、2つまでなら選んでもよい)』という言葉が額に入れられているというが、この言葉ほど医療保険政策のエッセンスを的確に言い当てた言葉はないだろう」。しかし、その根拠は具体的には書かれていません。この標語は、アメリカの高名なボーデンハイマー医師も「オレゴン医療保険」を肯定的に解説した1997年の論文の最後で引用していますが、根拠はまったく示していません(2)。李啓充医師は、1998年にこの論文を紹介しているので、上記標語もこの論文から引用したと思われます(3)

最近では、島崎謙治氏が2015年に出版した『医療政策を問いなおす』で以下のように述べています(4)。「医療制度や医療政策のパフォーマンスの目標は世界共通であり、①医療の質、②医療へのアクセス、③医療のコスト(費用)の3つで評価される。この3つはトレードオフの関係にあり、いずれを重視するかを選択することが迫られる」。しかし、その理由の説明は抽象的で、根拠文献も示していません。印南一路氏も『再考・医療費適正化』で、「日本では一般に医療政策の目的としては、医療へのアクセスの保障、医療の質の維持・向上、そして効率性(あるいはコスト)の達成の3つをあげる論者が多い。(中略)これらの複数の目標を同時達成することは非常に困難」と指摘していますが、理由も根拠文献も示していません(5)

トリレンマ説(トレードオフ説)とよく似た主張を、近藤克則氏は2004年に出版した『「医療費抑の制時代」を超えて』(医学書院,2004)で、以下のようにしています(6)。「この3つの基準[効果(effectiveness)と効率(efficiency)と公正(equity)-二木]を同時に満たすことはできない…。満たすことができるのは『3つのうち2つまで』というのがコンセンサスになっている」。ただし、近藤氏もその根拠文献は示していません。また、equityは医療政策の文脈では、「公正」ではなく、「公平」と訳すのが適切です。
なお、島崎謙治氏は、「効率性は有用な価値・利益を序したものであり、分子には医療の質やアクセスが含まれてしまう」ことを理由にして、「医療政策の目標として『効率性』という言葉を避け」ています(7)。私はこの判断は学問的に妥当だと考えますが、後述するOECD等の文献でも効率性という用語は多用されています。

私が調べた範囲で、効果・効率・公平の関係について一番詳しく述べているのは、アメリカの医療サービス研究の教科書『医療制度の評価-効果、効率と公平』(未邦訳)でした(8)。同書は、第1章の冒頭で、医療政策の3つの目標である効果・効率と公平の定義を示した上で、3つの目標は「しばしば(often)補足的である」と同時に、「互いに対立しうる」と指摘し、「3つの目標間の適切なトレードオフを見つけることが、医療サービス研究の重要な成果物である」と主張しています。このような複眼的視点は、上述した日本の文献には欠けていると思います。

なお、私は2005年以降毎月配信している「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」(ウェブ上に全号公開)に、医療経済・政策学関連の最新の英語論文や図書を合計1000以上抄訳・紹介してきましたが、トリレンマ説について理論的または実証的に論じた文献を目にした記憶はありません。

トリレンマ説への3つの反証

トリレンマ説は直感的には分かりやすいし、私も、多くの場合、3つの目標の完全な並立は困難で、バランスが重要であると思っています。近藤氏も上掲書で、「医療サービス研究の分野では、医療制度や政策を評価する際に、3つのモノサシ(基準)でバランスよく評価すべきであることが常識」になっていると指摘しています(6)。このことを踏まえた上で、以下、私の医療経済・政策学研究の経験に基づいて、トリレンマ説に対する反証を3つ示します。

第1の反証。マクロ的に国際比較の視点から見ると、日本は、人口高齢化率が世界一高くなる以前は、①医療の質(平均寿命や乳児死亡率は世界トップ水準)、②アクセス(国民皆保険制度により、医療機関を自由に受診できる)、③医療費(総医療費の対GDP比は高所得国中最低水準)の3点で、国際的な「優等生」と評価されていました。もちろん、①・②についてはミクロ的にはさまざまな課題があるし、①と②は③(厳しい医療費抑制政策)の下、医師・医療従事者の献身的で過酷な労働によって支えられていることは見逃せません。

第2の反証。歴史的に見ると、「高度技術」(トーマス)・「本質的技術」(川上武)では、医療の質の向上とアクセスの改善、医療費の抑制の3つは並立してきました。ここで高度技術・本質的技術とは、疾病のメカニズムの完全な理解の上に生まれてくる疾病の根治的技術であり、その特徴はそれにより医療費が抑制されることとされています(9,10)

その代表例は、結核に対する抗生物質です。日本では結核は第二次大戦前~敗戦直後は死因第一位の「国民病」で、結核医療費は医療保険財政を大きく圧迫していました。しかし、1950年代以降、抗生物質の進歩・普及及び公衆衛生・栄養状態等の改善により、患者数と結核医療費は激減しました。例えば、結核医療費の国民医療費に対する割合は1955~1965年の10年間に27.4%から9.9%へと三分の一になりました。この割合は1975年には3.6%にまで低下し、それ以降、結核医療費は実額でも減少に転じました(11)。なお、国民皆保険制度の開始は1961年ですが、結核医療についてはそれ以前から、公費負担医療制度により、全患者にアクセスが保障されていました。

第3の反証。このような高度技術・本質的技術が開発される以前でも、医療技術の提供システムを改革することにより、3つの目標を同時達成することは可能です。古い例で恐縮ですが、私は、1983年に、当時勤務していた東京・代々木病院での脳卒中早期リハビリテーションの実績に基づいて、「脳卒中医療・リハビリテーションの施設間連携モデル」を作成し、一般病院に入院した脳卒中患者に対して入院直後から急性期医療と同時にリハビリテーション医療を開始すると共に、一般病院とリハビリテーション専門病院や長期療養施設との施設間連携を行うことにより、患者の歩行能力向上や自宅退院率上昇等の医学的効果と医療費抑制の両方を実現できることを<理論的>に示しました。このモデルでは在院日数も大幅に短縮できるため、同じ病床数でより多くの患者を受け入れることができ、入院「アクセス」も改善します。なお、この論文では、<現実には>このモデルで想定したような理想的施設間連携の経済的効果実現を阻む5つの要因(病院の機能分化がほとんど行われていない等)が存在することも指摘しました(12)

