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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻94号)』(転載)

二木立

発行日2012年05月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。


目次


お知らせ

○丁炯先教授(延世大学保健行政学科)と私の下記論文が公開されました。要旨の日本語抄訳は本「ニューズレター」の3のトップに掲載しました。論文全文は、下記のURLからダウンロードできます。

Jeong H-S、Niki R: Divergence in the development of public health insurance in Japan and the Republic of Korea: A multi-payer versus a single-payer system. International Social Security Review 65:51-73,2012)

「日本と韓国の公的医療保険の展開の分岐:多保険制度vs単一保険制度」

URL:http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1468-246X.2012.01428.x/full

○論文「『あるべき医療』と『ある医療』との相克-東日本大震災と福島原発事故後の医療政策を考える」が『学術の動向』2012年4月号に掲載されました。これは、2011年6月25日に北海道大学で開催された日本学術会議公開シンポジウム「社会サービスのユニバーサル・デザイン-医療・介護・居住の新たな政策課題」での報告で、本「ニューズレター」84号(2011年7月配信)に掲載した講演録とほぼ同文です。。


1.論文:日本の「薬剤費比率」は今後も上昇し続けるか?

(「深層を読む・真相を解く(12)」『日本医事新報』2012年4月14日号(4590号):30-31頁)

日本では、小泉政権以降、厳しい医療費抑制政策が続けられましたが、医薬品費は増加し続けました。その結果、「薬剤費比率」(医科診療費に薬局調剤分を合算して求めた薬剤料の割合)は、2002年の26.1%から、2010年の33.0%へと8年間で6.9ポイントも上昇しました(厚労省『社会医療診療行為別調査』)。 最近は高額な抗癌剤等の保険収載が増えており、それが医療保険財政を圧迫し、将来的には新薬のすべてを保険給付できなくなるとの懸念もあります。それを理由にして、混合診療の全面解禁を主張する方もいます。
しかし、国際的にみると、OECD加盟国でも、アメリカでも、最近は、医薬品費の増加率は大幅に低下しています。本稿では、まずこの事実を紹介し、日本で今後も「薬剤費比率」が上昇し続けるか否かを考えます。

医薬品支出増加率は低下-OECD

私が医薬品費の増加率低下を最初に知ったのは『OECD医療政策白書』(小林大高・坂巻弘之訳、明石書店,2011(原著2010))を読んだときです。本書は、OECD加盟国の最近の「費用対効果を考慮した」医療改革とその結果を詳細に報告した良書です。

その第6章「医薬品の償還と価格政策」の冒頭で次のように書かれていました。「従来、医薬品支出[入院分は含まない-二木]は先進国では総保健医療支出より速いペースで増加してきた。現在、この傾向は逆転している。2003年から2008年において、実質医薬品支出はOECD加盟国で平均して年間3.1%増加したが、総保健医療支出は4.5%増加している」(186頁)。

同書より2年前に出版されたOECD『図表でみる世界の医薬品政策』(坂巻弘之訳、明石書店、2009(原著2008))では、「1997年から2005年の間の医薬品支出額の年間実質成長率は、平均5.3%で、同時期の総保健医療支出(医薬品支出を除く)の成長率に相当する」(29頁)とあることを踏まえると、医薬品支出の増加率低下は2005年前後から生じたと思われます。

"Health at a Glance 2011: OECD Indicators"によると、医薬品支出の増加率低下は2009年も続いています。同書では、フランス、ドイツ、イギリスで、医薬品支出を抑制するために、医薬品価格の引き下げや(強制的)リベートが実施されたことも紹介されています。

処方薬費増加率の急減-アメリカ

医薬品価格にさまざまな規制が実施されているヨーロッパ諸国や日本と異なり、アメリカでは、公的医療保障(メディケア、メディケイド等)分を含めて、医薬品価格は市場メカニズムで決められています。そのため、処方薬費(入院分を含まない)の増加率は1990年代から2003年まではほぼ毎年10%を超え、国民医療費の増加率を大幅に上回っていました。しかし、2004年から増加率は低下し始め、2010年にはわずか1.2%となり、国民医療費の増加率3.9%を2.7ポイントも下回りました(表)。2005~2010年の6年間のうち、処方薬費の増加率が国民医療費の増加率を下回った年は4回もあります。

最近の処方薬費増加率低下の理由は、医薬品消費量の伸び率の低下、ジェネリック薬使用の継続的増加、特定のブランド薬の特許期間の終了、新薬上市の減少、およびメディケイドによる処方薬の(強制)リベートの増加だそうです(Martin AB, et al: Growth in US health spending remained slow in 2010. Health Affairs 31(1):208-29,2012)。

以上から、日本の最近の「薬剤費比率」上昇は、国際的動向とは大きく乖離していることが分かります。

今後の「薬剤費比率」の波乱要因はTPP

次に、国際的な医薬品費増加率の低下傾向が今後も続くか否か、日本の「薬剤費比率」が今後も上昇し続けるか否かを考えます。ただし、私はこの分野の専門家ではないので、専門雑誌の記事を参照するとともに、専門雑誌編集者や医薬品政策の専門家から情報や意見をいただきました。

