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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻153号)』(転載)

二木立

発行日2017年04月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


日本福祉大学学長退任のご挨拶

私は3月31日で日本福祉大学学長を退任し、4月1日付で同大学相談役・大学院特別任用教授に就任しました(任期はそれぞれ2年、1年)。対外的には、4月1日に発足する日本ソーシャルワーク教育学校連盟(略称:ソ教連)副会長に就任する予定です(任期2年)。
本「ニューズレター」の配信は今後も継続します。よろしくお願いします。

お知らせ:

講義「地域包括ケアと福祉改革ー拙新著をベースにして」を日本福祉大学大学2017年度院連続講義「私の研究テーマと研究方法」で行います。
4月10日(月)午後7時頃~9時35分、名古屋市・日本福祉大学名古屋キャンパス(JR・地下鉄鶴舞駅下車)北館8階、受講料無料。受講ご希望の方は、日本福祉大学大学院事務室にお申し込み下さい:電話052-242-3050、E-mail:gs-kougi@ml.n-fukushi.ac.jp


1. 論文:介護保険法等改正案を複眼的に読む
(「二木教授の医療時評」(146)『文化連情報』2017年4月号(469号):16-20頁)

はじめに

安倍内閣は2月7日、「地域包括ケアシステムの強化のための介護保険法等の一部を改正する法律案」を閣議決定し、通常国会に提出しました。同省「法律案のポイント」によると、この法案は「高齢者の自立支援と要介護状態の重度化防止、地域共生社会の実現を図るとともに、制度の持続可能性を確保することに配慮し、サービスを必要とする方に必要なサービスが提供されるようにする」ことを目的とし、内容は「地域包括ケアシステムの深化・推進」と「介護保険制度の持続可能性の確保」の2本柱です。そのために、介護保険法の他、健康保険法、医療法、社会福祉法、老人福祉法、高齢者医療確保法等、関連する多数の法律の改正を予定しています。

本稿では紙数の制約のため、この法案の網羅的検討はせず、一般の報道では見落とされていると私が考えている以下の3点を複眼的に検討します。

①「地域包括ケアシステムの深化・推進」が謳われているが、高齢者に対象を限定している地域包括ケアシステムの法的定義は変えられない。②「自立支援・重度化防止」偏重で、高齢者の尊厳を保持する介護保険法の目的(の一つ)が無視されている。③「能力に応じた負担」のうち、高所得者(現役並所得者)の自己負担3割化には3つの疑問がある。最後に、今回の法改正の目玉の1つである「介護医療院」の創設に込めた厚生労働省の隠れた狙いを述べます。

地域包括ケアシステムは強化されるが法的定義は変えられない

今回の法案には「地域包括ケアシステムの強化」、「深化・推進」のための条文改正や新しい施策が盛り込まれており、私は次の3つが特に重要であると思います。

①介護保険法の「国及び地方公共団体の責務」に、介護サービスに関する施策等を推進するに当たっては「障害者その他の者の福祉に関する施策との有機的な連携を図るよう努めなければならない」との条文が付け加えられました(第五条第四項)。主として高齢者を対象とする介護保険法に、この条項が加えられたことは意義深いと思います。

②それの具体化として、高齢者と障害児・者が同一事業所で訪問介護、通所介護等の居宅サービス等を受けやすくするために、「共生型居宅サービス事業者の特例」が設けられました。

③昨年12月にとりまとめられた「地域力強化検討会中間とりまとめ」に概ね沿った形で、社会福祉法が地域共生社会の実現に向けて改正されました(1)。もっとも重要なのは、地域共生社会の実現に向けて、地域福祉推進の理念(第4条)に新たに第2項が加えられ、「福祉サービスを必要とする地域住民」に「その世帯」が含まれることが明確化されると共に、「福祉、介護、介護予防、保健医療、住まい、就労及び教育に関する課題」に加えて「福祉サービスを必要とする地域住民の地域社会からの孤立」等に対する支援も明示されたことです。第106条では、各種の社会福祉事業を行う者が「包括的な支援体制の整備」を行うことも努力義務化されました(これは第4条の理念規定よりも拘束力が強い)。現在任意事項となっている市町村地域福祉計画も法律上努力義務とされましたが、「中間とりまとめ」が求めた義務化は見送られました(第107条)。

他面、高齢者に対象を限定した医療介護総合確保推進法(2014年)の地域包括ケアシステムの以下の定義は変えられません:「地域の実情に応じて、高齢者が、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、医療、介護、介護予防、住まい及び自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制」(第二条)。それに対して全年齢を対象にしている「地域共生社会」の法的定義はなされていません。さらに、地域包括ケアシステムと地域共生社会との関係も不明なままです。

その結果、現実の施策を進める際には、自治体の担当者や事業者の間に混乱が生じる危険があります。これは杞憂ではなく、「0歳から100歳までの地域包括ケア」を標榜している日本福祉大学の地域包括ケア研究会に対して、法令遵守を信念とするある市町村の介護保険法担当者から、最近、「この標語は、対象を高齢者に限定した地域包括ケアシステムの法規定と異なり、間違っている」との批判を受けました。

高齢者の尊厳の保持を欠いた「自立支援等施策」偏重の危険

高齢者の自立支援と要介護状態の重度化防止は、介護保険法創設時からの目的(の1つ)であり、2005年の法改正でもそのための施策が強化されました。今回の法案では、それをさらに進め、市町村に、「被保険者の地域における自立した日常生活の支援、要介護状態等となることの予防又は要介護状態等の軽減若しくは悪化の防止及び介護給付等に要する費用の適正化」を目的とした「自立支援等施策」を行うことを義務化し、その実施について「適切な指標による実績評価」を行うと共に、「財政的インセンティブの付与」を与えるとしています。厚労省「法律案のポイント」では、「先進的な取組を行っている和光市、大分県では●認定率の低下、●保険料の上昇抑制」が生じたことが示されています。

この施策が導入される直接の契機は、昨年11月10日の第2回未来投資会議で、安倍首相が、「予防・健康管理と自立支援に軸足を置いた新しい医療・介護システムを2020年までに本格稼働」させる、そのために「介護でもパラダイムシフトを起こし」、「介護は要らない状態までの回復をできる限り目指してい」くと宣言し、関係大臣に「具体的な施策と年限を踏まえて検討を進め、直ちに施策を具体化してもらいたい」と指示したことだと思います(議事要旨13頁)【注】

しかし、このような「自立支援・重度化防止」偏重の施策は、介護保険法には高齢者の尊厳の保持というもう1つの目的があることを無視しています:「この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、(中略)これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう(以下、略)」(第1条)。