以上の反証は網羅的ではありませんが、これにより「トリレンマ説」が一般法則とは言えないことは示せたと思います【注1】

質・アクセス・費用以外の政策目標・分析枠組み

上述した文献では、医療の質・アクセス(または公平性)・費用(または効率)の3つが、医療政策の「世界共通」の目標、「コンセンサス」、「常識」等と主張されていました。しかし、これは事実に反し、国際的には、それ以外に様々な目標や分析枠組みが提案されています。以下、私が特に有用と思う2つの文献(書籍。共に翻訳あり)を紹介します。

1つはOECD "A Caring World"(1999)(『ケアリング・ワールド』)です。同書は、第6章「保健とケアサービスの改善における政策課題」で、従来の単純な医療費抑制に代わる「ヘルスケアの新しい枠組み」として、「同時に[次の]4つの目標をめざす」ことを提案しました:「今まで以上に公平であること、一層のエンパワメント(内在能力の発揮向上)、効率性を増大させること、効果を高めること」(13)。これらは英語では、equity, empowerment, efficiency, effectivnessであり、「4E」と言えます。これは上述した3つの目標に「エンパワーメント」を加えたものです。現代の医療と医療政策では患者の権利・役割の強化が強調されていることを考慮すると「エンパワーメント」の付加は大きな意味があると思います。トリレンマ説が3つの目標の同時達成が不可能・困難と(根拠を明示せずに)主張しているのと異なり、OECDが「同時に4つの目標を目ざし」ていることも重要です。

ただし、この4目標は固定的ではなく、OECDは2004年には「医療の質、医療へのアクセス、満足した患者・消費者、医療費支出、効率性」の5つの目標を提案しています(14)

もう1つは、アメリカ・ハーバード大学公衆衛生大学院の教授陣が執筆した"Getting Health Reform Right (2008)"(『実践ガイド 医療改革をどう実現すべきか』)です。同書冒頭の「日本語版に向けて」では、以下の「医療改革の6原則」を示しています:①結果志向、②因果関係の重視、③倫理の重視、④政治の重視、⑤診断手法、⑥実用の重視(15)。これら6原則は、本稿で検討してきた医療の質・アクセス・費用の3目標に限定するトリレンマ説よりはるかに包括的で、しかも内容的にも深いと思います。トリレンマ説との関連で、私は、原則1の説明で、「効率性、質、アクセスは医療制度の最終目標ではなく『中間指標』として最終目標を達成する手段と位置づけ」ていることに注目しました。

同書は第5章「医療制度を評価するための目標」で、以下の3つを「パフォーマンス目標」として示しています:①健康状態、②市民の顧客満足度、③経済的[リスク-二木追加]保障(financial risk protection)。上記「中間指標」(効率・アクセス・質)については、第6章「医療制度のパフォーマンス評価」で詳述しています。

アメリカでは「選択の自由」が絶対化

最後に、視点を変えて、日本の医療政策の目標について論じた文献ではほとんど述べられていないことを指摘します。それは、アメリカでは医療政策の(政治的)目標として「選択の自由」が絶対化されていることです。医療が「(準)公共財」とみなされている日本を含めた大半の高所得国と異なり、アメリカでは、医療は他の商品と同じく「私的財」とみなされているため、選択の自由が、医師・医療機関だけでなく、医療保険にも及ぶのです。特に保守派は、医療保険の選択の自由に医療保険に加入しない自由も含めています。アメリカの共和党やトランプ大統領が、「オバマケア(オバマ政権が2010年に成立させた包括的医療保険制度改革)の医療保険加入の義務化に焦点を当てて、執拗に攻撃し続けているのはこのためです【注2】

おわりに

以上から、医療政策の目標を医療の質・アクセス・費用の3つに限定し、それらの同時達成ができないとするトリレンマ説には十分な根拠がないこと、およびこの3つは医療政策の「世界共通」の目標・「コンセンサス」ではないことを示せたと思います。

私は、トリレンマ説は、日本医療の歴史と現実から導き出されたものではなく、国民皆保険制度をいまだに持たない唯一の高所得国・アメリカで生まれたいわば「ローカル」な仮説であり、それを日本に直輸入すべきではないし、できないと感じています。

なぜなら、アメリカ以外の高所得国では、全国民またはほとんどの国民を対象にした公的医療保障制度が確立・定着しているため、「医療アクセス」・「公平」問題は基本的に解決されているか、医療政策・医療改革の大前提とされており、政策選択の焦点は医療の質(効果)と医療費水準(敢えて医療費抑制とは表現しません)とのバランスにあると考えるからです。これは現時点では私の「仮説」ですが、少なくとも、3つの目標を同列に論じるのではなく、アクセス・公平を最優先すべきと私は考えます。この視点は「国民の医療の機会不均等」是正が1961年の国民皆保険制度創設の目的であった歴史的事実とも合致すると思います【注3】

【注1】効率と公平のトレードオフ言説の再検討

経済学では、本稿で検討した「質・アクセス・費用のトリレンマ」に類似した、「効率と公平のトレードオフ関係」(ジレンマ)が指摘されています。それは、ある政策により、効率を良くしようとすると公平が犠牲となり、逆に公平を高めると効率が低下するという関係であり、これは論理的に正しいとみなされています。ただし、これの前提は現在、完全な効率が達成されていることです。しかし、現実には効率が完全に達成されていることは少ないため、効率と公平の両方を改善する政策が可能なのです。