その結果、国際的な医薬品費増加率の低下傾向は今後も続くし、日本の「薬剤費比率」は「他の条件が同じなら」、今後低下に転じる可能性が大きいと判断しました。

まず、マクロ的または政治的に考えると、大半のOECD加盟国で今後も低成長が続き、それに伴い厳しい医療費抑制政策がとられることは確実ですが、その際、政治的理由から、医療サービス価格以上に、医薬品価格の抑制がめざされると思います。特に、医薬品の経済的評価が本格的に導入された場合には、医学的効果(延命やQOLの向上)がごく限定的である大半の高額抗癌剤等の公定価格は大幅に引き下げられると思います。

次にミクロ的または産業論的には、(1)大型ブランド薬の特許期間の終了による大幅な価格低下、(2)技術進歩による新薬の製造原価の低下、(3)新興製薬企業や新興国の製薬企業によるバイオシミラーを含めた安価な後発品販売-が本格化する可能性が大きいと考えます。

アメリカの高名な経営学者クリステンセンの名著『イノベーションのジレンマ[増補改訂版]』(伊豆原弓訳、翔泳社、2001)は、市場を支配していた優良巨大企業が「破壊的イノベーション」(製品の性能は引き下げるが、在来品よりはるかに低価格の製品の登場)」により市場支配力を失った事例を詳細に示しており、これと同様の変化が医薬品市場でも生じる可能性があると思います。

ただし、日本に関しては波乱要因が1つあります。それは、TPP参加です。この場合には、アメリカの政府と巨大製薬企業の強い圧力で、現在ですら不十分な医薬品価格規制の撤廃・緩和がなされる可能性があります。大型新薬に関しては、現在でもアメリカ企業を中心とした外資優位であり、しかも日米に大きな医薬品価格差があることを考えると、それにより新薬の価格はさらに引き上げられ、「薬剤費比率」がさらに上昇する危険があります。

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2.新著『TPPと医療の産業化』の「はしがき」と「章立て」

(勁草書房,2012年5日7日発行,2500円+税)

はしがき

国民と医療関係者の大きな期待を背負って2009年9月に発足した民主党政権は、その後2年半、迷走を続けています。医療政策については、衆院選マニフェストで高らかに掲げられた総医療費と医師数の大幅増加の数値目標が政権発足直後に棚上げされたのに加えて、菅直人・野田佳彦内閣の下で、小泉政権後の自公連立政権(安倍・福田・麻生内閣)では封印されていた医療への市場原理導入政策が部分的に復活しています。その象徴が、TPP(環太平洋戦略的連携協定)への参加方針であり、医療の(営利)産業化政策です。本書は、この2つを中心として、民主党政権の医療政策を批判的に、しかし複眼的に検討することを目的にしています。

序章は本題に入る前の助走で、私の考える「あるべき医療」(最適でユニバーサルな医療)と現実に「ある医療」の相克について説明した後、東日本大震災と福島第一原発事故後の医療政策のシナリオを予測します。

第1章では、2010年10月に菅首相が突然打ち出し、野田後継首相が推進しているTPP参加方針とそれが医療に与える影響、それと密接に関係する混合診療解禁について予測・検討します。第1節では、TPP参加反対の立場を明示した上で、TPP参加で国民皆保険が崩壊する等の「地獄のシナリオ」には疑問を呈し、医療の市場化・営利化要求はアメリカ単独ではなく日米大企業合作であると指摘します。第2節では、TPPに参加した場合のアメリカの日本医療への要求を、次の3段階に整理します。(1)医療機器・医薬品への価格規制の撤廃・緩和、(2)医療特区に限定した株式会社による医療機関経営と混合診療の原則解禁、(3)全国レベルでのそれらの原則解禁。その上で、(1)は実現する可能性が高いし、(2)の実現可能性も長期的には否定できないが、(3)の実現可能性はごく低いとの私の判断を述べます。第3節では、TPP参加が日本の公的医療保険制度、医薬品産業、患者・保険財政に与える影響を、韓米FTAと豪米FTAの妥結内容も参考にしつつ予測します。第4節では、私が上記(3)の可能性は低いと判断している理由を述べます。第5節では、混合診療原則禁止を適法とした最高裁判決の意義を述べた上で、今後日本がTPPに参加した場合、この判決がアメリカ政府の混合診療原則解禁要求への重要な防波堤になることを指摘します。

第2章では、菅内閣時代に強まった医療への市場原理導入論、医療の(営利)産業化論を歴史的・理論的に検討します。第1節では、民主党政権で医療への市場原理導入論が部分的に復活した4つの理由を述べます。第2節では、医療への市場原理導入論の30年を3段階に分けて検証した上で、それの複眼的評価を行い、「医療の企業化」には営利企業の医療への参入だけでなく、一部の医師や病院の営利的行動も含まれることを指摘します。第3節では、「医療産業」・「医療の産業化」という用語の来歴を検討し、経済学的には医療は「産業」であるが、「医療産業化」という新語には営利産業化という特殊な意味が付与されていることを指摘します。第4節では、日本の病院は「先進諸国の中で最も営利性が強い」との新説を手がかりにして、日本の民間病院の非営利性と活力について検討します。第5節では、2011年に入って経済産業省が始めた「病院輸出」が産業政策としては成功する条件がない理由を述べます。第6節では、民主党政権の「新成長戦略」・「ライフ・イノベーションによる健康大国戦略」を、自公政権時代の類似政策にまで遡って複眼的に検討し、公的保険外の医療サービスの経済成長効果はほとんどないこと、および医薬品・医療機器産業の振興・輸出産業化には私も期待したいが道は険しいことを指摘します。

