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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻78号)』(転載)

二木立

発行日2011年01月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


1.論文:国民皆保険解体論の系譜とその顛末

(「二木教授の医療時評(その84)」『文化連情報』2011年月1月号(394号):14-18頁)

はじめに-国民皆保険解体論の11年ぶりの復活

少し古い話しで恐縮ですが、昨年6月に「国民皆保険との決別」を正面から主張した本が出版されました。それは、長坂健二郎氏(元萬有製薬社長)の『日本の医療制度』(1)です。長坂氏は、健康の自己責任論および医療への市場原理導入論の立場から、「国民皆保険の建前を改め、本当に困った人にだけ救いの手を差し伸べ」、「それ以外の人は民間保険等で自らを守」る「セーフティネット型」に移行することを提唱しました。長坂氏は、この改革を3段階・7年間で実施するための青写真も示しました。実は、長坂氏が国民皆保険解体を主張するのは今回が初めてではなく、後述するように1999年(同書出版の11年前)にも同様の主張をしていました。

私自身は長坂氏の主張は荒唐無稽で実現可能性はまったくないと判断しています。しかし、今後、財政危機がさらに悪化し、(民主党)政権が公的医療費の財源を確保できなくなった場合には、このような国民皆保険解体論が勢いを増すと心配する方もおられるようです。そこで、本稿では、日本における国民皆保険解体論の系譜とその顛末を簡単にふり返ってみることにしました。

国民皆保険解体論の元祖は八代尚宏氏

国民皆保険解体論の元祖は、小泉政権時代に規制改革(規制緩和)の旗手として活躍した八代尚宏氏(現・国際基督教大学教授)です。八代氏は、経済企画庁に勤務していた1980年に出版した『現代日本の病理解明』(2)で、「医療も他の財・サービスと同じく、原則的には市場で取り引きされるサービスである…。低所得層に対する医療扶助と長期間の入院を必要とするような重病の場合を除いて、公的な医療保障を必要とする積極的な根拠は必ずしも明確ではない。また、何らかの形での医療保険が必要であるとしても、それが公的な社会保険である必然性はない」と主張し、「医療保険改革の方向」として、アメリカ型の民間HMO(マネジドケアの一形態)の導入を提案しました。

八代氏が国民皆保険解体論を正面から主張したのはこの時1回だけですが、氏は1999年にも、わが国の医療・社会保障改革は「市場原理の米国方式を原則に、それを改良していかないと無理」と主張しました(「朝日新聞」12月11日朝刊「対論」)。同氏は、2000年には「欧州は決してまねしてはいけない反面教師だと思う。(中略)米国流の市場主義には所得格差の拡大などの負の側面もあるが、もともと所得格差は小さく、労働の質に余り差のない日本にこそ、米国型の経済システムが向いていると思う」とも発言していました(「日本経済新聞」5月4日朝刊)。ただし、八代氏のこのような主張は、小泉政権成立前は、現実の医療政策にほとんど影響を与えませんでした

1999年に国民皆保険解体論が群発

国民皆保険解体論は1999年に突然群発しました。その第1弾は、『日経メディカル』1999年1月号に掲載された「患者主体の医療改革-21世紀の医療への提言」でした(3)。この提言は、「改革の原則」に「競争原理を導入し、『公』と『民』の役割と範囲を見直して負担の構造を変える」ことを掲げました。そして、7つの改革の柱の最後の「負担の構造を変える」で、「国民皆保険の理念は当面は維持されるべきだが、…将来的には負担構造を再検討する必要が生じてくる」として、国民皆保険制度を解体して市場原理に基づく民間医療保険の「マネージド・コンペティション」を導入し、国の役割は税による「無保険者の救済」と「保険会社に拒否を許さないルールを作ること」の2つに限定することを提案しました。

この「提言」は同誌が組織した「21世紀の医療システムを考える研究会」が中心になってまとめたもので、そのレギュラーメンバーは、上述した長坂健二郎氏(当時・萬有製薬社長)と亀田俊忠氏、信友浩一氏、辻本好子氏、天本宏氏の5人でした。この提言は「患者主体」を標榜していましたが、そこで念頭に置かれていたのは「負担能力の十分にある高所得患者」と言えます。