この点について、アメリカの経済学者ブラインダーは、「ハードヘッド」(経済合理性を尊重)と「ソフトハート」(経済社会の敗者に気配り)を両立させる経済政策を提唱した著書で、次のように述べています。「このような厄介な[効率と公平の-二木]トレードオフをあえて私は無視する。なぜならば、現在施行されている政策自体が『正しい』ものとは到底いいがたいため、効率と公平を天秤にかける必要がないからである。本書で提唱する諸政策は、そのいずれもが効率と公平の両方を推し進めるものである」(16)

『実践ガイド 医療改革をどう実現すべきか』も「コスト・パフォーマンスのジレンマ」図を示して、次のように述べています。「多くの医療制度は十分に効率的というわけではない。したがって、コスト・パフォーマンスのジレンマが図5.1のA地点[図は略。コスト・パフォーマンス曲線の内側-二木]にある場合、現状の支出でさらにパフォーマンスを上げることが可能である」(15:101頁)

【注2】アメリカでマネジドケアが後退したのは「選択の自由」を侵害したため

アメリカの民間医療保険では1990年前後にマネジドケアが急伸長しましたが、その主因は、マネジドケアが保険加入者・患者の医療機関と受ける医療の「選択の自由」を制限し、それによって、医療の質を保ちつつ医療費抑制を実現できると喧伝されたためでした。具体的には、マネジドケア加入者は、原則としてマネジドケアが契約している医療機関を受診し、契約外の医療機関を受診した場合には保険給付を受けられないか、非常に高い自己負担を強いられました。また、患者を診療した医師が入院や高額の検査(CT等)を必要と判断した場合も、マネジドケアの事前審査・許可を受けることが必要とされるのが普通でした。このような「選択の自由」の制限をアクセス制限と理解すれば、これは「トリレンマ説」の実践とも言えます。

しかし、医療アクセスの制限は、患者が必要な医療を受けられない様々な「ホラーストーリー」を生み、1990年代半ば以降、全米でマネジドケアに対する激しい批判が生じました。それを受けて、多くの州が「患者保護法」を制定したため、マネジドケアはビジネスモデルの中核である門番機能、医療利用マネジメント、経済的インセンティブを廃棄するか、大幅に緩和せざるを得なくなりました。そのため、高名な医療経済学者ロビンソンは2001年に「マネジドケアの終焉」を宣言しました(17)。この時点では、氏は「マネジドケアは経済的には成功したが、政治的には失敗した」と評価していました。

しかし、その後、マネジドケアによる医療費抑制効果も短期的にすぎないことが明らかになったため、2005年にホールは「マネジドケアの死」を宣告し、その剖検(autopsy)を行いました(18)。なお、アメリカの高名な社会学者ポール・スターは大著『アメリカ医療の社会的変容』の第2版(2017年。未邦訳)終章で、1982-2000年を「マネジドケアの興隆と後退」の時代と位置づけ、「変化の連鎖」を詳細に分析しています(19)

【注3】国民皆保険制度創設の目的は「国民の医療の機会不均等」の是正

社会保障制度審議会は1955年に、社会保障制度改革の青写真を描いた有名な「(第一次)勧告」を吉田内閣総理大臣に提出しました。同審議会は、さらに翌1956年11月、「国民の医療の機会不均等は寒心に堪えない」として、「3年ないし5年の計画をもって国民健康保険を強制設立できる措置を講ずるべきである」と勧告しました。これに先だって1956年1月、鳩山一郎首相は、国会の施政方針演説で「全国民を包含する医療保障を達成することを目標に計画を進めていく」という国民皆保険構想を政府の方針としてはじめて公式に明らかにし、この方針は石橋、岸内閣に引き継がれました(20)

[本稿は『日本医事新報』2019年11月2日号(4984号)に掲載した「医療政策の3大目標(質・アクセス・費用)のトリレンマは本当か?」(「深層を読む・真相を解く」(91))に大幅に加筆したものです。]

文献

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2. インタビュー:政府文書の読み方,とらえ方―骨太方針2019を中心に

(「聞いてみよう 薬剤師の知りたいこと」『調剤と情報』2019年11月号(25巻15号):51-57頁) ※図表は略

経済財政運営と改革の基本方針とは?

Q 政府が進める経済・財政政策の基本方針である『経済財政運営と改革の基本方針(以下,骨太方針)』が毎年6月に閣議決定されています。まずは,この位置づけについて教えていただけますでしょうか。

二木 これは2001年に小泉内閣がスタートしたときから,民主党政権時代の3年間を除いて毎年6月にまとめられているものです。目的は翌年度の国家予算に関わる経済財政運営と改革の基本方針を示すことで,そのなかに1年単位ではない,中期的な改革の内容も含まれています。ただ,これはあくまでも予算を決めるための基本方針で,法律ではありません。さらによく誤解されるのですが,ここに書かれていることがすべて実行されるわけではないのです。

例えば現在,医療や社会保障改革に関しては,厚生労働省と経済産業省とで目指す方向性が異なります。そのような省庁間の意向をすり合わせた結果ですので,ある意味では妥協の産物ともいえます。来年の予算に反映すると言いながらも,内容には「検討する」など曖昧な表現が多く,玉虫色なのです。

政府文書の読み方,とらえ方

1.変更点の把握と用語の区別がポイント

Q 薬剤師の場合、こういった政府文書自体に慣れていない方も多いのですが,どのように読み進めたらいいのでしょうか。

二木 骨太方針もそうですが,政府文書を読まれるのでしたら最低限前年度の文書、できればもっと長いスパンで内容を比較する必要があります。例えば,骨太方針2019の保健医療データプラットフォームの推進に関する項目は,2018年とほぼ同じ文面になっていますから,大きな変更がないことがわかります。