第3章では菅内閣で検討が開始され、野田内閣に引き継がれた「社会保障と税の一体改革案」を複眼的に検討します。受診時定額負担・免責制が保険の原点であるとの吉川洋氏の主張が誤りであることも説明します。

第4章では、介護保険制度(改革)について概観するとともに、同制度成立前後から急増している「保健・医療・福祉複合体」の全体像と最新動向について説明します。複合体は、非営利組織による「医療の産業化」の現代的形態とも言えるからです。

第5章は歴史研究で、「いつでも、どこでも、だれでも」という標語の来歴を探るとともに、吉村仁保険局長の有名な「医療費亡国論」が幻であるとする新説の問題点を検討します。TPPや医療の産業化とは直接関係しませんが、「いつでも、どこでも、だれでも」よい医療を受けられるという国民皆保険制度の理念は、今後、日本がTPPに参加し、医療の営利産業化が進められたなら空洞化する危険があると考え、収録します。

本書は、内容的には、2011年2月に出版した『民主党政権の医療政策』(勁草書房)の「続編」とも言えます。同書と本書を併せてお読みいただければ、2009年の政権交代前後から3年間の日本の医療政策の全体像と今後の見通しを、歴史的かつ国際的視点から理解できると自負しています。

最近は、混迷する民主党政権への不満・批判の枠を超えて、日本の政治・統治機構全体への不信・不満、および東日本大震災・福島第一原発事故のあまりに大きな衝撃のため、現在の政治・経済・社会の仕組みを一気にリセットする「抜本改革」やそれを強権的に実行する英雄待望論的な風潮が強まっています。しかし、国民全体が利害関係者である医療ではそれは不可能であり、今後も日本の医療制度の根幹(国民皆保険制度と民間非営利医療機関主体の医療提供制度)を維持しつつ、地道に「部分改革」を積み重ねるしか道はありません。しかも、長期的に見れば、医療(と介護)は「永遠の安定成長産業」です。これが本書で私がもっとも訴えたいことです。

章立て

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3.講演録:今後の医療改革と医療費の財源選択-医療経済・政策学の視点から

(2012年4月21日第28回日本臨床皮膚科医会総会・臨床学術大会特別講演5。『日本臨床皮膚科医会雑誌』に掲載予定)

はじめに-医療経済・政策学研究についての3つの心構え

本題に入る前に、医療経済・政策学研究についての私の3つの心構え・スタンスを紹介します(1)。第1は医療改革の志を保ちつつ、リアリズムとヒューマニズムとの複眼的視点から研究することです。第2は事実認識と「客観的」将来予測と自己の価値判断の3つを峻別するとともに、それぞれの根拠を示して、「反証可能性」を保つこと、およびこの視点から医療・介護政策の光と影を「複眼的」にみることです。なお、「客観的」将来予測とは、私の価値判断は棚上げし、現在の政治・経済・社会的条件が継続すると仮定した場合、今後生じる可能性・確率がもっとも高いと私が判断していることです。第3はフェアプレー精神で、私の主張の根拠となる文献・情報はすべて示すとともに、私の以前の主張や予測に誤りがあることが分かった場合はそれを潔く認めることです。

本稿では、このスタンスに基づいて、以下の4つの論点について包括的に検討します。(1)「社会保障・税一体改革」、(2)TPPと医療、(3)東日本大震災・福島原発事故後の医療・社会保障改革、(4)公的医療費増加の財源選択。(1)~(3)は私の事実認識と「客観的」将来予測、(3)は主として私の価値判断です。なお、(1)~(3)は新拙著『TPPと医療の産業化』(2)で、(4)は拙著『医療改革と財源選択』(3)で詳しく論じていますので、ご参照下さい。

1.「社会保障・税一体改革」を複眼的に評価する

まず、野田内閣が本年2月17日に閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」を複眼的に評価します。その場合、これの原点とも言える「社会保障・税一体改革案」(昨年6月2日に政府の社会保障改革に関する集中検討会議がとりまとめ)にまでさかのぼって検討します。私は、次の5点が重要だと判断しています(2:第3章第1・2節)。

第1は、これは福田・麻生内閣時代の「社会保障国民会議最終報告」(2008年11月。以下、「国民会議報告」)の復活・復権であることです。医療関係者の多くは自公政権の医療政策というと小泉内閣時代の厳しい医療費抑制政策を連想されると思います。しかし、同じ自公政権でも、福田・麻生内閣時代にはそれの見直しが行われ、「国民会議報告」では、公式に「社会保障の機能強化」が提唱されました。これは自公政権の枠内での大きな政策転換と言えます。民主党政権は、発足当初は「国民会議報告」を全否定して、別の改革を模索しましたが、結局挫折し、「社会保障・税一体改革」では、「国民会議報告」が提唱した「社会保障の機能強化」が復活しました。両文書は次の2点でも共通しています。(1)今後改革を行うことにより、社会保障費総額、医療・介護費とも、改革を行わなかった場合より増加することを明示している。(2)混合診療の原則解禁等の医療分野への市場原理導入(新自由主義的医療改革案)を含んでいない。小泉内閣時代には、医療・社会保障改革が即、医療・社会保障費の抑制を意味していたこと、しかも医療分野への市場原理導入が執拗に試みられたことを考えると、これは肯定的な政策転換と言えます。

