総研いのちとくらし
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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻75号)』(転載)

二木立

発行日2010年10月01日

出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見、あるいは皆様がご存知の関連情報をお送りいただければ幸いです。

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/)。


目次


「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」74号の第1論文「『新成長戦略』と『医療産業研究会報告書』を読む」の最後の項の6頁5行目の「これの出所は厚生省が1996年にまとめた『高齢者対策企画推進本部報告』です」の「1996年」は誤記で、正しくは「1986年」です。


1.学会報告:日本における2009年政権交代と民主党の医療政策-第6回社会保障国際論壇での報告
Japan's change of government in 2009 and Democratic Party's healthcare policy

はじめに

日本では2009年8月の衆議院議員選挙(総選挙)で民主党が地滑り的勝利をおさめ、同年9月、国民の大きな期待を背負って鳩山由紀夫首相率いる民主党と社民党・国民新党の連立政権(以下、民主党政権)が成立しました。しかし、鳩山首相はその後、国内政策と国外政策の両方で迷走を続けて2010年6月に辞任し、同じ民主党の菅直人首相に交代しました。しかし、菅直人政権も7月の参議院議員選挙で大敗を喫し、参議院で過半数を失ったため、日本政治は混迷を深めています。

本稿では、このような激動の1年間の民主党(政権)の医療政策を、以下に述べる4つの柱立てで検討します。まず、2009年の政権交代の意味を考えます。次に民主党の2009年総選挙マニフェスト中の医療政策を振り返ります。第3に民主党政権成立後1年間の医療政策を簡単に検証します。第4に、菅直人政権が6月に閣議決定した「新成長戦略」中の医療政策について複眼的に検討します。最後に、民主党政権の今後の医療政策を簡単に予測します。

1.2009年政権交代の意味-イギリス・アメリカ・韓国の政権交代とは異質

まず2009年9月の政権交代の意味・位置づけについて、簡単に私見を述べます。言うまでもなく、今回の政権交代は、第二次大戦後初めての本格的な政権交代です。そのためもあり、民主党政権が成立した直後は、「明治維新以来140年ぶりの真の維新」、「戦後改革以来60年ぶりの大改革」等の高揚した評価が少なくありませんでした。鳩山前首相自身も、2009年10月の所信表明演説で、「無血の平成維新」、「国民への大政奉還」と宣言しました。
しかし、これは過大評価です。逆に、中曽根康弘元首相は、政権発足直後から、「保守政党から保守政党への政権交代」、政権の「衣替え」と断言していました。私は、この評価に全面的に賛成するわけではありませんが、この側面が強いと思います。

なぜなら、政権交代の先輩国であるイギリス、アメリカ、韓国等では、二大政党の理念・路線と政策に大きな違いがあるのと異なり、日本の民主党と自由民主党の理念・路線と政策の違いは小さいからです。両党とも新自由主義派、保守派、福祉国家派等の「寄り合い所帯」です。さらに、一時毎日のように報道された鳩山前首相と小沢前幹事長の政治資金スキャンダルで明らかなように、両政党は「政治とカネ」の面でも同根と言えます。

民主党政権は、自公政権との違いとして、「脱官僚」・「政治主導」を強調しており、それに期待している方も少なくありませんでした。しかし、これは民主党の専売特許ではなく、自由民主党の小泉純一郎政権(2001~2006年)が先鞭をつけています。しかも小泉政権が、歴代の自由民主党政権と比べてもはるかに厳しい医療費抑制政策を「政治主導」で強行し、それが現在の医療荒廃・医療危機の一因になったことはよく知られています。

2.民主党の総選挙マニフェストの医療政策-実は自由民主党との差は小さかった

次に、民主党の2009年総選挙マニフェストの医療政策を検討します。私は、民主党がマニフェストで、総医療費と医師数の大幅増加の数値目標(共にOECD平均までの引き上げ)を示したことは画期的だったと高く評価しました。これはイギリスのブレア労働党政権が2000年に開始した総医療費・医師数大幅増加政策の数値目標とまったく同じです。