また,政府文書を読むうえで大事なことは,書かれている用語が法律で規定されているかどうか,また規定されていなくても閣議決定などで定義されているかどうかを区別することです。当たり前ですが,病院や診療所,薬局という用語は法律ですべて定義されています。その他にも,「地域包括ケアシステム」は法律上の定義があるものの「地域共生社会」は定義されていませんし,「全世代型社会保障制度改革」は2018年と2019年で違う意味になりました。ですから,政府文書を読み込むうえでは,法律あるいはそれに準ずるような決定で定義されている用語と,そうではない用語は区別して読んだほうがいいでしょう。

2.「適正化」「適正な評価」が意味すること

二木 骨太方針2019のなかで,2020年度診療報酬改定については項目「(iv)診療報酬・医薬品等に係る改革」に書かれていますが(表1),具体的なものは調剤技術料の引き下げだけです。

「適正化」「適正な評価」とは,政府用語で"引き下げ"を意味しますから,引き上げることはありえません。また,診療報酬や後発医薬品に関する文面は前回の方針から変更されていませんから,2020年度診療報酬改定では,病院や診療所に関しては特に新しいものはなく2018年度改定の延長,そして薬価の引き下げは前回散々やっているので,そんなにできない。つまり,「(iv)診療報酬・医薬品等に係る改革」という項目ではありますが,調剤技術料だけがクローズアップされているのです。さらに,薬局関係のことは前回ほとんど書かれていませんでしたので,この変更の意味合いは大きいと思います。

3.「検討」はグレーゾーン

二木 例えば項目「(ii)医療提供体制の効率化」には,「~真に地域医療構想の実現に資するものとする観点から必要な場合には,消費税財源を活用した病床のダウンサイジング支援の追加的方策を講ずる」と書いてありますね(表2)。簡単にいえば,農地の減反政策と同じで,病床数を減らした病院にはお金をあげますよ,そしてその財源は消費税ですよということを,断定形で書いているわけです。

その後を読み進めると,「~救急医療のデータ連携体制の構築,救急救命士の資質向上・活用に向けた環境整備に関し検討を行う」と書かれています。「検討を行う」,つまりまだわからないということですからグレーゾーンにあるわけです。このような表現は政府文書の特徴です。

Q そうすると,その後は「~精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築など基盤整備への支援等を講ずる」と断定的に書かれているので,これは認知症の方や精神障害の方たちも地域包括ケアのなかに入ってくるという方向性ですね。

二木 そうですね,そのために精神病床を減らすということです。実は日本精神科病院協会は,5年くらい前まで「日本の精神病床は余っていない」「減らす必要はない」と言っていたのですが,方針転換したのです。このような視点で読むと,先ほどの調剤技術料に関する事項はほぼ進むと考えていいと思います。

4.読み解いた先の未来――薬局に求められる地域貢献

二木 『国際医薬品情報』8月26日号によると,厚生労働省医薬・生活衛生局総務課の安川孝志氏は薬機法の重要な点として,薬局の機能分化を図るために,①入退院時や在宅医療に医療施設と連携して対応できる地域連携薬局,②がんなどの専門的な薬学管理に医療提供施設と連携して対応できる専門医療機関連携薬局――の知事認定制度の導入を強調しています。

安川氏は2本柱と言っていますが,後者は大学病院や三次医療機関との連携を想定した例外的なものなので,実際は地域連携薬局がカギになるわけですね。一方,骨太方針2019には,薬局に関して「地域におけるかかりつけ機能に応じた適切な評価~」と書かれており,まさに"地域"という言葉がポイントになっています。注目すべきことは、安川氏が、44.9%の薬局が在宅業務を行っておらず,その理由として薬剤師の人員不足が最も多いというデータ(図1)を示したうえで,「人手不足で難しいから在宅業務を全くやらなくていいというわけではない」と指摘していることです。44.9%では足りないと言っているわけですから,今後は院外薬局の技術料全体の引き下げ,そして在宅業務を行っている薬局への加算という方向への舵きりも十分考えられると思います。

ただ,これは薬剤師に限ったことではありません。今の厚労省の方針は,保健・医療・福祉すべての職種が地域包括ケアの推進に関わってくださいということですから,どの分野でも地域がキーワードになっています。例えば,診療所の医師では往診,看護師でも訪問看護を重視していますし,医療ソーシャルワーカー(MSW)も今までは病院で退院支援をしていればよかったのですが,それ以外にもいろいろな地域支援が求められています。ですから,すべての職種に対して,自身の本来業務を前提に「地域(在宅業務)に出なさい」というメッセージが出されているのです。そして,これはすごく狭い地域を指しています。地域包括ケアシステムの「地域」は中学校区で,人口が約1万人ですよね。このなかでそれぞれの職種が立ち位置を考える必要があります。

Q 個店薬局の場合,経済的な,そして薬剤師1~2人で対応しなければならないという人的な脆弱さがあります。ですから,個店薬局も診療所のように地域の在宅ネットワークという形で横の繋がりをもち,たとえ1人薬剤師でもどうしたら在宅ができるようになるのか考える必要がありますね。

二木 人手不足だから地域や在宅の業務ができないということは理由にならないと,厚労省ははっきりと宣言しています。もちろん職種ごとに違いますが,やれることを考えるしかないと思いますね。

医療ICTの行く末はどうなる?

Q 現在,薬局でも積極的にシステム化が進められていますが,骨太方針2019のなかの保健医療データプラットフォームの推進とはどのようなものでしょうか?