2番目に強調したいことは、消費税引き上げと「社会保険の枠組みの強化」の意味を正確に理解することです。一般には、「社会保障・税一体改革」は、今後の社会保障費の増加分をすべて消費税で賄うかのように報じられていますが、それは誤りです。「国民会議報告」が消費税の引き上げに踏み込まなかったのと異なり、「社会保障・税一致改革」は、消費税を2014年4月から8%に、2015年10月から10%に引き上げることを明記しました。しかし、医療保障については今後も主財源は社会保険料とされ、消費税はあくまで公費負担増を賄う財源とされています。「負担と給付の関係が明確な社会保険(=共助・連帯)の枠組みの強化による機能強化を基本とする」、「社会保障給付に要する公費負担の費用は、消費税収(国・地方)を財源として確保する」。

3番目に強調したいことは、「社会保障・税一体改革」中の「医療サービス提供体制の制度改革」案には新味はほとんどないが、 昨年6月に「社会保障改革案」の「参考資料」として発表された「医療・介護に係る長期推計」は、厚生労働省が2025年度までに実現を目指している病院再編の方向を知るための必読文献であることです。

注目すべきは、以下の4点です。(1)「高度急性期」以外の一般医療は「地域に密着した病床での対応」とし、「地域一般病床を創設」することを明記した。(2)亜急性期・回復期リハ等の大幅増加、単価増加、平均在院日数短縮を明示した。(1)長期療養については、医療区分1の患者は介護保険、2・3の患者は医療保険で扱うことを明記した。(4)新たに精神病床の削減も明記した。ただし、これらは正式に決定されたわけではなく、厚生労働省も「イメージ」と表現しています。そのため、この「長期推計」に示されている個々の数字を既定の事実のように扱うことは厳に慎まなければなりません。

4番目に強調したいことは、「社会保障・税一体改革」で、上述した「医療サービス提供体制の制度改革」と並んで、「医療・介護等」改革の柱とされている「地域包括ケアシステム」は単なる介護改革ではなく、医療提供制度改革も含むことです。医療関係者には、このことを見落としている方が少なくないので、特に強調します。「地位包括ケアシステム」の目的は、「医療、介護、予防、住まい、生活支援サービスを切れ目なく提供する」こととされ、プライマリケア(診療所、中小病院)も重要な構成要素とされています。ただし、高機能の急性期病院は含まれません。これにより医療機関の「複合体」化(保健・福祉分野への進出)がさらに促進されるのは確実です。逆に、直接保健・福祉分野への進出を予定していない地域密着型の医療機関は、今後は、地域の保健・福祉施設との連携・ネットワーク形成を進める必要があります。

最後に、「社会保障・税一体改革」の第一歩として実施された2012年診療報酬・介護報酬同時改定の2つの特徴を指摘します。1つは、従来の診療報酬改定と異なり、「社会保障・税一体改革案」で示された2025年の医療提供体制の「イメージ」実現に向けた長期的視点を持っていることです。これにより、医療機関も長期的視点を持って医療・経営計画を立てられるようになりました。もう1つは、2年前の民主党政権成立直後に行われた2010年診療報酬改定が、「政治主導」で粗雑だったのと異なり、今回は、「政治主導」は影を潜め、中医協や医系技官が十分に役割を果たせたため、限られた診療報酬増加(約5500億円)の制約下で、各医療団体・医学会の要望がかなり採用され、きめ細かい改定となっていることです。もちろん個々の項目・点数設定にはさまざまな問題がありますから、各医療団体・医学会は遠慮せず、率直に意見・要望を表明すべきと思います。例えば、私は元リハビリテーション医として、介護保険の要介護者に対する医療機関の外来での維持的リハビリテーションの提供が、たとえ「原則として」であれ、2年後に廃止されることになったことに強い疑問を持っており、別に詳しく論じる予定です。

2.日本がTPPに参加した場合の医療への影響を複眼的に考える

次に、菅内閣時代に急浮上し、野田内閣が加速させているTPP(環太平洋経済連携協定)への参加問題を考えます。ただし紙数の制約ため、TPP自体の問題点には触れず、仮に日本がTPPに参加した場合の医療への影響のみを検討します(1:第1章)。

その前に強調したいことは、民主党は、小泉内閣の新自由主義的改革がもたらした格差社会や医療荒廃を批判し、「国民の生活が第一」を掲げて政権を奪取したにもかかわらず、菅・野田内閣では医療への市場原理導入論が部分的に復活しており、TPP参加の動きはその一環であることです(2:第2章第1節)

日本のTPP参加はまだ決まったわけではなく、私自身はそれが見送られる、さらにはTPPの発足自体が先送りされる可能性さえあると思っています。しかし、以下では、仮に日本がTPPに参加した場合、アメリカが日本医療に何を要求してくるかについて思考実験を行います。なお、TPPは多国間協定ですが、参加予定国のGDPの約9割を日本とアメリカが占めるため、日米2国間協定の側面が強く、しかもオバマ大統領はTPPをアメリカの輸出を倍増し、国内雇用を拡大する手段と位置づけているため、日本がTPPに参加した場合、医療分野に限らず、アメリカの圧力が一気に強まることは確実です。

日本のTPP参加に反対している医療関係者・団体の中には、日本がTPPに参加した場合、アメリカが即混合診療や株式会社の病院経営の全面解禁を求め、しかもそれが実現して国民皆保険が崩壊すると警鐘乱打されている方が少なくありません。