国民皆保険解体論の第2弾は、この「提言」発表の翌月(1999年2月)に、小渕首相の諮問機関である経済戦略会議がまとめた「日本経済再生への戦略-経済戦略会議答申」でした。この答申は、公的部門を抜本的に改革し、市場原理を最大限有効利用できるシステムの構築を提言しました。医療に関しても、「市場原理の導入等を通じて医療コストの抑制を実現」するための諸改革を提案し、それの1つに「医療の効率化・コスト削減、質の向上、予防医療の充実等を目的とした専門機関として『日本版マネージド・ケア』を導入する」ことが含まれました。

「答申」には「日本版マネージド・ケア」の具体的説明はありませんでしたが、中谷巌議長代理(当時・一橋大学教授)は、厚生省との「政策対話」で、これの真意が「無保険者が発生する」ことを「承知して」、国民皆保険制度を解体することであると、以下のように明言しました。

「[医療でも]emergency対応を行うのが政府の役割であり、政府は落ちてくる人をネットで拾う、それ以外はできる限り民間に任せて競争原理を活用する、というのが経済戦略会議の基本方針である。マネージド・ケアの導入については、多数の無保険者が発生するのではないかという議論があることは承知しているが、かといっていい医者もやぶ医者も同じ報酬では医者にやる気が起きるわけではない。マネージド・ケアで落ちてくる部分は政府がemergency対応すればよいのであり、マネージド・ケアの導入は抜本的な改革であるが、可能であると思う」(4)。

1999年前後には、国民皆保険解体を直接・間接に主張する図書が何冊も出版されました。代表的なものは次の2冊です。国民皆保険解体を直接主張したのは大竹美喜氏(アメリカン・ファミリー生命保険会長)の 『医療ビッグバンのすすめⅡ』 (5)で、アメリカ型のマネジドケアを日本に導入する「医療ビッグバン」を提唱し、「十全にマネジドケアの効力を発揮するためには、わが国の保険診療を公営から民営に変える必要がある」と主張しました。

国民皆保険解体を間接的に主張したのは、西田在賢氏の『マネジドケア医療革命』(6)で、氏は「米国生まれのマネジドケアには普遍性がある」、「世界のスタンダードになってしまう」という視点から、それの日本への「技術移転可能性」を検討した上で、日本式マネジドケア導入の「最初の基盤整備」として、「国民皆保険維持か否かの議論」が必要だと主張しました。氏は、当時、アメリカの優良非営利マネジドケア保険会社(ハーバード・ピルグリム・ヘルスケア)の「保険者経営技術がわが国の医療保険制度の改革のための良い見本になるのではないかと見込」み、同社またはエトナ社(アメリカ最大手の営利マネジドケア保険会社)に日本の健康保険を丸ごと経営委託するという「いささか乱暴な議論」も考えていたそうです(7)。

国民皆保険解体論群発の2つの理由

このように1999年(前後)に国民皆保険解体論が突然群発した理由は2つあると思います。1つは、1997年8月に当時の与党(自由民主党プラス社会民主党、新党さきがけ)の医療保険制度改革協議会が「21世紀の国民医療-良質な医療と皆保険制度確保への指針」をとりまとめて以来、2000年に医療保険抜本改革(ビッグバン)が行われるとの言説(私からみると「幻想」(8))が広範に流布し、さまざまな抜本改革案が雨後の竹の子のように提唱されたからです。ただし、医療保険改革案の大半は国民皆保険制度の枠内での改革で、それの解体論は少数派でした。

もう1つの理由は、1990年代後半に、アメリカでマネジドケアが急成長し、しかも総医療費の伸びが一時的に鈍化したため、「マネジドケア革命」により医療の質の向上と医療費抑制の両方が実現できるとする主張が大流行し、それが日本にも直輸入されたからです。当時の国民皆保険解体論がいずれもマネジドケア(マネジド・コンペティション)導入論と結びついていたのはこのためです。

しかし、2000年前後から、アメリカでは、マネジドケアのスキャンダルや財政破綻が続出し、それの評価が地に墜ちただけでなく、マネジドケアによる医療費抑制効果が短期的なものであることが明らかになりました。それに伴い、わが国でも、マネジドケア導入論はあっという間に消え去りました。

なお、アメリカでは、早くも2001年には有力研究者により「マネジドケアの終焉」が宣告されました(9)。この時点では、「マネジドケアは経済的には成功したが、政治的には失敗した」と評価されていましたが、その後、マネジドケアによる医療費抑制効果が短期的にすぎないことが確定してからは、2005年に別の研究者によって「マネジドケアの死」が宣告されました(10)。

