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『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻20号)』(転載)

二木立

発行日2006年04月01日

(出所を明示していただければ、御自由に引用・転送していただいて結構ですが、他の雑誌に発表済みの拙論全文を別の雑誌・新聞に転載することを希望される方は、事前に初出誌の編集部と私の許可を求めて下さい。無断引用・転載は固くお断りします。御笑読の上、率直な御感想・御質問・御意見等をいただければ幸いです)

本「ニューズレター」のすべてのバックナンバーは、いのちとくらし非営利・協同研究所のホームページ上に転載されています:http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/ )


目次


1.拙論:私はなぜ医療者の自己改革を強調するか?-B医師との対話から

(「二木教授の医療時評(その26)」『文化連情報』2006年4月号(337号):28-29頁)

本時評の読者はよくご存知のように、私は、公的医療費の総枠拡大についての国民的理解を得るには医療者の自己改革が不可欠と考え、個々の医療機関レベルの3つの自己改革と個々の医療機関の枠を超えたより大きな3つの改革を提案しています。最近では、1月号の本時評(その21)「より悪い医療制度にしないために-経済財政諮問会議民間議員吉川洋氏との公開ディベイトから」で、そのことに簡単に触れました。

これに対して、政府の医療政策やマスコミの一面的な医療事故報道を厳しく批判されている高名なB医師から、次のような率直なコメントをいただきました。「先生の御主張全般に深く賛同いたします。ただ、先生の御意見では、国民・患者の強い医療不信をそのまま認めすぎているように思います。また、現場の医療従事者がどのような考えをもっているのか、どう動こうとしているのかについての視点が乏しいように思います。現場の医師もまた、患者を含めて医療をめぐる社会側の態度に対し強い不信と不満を持っています。医師の士気の崩壊は座視できぬ状況にあります。双方の不信を取り除くための対策を早急に講じないと、崩壊への不可逆点を越えてしまうように思われます」。

それに対して、私は以下のようにお返事しました。

「良心的な名医である先生が、拙論が『国民・患者の強い医療不信をそのまま認めすぎぎている』と思われるお気持ちはよく分かります。しかし私は、社会的には(相対的に)まだ強い立場にある医師・医師会は、主観的には『譲りすぎ』と思うほど譲って自己改革を進めないと、国民やジャーナリズムの信頼は得られないと思っています。古い諺を使えば、『韓信の股くぐり』です」。[注:漢の高祖を助けて天下統一の功績のあった武将韓信が、青年時代、街のならず者から辱めを受けたが、よく我慢してその相手の股をくぐったという故事。大望を抱く者はよく忍耐する意]。

医療者の自己改革の原点は20年前の公開論争

実は、私は、今から約20年前(1987年)に、旧厚生省の技官(匿名)と『病院』誌上で「長期入院の是正」について公開論争をしたことがあり、その時に「良心的」医師・医療機関の視点のみから発言することの限界を感じました。

この論争で、私は、まず「不必要な長期入院の是正自体は必要」と明言し、私が1985年まで勤務していた東京都心の一般病院(代々木病院)での在院日数短縮の経験を紹介しました。その上で、日本全体でマクロに「長期入院の是正」を行うためには、個別病院のミクロな努力だけでは限界があり、MSWの配置を含めた病院のマンパワーの増員を行い、集中的な診療を行うことが不可欠であるが、それにより厚生省の思惑とは逆に入院医療費は大幅に増加する可能性があると指摘しました。あわせて、技官の主張のように、病院のマンパワー不足に目を向けないまま、「入退院マニュアル」や「基準看護制度の見直し」により長期入院の是正をしようとすると、患者追い出しが生じる危険があると批判しました(「『長期入院の是正』のために求められるものは何か?」『病院』46(10):852-853,1987)。

この批判に対して、その技官は以下のように反論してきました。「二木氏は日頃良い医療機関ばかり見ているので、二木氏から見た良心的な医療機関が現在の保険制度の中で抱えている問題点を明らかにするという観点から物事を見ていると思われます。我々は、日頃、国民より寄せられる医療機関(医療制度ではなく)に対する不平、不満、訴えばかり聞いているため、国民より悪いと指摘されている医療機関ばかり見ているので考えがひねくれているのかもしれません」(「病院のマンパワーとは」『病院』46(11):950-951,1987)。