しかし、アメリカはそれほど単純ではなく、次の3段階で徐々に要求をエスカレートしてくる可能性が高いと私は予測しています。第1段階の要求は医療機器・医薬品価格規制の撤廃・緩和で、これは米国通商代表部が毎年発表する「外国貿易障壁報告書」の定番でもあります。具体的には、医療機器については外国平均価格調整ルールの廃止または改正を、医薬品に関しては新薬創出加算の恒久化と加算率の上限撤廃、市場拡大再算定ルールの廃止または改正等です。公定薬価制度自体の廃止も要求してくるかもしれません。

第2段階の要求は、医療特区(総合特区)に限定した混合診療と株式会社による病院経営の解禁です。アメリカは建前としては、以前から「外国貿易障壁白書」で日本全国でこれらを解禁することを要求しています。しかし本音では、そのためには日本の医療関連法規全体の改正が必要なため、短期的には実現しないことを理解しており、とりあえずは医療特区に限定した「妥協」を図ると思います。

ただし、日本政府がこの第2段階の要求を受け入れても、それによる市場拡大はごく限られます。この場合、TPPに盛り込まれる可能性が強い「投資家と国家間の紛争解決手続き」(ISD条項)に基づき、アメリカ企業が日本政府に損害賠償請求訴訟を起こす可能性があります。この裁判で企業が勝利した場合、アメリカ政府はそれをテコにして、第3段階の要求として、全国レベルでの混合診療と株式会社による病院経営解禁の原則解禁を求めてくるでしょう。

ただし、これらはあくまでアメリカの要求であり、それらがそのまま実現するわけではありません。どの程度実現するかは医療への市場原理導入に反対する国会内外の運動が今後どの程度盛り上がり、しかも持続するかにかかっています。このことを前提にした上で、私は第1段階の要求は実現する可能性が高いと判断しています。その場合は、最新の医療機器や新薬の価格が急騰し、患者負担増加と保険財政悪化が生じることは確実です。さらにそれは医療サービス価格(診療報酬)の強い引き下げ圧力ともなります。なぜなら、「診療報酬改定率=全体改定率-薬価引き下げ率(診療報酬換算)」という関係にあり、政府が決定する全体改定率が一定の場合、新薬の価格高騰による薬価引き下げ率の低下は、自動的に診療報酬改定率の圧縮・引き下げとなるからです。

私は、第2段階の要求の実現可能性も長期的には否定できないが、第3段階の要求の実現可能性はごく低いと判断しています。その理由の1つは、昨年10月の混合診療裁判に係る最高裁判決で、現行の混合診療原則禁止原則と保険外併用療養費制度による混合診療部分解禁が適法と判断されたためです(詳しくは文献(2:第1章第4・5節)参照)。もし第3段階の要求が実現した場合にも、全員参加という意味での国民皆保険制度は維持されると思いますが、医療保険給付は大幅に劣化し、「いつでも、どこでも、だれでも」良い医療を受けられるという国民皆保険制度の理念は変質してしまいます。

3.東日本大震災・福島原発事故後の医療・社会保障改革を冷静に考える

ここで視点を変えて、1年前の3・11東日本大震災と福島第一原発事故(以下、大震災)が今後の医療・社会保障に与える影響を考えます(1:序章第2・4節)。大震災直後、ほとんどの国民はそのあまりの惨状に大きな衝撃を受け、これまでの日本の社会・経済・政治システムが激変すると感じたと思います。気の早い研究者は、大震災により「戦後」が終わり、「災後」の時代が始まったと主張しました(御厨貴東大教授)。これを契機に日本の医療制度の「抜本改革」が必要・可能と主張された医療関係者もいました。

私自身も大震災には大きな衝撃を受け、それから1か月後の昨年4月に「東日本大震災で医療・社会保障はどう変わるか?」を包括的に検討しました。その際は、大震災の中長期的影響を、経済的側面(経済復興の有無と程度)と政治的・社会的側面(国民の連帯意識の持続の有無)の両面から検討し、次の3つの「シナリオ」を示しました。(1)「バラ色シナリオ」(経済復興が速やかに生じ、国民の連帯意識が長期間持続した場合)、(2)「地獄のシナリオ」(経済が衰退し、連帯意識が短期間に消失した場合)、(3)「中間シナリオ」。その上で私は「中間シナリオ」が実現する可能性が高いと予測しました。

大震災後、早くも1年が経過しましたが、良い意味でも、悪い意味でも、「抜本改革」(上記(1)と(2))は起こりませんでした。上述した「社会保障・税一体改革案」は(3)「中間シナリオ」そのものです。私は、以前から、日本医療制度の抜本改革は不可能であり、必要・可能なのは日本の医療制度の2つの根幹(国民皆保険制度と民間非営利医療機関主体の医療提供制度)を維持しつつ、「部分改革」を積み重ねることであると主張してきました。大震災後の現実によりこのことが再確認されたと思います。

なお、アメリカのソルニットは、20世紀初頭から100年間の間に世界中で起こった12の大災害について詳しく検証し、災害の直後には「無数の利他的な行為」が見られ、「特別の共同体」=「災害ユートピア」が立ち上がることを示しています(4)。この本を読むと、大震災後に世界から賞賛された東北地方の被災者の沈着な行動は日本に固有のものではなく、普遍的であることが分かります。ただし、多くの場合それは長くは続かないことから、著者はそれを「束の間の(一時的)ユートピア」とも呼んでいます。大震災後の医療・社会保障を考える場合にも、このような冷静な認識が必要と思います。