実は、尊厳の保持という表現は、高齢者介護研究会(厚労省老健局長の私的研究会。堀田力座長)が2003年にまとめた「2015年の高齢者介護」が、「これからの高齢社会においては『高齢者が、尊厳をもって暮らすこと』を確保することが最も重要である」として、今後の高齢者介護では「『高齢者の尊厳を支えるケア』の実現を目指すことを基本に据えた」ことを受けて、2005年の介護保険法改正で加えられました。堀田氏は、当時、「介護保険の目的を単なる身体的な自立支援から、それを包括し、かつ、より上位にある概念である尊厳の確保に高める」と明快に説明していました(2)

さらに、2015年の介護報酬改定では、身体機能に対する機能回復訓練に偏重していた訪問リハビリテーションの評価が見直され、ICF(国際生活機能分類)の視点に基づいて、「活動と参加に焦点を当てたリハビリテーションの推進」が目指されるようになりました(3)

「自立支援等施策」、特に「要介護状態の維持・改善の度合い」等を基準にした「財政的インセンティブ付与」はこのような2005年法改正と2015年介護報酬改定の趣旨から逸脱しています。この施策が実施されると、各市町村は、介護給付費抑制のために、高齢者の尊厳を保持する視点を欠いた「認定率の低下」や「保険料の上昇抑制」の競争を強いられる結果、要介護高齢者に対する自立の強制や恣意的な認定審査等が行われるようになり、国民・高齢者の介護保険や市町村への不信が強まる危険があります。

なお、浅川澄一氏(福祉ジャーナリスト)は昨年12月、高齢者ケアの大原則は「高齢者本人の側から考える」ことであるとの視点から、安倍首相の上記発言や一部自治体の「要介護度改善促進事業」を先駆的に検討し、「要介護者への行き過ぎた自立支援は虐待と変わらない」、要介護高齢者の「日常的な暮らしの中で、重要なのは『生活の質』(QOL)」であり、「QOL回復を伴わないADL回復の目的化は虐待と変わらない」と厳しく批判しました(4)。私も同感です。

高所得高齢者の3割負担への疑問

今回の法案は、「介護保険制度の持続可能性の確保」を第2の柱として、②「2割負担者のうち特に所得の高い層(現役並み所得者)の負担割合を3割とする」こと(2018年8月実施)と「介護納付金への総報酬割の導入」(2017年8月から順次実施し、2020年度全面実施)を予定しています。これらは社会保障制度改革国民会議報告書(2013年)で提起された「負担能力に応じた負担」(応能負担)を根拠にしています。私も、介護納付金への総報酬割の導入(健保組合等の負担増と協会けんぽの負担減)は合理的と思います。

しかし、高所得高齢者の3割負担には賛成できません。それには3つの理由があります。第1は社会保険の理念に関わるもので、山崎泰彦氏(神奈川県立保健福祉大学名誉教授)が明快に述べているように、「本来、社会保険では報酬比例で保険料を負担し、サービスを受ける際は、平等に給付を受ける」のが原則だからです(5)

第2の理由は、高所得高齢者の2割負担が2015年8月に実施されてからわずか3年で3割負担を導入するのはあまりに拙速・「朝令暮改」であり、介護保険制度への信頼を失わせる危険があるからです。

第3は実務的理由で、3割負担をきめ細かい配慮を行いながら実施する結果、対象者はわずか12万人(全受給者約496万人の3%)にとどまり、これによる介護給付費節減額はわずかだからです(この額は公表されていませんが、おそらく数十億円)。高所得高齢者の2割負担が導入された時、権丈善一氏は、それを「かなり慎重な検討を経ている」ために「妥当」と評価しつつも、「妥当であるゆえに、財源削減効果は微少。ならば始めからやらなくても良かったのではないかと言うことにもなる」と指摘しました(6)。3割負担ではこのジレンマがより鮮明になると思います。

それにもかかわらず政府・厚生労働省が3割負担を導入しようとするのは、これを将来的な高齢者全体の2割負担化及び現在2割負担の高齢者の3割負担化の布石にしようとしているからだと思います。

おわりに-「介護医療院」創設の隠れた狙い

最後に、「介護医療院」創設について簡単に検討します。介護医療院は、2017年度末に存続の経過措置期間を迎える介護療養病床および25対1の医療療養病床の受け皿として設立される新たな介護保険施設であり、医療法上は老人保健施設と同様の「医療提供施設」です。それは、「日常的な医学管理が必要な重介護者の受け入れ」や「看取り・ターミナル」等の機能と、「生活施設」としての機能を兼ね備えるとされています。ただし、介護療養病床の経過措置期間がさらに6年(2023年度末まで)延長されるため、その期間、介護療養病床と介護医療院の両方が併存することになります。

2006年の介護保険法改正による介護療養病床廃止決定があまりに唐突・乱暴だったことと比べると、今回は「療養病床の在り方等に関する特別部会」で丁寧な議論が進められました。その結果、当初心配された「介護難民」の発生はほとんど生じないと思います。

私は、「介護医療院」の創設の隠れた目的は、介護療養病床と医療療養病床の一部を病院から「医療提供施設」に移行することにより、2025年の「病床数」を大幅削減することにあると理解しています。2015年現在、介護療養病床は約6万床、25対1の医療療養病床は約7万床あるので、これがすべて「介護医療院」に移行した場合、病床は約13万床も減るからです。このために、厚生労働省は2018年の診療報酬・介護報酬同時改定で、この移行を促進するための改定を行うと思います。しかし、日本慢性期医療協会の「介護療養型医療施設の今後の運営に関するアンケート調査」(2016年2月)では、転換先の予定では20対1医療療養(つまり病院にとどまる)との回答が73.6%を占めていたことを考えると、現時点では、厚生労働省の思惑通りに病床が減る保証はないと思います(7)

[注]竹内孝仁氏が「自立支援介護」で要介護者を半減できると主張

安倍首相の「介護は要らない状態までの回復をできる限り目指してい」くとの現実離れした宣言は、同じ第2回未来投資会議で、竹内孝仁国際医療福祉大学教授が、氏の開発した「自立支援介護」(一旦要介護になった人をもう一度自立状態に引き戻す介護)により、「現在の要介護者の約半数ぐらいは、要するに、半減ぐらいはできそうだ」と発言したことを受けてなされたものです。氏は、ある特別養護老人ホームでの実績を踏まえて、自立支援介護を全介護保険利用者(605万人)に実施すれば、高齢者に多い肺炎と骨折が激減し、約8692億円もの医療費が節減されるとも主張しました(議事要旨7-8頁、資料5)。

私はこれを読んで、竹内氏が2003~2005年に氏の推奨するパワーリハビリを川崎市の54人の高齢者に3か月間行った結果に基づいて、それを全国で実施した場合、介護費用を年1兆7203億円も節約できるとの現実離れした主張をしたことを思い出し、「歴史は繰り返す」と感じました(8)