これは論点をずらした反論ではありますが、私の主張の盲点をついており、「一本とられた」とも感じました(と同時に、技官から私の勤務していた病院が「良い医療機関」と認められたことをうれしく思いもしました)。

そのためもあり、その後に出版した拙著『90年代の医療』(勁草書房,1990)からは、厚生省の政策を批判するだけでなく、「医師・医療機関の内部に存在する弱点や階層分化を指摘する」ようになり、さらに医療者の自己改革を強調するようになりました。

これが、私が医療者の自己改革を強調するようになった「原点」です。

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2.大学院「入院」生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書

(別ファイル:大学院「入院」生のための論文の書き方・研究方法論等の私的推薦図書(2006年度版,ver 8 転載))

この文献リストは、私が1999年度に日本福祉大学大学院社会福祉学研究科長になってから、毎年、大学・大学院の入学式後の大学院合同オリエンテーションの「おみやげ」として配布しているものの最新版(2006年度版,ver 7)です。本「ニューズレター」8号(2005年4月1日配信)に添付した2005年度版(ver 7)の増補版です。2006年度版で初めて紹介した本(11冊)は、書名の後に■を付けています。

これは一部修正した上で、本年後半に出版予定の拙著『医療経済・政策学の研究方法と哲学』(仮題。勁草書房)に「資料」として収録する予定です。皆様が御存知の図書で、このリストに加えることを推奨されるものがあれば、ご教示いただくようお願いします。その際、推薦理由をお書きいただければ幸いです。推薦いただいた図書は、私が現物をチェックして、掲載の可否を判断いたします。その結果は、推薦された方に個別に御報告いたします。

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3.最近出版された医療経済・政策学関連図書(洋書)のうち一読に値すると思うものの紹介(その4)

<医療経済学の教科書…(その3)以降、新しい初級教科書が続々出版されました>

○『医療専門職のための医療経済学入門』(Phillips CJ: Health Economics: An Introduction for Health Professionals. Blackwell, 2005,151pages)[初級教科書]

「医療経済学は財政だけでなく、質的・評価的概念に関する幅広い領域をカバーし、それらは簡潔に説明される必要がある」との視点から、イギリスの医療専門職のために書かれた医療経済学入門書です。以下の7章から構成されています:第1章序章、第2章医療サービスの組織と財政、第3章医療の費用、第4章医療の便益(アウトプットとアウトカム)、第5章経済学的視点からの医療介入の評価、第6章意志決定における医療経済学の役割、第7章将来展望。アメリカの医療経済学教科書では定番の医療保険、医療市場、医療需要等の章がない(索引にもない!)反面、医療の経済評価(臨床経済学)の記述が充実しているのが本書の特徴です。

○『医療の経済評価のエッセンス』(ElliottR et al: Essentials of Economic Evaluation in Healthcare. Pharmaceutical Press, 2005,235pages)[初級教科書]

イギリスとノルウェイの2人の医療経済学者が書いた、(医療)経済学の知識がほとんどない医系学生、特に薬学部の学生・院生向けの、医療の経済評価(臨床経済学)の初級教科書です。

○『医療経済学入門』(Wonderling D, et al: Introduction to Health Economics. Open University Press, 2005,265pages.[初級教科書]

本書は、「公衆衛生学を理解する」シリーズ(全20冊)の1冊で、イギリス・ロンドン大学衛生学・熱帯医学大学院所属の3人の医療経済学者の共著です。大半の医療経済学教科書が先進国のみを対象にしているのと異なり、本書の特徴は「国際的視野」を持ち、所得水準の異なる国々の公私医療制度を検討していることです。以下の5部構成です:第1部経済学と医療経済学、第2部供給と需要、第3部市場、第4部医療財政、第5部経済評価。枠組みは新古典派ですが、イギリスの教科書らしく、医療の経済評価(臨床経済学)も含んでいます。