4.公的医療費増加の財源選択と私の判断

最後に、公的医療費増加の財源選択と私の判断について簡単に述べます(3)。

まず、公的医療費増加の財源選択には次の3つの立場があります。第1は消費税の引き上げで、これは野田内閣だけでなく、すべての全国紙が主張しています。しかし、現在の制度を前提にする限り、消費税を5%程度引き上げただけでは、医療費にはほとんど充当されません。第2は、歳出の無駄削減と「埋蔵金」の活用です。民主党は2009年の総選挙マニフェストでは、国民負担を増やさなくても、これにより毎年16.8兆円も捻出できると主張していました。しかし、民主党政権の2年半で、これにより多額の財源を確保することは不可能なことが明らかになりました。第3の選択肢は、社会保険料の引き上げを主財源とすることです。これは、国会に議席を持っている全政党が掲げている「国民皆保険制度の維持」とも整合的です。残念ながら、これに対する国民の支持はまだ多くないのですが、私の知る限りすべての医療経済・政策の研究者がこれを支持しています。

私自身もこれを支持し、公的医療費増加の主財源は社会保険料の引き上げであり、補助的にたばこ税、所得税・企業課税、消費税も引き上げるべきと考えています。私は消費税の否定論者ではありませんが、消費税は所得税・企業課税と異なり逆進性が強いことを考慮すると、「社会保障・税一体改革」のように、医療・社会保障費増加の公費負担分をすべて消費税で賄うことには反対です。所得税の引き上げのうち、富裕層に対する課税強化は、アメリカのオバマ大統領も、4~5月のフランス大統領選挙で最有力とされている社会党のオランド候補等も主張しており、格差社会を是正するためにも不可欠です。

なお、社会保険料の引き上げは組合管掌健康保険、「協会けんぽ」等の被用者保険に限定し、それが困難な国民健康保険と後期高齢者医療制度には国庫負担を増額する必要があります。日本企業の医療保険料負担がアメリカを含めた他の主要先進国よりかなり低い現実を考えると、組合管掌健康保険については、企業の保険料負担を引き上げるべきと考えます。保険料の逆進性を是正するため、保険料の上限は、被用者保険だけでなく、国民健康保険でも引き上げるか撤廃すべきです。さらに、現在の各保険間に存在する大きな保険料・財政力格差を縮小するため、全保険間に何らかの形の財政調整を導入することが不可欠です。実は、民主党も2009年総選挙マニフェストで、次のように全保険間の財政調整を主張していました。「わが国の医療保険制度は国民健康保険、被用者保険(組合健保、協会けんぽ)など、それぞれの制度間ならびに制度内に負担の不公平があり、これを是正します」。これは現行制度の枠内での部分改革として大きな意味を持っており、私もそれに大いに期待していたのですが、民主党政権成立後、すぐに棚上げされてしまいました。

おわりに-医療(と介護)は「永遠の安定成長産業」

最後に、視点を変えて、長期間の不況に苦しむ他産業(私が所属する「教育産業」を含む)と比較すれば、医療(と介護)は「永遠の安定成長産業」であることを指摘します。その理由は2つあります。1つは医療費は今後もGDPの伸びを上回って増加することが公的に「保証されている」こと、もう1つは医療機関の収入の大半は公的費用で「守られている」ことです。ただし、国民・患者の理解を得て公的医療費を拡大するためには、医療者の自己改革が不可欠だと私は考えています。これについての具体的改革案は文献(5)で提案しているので、お読み下さい。

文献

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4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(通算77回.2012年分その2:7論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足

○日本と韓国の公的医療保険の展開の分岐:多保険制度vs単一保険制度
(Jeong H-S(丁炯先)、Niki R(二木立): Divergence in the development of public health insurance in Japan and the Republic of Korea: A multi-payer versus a single-payer system. International Social Security Review 65:51-73,2012)[比較研究]
URL:http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1468-246X.2012.01428.x/full

日本と韓国はそれぞれ1961年、1989年に普遍的医療保険制度(国民皆保険制度)を達成した。日本は現在も多保険者(約3600)から構成される社会保険制度を維持しているが、韓国は1998~2003年に、日本と同様の社会保険制度から、統合された単一保険者の国民医療保険制度に移行した。本論文では、ビスマルク型医療保険制度を有する2か国で生じた政策上の分岐をもたらした政治経済的要因を分析する。具体的には、両国における、政治権力、財界の政策的影響力、地方分権の進展と地域特性の保持の程度、政治的民主化のレベル、政治的リーダーシップの形態、医療保険制度展開の程度の違いを分析する。最後に、両国の経験から引き出される政策的教訓を示す。

二木コメント-私は、丁炯先教授(延世大学保健行政学科)とは2003年度以来、共同研究を行っています。昨2011年11月に日本福祉大学で開催した、日本福祉大学・延世大学「第6回日韓定期シンポジウム」の開催の挨拶で、私は次のように述べました。「歴史的・国際的には、日本と韓国の医療・介護・家族政策は先進国の中でもっとも類似していますが、近年はその違いも大きくなっています。全体的に言えば、日本では『部分改革』(または改革の停滞)が目立つのに対して、韓国では大胆な改革がスピーディーに(日本的基準ではやや拙速に)行われる傾向があります。それだけに両国の研究者・政策担当者が相手国の政策(研究)から学べることは多いと思います」。このことは、医療保険についてもっとも当てはまると思います。