小泉政権時代に国民皆保険解体論は消失

1999年に群発した国民皆保険解体論が一気に死に絶えたのは、やや意外なことに、小泉純一郎政権時代(2001~2006年)でした。

小泉政権は、歴代の自民党政権と異なり、医療分野への市場原理導入(新自由主義的医療改革)を目指し、2001年6月に閣議決定した経済財政諮問会議「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(「骨太の方針」)には、(1)「株式会社方式による(医療機関)経営」、(2)「保険者と医療機関との直接契約」、(3)「公的保険による診療と保険によらない診療(自由診療)との併用」[以下、混合診療と略す]が盛り込まれました。

しかし、「経済戦略会議答申」に含まれていた「日本版マネージド・ケア」の導入は見送られました。さらに、小泉政権が2003年3月に閣議決定した「医療保険制度体系及び診療報酬体系に関する基本方針」では、「将来にわたり国民皆保険制度を堅持する」ことが医療保険制度体系改革の第一の「基本的な考え方」と明記されました。

小泉政権のこのような国民皆保険堅持方針に対応して、それまで国民皆保険解体を主張していた論者も次々にその主張を変更・撤回しました。変わり身がもっとも激しかったのは国民皆保険解体論の元祖である八代尚宏氏で、2003年に「日本の国民皆保険制度は米国にはない優れたものである」と突如主張しました(「日本経済新聞」6月26日朝刊)。しかし、主張の大転換の理由は説明しませんでした。そこで、私は『月刊/保険診療』2004年1月号の座談会(11)で、八代氏の上述した1999年の「朝日新聞」での発言とこの発言の矛盾を指摘したところ、八代氏は「昔の新聞記事等での表現が不正確であったという意味では撤回します」と弁明しました。

辻本好子氏(ささえあい医療人権センターCOML理事長)は、上記『日経メディカル』1999年1月号の「提言」に加わっていましたが、『世界』2002年5月号の座談会(12)で、私の質問に答えて、「アメリカのマネージドケアは失敗した」、「今私は、アメリカ追随は絶対にあってはならないと思っています」と発言すると共に、「提言」を「撤回いたします」と明言しました。

アメリカのマネジドケア保険会社に日本の健康保険を丸ごと経営委託することを考えていた西田在賢氏も、ハーバード・ピルグリム・ヘルスケアが2000年に経営破綻したことを契機に、従来の主張を再検討し、アメリカのマネジドケアについての考察そのものを「一段落」[終了-二木]しました(7,13)。

最後に、「経済戦略会議答申」で「日本型マネージド・ケアの導入」を提言した中谷巌氏も、遅ればせながら2008年に、自身が一翼を担った新自由主義的改革の「懺悔の書」(『資本主義はなぜ自壊したのか』(14))を出版しました。同書は、アメリカと日本の医療荒廃についても言及し、医療保険を「民営化し、市場原理を導入すれば、国民負担が減るというのは、一種の神話、伝説」と言い切ると共に、後期高齢者医療制度を「どのような財政事情があるにせよ、75歳を超えた高齢者を鞭打つような制度改革には賛成できない」と厳しく批判しました。中谷氏は、『文藝春秋』2009年3月号に発表した手記(15)では、「経済戦略会議答申」の個別の提言について踏み込んで検討し、「医療制度改革については、『競争原理の導入等を通じて医療コストの抑制を実現すべ』しと提言しているが、これも市場原理の暴走と言われても仕方がないだろう」と潔く反省し、「人間の生命という、経済原理を超えた価値を扱う医療は、そもそも市場原理にはなじまない」と180度主張を転換しました。

おわりに-今後も国民皆保険解体論が大きな影響力を持つことはない

以上、1999年に群発した国民皆保険解体論とその顛末を示しました。私は、次に述べる3つの理由から、今後も、国民皆保険解体論が大きな影響力を持つようになることはないと判断しています。(1)歴代政権のうち唯一医療分野への市場原理導入を試みた小泉政権でさえそれを否定した。(2)すべての政党が国民皆保険の維持・堅持を公約している。(3)先進国で唯一国民皆保険(皆保障)を有していないアメリカにおいてすら、昨年3月、国民皆保険に接近する医療保険改革法(「患者保護・医療費負担適正化法」)が成立した。