ただし、その財源は具体的には示されず、他の政策と同じく、国家予算の無駄の削減と埋蔵金(各省が隠し持っている不要な積立金)の活用でした。実は、同じ自由民主党・公明党連立政権でも、福田・麻生政権(2007~2009年)は、小泉政権時代の「小さな政府」から「社会保障の機能強化」へ路線転換しており、総選挙マニフェストでも2010年診療報酬(医療費)の「プラス改定」を公約していました。

医療保険制度改革については、民主党は高齢者医療制度の廃止、医療保険制度の一元的運用と全保険者間の財政調整を公約しており、この点は現行制度の維持を主張する自由民主党と一見大きく異なりました。しかし、他の当時の野党(日本共産党や社民党等)と異なり、老人保健法の復活は盛り込んでいませんでした。医療提供制度改革については、療養病床(慢性期病床)削減計画「凍結」以外は、自公政権の政策の多くを踏襲していました。しかも、自由民主党も総選挙マニフェストで「療養病床再編成については、適切に措置する」としており、違いは大きくありませんでした。以上から、民主党と自由民主党との医療政策の差は意外に小さいと言えます。

ここで見落としてならないことは、民主党の医療政策は、他の政策と同じく、2007年参議院議員選挙時に大転換したことです。民主党は1998年の結党時から小泉政権時代までは、自由民主党以上に「構造改革」の徹底(新自由主義的改革)を主張していましたが、2007年参議院議員選挙から「国民の生活が第一」(反構造改革)に急転換しました。医療政策についても同じで、1998年の「基本政策」では、「市場原理をも活用しながら」抜本的な医療制度改革を行うと主張しており、2006年にも、医療費の伸びの抑制と病床数の大幅削減を主張していました。しかし、2007年に突然、医療費増加と医師数増加に転換しました。

しかもこのような路線の大転換は、「政策より選挙」を持論とする小沢一郎代表(当時)の鶴の一声で行われ、党内論議はほとんどなされませんでした。そのためもあり、2007年に大転換した民主党の医療政策は、底が浅いと言わざるを得ません。

3.民主党政権成立後1年間の医療政策-公約違反と「政治主導」の危うさ

第3に、民主党政権成立後1年間の医療政策を検証します。厳しく言えば、それは公約違反と「政治主導」の危うさとまとめられます。なお、私は、医療改革の評価を行う際、改革の内容の適否と改革の手続きの適否を峻別」し、後者については「手続き民主主義」(due process)を重視し、「大事なのは内容(だけ)」、「目的のためには手段を選ばず」という立場はとりません。

まず、総選挙マニフェストに掲げられていた「高齢者医療制度廃止」は政権発足直後に早々と先送りが決定され、4年後に新制度に移行するとされました。それを受けて、厚生労働省は2010年7月に、新制度の骨格を盛り込んだ「中間とりまとめ案」を提示しましたが、同月の参議院議員選挙の結果、参議院では与党(民主党と国民新党)の議席が過半数を割ったため、新制度成立の目途は全く立っていません。医療保険の一元的運用と全保険者間の財政調整は完全に棚上げされました。療養病床削減「凍結」方針は、民主党政権成立後1年間迷走を続けていましたが、2010年9月に介護療養病床の廃止計画を撤回することで決着しました。

総選挙マニフェストの医療政策で最大の目玉とされていた医療費の大幅引き上げは断念され、2010年4月からの医療費全体の引き上げは、「公式発表」でも、わずか0.19%(額にして700億円。そのうち2010年度国家予算に計上される国庫負担額は160億円)にとどまりました。現政権の4年間の任期中、診療報酬改定は今回を含めて2回しかないことを考えると、これにより現政権の任期中に総医療費をOECD平均にまで引き上げることは事実上不可能になりました。
民主党関係者は、医療費の大幅引き上げを断念した主因として税収の大幅落ち込みをあげていますが、私はそれよりも、民主党政権内での医療政策の優先順位が低いことの方が大きいと思います。なぜなら、2010年度予算総額と厚生労働省予算は、2009年度当初予算に比べて、それぞれ2.5兆円、2.4兆円も増加しているからです。厚生労働省予算の増加のうち1兆4722億円は「子ども手当」(現金給付)の新設によるもので、この額は上述した医療費増加の国庫負担分160億円のなんと92倍です。