二木 これは,保健や予防,医療,介護に関するデータを個人レベルですべて統合する,すなわち患者本人のデータを全国の医療機関などで確認できる仕組みにするということです(図2)。しかし,個人データの管理は難しく,厳然としたセキュリティは敷けません。暗証番号などの暗号化をしていても,企業が情報漏洩したというのはよくニュースになりますよね。それと同じように,保健医療データのプラットフォームが整備されている英国やスウェーデンの国営/公営の医療施設では,何千万単位で患者データが漏れてしまうことがあるのです。

保健医療データは究極のプライバシー情報です。学問や研究のために匿名化して保健医療,福祉のサービスを個人単位で集めること,いわゆるデータベース化は可能だと思います。しかし,私は、患者本人や薬局を含む全国の医療機関でプライバシー管理や厳重なセキュリティ確保ができるとは思えないので,骨太方針2019に書かれているようなことは難しいと考えています。それに,薬局や医療機関も地域包括ケアの範囲での情報を得られれば十分です。

Q 以前話題に挙がっていたマイナンバーカードの健康保険証利用についてはどうでしょうか。

二木 それが短期間に普及することはないのでは?そもそもマイナンバーも,ほとんど一般に普及していません。現在の政権では,経済産業省が主導してIT化を進めていますが,これにはヘルスケア産業の市場を拡大するという狙いがあります。保健医療とは次元の違う,産業化の動きなのです。

セルフメディケーションの今後の方向性

1.予防により累積・生涯医療費は上昇

Q 骨太方針2019は前回よりも若干トーンダウンしているようですが,OTC医薬品の普及などのセルフメディケーションについてはどのように考えればよろしいでしょうか。

二木 今の社会保障改革が,予防,重症化予防を重視しているということはご存じですよね。これには,予防や重症化予防などをすれば医療費を抑制できるという経済産業省の誤解があります。一見,健康増進をすると医療費が減るようにみえますが,寿命が延びても人間はいずれ死にますから,累積・生涯医療費はむしろ高くなってしまうのです。これは私を含めた医療経済学の研究者の間で意見が完全に一致していますし,厚労省も認めています。

例えば,最も効果が確認されている予防は禁煙です。禁煙すれば,いろいろな病気の罹患率が減って寿命が延びますから,単年度でみると健康水準が良くなって医療費は下がるわけです。だいたい15年目までは累積医療費も下がります。しかし,喫煙者は寿命が短く,亡くなった後は医療費がかからない一方,禁煙した人は長生きしますから,健康になるがゆえに生涯医療費は高くなるのです。

私は個人的には予防医療や健康増進に賛成ですが,それを義務化したり,経済的インセンティブやペナルティを加えたりすることには反対です。人間の自由な行動を束縛することに繋がりますし,健康増進には個人の努力だけではなく,遺伝的な要因,社会的な要因も関わるので,強制性を伴わない形で推進すべきと思います。それにより医療費はむしろ高くなりますが,それは良いことであって悪いことではありません。

2.OTC医薬品は医療機関のアクセスとセットで検討

二木 英国は診療所でも予約が大変ですが,日本の医療機関はフリーアクセスで,アクセスの良さは世界一です。待ち時間が長いのも大学病院だけで,診療所は一部を除けば待ち時間はほとんどありません。

Q そうですね。日本は待ち時間といっても,その日に行って待っている間だけですが,諸外国ではウェイティングタイムが数日あります。

二木 日本の場合,そういうなかで医師から薬を処方される習慣が国民についています。もちろん,今のようなフリーアクセスは医師の過重労働を生むので、「社会保障制度改革国民会議報告書」(2013年)が提起した「緩やかなゲートキーパー機能」の導入は必要だと思いますが、欧州の登録医制などは、医療機関へのアクセスを考慮すると国民に支持されないと思いますね。

Q 以前,中耳炎に関する欧州のガイドラインがあまりにも日本と異なるので,耳鼻科医にお伺いしたら「欧州の場合,何か調子が悪いといったときに耳の中まで診てもらえるシステムにはなっていない。総合かかりつけ医が全身を診るから,耳はあまり診ないよ」という話を聞きましたね。

二木 現在セルフメディケーションが推進されていますが,単純にOTC医薬品の多い・少ないを海外と比較するのではなく,医療機関へのアクセスとセットで考えなければいけないと思います。日本の市販薬の比率が低いことだけをクローズアップすると,誤解を招きかねません。

これからの終末期医療のあり方

1.「居宅生活の限界点を高める」という表現

Q 次に終末期医療についてお伺いしたいと思いますが,これから人はどこでなくなることになるのでしょうか。

二木 日常用語では,自宅と在宅は同じ意味合いですが,厚労省は自宅と在宅という用語を使い分けています。厚労省は通知や事務連絡などでよく「在宅医療等」を促進すると書いていますが,この「等」には自宅,それから介護保険法に規定された3つの入所施設(特別養護老人ホーム、老人保健施設、介護療養病床),有料老人ホーム,サービス付き高齢者向け住宅(以下,サ高住)などすべてを含みます。

また,2012年より以前は狭い意味での自宅あるいは在宅での看取りを強調していましたが,現在では「居宅生活の限界点を高める」という表現に変わっています。つまり,要介護の人が介護保険や医療保険を使って自宅療養し,いよいよ終末期になった場合にはそのまま自宅で最期を迎えるのでも、病院や施設に入って死亡するのでも構いませんが,その前の段階では、できるだけ長く自宅にいてくださいというのが「居宅生活の限界点を高める」という言い方なのです。ですから,厚労省は何が何でも自宅で看取ってくださいという言い方はしていないのです。これは合理的ですよね。

2.終末期医療を費用と結びつけて考えない

二木 在宅医療は医療費が安いと思われがちですが,医療経済学的にはそれは否定されています。厚生労働省幹部もそのことを率直に認めています。例えば、鈴木康裕医務技監は、保険局長時代に以下のように述べています。「大事なのは、在宅が安いと思われがちですが、サービスを"移動"して提供しなければいけないので、明らかに機会費用が生じます。特に医師は人件費が高く、移動が高額になります。その意味では、本当に孤立した自宅が効率的なのか、それともサ高住のように集まって居住し、下の階や近隣に診療所や訪問看護ステーションがある方がよいのか、在宅のサービス提供のあり方を考えなくてはいけません」(『病院』2016年12月号:930頁)。