[本稿は、『日本医事新報』2017年3月4日号掲載の「介護保険法等改正案への3つの疑問」(「深層を読む・真相を解く」(61))に加筆したものです。]

文献

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2. 新著『地域包括ケアと福祉改革』(勁草書房,2017年3月15日,2500円+税)「はしがき」

本書の目的は、第2期安倍政権の医療・社会保障政策の最新動向を、地域包括ケアと地域医療連携、および福祉改革に焦点を当てつつ、包括的かつ複眼的に分析することです。本書は、序章を含め6章で構成します。

序章「今後の超高齢・少子社会を複眼的に考える」では、今後の医療・社会保障改革を長期的かつ冷静に見通すための前提・土台として、超高齢・少子社会についての、以下の3つの私の事実認識と「客観的」将来予測を述べます。① 今後人口高齢化が進んでも、社会の扶養負担は増加しない。②日本の労働生産性伸び率は低くないし、今後も、1人当たりGDPが毎年1%成長すれば超高齢・少子社会は維持できる。②日本の医療費(対GDP比)は最近OECD加盟国中第3位になったが、加盟国の高齢化率の違いを補正すると、日本は「高医療費国」とは言えない。最後に、今後の医療・社会保障費の財源確保についての私見(主財源は保険料、補助的財源は消費税を含めた租税)を述べます。これにより、医療・福祉関係者を含めて広く国民に蔓延している将来に対する悲観論が一面的であることを示します。私が本書で一番読んで頂きたいのは、この序章です。

第1章「地域包括ケア政策と地域医療構想の展開」では、地域包括ケア政策と地域医療構想の最新動向を複眼的に検討します。本章は前著『地域包括ケアと地域医療連携』(勁草書房,2015年)第1・2章の続編、「アップデイト版」です。第1節で地域包括ケアシステムという用語が分かりにくい理由を説明し、第2節で「地域包括ケア研究会2015年度報告書」を検討し、第3節で、医療経済・政策学の視点から地域包括ケアシステムと地域医療構想について概括的に検討します。第4節で2025年に「必要病床数」が大幅に減少するとの2つの将来予測の妥当性を検討し、第5節で地域医療構想をめぐる論点または留意点を指摘し、地域医療構想を推進しても必要病床数の大幅削減と医療費削減は困難と私が判断している根拠を述べます。

第2章「福祉改革の展開」では、厚生労働省・政府が2015~2016年に発表・決定した「新福祉ビジョン」、「ニッポン一億総活躍社会プラン」、「我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部「資料」を複眼的に検討します。本章では、厚生労働省が、現在、法的には高齢者に限定されている地域包括ケアシステムを「全世代・全対象型地域包括支援」・「地域共生社会」に拡張することを目指しており、それに対応して福祉教育も改革する必要があることを指摘します。

第3章「第2期安倍政権の医療・社会保障費抑制政策」では、第2期安倍政権の医療・社会保障費抑制政策を包括的に検討した上で、財務省・財政制度等審議会の2015年11月「建議」、2016年度診療報酬改定、公正取引委員会の「混合介護の弾力化」提案を複眼的・批判的に検討します。

第4章「保健医療分野のパラダイムシフト論とオプジーボ亡国論の検証」では、塩崎厚生労働大臣の私的懇談会が2015年にとりまとめた「保健医療2035」等の医療パラダイムシフト(転換)論と2016年に突発したオプジーボ(超高額医薬品)亡国論を原理的かつ複眼的に検討します。

第5章「私の行ってきた研究の視点と方法」では、私が1990年代以降行ってきた研究の視点と方法について紹介します。このうち第2節は『医療経済・政策学の視点と研究方法』(勁草書房,2006)第4・5章の「続編」で、同書出版後の私の研究についての「心境」の変化と「重点移動」、研究方法・手法の進歩について述べたうえで、著書「量産」の秘密を紹介し、最後に、研究と大学の管理職業務は両立しうることを指摘します。

2017年2月

二木 立

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3. 『地域包括ケアと福祉改革』出版記念インタビュー:医療・社会保障政策の最新動向を包括的かつ複眼的に分析
(『文化連情報』2017年4月号(469号):8-15頁)

少子化が進んでも社会のレベルでの扶養負担は変わらない

――学長になられて4冊目となる書籍、『地域包括ケアと福祉改革』を出版されました。多忙な中、旺盛な執筆活動に驚いているところです。

二木 あとがきにも書きましたが、私は今年の3月末で学長の任期を終わりました。4年前の学長選挙の公約で、学長業務に差し障りのない範囲で研究・言論活動を続けることを宣言して、4年前の目標を超過達成できたと嬉しく思っています。

今回の著書も『文化連情報』の「医療時評」に掲載した論文が中心です。コラムは別として、18論文中、10論文が『文化連情報』に掲載されています。大変お世話になりました。おかげさまで心身ともに健康で、今後は時間的な余裕もできますので、これからも旺盛に研究をやっていきますし、『文化連情報』の連載にも力を入れたいと思っています。

――序章で、高齢化が進んでも、社会の扶養負担は増加しないと提起され、いろいろな分析結果も示されています。

二木 今までの本では医療・社会保障改革の各論を書いていたのですが、今後の日本社会の在り方についてはほとんど書いていませんでした。

しかしこの間、いろいろな講演等で医療関係者と話をしますと、人口の超高齢化で、財源が少なくなり、医療や社会保障費の抑制、あるいは切り捨てが運命的なものだと考えている人が割と多いのです。それに対して、前著『地域包括ケアと地域医療連携』(2015)の第3章第6節「公的医療費抑制と医療の営利化は『避けられない現実』か?」の中で、そうではありませんという話は書いたのですが、これはあくまで医療・社会保障の枠内だったのです。今回はもっと広く書いています。この内容は一番読んでほしいところですね。

ただ、この点に関して私の述べている内容は決して新説ではありません。人口が高齢化して少子化が進んでも、社会のレベルでの扶養負担は変わらないことは、日本を代表する経済学の重鎮である伊東光晴先生が1982年に最初に述べられ、その後1989年に川口弘先生と川上則道先生が高齢化社会危機論を批判した著書『高齢化社会は本当に危機か』の中で述べられています。最近では権丈善一氏が精力的に主張していることで、知る人ぞ知る話なのです。

働く人が働かない人を支える

二木 今までの政府の計算方法は、分母を働く者、分子を高齢者にしているのですが、算数的におかしいのです。社会を支えることとは、働く人が、働かない人、さらに自分を含めて支えることです。そういう計算をするなら、高齢者に加えて、子どもなども入れないといけません。もっと厳密に言えば、働く人が働かない人をどれだけ支えるかを見なければいけないわけです。働く人が働かない人を全部支える場合、社会の扶養負担の指標は1対1となり、これは、50年、100年と変わらないのです。本の中では、『読売新聞』に掲載された権丈氏のアイデアを基にした図を使わせてもらいました。算数的には当たり前の話です。