なお、同じロンドン大学衛生学・熱帯医学大学院所属の別の3人の医療経済学者の共著"Health Economics: An International Perspective" (by McPake B, et al. Routledge, 2002)も、同様の視点から書かれた「中級教科書」の名著で、しかも日本語訳が出版されています(大日康史・近藤正英訳『国際的視点から学ぶ医療経済学入門』東京大学出版会,2004,413頁)。私は大学院の医療経済学講義で、日本語で読める医療経済学の中級教科書として、この本と柿原浩明『入門医療経済学』(日本評論社,2004)の2冊を推薦しています。

○『医療経済学入門』(Johnson-Lans S: A Health Economics Primer. Addison Wesley,2006, 363pages)[初級教科書]

アメリカの医療経済学の最新の初級教科書です。全5部で構成され、第1~3部は、通常のアメリカの教科書と同じく、医療経済学の基本的領域-医療、保険、医療提供制度-をカバーしています。アメリカの教科書には珍しく、第4部で費用便益分析・費用効果分析と医療における技術革新の役割、第5部で発展途上国を含めた医療制度の国際比較を解説しているのが特徴です。特に、第10章医療における技術の役割は、(1)技術進歩のプロセス、(2)技術の普及、(3)技術進歩と医療費との関連、(4)医療価格の上昇率を測定するための諸物価指数の利用について、簡潔に説明しています。アメリカの医療経済学教科書としては、例外的にバランスが取れていると思います。

○『医療経済学[第6版]』(Feldstein PJ: Health Care Economics Sixth Edition. Thomson Delmar Learning, 2005,541pages)[上級教科書]

アメリカのもっとも伝統ある(新古典派)医療経済学教科書の最新版です(初版は1986年)。今回は1999年以来6年ぶりの改定ですが、製薬産業の章(第12章)が新しく加わった以外は、大きな構成上の変化はなく、マイナー・チェインジと言えます。

医療サービスが市場で取り引きされることを前提とした、医療の需要・供給分析、医療保険・医師・病院等の市場分析が中心です。上掲の4冊の初級教科書と異なり、費用便益分析・費用効果分析等の「医療の経済評価」の章はなく、本文でもほとんど触れていません。これらはアメリカの「主流派(新古典派)」医療経済学教科書にほぼ共通する特徴です。

<その他>

○『医療制度-保健医療福祉における主要テーマ[別論文選]』(Watson J, Ovseiko P, ed: Health Care Systems - Major Themes in Health and Social Welfare. Routledge, 2004, 4 volumes,2013pages) [研究論文集]

過去20年間(1985~2004年)に発表された医療制度の改革・発展についての重要英語論文100を主要テーマ別に収録しています。全4巻で、各巻のテーマと構成は以下の通りです。

米国と英国について論じた論文が中心で、カナダ、イギリス以外のヨーロッパ諸国、オーストラリア、南アメリカ諸国についての論文も含まれていますが、日本・アジアについての論文はありません。全巻の序文で編者が、「1980年代中頃から1990年代を通して行われた医療改革競争は終了し、今やそれの評価をする時だ」と主張しているのが印象的です。全巻で16万円もするため、個人購入する必要はありませんが、図書館には受け入れる意味があるかもしれません。各巻・各部の冒頭に付けられている短い解説を読めば、各テーマについての研究・論争の国際的動向を鳥瞰することができそうです。

○『医療政策とハイテク産業開発-医療産業におけるイノベーションに学ぶ』(Tommaso MRD, Schweitzer ST (ed): Health Policy and High-Tech Industrial Development - Learning from Innovation in the Health Industry. Edward Elgar, 2005,285pages)[研究書]

イタリア政府の支援を受けた、イタリア・フェララ(Ferrara)大学経済学部の3年間の「医療産業政策プロジェクト」の研究成果で、独自の「医療産業モデル」を用いて、ヨーロッパ諸国を中心とした製薬産業・バイオテク産業の「ハイテク集積」を分析した論文集です。執筆者にはイタリアだけでなく、アメリカ・イギリスの研究者も加わっています(編者の1人のSchweitzer氏は、UCLA公衆衛生学大学院所属の医療・薬剤経済学研究者)。医療経済学、産業組織論、産業開発論を結合して、1国の医療産業の発展は、国民の健康水準を改善するだけでなく、安定した高賃金雇用の産業を促進し、財・サービス輸出の潜在力を増すとともに、他のハイテク産業にも好影響を与える科学的スピルオーバーを生むことを示しています。この問題を、マクロ、ミクロ、中間の3階層から、しかも国際比較も交えて、検討しています。