医療費の大幅増加断念で明らかになったことはもう1つあります。それは、国家予算のムダの削減と埋蔵金の活用により、医療・社会保障拡充の財源を確保することは不可能であることが明らかになったことです。医療関係者の中には、医療・社会保障費拡充の財源として「無駄な公共事業費」の削減を掲げている方が少なくありませんでした。2010年度国家予算では公共事業費は18.3%(額にして1.3兆円)も削減されましたが、それが診療報酬引き上げに回されることはありませんでした。

次に「政治主導」の危うさについて述べます。先述したように民主党政権は「政治主導」を掲げていますが、医療政策での政治主導の実態は、厚生労働省(医系技官)と日本医師会叩きを主目的とした特定の「お友達グループ」主導と言えます。そのことが、最初に明らかになったのは、2009年10月の中央社会保険医療協議会(診療報酬改定の公的審議機関)委員の選任時に、法の趣旨に反して、日本医師会推薦委員3人全員を排除したことです。これ以降、民主党は医療団体に対して民主党支持を求める政治圧力を強めました。

医療改革手法の危うさが次に明らかになったのは、2009年11月に行われた2010年度予算編成のための「事業仕分け」で、民主党の総選挙マニフェストに反して、診療報酬の引き上げが否定されました。私は、「事業仕分け」は、(1)評価者(「仕分け人」)に新自由主義派が多数含まれている、(2)財務省主導、(3)「劇場型政治」の3点で、小泉政権の「構造改革」手法とソックリだと思います。

先述したように、民主党が総選挙マニフェストで掲げた医療政策の「中身」(医療費・医師数の増加等)は、福田・麻生政権の医療政策と共通点が多いのですが、医療政策の「手法」に関しては、小泉政権との類似点が多いと言えます。

4.「新成長戦略」の医療政策の複眼的評価

最後に、2010年6月に発足した菅直人政権が閣議決定した「新成長戦略」の医療政策について、複眼的に検討します。

「新成長戦略」は、従来の「公共事業中心の経済政策」と「行き過ぎた市場原理に基づき、供給サイドに偏った経済政策」を共に否定し、「第三の道」として、「『強い経済』、『強い財政』、『強い社会保障』を一体的に実現する」ことを掲げました。そして、今後成長が期待される7つの戦略分野の1つに「ライフ・イノベーション」を位置づけ、「医療・介護・健康関連産業を成長牽引産業へ」することを打ち出しました。

私は、「新成長戦略」が、従来、「社会保障は、少子高齢化を背景に負担面ばかりが強調され、経済成長の足を引っ張るものと見なされてきた」ことを否定し、「社会保障には雇用創出を通じて成長をもたらす分野が多く含まれており、社会保障の充実が雇用創出を通じ、同時に成長をもたらすことが可能である」と180度政策転換して、「年金、医療、介護、各制度の立て直しを進める」としたことは、高く評価します。

事実、医療・介護・福祉の産業連関分析では、以前から、社会保障関係事業の「生産波及効果」は全産業平均よりやや高く、「雇用誘発効果」はどの産業よりもはるかに高いことが、計数的に示されてきました。しかし、ここで注意しなければならないことが2つあります。1つは、産業連関分析はあくまで「短期的」推計であり、医療・社会保障の「長期的」経済成長効果は不明であること、もう1つは「短期的」効果を実現するためにも、相当の公的費用(税・保険料)の投入が必要なことです。

私は、財源を確保した上で、医療・社会保障分野に公的費用を大量に投入し続けることに賛成ですし、それにより長期的にみても、ある程度の経済成長を持続できると思います。しかし、医療・社会保障が「成長牽引産業」化するとまでは考えにくく、私の知る限り、その具体的根拠・推計を示した研究もありません。