しかし問題は、これは社会保障の話ではないという点です。あくまでも社会全体としての扶養の話であって、社会が創り出す富のうち社会保障にどれだけ使うのか、あるいは私的にどれだけ使うかについてはまた選択があるわけです。子どもの存在を無視した話の中で、社会が扶養できなくなるみたいな言い方がされていますが、社会のレベルでの扶養という点では大きくは変わらないという話です。

介護を例にしますと、介護保険は2000年に始まり、今は10兆円の規模となりました。それ以前は家族が扶養していたので、私的な介護から公的な介護に移行しました。もちろん現在も私的介護はたくさんあります。公的介護と私的な介護、あるいは公的なケアと私的なケアの配分をどうするかという選択は必要ですが、社会全体での介護という面で見れば同じなのです。また、社会保障以外に生活費があります。高齢者でも、重い病気の方を除いては、生きていく上での費用全体のうち生活費が圧倒的に多いのです。そういう当たり前のことをあらためて強調したのです。

――国は、1対1の肩車型の構図になり、支えられなくなりますと宣伝しています。それはやはり間違っているということなのでしょうか。

二木 これは数字の話です。イデオロギー、価値判断の問題ではなくて、こういう事実があるということはまず指摘したいと思ったわけです。

それに合わせて、よく見なければならないのは、日本は1990年のバブル崩壊から、空白の40年と言われていますが、生産性の伸び率を見ると、欧米に比べそんなに悪いわけではないのです。これも数字の話です。

日本は世界でトップクラスの高医療費国ではない

二木 さらに、昨年突然、日本は世界でトップクラスの高医療費国だという話が持ち上がりました。しかし統計的に見ると違うのです。日本では医療費の地域格差や、介護費の地域格差を見る場合に、必ず人口構成で補正するのですが、今回の国際比較ではそれがありません。この補正をすれば、日本はG7でむしろ下の方になりますし、日本がこの間、伸びたのは、良い悪いではなく、医療費の定義が変わり長期ケアの費用が多くなったからです。

私も驚いたのですが、日本では介護保険で介護費用が増え、施設・在宅の長期ケアの費用が大きく増えたのです。国際比較で見ると、長期ケアの費用は、別格の北欧を除けば、他の高所得国より相当高くなっています。介護保険の本家本元のドイツよりも多いのです。これは池上直己先生らの論文から引用させてもらいました。介護保険はまだまだ不十分ですが、長期ケアが随分普及した現れです。それをOECDの新しい定義では、「医療費」と言うわけです。本来なら「福祉費」と言い直した方が適切と思いますが、国際的に見て日本の医療費が高くなっていると言っているのです。一般の方はまさか介護保険の費用が入っているとは思いません。そういう点でも正確な事実を伝えたかったわけです。

――社会保障を充実させるとしたら、財源問題は避けられないと思います。この本でもあらためて財源問題に触れられています。

二木 私が財源問題で初めて自分の主張を包括的に書いたのは、『医療改革と財源選択』(2009)の中です。

それまでは私も試行錯誤していたのですが、今の段階で、国民皆保険を続けることに反対する人はゼロです。社会保険が中心であることを前提にするなら、社会保険料が中心とならざるを得ないのです。残りを公費、税金でみるわけです。私は消費税の役割は決して否定しませんが、国民の反消費税意識の強さを考えると、公費イコール消費税というのは危ないと思います。

一部の方は消費税が社会保障の主財源だと誤解していますが、消費税はあくまで公費部分の一部です。しかし強力と言われる安倍政権でさえも増税を2回も延期しています。社会保険料なら法改正をしなくても上げられるのです。低所得者にしっかり配慮することを前提に、社会保険料を引き上げ、それを主財源にするのが一番現実的だと思います。

地域医療構想は病床削減を目的にしていない

――地域包括ケアと地域医療構想についてあらためて述べられてます。現在、都道府県で出そろい、今後、各地域の調整会議等において策定作業が進められます。そこで一番留意しなくてはいけない点は何なのでしょうか。

二木 前著でも強調し、厚生労働省も公式に認めていますが、地域医療構想は病床削減を目的にしていないのです。これは事実です。
必要病床数について、2025年までに最大20万床削減されるという議論があります。第1章第5節「地域医療構想をめぐる論点または留意点」で、地域医療構想を推進しても、必要病床数の大幅減は困難であることを強調したところです。前著で客観的な将来予測として、2025年の病床総数は現在と同水準の130万床程度と予測し大幅削減はできないと書きましたら、「保守的で甘い」と批判されましたが、そうではないのです。

政府の公式推計で現状投影シナリオ、つまり今の人口高齢化を前提にして、医療の機能分化をしない場合には、病床数が152万床に増えるとされているのです。その152万床に比べれば、約20万床少ないのです。機能分化をして、2025年に115~119万床にするということは、実質40万床も減らすことになります。そんなことは出来ませんよと言っているので、当たり前の話です。

さらに、本著では、病床を減らすのに今まで表に出ていない方法が二つあることを紹介しています。一つは空き病床、特に公立病院で多いのですが、休眠病床を返上すれば公立病院を中心に削減が相当進みます。今まで公立病院には、総務省の補助金が許可病床に基づいて出ていましたが、今後は稼働病床に基づいて出ますので、休眠病床の返上が相当進むと思います。

もう一つは、今度の介護保険法等改正で提起されている介護療養病床の「介護医療院」への転換です。2018年4月から6年計画で転換することが提起されました。これは本当にぬえ的な施設で、介護保険上は生活施設、医療法上は医療提供施設ですが、病床ではないのです。介護療養病床と医療療養病床のうち25対1が移行の対象となります。機能は同じで何も変わらないのですが、法改正により名目上の病床は減る形になります。大ざっぱに言うと、今介護療養病床が6万床、医療療養病床のうち25対1が約7万床、両方で13万床強あるのですが、これが「介護医療院」に移行した場合、その分病床減となります。

ですから、強制的に大幅に病床が減らされることはありません。さらに、2025年に115~119万床にする大前提は、療養病床か一般病床に入院している患者で、医療密度が低い患者、約30万人を在宅等に移すことです。しかしこれは、今の家族介護機能の低下を考えると難しいと思います。

地域医療構想で一番言いたいことは、厚労省が病床を減らすためのツールではないと言っているとおり、財務省や官邸からの圧力があっても、介護難民を出すわけにはいかないということです。強制的な削減はあり得ないので、それぞれの地域医療構想調整会議において、合意を得た形での再編が進むと思っています。