私は、終末期医療のあり方をどうするかということも議論することは大事だと考えています。ただし,「高い終末期医療費が安くなる」という言い分には意味がないことは,厚労省の外郭団体である医療経済研究機構が認めていますし,安倍首相も「終末期医療の問題は,医療費が高い・低いという問題ではなく,人間の尊厳からみるべき」という主旨の発言をされているので(2013年2月20日参議院予算委員会),この問題を費用と結びつけてはいけないと思いますね。厚労省のデータによれば,死亡前1カ月間の医療費が総医療費に占める割合は3%台です。なおかつ,その3%には急性心筋梗塞や脳卒中で亡くなった,つまり終末期とはいえない,急性期死亡の人の医療費も含まれているのです。

また,自宅での死亡割合は現在13%程度ですが,厚労省は今後地域包括ケアを進めてもその割合は変わらないと予測しています。サ高住などの増加により広い意味での在宅死亡の割合は増えると思いますが,狭い意味での自宅死亡はそんなに変わらないでしょうね。

Q まず1人暮らしの場合,終末期は1人で生活はできないわけですから社会で受け止めていく必要がありますよね。マスコミの報道やさまざまな聞きかじりの情報で,経済的な問題にばかりに焦点を当てて在宅をみてしまっている部分は多分にあると思います。

薬剤の費用対効果評価を考える

二木 本日は話題になりませんでしたが,2019年4月から本格導入された薬剤等の費用対効果評価で,健康寿命を1年延長するのに500万円までは許容することが確認されました。ニボルマブは高額な薬価を理由に大幅に引き下げられましたが,ようするに500万円で1年寿命が延びるのは社会として認めましょうということです。この一つの根拠は透析の医療費です。日本には透析患者が約33.5万人(2017年末時点)いますが,透析患者1人の命を1年間延ばすために500万円の医療費がかかるのです。ですから,薬剤に関しても500万円/年以下なら認めるという,まともな合意だと思います。

Q 古くから効果が認められないのに1度許可された薬剤が販売され続けていることもあるかと思いますが,そのような薬剤も今後対象になるのでしょうか。
二木 これから多少見直しが進むと思いますが,経済評価のためにはお金と手間暇がかかりますから,すべての既存薬で行うのはそれこそ費用対効果が悪いという意見もありますね。

Q ほとんど使われていない薬剤をなぜそのままにしているのかと思っていましたが,やめる根拠も必要で,それを見出すために時間やコストがかかるということですね。本日は骨太方針2019を中心に幅広いお話をお伺いできました。長時間にわたって,本当にありがとうございました。

【聞き手・堀美智子(公園前薬局)2019年9月9日】

引用文献

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3. 最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算
165回)(2019年分その9:7論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○[アメリカにおける]認知症に帰するメディケア費用
White L, et al: Medicare expenditures attributable to dementia. Health Services Research 54(4):773-781,2019[量的研究]

本研究の目的は、認知症の伝統的なメディケアプログラムへの増分費用を推計することである。「健康・退職調査」にリンクしたメディケア・パートA・B(入院・ナーシングホーム・ホスピス医療費と外来医療費等)の1991~2012年データを用い、メディケアと診断された患者4010人とランダムに選択された上でマッチングされた対照群4010人の60か月間(5年間)のメディケア医療費を比較した。認知症者と費認知症者の生存率の違いを考慮した費用推計を行い、それぞれの生存期間に応じて増分費用(認知症者の医療費から非認知症者の医療費を差し引いた費用)を計算した。

認知症者の5年間(60か月)の1人当たり増分費用は15,700ドル(認知症者の医療費71,917ドル-非認知症者の医療費56,214ドル)であり、その半分近くは認知症と診断されてた最初の1年に生じていた。認知症の生存率が低いことにより、増分費用は約2650ドル減っていた。認知症者の費用増加の主因は、メディケアパートAでカバーされるサービス(入院医療費とスキルド・ナーシングホーム費用等)であった。認知症者の増分費用は男より女の方が約7850ドル高く、これは女の認知症者の方が死亡率が低いためであった。

二木コメント-認知症者の生存期間(の短さ)を考慮した増分医療費(認知症者の医療費と非認知症者の医療費の差額)の推計は貴重です。逆に言えば、日本でよく行われる認知症者の費用推計(1人当たり費用、総費用とも)は、少なくとも医療費に関しては過大になると思います。他面、本研究で調査されているのは医療費だけで、フォーマル、インフォーマルの介護費は含まれていません。

○カナダ・オンタリオ州における在宅ケアを受けている要介護者のうち認知症者の非認知症者に比べた増分医療費-コホート調査
Mondor L, et al: The incremental health care costs of frailty among home care recipients with and without dementia in Ontario, Canada - A cohort study. Medical Care 57(7):512-520,2019[量的研究]

本研究の目的は、オンタリオ州で在宅ケアを受けている要介護者の1年間の費用を、認知症者と非認知症者別に調査することである。そのために、オンタリオ州で2014/2015年に在宅ケアを受けた159,570人のコホート調査を行った。最初の在宅評価時に、認知症の有無と要介護度(3段階)を評価した。その後1年間、公的在宅ケアの総費用と部門別費用を追跡調査した(2015年価格のカナダドル)。3部門生存・共変量調整済み推計量(estimator)により、要介護度別の増分費用を推計した

認知症者(n=42,828人)では要介護出現率は32.1%であり、1年間の1人当たり平均費用は30,472ドルでった。認知症者である要介護者の増分費用(非要介護者に比べての費用増加)は10,845ドル[95%信頼区間(CI):10,112-11698ドル]であった。非認知症者(n=116,742人)では、要介護出現率は25.6%で、1年間の1人当たり平均費用は28,969ドル(CIは略)であった。非認知症者である要介護者の増分費用(非要介護者に比べての費用増加)は12,360ドル(CIは略)であった。要介護レベルで生存率に大きな差があるため、増分費用推計は減少した。このことは認知症群で特に著しく、生存効果は-2742ドルだった。要介護状態は認知症の有無にかかわらず、1年当たりの在宅費用と関連しており、その要因は要介護者はサービス利用が多いからであった。死亡率の差はどの要介護度レベルでも、認知症者の増分費用増加を和らげていた。