○『高齢者の医療・介護サービスの統合-ヨーロッパ9カ国から得られる根拠』(Billings J, et (ed): Integrating Health and Social Care Services for Older Persons - Evidence from Nine European Countries. Ashgate, 2005,345pages)[研究書]

ヨーロッパ連合の「高齢者への統合された医療・介護サービス[長期ケアと同義-二木]の提供」プロジェクトの2冊目の研究報告書です。この研究に参加している9カ国を対象にした実証研究(質的研究)と国際比較研究の結果をまとめ、この問題についての「真にヨーロッパ的視点」を提起しています。9カ国とは、オーストリア、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、イタリア、オランダ、イギリスで、ヨーロッパ連合加盟の主要国を網羅しています。

序章・方法論に続く本文は、以下の6章で構成されています。第1章利害関係者の視点からの統合ケアの定義、第2章統合ケア提供へのアクセス、第3章専門職間の協業と統合ケア組織、第4章統合された医療・介護サービスモデルの鍵となるイノベーション、第5章統合ケアにおける家族の役割、第6章統合ケアのアウトカムと便益、第7章統合ケアに向けての協業、第8章長期ケアにおける統合プロセスが成功するための諸要素。

単なる国別レポートの寄せ集めではなく、各章ごとに叙述の「統合」が図られていますが、医療・介護サービスの統合の経済分析(マクロ・ミクロとも)はまったく行われていません。

○『目で見る医療-OECD[医療]指標2005』(OECD: Health at a Glance - OECD Indicators 2005, OECD,2005,171pages)[図説]

『目で見る医療』シリーズの第3版です。OECD: Health Data 2005を用いて、OECD加盟30カ国の(1)健康状態、(2)医療資源と利用、(3)医療費・財政、(4)健康の非医療的決定要因、(5)人口学的経済的背景の概況を、多数の図を用いて分かりやすく解説しています(巻末には元データを含んだ表も掲載)。これを見ると日本人の健康水準の高さが改めて良くわかります。平均寿命や65歳以上人口の平均余命が加盟国中第1位であるだけでなく、肥満率も韓国と並んでもっとも低くなっています(3.2%。もっとも多いアメリカの30.6%の十分の一!87頁)。他面、日本の1997~2003年の実質医療費の年間平均増加率は2.8%にすぎず、OECD平均の4.3%を大幅に下回っています(69頁)。

私にとってもっとも印象的だったことは、「高所得国」(OECD加盟国中東欧とトルコ等を除く)のうち、デンマークが、65歳以上の平均余命(男女)、同1970年~2003年の23年間の平均余命の延長とも、最下位なことです(21,107-108頁)。実はこのことは約10年前にUnited Nations: Demographic Yearbook 1963~1993を調べて気付いていましたが、本書でそれを再確認できました。私は、この数値はデンマークでは老人福祉は手厚い反面、老人医療は相当手薄いことを示唆していると判断しています。

なお、熊木正人「OECDが『目で見る医療』を公表」(『週刊社会保障』2366号62-65頁,2006年1月23日号)は、本書のポイントを簡潔に紹介しており、一読に値します。

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4.2006年発表の興味ある医療経済・政策学関連の英語論文(その2)

「論文名の邦訳」(筆頭著者名:論文名.雑誌名 巻(号):開始ページ-終了ページ,発行年)[論文の性格]論文のサワリ(要旨の抄訳±α)の順。論文名の邦訳中の[ ]は私の補足。

○「医療の生産性-自分の好きなもの[指標]を選べ」(Health-services productivity - Take your pick. The Economist March 4th, 2006,p.53)[評論]