特に(3)を踏まえると、長坂氏が、改革前のアメリカ医療を「民間保険を中心に据えながらも、社会的弱者に対するセーフティネットの充実を図り、国全体として高水準の医療を実現した例」((1):121頁)と美化して、日本の国民皆保険制度の同種制度への転換を主張するのは、時代錯誤またはKY(空気が読めない)と言えます。

ただし、私は、国民皆保険制度の枠内での混合診療原則解禁論は、今後もゾンビのように復活すると予測しています(16)。特に、医療保険財政がさらに悪化したり、世論が右傾化して健康・医療の自己責任論が多数の支持を得るようになった場合には、その危険が強いと思います。

なお、長坂氏の新著は氏の博士論文に加筆したものだそうです。一般に社会科学系の博士論文では先行研究のていねいな検討が不可欠ですが、同書には、本稿で紹介した国民皆保険解体論の先行文献の検討がまったく行われておらず、疑問を感じました。

最後に蛇足を1つ。長坂氏が元萬有製薬社長であるため、『日本の医療制度』を読まれた方の中には、日本の大手製薬企業全体が国民皆保険解体を目指していると思われている方がいるようですが、それは誤解です。日本の大手製薬企業はこの点については健全で、国民皆保険制度を当然の前提としていますし、それの枠内での混合診療原則解禁論にも与していません。例えば、長谷川閑史日本製薬協会長(武田薬品工業株式会社社長)は、昨年の会長就任記者会見時に、「混合診療については観念的な議論が先走り、実態が十分に議論されていない」と混合診療原則解禁論を痛烈に批判しました(16)。

文献

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2.談話:民主党政権で医療は-「政治主導」はすでに破綻 医療ツーリズムも頓挫へ

(『週刊東洋経済』2010年12月25日・2011年1月1日合併号(6301号):164頁

民主党政権の医療政策の行き詰まりは、政権交代後まもなくの2010年度予算編成過程ですでに鮮明になっていた。その象徴が、予算編成の結果が反映された10年4月の診療報酬改定だった。民主党政権は同改定について、「10年ぶりのプラス改定は政権交代の成果」と喧伝したが、以下の二つの点で疑問だ。

(1)診療報酬の改定率はプラス0.19%にとどまったうえ、薬価の「隠れ引き下げ」分を除くと、わずか0.03%のプラスにすぎない(つまり、ゼロ同然の改定)、(2)民主党政権は社会保障費自然増のうち年間2200億円の抑制方針を廃止したとアピールしたが、すでに自民党政権(福田、麻生政権)時から2200億円削減は中止されており、社会保障強化路線への転換が始まっていた。

民主党政権が掲げた「政治主導」路線は、わずか半年で頓挫した。当初は厚生労働省の政務3役が個人的に親交のあるブレーン医師を重用したり、診療報酬改定を議論する中央社会保険医療協議会(中医協)から日本医師会の代表3人を外すといった乱暴な手法が目立ったが、7月の参議院選挙での惨敗で、政治主導路線は名実共に崩壊した。現在は法案一つ通すことすら困難になっている。

実現性ない「新成長戦略」

公的医療費増が本道

皮肉を言えば、こうした結果になってよかったともいえる。

民主党は09年の衆議院選挙のマニフェスト(政権公約)で、「医学部学生を1.5倍に増やし、医師数を先進国並みにする」「長期的には医療費をOECD加盟国平均まで引き上げることを目指す。そのためにまず1.2兆円の予算を投入する」と表明した。しかし、マニフェスト実施期間の4年間どころか、1年目でその財源を調達できないことが判明した。予算の無駄の削減や「霞が関埋蔵金」の活用では医療を含む社会保障費の捻出ができないことがわかった以上、保険料や租税負担を上げざるをえないという判断に行き着く。

だが、民主党政権は財源調達の努力を怠っている。保険診療と保険外診療を組み合わせる混合診療の拡大や、外国人富裕層患者を自由料金で受け入れる医療ツーリズムの推進といった国民皆保険制度の否定につながりかねない政策をブチ上げたことがその象徴だ。

菅政権が10年6月18日に決定した「新成長戦略」は、総論と各論が乖離している。公共事業依存でも新自由主義的でもない「第三の道」を提唱する一方で、公的財源以外で医療のパイを増やし経済成長につなげるという青写真が前面に出てきた。ただ、新成長戦略では、20年までに健康分野(ライフイノベーション分野)で50兆円の需要と284万人の雇用を生み出すとしているものの、公的財源に拠らない需要の創造は不可能。混合診療も医療ツーリズムもニーズ自体が乏しい。