以上は「新成長戦略」の「総論」レベルでの問題点ですが、「各論」レベルではより大きな問題点があります。それは「ライフイノベーションにおける国家戦略プロジェクト」に含まれている医療改革の大半が、「公的保険制度外」のものとされ、医療分野への市場原理導入の呼び水になる危険が大きいことです。その中心は、混合診療(保険診療と自由診療の混合)の拡大、アジアの富裕層を対象にした「医療ツーリズム」の拡大、公的制度外の健康関連サービスの拡大の3つです。

ただし、医療経済学的にみて、これらの改革の経済成長効果はごく限定的であることも見落とせません。混合診療の拡大は「先進医療」の一部に限定されているため、それによる医療費増加はごくわずかです。「医療ツーリズム」については、保険診療を中心とする日本の非営利病院が、富裕層対象の自由診療に特化したタイやシンガポールなどの株式会社立病院に対抗して、患者を新たに吸引するのはきわめて困難です。公的制度外の健康関連サービスの育成は、厚生労働省も1980~1990年代に試みたのですが、ほとんど失敗しています。

おわりに 

最後に、民主党政権の今後の医療政策を簡単に予測します。はじめにで述べたように、7月の参議院議員選挙後、民主党政権は参議院で過半数を割ったため、今後の医療政策はきわめて流動的です。

今後、民主党政権が医療費増加の安定財源を確保できない場合には、財政危機を理由にして、民主党政権が医療費抑制政策に転換する可能性は少なくありませんし、「新成長戦略」で萌芽的に現れているように、小泉政権が一時試みて失敗した医療分野への市場原理導入政策(新自由主義的改革)が部分的に復活する可能性も否定できません。

しかし、民主党と自由民主党の医療政策が大枠では一致していることを考えると、今後も、新自由主義的医療改革の全面実施等、医療制度の「抜本改革」はなく、日本の医療制度の2つの柱(国民皆保険制度と非営利医療機関主体の医療提供制度)を維持した部分改革が続くことは確実です。

なお、私は、日本では、すべての政党が「国民皆保険制度の維持」を主張している以上、公的医療費増加の主財源は社会保険料の引き上げであり、それを公費(たばこ税、所得・企業課税、消費税、企業課税等の引き上げ)で補完すべきと考えています。この点については、拙著『医療改革と財源選択』で詳細に論じているので、お読み下さい。

[2010年9月11-12日に中国・成都市で開かれた第6回社会保障国際論壇(国際会議)で発表した報告に一部加筆しました。本論文は、10月30日に韓国・延世大学で開催される第5回日韓合同シンポジウム(日本福祉大学・延世大学共催)で発表します。]

参考文献

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2.書評:若月先生の生き方に学ぶ-『信州の風の色』

(『農民とともに(佐久総合病院ニュース)』No.211(2010年9月30日):11頁

御恵贈いただいた、故若月俊一先生の『信州の風の色-地域農民とともに50年』(復刻版)、[日本福祉大学大学院医療・福祉マネジメント研究科(社会人大学院)の佐久総合病院現地調査の]帰りの車中で読み始めたら大変面白く、帰宅後一気に読み終わりました。

3年前にいただいた『若月俊一の遺言-農村医療の原点』(家の光協会,2007)が、佐久総合病院が大規模化した後に発表された先生の「論文選」であったのと対照的に、『信州の風の色』では、先生の佐久病院赴任前の諸活動と1961年の国民皆保険成立前の佐久病院の創造的活動が生き生きと語られており、感銘を受けました。最後に(368頁)川上先生のお名前が出てくることから、川上先生の強い要望を受けて、若月先生がそれまで余り語られてこなかった自分史「秘話」を、「歴史の証言」として意識的に話されたのだと推察しました。

若月先生の佐久病院赴任前の諸活動のうち、「マルクス・ボーイ」の活動と「転向」については以前からよく知っていましたが、改めて「転向」が先生のその後の生き方に与えた「重み」を感じました。今回初めて知ったのは、戦時下の「工場災害」の実証研究において、先生が「ポワッソン級数とカイ二乗テスト」(82頁)を用いて「確率論から分析」されていたことで、先生は医療活動だけでなく、学術研究でも「筋金入り」だったのだと驚嘆しました。

