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『レイドロー報告』30周年

「副理事長のページ」 研究所ニュース No.29掲載分

中川雄一郎

発行日2010年02月20日


(1)1980年10月にモスクワで開催された国際協同組合同盟(ICA)第27回大会に『西暦2000 年における協同組合』(Co-operatives in the Year 2000)が提出・採択されてから今年で30 年の歳月が流れたことになる。このペーパーは、アレグザンダー・フレイザー・レイドロー(A. F. Laidlaw)の手によるペーパーなので、一般に『レイドロー報告』と呼ばれ、多かれ少なかれ世界の協同組合関係者に影響を及ぼしてきた。欧米では―おそらく日本でも―「一世代は約30 年」とされているので、このレイドロー報告は「一世代」を経たことになる。この一世代、すなわち、30年の間に世界の協同組合運動はどのように変化したのか―良い方に変化したのか、悪い方に変化したのか、それともそれほど変わらないのか―については、さまざまな人たちがさまざまな意見を持っていることだろうと思われるので、それこそ協同組合運動の発展のために自らの意見を侃々諤々戦わせて欲しい、と私は思っている。そうすることによって協同組合運動の本質がそれこそ多くのさまざまな人たちによって追求され、「協同組合のアイデンティティとは何か」という命題が協同組合の関係者や研究者の脳裏の片隅に常に置かれることになってくれれば幸いだ、と私は期待しているのである。

(2)この「研究所ニュース」を手にする人たちの多くは、おそらく、『レイドロー報告』について知らないか、知っていたとしても詳しくは知らないことだろう、と思われるので、ここで『レイドロー報告』(以下、『報告』と略記)のコアについて簡潔に言及しておこう。

レイドローが述べているように、この『報告』は、(1)1980年から2000年までの20年間に協同組合が事業を継続するのに「必要となってくると思われる転換」について示唆し、したがって、協同組合運動の「再構築」のための「計画の立案」と「青写真の作成」のための「指針」をグローバルな観点から提供すること、(2)その意味で、「基本的には(協同組合人の間で)議論を巻き起こすための「資料」であるのだから、確実な解答を示すのではなく、適切な疑問を提起するものであり、協同組合運動の明快な方向を示すのではなく、選択の可能性を示唆するものである。(3)協同組合運動は、その歴史全体においても、また個々の協同組合においても「三つの危機」、すなわち、「信頼の危機」(第1の危機)、「経営の危機」(第2の危機)そして「イデオロギーの危機」(第3の危機)に遭遇してきたし、今後もこれらの危機に遭遇するかもしれない。(4)現在の協同組合にとっての危機は「イデオロギーの危機」である。この危機についてレイドローはこう主張している。

この危機は、協同組合の真の目的は何か、他の企業とは違った種類の企業として独自の役割を果たしているのか、といった疑問に苛まれて起きているのである。協同組合は、商業的な意味で他の企業と同じように能率を上げることに成功しさえすれば、それで十分なのだろうか。また協同組合は、他の企業と同じような事業技術や事業手法を用いさえすれば、それだけで組合員の支持と忠誠を得る十分な理由となるのだろうか。さらに、世界が奇妙な、時には人びとを困惑させるような道筋で変化しているのであれば、協同組合も同じ道筋で変化していくべきなのか、それとも協同組合はそれとは異なる方向に進み、別の種類の経済的・社会的秩序を創ろうとすべきなのか。

(レイドローのこの言葉は非常に重要である、と私は強調したい。)

そして(5)協同組合が遂行すべき「四つの優先分野」(「将来の選択」)の主張である。すなわち、「第1優先分野:世界の飢えを満たす協同組合」、「第2優先分野:生産的労働のための協同組合」、「第3優先分野:保全者社会のための協同組合」(これはいわば「消費者協同組合(生協)の復権論」である)、そして「第4優先分野:協同組合コミュニティの建設」である。

(詳しくは、拙論「レイドロー報告の想像力:協同組合運動の持続可能性を求めて」協同組合経営研究所機関誌『にじ』2010年春号(No.629.)所収を参照されたい。)