○ゲノム科学は費用曲線を曲げる[医療費増加率を抑制する]ことができるか?
(Armstrong K: Can Genomics bend the cost curve? JAMA 307(10):1031-1032,2012)[評論]

アメリカでは医療費増加率の抑制(以下、医療費抑制)のために、費用便益分析、マネジドケア等が行われたがすべて失敗し、新しい方法が求められている。ゲノム科学は、最近、がん治療を中心とした臨床医学に大きな影響を与えるようになっており、それは医療費抑制にも有効かもしれない。ゲノム科学が医療費に与える影響については、相反する2つの見方がある。1つは、ゲノム科学は新しい技術であり、新しい技術が医療費を増加させることはすでに確認されているとの見方である。しかし、ゲノム科学は他の多くの医療技術とは異なっているとの見方もある。なぜなら、それは治療効果のない患者等を事前に同定することもできるため、高額な医療技術の使用を減らし、その結果医療費を抑制できるからである。

ただし、後者の可能性が現実化するためには、以下の4つの条件が満たされる必要がある。(1)効果的な臨床的意思決定法の開発、(2)ゲノム情報を効果的に用いられる情報システムの整備、(3)専門職と患者団体によるゲノム情報の効果的マネジメントのガイドラインの作成、(4)ゲノム検査費用が、当該疾患の治療費用を下回る。ゲノム検査費用は急速に低下しつつあるが、まだ価格の変動が大きく、その理由の1つは特許権保護のために市場競争がないためである。今後適切な政策決定がなされれば、ゲノム科学は医療の価値(費用対効果)を高める可能性を持っている。

二木コメント-従来の医療技術革新と異なり、ゲノム科学およびそれを用いた個別化(オーダーメイド)医療は、一定の条件が満たされた場合には、治療効果を高めつつ医療費を抑制する可能性を持っていることを指摘した貴重な評論です。なお、医薬と診断薬のコラボレーションにより個別化医療の先陣を切っているロシェ社の事業開発を統括するJ・S・マクラッケン氏も、個別化医療の目的は総医療費の削減と明言しているそうです(『国際医薬品情報』2011年11月14日号:3,8頁。岩垂廣編集長より情報提供)。

○長期ケアと終末期ケアとの交差[についてのアメリカの研究の体系的文献レビュー]
(Huskamp H, et al: The intersection of long-term care and end-of-life care. Medical Care Research and Review 69(1):3-44,2012)[文献レビュー]

良質の終末期ケアは良質の長期ケアの重要な構成要素だが、長期ケアを受けている多くの高齢者は、終末期に良質のケアを受けていない。そこで、PubMedを用いて、1980~2010年の30年間に学術雑誌に発表された論文で、アメリカでのフォーマルな長期ケアと終末期ケアの関係を検討していた66論文を抽出し、それに3つの政府報告書を加えた69論文を対象にして体系的文献レビューを行った。その結果、長期ケアにおける良質な終末期ケアの障壁は、次の3つに分類された。(1)長期ケア提供システムに内在する障壁(リハビリテーションとADL改善の強調、緩和ケアについての職員教育の欠如、職員の退職率の高さ、長期ケア・終末期ケア間および内での不適切なコミュニケーション等)。(2)メディケアとメディケイドの長期ケア・終末期ケアの給付と償還面での障壁(縦割り給付等)。(3)長期ケア提供者に対する現在の規制手法から生じる障壁(福祉的サービスの給付制限)。ただし、研究の大半は観察研究にとどまっていた。

二木コメント-長期ケアや終末期ケアについての文献レビューは少なくありませんが、両者の交点に着目した文献レビューは始めてだと思います。特にアメリカの長期ケア、終末期ケアの研究者必読と思います。

○[アメリカでの]医療サービスの地域間変動と過剰利用の関係-体系的文献レビュー
(Keyhani S, et al: The relationship between geographic variations and overuse of healthcare services. Medical Care 50(3):257-261,2012)[量的研究]

医療サービスの過剰利用と医療の地域間変動との関係を検討するため、PubMedを用いて1978~2009年に発表されたこのテーマに関連しそうな論文114,830を抽出し、最終的に、医療の地域間変動と医療の適切性(過剰利用、過少利用、両方)の関係を定量的に検討していた5論文の文献レビューを行った。それらはすべてメディケア加入者を対象にしていた。各論文の概要は以下の通りである。(1)2008年発表の、急性心筋梗塞に対する冠動脈造影の適切性を、高医療費地域と低医療費地域で比較した研究では、不適切な検査の割合は類似していた

(2)2000年発表の全国データを用いた研究は、冠動脈造影の過剰利用ではこれの実施率の地域間変動をほとんど説明できないと結論づけた。(3)別の研究では、冠動脈造影、内視鏡検査、冠動脈内膜剥離術のうち不適切な割合は、各検査・手術の実施率が高い地域と低い地域間で変わらなかった。(4)カリフォルニア州の23小地域に限定して(3)のデータを再分析しても結果は同じだった。(5)2008年発表の、ステージ1のがん患者への不適切な化学療法の割合は、低医療費地域の方が高医療費地域より有意に低かった。以上の結果は、検査・手術の不適切な利用が医療利用の強弱、医療費の高低の地域間変動の主因であるとの仮説を支持しない。