佐久病院赴任後に行われた野辺山集落と下荒集落での「潜在疾病」の「悉皆調査」(127~133頁)は、この「工場災害」研究の延長線上にあり、しかも最近注目されている「健康の社会的格差」研究の先駆でもあると感じました(「経済力と資産の有無別」にも分析!)。

先生が佐久病院赴任直後~国民健康保険開始前に、出張診療、病院給食、日本農村医学会の創設、一般病院内での精神病棟開設、八千代村の「全村健康管理」、鹿教湯病院開設等、次々と創造的・先駆的医療活動を始められ、それらが国民皆保険後に大きく花開いたことに驚嘆しました。

「高度経済成長の波に乗って病院の大拡張」ができた背景に、「事態をリアルに見つめ」(352頁)、「地域社会の発展のために、既成の体制を利用」する先生の「二刀流的なやり方」(266頁)があったことに、改めて感銘を受けました。実は私は1990年に若月先生に初めてお会いしたのですが、その時に、私の「複視眼的」(先生の表現。私は「複眼」)研究をおほめいただいたことを思い出しました(川上先生の推薦で、1990年12月16日の「第7回[長野県]厚生連医療を考えるシンポジウムで「90年代の医療-予測と課題」について講演し、前夜の懇親会で先生と初めてお会いしました)。

若月先生の生き方にも改めていろいろ学ばせていただきましたが、今回は特に「恩義」を大切にされ、さまざまな誘いを断られて、最後まで佐久にとどまられたことに大いに共感しました(60頁+105,275頁)。

『信州の風の色』『若月俊一の遺言』と「相補的」であり、佐久総合病院幹部の必読書であるだけでなく、貴病院でフィールド調査をさせていただく本学の大学院生にとっても必読書であると思いました。後期に院生に改めて推薦させていただきます。

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3.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その19):7冊

書名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○『医療経済学辞典 第2版』
(Culyer AJ: The Dictionary of Health Economics, Second Edition. Edward Elgar, 2010,694 pages)

2005年に出版された定評ある辞典(本「ニューズレター」14号(2005.10)で紹介)の5年ぶりの改定で、総頁は390頁から694頁へと8割、見出し語も1586語から2310語へと5割も増えています。本書の最大の魅力は、医療経済学の泰斗カリヤー教授が1人で、医療経済学および関連分野(疫学、医療社会学、医療統計学、医療政策、医療管理学・医療サービスマネジメント学、公衆衛生学等)の基本用語の簡潔で信頼できる定義を書いていること、および医療経済学の鍵概念あるいは論争が続いている用語については、著者の率直なコメント・意見(「ミニ講義」)を書いていることです。第2版では、基本用語には、より詳しく学ぶための文献が示され、巻末にはそれらをまとめた1000を超える膨大な文献リストが付けられています。巻末には、費用効果分析(「保健医療介入の経済評価」)の代表的な100の文献リストも加えられました。本書は医療経済・政策学研究者必携の辞典と言えますが、かなり高いのが難点です(アマゾン:消費税込みで33,150円)。

○『医療への費用便益分析の適用手法』
(McIntosh E, Clarke PM, et al (eds): Applied Method of Cost-Benefit Analysis in Health Care. Oxford University Press, 2010, 267 pages)[中級教科書]

「医療の経済評価ハンドブック」シリーズの最新刊で、イギリス・オックスフォード大学での講義「表明選好離散選択モデル入門」をベースにしてまとめられたそうです(全13章)。一般の費用便益分析の教科書と異なり、消費者選好を同定するための表出選好調査手法の使用法および費用便益分析の枠組みを用いて費用効果分析を行う最新の手法等に焦点が当てられおり、それだけにかなり難解です。

○『比較医療政策 第3版』
(Blank RH, Burau V: Comparative Health Policy 3rd Edition. Palgrave, 2010, 309pages.)[研究書(国際比較)]