(3)ところで、『報告』に関して私がこの「研究所ニュース」で書きたいことは、レイドローの「協同組合セクター論」についてであるが、実は、彼の「協同組合セクター論」についても上記『にじ』の拙論の主要な部分である。したがって、詳しくはそちらに譲るとして、レイドローの「協同組合セクター論」のコア(の一部)をここで記しておきたい。というのは、私には、レイドローのこのペーパーは彼の「協同組合セクター論」を基礎にしているように思えるからである。一世代を経た『報告』が協同組合人に真に訴えたかったこと、それは「協同組合は、それが各国で、また世界的規模で、人びとの『労働と生活の質の向上』を実現してくれるほどの経済的、社会的な能力を擁するセクターを構成するようになるのには何をどうすべきか」ということ、これではなかったのかと私は思えて仕方がないのである。

レイドローは、1974年にアメリカのミズーリ大学協同組合研究所で「協同組合セクター」と題する講演を行ない、彼の「協同組合セクター論」の柱を明らかにしているので、彼の講演ペーパーから彼の「協同組合セクター論」を垣間見ることにしよう。

レイドローはこの講演で、「世界と人類が直面している危機的状態」について次のように捉えていた。すなわち、(1)世界のいくつかの地域は飢餓状態あるいは飢餓の危機に直面している、(2)国際通貨制度は混沌としており、いくつかの国の通貨制度は崩壊寸前にあり、世界的な規模でインフレーションが大きく進行している、(3)経済的および社会的発展の尺度としてのGNP(国民総生産、現在はGDP:国内総生産)への信頼は失われている、(4)10年前には近い将来「豊かな時代が到来する」と考えていたが、今では「欠乏の時代は遠い将来のことではない」と懸念している、(5)国際的な開発計画の多くは幻滅に終わり、貧しい国の大多数の人たちは相変わらず貧しく、恵まれないでいる、(6)世界のさまざまな地域では人種対立や政治的憎しみが以前よりも激しくなっている。見られるように、インフレーションの代わりにデフレーションとすれば、まるで彼は21世紀初期の現在の世界の状況を言い当てているかのようである。彼が言うように、36年前も2010年の現在も「われわれは危険な時代に生きているのである」。

このような危機の実態と事実を前にして、彼はこう主張する。「世界と人類が抱えている大きな問題」の主原因は依然として経済的なものであり、社会的、政治的、宗教的、人種的な問題と考えられている問題も、結局のところ、経済的原因に行き着くのであり、したがって、われわれにとって未解決の問題点は、(1)地球の資源配分を分け合う(divide)方法、(2)誰が何を所有するべきかという方法、(3)土地の果実と工業製品を分け合う(share)方法、それに(4)各人が必要とする部分を公正に得られるシステムを整える方法、をどう確立するかということになる、と。この指摘は示唆に富んでいると言うべきである。何故なら、それが先に記した『報告』の「将来の選択」としての「四つの優先分野」と密接に関連しているように思えるからである。

そしてレイドローは、これらの方法を確立するのには、「世界と人類を支配する力を擁する」政府(第1セクター)と多国籍企業のような私的資本主義企業(第2セクター)との「二大権力」だけでは絶対に不可能であって、この二大権力に対抗する強力な拮抗力(countervailing force)としての「民衆の力」(people power)を育成し拡大していくなかで、世界と人類を脅かしている諸問題から人びとを救い出す理念、思想それにシステムに導かれた、人間的でかつ合理的な原則に基づいて組織されている有力な「第三の力」(third force)を民衆の側に創り出さなければならない、と強調した。レイドローにとって、その「第三の力」こそが「協同組合セクター」なのである。そう、協同組合は「第3セクター」の中心=コアになるべき重要な組織に外ならないのである。

今年で30年、一世代を経た『レイドロー報告』は現在でも生きており、協同組合人の思考の一つの羅針盤として役立っているのである。この「レイドロー報告の想像力」を現在の私たちは協同組合運動のなかにどう埋め込んでいくか、問われるところである。くどいようですが、詳しくは上記の『にじ』春号をお読みいただければ幸いです。なお、『にじ』春号は「レイドロー報告特集」です。

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