2月27日にイギリスの国立統計局が発表したレポートによると、1999~2004年のNHSの医療サービスの生産性を6つの指標で測定したところ、年平均増減率は最大+1.6%から最少-1.5%まで大きな差があった。具体的には、伝統的な指標(治療1件当たり費用)を用いるとマイナスになるが、医療の質の向上や、実質所得の増加に伴う医療の価値の向上を考慮した新しい指標ではプラスになった。ただし、同誌は後者には懐疑的で、それに批判的な識者のコメントを掲載したうえで、最後を以下のように厳しい批判で結んでいる。「NHSの生産性についての、方法論的基礎が疑わしく人々を混乱させる指標の公表は、国民の官庁統計に対する不信をさらに増幅する」。

二木コメント-医療の生産性はどの指標を選ぶかによってガラリと変わることがよく分かります。新しい指標はブレア政権の医療政策を肯定するために考案された指標のようです。私はこれを読んで、わが国で所得格差は拡大していないとする内閣府のレポート(「月例経済報告等に関する関係閣僚会議資料」1月19日公表)を連想し、政府系機関が現政権の政策を合理化するレポートを出すのは、世界共通と思いました。

ただし、元レポート(Public Services Productivity: Health. http://www.statistics.gov.uk/about/data/methodology/specific/PublicSector/output/health.asp. 全49頁)をみると、特定の結論を押しつけている内閣府レポートと異なり、両論併記に徹し、最後に「単一の生産性指標でNHSのすべての費用と便益を把握することはできない。本研究で示した方法論と推計はNHSの生産性の測定を洗練するための一里塚と見なされるべき」との留保条件も明記されています。

○「余命と医療費:[スイスの]死亡前医療費を用いたドイツのための新しい推計」(Breyer F, et al: Life expectancy and health care expenditures: A new calculation for Germany using the costs of dying. Health Policy 75(2):178-185,2006)[量的研究(シミレーション)]

一部の研究者は、人口高齢化の将来医療費に与える影響はそれほど大きくはない(quite moderate)と考えている。その理由は、死亡前医療費は死亡時の年齢によらず高額であり、しかも人間は1度しか死なないので、人口高齢化により死亡リスクがより高齢者にシフトしても生涯医療費にはあまり影響しないからである。この点を検討するために、スイスの疾病保険データセット(年齢・性・死亡の有無別)を用いて、ドイツの2002年と2050年の1人当たり社会保険医療費(2002年価格)を推計した。

その結果、人口構成の変化と死亡前医療費(死亡患者と生存患者の医療費の違い)を組み込んだ推計では、1人当たり医療費は2002年の2596ユーロから2050年には2959~3102ユーロに上昇するとされた。これに技術進歩による医療費増加(毎年1%)を加えると、2050年の1人当たり医療費は5232~5485ユーロに達すると推計された。それに対し、人口構成の変化のみを考慮し、死亡前医療費を無視した推計では、2050年の1人当たり医療費は3217ユーロ、これに技術進歩による医療費を加えた場合には5688ユーロと推計された。この結果に基づき著者は、死亡前医療費の影響を無視した医療費推計の誤差は、医療技術進歩による医療費増加を過小評価した医療費推計の誤差に比べれば、小さいと結論づけている。

二木コメント-本論文の本文でも引用されているように、将来医療費の推計において、死亡前医療費を考慮すべきことを最初に指摘したのは、アメリカのフュックス教授です:「横断調査による年齢階級別の費用格差による費用推計は人口構成の高齢化による変化を過大視してしまう。老人の医療費は死ぬまでの期間の関数だとは言えるが、出生からの期間の関数だとは言いがたい」(江見康一・田中滋・二木立訳『保健医療の経済学』勁草書房,1995,135頁。元論文は1984年)。

また、本論文が指摘しているように、人口高齢化よりも技術進歩の方が医療費増加寄与率がはるかに大きいことは、医療経済学の初歩的常識です。意外なことに、『平成17年版経済財政白書』(226頁)にも、このことを視覚的に確認できる図「医療費の将来推計」が掲載されています。これをみると、人口高齢化が急速に進行する2003~2030年でも、人口要因(人口高齢化も含む)による医療費増加が「1人当たり医療費伸び要因」(この中に医療技術進歩による医療費増加も含まれる)に比べてごくわずかであることがよく分かります(拙論「複眼で読む『骨太の方針』と『平成17年版経済財政白書』」(『文化連情報』2005年9月号本「ニューズレター」13号)。