2004年に初版(本「ニューズレター」14号(2005年10)で紹介)が出版された、医療政策の国際比較のユニークな入門的教科書の最新版です(全8章)。国際比較の定番と言える欧米諸国・豪州(アメリカ、イギリス、ドイツ、スウェーデン、オーストラリア、ニュージーランド)に、アジアの3カ国(日本、シンガポール、台湾)を加えた10カ国の国際比較をしています。類書と異なり、国ごとの比較ではなく、第2~7章で、次の6つの分野(topics)ごとに、各国比較と10か国の分類・序列付けを行っています:(1)医療の文脈、(2)財源、サービス提供と統治、(3)優先順位の設定と資源配分、(4)医師、(5)在宅医療、(6)公衆衛生。興味深いことに、6つの分野で10か国の分類・序列は大きく異なります。この結果に基づいて、著者は最終章(第8章)で、「最良」の普遍的な定義はなく、医療政策の諸目標の間にはトレードオフが存在するため、どの国の医療政策を最良と見なして、そこから教訓を得るかは究極的には「政治的意思決定」であると強調しています(249頁)。

○『医療の政治経済-NHSはどこから来てどこに行くのか 第2版』
(Hart JT: The political economy of health care - Where the NHS came from and where it could lead. Policsy Press, 2010, 319 pages)[評論]

本「ニューズレター」24号(2006年8月)で紹介した、『[イギリス]医療の政治経済-臨床医の視角から』(Hart JT: The Political Economy of Health Care - A Clinical Perspective, The Policy Press, 2006, 320pages)の第2版で、NHS(国民保健サービス)の歴史的発展、現状と将来についての「情熱的分析」を行い、NHS内で進んでいる営利化を鋭く告発しています(全7章)。「古典的経済学ではなく現実の臨床経験に基づいた」NHSの政治・経済的分析を行い、21世紀のあるべきNHSの「大きな絵」を提起しています。著者は、NHSの生き証人で、「社会主義医療協会」前会長でもある高名な一般医(GP)だそうです。草の根の視点(a view from below)から書かれた「もう1つのNHS史」であり、イギリス医療の研究者には有用と思います。

○『アメリカ医療の断片化-原因と解説策』
(Elhauge ER, ed: The Fragmentation of U.S. Health Care - Causes and Solutions. Oxford University Press, 2010, 388 pages)[研究論文集]

アメリカ医療の特徴を「断片化」と定義して、それの原因と解決策を、法学、医学、経済学領域等の研究者が、学際的・多面的に検討しています(全15章)。ただし、各研究者が提案する解決策自体が多様・「断片化」しているのは皮肉です。それらは、integrated delivery system(統合供給組織。Enthoven:第4章)、質報告制度(Madison:第5章)、電子的医療記録の統合(Hall他:第8章)、無保険者への保険適用(Helland:第10章)等です。

○『今も壊れたまま-アメリカの医療制度を理解する』
(Davidson SM: Still Broken - Understanding the U.S. Health Care System. Stanford Business Books, An Implint of Stanford University Press, 2010, 288 pages)[提言書]

アメリカの医療マネジメント研究の権威がまとめた、医療改革の提言です(全3部11章)。アメリカの深刻な医療問題を生みだして諸力について多面的に分析した上で、第11章でどんな医療改革プランにも含まれるべき6つの要素を摘出し、それらの妥協の可能性を探りつつ、現実的な改革戦略を示しています。著者はアメリカの医療問題は市場メカニズムのみでは解決できず、公的セクターが大きな役割を果たすことが不可欠だと主張し、オバマ政権の医療改革に期待しています。

○『アメリカの医療-組織、マネジメントおよび政策』
(Greenwald HP: Health Care in the United States - Organization, Management, and Policy. Jossey-Bass, 2010, 381 pages)[中級教科書]

「医療マネジメント・政策」講義向けに書かれた、アメリカ医療についての最新の教科書です(全3部12章)。序文を読んだ範囲では、「標準的」教科書で、これといった特色はないと思います。