地域包括ケア病棟は相当増える

――公式文書では、効果的・効率的と言いながら、財務省側からすると、どうしても削減したいという本音はありますね。

二木 その典型が7対1看護の病床の削減です。2014年の改定で基準を厳しくしましたが、そんなに減らなかった。2016年もさらに基準を厳しくしました。しかし、今年1月の中医協総会の資料ですと、半年間で1・1%、1年前と比べても2・1%しか減っていません。

ここで強調したいのは、厚生労働省自身が説明を変えている点です。当初は2025年のモデルとして、「ワイングラス型」から「砲弾型」に変えると言っていました。それに対して迫井正深医療課長は『病院』2016年12月号に書いた論文「平成28年度診療報酬改定が目指したもの」の中で、「入院医療の機能分化・強化」という図を載せています(941頁)。高度急性期に対応するのは今の特定集中治療室等で、一般急性期病棟は7対1が主になるとはっきり分かる図を書いているのです。

私も以前から言っているのですが、今日の医療の高度化を考えると、高度急性期、つまり大学病院かそれに準ずる病院だけではなく、急性期病院では7対1が絶対に必要ですし、理想を言えば、回復期や地域包括ケア病棟だってもっと高い水準が必要だと思っています。このことを厚生労働省の医療課長が初めて述べたのは画期的だと思います。

――厚生連の急性期病院でも医療看護必要度25%というのは厳しく、さらに引き上げられると転換しなければならない病院もあるようです。

二木 そうですね。しかし、厳しいということと、対応できないということは違います。現在は中医協も昔と違ってしっかり機能しています。厚労省の上意下達の機関ではなく、根拠に基づく主張をすれば、強引なことはできません。

――今後、地域包括ケア病棟の位置付けについてはどのようになっていくでしょうか。

二木 厚生労働省の2025年モデルでいけば、増やそうとしているのは「回復期」ですが、回復期リハ・病棟はもうそんなに増えないと思います。その代わりに地域包括ケア病棟は相当増えるし、その機能は、回復期というより軽症急性期だと思います。その一番良い例が、2016年の改定で手術料が出来高となったことです。

私は、一般急性期と回復期の線引きはほとんど意味がないと思っています。高度急性期は別格ですが、一般急性期と回復期については、あまりこだわらなくていいと思います。厚生労働省自身が地域包括ケア病棟はどちらですとはっきり言っていませんので、当面は増やしていく方針だろうと思っています。

――7対1の厳格化問題で、病棟群単位の7対1と10対1の混在を認めています。現在は暫定措置となっていますが、これが延長される可能性はあるのでしょうか。

二木 これはちょっと大胆かもしれませんが、第3章第3節の「2016年度診療報酬改定の狙いとその実現可能性・妥当性を考える」のところに書いています。

厚生労働省の担当者が、2016年の制度スタート当初から経過措置もあり得ると書くことなどあり得ないのです。2年間の暫定措置で切れるとなるとどこも手を上げません。厚生労働省にとっても、少しは7対1を減らしたいと思っていますから、この措置を延長するしかないと思います。

地域包括ケアは全世代・全対象型へ

――地域包括ケアの今後の展開についてお聞かせください。

二木 地域包括ケアに関して強調したいのは、厚生労働省が地域包括ケアの概念を広げていることです。地域包括ケアシステムは、医療介護総合確保推進法で、高齢者に限定されていますが、これは現実の社会の変化に合わないのです。

2015年9月に発表された「新福祉ビジョン」では、全世代・全サービス対応型に広げようと提唱したのです。実際に地域でも、私の大学がある知多半島の有力NPO法人は、「ゼロ歳から100歳までの地域包括ケア」という表現をしています。私たちの大学の地域包括ケア研究会もそれを借用しています。

2月7日に閣議決定された介護保険法等の改正案の正式名称は「地域包括ケアシステムの強化のための介護保険法等の一部を改正する法律案」です。そこでは、市町村でこれから地域包括ケアを進めるためには、高齢者に限定しないで、実際にサービスが必要な人、高齢者以外にも障がい児・者、生活困窮者など、幅広く応えないといけないということが提起されています。それは正しいと思います。

これから厚生連病院でも、地域包括ケアに積極的にかかわっていくと思いますが、その場合にはそれぞれの地域のニーズに応じて、対象を高齢者のみに絞らない方が良いと思います。

――福祉改革についても、「新福祉ビジョン」、「一億総活躍プラン」、『厚生白書』等の分析がされています。先生が一番強調したい点についてお聞かせください。

二木 今までの縦割り行政の限界が出てきていますので、厚生労働省自体が横割りにしようとしている点は画期的だと思います。しかし、現実問題として財源の裏付けがないのです。

どこまで進むかはまだ断定的には言えませんが、少なくとも理念のレベルで全世代に広げることを打ち出したことは、すごく意味があると思います。全世代・全対象型です。それぞれの地域で展開する場合に、それを考えることは大事だと思いますし、言葉として、地域共生社会は誰も否定できません。

――私は、一億総活躍プランなど実現しないと思っています。先生はどうお考えですか。

二木 大事なのは今言ったように「理念」です。厚生労働省も今までは理念として縦割りだったのですが、それを反省し、国レベルでも横割り、全世代・全対象型に変えたことは5~10年先を考えると大きいと思います。しかし、先ほども言いましたが、財源の裏打ちが弱いのです。例えば私は寄付の文化を醸成することには大賛成ですが、寄付を主にして財源を確保するのはいくら何でもないでしょうと思います。ただ、理念が変わったこと自体は歴史的意味があると思います。

進む官邸や内閣府の肥大化

――安倍政権の社会保障費抑制政策の特徴についてお聞かせください。また、財務省と厚労省の違いについてもお願いします。

二木 まず強調したいのは、「骨太方針2015」で決められた社会保障費の大幅抑制が、最近はますます強まってきたことです。小泉政権の時代よりもさらに厳しいということです。人口高齢化の5000億円分は認めるが、医療技術の進歩による医療費増加は認めない。もしこれがそのまま実施されるとしたら、本当に厳しいことになるというのが第一です。

さらに、最近は財務省も飛ばして官邸です。それと安倍内閣では、経産省が圧倒的に強くなって来ています。その一番極端な例が、中医協の権限を経済財政諮問会議が奪おうというとんでもない提案です。官邸や内閣府の肥大化がすごく進んでいると思います。

中医協の話については、突拍子もないように見えますが、一億総活躍社会に向けての働き方改革の検討の場は、本来は労働政策審議会なので厚生労働省所轄で、三者(雇う側、雇われる側、学識経験者)構成なのです。それを飛ばして、企業代表プラス企業寄り研究者中心で進めようとしています。本来は、中医協と同様な組織で、三者自治ですが、それが事実上崩されようとしています。中医協も油断できないと思います。