混合診療については、現在の保険外併用療養費制度の運用改善にとどめることですでに政府部内で決着した。一方医療ツーリズムについては、ごく一部の病院が外国人富裕層患者を受け入れるレベルで終わりそうだ。日本政策投資銀行は医療ツーリズムについて、「20年までに5500億円の市場が生まれる」との市場規模予測を発表しているが、超誇大表示だ。

経済産業省は医療ツーリズムと並んで公的保険外分野としての健康産業の振興も進めようとしているが、1980年代後半に旧厚生省が進めた健康産業振興策が失敗に終わったことを理解していない。そもそも、東京都内の一部を除けば、健康増進のために自費で高い料金を払ってもいいと考えている国民は少なく、健康産業の振興は絵に描いた餅に終わるだろう。

不毛な取り組みではなく、公的医療費を増やすという本道に立ち返ることが求められている。


3.書評:辰濃哲郎&医薬経済編集部『歪んだ権威-密着ルポ日本医師会 積怨と権力闘争の舞台裏』医薬経済社, 2010, 1890円/421頁

(『週刊東洋経済』2010年12月4日号(6298号):143頁)

国民の視点で描ききった迫真のルポルタージュ

「歪んだ権威」という書名は、よくある「告発もの」を連想させる。しかし、中身は膨大で綿密な取材に基づいて、1990年代以降2010年4月の原中勝征現会長誕生に至る20年間の日本医師会の「権力闘争の舞台裏」を描ききった迫真のルポルタージュである。

しかも、多くの「内幕もの」と異なり、ニュースソースをほとんど実名で示し、しかもそれらの信頼度についても逐一明記していることが、本書の価値を高めている。冒頭に、長編推理小説のように主要登場人物31人の簡潔な「人物紹介」を付けているのは新趣向で、入り組んだ記述の理解を助ける。

本書の基本的視点は「医師の利益が、国民や患者の利益と一致しないところに悲劇がある」であり、歴代会長や幹部への評価は概して厳しい。

しかし、「国民の視点を持ち続け」小泉政権と正面から対峙した植松治雄元会長への眼差しは例外的に暖かい。2009年総選挙前からいち早く自民党政権を批判した原中勝征現会長も肯定的に描かれる。逆に、唐澤祥人前会長が小泉政権に迎合して、2006年会長選挙への「政治介入」を招いたことには厳しい。本書の評価は概ね妥当だと思う。

しかし、不満も2つある。1つは、「権力闘争の舞台裏」に焦点が当てられた結果、特に植松会長時代以降の日本医師会と地方医師会の自己改革の努力と実績を無視していることである。例えば、原中現会長が茨城県医師会会長時代に導入した「医療問題中立処理委員会」(医療の裁判外紛争解決)である。

もう1つは、最近の医療政策では日本医師会の影響力が低下し、病院団体の役割が大きくなっているにもかかわらず、それについての記述が全くないことである。次著では、これらについての掘り下げを期待したい。


4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文

(通算61回.2010年分その9:6論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○医療費の決定要因:セミパラメトリック推計から得られた新しい結果
(Herwartz H, et al: The determinants of health-care expenditure: New results from semiparametric estimation. Health Economics 19(3):964-978,2010)[量的研究]

最近のいくつかの医療費国際比較研究は、1人当たり医療費(以下、医療費)と、1人当たり所得・人口高齢化率・公的医療費割合等の説明変数との間に有意な関係があるとの先行研究の知見に疑問を投げかけている。そこで本研究では、OECD加盟18か国(日本を含む)の1975~2005年の医療費データや人口構成データ等を用いて、柔軟な(flexible)セミパラメトリック推計法等により、この関係を再検討した。人口構成を状態変数(state variable)として用いたところ、医療費の所得弾力性は人口高齢化と共に高まるが、他の説明変数は人口高齢化により有意の影響を受けなかった。医療費と他の変数との関係は人口高齢化が進んだ国ほど不安定になっていた。この結果は、最近の研究で、人口高齢化や1人当たり所得が医療費に与える影響を同定するのが困難になっている理由を説明している。さらに、この結果は、医療費の国際的収斂は人口構造の収斂に強く依存していることも示している。