4.最近発表された興味ある医療経済・政策学関連の英語論文
(通算58回.2010年分その6:4論文)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○カナダは例外か?医療における公私分割の選択・規制手法についてのヨーロッパ[5か国]とカナダの比較
(Flood CM, e al: Is Canada odd? A comparison of European and Canadian approaches to choice and regulation of the public/private divide in health care. Health Economics, Policy and Law 5(3):319-341,2010)[国際比較研究]

選択(の自由)はしばしば医療制度改革の鍵と主張される。しかし、医療における「選択」には、少なくとも次の3つの異なった形態がある:公的医療制度内での医療サービス提供者間の選択、(2)国民皆保険(保障)制度内での保険者間の選択、(3)私的負担医療と普遍的公的給付間の選択。カナダでは、この第3の選択について活発な論争が行われており、その中心は、Chaoulli医師が起こした裁判でケベック州最高裁が下した、公的医療保険の枠内で医学的に必要な医療のために私的保険を用いることを禁じたケベック州の規則を違憲する判決についての論争である。その際、この種の選択を禁ずる規制を有する点で、カナダは他の諸国と著しく異なっているとの主張がしばしばなされる。

そこで本論文では、カナダとヨーロッパ5か国(オランダ、ドイツ、スウェーデン、イギリス、フランス)における、私的保険を用いた医療の選択についての規制を比較することにより、カナダの政策が本当に例外的なのか否かを検証する。その際、各国の違いと共通点の両方に焦点を当てながら、各国が私的保険部門の急拡大を抑制するためにどの程度規制しているかを示す。結論として、カナダが2段階医療を防ぐために広範で複雑な規制を行っているのは事実だが、他国と比べて例外(外れ値)なわけではない。

二木コメント-日本では断片的にしか知られていない、ヨーロッパ5か国とカナダにおける保険診療と私(保険)診療との関係を鳥瞰できる好論文です。自国の医療制度や2段階医療を防ぐための複雑な規制についての「深い知識」なしに、選択の自由を絶対化して、原理的に混合診療原則解禁を主張する人々が少なくない点では、カナダと日本は共通していると思います。

○医療ツーリズムと医療のグローバル市場:アメリカの患者、国際的病院、および手頃な価格の医療の探索
(Turner L: "Medical tourism" and the global marketplace in health services: U.S. patients, international hospitals, and the search for affordable health care. International Journal of Health Services 40(3):443-467,2010)[総説]

医療サービスは今やグローバル化し、人口股・膝関節置換術、眼科手術、美容外科、心臓治療、臓器移植、さらには幹細胞注入がグローバルな医療市場で購入できるようになっている。「医療ツーリズム」企業は「医療観光」(sun and surgery)パッケージを販売し、コスタリカ、インド、メキシコ、シンガポール、タイ等にある国際的病院での診療を手配している。自動車や織物の製造が国外に移動したのと同様に、アメリカ合衆国の患者は、安価な労働費用を用いた国際競争力のある海外の病院へ行くようになっている。医療ツーリズムの支持者は医療のグローバル市場は消費者の選択を増やし病院間の競争を促進することにより、消費者が世界中の医療施設で良質の医療を購入できるようになると主張している。それの批判者は医療の質と患者の安全、患者への情報提供、海外の病院で患者が医療事故にあった場合の法的賠償、医療ツーリズムを受けいている国の公衆衛生に与える悪影響等についての懸念を表明している。医療サービスのグルーバル市場の出現は、医療保険、医療サービス提供、患者・医師関係、公的医療、医療消費者主義の拡大にも大きな影響を与えるであろう。
  二木コメント-主としてアメリカ合衆国の視点から、医療ツーリズムの影響を複眼的に検討している最新論文で、医療ツーリズムを国際的視点から検討する上での必読文献と思います。

○医療ツーリズムについてのヨーロッパの視点:知識基盤の必要性
(Carrera P, et al: A European perspective on medical tourism: The need for a knowledge base. International Journal of Health Services 40(3):469-484,2010)[論評]