一方、財務省も小泉政権の時代に比べてよく勉強しています。厚生労働省に出向した担当者も戻っています。そういう点で財政制度等審議会の資料を見ても、厚生労働省の資料と見間違うぐらい詳しいです。今後は、厚生労働省の文書だけでなく、官邸、経済財政諮問会議の資料、さらに財務省財政制度等審議会の資料も見ないといけません。一昔前でしたら、医療・社会保障は厚生労働省マターという感じでしたが、そうではなくなったことを一番強調したいと思います。

医療技術の進歩で医療保険が破産した国はない

――高額薬剤問題と保険財政問題について、オプジーボ問題もありますが、どのような内容でしょうか。

二木 その点については第4章に書いています。この章ではまず、保健医療のパラダイムシフト、大臣の私的諮問機関が出した「保健医療2035」を批判的に検討したのですが、私は以前から医療においては抜本改革はない、部分改革の積み重ねしかないと言っています。パラダイムという言葉を使って、浮き足立たないほうがいいと強調したいのです。

オプジーボ問題については、私は國頭英夫医師の問題提起を全否定してはいません。問題提起としてはすごく鋭いと思います。一種のショック療法です。もし、國頭医師があそこまで極端に言わなければ、オプジーボが短期間に半額にはならなかったと思います。

戦後70年で、特定の医療技術や病気の治療で、保険財政が破綻すると言われたことは2回あります。1つは結核医療費、もう1つは透析医療費です。しかし、結核と透析医療は両方とも医療技術が進歩し、診療報酬でコントロールして、全然社会問題になっていません。国際的に見ても、医療技術の進歩で医療保険が破産した国は1つもないのです。適切に対応していけば問題ないということです。この点に関しては、財務省も厚生労働省も官邸も医師会もみんな一致しています。

――先生はたくさんの著書を書かれていますが、第5章「私の行なってきた研究の視点と方法」を読ませていただいて、感心するばかりです。

二木 60歳を過ぎてますます元気になっています(笑)。学長を4年間やって、病欠したことは1回もありません。学長業務は正直ハードでした。しかし有名な梅原猛先生が「管理職生活と研究者生活の二重生活は私にとって有利に働いた」とおっしゃっていたことを、2001年に知ったのですが、本当かなと思ってやってみたら、できました。学長業務ばかりやっていると辛気くさくて、研究活動をすることで気分転換できました。今後は、教授に戻って心置きなく研究活動などに没頭できます。書き下ろしの単著も出していきたいと思っています。

トップダウンのやり方は続かない

――最後に、番外編として、トランプ新政権と今後の日本経済や社会保障について、先生はどのように見ておられますか。

二木 私が読んだトランプ大統領の評価で一番正確だと思っているのは、「ディール」(取引)と「アンプレディクタビリティ」(予測不可能性)の2つがキーワードだとするものです(『週刊エコノミスト』1月24日号:64頁)。そのために、下手な予測はしない方がいいと思っているのですが、本著の中で的確な評価があります。米国経済学者ポール・クルーグマンの著書『クルーグマンの視座』(2008)からの引用ですが、国の経営は企業とどう違うか、結果的にトランプ氏の予言をしているのです(107―108頁)。

トランプ氏に限らず、大企業の経営者で自分なら大統領が務まると言った人は今までもいたのです。それに対して、クルーグマン氏は、「企業経営と国家経営は全然違う、ビジネスで学んだことは経済政策の策定には役立たない。国は大企業ではないからだ。世界一大きな企業も複雑性では国民経済の足元にも及ばない。経済戦略と経済政策の根本的な違いは、最も巨大な企業ですらオープンシステムであるのに対して、国際貿易がここまで盛んになっても、アメリカ経済自体はほとんどクローズドシステムなのだ」「平たく言えば、企業経営では競争に勝つことだけを考えればいいのだが、国民経済は競争に敗れた企業・個人の身の振り方も含めて考えなければいけないのだ」と言っています。トランプ大統領を見ていると、企業経営のようにトップダウンで決めています。そのやり方が続くわけがないと思います。クルーグマンの本はそう予言していると思います。

トランプ新政権がTPPを廃棄してくれたことは大変結構なのですが、今後は二国間交渉に移ります。そうすると、安倍首相が国会でTPP協定の批准を可決したので、そこがスタートラインになって進められるわけです。国会で議決していなければ、交渉して今よりも上下することもありますが、ここがスタートラインと認めている以上、とんでもないことが起きてくる危険があります。農業も医薬品もです。

診療報酬の抑制がより厳しくなる危険がある

――日米首脳会談の日本報道を見ていると評価が高いと勘違いします。

二木 世界でトランプ大統領を「よいしょ」しているのは日本だけです。会談前に『(ロンドン)エコノミスト』2月11日号(22頁)が、面白いことを書いています。「Japan's prime minister cozies up to the new man in the White House」。「cozy up」とは「ご機嫌を取る」ということです。ほかの国は批判しているけれども、日本の総理大臣だけは、ホワイトハウスの新しい住人、トランプ氏のご機嫌を取る、取り入っているという表現を使っていました。

――二国間交渉の内容によりますが、具体的な影響はこれからでしょうか。

二木 トランプ新大統領は、共和党の大統領としては初めて、医薬品の価格の引き下げ・規制に言及しています。例えば1月11日の記者会見で、「我々がしなければならないことは、製薬産業を対象にした新たな入札制度をつくることだ」(『国際医薬品情報』1月30日:32頁)と言っています。共和党は党として、薬価規制に一貫して反対しているので、それが実現するか否かは不透明ですが、アメリカで何らかの形で、製薬企業に対する薬価引き下げ圧力が強まるのは間違いありません。その場合、アメリカの大手製薬企業(メガファーマ)は、アメリカ国内での利益の減少を日本を含む他国で補填しようとします。これには先例があり、アメリカのたばこメーカーは、国内でのたばこ規制で消費が減少したことに対応して、国外での販売を強化しました。

その結果、アメリカ政府が大手製薬企業の意を受けて、日米の二国間交渉で、日本政府が検討中の薬価引き下げ政策にクレームを付けたり、TPPで決着した医薬品の特許保護期間の延長を求めてくる可能性が大きいのです。日本政府がそれに屈した場合、薬剤費の抑制が難しくなるため、医療費総額の抑制のために、診療報酬の抑制がより厳しくなる危険があります。

――本日は、ありがとうございました。本誌の読者の皆さんにも、ぜひ読んでいただきたいと思います。今後とも健康に留意していただき、研究活動を展開してください。

(聞き手=文化連代表理事理事長・山田尚之/2月13日)

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4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算133回)

(2016年分その13:3論文)

○成功した[と報告された]ケアマネジメントプログラムの再現性を検証する:[新たな]ランダム化試験の結果と[以前の試験の]結果が再現されなかった理由の推定
Peterson GG, et al: Testing the replicability of a successful care management program: Results from a randomized trial and likely explanation for why impacts did not replicate. Health Services Research 51(6):2115-2139,2016.[量的研究]