二木コメント-データ解析の部分は難解で私には十分理解できませんが、医療費の決定要因についての通説に挑戦する最新研究なので紹介します。ただし、本研究で得られた、人口構成の収斂により1人当たり医療費も収斂するとの最近の国際的趨勢は日本には当てはまらず、人口高齢化が先進国中最高水準になったにもかかわらず、1人当たり医療費は低水準にとどまっている日本は「外れ値」と言えます。

○[アメリカの医療の]質改善運動の終焉-価値[費用対質]の向上よ永遠なれ
(Brook RH: The end of the quality improvement movement - Long live improving value. Journal of the American Medical Association 304(16):1831-1832,2010)[評論]

現代の学術的な医療の質改善運動は40年以上前に始まった。アメリカ政府は医療の質のレビュー組織を立ち上げ、病院認証組織も医療の構造からプロセスやアウトカムに焦点を移している。しかし質改善運動が何を達成したかは不明であり、質改善のために投資されている費用もほとんど明らかにされていない。現在、質改善運動は再び変容しつつあり、その焦点は医療のアウトカムの改善から質改善の「ビジネスケース」(業務プロセス改善の論拠や得られる利益、コスト等の明示)確立へ移行しつつある。大半の産業では製品の改善は費用削減を伴うので、医療の質改善でも費用削減が生じるべきだという主張である。さらに、医療では新技術の開発と既存制度の改善のどちらにより多くの資源配分をすべきかについての論争はほとんどない。今後の医療改善活動では、研究機関と産業の指導者は質改善のビジネスケース、質と費用の結びつきを重視しなければならない。質の疫学ではなく、費用・質両方の測定を含む価値の疫学を開発しなければならないし、それは質のレベルの違いも明らかにするであろう。その結果、時間と費用は、高額だがわずかの効果しかない一部の新技術の開発より、既存の制度改善の方により多く使われるようになるだろう。

二木コメント-医療の質の評価・改善研究の重鎮の発言だけに重みがあります。本「ニューズレター」77号(2010年12月)で紹介した、医療経済学の泰斗フュックス教授の評論「[アメリカにおける]将来の医療技術革新の新しい優先順位」と、同じ課題意識と思います。

○[先進諸国の]生存率の変化はアメリカ医療について何を教えているか?
(Muennig PA, et al: What changes in survival rates tell us about US health care. Health Affairs 29(11):2105-2113,2010)[国際比較研究]

アメリカでは、医療改革支持派はアメリカの平均寿命が他国に比べて低いことを医療制度のパフォーマンスの悪さの証拠とあげるが、医療改革懐疑派はそれの主因は医療以外の諸要因(喫煙、肥満、交通事故死、殺人の多さ)のためであると主張する。この点を検証するため、まず、アメリカと他の先進12か国(人口が700万人以上で1人当たりGDPがアメリカの60%以上。日本を含む)の男女別の45歳、65歳人口の15年以上生存率(以下、生存率)および1人当たり医療費(購買力平価換算の米ドル表示)を、1975~2005年の30年間、比較検討した。指標として平均寿命を用いなかったのは、各国による死産の扱いの違いが、それに影響を与える可能性があるからである。その結果、1975年のアメリカ人の生存率は、男女、両年齢とも下位グループであったが、2005年には最下位になっていた。特にアメリカの2005年の45歳女の生存率は「外れ値」と言えるほど低くなっていた。対象を白人に限定しても、この傾向は変わらなかった。アメリカの1人当たり医療費は、1975年には他国に比べてやや高いだけだったが、2005年には「外れ値」と言えるほど高くなっていた。次に、喫煙、肥満、交通事故死と殺人の影響についても順次検討したが、それがアメリカの生存率の国際的順位を引き下げている可能性は否定された。以上の結果は、アメリカの生存率の低さは医療以外の要因で生じており、医療制度の大改革は必要ないとする主張に不利に作用すると言える。さらに著者は、考察で、アメリカにおける医療費高騰そのものが、生存率の国際的順位の低下をもたらしている可能性があるとして、その3つの理由をあげている。

二木コメント-アメリカの平均寿命・生存率の低さは医療以外の要因によって生じているとする医療改革懐疑派の主張を、根拠に基づいて否定しています。

○[アメリカでの]医療事故の一律開示は患者の訴訟傾向や医療者の質評価にどのように影響するか?-調査データから得られた根拠
(Helmchen LA, et al: How does routine disclosure of medical error affect patients' propensity to sue and their assessment of provider quality? Evidence from survey data. Medical Care 48(11):955-961,2010)[量的研究]