1990年代前半以降、医療ツーリズムはアメリカ合衆国やアジアで注目されるようになっている。本論文では、ヨーロッパでの医療ツーリズムの勃興を検討する。まず医療ツーリズムの概念と主導因(速やかな治療を受けたいとの消費者選好等)について検討し、医療ツーリズムをヨーロッパ連合(EU)内での医療のグローバル化と患者移動という枠組みで位置づける。さらに、ヨーロッパにおける医療ツーリズムについて概観し、実証的研究がほとんど行われていないことを指摘する。さらに、医療ツーリズムの2つの形態-「市民」(the citizen)が権利として公的医療サービスを他のEU加盟国で受けることと、「消費者」が私費・民間保険を用いて他国で医療サービスを受けること-を区別する。

二木コメント-概念偏重の「予備的研究」ですが、医療ツーリズム=私費診療という日本でのイメージと異なり、ヨーロッパでは公的医療サービスを利用する医療ツーリズムも存在するとの指摘は重要と思います。引用文献も豊富です(66論文)。なお、本「ニューズレター」72号(2010年7月)で紹介した「自国外での医療サービスの購入:ヨーロッパ6か国における国境を越えた[診療]契約と患者の移動」(Glinos IA, et al: Purchasing health services abroad: Practices of cross-border contracting and patient mobility in six European countries. Health Policy 95(2-3):103-112,2010)は、EU加盟6か国における公的医療サービスを利用する医療ツーリズムの主として診療契約的側面を比較検討しており、本論文と相補的と思います。

○豊かな国[の国民]は常に[貧しい国の国民]より健康と言えるか?国民所得水準、不平等と貧困[率]がラテンアメリカ[22か国]の公衆衛生[指標]に与える影響
(Biggs B, et al: Is wealthier always healthier? The impact of national income level, inequality, and poverty on public health in Latin America. Social Science & Medicine 71(2):266-273,2010)[量的研究・国際比較研究]

国民所得水準と所得不平等は共に国民の健康の決定要因であることは確認されているが、国民所得水準、貧困と不平等がどのように影響しあって公衆衛生アウトカムに影響しているかを検討した報告はほとんどない。そこで、ラテンアメリカ22か国を対象にして、1960~2007年の1人当たりGDP(購買力平価表記)、絶対貧困率、個人所得分布のジニ係数と3つの公衆衛生指標(平均寿命、乳児死亡率、結核死亡率)との関係を検討した。貧困と不平等を修飾因子(modifying factors)として導入し、両者が悪化・改善・一定であった時期に、1人当たりGDPと公衆衛生指標との関連がどのように変化するかを検討した。

その結果、先行研究と同じく、1人当たりGDPの増加は国民の健康に大きな正の影響を与えていた。しかし、この関係の強さは、貧困と不平等の変化の程度によって大きな影響を受けていた。貧困率が上昇している時期には、1人当たりGDPが増加しても平均寿命と結核死亡率は有意に改善せず、乳児死亡率のみがわずかに改善した。不平等が拡大している時期には、1人当たりGDPの増加は平均寿命と乳児死亡率を多少(modest)改善するにとどまり、結核死亡率は改善しなかった。それとは対照的に、貧困率と不平等が改善するか一定であった時期には、1人当たりGDPの増加と平均寿命、結核死亡率、乳児死亡率の改善との間には非常に強い関連がみられた。最後に、不平等と貧困率は国民所得水準と健康との関係に、それぞれ独立して有意の影響を与えていた。この結果に基づいて、著者は、豊かな国の国民は確かに貧しい国の国民よりも健康ではあるが、どの程度健康であるかは、富の増加がどのように分配されるかにも依存すると結論づけている。

二木コメント-イギリスとアメリカの4人の研究者による、非常に緻密で実に「キレイ」な研究です。


5.私の好きな名言・警句の紹介(その70)-最近知った名言・警句

<研究と研究者のあり方>

<組織のマネジメントとリーダーシップのあり方>

<その他>

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