本研究の目的は以前報告された1つのケアマネジメントプログラム試験の成功が再現できるか否かを2回目の試験により検証し、再現されなかった場合はその理由を決定することである。東ペンシルベニアで行われた、出来高払いのメディケア受給者で慢性疾患を有する患者483人を対象にして行われたランダム化試験におけるメディケア医療費と看護師ケアマネージャーの訪問記録を用いた。対象は、集中的なケアマネジメントサービスを受ける群(介入群)と、通常のケアを受ける群(対照群)に二分した。2010~2014年の第2回試験では、プログラムにより入院は減らず、介入群の1人・1月当たり平均費用260ドルを相殺するメディケア費用の節減も生じなかった。この推計は、2002-2010年に行われた第1回試験で入院とメディケア費用が大幅に削減された結果と有意に異なっていた。第2回試験で介入群と対照群との差が消失したのは、対照群のリスク調整済み入院率が改善したためであり、介入群のアウトカムが悪化したためではなかった。以上から、1つのランダム化試験で得られた成功は、対象と時期を変えて行った試験では必ずしも再現されないと結論づけられる。

二木コメント-1回の試験で得られたプログラムの効果は必ずしも再現されないことを示した貴重な研究です。一般的に言えば、1回目の試験の評価は甘くなる傾向があります。集中的なケアマネジメントだけでなく、集中的な在宅ケアの費用も通常ケアに比べて高いこと-つまり「高かろう良かろう」-は、他の先行研究でも確認されています。

○統合ケアを測定する諸尺度:測定特性の体系的文献レビュー
Bautista MAC, et al: Instruments measuring integrated care: A systematic review of measurement properties. The Milbank Quarterly 94(4):862-917,2016.[文献レビュー]

統合ケアは医療制度のパフォーマンスを改善するための重要な戦略である。それの重要性が増しているにもかかわらず、統合ケア尺度の測定特性についての詳細なエビデンスははっきりしていないし、限られている。本レビューの目的は統合ケア測定のアートの現状についてのエビデンスを提供することである。本包括的体系的文献レビューの枠組みは、Rainbow Model for Integrated Caer (RMIC)に基づいている。Medline/PubMedを用いて文献検索を行い、COSMINチェックリストを用いて、個々の妥当性研究の方法論的質を評価した。妥当性研究ごとに個々の尺度の測定特性を評価し、各尺度の最良のエビデンスの合成を行った。検討対象に選んだ300の文献から得られた379の妥当性研究の方法論的質を評価し、それらから統合ケアの構成要素(constructs)を指標化している尺度(index instruments)209を選んだ。大半の研究はケア統合(33%)、患者中心のケア(49%)の構成要素について報告していた。継続性/包括性、ケアコーディネーション/ケースマネジメントを測定していた研究はそれぞれ15%、3%にとどまっていた。(以下の結果の要約は略)以上の結果は、統合ケア尺度の測定特性の質は改善の必要があることを示唆している。

二木コメント-56頁の長大文献レビューで、統合ケアの研究者必読と思いますが、私には「研究のための研究」に思えます。

○先進的画像診断[CTとMRI]の参照価格、患者負担と保険者の費用
Robinson JC, et al: Reference pricing, consumer cost-sharing, and insurer spending for advanced imaging tests. Medicare 54(12):1050-1055,2016.[量的研究]

同種の画像診断の料金は同一の市場でもしばしば大きく異るため、保険者の費用や患者負担も大きく異なる。参照価格方式では、保険者は患者への償還額に一定の上限を設け、それを超える高額のサービスを提供する施設を選んだ患者は差額を全額負担する。本研究の目的は、先進的画像診断(CTとMRI)に対する参照価格導入と患者の施設選択、画像診断の料金、患者自己負担および保険者費用との関係を測定することである。保険請求データを用いて、差の差法による多変量解析を行った。2010~2013年にCTまたはMRIの検査を受けた患者で、全国展開しているある食料雑貨チェーン(Safeway)の被用者4751人を介入群、全米最大の保険の加入者23,428人を対照群とした。介入群にのみ参照価格が適用され、それは参照価格導入前の料金分布の60パーセンタイル値に設定された。両群で、画像診断の種類と患者特性を調整した。介入群では、参照価格導入後、CT料金は12.5%、MRI料金は10.5%、患者負担は13.8%減少した。これによる費用節減のうち、45.5%は被用者に、残りは使用者に帰着していた。以上から、参照価格の導入は使用者と被用者の両方の負担を減らすと結論づけられる。

二木コメント-画像診断への参照価格導入の影響についてのクリアカットな、ただしやや「予定調和的」研究と思います。

(2017年分その2:2論文)

○スイスにおける死亡前12か月間の医療費の地域的バラツキ:保険請求データを用いての小地域分析
Panczak R, et al: Regional variation of cost of care in the last 12 months of life in Switzerland: Small-area analysis using insurance claims data. Medical Care 55(2):155-163,2017.[量的研究]

医療費は死亡直前に急増するが、終末期医療費の地域的バラツキとその要因についてはほとんど知られていない。そこで、スイスにおける死亡前1年間の医療費の小地域間パターンを検討した。強制医療保険の医療費請求データから、2008~2010年の死亡者の医療費データを得た。マルチレベル回帰モデルを用いて、死亡者の死亡前1年間の費用の564地域・71病院医療圏間の差を推計した。次に、地域間のバラツキが個人と地域の特性(医療提供尺度を含む)によってどの程度説明できるかを検討した。対象とした死亡者は113,277人である。死亡前1年間の1人当たり平均医療費は32.5千スイスフラン(標準偏差は同33.2)であった。地域間の医療費は、年齢、性、死亡原因を調整しても相当大きかった。地域間の分散は、個人と地域の特性を含めると52-95%減少し、特に言語圏の影響が大きかった。医療供給尺度と費用との間に関連はなかった。病院サービス圏間、圏内の差は、高齢女性でもっとも大きく、若年者でもっとも小さかった。以上から、スイスでは死亡前医療費のバラツキは言語圏および高齢女性については今回は検討できなかった地域的要因で大きいと結論づけられる。文化的要因は死亡前の医療の提供・消費に影響しており、政策担当者はこの点を考慮すべきである。

○質に応じた支払い:落胆させる結果あるいは[諸研究間の]隠れた不均一?
Markovitz AA, et al: Pay-for-performance: Disappointing results or masked heterogeneity? Medical Care Research and Review 74(1):3-78,2017.[文献レビュー]