二木コメント-前掲のアメリカの調査研究と同じく認知症の有無での死亡確率の違いを考慮して「増分医療費」を分析していることに加えて、それを要介護度別にも検討しています。ただし、費用は在宅ケア費用に限定されています。日本でも、介護保険給付データと医療給付データを接合してコホート分析を行えば、これら2つの調査研究よりも精細でしかも包括的な費用分析ができると思います。

○[イギリスにおける]フォーマルケアとインフォーマルケアとの関係の調査:同居している人々[娘]のパネルデータを用いた応用
Urwin S, et al: Investigating the relationship between formal and informal care: an application using panel data for people living together. Health Economics 28(4):984-997,2019[量的研究]

イギリスのパネルデータを用い、同居家族に焦点を当てた、フォーマルケアとインフォーマルケアの関係についてのエビデンスは限られている。「イギリス家計パネル調査(1991-2009年)の全年次データを用いて、同居家族が提供するインフォーマルケアがフォーマルケア、特にヘルスサービスに与える影響を分析した。内因性に対処するために、同居する娘の人数を外生的変動の源として用いる、ランダム効果操作変数回帰モデルによる推計を行った。

その結果、1月当たりのインフォーマルケア10%の増加はホームヘルプ(フォーマルケア)の利用確率を1.02%ポイント減少させ(p<0.05)、これは15.62%の相対的減少に等しいことを見いだした。この効果は、国以外が提供するホームヘルプ(β=-.0.044)に比べ、国が提供するホームヘルプで特に大きかった(β=-0.117)。以上の結果は、インフォーマルケアの供給増加がホームヘルプの需要を減らすエビデンスと言える。

二木コメント-緻密な計量分析ですが、結果は日本的感覚からすれば当たり前のことです。かつては地域・在宅ケアの先進国とみなされていたイギリスで、このような研究・主張が堂々となされることに「時代の変化」を感じました。それにしても、インフォーマルケアの担い手を同居している「娘」に限定しているのは恐ろしいほど「古い」と思います。また、この論文には、娘等の家族依存の在宅ケアを進めると、女性の就業率が低下するという重要な論点・難点が欠落してます。

○[アメリカにおける]長期ケアの場とアウトカム、及び[メディケア・メディケイドの]重複受給者間の[サービス利用]格差についての全国調査
Gorges RJ, et al: A national examination of long-term care setting, outcomes, and disparities among elderly dual eligibles. Health Affairs 38(7):1110-1118,2019[量的研究]

メディケアで施設ケアよりも長期在宅・地域ケアサービス(HCBS。以下、「在宅・地域ケア)を拡大することの便益はしばしば自明とみなされている。しかしこれらサービスのアウトカムについてはほとんど知られていない。特に白人に比べてサービス利用が多い傾向にある人種的・エスニック的マイノリティー・グループと、高密度のケアが必要なことの多い認知症者についてはそうある。メディケアとメディケイドの重複受給をしている高齢者のメディケイド費用請求の全国データを用いて、総入院率は在宅・地域ケア群とナーシングホーム入所群でほぼ同じであるが、費用請求データの履歴から、全体としては後者の方がより重症であることを見いだした。在宅・地域ケア群では、黒人の入院率は非ヒスパニック系白人より高く、このギャップは認知症者では拡大していた。在宅・地域ケア群では、メディケイドの在宅・地域ケア費用は白人の方が非白人より高く、黒人とヒスパニックではメディケアとメディケイド両方の入院医療費が高いことは、このことによっても相殺されなかった。本研究は、在宅・地域ケアの対象拡大には十分に注意を払い、期待とは逆のアウトカムを生じないようにすべきこと、及び良質の施設ケアへのアクセスと同様に、在宅・地域ケアへのアクセスでも人種的・エスニック間の格差があることを示唆している。政策決定者は、施設ケアから在宅・地域ケアへのシフトの総費用と便益、およびこのシフトが平等に与える影響を考慮すべきである。

二木コメント-要旨はなんとも分かりにくいですが、全国データを用いて、認知症の有無にかかわらず、在宅・地域ケア費用、それに入院費用を加えた総費用とも、非ヒスパニック系の白人の方が、黒人やヒスパニックよりも高いという、人種・エスニック間のサービス利用格差の存在を実証した研究です。本文の最後の「結論」では、メディケイドの施設ケアから在宅・地域ケアへのシフトは「予期せぬ結果」をもたらす危険があると警告しています。

○同僚医師がガン死亡者の終末期医療の密度に与える影響
Keating NL, et al: Influence of peer physicians on intensity of end-of-life care for cancer decedent. Medical Care 57(6):468-474,2019[量的研究]

終末期医療の密度は同一地域内でも、地域間でも相当に異なる。個々の医師の診療パターンの違いは彼らの同僚医師の影響を受ける可能性がある。本研究の目的は、前の主治医の終末期医療の密度が現在の主治医のそれに影響を与えるか否かを評価することである。本研究は観察研究で、対象は出来高払いのメディケアサービスを受けて、2006-2010年に死亡したガン患者185,947人で、彼らは26,383人の医師から治療を受けた。診療密度の指標として、死亡前1か月間の医療費、1回超の救急外来受診、1回超の入院、死亡前1か月間のICU入院、死亡前2週間の化学療法、ホスピス利用の有無を用いた。

死亡前1か月間の平均医療費は16,237ドル(標準偏差17,124ドル)であった。前の主治医による前年の医療費が1000ドル高くなるごとに、現在の主治医の医療費は83ドル高くなっていた(p<0.001)。元の主治医が、現在の主治医の診療する施設内と施設外にいる場合、施設外にいる元の医師の方が現在の主治医の診療に影響を与えていた:元の主治医が別の施設にいる場合、元の主治医による前年の医療費が1000ドル高くなるごとに、現在の主治医の医療費は72ドル増加。元の主治医が同一施設にいる場合は、27ドル増加)。終末期医療の他の尺度でも、結果は同様であった。以上から、元の主治医は現在の主治医の終末期医療の診療密度に影響を与えると結論づけられる。