医療事故の一律開示は患者および医療者倫理により強く支持されているが、医療者はそれが訴訟の引き金になったり、自己の評判を落とすことを恐れ、稀にしか行われていない。

医療者が医療事故の開示と修復の申し出を同時に行った場合、患者がどう反応するかもほとんど分かっていない。そこで、2008年にアメリカ・イリノイ州住民の代表標本を用いて、医療事故に対する知識、主治医が医療事故を開示することへの確信、医療事故について開示された場合訴訟を起こす意志等について調査した。1018人の回答者のうち、27%が医療事故を開示された場合訴訟を起こすと回答する反面、38%は医療事故の開示と修復の申し出が同時に行われた場合は、医療事故を起こした病院を家族や友人に推薦すると回答した。主治医が医療事故の開示をすると確信している住民は、そう確信していない住民に比べて、訴訟を起こすとの回答が少なく、事故を起こした病院を家族や友人に推薦するとの回答が有意に多かった。

二木コメント-訴訟社会であるアメリカは、日本以上に、医療者による医療事故の一律開示が困難なことがよく分かります。

○スウェーデンにおける統合された医療・社会的ケア組織:1自治体における単一の公的医療・社会ケアステムの創造と構造
(Ovretveit J, et al: An integrated health and social care organisation in Sweden: Creation and structure of a unique local public health and social care system. Health Policy 97(2-3):113-121,2010)[事例研究]

医療サービスと社会的サービスの連携の試みの大半は失敗しており、それに代わる諸方式が提案されている。その1つは同一組織内での両サービスの構造的統合である。スウェーデンのストックホルム市北部にある一自治体(Norrtalje)に2006年に導入された、全住民を対象とした医療・社会サービスの統合組織の成果と限界を、関係者に対するインタビュー調査に基づいて検討した。この統合組織は両サービスの一体的提供と購入を行い、自治体から独立して運営されている。その結果、マクロな統合はミクロのケアの連携の改善はもたらしていなかった。構造・プロセスレベルの変化は生じていたが、患者アウトカムの改善や費用の節減については明確な結論は得られなかった。統合にはさまざまなレベル・種類の連携が必要であり、しかも組織のマネジメント能力には限界があるため、統合はいくつかの段階に分けて行う必要があるとの結論が得られた。

二木コメント-英語で書かれたスウェーデンの自治体レベルの医療・福祉サービス統合の貴重な「事例研究」です。両サービスの連携・統合は、福祉最先進国のスウェーデンでさえ困難であることが示されています。

○似ているが相当違う:ヨーロッパ6か国の長期ケア政策における現金給付[の比較]
(Da Roit, et al: Similar and yet so different: Cash-for-care in six European countries' long-term care policy. The Milbank Quarterly 88(3):286-309,2010)[国際比較研究]

ケア・ニーズの増加に対応して、長期ケアシステムの改革や展開がすべてのヨーロッパ諸国で重要政策となっている。その際、ケアへの現金給付方式(schemes)-要介護者へのサービス提供に代えての手当て支給-が、選択の拡大、家族ケアの奨励、ケア市場の拡大および費用抑制を目的として中心的政策となっている。そこで、ヨーロッパ6か国(オーストリア、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スウェーデン)を対象にして、政府の公式文書・諸規則の詳細な分析と先行研究の体系的レビューを行い、6か国の制度の違い、原理と展開を比較検討した。

現金給付方式は1990年代以降の改革で注目されるようになった。先行研究ではそれを伝統的な長期ケア政策とは無関係に検討していたが、本研究では両者の関連を詳しく検討した。その結果、6か国の現金給付方式は、以下の3モデルに区分できた。(1)スウェーデンとオランダの社会サービスモデル(サービス給付が中心で、現金給付は限定的)。(2)フランスの高度に規制された現金給付方式を中心とする長期ケア制度。(3)オーストリア、ドイツ、イタリアのほとんど規制のない現金給付を中心とする長期ケア制度。3モデルとも理念的には普遍的給付だった(受給者の所得によらず支給)。

二木コメント-日本の介護保険制度では事実上タブーとされている現金給付方式についての貴重なヨーロッパ諸国間の比較研究です。著者は3モデルの違いを強調していますが、国際的にみれば6か国の方式の違いは小さく、むしろ「ヨーロッパ型普遍的給付」と一括できる気がします。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その73)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

<その他>

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