医療における質に応じた支払い(P4P)の効果についての研究では、大いに落胆させる結果が得られている。しかし、このような結果は、諸研究が不均一であり、P4Pの効果が隠されているために生じたのかもしれない。そこで、58論文の文献レビューを行い、P4Pにおける病院と医師の行動が、患者や対象地域の要因、組織的・構造的能力(capabilities)、およびP4Pプログラムの特性によって異なるか否かを検討し、以下の結果を得た:組織の規模、診療のタイプ、教育病院か否か、および医師の年齢・性はP4Pのパフォーマンスを変容させる。医師診療と病院について言えば、低所得とマイノリティーの患者の割合の高さは、パフォーマンスの悪さと確実に関連している。それ以外の理論的に考えられる特性-情報技術と職員配置レベルを含む-の影響については結果はばらついている。ボーナス支払いの有無とそれの額、およびP4Pパフォーマンスの限界費用は、諸組織が財政的誘因に戦略的に反応しているわけではないことを示唆している。以上から、現在のP4Pの効果の不均一性は、P4Pの効果についての現在の評価(当初期待された効果をあげていない)を根本的に変えるものではないと結論づけられる。

二木コメント-現時点でのP4Pの効果についての文献レビューの決定版と言える74頁の長大論文で、これによりP4Pには当初期待された効果がないことは確定したと言えます。P4P研究者の必読論文と思います。


5.私の好きな名言・警句の紹介(その148)-最近知った名言・警句

<研究と研究者の役割>

<その他>


参考:日本福祉大学2016年度学位授与式・学長式辞(2017年3月18日)

皆さん、卒業おめでとうございます。卒業生を物心両面で支えていただいたご父母や保護者の皆さまにも、お祝い申し上げます。また、年度末でお忙しい時期にもかかわらず、式典にご参列いただいたご来賓の皆さまに、心よりお礼を申し上げます。

本日、私が卒業生の皆さんにお話ししたいことは3つあります。

第1は、今年3月であの東日本大震災・福島第一原発事故から丸6年が経過したことです。それにもかかわらず、まだ12万3千人もの人びとが、愛知県の1006人を含め、全国47都道府県で不自由な避難生活を強いられているし、原発事故はいまだに「収束(終息)」の目途がたっていません。この未曾有の大災害以降も、昨年4月の熊本地震など、日本は毎年のように大きな災害に見舞われています。それに対して、本学は東日本大震災直後に「災害ボランティアセンター」を立ち上げ、学生と教職員が協力して、被災者支援を継続してきました。この春休みにも、宮城と熊本で支援活動を行っています。私たち教職員にとって一番嬉しかったことは、支援活動を通して学生の皆さんが人間的に大きく成長したことです。

それだけに皆さんには、大学卒業後も、被災者支援を、できる範囲で行っていただきたいと思います。その第一歩は、被災者を「忘れない」こと、および可能な限り、寄付を行うことだと思います。日本福祉大学は来年度から、既存の「災害ボランティアセンター」に加えて、被災地支援の研究や人材育成機能も持つ「日本福祉大学減災連携・支援機構」を設立し、将来起こる可能性が大きい南海トラフ巨大地震への備えと被災者支援活動を飛躍的に強めます。

第2に述べたいことは、皆さんが卒業される日本福祉大学が、日本でただ一つの、平仮名の「ふくしの総合大学」であることです。1953年度に中部社会事業短期大学、学生数わずか83人のごくごく小さい短期大学として産声をあげた本学は、64年の間に、4キャンパス・7学部、通学・通信課程をあわせて学生数1万人を超える大学に発展してきました。大半の皆さんが在学中だった2015年度には、名鉄太田川駅前に、第4の「東海キャンパス」を開設し、新たに看護学部を設置しました。さらに来年度は美浜キャンパスに「スポーツ科学部」を設置すると共に、社会福祉学部の大幅リニューアルを行います。

日本福祉大学は、これからも、すべての人々のしあわせ(Well-Being for All)、本学の教育標語で掲げた「万人の福祉のために、真実と慈愛と献身を」目指す、「ふくしの総合大学」として発展し続けることをお約束します。皆さんも、本学で学んだことに誇りを持ち、職場と地域で積極的な役割を果たされることを期待します。平仮名の「ふくし」について一言付け加えると、「ふくし」の基礎には「いのち(ライフ)」があり、その「いのち」を守るためには「平和」が不可欠であることです。

第3にお話したい、というよりお願いしたいことは、皆さんが大学を卒業した後も、継続して勉強し、可能な限り長い期間働くことです。ご承知のように、日本は世界トップクラスの長寿国で、男の平均寿命は81歳、女はなんと87歳に達しています。皆さんの大半は22歳だと思うので、平均すれば、男の卒業生はこれから後59年間、女の卒業生は65年間もの長い人生をすごすことになります。それどころか、昨年出版された『ライフシフト 100年時代の人生戦略』(東洋経済)という本によると、今後も平均寿命が延び続けた場合、現在20歳前後の人びとの50%は百歳を超えて生きると予測されています。

現在、企業の一般的な退職年齢・定年は60歳から65歳ですが、本年1月、日本老年学会と日本老年医学会は高齢者の定義を現在の65歳以上から、75歳以上に引き上げることを提唱しました。これは現時点では医学的定義ですが、今後10~20年以内に、高齢者の社会的定義も75歳以上になり、それに対応して企業の退職年齢は、少なくとも70歳、おそらく75歳になる可能性が大きいと思います。

その場合、皆さんはこれから50年前後も、働き続けることになります。若い皆さんにとって、これは気が遠くなるような長期間と思います。しかし、日本が今後確実に、人口減少・超少子超高齢社会に突入することを考えると、これから50年前後働き続けることは、皆さん自身の生活を維持するためにも、日本社会を維持するためにも、避けられないことです。そのためには、高齢者だけでなく、女性、障害者を含めたすべての人びとが働きやすい制度・環境を整える必要があります。「ふくしの総合大学」である本学はそのために積極的役割を果たすことをお約束します。

そして皆さんがこれから長期間働き続けるためには、日本福祉大学で学んだことを基礎にして、大学卒業後も、生涯、勉強・学習し続けることが必要です。本学は、そのための受け皿として、働きながら学べる通信教育部や各種の大学院、さらには生涯教育を支える「リカレント教育」を行っています。皆さんが、これからの長い人生と長い勤務年限を有意義にすごし、今持っている様々な夢や希望を着実に実現すると共に、社会にもしっかり貢献することを期待します。

最後に、私個人のことを述べます。私は皆さんの大半が入学した2013年度に学長に就任し、皆さんが卒業する今月末に学長を卒業・退任します。そして今年70歳になります。しかし、このまま引退するのではなく、今後も体力と気力と知力が続く限り、少なくとも85歳まであと15年間は、私の専門である医療政策や地域包括ケア、さらには福祉改革についての研究を続け、社会に貢献したいと思っています。卒業生の皆さん、共に頑張りましょう!そして改めて、卒業おめでとう!

2017年3月18日

日本福祉大学学長 二木 立

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