二木コメント-この、ある意味で当たり前の「結論」を得るために、膨大な作業をしていることに驚きました。「鶏を割くに牛刀を用う」。

○診療ガイドライン、専門技能と患者中心との間のパラドックス:医療のトライアング
Issel LM: Paradoxes of practice guidelines, professional expertise, and patient centerdness: The Medical Care Triangle. Medical Care Research and Review 76(4):359-385,2019[理論研究]

制度化されたエビデンスに基づく診療ガイドライン、医師の専門技能、および患者中心のアプローチの共存はトライアングル(三角関係)を形成する。この「医療トライアングル」のどの構成要素も、医療専門職と患者の両方にパラドックスを生む特性を有している。パラドックスの価値は、矛盾を明らかにして利用し、背景にある組織現象をより良く理解することにある。Pooleとvan de Venが1989年に示唆したパラドックスを解決するアプローチを用いて、医療トライアングルのおのおののパラドックスを定義し、分析する。それにより、診療ガイドライン、専門技能と患者中心に関わる合計10のパラドックスを明らかにする(3つの構成要素のそれぞれに内在するパラドックス6、及び3つの構成要素間のパラドックス4)。おのおののパラドックスを解決することにより、医療提供を支える医療組織を構成するのに必要な示唆を引き出せる。それにより、医療組織における専門職の仕事のプロセスの中心性を改めて強調する。このことは、組織、臨床家・被用者、そして患者にも潜在的利益がある。

二木コメント-論文名は非常に魅力的です。本文はかなり難解ですが、医療の原理的研究に興味のある方には有用と思います。本論文の3つの構成要素は、「EBM」の3つの要素(①利用可能な最善の科学的根拠、②患者の価値観及び期待、③臨床的な専門技能。「医療技術評価推進検討会報告書」1999年。ウェブ上に公開)とほぼ同じですが、それについての言及はありません。なお、本論文の「はじめに」の「トライアングル・アナロジー」の説明では、「アクセス、質、コスト」の「医療における有名なトライアングル」にも言及していますが、それの文献は示していません。また、トライアングルの3つの構成要素は「相互依存的」であり、「矛盾と緊張」はあっても、それらは解決可能とされています。

○ソーシャルキャピタルと身体的健康:2007-2018年に発表された文献の最新レビュー
Rodgers J, et al: Social capital and physical health: An updated review of the literature for 2007-2018. Social Science & Medicine 236:112360,2019[文献レビュー]

ソーシャルキャピタルはしばしば国民の健康の決定要因と指摘される。それの測定を含む公衆衛生研究が増加しているにもかかわらず、ソーシャルキャピタルの健康に対する効果の理解は不明確なままである。2008年にソーシャルキャピタルと健康についての「最初の10年間」の研究の体系的文献レビューが、『ソーシャル・キャピタルと健康』教科書(カワチ・イチロー氏等編。邦訳は日本評論社,2008)でなされた。本研究は、その後の10年間に発表された研究をレビューし、オリジナル研究を更新・拡張することを目ざす。ソーシャルキャピタルと身体的健康アウトカムとの関係を調査した実証研究で、2007年1月1日~2018年12月末に発表された文献の体系的レビューを行った。文献検索は2019年1月に、PubMed、Embrase及びPsychINFOを用いて行い、「ソーシャルキャピタル」と「身体的健康」を検索語とした。

その結果、1608文献がヒットし、そのうち基準を満たした145文献のレビューを行った。「社会的結束」(social cohesion)領域の指標を含む文献が122(84%)、ソーシャルネットワーク領域の指標を含む文献が77(53%)、両方の指標を含む文献が57(39%)であった。両領域を合わせ、一番多く用いられた指標は「信頼」(54%)であり、以下、参加(41%)、ソーシャルサポート(34%)、ソーシャルネットワーク(31%)、互恵性(16%)等の順であった。もっとも多く検討された健康状態は健康の自己評価(57%)であり、以下、死亡率(12%)、心血管系疾患(10%)、肥満(7%)、糖尿病(6%)、感染症(5%)、ガン(3%)の順であった。145文献のうち、127文献(88%)はソーシャルキャピタルと健康の関係について、最低1指標でプラスの結果を報告していた。しかし、全指標でプラスの結果を得ていたのは41文献(28%)にとどまっていた。59%の文献では結果はまちまちであり(mixed)、ソーシャルキャピタルと健康との関係は微妙である(nuanced)ことが示唆された。健康状態別に見ると、ソーシャルキャピタルと肥満、糖尿病、感染症との有意な関係を見いだした文献はほとんどなかった。ソーシャルキャピタルと全死亡、心血管疾患、一部のガンでは有意の関係が見られたが、結果は一貫していなかった。この結果は、研究デザインに相当のバラツキがあるためとも考えられた。以上から、ソーシャルキャピタルは一部の身体的健康にとって重要な肯定的要因である可能性を示唆していると結論づけられる。

二木コメント-ソーシャルキャピタルと健康についての研究で世界をリードするハーバード大学の研究者による、ソーシャルキャピタルと健康の関係についての最新の体系的文献レビューで、この分野の研究者必読と思います。ただし、私は、以前から「ソーシャルキャピタル」概念の多義性(♪何でもかんでもみんな♪ソーシャルキャピタル)が気になっています。本論文も、個別文献の「ソーシャルキャピタル」の定義・指標がバラバラであるにもかかわらず、それらを一括してソーシャルキャピタルと扱っていることには疑問が残ります。


4. 私の好きな名言・警句の紹介(その180)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の役割>

<その他>

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