○「人口高齢化が将来のデンマークの薬剤費に与える影響」(Kildemoes HW, et al: The impact of population ageing on future Danish drug expenditure. Health Policy 75(3):298-311,2006)[量的研究(シミュレーション)]

人口高齢化は将来の医療費負担を増加させるが、一部の研究は、死亡までの期間を考慮しないと、高齢化が将来の入院医療費に与える影響は過大評価されることを明らかにしている。その理由は、高齢者の医療費総額が高額なのは、高齢者の1人あたり医療費が高いだけでなく、(年齢によらず)死亡前医療費が高いためでもあるからである。しかしこの点を薬剤費について検討した先行研究はほとんどない。

本研究の第1の目的は、デンマークにおける人口高齢化が将来の総薬剤費(公費+患者負担。入院分を除く)に与える影響を推計することである。第2の目的は、生存者における年齢と薬剤費との関係を死亡者のそれと比較すること、および死亡前2年間に薬剤費がどのように増加するかを明らかにすることである。そのためにデンマークの1郡の薬剤費データベースを用いて、2003~2030年の薬剤費を推計した。その結果、この期間に人口は0.8%しか増加しないが、75歳以上人口は58%も増加すると推計された。総薬剤費は、死亡までの期間を考慮すると16.9%増加するが、それを考慮しないと17.9%増加すると推計された。これは、入院医療費の推計増加率よりも相当低かった。

この結果に基づいて、著者は、人口高齢化そのものは将来の薬剤費増加の要因になるが、それによる薬剤費の増加率は近年の現実の薬剤費の増加率よりも小さいと結論づけている。その上で著者は、デンマークにおける公的薬剤費の上昇を抑制する政策は、高齢者の薬剤消費や薬剤給付率を一律に抑制することではなく、合理的な薬物療法、費用効果的な薬剤の処方の促進に焦点を当てるべきだと主張している。

二木コメント-この研究も、上記研究と同じく、人口高齢化そのものによる薬剤費の増加は小さいことを実証しています。著者の結論・主張も見識があると思います。

○「長期ケアの将来費用-イギリスにおける高齢者の長期ケアの費用推計」(Karlsson M, et al: Future costs for long-term care: Cost projections for long-term care for older people in the United Kingdom. Health Policy 75(2):187-213,2006.)[量的研究(シミュレーション)]

本研究の目的は、イギリスの長期ケア提供システムの、人口と高齢者の健康の変化に対する将来的維持可能性を分析することである。そのために、長期ケアに対する需要がどのように生じるのか、およびそれを満たすためにどの程度の供給が必要かを検討する。フォーマルケアに関しては、公的部門の費用と納税者の負担の推計が必要である。インフォーマルケアについては、現在のケア提供パターンが継続するとした場合、介護者が十分に確保できるかの推計が必要である。

推計結果では、長期ケアの需要は現在から10年後以降に急増し、2040年代にピークに達し、しかも需要増大の大半はインフォーマルケアに対するものである。ただし、費用増加は長期ケアを受けるどの様式でも類似しており、現在より30~50%増である。フォーマルな長期ケアの年間総費用は、現在の110億ポンドから2040年には150億ポンド(2001年価格)に上昇し、総賃金中長期ケアに充当される費用の割合は現在の1.0%から2050年には1.3%に上昇すると推計される。インフォーマルケアがどの程度得られるかは潜在的には重大な問題であるが、その問題の大きさは、将来の高齢者の健康状態の改善とケア提供パターンをどのように仮定するかで、大きく変わってくる。

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5.私の好きな名言・警句の紹介(その16)-最近知った名言・警句

前号の本コーナーの人名等の誤記の訂正:中野好雄→…好<夫>、暉峻俊子→…<淑>子、「岡田玲一郎の問題“言"→…<間歇>言。

<研究と研究者のあり方>

<その他>

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