二木コメント-医療費・医療利用の地域間変動(地域格差)の主因は医療サービスの過剰利用であるとの俗説は、現在までに得られたエビデンスでは支持されないとの結果は貴重と思います。

○医療のプロセス改善が患者のアウトカムに与える影響-イギリスの質・アウトカム枠組み[を用いた医療の質に応じた支払いプログラム]から得られたエビデンス
(Ryan AM, et al: The effect of improving process of care on patient outcomes - Evidence from the United Kingdom's quality and outcomes framework. Medical Care 50(3):191-199,2012)[量的研究]

医療の質に応じた支払いプログラム(P4P)では、医療のプロセス指標が広範に用いられているが、プロセスの改善が患者のアウトカムに与える影響についてはほとんど知られていない。そこで、イギリスNHSの医療の質・アウトカム枠組みを用いた医療の質に応じた支払いプログラムから得られた7228人の一般医(GP。家庭医)のデータを用いて、後方視的縦断分析を行った。5種類の慢性疾患(糖尿病、冠動脈疾患、脳卒中、てんかん、高血圧)を対象にして、プロセス指標の改善の結果生じたと判断できる「合成アウトカム」指標の改善目標の達成割合を推定した。この割合は、糖尿病で29.6%、冠動脈疾患で25.6%、脳卒中で34.7%、てんかんで29.1%、高血圧で17.7%であった。プロセスとアウトカムの関係は患者間、および診療形態間でほとんど変わらなかった。

二木コメント-一般医の診療プロセスの改善が患者アウトカムを改善することを実証した貴重な研究と言いたいところですが、アウトカム指標はてんかん(過去1年間発作なし)を除いた4疾患では、すべて検査値(HbA1c、血圧、コレステロール値)という「中間的アウトカム」の改善であり、厳密な意味での「(最終・患者)アウトカム」(死亡率の低下、QOLの改善等)ではありません。

○イギリスにおける病院安全問題についての注目度が高い調査は患者の病院変更を促進しなかった
(Laverty AA, et al: High-profile investigations into hospital problems in England did not prompt patients to switch providers. Health Affairs 31(3):593-601,2012)[事例研究]

医療の安全と質に対する国際的関心の高まりを背景にして、医療規制機関による有害事象の調査が加速している。イギリス(イングランド)は「医療の質委員会」という強力な医療規制機関を有しており、それは個別病院の医療の質の重要な欠陥について、注目度の高い調査を実施・公表している。この調査結果はメディアの関心を呼ぶが、それが患者の病院選択行動にどのような影響を与えるかについては知られていない。そこで、2006~2009年に上記委員会の調査対象になった3病院を対象にして、調査結果公表後の非救急医療の入院数の変化を追跡調査した。その結果、2病院ではまったく変化がなかった。1病院では、調査結果公表直後は、入院患者数、日帰り手術数等が有意に減少したが、調査結果公表の6か月後には元に戻っていた。この結果は、医療規制機関が、特定の病院を批判する調査結果を公表しても、患者はその病院を一時的に避けるだけであることを示している。情報公開には患者の選択を変えさせる力があるという単純な仮定は非現実的である。

二木コメント-私は、個人的にも医療政策面でも、徹底した情報公開主義者ですが、情報公開だけで医療が変わると期待するのは幻想だと思います。

○競争はイギリス医療のアウトカム[医療の質]を向上させられるか?過去20年の[経験から得られる]教訓
(Gaynor M, et al: Can competition improve outcomes in UK health care? Lessons from the past two decades. Journal of Health Services Research & Policy 17(Suppl 1):49-54,2012)[文献レビュー]

イギリスでは、過去20年間、保守党政権も労働党政権も、NHSに競争的改革を導入することにより、医療の生産性を改善しようとしてきた。改革の第一波は1991~1997年に生じた(サッチャー保守党政権)。第二波は、イングランドに2000年代初頭に生じた(ブレア・ブラウン労働党政権)。2010年に成立した保守党・自由民主党連立政権も、競争の適用範囲をさらに拡大する改革を発表した。しかし、競争が医療の生産性、特に医療の質に与える影響については論争が続いている。本論文では、この点についてのアメリカとイギリスの文献レビューを行い、頑健で最新のエビデンスを示す。医療サービス価格が固定され、しかもその価格が限界費用を上回っている条件の下では、競争は医療の質を引き上げること、その場合には競争が適切に行われるための制度設計が重要であることについては、大方の合意が得られている。ただし、アメリカの理論・実証研究によると、市場競争により価格も決定される場合には、競争が医療の質に与える影響は不確定であり、質は過度に低下することも、過度に高くなることもありうるとされている。

二木コメント-競争が医療の質に与える影響についてはアメリカで膨大な研究が行われていますが、イギリスのNHSで過去20年間に実施された、医療サービス価格を固定した上での競争促進政策の影響についての文献レビューは本論文が最初と思います。本論文が掲載されたJournal of Health Services Research & Policy誌17巻増刊1号は、イギリス保健省委託研究「医療改革の評価プログラム2006-2012」の中間報告の特集号で、本論文を含めて9論文が掲載されており、イギリスの医療政策研究者必読と思います。

なお、International Journal of Health Services誌(左派の国際医療雑誌)の2012年、42巻1号(137-155頁)には、キャメロン政権のNHS改革案を痛烈に(ややイデオロギー的に?)批判した論文が掲載されています(Lister J: In defiance of the evidence: Conservatives threaten to "reform" away England's National Health Services)。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その89)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<その他>

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